保育園で子どもたちが様々な遊びを展開していることと、食事や睡眠などの生活面でのスキル向上などの両方をトータルに眺めてみると、そこには子ども同士や先生との関係などの人的ネットワークが紡がれており、それぞれが影響を与えながら、色々な方向性に向かって学びながら発展していっているように見えます。
その過程はそれぞれの人(子どもも大人も)にとって学びでもあり探究でもあるのですが、どこに向かっているのか?とあえていうと、それぞれの生きている「世界の向こうへ、さらに」としか言いようのない、開かれた世界の彼方へ向かっているとでも言っていいのでしょうか。私たちは生死を超えた宇宙の彼方から彼方へ旅をしているのだとしたら、そういうものという言い方ができる気がします。
どんなテーマであろうと、やっている仕事や活動が違っていようと、そういう意味では誰もがアクティブラーナーであり探究者なんだと思います。主体的で対話的で深い学びとは、本当によく言い当てているなあ、と思うことがあります。特に「対話的で」が入っていることが、自分一人では成し遂げならないことや、対話することで自分や世界が見えてきたりして、そもそもじっとしていられないものだからこそ、そのようになるんだろうと思えてくるのです。
子どもたちがそうあることから教えてもらうことがたくさんあります。そしてある人の訃報に接して、遊星的な回帰に思い至り、保育という仕事も、子どもを世界に適応させるのではなくて、共に世界を探究するもの同士の対話を繰り返して行きたいと思うのでした。