MENU CLOSE
TEL

園長の日記

全国大会の実践発表から(1)〜異年齢・探究心・参画〜

2024/08/11

仙台市の「仙台サンプラザホテル」で開かれている全国実践研究大会の2日目(10日土曜日)は、実践発表と講評でした。6つの実践発表はそれぞれを詳しくレポートしたいほど素敵なものばかりで、どれもどこかの保育団体などで実践報告してもらいたいと思いました。ギビングツリー(GT)は子ども同士の関わり、異年齢保育、子どもの主体性、チーム保育、園庭の工夫などの面に特徴があります。実践発表にはそこに積み重ねと工夫があって感動します。

というのは、保育を工夫し、子どもたちが育つには時間がかかるからです。と言っても環境を変えると子どもは意外とすぐに変化するものですが、それとはまた別の次元で子ども文化といった集団の育ちは時間がかかります。先生たちが環境を工夫するのにも意思疎通や話し合いやチームワークの良さなどを発揮しながら徐々に良くなっていくものです。

したがって保育は一朝一夕にすぐ良くなるものではないのですが、全国大会の実践発表は、どの園でも子どもたちと先生たちの具体的な姿がたくさん報告されるので、そこに至るまでの苦労が想像できて胸が熱くなるのでした。

(1)マザーズ・かみすぎ保育園(仙台市青葉区上杉・定員90人・三浦えみ子園長)は「異年齢児で育ちあう子どもの姿」が報告されました。

普段の子どもたちの人間関係をつぶさに拾った報告で、0〜2歳児、3〜5歳児のふれあいの中に見られたエピソードが24も報告されました。

2歳児が遊具を容器に入れているを見た0歳児が興味を持って近寄り同じことをし始めても「自分より小さい友達を受け入れ、自然な流れで一緒に遊ぶ様子があった」という事例。そこには育つ姿として「思いやり・安心感・いたわり」を確認しています。

さらに24の事例を分析して表にまとめています。こういう研究の積み重ねはとても貴重な実践研究でしょう。

藤森代表「異年齢児の関わりや思いやりとか、助けるとか協力するとか、そういうことがよく言われるが、安心感ということを言っていますね。これからの小学校以降の学びにも、気遣うという意味のケアや精神的なサポートとして異学年の学び合いが奨励されていくはずです。アタッチメントの本来の機能としてもこういう子ども同士の役割を大切にしたい」。

(2)認定こども園つばさ(茨城県稲敷市・定員120人・本橋久代園長)は、「『体験からの学び』そして『経験から探求心へ』」として4つの取り組みが紹介されました。

1つ目は「異年齢で育ち合う環境」。「朝のお集まりから、遊び、食事、午睡と可能な限り異年齢環境を作り、子ども同士で育ち合う姿が各所で見られる」そうです。発表では動画で3人のやりとりが紹介されました。お店屋さんごっこで4歳の子がやっと手に入った半被を着ていたら3歳の子に「これ貸して」とせがまれ、どうしようかと悩んでいる姿が愛らしく、その様子を見ていた年長の子が貸してあげるという一コマでした。スローモーションで子どもの表情を捉え、揺れ動く心の動きを想像しながら保育を展開してくことを、先生たちが楽しんでいる様子が窺えるものでした。

2つ目の発表は「体験からの学ぶことができるSTEM環境」。風、鏡、光、音、熱などのテーマごとに実験遊びができるほか、園内だけではなく子育てセンターでも「ベビステ」を展開していました。

3つ目の実践は「生きもの・自然とのふれあい、観察」です。園庭にやってくる虫たちを中心に、その飼育を通して命の大切さや、それを維持していくことの難しさを「先生たちも一緒に学んでいる毎日です」というスタンス。

4つ目は「SDGsがある環境『すぐに できるを がんばる ぞ!』」で、絵本、ゴミの分別からスーパーのサイクルステーションへ、端切れや古着を使ったエコバック作りなど。

