保育環境研究所ギビングツリー(藤森平司代表)が主催している研修会が年間を通じて何回か開かれているのですが、そのうち最も参加者が多い「保育環境セミナー」を3回のシリーズ(7月9月11月)にして、それぞれの回に主なテーマを設けています。初回の今回(7月22日〜24日)は「子ども同士の関わり・異年齢」編です。
今回のセミナーで再確認したのは、協同性の中で年長児童(その集団の中で相対的に年上の子ども)のメリットです。0歳から満6歳までいる保育園で、その関係性は複雑で単純化はできませんが、私たちの異年齢保育を実践している園の中で話題になり、指摘されていることを箇条書き的に取り出してみると、次のようなことがありそうです。
まず「違いについて気づき興味を持つ」ということがあります。保育園では合同保育という時間があります。朝夕の子どもが少ない時間帯は、たいてい乳児から幼児まで年齢の異なる子どもたちが一緒に生活する時間帯があるものです。また年長の子どもたち(当園ではすいすい組になります)が、お手伝い保育などで、乳児の子どもたちのお世話を手伝っている姿をみると、発達や育ちの違いというもの(という言葉で大人がイメージしているものとは違うでしょうが)に気づいていきます。これは満2歳くらいの子どもでも、自分より小さい赤ちゃんのことを赤ちゃん扱いできる、という姿をよく見かけます。
じっくりと座って話し合ったりできる「ピーステーブル」の空間もまた、自分の思いや考えをしっかり伝え、また相手の思いや考えに気づくというためにもあります。幼児でよく見かけるのですがケンカなどなっとき、その問題を解決するための話し合いというよりも、相手の違いに気づくためという経験になっていそうです。
そのような繰り返しの中で「異年齢の子どもの欲求や興味を知り、共感することができる」という経験になっていそうです。「思いやり、援助の気持ち、寛容さの育ち」と言って良さそうな姿が見られるようになります。乳児でも「いい子いい子」と頭を撫でてあげたり、泣いている子どもにティッシュをとってあげたりしているのですが、だんだんとその姿に気持ちがこもっていくとでもいうのでしょうか、そのような育ちに見えてくるのです。最初は大人がやっていることを真似しているわけですが、次第に心情が生まれ、そこから意欲的にそういう姿勢を心の育ちとして感じるようになります。環境との相互作用の中で浮き出てくる姿、とでもいうのでしょうか。私たちはそこに内面の育ちを感じています。
反対になんでも譲るということだけではなく「年齢の違う子どもに対して自分の言い分を主張する」ということもいい経験になります。このことは言い換えると「異なる要望や行動様式をお互いに調整しなければならないという基本的姿勢を学ぶ」ことになっていそうです。
次のことは言われることですが、確かに「他人に教えることで自分の能力を定着させることができる」ということもありそうです。人類はどうして教える、伝える、手伝う、分け合うということを好むのかという「利他性」の研究がありますが、その中の他人に「教える」ことは、自分の持っている知識や技能を他者のために繰り返し使うことで、そのためにどうやったら相手に伝わるのかを考えて工夫したりしていますし、その表現の変化も見られます。そこにもいわゆる学びに向かう力や学びに向かう人間性の涵養ということがあるでしょう。
私たちのグループには「お手伝い保育の自己評価表」というのがあって「小さい子どもの気持ちに気づいたか」という項目を大切にしています。さらに「小さい子のお手本となることで、自信をつけることできる」ことは、大人の安全基地や賞賛や援助を補うもの、あるいはそれに代わるものとして、子ども同士の関係を育てていくことの基盤になっていきそうです。
このような生活は「異年齢の子どもとの葛藤の中で自分の立場を守ることができること」に繋がりそうですし、またお手伝い保育の振り返りやお集まりのミーティングなどで担任が意識している中に「自分をお手本ととらえて、自分の言動を振り返ってみることについて興味を持つ」ということを意識してもらっているのですが、そういう姿も確認できます。子どもがお手伝いを好むのは、小学校以降でよく言われる当番活動と似たようなことに通じる協同性でしょう。