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園長の日記

絵本の秋! 「松居直のすすめる絵本50冊」特集

2021/10/06

いまの絵本が、今のような内容になってきた理由の一つは、「母の友」「こどものとも」を創刊した福音館書店の松居直さんがいたからです。1956年の創刊当時は、小川未明や坪田譲治のような、いわゆる「童心主義」と言われた児童文学や、関英雄や岡本良雄らの「生活童話」が流行っていた時代です。

藤本朝巳さんの『松居直と絵本づくり』(教文館)によると、それを松居直さんは、童心主義も生活童話も「おもしろくない」と感じていました。当時の子ども向けに書かれたものは「何かを教え伝えようとする姿勢が強く、幼児向けになっていない」「もっと生き生きとした、子どもが本当に楽しく感じるような作品を出したい」と、考えていました。それが「こどものとも」の創刊になっていったのです。

彼が編集に携わったのは1号から149号までですが、その絵本の作家や画家の顔ぶれを見ると、実に有名だった(になった)人たちばかりです。明らかに彼は日本の絵本の世界を切り開いたのです。

子どもにとって、という視点からいい絵本とは、どんなものなのでしょう。それを知る上で格好の本があります。「松居直がすすめる絵本50冊」です。松居直さん自身が選んだ絵本のリストです。ここに載っている絵本50冊を「千代田せいが文庫」に揃えましたので、ぜひ手に取ってみてください。6つのジャンルに分かれていますので、1週間ごとに8〜10冊ほど、文庫に入れていきますので、借りて読んであげてください。

 

岩本町馬の水飲み広場

2021/10/05

保育園では午前中に活発に体を動かして遊びます。子どもにとっても、大人にとっても朝9時ごろから12時ごろまでは「ゴールデンタイム」です。この時間に体も脳も、もっともコンディションがいい状態です。それまで経験してきたことが夜寝ているうちにメンテされて、もっとも創造的に、また新しい体験を新鮮に受け止めることができる状態になっています。

保育園からすぐぞばの大きな交差点の三角地帯が空き地になっていて、その場所は「馬の水飲み広場」という名前がついています。万世橋から昌平橋へ向かうあたりは、江戸城外郭門の一つ、筋違御門がありましたが、そこには「八ツ小路」と呼ばれていたように、中山道や奥州街道など多方面につながる交通の要所地でした。保育園がある神田川から南側は、神田から日本橋、両国あたりまで、武家屋敷よりも町人が多く住み、鍛治、紺屋、乗物などの専門職を営む商人がたくさん住んでいた場所です。

交通の往来を描いだ浮世絵の中でも、歌川広重の東都富士見三十六景「昌平坂乃遠景」には馬が描かれています。荷を背負ったり馬車で弾いたりしていた馬がここで休憩していたのでしょうか? 千代田区の碑にはこんなことが書いてあります。

「この場所は、江戸時代より房総や東北方面からの物資輸送(米・野菜・魚介類・木材等)のために荷車を引く牛馬の水飲み場として、また、街道を往来する人々の休憩の場として、重要な役割を果たしてきました」

5日(火)の午前中、わいらんすいで遊びました。今は草ボウボウのだだの空き地です。イネ科のススキ、エノコグサ(ネコジャラシ)、オシヒバなどが鬱蒼と茂り、キク科のホウキギクや、オオアレチノギク、ヒメジョオンなどが小さな花を咲かせていました。雑草の中にも、秋がきています。子どもたちは「草っ原」を走り回り、シジミチョウを追いかけたり、バッタを捕まえたり、花をつんだりして遊びました。

 