藤森代表「いろんな活動ができるのは先生たちの得意なことや持ち味を生かしたチームの連携が良い証拠でしょう」

(3)こども園こうほく風の遊育舎(秋田市土崎港北・定員138人・髙橋静子園長)は「子どもの『自ら育つ力』〜その育ちを信じて〜」。

屋上の雄大な園庭(3つのスカイパーク)での食育活動、その畑で育てた野菜などでのクッキング、薪割り、新米おにぎりパーティ、秋刀魚の炭焼きイベント、鰤の解体ショー、里山「森のこども園」での活動、年5回のスキー体験など、自然環境を活かしたダイナミックな保育を展開しています。

発表では、屋上の園庭にある畑を有効に使った保育、おたのしみ会、卒園式を取り上げて、いずれも子どもの「やってみたいこと」から作り上げていった子どもの参画のある保育が紹介されました。

計画の段階から話し合い、体験内容を子どもたちが考えたり話し合ったりしていく様子が動画を交えて報告されました。お泊まりを楽しいものにしたいと、子どもがアイデアを出し、その日にクッキングをするために畑を作るところから始まる活動や、数ヶ月先の見通しを持って継続的に関わっていく姿を見ていると、自然を保育環境に取り入れる場合の年間計画のあり方を考えるヒントになります。

藤森代表「栽培と調理と共食が人類の特徴といわれ、収穫の数ヶ月先、半年先まで待てるのは人類だけ。そこに先を期待して希望や夢を持つのが人間です。卒園後まで待つことになる玉ねぎを育てたのは、いいですね」

(続く)

第4回 全国実践研究大会in仙台

2024/08/10

保育環境研究所ギビングツリー(藤森平司代表)の「全国大会」は、仙台市の「仙台見守る保育の会」(現在21の園が参加)が主催しました。年2回開催している全国大会は今回で早くも4回目です。初日の8月9日(金)は午前9時から8つの園が保育を公開し、たくさんの見学を受け入れてくださいました。参加園は北は青森から南は沖縄まで約80の園が参加する活気溢れる大会でした。

初日の午後は藤森代表の基調講演でしたが、話の前半は「やってみて確かめる」繰り返しの中で作り上げてきた保育実践を振り返りつつ、OECDの報告書などに触れながら、今後さらに乳幼児教育の質が問われる時代になっていくこと、そのために私たち乳幼児の保育の関わる者の役割が大きいことを話されました。

内外の最近の代表的な報告が紹介されましたが、そのうち、たとえば国が令和の教育改革で「個別最適な学びと協働的学び」を目指している中で、幼児教育がそのモデルになりうることに注目を促しました。また最近の国の子ども政策がどうしても子育て支援に偏っていることに懸念を示し、優れた実践を学び合い発信していく必要性に触れました。

記念講演は、自分らしく生きることを人権とダイバシティの観点からアーティストとして講演活動などもしている歌手の天童清貴さん。前半はお母さんも一緒に登壇いただいての座談会でした。ご自身のセクシャリティに悩んだ話とその葛藤を乗り越えて今の心境に至っている親子のストーリーを聞かせていただきました。後半は高校生と一緒に「ひまわりをさかせよう」など手話を交えてのライブ演奏を披露していただきました。どの歌もその歌詞も、その繊細さが身に沁みるものがありました。ぜひ皆さんも一度聞いてみてください。

こどもの情熱は生の軌道のズレ?

2024/08/09

遊びの情熱は「純粋持続」を生きようとする姿の表れなのだろうか? 私は勘違いしていたようだ。心揺さぶられるような経験をもう一度味わいたいと言う欲求が、表象になっているというより、世界よりも不完全でしかない表象の欠損部分をなんとかしようとして遊び出すようにも見えてきます。

思えば言葉もつねに言い尽くせぬものを抱え、同様に外界から受け取るイメージもまた部分でしかありません。世界を丸ごと認識することなどできないのに似て、子どもたちの再現欲求の強さは生の軌道からのブレの修正であり、否応なく現れてくる生きようとする力が、どうやってもはみ出してしまいながら、行動しようとしていることが遊びの姿の一部なのでしょう。

持って生まれてきたものと、短い間に経験したことの記憶を今に総動員しながら、あくなき一歩を前に進めようとしていること。確かに謎です。私たちの「生」が謎であるように。そのことを露わにしていながら気づかれないでいるかもしれない子どもたちです。

