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園長の日記

大人もダンゴムシ談議 なぜジグザグに曲がるのか?

2024/12/16

今日の活動記録には、子どもたちがダンゴムシを探したい!と和泉公園にでかけ、ダンゴムシとのやりとりが記録されています。それが面白いので、ちょっと紹介します。

 

これを読んでいたら、主任が「ダンゴムシって、右に曲がると次は必ず左に曲がるじゃないですか」というので、私は知らなかったので「なにそれ?」というと、「え、知らないんですか?」と驚かれたので、こちらがなんでそんなこと知っているんだ?と驚いたのです。その場でググって動画をみたら「交替性転向反応」などの専門用語とともに、たくさん解説や実験が紹介されていました。

そうやって逃避するか餌にありつく可能性が高いから進化したんだろうね、などと盛り上がったのですが、さあ、子どもたちの探究はどう進展するのでしょうか?

移行保育は一年通じて徐々に

2024/12/13

環境がその子に合っているかどうかは、よく遊び込んでいる姿があるかどうかで、ある程度わかります。子どもたちが成長してくると、一つ上のクラスの環境が面白くなっていく姿が具体的に変わってきます。たとえば、ぐんぐん組がときどき2階のにこにこ組に遊びに行くと、そこで何をするかで、その子たちの発達が見えてきます。今日の様子にお店屋さんごっこを次のように楽しんでいました。

2歳5ヶ月のORちゃんと、2歳3ヶ月のUWちゃんが、お客さんとお店屋さんの役割分担のあるごっこ遊びをしています。カウンター越しに立ち位置が入れ替わっています。このような環境(遊具)は1歳児クラスにはなく、このように成長してくると、役割交代のあるごっこ遊びは、一つ上のクラスでできる、という移行が本格化していくのです。

ちなみに、移行は遊びが早めにはじまり、食事も2階でするようになり、3月までにはお昼寝も2階で安心して寝られるようにしていきます。そして4月は担任が一部だけ代わります、と言っても、どの子も知っている先生のなかでの異動なので、あまり大きな変化はありませんが。そして新しいお友達が少し入園してきます。

移行はこのように、徐々にやっていきます。4月に遊びの環境も食事も睡眠も担任も、一度に全部変えると安定しないので、こうやって慣れていくようにします。入園の時の慣れ保育のときと同じですね。遊び、食事、午睡の3つを徐々に行なっていきましたよね。それと同じ発想と思ってくださって構いません。

にこにこ組が初めての柳北公園

2024/12/12

当園では、ときどき主任が保育の様子を動画で配信しています。今日はにこにこ組がでかけた柳北公園での遊びの様子を2分ほどアップしました。最近新しく入れ替えた大型のアスレティック遊具(バランスや登り降り、トンネル形の滑り台などが組み合わさったもの)を、慎重に楽しんでいる様子です。初めてでかけた公園がどんな環境で、どのように遊んだのかを写真や文章よりも、雰囲気も一緒に伝えることができています。機会があれば、親子で一度出かけてみてはいかがでしょうか?

100センチに近い方が勝ち!<ク 数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚>

2024/12/11

午前中の課題保育として、木製の積み木を6分以内に積み上げ、100センチに近い方が勝ち!というゲームをやりました。主任が動画で配信しています。運動ゾーンのマットをどけて、床を平らにしています。入り口のところに、これが100センチという「正解」が置いてあります。

二つのチームに別れています。その高さにするために、片方のチーム(A)はだんだん近くなってくると、野球のバットを物差し代わりに使って、「これだけ(1本分)と残りこれだけ」のようにやっています。もう一つの方(B)は、OYさんが立った姿勢でままの自分の体の部位に手をつけて、そのまま移動して「ここ」とやっています。

どちらのチームも、ありがちな方法を思いついてやっており、同じ高さにするという方法を考えることよりも、積み木を高く積み上げることに興味がいっていました。Bチームは高くなりすぎたことに気づくと、慌てて低くしようとして、せっかく積んだ積み木が崩れてしまいました。でも「まだ時間あるよ」と主任が声をかけると、急いで積み上げ直していました。