創造性と美を感じたダンス

2021/10/04

再現するものが模倣表象なのか、それとも創造表象なのか。

その境目が満4歳前後にありそうなことが、今日のダンス遊びで見えてきました。

模倣表象というのは、見たり聞いたりと、体験したことを、目の前に再現する模倣です。見立て遊び、ごっこ遊びなど多くの模倣遊びがこれです。昨年のお楽しみ会で見ていただいた劇遊びも、これに含まれます。歌を歌うことも再現ですし、何かを学んで身につけることも、実は「真似ぶ」を語源とする「学ぶ」ことと言えますから、発達や成長というのは、生き物としての力が環境から、いろいろなものを心身に取り入れていることになります。

一方、創造表象というのは私の造語ですが、ダンスのインプロビゼーション(即興表現)のように、「こんなのどうだろう」というように、自分で感じたものや、頭に浮かんだ身体イメージを、身体を通じて自分なりの形で表現するようなプロセスが色濃いものです。実は、こちらの「創造」の方も、その中身を分析してしまえば、模倣として取り入れた要素を、自分なりに編集し直しているに過ぎません。創造というと無から何かが生まれるように考えるかもしれませんが、それは間違いです。元々は、真似して学び身につけたものを、組み合わせ直しているに過ぎません。

ちっち、ぐんぐん、にこにこの子どもたちは、模倣遊びとしてのダンスを楽しんでいました。グーパー体操や動物など、イメージしやいものかどうかで、体が動かしやすいかどうかになっていました。ところがらんらん(4歳)やすいすい(5歳)になると、自分なりに「ポーズ」を取ったり、創造的な動きを作り出すような動きも楽しそうです。自分で好きなようにする自在感を持って、自分らしい「自己表現」を楽しめるようになってきました。

さらに今日、面白かったのは、このダンス遊びと、他の運動遊びの違いがはっきりした場面がありました。それは「美」への感覚が動いているということです。わらすがソロダンスステップをやるときに、今日初めて参加してくださった宮崎知佳さん(バレーダンサー)の、見本として行ったスキップが美しくて、子どもたちも気持ちがグッと前を向いたことがはっきりわかりました。

足の上げ方が高い、高い(笑)。やっぱり、アーティストの本物に接することは大事ですね。

今日は青木さんと芝田さんが行うポイントワークも「すご〜い」という感想が出るほどに綺麗にキマっていて、みんな、ぐ〜っと引き込まれていました。綺麗なんです。その感覚は子どもたちに、確実に伝わっていました。それがわかるのも幼児になってからだろうと感じました。これを見た後の子どもたちの「マネキンとデザイナー」は、本気度が違っていたのでした。

 

今週の1週間は・・・

2021/10/02

緊急事態宣言が明けて初めての週末、日常の生活を取り戻し始めたニュースを見て、やはり嬉しく思います。病気になった時に健康のありがたさが身に沁みるように、当たり前だった生活にちょっと戻るだけなのに、こんなに気が晴れる感じがするのは台風一過の青空だったこともあるかもしれません。

久しぶりに今週を振り返ると、9月28日、屋形船か水上バスでの遠足候補として、溜池の「浜離宮恩賜庭園」を下見しました。保育園の前から船で行ってみたい場所です。ここは水上バスの発着場があるので、いつか実現させたい候補地です。ここの庭園の別名は「江戸の潮風そよぐ浜御殿」です。

29日は来年度の千代田区の「入園のしおり」の改訂作業開始。午前と午後に入園先を探している方の見学がありました。半年後はもう来年度なんですね。この日の午後はすいすい組が浅草橋へ金魚を買いに。探せばまだまだ地域に面白いスポットがありそうです。日本の風情を感じる場所を保育の教材にできないか、千代田区に提案するつもりです。園だより10月号配布。

隣のビルを10月1日から管理するのはグローバルコミュニティ。その管理会社の方が30日に挨拶にこらまれました。1階と地下には店舗が入る設計なのですが、まだ未定だそうです。その後、誕生会。午後は会計士さんに来園してもらい毎月の資金収支を確かめました。

