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園長の日記

保育には増幅装置があるという発想

2025/02/22

昨日の演奏会のときの子どもの様子を少し話し合ったら、こんな話題がでてきた。あのとき、いろいろな子どもの姿がありました。たとえば年長のYちゃんは、チェロに興味を持ったようだ。私がちょっと片付けをしながら見ていただけでも、チェロのトレモロが鳴って、演奏者に感心されているとき、顔を赤らめて、うれしそうでした。いつまでもやりたがって、年長の担任もやりたくて揉めていたのには笑えました。
さて、こんな意欲的な姿がみられた演奏会だったのですが、これで終わってしまうともったいないですよね。この子どもの湧き立つ関興をどう発展させたらいいだろう?そこを考えるのが保育になっていきます。
ちょうど卒園制作に作りたいものを話し合ってきていましたが、そこでは、個別ではなく共通の具体的な目標に向けて動き始めました。こんなときに、私たち保育者の腕の見せ所となります。その考え方を次の文章で再確認してみましょう。さきほどfacebookにアップされたばかりの無藤隆先生のものです。
<保育者の働きかけとして、最初には環境構成とともに、そこでの出会いの瞬発に気を止め、そこでの子どもの情動の動きを感受することがあるわけだが、その上で、その増幅があり得そうだと感じ取る作業がある。>
ここが大事な保育の作業があるんだと、私たちがよく理解しているかどうか?
<それが面白さの芽生えの引き出し方にある。面白そうだなあと子どもが感じ、保育者がそこに共感しつつやはり面白さを感じる。>
ここは保育の環境構成が、その子にとって、その後の意味ある発展になるかどうかの分岐点だと思います。子どもが何にどう面白いと感じているのか。そこに保育者が気づくかどうか。それに気づくからこそ・・・
<そこからそれをもっと発展させられるだろうかと保育者は瞬間的に思案する、あるいは類似のことを思い出す。そこで子どもの注意をわずかに広げ、あるいはもっとやれそうだという示唆をほのめかす。>
子どもにとって、そのものが身近にあり続ければ、それを繰り返すことができます。
<その次に、子どもが続けてやっていく活動を傍らで見たりして、そこで子どもが目指し始めているようなことがありそうなのか、あるとしてどんなことかを、すぐに干渉を避けて見守る。>
でも、昨日の音楽会のように、昨日触って音を出した楽器チェロやバイオリンは園にはない。ギターはあるけど。では、どうするか?
<つぶやきや動作からイメージが生まれ、それを何とかしようとする気配が出てくるときに、こんなことをやってみたいといった発言や活動への共感を言葉にして、同時に、どうすればいいだろうと、具体的な方策へと子どもの注意を向けることもあるだろう。>
ごっこ遊びなら、楽器作りとか、似たものづくりでその気になって遊ぶことはできるかもしれません。でもあのYちゃんの出会ったことは、代用がきくかどうか? チェロを習いたいといっているそうなので、そこはどうするか?
<そして実際に具体的な目標を持って子どもが動き始めたときに、子どもが困って相談することや、子ども同士で考え込んだり、一人で戸惑ったりしているときに、助けを求めてきたら、応じるよという構えを示す。ヒントとなるようなことは周りに置いてあることもよくあるだろう。
 このあたりに環境との出会いから活動が増幅され、持続し発展していく契機を保育者が担う働きかけが生まれそうだ。>
・・・私たちの仕事は、子どもが世界を出会っていくために「増幅装置」をうまく働かせることなんですね。
ちょうど先日、正月飾りで使った竹を2本いただきました。打楽器として遊んでみたのですが。
これに凧糸を張って、弦のようにして、馬の尻尾の代わりに凧糸との摩擦でうまく音の出る弓がないか考えていたのですが、昨日の演奏会とそのときの子どもの姿から、日本の竹を弦楽器の何かに使えるかもしれないと、考えてみるとワクワクしてきました。
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