最終的にはBチームが100センチぴったりで、勝ち。この経験から何に気づいていくのか、楽しみです。ちょうど100センチにするという目的のために、どんな知識やスキルを活用して、どう考えたり、試したり工夫したりしだすのか、次の機会が待ち遠しいのですが、主任がメジャーを使って測定していたので、それを使いたいとなったら、どうするつもりでしょうか?・・・その代わりのものを用意するとか、そういうことに気づくものかどうか? 楽しみです。

<10の姿 ク 数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚>

遊びや生活の中で、数量や図形、標識や文字などに親しむ体験を重ねたり、標識や文字の役割に気付いたりし、自らの必要感に基づきこれらを活用し、興味や関心、感覚をもつようになる>

クリスマスらしくローストチキン!(味の探究)

2024/12/11

毎月野菜の味を探究している「味覚の冒険」ですが、今月は、12月らしく趣向をちょっと変えてローストチキンをやってもらいました。なんとも香ばしいにおいがダイニングに広がり、まるでぐりとぐらの絵本の世界のように、その香りに誘われて集まってきます。

1羽丸ごと焼いていくので、始まる1時間ぐらい前から準備が始まりました。いつものように午前中は2歳児クラス。夕方は幼児クラスを対象に2回やりました。

野菜とちがって「とり」となると、調理の途中を観察することがどうなるのか、ちょっと気になるところでしたが、上手くいきました。美味しい、おかわり!という声ばかりでした。

この活動をここで紹介するときに、毎回思うのですが、文字と写真では味のおいしさをお伝えできないということ。ただ、じっと見つめている表情や、それを美味しいと食べている子どもたちの様子、見学に来られている民生児童委員の方々の率直な感想を介して、想像していただきましょう。

午後の振り返りでは、鳥が出てきた時は「いつもと違う目つきだった」と、子どもにも強い印象があったのようです。

子どもたちの目の前で切り分けていったのですが、手羽先や胸肉、ささみ、ものなどの部位も説明していたので、そういう意味での「リアルさ」も、子どもなりにあったはずです。そのさじ加減は大事なところだったので、「あまり突っ込みすぎないように」配慮していました。

大人でも、生きている時の様子を思い浮かべてしまうと、食欲に影響します。その心配です。そこはさらりと流してもらいました。またシェフの江口さんによると「何度もやってきた経験から、そこは絶対に外さない自信がありました」と話していました。

つまり「そら先生」と子どもたちとの間にできている信頼関係が、その心配を消し去っていったようです。この信頼関係というのは、8月9月10月11月と過去4回の積み重ねから、子どもに「いつものように美味しいだろう」という予感を抱いているということです。確かにとびきり美味しかったから、もっと食べたいという声になっていたのでしょう。

今回は、子どもの味の探究という意味では、普段とは違う視点からの考察になりました。考えがいのあるテーマです。

 

 

お楽しみ会のおかげでコマの手のせがブームに

2024/12/11

お楽しみ会の、親御さんによる出し物が「すご〜い!」と、印象的だったのでしょう。コマを手の上に乗せたいという子どもたちの情熱が、3階で迸(ほとばし)っていました。

木場公園で季節を満喫

2024/12/10

バスで出かけた木場公園。幼児クラスに、半分の2歳児クラスも合流しました。詳しくは保育ドキュメンテーションをどうぞ。

大きなアスレティック遊具での遊びと、雑木林での遊びが両立できるのが「冒険広場」です。かりに園庭があっても、こんなたくさんの落ち葉はありません。

落ち葉をかき集めて、パラパラと上に投げたり、大きな山をつくり、まるで大型クッションかトランポリンのように、遊んだようです。

こういう遊びをすると、まるでからがの中に季節が入り込むような感覚とでもいっていいでしょう、忘れられない季節の体験になることでしょう。

 

 

 

公園の葉っぱも、子どもの手にわたり満足そう

2024/12/09

公園の葉っぱが、子どもたちに話しかけています。

「ここにいるよ!」「ぼくはどう?」「わたしもみて!」

それが子どもたちには、よく聞こえるようです。

枝から舞い落ちたきれいな葉っぱたち。

いろんな色や形をした、一枚、いちまい。

地面から吸い上げられていった水や栄養がお日様とであって輝き、

何かを成し遂げて、また地面に戻っていく。

子どもたちに手にとってもらう、葉っぱたち。

子どもに楽しみを与えてくれる、葉っぱたち。

葉っぱたちも、子どもたちに遊んでもらって、満足だったことでしょう!

