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園長の日記

卒園児にウェルカム!と言える社会に

2021/02/26

(園だより3月号 巻頭言より)

昨年の3月と今年の3月で異なるのは、保育園が開園して初めて卒園児が旅立つことです。昨年度は卒園児がいなかったので、卒園式もありませんでしたが、今年は10人が卒園します。私から一人ずつに保育証書を手渡しします。受け取ったら「大きくなったら○○になりたいです」という夢を語ってもらいます。どんな夢が語られるのか、楽しみです。

私たちはどんな子に育って欲しいかと聞かれたら、「自分らしく意欲的で思いやりのある子どもになってほしい」と願っているのですが、子どもたち本人は「あれがいいなあ、こうなりたいなあ」と具体的な夢や憧れを持ちます。抽象的に「思いやりのある人になりたいです」とは思いません。お医者さんになりたいとか、花屋さんになりたいとか、ピアニストになりたいとか、サッカー選手になりたいとか、具体的に憧れている仕事や職業を思い浮かべるでしょう。そこで「保育園の先生になりたいです」という子がいてほしいなあ、と期待してしまいますが、それは今人気の職業が反映されていたりします。

変化の激しい時代です。卒園する子どもたちが実際に働き始める頃、世の中にその仕事が残っているのかどうかわかりません。反対に5年前に「You Tuberになりたい」が小学生男子2位、女子4位になる時代になるとは想像できませんでした。その調査では保育園や幼稚園の先生は女子で5位になっていました。どんな時代になっても、保育の仕事はなくならないでしょう。生活に必須の仕事を最近はエッセンシャルワークと呼ぶことが増えましたが、私はこんなに大切で有意義な仕事は他にないと心底、思っています。まだまだ世の中の認知や社会的な地位が高くありませんが、子どもたが保育士になりたいと思った時、周りの大人がそれを誇らしく感じ、応援したくなるような魅力的な職業になるといいのに、と思います。

やりたいことができることは幸せなことです。しかしそれが難しい。やりたいことは変化し、それが仕事になるとは限りません。市場経済で買われる市場価値を産まないと職業になりません。しかもその仕事が豊かな働き方になっているかどうかも別問題です。豊かな働き方とは自分で構想して実行できるような仕事です。誰かが全体を計画して、その一部を歯車のように部分的にやらされる仕事は意欲を失います。ひどい時は拷問のようになります。人間は働く意図や目的が社会的な意味を持つことを望み、それにコミットしているとき生きがいを感じるからです。

私たちが今実践している保育は、子どもたちが「現在を最もよく生きる」ことができるように工夫しています。それともう1つ育てているものがあります。それは「望ましい未来をつくり出す力の基礎」です。大人と一緒に望ましい未来をつくるメンバーの仲間入りを果たすことー。それが大人になるということです。年長さんがもうすぐ卒園します。私たち大人は「ようこそ!」と言える社会を用意しましょう。

『保育の起源』の書評を頼まれて

2021/02/25

日本には3つの保育団体があるのですが、その1つに「全国私立保育園連盟」という団体があります。そこが発行している月刊誌「保育通信」から、書評を頼まれました。本は藤森平司著『保育の起源 保育を巡る今日的論考』(世界文化社)です。以下のように書いて渡しました。(そういえば、千代田せいが文庫で藤森先生の本を閲覧・貸し出しができるようにしないといけないですね)

この本の著者は私の師匠です。先生は日本で「見守る保育」と呼ばれるようになった子ども主体の保育を全国に広げた保育者であり、私にとっては生き方の導師であり、保育の探求者です。まず本書の「はじめに」から、以下に少し紹介します。

「・・今日では、見守る保育として広く受け入れられている私の保育論ですが、振り返れば、私自身が人類学や脳科学、発達心理学などのさまざまな学問に触発され、それぞれの分野における優れた研究者と出会い、語り合う中で多くのものを取り込んできました。今、私が保育に関わり始めてから現在までの社会的な背景を振り返ると、『見守る保育』は何も特別なものではなく、世界各国に共通する流れの中で、必然的に構築されてきたことがわかります」

