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園長の日記

すいかの味 夏の味

2021/08/04

今日は屋上で「すいか割り」を楽しみました。屋上のプランター菜園には、 何個かの「すいか」がなりましたが、すいか割りは買ってきた大玉を使います。

水着に着替えた「かにグループ」の子たち(主に34歳)がまず、トライ。

目隠しあり、を選んだ子が2人。さてどうなるかと見ていたら・・目隠しなしを選んだ多くの子も、すいかに向かって棒を振り下ろして・・・ポン。いい音(笑)。割る、というより、叩いてポン。割れなくても「当たった」という気持ちで満足そう。

これに続いて、にこにこ組(2歳)、ちぐ(0歳1歳)の子たちも屋上へやってきて、同じように棒で叩いて「すいか割り気分」を味わいました。

連日猛暑が続いていますが、わいらんすいは、すいか割りのあとで、プールに入ったりして水遊びを楽しみました。

「いるかグループ」(主に5歳)のすいか割りは、棒が当たるたびに「あ、ヒビが入った」と、すいかがどうやって割れるのかに興味津々でした。

そして「すいかパーティ」です。割れたすいかを切り分けて食べました。味は甘くて冷たくて「もう一個食べたい!」「おかわりしたい!」と大好評でした。

水遊びと一緒のスイカの味。子どもにとってすいかは「真夏の味」を代表するものの一つですが、きっと格別なものになったことでしょう。

真夏のダンスの向こうに江戸情緒を感じよう

2021/08/03

今日は7月に続き、今年2回目となるダンスの日。青木さんと芝田さんがいらっしゃって、乳児から幼児まで全クラスで体を動かして遊びました。

いま「ダンスの日」と言いましたが、実は青木さんは「ダンスと言うと、その言葉のイメージに引っ張られてしまって、意味が狭くなってしまうよね」と話されています。青木さんの活動は、ダンスの枠を超えて「身体」そのものの可能性を、いろいろな世界に切り開くような営みを探究されています。園の生活の中では「楽しく体を動かす」としかいいようがありませんが、でも、ただ動かすというのではありません。動き全体をデザインしつつ、子どもから生まれてくる創造力を上手に引き出していきます。

例えば今回もいくつかの新しい試みがあったのですが、その一つは「わらべうた」の導入でした。わらべうたは、日本に昔から伝わる児童文化財です。「い・れ・て」「い・い・よ」もわらべうたなのですが、「い・れ・て」(ソ・ファ・ソ)「い・い・よ」(ソ・ファ・ソ)のように、シンプルな音階と休符からなり、会話と音楽を繋ぐような位置にあるのですが、併せて身体遊びと密接に結びついています。

今日の「にこにこ」(2歳)で見られたのは、「おふねがぎっちらこ」です。大人が膝を伸ばした両足の上に、子どもが向かい合ってまたがって座ります。そして、手を持ち合って「ぎっちらこ、ぎっちらこ、おふねがぎっちらこ」と、前後に体を揺らします。最後にブルブルと膝を揺らして揺さぶってあげると、子どもは大喜びです。

わらべうたは、簡単な音階とリズムなので、子どもは自然と覚えてしまいます。しかも、この種類のわらべうたは、体も一緒に動かすので、記憶に残りやすく、言葉、リズム、メロディ、体の動き、動感などが快感とセットになって、いわば身体に染み込むのです。皆さんも、なべなべそこぬけ、とか、ずいずいずっころばし、とか忘れずに覚えていることでしょう。実際のところ、これを「ダンス」と呼ぶよりも「わらべうた遊び」そのものです。しかし、この「わらべうた」がアートに変わっていく瞬間を目撃しました。それは、らんすい(4歳5歳)で「わらべうた」をやった時です。