 

落ち葉でコラージュしてみた

2024/12/09

12月中旬の和泉公園は、大きな枯葉がたくさんあります。これは、そこから持ち帰った葉っぱで作った子どもたちの表現。

散歩などで子どもたちが持ち帰るものには、意味があります。持ち帰るものと、持ち帰らないものがあるので、そのことだけでも、少し察しがつくのですが、さて、どうでしょうか?

どんなふうに心惹かれたのかは、子どもは言葉で説明してくれないので、このような「形」で表現していくことで、何かが現れてくる気がします。それは大人も同じかもしれませんね。いいものはいい、何か気になる、としかいいようがないといったふうなことですからね。

この並べ方にも注目したいです。葉っぱの上下があるようです。枝との関係も見えてます。そして全体的に結構バランスがいいのは、先生のアレンジでしょうか?

園長の感謝と願い(お楽しみ会を終えて)

2024/12/09

お楽しみ会はいかがでしたでしょうか?今回は、初めて、保護者の方にも、出し物をやっていただき、ありがとうございました。園だけでは提供できないことや、親御さんのを子どもたちが見ると言うのも良い経験になりました。

早速アンケートの回答ありがとうございます。それを読んでいて、ちょっと反省しました。会の最後の挨拶で、私が余計なことを話したかもしれないと。ちょっと言い訳になりますが、長年の経験から、このような行事が子どもの出来栄えを発表するような集大成のような受け止め方をされると困るなぁと、ちらっと思ったからです。アンケートを読んでいて、余計なことだったと思った次第です。うちの保育園の大切にしていることをよく理解してくださっていると感じて、胸がいっぱいになりました。ありがとうございました。

・・・

アンケートを読ませていただく前に、少し書いていたものがあるので、紹介させてください。お楽しみ会のアプローチで先生たちがかなり苦心している点です。先生たちの努力を褒めて欲しいと言う気持ちです。行事の前には紹介しにくかったので、ここで少し説明します。

これまでのお楽しみ会は、どちらかと言うと、劇と合唱合奏でした。しかし、その本質であるはずの遊び性の豊かさが伝わらないもどかしさを感じていたので、先生たちが最も大切にしているものをそのまま表そうと言う方針に昨年より変えました。以下の説明は、私の代弁的な説明になります。

(1)遊びの虚構性を劇にしたい

子どもたちが自発的にやり出す遊びの中には、いろいろな要素が混ざっています。幼児の場合、紙や粘土などの素材を活かして何かを作る遊び、道具を使って体を動かしたり楽しさ、何かになったつもりのごっこ遊びなどが混ざっています。

簡単にいうと制作や運動や模倣が相互に繋がりあっています。今年の幼児のお楽しみ会では、3歳児クラスのお店屋さんごっこ、4歳児クラスの野球物語、5歳児クラスのヒーローショーは、ちょうど制作遊び、運動遊び、ごっこ遊びが表に出ていたと言えるでしょう。

そもそも遊びには虚構性があります。自覚してやりだすと演劇性といっていいのかもしれません。年長さんのヒーローショーは演劇的でした。年少の本物のパン屋さんのようにやりたい、年中の大谷翔平のようにホームランを打ちたい、年長の悪者を打ちまかすヒーローになりたい。本当にはできないけど代わりにやっているとも見えますし、そのために思いついたいろいろな目的を達成する充実感もあります。

繰り返しても飽きない芸術性も含まれています。まるで本物のドーナツのような、透明な袋に装飾されたパンやお菓子。売り子や応援のグッズのデザイン。バットで打てば飛んでいくボールの感触。ヒーローに変身するための手の込んだ衣装。最後は音楽で、みんなが好きな「にじ」と「100%勇気」を歌いました。

それらを作ったり、やってみたり、演じてやってみたりする楽しさを繰り返し味わってきました。それをやっている時間は、子だもたちにとってかけがえのないもので、しっかり守ってあげないと、なんでもない時間のように思われがちな、壊れやすい空間なのです。目に見えない薄膜のような時空で覆われた空間とでも言っていいようなもので、その中は、面白さや楽しさで埋まっています。発見や驚きや冒険が展開されます。