さて、この「見守る保育」は、最近では海外から「mima-approach」略して「mima」と愛称される「藤森メソッド」として世界で普及し始めています。アジアの保育を代表する乳幼児保育法として注目されているのです。その教えは多岐に渡るのですが、最も大切な教えは「保育の探求は、保育実践の中からしか生まれない」ということです。保育の<真と新>は現場にあるのです。「保育は学問ではなく保育道である」ということです。そんな、保育をめぐる考察の一部始終が一冊になったものが本書です。

23章480ページからなる大部ですが、保育の質を本気で探求したい人にとって、この考察を辿ることは、保育理念を汲み出す井戸となることでしょう。あるいは「保育の地平」全体を見渡すことにもなります。その地平は人類の進化、人類学、民俗学、脳科学、住居学、心理学からスポットライトが当たります。さらに通底している「保育の起源」を踏まえて、本書後半は保育理念を巡る議論が展開されます。そのテーマは発達、教育、乳児研究、愛着、自立、見守る保育、その意図性、異年齢保育、チーム保育、室内環境、屋外環境、見守る保育における5M、食育、リーダー論、海外の保育、家庭での育児と、16にのぼります。

また、アフォリズム(警句)のような言葉が興味の扉を開かせてくれます。例えば・・。

「人類の始まりという太古の話が、新しい保育のテーマにつながりました。乳児保育の大切さは、人類の原始にルーツを持っていたのです」(第1章人類の進化)だとか、「愛着について新しい考えを持ちました。愛着とは自己防衛のために自ら築くものであり、決して大人から与えられるものではない」(第10章乳児研究)などという言葉に出合えるのです。

この本は、辞書のようにどこから読んでも(引いても)いいのですが、知らないうちに、保育の質を思考する面白さという渦の中へ引き込まれますからご注意ください。この本の隠れたサブタイトルは「保育理念を構築するための思索ガイドブック」かもしれません。園長なら必携?かもしれませんね。

三寒四温

2021/02/24

暖かいと思ったら急に冷え込んで、体調の管理が大変な時期ですね。冬から春に向かうこの時期をよく三寒四温と言いますが、まさに三日冷え込んだと思ったら4日は暖かいという繰り返し。冬と春が交互に顔を出し合っていて、シーソーのようにギッコンバッタン、そのうち結果的にだんだん暖かくなるのですね。ただ昔よりも寒暖の差が大きくなっているような印象があるのですが、どうなんでしょう。シーソーの振れ幅は、こんなに大きかったかしらん?皆さんも服装を間違えないようにお気をつけください。

毎年こんな時季は、保育園も年度末の仕事と、新年度の仕事が重なり合っています。3日は年度末の仕事、4日は新年度の仕事と、2つ混ざり合いながら進んでいます。年度末の個人面談と同時に、新年度の入園面談も始まります。今年度の成長展を行いながら、お別れ遠足や卒園式の準備も始まり、併せて新年度の年間行事予定の検討や、4月のクラス別保護者会の日程も検討しています。新年度の担任や職員体制、職員間の引き継ぎや保育の継続性の確保など、色々なことを進めています。

さらに年度末は1年間の自己評価をまとめたり、来年度の事業計画を検討したりと、PDCAサイクルのAとPのつながりを分析している時になります。写真は2歳児にこにこ組の移行保育で、幼児の子たちが散歩に出掛けている間に3階での遊びを楽しんでいるところです。こうやって、1つひとつのゾーンの使い方を丁寧に覚えていくのです。

私が前勤めていた八王子の園庭で、ヤマアカガエルの産卵が始まりました。このカエルは2月になると、一旦冬眠から小川に出てきて産卵してまた冬眠に戻ります。ヘビに襲われないように一足早く産卵を済ますという、珍しい生存戦略だと言われています。カエルにコロナは関係ないようです。せいがの森はこのカエルの鳴き声が春の訪れを伝えてくれていました。千代田せいがの春は、何が教えてくれるのでしょうか。