今年はダンスにわらべうたを取り入れたい、と青木さんにリクエストしたのですが、早速、オリジナルのわらべうたを用意してくださいました。それが「鬼さん鬼さん、何するの?これするの、これするの」というものです。小学生向けのインプロ・キッズ(インプロビゼーションは即興の意味)を、幼児向けの「わらべうた」にアレンジした青木さんのオリジナルなのですが「これするの」のところで、即興的に体を動かしてみるのです。子どもたちはそれを見て、2回目の「これするの」の時に真似して一緒にやります。

この即興による身体表現の「瞬発力」は、自分の中に引き出しをたくさん用意して、それを再現する場合と、全く何も考えず(用意せず)に、その瞬間に何が飛び出してくるか、自分自身も楽しみなっていく場合があるようです。その表現の生み出し方はまさしくアートですね。そして、問いと答えという言葉の意味、身体で答える表現、語りのようなメロディとリズムと間(ま)。遊びの中で、子どもたちは知らない間に、四分音符と休符からなる日本的リズムという音楽的素養も身につけていきます。

こんなことをプロデュースしながら、幼児教育としての身体活動遊びを繰り返していくことで、子どもたちには「自然の営みとしての身体を取り戻していく表現者」に育っていってほしいと願っています。それは本当の健康や幸せに通じるからです。そして江戸情緒など、日本的な文化へ感覚も身近なものになってほしいと思います。

さて、今日はさらに、保育園に素敵なお客さんがやってきました。カナヘビくんとカマキリくんです。ある保護者の家で飼われていて、夏休み間しばらく保育園で過ごします。カナヘビくんは北の丸公園に棲んでいました。

好物は虫ですが、よく水を飲みます。そんなカナヘビくんのことを、まずよく知ろうと、小林先生が用意した動画を見ながら子どもたちは上手な飼い方を勉強です。観察ゾーンにやってきたカナヘビくん、どうぞよろしくね。

連日暑い日が続いています。夕方にはすいすい(年長)の子たちが玄関前の歩道で「打ち水」もしました。クーラーも冷蔵庫もない江戸時代、この柳原通りの夏は、打ち水や柳ごおりが「夏の涼」を演出していました。

 

和泉小学校で講演

2021/08/02

「困難さは私たちの意識と環境が作り出している? 〜障がいという概念を超えた保育を目指すために、子どもの特性理解を深めよう」。私はこの数年、こんなタイトルの講演を幼稚園や保育園の保育者向けに何度か行ってきたのですが、その話を聞きたいとおっしゃって、私を講師として校内研修会を今日開いたのは和泉小学校の村田悦子校長先生です。

「障がい」の定義の歴史を見ると、国と時代によって大きく変化してきました。しかもその判断をするのは医師ですが、その基準は国際機関や医学会が制定します。その代表格は米国精神医学会(APA)が編成する「精神疾患の診断・統計マニュアル」(DSM-5)です。

私はその経緯を詳しく調べたことがあるのですが、純粋な科学的議論だけとは言いがたく、その国の保険制度や医薬業界の意向、当事者の会など関係者による活発なロビー活動を伴う政治力学が強く働いています。日本はDSMに比較的忠実に従うのですが、その扱い方は国によってもかなり違います。一言で言うと、この基準や診断で、その人のありようを決定してしまうかのように社会的な支配力を持つことに、私は強い懐疑を抱いてきたのです。

もう一つ、深い疑念を呼び起こす原因となっているのが「障がいの特性は環境因子によって変わる」という事実です。それは保育実践の中で強く感じてきました。そして私の懐疑が過剰ではなかったことを、今世紀になって世界保健機構(WHO)が証明しました。例えば「国際生活機能分類」です。それによると、健康とは「個人因子」だけで考えるのではなく「環境因子」も加味して、社会参加できれば、障がいとはならないと定義変更されたのです。