昨日の1日は今年度8回目になる「赤ちゃんねんね講座」。寝室の使い方が勉強になりました。朝のシャワーや昼のお風呂などはやめた方がいいというのも、なるほど、という話でした。

ところで、そろそろ稲刈りの季節です。皆さんの家庭のボトル田んぼはどうでしょうか? 東京には屋上に田んぼがあるビルがあって、有名なのは「けやき坂コンプレックスの屋上」の田んぼ、テレビでもうすぐ稲刈りだと報道指されていました。

今日から10月〜下半期の保育が始まりました

2021/10/01

今日から10月。下半期の保育が始まりました。1日は都民の日でしたが、台風16号が関東を掠めて北上して天気は雨。せっかく緊急事態宣言が解除されましたが、あまり外出できない天候になりました。政治の方も新しい自民党総裁が決まり党人事が報道されていますが、その布陣を見る限り、かつての宏池会のような新しい政策を少しだけ期待しましたが、結局は前政権と変わらなものばかりでした。

本当に「看護師、介護士、保育士など仕事内容に比して報酬が十分でない雇用者の収入を思い切って増やす」(公的価格の抜本的見直し)ができるかどうか、誰が厚労大臣になるのか、その人事に注目しています。今後の経済政策の方向性も見えてきました。それで本当に世界的にも下位にある相対的貧困層の改善が進むでしょうか。乳幼児も含めた教育費に占める公的費用の割合がせめて世界の平均ぐらいにはなるでしょうか。

テロや気候変動への対応など世界も不安定な状況の拡大は避けらない情勢です。そこでこんな世界へ飛び立っていく子どもたちに私たち大人が用意しなければならない滑走路(進路)は、ここのままでいいはずはありません。9月の子どもの自殺は昨年から増えています。その数字ももうすぐ発表されるでしょう。

さて、10月からの保育方針は、園だよりにも載せてありますが、秋の自然を楽しんだり、生き物に触れたり、十分に体を動かしていきます。野菜の栽培や昆虫や水生動物の飼育、夕焼けやお月様の観察、芋掘り、鬼ごっこやダンス、絵本や造形の美も味わいたいと思います。子ども同士の関係性、社会性やコミュニケーションの力、人と関わりを持つ力、協同性をそれぞれの段階で育みます。何かを感じて心動かされたことを再現したり、真似をして見立て遊びをしたり、役割を分担してのごっこ遊びも盛り上げていきます。音や楽器、歌や合奏なども楽しんできたので、それも「一緒に」のところをより楽しめたら、と考えます。

感染症対策のために和泉小学校など9月の運動会は「無観客」で行われました。そこで10月以降の幼稚園や保育園の運動会はどうなるのか、千代田区教育委員会の判断を待っていたのですが、昨日30日の夕刻に連絡があり、保護者と一緒にできる見通しとなりました。正式には改めてお知らせします。バス遠足も緊急事態宣言期間中は公園サイドに断れていたのですが、季節もよくなってきたので、増やしていくつもりです。秋の散策、外遊びの絶好のシーズンなので、この機会は逃したくありません。亜熱帯への気候変化の上に、さらに新型コロナが始まって、戸外に出るチャンスが奪われてきたので、園庭のない保育園としては、「春と秋が宝石のような季節」に見えてきます。

幼少期の体験は、本人が覚えていなくても心身の奥深いところで一生にわたって活躍していく基盤を作り上げます。昔から「根っこ」に喩えられてきたわけですが、根っこの太さや長さを子どもたちには、根菜類の栽培や「いもほり」で実感してもらうつもりです。小さいうちは、何かができたりしたから褒められたりするだけではなくて、いつも愛情を注がれて、そのままのあなたでいいのよ、という状態で褒められ、存在するだけで嬉しがられることを、子どもは常に1番に求めています。条件付きの承認ではなく、無条件の承認があって初めて、安全と安心の中で子どもは自分から躍動する力を発揮し始めます。それを信じることを忘れないような生活にしていきたいと思います。

