園だより3月号「巻頭言」より
数年前にドイツのミュンヘン市の公立幼稚園を見学したとき、玄関に大きな円グラフが掲げてありました。大きさの異なる20を超える「パイ」(細長い扇形)が並んでいたのですが、最も大きいのはドイツ人で、そのほかに異なる国名が並んでいました。オーストリア、フランス、スイス、ベルギー、オランダ、デンマーク、ポーランド、チェコ、ハンガリー、トルコ・・・そのほか中東からの移民もいます。
日本のように数名の外国人がいるというのではありません。EUの国は多くの外国人と共にいることが「ふつう」であって、異なる文化や歴史、価値観、習慣のなかで生活を共にするために、対話やコミュニケーションを大切にしていました。性別や年齢、国籍、障がいなどで区別することがないので、幼稚園のクラスのなかに、いろいろな子どもたちが一緒でした。それはいろいろな肌の色の人形が置かれ、国語としてのドイツ語というよりも、共有言語としてのドイツ語を学ぶ時間が設けられていました。
日本では満6歳からプライマリースクール(小学校)へ就学するのですが、バイエルン州では、年齢ではなく、それに相応しいなら就学するのです。履修主義ではなく修得主義なので、就学に早すぎると判断するなら就学せずに幼稚園にステイ(留まる)します。それは特別なことではなく、何割かいるのです。個別最適な学び方、その子のあった学びのペースが保証されています。それが子どもにとって大切な当然の権利だと親が考えていました。
社会は多様な人々が生活しているのだから、学校や幼稚園、保育園も多様な人がいたほうがいいと考え、障害があるから別の学校や教室に分けるという発想をしません。大多数の子どもたちが同じ内容を同じペースで学習するという前提に立たないので、一緒にいても別の内容を自分ペースで学んでいます。もちろん学び方や学んだことを教えあったり共有したりすることも大切にして、対話の時間を設けています。
異なることを前提とした学校の在り方に豊かさがあるのですが、どうもそういう空間を日本では想像できにくいままのようです。「小学校〜それは小さな社会」という映画をみてそう思いました。私は胸が苦しくなりました。