後ろ向きばいばい

2021/02/23

先日のことですが、お母さんがお迎えにいらして、玄関の方へトコトコと歩いていく子どもの後ろ姿に向かって、私が事務室の方から「Mちゃん、バイバイ」と声をかけたら、お尻の横から右手だけをバイバイと後ろに振ってくれました。その仕草が可愛かったので、そのことをお母さんにも伝えたのですが、その「後ろ向きバイバイ」は器用にも、手のひらを後ろに向けていたのです。

一見、当たり前に思えるこのエピソードですが、このことから思い出すのは、保育の心理学の教科書に出てくる次の話です。ちょうど2歳のMちゃんは大人が行うバイバイを模倣して、バイバイができるようになったのですが、よく言われるのは「子どもは見たものを真似しているのではなくて、大人がやっていることを真似している」という話です。もし見たものを真似しているのなら、子どもは手のひらを自分の方に向けるのではないか、というのです。やっていることの全体を、全身でなり切って模倣しているから、相手の方に手のひらを向けることができる、というのです。

でも、先生が前に立ってモデルになって踊ったりするとき、右と左をあえて反対にして鏡に映るようなつもりで演じてあげることをします。子どもは見たものの左右を入れ替えることは難しいからです。バイバイの場合は、相手に手のひらの方を向けるというのは、その動きを丸ごと真似できるのでしょうね。しかし、自分の方に手のひらを向けるというのは、逆にちょっと考えにくいことではないかと私は思うので、そんなに不思議なことだと思いません。

このように丸ごと共感的に模倣してしまう力が子どもにはあるわけですが、これは仕草に限らず、相手の感情にも反応して同じ感情を感じたりします。泣いているとつられて泣いてしまうような共振と呼ばれるものや、相手が酸っぱいものを食べているのを見るだけで、こちらも酸っぱそうに口を窄めてしまうようなこともあります。真似しようと意図して真似するというよりは、思わず体が映しとってしまうような模倣であり、身体的な共鳴的な模倣です。

相手の気持ちを感じることを共感というなら、優しくしてもらったり、助けてもらったり、思いをわかってもらえたりすることも、共感を通じて真似をしていくようになるのでしょう。優しくしてもらうから、優しい子どもになり、思いを受けてもらうから思いやりのある子になります。身体的な共感の力が、そうした心情も育てているといえそうです。

睡眠講座で気づいた「おやすみなさい」の意味

2021/02/22

今日は16回目の睡眠講座が開かれたのですが、私は乳児の「記憶力」の発達にあった援助について学ぶことができました。6ヶ月ぐらいの赤ちゃんは、数日しか記憶がないそうで、1歳を過ぎていくと1ヶ月前のことも覚えているようになっていきます。すると「寝ているから気づかれないようにそっと寝かしてあげる」方法が通用するのは6ヶ月ぐらいまでで、それ以降になると記憶力が発達して、目が覚めた時に起きている時のことを思い出して「寝るつもりじゃないかった」子にとっては、目覚めると「起きようとしてしまいがち」だそうです。ですから、寝る前のことを覚えているようになる頃からは、寝るときに「おやすみなさい」とちゃんと声をかけてあげて、これから寝るんだよ、というメッセージを伝えた方がいいそうです。

睡眠講座は毎回「そうか、なるほどなあ」と気づくことがあるのですが、そんなことを考えていたので、次のようなことにも気づきました。

昼食を食べ終えて本や紙芝居を読んでもらうと、ちっち・ぐんぐんの部屋から、「父さん眠れ、母さんも、兄さん、姉さん、赤ちゃんも、ねんねしな、ねんねしな、ねんねしな」の歌が聞こえてきます。すると、歌い始めると、すぐに布団の方に移動するYちゃんや、最後まで聞き終えてから、立ち上がって布団に移動する子など、自分たちで自然と眠りに行きます。それこそ自発的なゴーツーベッドです。