室内に運動空間がある有り難さ

2024/08/08

園庭や公園があってもこんなに暑いと使えなくなった日本の夏。多くの園で室内に運動できる空間を朝から用意していることでしょう。その点、当園には室内に運動ゾーンがあるので、ブランコやクライミング、ネット遊び、トランポリンなどで朝から体を動かしています。クーラーの効いた室内で天候の関わらず運動遊びができるのはありがたい。

また、外遊びができない日でも、日陰を作って風通しのいい屋上の水遊び空間は、短時間でも水に触れることが可能になるので、適度の運動と涼を取ることができます。

これからは、こんな猛暑続きの夏や、急激な天気の変化、避難生活などを前提として、乳幼児空間の設計を考える必要があります。

奔放ないたずら気分・気晴らし・騒ぎ・即興・無邪気な発散

2024/08/07

今朝、2歳児クラスの子ども二人と始まったの遊びを見ていました。2人は防災づきんを被って「火事だ〜地震だ〜」と走って行ってカーテンの裏や、机の下に隠れたり、靴を取ってきて避難ごっこをして、お家に帰ってきて、ジュースを飲んで「はあ、疲れた〜」と笑い合っていたのです。

遊びの幅のようなものがあるなら、その片方にはこんな姿があります。だんだん無秩序になっていくような騒ぎ、即興的に何かを始める嬉々とした躍動感。あ、いいこと考えた!と言いながら始まるいたずら。そのようは無邪気な気晴らしやエネルギーの発散のようなことです。

こっちがあるから、その対極になるのかもしれない姿が、何かに真剣に取り組み、何かを作り上げたり、ルールのある遊びで参加者にその決まりを厳格に守らせようとしたりします。遊びであっても成し遂げたい目的のために努力して工夫しています。こうなったから、今度はどうなるだろうと飽くなき探究が始まることもあります。

この両方の間を行ったり来たりして過ごしているのが子どもたちです。ともすると前者の一見、混沌としたような姿を否定的に捉えていないだろうか?ロジェ・カイヨワが「パイディア」と名付けた遊びの傾向です。そこに自由な躍動するものがあり、それが秩序づけられていく方にばかり気を使っていると、生と環境が自ずと創り出しているものに気づかず、せっかくの環境構成の機会を見逃してしまうのかもしれません。

もしかすると遊びが学びや探究につながると言いながら、このパイディアの領域を無くそうとしてしまうと、何か遊びの深みがない、表層的なものになってしまいそうで気をつけたいと思うのです。

 

お友だちの存在を感じながら・・・

2024/08/06

昨日のぐんぐん組のブログから。

・・・・・

午睡明け、早めに目が覚めたぐんぐん組(1歳児)の Wちゃんが、先にお部屋で遊んでいた ちっち組(0歳児)のKちゃんに話しかけていました。 「Kちゃん、かわいいねー」。 Kちゃんが大人の膝から降りた瞬間に少し泣いていると、「”えんえん”って。ママがいいって泣いてる。」とWちゃん。 なんで泣いているのかな〜とWちゃんなりに想像して、言葉にして教えてくれたのでしょうか。 そして、Wちゃんが窓辺へ行くと、「Kちゃん、おそと見えるよ。」とKちゃんを誘ってくれます。 Wちゃんのお誘いを受けて、Kちゃんを窓辺のほうへ連れていってみると…ふたりで一緒に外を眺めます。

Kちゃんにそっと手を添えたりそっと抱きしめたりする Wちゃんです。 なんとも穏やかな愛おしい時間が流れていました。 Kちゃんと目が合うと、自分のことを指差して「Wちゃんだよ、Wちゃん。」と、自分の名前を教えたり、窓を触って「ここ、つるつるだよ。」とKちゃんに伝えたり、「青い自転車だねぇ」と駐輪場の自転車を指差したりしてKちゃんに語りかけるWちゃん。

Kちゃんも、それに応えるかのようにWちゃんを見つめながら「あーばーばーばー!」と声を出しておしゃべりしていました^^

 

言葉はなくても、こんなに小さなちっちさんが、お友だちとの関わりを喜んで気持ちを通わせる姿に、感動します。Wちゃんのやさしい気持ちが伝わったみたいです。 夕方の水分補給タイムには、こんな様子も。 