私たちは、医学モデルから適切な距離を取るべきなのです。環境への不適応は、個人の特性か、それとも環境の方に原因があるのか、あるいは相互作用なのか。私は食物アレルギーがあっても、それは障がいではなく除去や代替食があれば環境に適応できることを例に挙げ、環境いかんでは、障がいという医学モデルから社会モデルに移行できるものもあります。その可能性を広げるように追究するべきだと考えています。

それぞれの「おとまりのひ」

2021/08/01

2021年の7月の締めくくりは年長さん(すいすい組)のお泊まり会でした。世の中はコロナ禍の中の東京オリンピック2020の中間地点。日本の大活躍に喜んでいる方がたくさんいて、その一方で、感染力の強いデルタ株が感染爆発を引き起こし、政府が緊急事態宣言の対象を広げたり期間を伸ばす決定をしなければならない状況になっています。

そんな中で、たった一つの保育園の行事とはいえ、子どもたちが準備をして、期待に胸を膨らませ、わくわくして待っていた活動をなんとか実現させたいので、換気などの感染対策を怠らないようにしてお泊まり会をやりました。

世の中の不安定な状況を、子どもたちには1ミリだって感じさせたくないので、いつもと変わらない楽しい生活をいっぱい詰め込んだものになりました。「さあ、これからお泊まり会だね。いつもと何が違うのか、にゃん」。11ぴきのねこの「どらねこ大将」と一緒に、始まりの会はスタート。アイス作りがあることや、夕食は自分たちで話し合って決めたメニューであることなど、目をキラキラと輝かせながら説明してくれました。

ベランダでの色水遊びは、ペットボトルや製氷皿、スポイドなどを使って微妙な「色の変化」を試していました。外は曇り時々雨というあいにくの天気でしたが、水着にその後のアイス作りででは、みかん、パイナップル、もも、ぶどうなど好きな果物を選んだオリジナル。園の冷蔵庫でカチカチに凍らせて夕食の時に食べます。その後、ビーズでの制作遊び。いろんな形や色合い、デザインにこだわりを見せてくれます。

おやつの時間の後は、お手紙探し。小林先生が大好きな絵本『きょうはなんのひ?』(作:瀬田貞二・絵:林明子)が、ベースになっています。瀬田・林の絵本といえば『はじめのおつかい』や『おふろだいすき』などでお馴染みですよね。『きょうはなんのひ?』は、小学生の「まみこ」ちゃんが、お父さんとお母さんの結婚記念日にプレゼントを用意して小学校へでかけます。お母さんにそれを探してもらうために、指示やヒントが書かれた何枚もの手紙が家中に隠されています。それを次々と探し当てていくお話です。

ところが、その「まみこちゃん」から、すいすいさんたちにも「手紙」が届いたのです。なんと書かれた手紙でしょう。3つのグループに分かれて「まみこちゃんからの手紙」探しが大興奮のうちに始まりました。「あ、あった!」と見つけると、そこになんと書いてあるのかを3人で読みときます。手紙の中のある文字を組み合わせると、暗号文になっていて、その言葉は・・・?という謎解きになっています。見事に解読してしまう辺りは、さすが年長さんだと感心します。

さて、シャワーを浴びて汗を流し、さっぱりしたところで、夕食です。全部、子どもたちのリクエストメニューです。

まず主食は3種類。るうろうはん、ロールパン、ラーメン。主菜は3種類で、焼きぎょうさ、焼きシュウマイ、唐揚げ。副菜はフライドポテト。スープは中華味で2種類(卵スープと野菜スープ)。デザートは桃、さくらんぼ、メロン。そして飲み物は先日、子どもたちで作った梅エキスによる梅ジュース。いつものダイニングが、まるでバーミヤンになったみたいでした。

配膳カウンターに並んだ、これらの「ご馳走」。3回分ぐらいある、特別メニューです。面白かったのは「調理の先生にお礼を言わないとね」と先生が促すと、子どもたちが本当に嬉しそうな表情で「ありがとうございます」と。本当に心がこもった言葉でした。