(2)発達は経過で見なければ伝わらない

そのような遊びは、ただやることが楽しいのであって、別に誰かに見てもらうためにやっているものではありません。やっている遊びの中に、お父さんやお母さんも一緒に入って過ごす時空が継続的に成立すれば、それは子どもにとっては最も幸せな時間になりえます。似たような単発のイベントならできますが、時間をかけて作り上げていく遊びそのものに大人が参加すると言うのは難しいものです。保育者の専門性はそこにもあります。

ただ、子どもはやっていくうちに、その面白さを大好きな人、つまりお父さんやお母さん、お家の人に、伝えたい、共有してほしいと言う願いも、自然に生まれてくるのです。遊びは頑張ってやるものでも応援してもらってやるものでもありません。自分が発見した面白さや楽しさを、分かち合って欲しいと言う気持ちから、その心の交流を期待して、子どもたちは待ち遠しく思うのです。何かが上手にできたとか、立派だったと言うところを褒めてもらいたい、というのが主ではないのです、もちろん、それは嬉しいことですけれど。また、そう感じていたことも忘れてしまうこともあるようですけれど。

(お父さんによる、こま回し)

これらの遊びの進展状況や、活動がどのように変化していったかは、先生たちがそのプロセスを丹念にドキュメンテーションにしてお伝えしてきました。それぞれが、遊びの発端の頃から、その変化をたどっていくと、その過程に、それぞれが好きなことややりたいことを追求しながら、みんなで1つのものを作り上げていく、協力していく姿が見られました。

そのプロセスの中で、一つ一つ「面白い!楽しい!」と味わっている子どもたちの発見の連続がそこには見られます。そこに気づくことが、先生たちの面白さでもあり、保護者の方に伝えたいと思う動機もなっています。

(お父さんの、ブレイクダンス)

(3)子どもの遊び性を守りたい

そうすると、案外難しいなぁと思うのは、遊びの醍醐味を伝えたい行事なのに、その日が、何かの成果の集大成のように受け止められると言うことです。そこに至るまでの共同的で演劇的な遊びの世界に、まるで、リアルな現実の評価のまなざしが注がれるようなときのようで、それに沿おうとすると、見られることに慣れていない乳幼児の遊びの世界はフリーズしてしまいがちです。

気分良く、その流れの中で思いついたことも、ちょっと考えれば、違った!と思ってやめてしまうような、まるで泡のように素敵なこともすぐにパチンと消えてしまうようなことも、いろんなことが生まれては消えて、を繰り返しています。ものによっては大きく膨らみ発展したりします。できると思って、はいはいと元気よく手を挙げたけど、いざ、口にしようとすると、何も言えなくなってしまうような、誰もがそういう経験を持ってると思います。そのようなこと、丸ごと全てが、生き生きと活動していて、時に微笑ましく、時に素晴らしく、時に目を覆いたくなるような姿を見せてくれるのです。

(お母さんによるゲーム)

立派にやれているか否か的な評価の眼差しは、遊びの世界の風船を、簡単に破裂してしまいがちです。それだけは起きないように、子どもの世界を守ってあげたいのです。練習を繰り返して、何かが上手になり、立派なものが仕上がってお披露目をする。それはそれで一見何の問題もないように見える流れなのですが、そこに脱線や行きつ戻りつも起きていて、本当の意味での遊び性を保障していくのは難しいものです。何割かの子どもには、その道だけで通用するかもしれませんが、私は多くの場合、そこでは本当の自発性が育ちにくいのではないかと感じています。

それから蛇足かもしれませんが、子どもは基本的に多動性を持ってます。じっとしておくと言うのは難しいものです。個性の差もありますが、数の多い集団が何か同じことを同じタイミングで同じ場所で揃えてやると言うのは難しいものです。気持ちが、ハイになっているときは、なおさらです。ふだんなら情報を制限してあげたり、注意をコントロールしてあげたり、気づいていない時は声をかけたりと言う事は必要ですけれど、行事ような時は限界があります。

 

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