書店に行くのは好きです。どんな新しい本が出ているのか、何が売れているのか、定点観測は欠かせません。しかもいくつかの書店を回ると、共通しておいてある本と、そうでないものがわかって面白いものです。
アマゾンで見ていると欲しいものが増えてしまうので、どこで諦めるのか迷います。迷った本が書店に置いてあったら、手に取ってパラパラ。あるいは、図書館で、取ってみる。
ちゃんと読んで、頭に入ってきて、使うまでつながるようなものは、線を引いたり、メモをしたり、ノートに図を書いたりするので、結局は買ったものが1番役立っています。読みたいときに、そばにあるというのが1番良いということ。
本を読むものではなくて引くものだと言ったのは、たしか大宅壮一ですが、本の読み方、楽しみ方はいろいろですから、こちら読み手側の気分によってもいろいろであっていいし、本の内容によってもいろいろ違う。そう考えれば、本にこだわる必要はないのかもしれません。
インターネットとYouTubeとSNSで、ほとんどの情報が手に入り、発信し、学ぶことができる時代です。大学院レベルの講座もネットで開かれています。実際本の内容もネットで検索したり読んだりできるようになっているので、アナログな本だけが本ではないと言うことでしょう。オーディオブックも本ですし、読書と言う行動の一つです。
これからの多様なメディア、社会の中で生きていく子供たちにとって、学校教育や社会教育の中での読書をどう考えるか。幼児教育の絵本をどう考えるか。本とその周辺のことをつないで眺めてみないとなかなか見えてこないような気がします。
でも、明らかに大人にとっては本の優位性というものがあります。場所的にも時間的にも、今ここと言うことを超えて、無限といってもいい位広い世界につながっているからです。
さらに、認知や学びのモードといったフェーズで、このことを考えると、保育園や幼稚園に置いてある絵本、家庭の中にある絵本、その意味をもう一度考え直したくなります。また学校図書館や公共図書館のスタイルと言うものを、インターフェースのデザインとしても、考え直すことが必要になっている事情もあるようです。