食べている時にもそれは表れていて、ニヤニヤしながら「おいしい」と呟いているので、どうしたのかなと見てみたら、お皿に餃子を2個、残していたのです。

好きなものを最後に残しておくという姿に、私も子どもの頃、お弁当に卵焼きを最後まで残していたなあ、と思い出し、子ども心というものを思い起こしたのでした。その後、アイスを食べて、豪華なレストランのようなディナーは終了。

食べ終わったのが7時前でしたが、ふわあ〜、とあくびをしながら「ねむ〜い」という子もいて、じゃあ、早く寝ることにしようと話しながら、屋上で手持ち花火を楽しみました。一人ずつに先生が付いて手持ち花火ができました。「楽し〜い」と言う声が聞こえてきました。

みんなが好きな絵本「おとまりのひ」を読んで笑い転げてから「おやすみなさい」へ。ごろごろ、むにゃむしながら、ぐっすりと夢の中へ入っていきました。

 

翌朝は、6時から6時半ごろに起きて7時から屋上でラジオ体操。

ぱっちりと目覚めて朝ごはん。白ごはんにふりかけ、目玉焼きかスクランブルエッグ、肉団子、お味噌汁、ぶどう。昨晩あんなに食べたのに、みんな朝から食欲旺盛でした。

そして、室内遊びをしながら対面式へ。親御さんには2階に集まっていただき、活動の様子をビデオ編集した動画を見ていただき、3階での終わりの会の様子をZ00M でライブ中継しました。

一年365日の中の、たった1日のお泊まりでしかありませんが、子どもたちにとっては、きっといつまでも記憶に残る思い出の日になったのではないかと思います。

私たちの人生は、振り返ることができることがその人の人生になるのだとしたら、楽しい思い出がその人の人生の一コマになるのかもしれません。

そして繰り返し思い出されて語られるエピソードは、繰り返される経験と同じ力を持つでしょう。いえ、それ以上かもしれません。友達と一緒で楽しかった、という思い出になったらいいなと思っています。

 

 

すいすい組のお泊まり会

2021/07/30

今9時30分ですが、先ほど9時から15分ほどの間に子どもたちは熟睡に入りました。どんな夢を見ていることでしょう。普段の睡眠習慣がついているからでしょう、午後7時前に夕ご飯を食べ終わる頃に、「ねむ〜い」と言っていた子もいて、「素晴らしい!」と感心しました。そこからパジャマに着替えて寝てしまえばいいのですが、せっかくですから、屋上で記念写真を撮って、その後で30分ほど手持ち花火を楽しみました。

午後1時過ぎに始まった「お泊まり保育」。それまでの様子は、明日の朝の対面式(活動報告)でお伝えします。その後でまた、詳細はここでもご報告する事にします。それにしても、とても楽しいお泊まり会になりました。寂しがる子もぐずる子も全くなし。保護者の皆さんにしてみると、少しは寂しかってほしかったですか?残念ながら、そんな子はいませんでした。楽しい活動の連続で、あっという間に「おやすみなさい」になりました。

最近のすいすいさんは、本当に成長目覚ましく、このお泊まり会でまたグッと自信をつけていくことでしょう。本当にこらから半年が楽しみです。

イ・ローヌさんが誕生会をお祝いに

2021/07/29

今日は7月生まれ4人の子どもたちの誕生をお祝いしました。乳児は今月は3人(1人はお休みだったので別の日に祝います)で、年長の女子が一人でした。

毎月の誕生会は、感染症対策もあり各クラスで行っています。ご存知のように、登園は子ども同士の関係や対話を大切にしているので、誕生会でも子ども同士のやりとりがある「質問タイム」があります。

お祝いをするお友だちのことをよく知ろう、という意味で「好きな食べ物はなんですか?」「好きなおもちゃはなんですか?」などと、尋ねられています。年長のMさんのそれは「 メロン」や「制作遊び」でした。

