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園長の日記

選ぶこと・ものの性質に興味を深めること

2024/04/13

「園長の日記」では、年度の初めなど新入園児の方が入っていらっしゃるので、「そもそもの話」をすることが多くなります。例えば、なぜ子どもの直接的な体験が大切なのかとか、どうして遊びを大切にするのか、あるいは当園の保育目標に関連してなどです。そういう基本に立ち返って保育を振り返ると、私自身も改めて気づくことが出てきます。

この二日ほど幼児の「剣づくり」をクラスブログから紹介しましたが、そこに当園の保育として意識的に大切にしていることがあります。なぜ剣を作りたい!になったのかはわかりませんが、(今度Yちゃんに聞いてみますが。聞いて分かるとも限りませんが)作った後でやる経験が、何か一緒にやる遊びの一つのツールとして使われていくのか、とか、一人で黙々と作ることも大事なのですが、それ(剣)を一緒に作り上げたり、作り方を教えたり教えてもらったりすることも大切にしています。子ども同士の関わりです。

そこまでの一連の活動の流れの中で大切にしていることをいくつか取り出してみましょう。まずは、子どもがやりたいことを決めて選ぶことができることです。その時間、その場所で何をするかを自己決定するということです。今日はその、そもそものところをお伝えしておきます。

生活のある時間と場所で、何かをすることになっているとします。起きる時間、朝食の時間、登園する時間などを思うかべてください。その「することになっている」状態に参加するかどうかは、本来は自由なのかもしれません。登園するかどうか、何時に登園するかも自由、というわけです。でも私たちは生活のリズムを大切にしたいし、朝食も食べて欲しいわけです。それを「しない」選択は選んで欲しくないわけです。生命の保持と情緒の安定に関することや基本的な生活の習慣のようなことです。そういう「望ましいこと」を選択できるように育って欲しいと私たちは考えています。何が望ましいことかの話は、結構複雑なので、またの機会にします。

また「登園するかどうか」にまで本人に委ねてもいいのですが、そこはお家にいたい!となると働いている親御さんは困るので、「なんとか登園してほしい」と思ってもらいたいわけで、そこは「保育園が面白い!保育園に行きたい!」という選択になるように、保育園は目指していることになります。そういう消極的な意味ではないのですが、まずは保育園に行きたいという気持ちになることを大事にしています。積極的な意味については、9日の日記に書いたつもりです。

さて、子どもの自己決定の及ぶ範囲の話をしているのですが、当園した後もできるだけすぐに遊び始めることができるようにしているのですが、それでも子どもの数によって出勤してくる先生の数も増やすようにシフト勤務をしているので、開園したばかりの朝の7時半から8時半ごろまでは1階の部屋での合同保育です。どの年齢の子どももそこで遊びます。遊ぶ内容によって、制限が生じます。すぐに散歩には行けないし、すぐに屋上で縄跳びもできません。でも短剣作りなら場所はあまり問わないので登園するなり始めることはできます。

そうすると、ある程度先生が揃ってから、製作ならその材料が色々揃っている場所でできる時間になったら「選べる」という条件付きの選択をやっていることになります。その時間までは待てるとか、お昼ご飯の時間になったら一時的に中止できるとか、そういう活動の「切り替え」というものが時間と場所の制約の中で求められることになります。「こわさないで、とちゅう」などと紙に書いて(カードや印を置く、ことも)別の活動に移ることをよくやっています。ここで文字を書くという経験にもなっています。

その次の分岐点が室内で過ごすか、戸外で過ごすか、です。当園の場合は園庭がないのですが、ベランダや屋上は戸外に似た要素があります。ベランダの砂場で泥団子を作るという活動場面に限るなら、園庭や公園の砂場よりも面白い活動になるかもしれません。この室内か戸外かも選択出来ます。ただ「食わず嫌い」を作らないような配慮が大切です。

短剣作りの遊びの話に戻ると、大事なのはその製作過程でわからないことやできないことは教えてもらったりしながら、「やっているのは自分」「自分がやっている」という主導権は本人であることです。他人にやってもらっているのではない。やらされているのでもない、ということです。教えてもらう、というのは本来の活動が自分でできるようになるまでの支え、サポートであったり、高すぎる階段を自分で登るための踏み台、スモールステップに例えるといいでしょうか?階段を登るのはあくまでも本人、子どもです。短剣を作るのはあくまでも子どもです。

ここで無藤先生に教えていただいた遊びの定義を思い出します。あ、短剣作りたい!という思いつきから目標設定が始まって、どんな形だったっけ?になったでしょうから、そこにも本人が以前見た映像のイメージはあっても具体的な形にすることは難しいので「教えてもらう」「見本をみる」など映像的な手がかり得る過程が生まれるでしょう。そこも、どこまで先生や大人が提供するかという判断もあるでしょう。できるだけ、本人が作りたい目標に向けて、自分で考えて試行錯誤してもらいたいからです。ここに仮説を立ててやってみるといった課題解決プロセスが生じます。そしてできた!という達成感。なんとも嬉しそうです。

あの遊びが学びになっているのは、その形を実体化する方法の素材がダンボールと折り紙でしたが「切る」と「貼る」という、行為がまれていたことです。ものを「分ける」と「つなぐ」で新しい創造になっている過程があって、そこにいろんな道具が使われています。「分ける」は破る、ちぎる、切る、砕く、つぶす、溶かす、蒸発させるなどの方法が色々ありそうです(料理はそれが多い)。「つなぐ」の方は、貼る、結ぶ、かく(書くも描くも)なども、何かと何かをつっつけて新しい形にしていきます。二つ以上のものが一つなります。このような遊びの中で、色々な物の性質に気づき関心を深めていくことできるでしょう。

ちなみに造形には粘土のように可塑性や弾力性のあるもの変形させるという面白さもあります。小麦粉粘土など2歳ぐらいからでも「分ける」と「つなぐ」がすぐにできて、感覚的にも面白いのでしょうね。また思わずある形があるものに思えてきたり、また変わってしまうこと、それを自分の関わり方一つで変化する面白さがありそうです。

そして試行錯誤が目立ってわかりやすいのが剣の修理というか補強に取り組んでいる姿でした。振り回しているうちに剣が曲がったり折れたりして頑丈にするという方法を見出していました。使い捨て文化を見直すなら、大人も修理して使い続ける姿を子どもにもっと見せたいものです。素材の折れやすさは、自分が負けるという戦いには致命的な素材の弱点だから、どうやったら強くなるかが、強い動機になっているようにも思えて面白いのでした。

 

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