 

9月の誕生児をお祝いしました

2021/09/30

「好きなポケモンは?」と聞かれて「アママイコ」って答えた子がいました。私は「ふ〜ん、そんなキャラがあるんだ」と、思った程度でしたが、ネットで調べてみると、あ〜、なるほど。こんなキャラが好きなんだなあ、となんとなくわかった気がします。子どもたちははっきりと好みを持っているんですね。

今日は9月最後の日ですが、9月生まれの子どもたちをお祝いする誕生会があったんです。保育園にいる子どもたちにとっての1年は、生きてきた時間全部だったり、半分だったり、3分の1だったりするわけで、満5歳になった子でも5分の1のウェイトがあるわけですから、大きな成長に違いありません。ですから自分の年齢を「いくつになりましたか」と聞かれて「みっつ」と答えることができるようになって「すご〜い。おめでとう」と言われた頃から、たった1年で「よっつです」ではなく「4歳です」とか「5歳です」と言えるようになってしまうのですから、やっぱり1年の成長は大きいと感じます。

質問するお友だちの方も、「好きなポケモンはなんですか」「おもちゃは何が好きですか」「好きなくだものはなんですか」「好きなジュースはなんですか」など、好きなものシリーズの質問が続きました。それにはレゴブロック、ぶどうといちご、りんごジュースなどと答えていました。

先生からの出し物は、秋らしく芋掘りごっこゲーム。「うんとこしょ、どっこいしょ」と葉っぱを引っ張ってみると、あれれ、何かでできたよ、あ〜、おいもだ!さつまいもだね。う〜ん、なかなか抜けないねえ、誰が手伝ってくれるかな。・・・と、誕生児が手伝ってくれて、また「うんとこしょ、どっこいしょ」、ああ、また出てきた、出てきた、さつまいも。・・

 

自然と風土が教えてくれるもの

2021/09/29

園だより10月号 巻頭言 より

風景には<幅>がある気がします。その幅の一つの端は目の前に展開されて移ろう<景色>。朝と昼と夜とでも景色は変わります。季節でも景色は変わります。また、みる者によって異なって見えるのが景色です。

もう一方の端が<風土>です。かなり長い歴史的な時間を経ても変わらないものです。柳原通りの景色は刻々と変わっていきますが、それでも、ここに醸される江戸情緒のように、目を凝らすと見えてくる風土があります。園の隣に建ったビルは10月にオープンします。通りの景色はずいぶん変わりますが、柳森神社や海老原商店に佇むと、この通りが江戸時代から戦後までの歴史の変遷を思い起こすことになります。迷ったら「風土を訪ねよ!」という気がするのは私だけでしょうか?

同じことをここでも感じました。大河ドラマ『晴天を衝け』で渋沢栄一の父親市郎右衛門を演じている小林薫が、そのガイドブックで「栄一の父親は藍農家として、土の状態や天候について熱心に勉強していた科学者のような一面がある。憑きものだと騒いだり、雨乞いをしたりする時代に『迷信は信じない』というセリフもあるんです。その姿を栄一はずっとそばで見ていた。とても先進的な考え方だったでしょうし、それは後の栄一の感覚にも結びついていくんでしょうね」と語っています。さらに別の番組では「藍づくりを研究し、向上心を持ち続けて、それに打ち込んでいる藍農家だけれども、どこか、足元のことを深く掘って、掘って、やり続けていくことで、世界をしっかり捉えていたというか、時代の変化もよく見えていたんじゃないか」というようなことも述べています。

演じた俳優が感じ取った役柄ではあっても、きっと本物の父親もそうした資質や思想を持っていたんだろうと思えます。ここで私は2つのことを考えます。一つは<親が子どもへ与える影響>についてです。現代はその時代のような大家族でも職住一体でもなく、核家族で職住分離が当たり前。親の仕事ぶりをそばで感じることも難しい時代です。そこでどうしても考えてしまうのは、保育園の先生の役割です。「藍づくり」への探求に相当するもの、熱心に勉強していた科学者のような試行錯誤の姿を、大人は子どもに見せているだろうか?という自省です。