お祝いの歌をみんなでうたい、先生たちの手作りの色紙や顔写真入りのバッチなどのプレゼントを贈ります。すると今日の誕生会の進行を担当していた小林先生に電話がかかってきて、お客さんがくる事になりました。小林先生のお友達でした。サプライズです。小林先生曰く「誕生会をお祝いしてくれるそうだよ。恥ずかしがり屋だから、優しく接してあげてください」と。みんな「はーい」と、ウキウキしてました。

さて、その人が登場すると、子どもたちはその風貌に興味津々。にこにこ組(2歳)のN Mちゃんは、怖がって、そそくさと山口先生の膝の上に逃げます。名前はイ・ローヌという変わった名前で、年齢も性別も国籍もわかりません。変わった趣味の持ち主で、赤、青、黄の三原色の色水を混ぜたりして「これとこれを混ぜてみたら、どうなるかしら〜」と、メガネを指でつまんでヒクヒクさせながら、子どもたちに尋ねます。

色水実験は、ムラサキキャベツでできた色水と、食器洗い用の洗剤、手洗い石鹸、酢など混ぜてみると、赤くなったり、青くなったり「あら〜、不思議ねえ、ほ〜ら、色、かわったわねえ」と満足そうでした(笑)。みんなも、実験してみてね〜。やりた〜い!。幼児の実験心に火がついたようです。イ・ローヌさん、ありがとう。「また、きてねえ〜」

誕生会の日は、誕生児がフラワーアレンジメントもします。その様子は、それぞれのクラスのブログをどうぞご覧ください。

コロナが始まって、ますます、その意味が深まっている花の美しさ。それぞれは「世界で一つだけの花」ですが、組み合わせると、もっとそれぞれが輝き始めるんです。その体験がフラワーアレンジメント。子どもたちの世界と似ていますね。もちろん、色遊び、色との出会いの実験がこれと絡んでいそうです。

オリンピックにみる「動感」と「美」

2021/07/28

園だより8月号「巻頭言」より

日本人で最も金メダルをたくさん取った人がいます。3大会で合計8個、銀と銅を含めると12個で現在もその記録は破られていません。メキシコ、ミュンヘン、モントリオールに出場しています。その人は加藤澤男さん。

加藤さんといえば「美しい体操」で有名な選手でした引退後に国際体操連盟(FIG)の技術委員を20年務め、今は筑波大学・白鵬大学の名誉教授をされていますが、小冊子「スポーツゴジラ」(第50号)で「美の秘策」という面白い話をされています。

それは運動における「美」や「醜」の判断は、自分が動いて体験する「動感」から育つというのです。幼児教育の運動で、そのような観点はあまり語られないので、面白なあと思います。体を動かす運動の感覚の自覚から、美が生まれるというのです。

 

運動競技にはルールがつきもので、勝敗や優劣の判断には多かれ少なかれ人間の判断が関与します。審判のジャッジ一つで勝敗が左右されることがあります。体操のルールも色々な変化があったそうで、昔は「規定演技」というものがあって、全選手が事前に定められている課題をこなして、その出来栄えを競争していました。加藤さんにとっては、それが面白かったそうです。

今は、演技内容は自由です。体操には床、跳馬、鉄棒、鞍馬、吊り輪、平行棒、平均台、段違い平行棒などがありますが、採点は2007年以降、技の難しさ・組み合わせ・構成からなる「Dスコア」と、技の美しさや正確性など演技の出来栄えを示す「Eスコア」の合計に変わりました

Dスコア」は加算方式なので上限がありません。一方で「美しさ」が入っている「Eスコア」の方は、減点方式なので10点以上になりません。「美しさ」よりも「難しさ」の方が評価されるようになってきたそうです

保育は五感の体験を大切にします。見たり、聞いたり、触ったり、味わったり、嗅いだり。さらに体を動かす感覚を運動学では「動感」と呼び、その体験の積み重ねを体が記憶して学習していることになります。

