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園長の日記

卒園式の翌日は・・・

2025/03/17

「昨日はありがとうございました」「昨日の余韻がまだのこってま〜す」と笑顔で交わしあった朝。大人は気持ち的に昨日をひきづっているのですが、子どもたちは、またいつもの遊びに熱中しています。

子どもは振り返ることなく、あるのは未来のみ。広大な未来しかない子どもたちにノスタルジーなんてあるわけないか! そうだよね!!毎年のことなのに、大人はその瞬時の舞台転換についていけず、気持ちの時差になれないものですね。

午前中はさすがにまったりと室内遊びにして、年長さんは昼食をささっと済ませて、電車で市谷の釣り堀へ遊びにいきました。

そのあとは、子どもたちと一緒に近所の「海老原商店」の海老原さんと、ボタン屋さんに、卒園記念のどら焼きをもって挨拶へ。もうすぐ学校は春休みになりますが、保育園はありません。あと2週間をいかに充実させるか。3月31日(月)まで、目一杯やりたいことをやり抜きましょう。

ところで、年長さんが出かけた後の、ごろごろタイム(食後の休息の時間)を私が担当しました。部屋遊びを観察していると、子どもは基地作りのようなことが好きなのですが、そのこぢんまりとした空間を随所につくっては、子どもの団欒を楽しんでいました。

対話とか会議とか話し合いとか、大人の用語はいろいろとあるのですが、子どもたちのそれに耳を澄ますと、何を交わし合っているのか大人には不思議なやりとりに見えることが多く、まるで意味と感情が溶け合ったような、未分化とでもいうような、一緒感覚が成立しています。

それはそうでしょうね。乳児の頃から「ことばの前のことば」で気持ちを通じ合わせてきたわけですから、まだ文節化されていない世界との戯れこそ、子どもの得意とする生息地なのでしょう。

そんなふうに思うと、いろいろな場所にできるこじんまりとした空間は、子どもたちが一緒にいながら、何かがゆっくりと生まれてくるための孵卵器のようにも見えてきます。

すいすいと泳ぐ魚たちが年長さんたちなら、年少や年中のこの子達は、クラムボンのように、おしゃべりの泡ぶくを出しながら、くっついたり、離れたり、出たり入ったりしながら、蟹のようでもあります。

何をやっているわけでもなく、景色を見たり絵本を手にしたり、転げ回ったり。子どもたちが、それだけできっと集団としての大切なことをやっているのかもしれません。

生態系としての子ども集団は、まるで多様な水生動物が共存している川の中ようでした。

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