人は心が解放されると嬉しいと感じます。精神性の自由は、人間性の根幹だからです。空想の羽を伸ばし、自由な発想で自分らしく生きる時間を満喫出来ること。これこそ人権の核心です。だから現代の憲法もその自由を保障します。日本国憲法も同じです。国家は個人の心を縛ってはならないのです。それが「基本的人権の尊重」の意味です。
子どもは心が解放された状態のとき、自由に遊んでいることが多いものです。そのことは昨日お話しました。今日はその続きです。テーマは「自由遊び」についてです。自由遊びが人権の尊重と結びついていることを、私たちは深く理解する必要があります。
◆遊びという切実な要求
こんな文章があります。別冊日経サイエンス『心の成長と発達』から引用します。サイエンスライターのM・ウェンナーは2009年、米国の科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」に掲載されたレポート「遊びはシリアスなニーズ」で、次のように書いています。
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「子どもの頃、ルールのない、空想力に任せた遊びをしたことがないと周囲に適応した幸せな大人に育ちにくい」。
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そして、こう続けます。
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「科学者は、そうした遊びを『自由遊び』と呼んでいるが、社会の中でうまくやっていき、ストレスに対処し、問題解決などの知的スキルを身につけるには、そうした自由遊びが極めて重要だ」
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この結論に至るまで、アメリカの精神科医スチュアート・ブラウンは42年の歳月をかけて6000人から幼年期の話を聞いてデータを集めています。
◆ネットの上での自由遊び
園生活の中で、今日もそんな「自由遊び」を楽しんでいる場面がありました。私が担当している「園長による朝の運動遊び」のときです。ネットへのよじ登りがひと段落すると、ネットに乗ったまま、わいわい、らんらんの男子たちの井戸端が始まりました。
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「ハヤトのシンカリオンだ」「オレはハヤブサ」「じゃあオレはかがやき」「怪物がやってくるぞー」「いまだ、ツバサ!いくぞ!」・・・。
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運動遊びを見守っていたら、子ども同士の戦隊ごっこになっていたのです。ただ、ことばだけですが。その会話遊びは、ゲームなどのルールのある遊びではなく、自分たちで「面白い」「楽しい」と感じる中で思いつくことを友だちに伝えあい、共有していく遊びであり、まさしく「自由遊び」です。
例えば普段、無口なKくんの饒舌なことと言ったらありません。シンカリオンの役割を演じているとき、彼らはコミュニケーション能力、他者理解、自己主張、感情コントロールなどの力を駆使しています。自由遊び、おそるべし!
◆シンカリオンというヒーローたち
私は彼らが何を語っているのか、全くわからないので、こういうときに頼りになるHくんに「シンカリオンってなぁに?」と聞くと明瞭な回答が返ってきました。「新幹線が変身してロボットのシンカリオンになるの」。なるほど、新幹線が変身して新幹線ロボットになる戦隊アニメーションもので、テレビでやっているらしいのです。彼らの心のなかではテレビのヒーローが躍動していたのでした。