ここ連日、オリンピック選手の演技に魅了されている日が続いています。日本の男子体操は惜しくも銀メダルでしたが、その差は0.1ですから、この差について加藤さんに話を聞いてみたくなります。

難しい演技の習得の差の競争。そこで積み重ねられる心身の「動感」経験。強さの中の美しさ。そんな感性も同時に育まれるといいな、と思います。そしてまた目線で競技に至るそれぞれのアスリートたちの物語や精神性にも心動かされます。そこがまた美しいと感じます。結果と同時にその過程にこそ生き方「美しさ」を感じて素敵だと思います

今年もダンサーの青木尚哉さん達に遊びにきてもらいます。気持ちよくリズムに体を動かす楽しさの中に、かっこよさや美しさを感じる体験も大切にしていくつもりです。

からだが嬉しがる運動

2021/07/27

私たちの体は色々なものを求めています。お腹が減って何か食べたい。ぐっすり眠りたい。疲れをとりたい。そして体を動かしたい。色々な欲求を満たしながら、生きているのですが、食欲、睡眠、休息、運動などは生理的欲求ですが、生きている限り不可欠なものになります。しかし食べて満腹になりたいだけではなく、「美味しいもの」を探したり、ただ寝るのではなく質の高い睡眠を願ったり、体の疲れだけではなく心身ともにリラックスできる癒しを求めたりします。

ダンサーの青木尚哉さんと芝田和さんによる、運動遊びが今日から始まりました。昨年から来ていただいているので、3歳以上の子ども達はよく覚えていて、みんなとても喜んでいました。一緒に体を動かして遊ぶことが楽しいからです。

ところで体を動かす、運動するといっても、これまた、それには「質」というものがあって、からだが嬉しい運動というものがあることに今日気づきました。昨年の親子運動遊びの会でもやりましたが、「グーパー体操」覚えていらっしゃいますか。じゃんけんの「ぐー」と「パー」を、にこにこ組(2歳)は手でやります。足でもちょっとできました。わいわい組(3歳)は、足をぐーで閉じ、パーで開くが楽しそうです。音楽に合わせて跳んで開いたり閉じたり。さらに顔でも「ぐー」と「パー」をします。この辺りの自由な発想が楽しい。

トンネルを作って通る遊びでも、いろんな形のトンネルができます。足と腕で2箇所のトンネルができたり、大人のトンネルを子どもが潜るだけではなく、反対に子どもにトンネルをつくらせて大人がその小さい穴を通り抜けます。わいわいまでは2階のダイニングでやったのですが、らんらん組(4歳)とすいすい組(5歳)は、3階の家具を移動して広くして、そこで、リズムに合わせて、歩く、片足で移動する、音楽が止まったら静止する、さらに片足で静止する、などだけでも、実に楽しそうです。

その次は2人ひと組になって、ポイントワーク(マネキンとデザイナー)です。体が動くこと、動く場所と動かない場所があることに気づき、なんとなくいい形を作っていきます。

できたマネキンの姿をデザイナーも真似してポーズ。交代したり、一度できた形を崩さずに続けたり、体を造形対象にしながら、「えーっと、どうしようかな」と頭もフル回転です。

こんな体の使い方を小さい時から体験しているのとしないとでは、何かが大きく違ってきそうです。体が嬉しいと感じる運動のバリエーションが増えるからです。

運動学では、この体の感覚を「動感」と言います。いわゆる五感の中には、近いものに触感がありますが、体全身の感覚ですから、姿勢や身のこなしや運動やスポーツなど、ありとあらゆる身体の動きを、この「動感」が記憶していくセンサーのような役目をはたしています。体の動きを司どるセンサーの感度を高めておくには、それが快感であるような(つまり体が喜ぶような)経験をたくさんしておくといいわけです。

