赤ちゃんから年長さんまでの昨日から今日の活動報告を眺めていると、世界への関わり方と意味への気づきが、こんなに多様なんだと、改めて感じます。
そこにあるはずと体験的に理解していて、それがなくなると「どこいった?」と不思議に思える子どもたち。前はあった蕾がなくなっている花壇の変化に気づいています。
体がすっぽり入るような場所をみつけると、格好のいないいないばあ遊びが始まります。あるはずものが見えなくなって、それがまた現れると「ばあ」と、うれしいという気持ちで躍動しているよう。
あるいは、大きな音を立てて走っていく電車を追いかけて、その場から行ってしまって消えていくものには、それを惜しむかのように「ばいばい」と、手を振っています。
そこにじっととどまっているもの、いろんな方向へ動いているもの、見えたり隠れたりしているもの。身の回りの変化にも、「これはこうなる」「あれはああなる」という物事の「からくり」をいろいろと理解していっていて、「それでいいんだ」と確認しながら遊んでいるように見えます。
だから、その例外と出くわすと、あれ?と子どもたちなりに、ちいさな疑問を持ち、それを確かめたくて体が動き出しているよう。そうやってみると、散歩も小さな探検のようなものかもしれません。
いつのまにか、鳩とそうでない鳥の違いを言葉で区別していました。その音(オノマトペ)の指し示すものとの対応を第三者に伝えると、さらに「そうだね、鳩ぽっぽだね」という応答が返ってくるものだから、そのやりとりも楽しくなって、これは?これは?と言葉のコレクターぶりに拍車がかかっていきます。大きくなると、そのものの特徴や面白さを言葉で教えてもらえるので、知識欲も旺盛になっていきます。
また喜劇俳優でもありそうです。何かになってみるのも、ときどき大人にやけに「ウケる」ということもしっかり、わかっていそう。一発芸もしっかり習得していくようです。
身近なものと関わり、好きな人や見知らぬ人との関わり、そして自分を他者にみせたら、面白がってくれるという自己表現(自己との関わり)も、それぞれに楽しんでいる子どもたちです。