気になる2つ目は、何でもあるテーマを深く掘り下げると、普遍的なものに通じるという話です。分野は違っていてもその道の専門家は、同じような見解に至ることが、ままあります。とくに自然を相手にしていると、人間がやっていることの「不自然さ」や「自然の摂理」に気づくことがあるものです。このことは保育にもいえます。子どもも大人も人間は「自然の一部」でありながら、人間が作り出すプロダクトは「人工」になります。その嘘っぽさや不自然さに気づくことは、結構難しいのですが、ドラマの中の渋沢市郎右衛門には、何が真っ当なことかを嗅ぎ取る知恵が備わっていたように描かれています。

目まぐるしく変わる景色の中で、変わらない自然と風土を大切にしたい。そんな思いを感じながら2021年度の後半の「千代田せいが物語」を皆さんと一緒に紡いでいきましょう。

緊急事態宣言は9月末で終了に

2021/09/28

どうして感染者がこんなに急激に減ったのか、よくわからないまま、緊急事態宣言が今月末で解除されることが今日28日(火)決まりました。季節の影響と言われても、お隣の韓国は急増中ですし、今年RSウィルスは季節外れの時期に流行しました。上昇加速度が1を切り始めた頃(上昇カーブが鍋底から山形へ変化していった時期)は人流も増えていた時期だったので、変化の要員はマスクでも人流でも飲食店でもお酒でもワクチンでもないことだけは明らかでした。

では、何が原因なんでしょうか。最も説得力のある説明の一つは、私にはウイルス自体の自壊説のように思えます。東大名誉教授の児玉龍彦さんがそのメカニズムをわかりやすく説明していたので、ご紹介します。ここからちょっと生物化学の基礎知識が必要になるのですが、どんなウイルスでも増殖過程(つまり複製過程)で複製エラーがたまに起きます。新型コロナはRNAウィルスなので、そのデオキシリボ核酸の鎖が一本です。DNAは鎖が2本で、あの二重螺旋になっている図を見たことありますよね。もちろん人間は2本です。新型コロナやインフルエンザやエイズなどのウイルスはこれが1本しかないRNA型です。ですから一本なので、一般にコピーミスが多いと言われています。多くのエラーは不安定なものや不活性なもの(増殖していくのに環境に合わないもの)になるので、マイナーなまま終わってしまいます。ところがエラーも繰り返しているうちに、そっちの特性の方が環境にあっているものが出てきて、それが優位になって変異株ができるわけです。

ところが新型コロナは鎖がうんと長いのですが、14番目の遺伝子がコピーエラーを修復する酵素を作りだしていて、変異はあまり多くありません。せいぜい月に2回、年に20回ぐらいで、とても変異の少ないウイルスになっているそうです。ですからワクチンや抗体による治療が効くのも、この特製のためです。すぐに変異してしまっていたらせっかく作ったワクチンも抗体カクテルもすぐに効かなくなって、イタチごっこで手に負えなくなります。そういう意味では変異が少ないから、これでも私たちはラッキーだったとも言えます。

ところが、海外の感染爆発の変異によってできたデルタ株が日本に入ってきて、このウイルスは人に移りやすいからどんどん人の体内で増殖し(重症化もさせてしまう性質も持っていたわけですが)、人から人へ移し続ける、ということを繰り返す頻度がものすごく増えました。つまり結果的にエラーコピーの数も急激に増えたのです。その結果、変異したウイルスは自壊してしまう特性を持ったものが優位になっていったと考えることができるようです。でもこれは偶然の産物かもしれません。必ずどんな株でもそうなるとは限らないはずです。