青木さんとは今朝、こんな話になりました。ダンスというからそのイメージに囚われてしまうけど、実はいろんな分野で同じようなことが求められています。芸術だけではなく、スポーツや医療や教育や建築やランドスケープデザインでも、色々なところで身体そのものの動きについての「善さ」の探究が始まっているそうです。面白いですね。

身近な環境を生活に取り入れる

2021/07/26

自分たちで作ったもので部屋を飾ること。大人になると、買ってきたものを飾ることが多くなるような気がしますが、子どもの頃から、何かの材料を変化させて、あるまとまった形にしていき、あるところで何かが「できた!」と「完成」するというのは、どんなことなのでしょうか。

ブロックや積み木は完成すると、一旦壊してなくなります。大抵は毎週金曜日にそうしているのですが、制作ゾーンで作ったものは、部屋に飾ったり、持って帰ったり、別の遊びで使ったりと、生活の中に取り込まれていきます。

ちなみに教育の五領域「環境」のねらいは「周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う」となっています。

どのように生活に取り入れていくのでしょうか。生物なら観察したり、飼育したり、栽培したり、料理に使ったり。物ならちぎったり、切ったり、折ったり、貼ったり、繋いだり、色をつけたり、あるいは膨らませたり。

こうしたことをやりながら、ある物へ加工していく、造形していくことで、最後は何かに使える道具だったり、装飾物だったり、遊具だったり、集めるものだったりします。

今日はらんらんのSさんが家から石を持ってきてくれました。1階玄関の水槽で漂っている海藻が、底で繋ぎ止めておくために「石が欲しいなあ」と話したら、早速持ってきてくれたのです。さて、これをどう使うか。こんなこと、私たちの生活の中に、色々ありますよね。

私は何か材料を探すときに、100円ショップに立ち寄ります。これ何かに使えないかな?とよく考えることがあります。それと似たような思考は、様々な身近な環境の中らか何かを選んで、収納のインテリアを考えたりするときと似ています。

子ども達の「できた!」の世界は色々ありそうです。アートになったり、エンジニアリングになったり、何かのつもりや再現が、今度は他人から見られて「すごい!」や「面白い!」や「きれい!」になるように作ってみる意識も芽生えてきているように感じます。

 

「ハリーがちょっと可哀想だった」

2021/07/21

私たちは子どもに対して、他人に優しい子になってほしいと願うことが多いわけですが、どうやったらそうなるのかと考えると、他人の気持ちを想像できることや、他人の立場になって考えることができるようになることだと、心理学では述べています。では、どんな時にそんな気持ちを想像したり、考えたりするかというと、他人のはずの相手が親しみを感じるような存在になった場合です。実生活の中では、家族や友達ということなのですが、人との繋がりが少ない幼児期には、実生活だけで親しい他者を多く保つことは難しいものです。

そこで威力を発揮するものが良質な絵本です。今日の「園長の絵本タイム」では、嬉しい感想が飛び出しました。4歳のAさんが「ハリーがちょっとかわいそうだったなあ」というのです。そうです、「どろんこハリー」が真っ黒になって、家族の誰からもハリーだと気づいてもらえないからです。ハリーは「ねえ、僕だよ、ハリーだよ」と伝えたくて、健気にもいろんな芸をするのですが、家族はおかしな犬だなあ、と行ってしまいます。そこに子どもたちは「ハリーが可哀想だった」と思うのです。

実はどろんこハリーの前に、先に「うみべのハリー」を読んであげたのですが、ハリーが最後に家族と一緒に大きなパラソルに入ることができるまでに、海藻まみれになってハリーと気づかれないどころか「お化けが出たあ」と怖がられたり、カゴで捕まられそうになってしまったりと、可哀想な目に合うのは「どろんこ」と同じです。気の毒な目にあっても最後は家族に暖かく迎えられるというハッピーエンドも同じなのです。このような物語を通して、他者への優しさが育つのだとしたら、絵本の力は大きいと感じざるを得ませんね。

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