「キャアアアアア〜」「キャアアアアア〜」。文字にすると、多分「叫んでいるだろうな」と思わせる文字列だけですが、実際には耳をつんざくような、あの子どもだけが時々やる、裏声の甲高い「きゃ〜!」です。想像できますか?昨日の朝のことですが、それを3歳児クラスの◯さんと◯くんが、交互にやっていたのです。何をしながら声を出していたか、というと、それぞれ狭い場所に隠れて、そこから「あ、見つかちゃった!きゃ〜!」という、ごっこあそびを二人でやっていたのです。
(写真は別の子です)
多分ですが、まるで「かくれんぼ」で鬼に見つけられた、その最後の瞬間のところだけを、何度も何度も二人で繰り返しています。つんざくようなぎゃ〜は、3階のフロアのどこにいても聞こえるくらい、ボリュームがあって、音量だけなら何dBになるかわからないくらい(多分工事現場のダダダ〜ぐらいはあるでしょう)の「騒音」です。外部の第三者から「わあ、うるさ!」と思われて終わるかもしれません。
でも二人は、柱と壁の流しで区切られた隙間とか、カーテンの裏とか、折り畳みクッションの隙間とかに入り込んでは、実際にはいないのですが、あたかも鬼に「み〜つけた!」と言われた瞬間を、そこだけを拡大再生させるかのように、思いっきり張り上げた声で「ぎゃ〜」と繰り返しています。いちいち、どこかに隠れてからやっているので、多分見つけられるまでの、隠れているドキドキ感や見つかった時の、軽い恐怖感?を何度も味わいたいという面白さがあるからでしょうか。
(写真はこのときの子ではありません)
実際のところ、園全体を使った大掛かりな「かくれんぼ」は何度かやったことがあって、その時の楽しかった経験があるのは間違いないでしょう。お迎えの時にトイレの前の荷物の裏や、事務所のアコーディオンカーテンの裏に隠れて親に見つけてもらう、ということを楽しむ子どもも何人もいます。
でも、これだけ大きな声を、しかも思いっきり吐き出すかのように叫んでいるのは、ただ「かくれんぼ」的な遊びが面白いだけではなく、何か自分の中にある気持ちを吐き出したいようにも見えてきます。どうしたの?と気にかけてもらいたいわけでもありません。二人で繰り返し楽しんでいるので、二人の間に仲間意識はありますが、声でも言葉でもない腹の底から思いっきり脳天まで貫通させたいような、鋭い声なのです。
その声を文字にすると「きゃ〜」なのですが、実際には「イ」という母音の持続的な音を前面に感じるのです。その身体的な音は、ある種の意志や瞬発性や鋭利さや否定性を持った響きです。
余談ですが、人間の発する母音には、それぞれ身体的な意味合いがありそうです。(そのあたりはシュタイナーの言語学やオイリュトミーにも詳しく展開されていますが)たとえば朝日がのぼるような開かれる明るい感覚は「あ」の音、警戒して内に篭るような情動は「う」の音、驚きや不思議さは「え」の音、感嘆や感動などの気持ちは「お」の音から感じることができます。動物もそんな声を出してますよね。犬が警戒して「う〜」と唸ったり。
そこで、どんな感情の時に「い」を出しているかというと、刀を「えい」と振ったりするときのように、自分のいる場や空間を切り拓いて、外の世界に切れ目を入れていくような、そういう動きに似た印象を持っています。あくまでも個人的な印象ですけれども。
というようなことを色々感じるのですが、二人はその「きゃ〜」を交互に響き合わせることで、何か同じ気持ちを分かち合っているように見えるのでした。その辺りを普段から一緒に生活している身近な大人がどう感じているかを重ね合わせてみたいですね。