では、今後も同じような急激な感染爆発と急速な収束を繰り返すのでしょうか。変異株をうむ親のような株、それを児玉教授は「幹」と呼んでいますが、これを徹底的に絶つ必要があります。幹は変異が少ないから生き残っているらしく、あまり症状を出さず、無症状でひっそりと生き残っているのです。この幹ウイルスが、次々と大きな感染を引き起こす変異株を生み出していることになります。

そういう意味では感染集積地を無くしていくことです。飲食とかお酒とかを、ダラダラと続きたりやめたりするだけじゃなくて、リスクのある場所は保育園も含めてしっかり検査してもらいたい。スパイクタンパクの特性が変わって子どもが感染しやすくて重症化しす変異が今後、現れてもおかしくないのですから。

保育園は、子どもの命を預かることと経済を回すための砦との二役を担わされているのですが、流行しだすと、あまりにも荷が重すぎます。

そういう意味では、過去3回(武漢型、ミラノ型、デルタ株)とも失敗した水際対策です。国内も海外の情報も含めて徹底的なゲノム解析による予想を、サミット先進国がすべてやっているような対策をしないのは、どうしてなんでしょうか。そして水際対策を官邸の指示ででもなんでもちゃんと動かすようにしてもらいたいものです。

検査も抗体検査(SとNの両方を)とPCR検査をセットにしないと実態が分析できないはずです。そしてまた流行が始まったら、早くゲノム解析して感染力、感染様式を正確に早く公表してほしい。

いろいろ、言いたいことがあります。空気感染であるエアロゾル感染を飛沫感染と言い換えるようなミスをずっと放置しないでほしい。そして小児科と母子保健を手厚くしてもらいたい。隔離対策でしかない感染研と保健所だけでパンデミックには手が回りませんから、他の国のように医療としての対策に転換してもらいたい。都道府県と医師会丸揚げじゃなくて国も動いて独立行政法人の国立病院機構や地域医療機能推進機構もしっかり患者を受け入れてもらいたい。

とくに東京都は、現状追認のモニタリングではなく、サーベランスをしてほしい。大量のゲノム解析、ちゃんとやってください。お願いします。

あいさつの言葉

2021/09/27

あさ私に会うなり「園長ライオン」とニコニコしている子どもたちがいます。私と心を通わせたいのです。これが誰にも教わらなくてもできる自然なあいさつです。その後、使わなくなった紙おむつをいただいたのですが、その時「もう使わないんだ」と教えてくれるSくんの、ちょっと誇らしげな表情が微笑ましいような、これも朝のあいさつ。朝会が終わって階段を登ると、照れたような顔をして「園長先生」と笑顔を見せてくれるKちゃんや、Yちゃん。何かいいたそうな、でも口に出していう言葉が見つからないような、でも私と会って嬉しいという顔つきなので、私から「おはよう」というと二人からも「おはよう」という言葉が返ってきました。これも、自然な気持ちの通いあいです。

散歩に出かけるのは10時前ごろ、玄関は元気な子どもたちが「いってきま〜す」の代わりに「いってらっしゃ〜い」と言いながら出かけていきます。これも、保育園ならではのあいさつ。散歩から帰ってくると「ただいま〜」の代わりに「おかえり〜」と息が弾んでいます。それぞれの「楽しかったこと」が「ただいま〜」の勢いにこもっているかのようです。Fちゃんは、いっぱい体を動かしてきたかな。今日はお昼寝でぐっすり眠れるかな。そう思いながら、バギーの扉を閉めてあげました。

昼食は乳児は「パチパチ、ハッチンよ〜い、パチーン! いただきます」というご挨拶。幼児は歌を歌って、お当番さんが「用意はいいですか」「いいですよ」「それでは、みなさん、ご一緒に、いただきます」といって食べ始めます。これも食事のあいさつ。お昼寝は乳児は先生が「父さん、母さん、姉さんも・・・ねんねしな、ねんねしな、ねんねしな。おやすみなさい」という童歌風のお昼寝のあいさつの歌を歌ってあげると、ぐんぐん、ちっちさんが自分で布団にトコトコ移動して布団に寝ます。