ぐんぐん組のSくんは、最近、ちっち組のTちゃんに水筒を持っていって、飲ませてあげるのが好きなようす。

最初は、Tちゃんの水筒のフタの開け閉めに興味を持って、それを試して楽しんでいた Sくんでしたが、ふと思い立って、そのままTちゃんの元へ行くと、お茶を飲ませてあげる姿がありました。今日も、その時のことを思い出して、Tちゃんに飲ませてあげようと思ったようです。

Tちゃん、なんだか嬉しそう♪ ぐんぐん組のRちゃんも、同じくぐんぐん組のNちゃんに、お茶を飲ませてあげていました。 

随分と長いことお茶をあげていたRちゃんですが、Nちゃんもその間、素直にずーっとお茶を飲み続けていました。水筒が空っぽになっても、飲ませてあげるRちゃんとストローを吸い続けるNちゃん。笑 (途中でお茶を追加したら、その後も再び、飲ませてあげ、飲ませてもらう、ふたりでした😂)

お手伝いしたいな、やってあげたいな、という気持ちが芽生えていることはもちろんですが、こうした姿が成り立つためには、やってあげる側だけでなく、やってもらう(やらせてあげる)側…の双方の関係性が必要です。 お互いの、「やってあげる/やってもらう(やらせてあげる)」の共通意識があるからこその姿でもあると思います。そう思うと、こんな場面も、子どもたちは「協力し合っている」と言えるのかもしれません。少し大げさかもしれないけれど、RちゃんとNちゃんは、もう「お茶を飲む」という目的を越えて、ふたりの関わりそのものを楽しんでいたのかもしれないですね。 こうして、お友だちのことをやってあげたい、関わりたい、という姿がさまざまな場面で垣間見えるようになってきて微笑ましいです。

 

そして、そうした関わりも増えてきたぶん、例えば お友だちの水筒のフタをあけて渡してあげたい子vs自分の水筒を取られたと思って早く返してほしい子…という、ちょっとしたすれ違いのようなケンカが勃発するなど、まだまだ、「自分が!」「自分の!」の気持ちが強い時期ゆえに 互いにぶつかる場面も絶えないぐんぐんさん。

でも、そんな体験を繰り返しながら”このお友だちは手伝ってくれようとしているのかも”と待ってみたり、”相手も自分でやりたいのかな”と気付いてゆずってあげたり、という姿が、そのうち少しずつ出てくるのではないかな、と思っています。 それでも、こうして、お友だちとともに過ごす中で、自分のことだけでなく、まわりにも目を向けて関わってみようとする姿が増えてきたこと自体に、大きな成長を感じられて、なんだか嬉しいです。

「お友だちと一緒」が楽しかったり嬉しかったり、気持ちがぶつかって悲しかったり悔しかったり、思い通りにいかなくて葛藤したり…人間関係の酸いも甘いも 子どもたちなりに経験しながらの毎日ですが、その体験をひとつひとつ紡いでいくなかで、さまざまな関係性が結ばれ、築かれていくように思います。

子どもたち自身の関係や気持ちの動きに寄り添いながら、そっとフォローしつつ、「今」の成長を気長な目で見守っていきたいと思っています。

還ってくる場があるという意味

2024/08/03

今日の第6回納涼会はいかがでしたか? 家族で一緒の楽しい時間になったでしょうか? 午前中は在園児の親子で、昼からは卒園児の家庭で楽しんでもらいました。

1日その様子を見ていると、この5年間の間に、子ども同士の仲良しの輪は大人を結びつけて、その輪がこんなにも大きく広がっていくのだなあ、と思いました。

食事コーナーは、お祭りの夜店でよくある「わたあめ」「かき氷」「フランクフルト」。

午後はこれに「焼きそば」も加わりました。

遊びは子ども提案の「輪投げ」「的当て(水鉄砲)」「ボーリング」「ヨーヨーつり」「うちわ作り」そして「スイカ割り」。午後は小学生も多くなることから、これに「型抜き」と「くじ引き」も用意されました。

このような日は、小さい赤ちゃんから小学生までの遊びにおける発達を連続的に見ることができます。特に卒園児は成長を具体的に感じられると同時に、過去の「おんなじ」を想起のうちに現在にあらわにするように感じられました。

いま通っている小学校は違っていても、「再会」は保育園という同じ空間を長く共に過ごしたという過去を今によみがえらせ、共有した者同士でしかつくれない空間を「いま・ここ」に創り出しているように感じました。