これは毎日繰り返している習慣になっているからでしょうが、よく考えると、絵本や紙芝居という遊びから、歌を挟んで睡眠へ自ら気持ちが動いていく様子は、睡眠講座でも永持さんがポイントにあげていたことと同じです。それは「これから寝るよ」というメッセージを子どもにちゃんと伝えることです。保育園の場合は童歌ですが、それと同じような区切りのサイン、これから寝るよ、のサインをご家庭でも用いてみるのもいいかもしれませんね。

食事の後は絵本を読み、歌を聞いて眠りにつく。それぞれを声かけでやらせようとするよりも、それぞれが子どもにとって「好きなこと」を順番に並べてあげるという感覚で、毎日、同じ順番や流れを作ってあげるといいのかもしれません。

戸外活動中の地震にも備えて

2021/02/21

◆地震を想定した避難訓練

すでに2月後半。成長展が始まった15日からの週は、入園説明会(17日)や睡眠講座の開催にひな祭りの準備(18日)、地震を想定した避難訓練(19日)などがありました。また卒園アルバムのための記念撮影や、保育所保育要録の打ち合わせ、卒園式の準備など年長さんの卒園に向けた準備にも一段とギアの入った週にもなりました。

地震を想定した避難訓練は「散歩の途中や公園で遊んでいる時にもし地震が来たらどうするか」を想定します。地震で倒れやすい物がないか、あるならそこから速やかに離れることができるか。戸外活動先と保育園の連絡体制や通報訓練も積み重ねが必要です。もしもの備えは、想像力と実行力が欠かせません。色々な気づきを積み重ねて共有するようにしています。

◆手洗いの具合をチェック

成長展では、会場に入る前に「手洗いチェック」を体験してもらっています。蛍光剤入りのローションを塗ってから手を洗ってもらい、ブラックライト(安全な波長の紫外線)に照らすと、洗い残したところが白く光ります。上手に洗えているかどうか、試していただき、残りやすい箇所はどこか、洗い方の癖や弱点を知って、洗い残しのない手洗い方法を身につけましょう。

◆実習生の受け入れ

ところで、新柄コロナウイルス感染対策は変わらず続けていきますが、緊急事態宣言の延長で急遽、実習を受けることができなくなった学生救済のために、15日から東京家政大学(2年生)の実習生を一名受け入れています。3月1日までの12日間です。

保育所は学生が保育士になるために養成する機関でもあります。保育士養成のコアは実習です。これが実施できない養成課程は、とても大事な学びができないままになってしまいます。感染防止と両立させながら、実習ができるように応援しますので、保護者の皆さんにもご理解のほど、よろしくお願いします。

さて、月曜からは2月最終週になります。25日は誕生会をバス遠足で実施してみます。毎日を大切に過ごしていきましょう。

協力ゲームについて

2021/02/20

保育園が子どもにとっての生活の場所で、家庭も同じ子どもにとっての生活の場所であるとき、その両方の生活環境の同異に敏感なのは、自分の子どもを保育園に預けている保育士かもしれないと、気づきました。先日、その先生と保育園にある遊具を家庭にも紹介したいというテーマを語り合いました。19日の「わらすのブログ」をご覧ください。

◆園の遊具と家庭の遊具の違い

保育園にある遊具は、確かに家庭にはあまりないかもしれません。それはなぜかというと、家庭向けは一人遊びの玩具が主流なのに対して、園では複数で遊ぶことを想定したものが多いという傾向があるからかもしれません。

たとえば、東京おもちゃ美術館の館長の多田千尋さんとは知り合いなので、前の保育園に園内研修などで話をしてもらったりしたことがりますが、昔から彼とよく語り合ったことは「グッドトイ、つまり良いおもちゃというのは、一人の子どもにとって、という暗黙の前提があるよね」ということでした。彼の父親の信作さんは世界各地のおもちゃを収集して、世界中の良いおもちゃの種類と歴史にとても詳しい方ですが、彼はそこからおもちゃの美術館が生まれ、遊びとアートをを子どもから高齢者まで、また家庭から団体まで多方面に発展させる活動に邁進されています。日本で初めて「木育」ということを提案したのも彼です。

