◆「身の回りに様々な人がいること」の意味
だんだんと年齢別クラスの枠を超えて、子どもたちの生活圏が広がっていくのを見ると、自立していく「生きる力」を感じます。今日の「にこにこ」のブログをご覧ください。2つの大切なポイントが報告されています。異年齢の関わりの自然さに関することと、日常の中の食育の素晴らしさについてです。
1つ目は、わいわいさんがにこにこにきて、一緒に遊び、過ごし、ピーマンの収穫も手伝ってくれたこと。少し年齢の異なるお友達がそばいて、いろいろな経験をすることは、とても望ましいことです。
ちょうど、先週9月5日に「保育所保育指針」「幼稚園教育要領」および「認定こども園教育・保育要領」が定める保育内容にしたがって子どもの育ちを振り返る研修をしたのですが、その時に気づいたことの1つが、「身の回りに様々な人がいることに気付き、徐々に他の子どもと関わりをもって遊ぶ」(人間関係「内容③」ということに注目したのでした。
様々な人には、年齢の異なる子どもが含まれます。それを意識して「人的環境」を豊かにしていくことが、今の時代の子どもたちに必要なことです。昔からそうした異年齢児が集まっている中で、人は大きくなっていきました。
いつから「年齢別」という学年別生活を「当たり前」と思うようになったのか、調べていくと明治時代の学制が敷かれていった時に遡りますが、それまではいろいろな年齢の子どもたちが集うのが「普通」でした。江戸時代の寺子屋を思う浮かべてもらうと、わかりやすいでしょうか。今日のブログを読みながら、そんなことを思い出しました。
◆野菜を育てて調理してみんなで食べる「食の営み」
2つ目のポイントは「大事に育てたピーマンを収穫して料理して食べたら美味しくて、お代わりもした」ということです。食育というと、気の利いたイベントをすることではないことをお伝えしてきましたが、具体的には、このようなことでいいのです。身近に接してきことには、子どもたちの「ケア」が及んでいます。この場合のケアというのは、心配り、心を寄せるという気遣いです。それが積み重なっていくと対象への愛に育っていくような心の接し方のことです。
野菜や家畜を育てている方とお会いすると、それへの愛情を感じます。丹精を込めるというのは、そのものに「もっとよくなってね」という愛情なのです。
これと同じ心の使い方を、子どもたちは「ピーマン」に注いできました。それを収穫するというのは、子どもたちにとっては「プチ収穫祭」であり、それを人類が村中で行うようになった時、神仏を介した祭礼へと発展して今日に至っているわけで、その元々の営みを、園の中のベランダと子ども用キッチンで、ささやかに「再現」しているのです。
このようにして、2歳児たちが、「美味しさ」の意味を「味わっている」と言ってもいいのです。この気持ちが幼子たちの心根にしっかりと根付くには、「一緒に食べると美味しいね」という「共食の喜び」が必要です。
このように「食の営み」というのは、栄養素のことでも、どれくらい食べたかということだけではありません。命をいただく食という営みが、人が関わる文化そのものなんだということを、子どもたちは経験しているのです。
◆お相撲さんごっこが子ども同士で・・
朝、ビニールテープで土俵を作ると、子ども同士の「せいが場所」が始まりました。昨日までは、わたしが相手役と、行司の二役をやってモデルになり遊び方を「教えて」いましたが、今日は自分達だけで始めました。最初は大人が必要でも、徐々に抜けていきます。ルールのある遊びは、子どもは最初はなんでも知らないからです。
実体験したことが楽しいと(心情体験が豊かだと)、それをもう一度やりたいという再現欲求が高まり(意欲が出て)、実際にやろうとする姿が見られるようになります(心構えが育つ)。この一連の「心の動き」を、私たち幼児教育者は「心情・意欲・態度」という「教育のねらい」にしています。これが「心を育てるための要諦」です。この「千代田せいが場所」をやるときは、けがをしないように、クライミングウォールを柔かいマットで覆うことにします。
◆親子で楽しんだお月さま
昨日に引き続き、天体望遠鏡でお月見をしました。運動ゾーンの窓からよく見えました。
南の空なら、室内の窓から観察できることがわかったので、中秋の名月(9月13日)前の上弦の月の観察で見逃しても、来月10月以降も観察できるので大丈夫ですので、ご心配なく。
また0〜2歳児クラスの保護者の方も、ぜひご覧になってみてください。満月になるにつれて月の出の時刻は遅くなります。上弦の月を選んでいるのは、お迎えの時間に間に合うからです。冬になると日没も早いので、さらに観察しやすくなるでしょう。
(これは本物の月の鏡像です)