ああ、これが懐かしさの正体か、とさえ思えるほど、人間のもっている過去を「想起」できる力は、そこにお互いの意識が重なり合わない限り発生しないのだということに気づかされたのでした。きっと同じ思いを卒園された保護者の皆さんも感じられたことでしょう。

現在に引き寄せられた過去の想起が、子どもも親も自身の過去を今の自分に巻き込んで今を創り上げているかのようです。ここで生きてきた時間の堆積がある場と、そうでない場の違いとなって感じられるのでしょう。このことが「還ってくる場所がある」ということの大切な意味なのかもしれません。

 

溶かして混ぜて自分のクレパスを作りませんか?8月3日(土)

2024/08/01

クレパス作品を手掛けているアーティストのコンドウカヨさんが、8月3日(土)に台東区でワークショップを開きます。クレパスで絵を描いているクレパス画家のコンドウさんは、イベントを通じて親子で集える場所を作っていきたいそうです。「近くの保育園などにお願いして回っています」と尋ねていらっしゃったので、ご案内します。

20240802 one day workshop

今年初のアゲハ誕生

2024/07/31

今朝、アゲハが誕生しました。卵から幼虫になり、玄関の自動ドアの隅で蛹になっていたのですが、ついに綺麗な羽を広げてくれました。待ちに待ったこの日を、多くの親子が見ています。その反応もそれぞれが違っていて面白いのですが、「愛おしい気持ち」を分かり合える方々と、蝶の世界を語り合うのでした。

 

子どもの主体性のない保育には、子どもにも大人にも“揺れ”がない

2024/07/31

巻頭言(8月号)より

こんなことが書いてある研修レポートを読んで「うまいことを言うなあ」と感心しました。散歩のとき、枝を拾ってもいいかどうか?という議論がなされた保育園のエピソード。

「・・何かルールとして決まっていたり、決定されていることを守る方が、悩みもないし、迷いもないけれど、こうして大人にだって“揺れ”があると言うことは、主体性を大切にしていく中ではとても必要は要素なのだと感じました。保育者を含めて“大人”という立場にいると、つい『こうであるべきだ』とか『こうなってほしい』という思いや願いが先行してしまうことも多くて、“揺れ”とか、迷いや悩みといった状態は、知らず知らずのうちに、なんとなくネガティブなものに捉えがちになってしまう気がします。でも、そうして白か黒かという結論を出すのではなく、その間のグレーの部分にこそ、さまざまな関係性ややりとりが生まれていくのだと感じました。

また大人は、そう考えようとはしていなくても、ついどこかで「成功」とか「成果」など、「めでたしめでたし」と思えるような“結果“を追いかけてしまっているのかもしれないなあ、と感じます。例えば、野菜を育てるときに、うまく育っていくように大人の判断でネットをかけたり葉を剪定したり・・。うまくいかずに枯れてしまって、子どもをがっかりさせたくない、という保育者の思いもあるかもしれないけれど、でも、この迷いや揺れ、そして失敗したり試行錯誤したりする経験こそ、子どもの生活の中では必要なものかもしれないと感じました。・・」

研修レポートはニュージーランドの幼稚園の「トマトデモクラシー」(注:ホームページの方で紹介しておきます)のエピソードが紹介と続くのですが、この主体性を尊重し合う「共主体」は揺れ動くものという話は、きっと信頼と対話を育むことにつながるでしょう。その過程を経験してたくさん潜り抜けていく中で身につけることの中に、大事な宝物がある気がします。そこに目を凝らしたい。その見えにくいものを大事にしたい。レポートはこう続きます。

「これは子どもと大人の関係に留まらず、大人同士もまた、何かを誰かに押し付けるような『こうであるべき』という論を持ちすぎず、みんなちがっていいというおおらかな気持ちで保育をしていくことで、より良い関係や距離感を持って良いチームワークでやっていくことができるのではないかと思います。・・・」

・・・・

(注:「トマトデモクラシー」のエピソード。皆で育てたトマトがよく育つように大人が芽をとったら、子どもたちが「なんで相談もしないで勝手に取るんだ」と怒って、大人も子どもも話し合って進めていこうという議論がなされたという話)

top