挨拶というのは不思議なもので、ある人と人の出会いと別れのたびに交わすのですが、それが毎日繰り返されることが何より幸せなことだということを確認し合うものなのかもしれません。あいさつに込められる気持ちが、通い合うかどうか。子どもとっての「ごめんね」も「ありがとう」も、気持ちの繋がり方を、覚えていくためにあるように見えます。気持ちのこもっていない言葉は、心を動かされることがないことを、子どもの方が本質的に了解していると言えそうです。

 

ダンスのある風景

2021/09/26

その日に感じたことは、たぶん一生かかっても体験できない内容でした。理解はできても自分で体験はできそうもないようなことです。理解や説明だけなら「たいそう意義深い話を聞きました。終わり」です。でも、それでは、ここの日記に書く必要もないので、どうしようか? と考えて、次のように書いてみることにしました。別にもったいぶるわけでなく。考えることも実践なので、それでも体験が経験に変わっていくような何かがあるからです。

それがあったのは9月26日(日)の夜です。「勉強会があるから来ませんか」とダンサーの青木尚哉さんに誘われて、北青山の「ののあおやま」へ出かけたのです。すると海老原商店の海老原さんもいて、二人並んで参加しました。青木さんが企画したイベントで、青木さんと平賀達也さんと対談でした。

内容は全部「人間は自然から分離されてしまったが、どうやったら人間は自然と交信できるか」というものだったのです。そんなテーマが掲げられていたわけではありません。でも、二人で交わされていた内容は、全部、自分と身体の関係、人間と住んでいる場所との関係、人間と自然との関係についての、しかも、交信できてしまうお二人の体験談だったのです。論でも抽象でもなくリアルな体験、身をもって身体を通過した感覚を伴った体験の話です。

話はダンサー青木さんが今ずっと試みている実験、つまり舞台から降りて、街や学校や路上や森で踊ってみると、それを観る人の反応や距離感が全部違って面白いという体験談から始まりました。実験してみてそれを話しあって学びを深めるというダンスの循環物語を紡ぎ出しています。対談の相手の平賀さんは、土地や地形が風土が持っている「自然の必然」が見えてしまう方(のように私には見えた!)で、体験談は、マンションを建設したり、道路を走らせたり、土地を改良したりするときに「どうあるべきか」という方針を、その土地の歴史や風土から導き出すお手伝いのようなことをしているというものでした。

平賀さんは「ののあおやま」の再開発デザインを担当し、青木さんには「ランドスケープ」というタイトルの創作ダンス作品があり、この場所「ののあおやま」で先日、新しいダンス「もりのダンス」を踊ったのでした。

平賀さん「四谷怪談の最後の場面で、ざあっ〜って風が吹いたでしょう。あのとき、私たちの足の裏から地面を通じて四谷まで通じ合ったんだよね」「昔の人は田んぼに足をつけて仕事しているとき、山の異変に気づけたんだろうな」「自然や人には樹状パターンというのがあって、元気な人がそれが躍動して見える」

青木さん「子どもと踊っているといっぱいインスパイアされている」「風景と景色の意味の違いがダンスを作り出だしたりしている」「渓流に身を任せていると傷つかないのに、不自然な力を入れると岩にぶつかって怪我する」

お二人に共通するのは、実践そのものが文明批評になっていること。実践していることがダンスだったりランドスケープデザインだったりと、分野は、全く異なるのですが、私たちが見失っている生き方の方向性や立ち位置、みんなが抱いている「迷子感」や「不自然さ」といったものを、無視しないで、その違和感がどこから来ているのかを明らかにしながら、「やっぱりこっちだよね」を探り当てながら、実践しているアーティスト、表現者なんだということでした。

 

 

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