保育園の遊具は、一人遊びから集団遊びまで、赤ちゃんから就学前まで、遊具を含めた素材や物(廃材や水や土など)など幅広く関わる対象を捉えていることが「おもちゃ」とは大きく異なります。子どもが必要とする遊びにとっての「もの」は遊具だけとは限らないからです。

◆子どもの協同性を育てるボードゲーム

しかも当園のボードゲーム類は、協力ゲームと言って、何人かで遊ぶのは普通のゲームと同じなのですが、できるだけ「誰かが勝って終わり」に「ならない」ようなものを増やしています。何人かでうまく協力した方が勝ちとか、勝ち負けがなくて何かが出来上がって終わり、とか、協力し合う工夫の仕方が多様であるなど、複数の子どもたちが協同性を発揮するようなものを意識して導入しているのです。

そんな協力ゲームは、日本にはあまりなくて、国や文化が異なる子どもたちが一緒に生活していることが多いEU各国、特にドイツやフランスの遊具には、コーヒージョンと言って、人と人と結びつけるという機能を大切にした遊びが多く取り入れられています。意識して人と人をくっつけることを乳幼児の頃から保育実践として行っているのです。移民が多い国は、州政府がそういう政策に力を入れています。日本も単一民族ではないのに、そういう幻想が強いので、何もしなくても一致団結できると思い込んでいる節があるのですが、実は社会学の研究では、日本は他者を信頼する力が弱いと言われているのです。エコ贔屓はよくするのですが、外部とみなすと非常に冷たい国民性があります。

日本には絆という言葉や「結ぶ」という言葉がありますが、それが人間としての学びや経済活動の中で、他者との関係をしっかりと作り上げる人間力として、しっくりと使われる機会が減っているような気がしてなりません。放っておくと、色々な競争に追い立てられ個人や家族が分断されていることに気づかずに、孤立している人が増えているように思います。それはコロナ危機で露わになっていて、こんな時に苦しい立場になっているのは、日常的な協力や支え合いの生活から孤立されている方たちです。

子どもの頃から、そもそも人間が持って生まれてきた協力する力や環境を理解することは、脳に初期設定されているものです。それがデフォルトですから、他者のお手伝いを率先してやりたがるのは人類の特徴です。エプロンをつけたがり、お手伝い保育をやりたがり、ひな壇飾りを手伝いたがるのは、学習ではありません。ただし、ここが肝心なのですが、小さいうちからそれを「発現させる」ような環境、つまり人的環境がなければ、育たないということです。

異なる他者が集う場所に協力ゲームがあるといいのです。ミュンヘンには街中にボードゲームカフェがありました。神田でも似たような店を見かけましたが、コロナでその後どうなっているでしょうか。

意欲と思いやり

2021/02/19

2歳4ヶ月の子がお友だちに何かをやってあげたいと思った時、やり始める前にその相手に「自分でやりたい?」と尋ねることができるーー。今日19日の「ちっち・ぐんぐん」のブログを読んで、次の2つの意味で私は大変嬉しくなりました。1つは子どもの育ちが嬉しいこと。もう1つは、その姿に、先生たちが感激していることです。この子の姿に当園の子ども像が実現しているのですが、お分かりでしょうか?

まず、最初にUさんが「やってあげたい」という姿にUさん「らしさ」を感じます。とてもお世話が好きな子です。そこには、お友だちにステイやエプロンをつけてあげたい!という強い「意欲」を感じます。そして、ここからが凄いのですが、それをそのままやってあげてしまうと、これまでの経験の中で、場合によっては相手に嫌がられたり、嫌われたりすることもあったのかもしれません。その経験からなのかどうかわかりませんが、いずれにしても「待てよ、自分でやりたいかな?」と、相手の気持ちを確かめようとしています。

これは自分の気持ちと同じ気持ちを、相手も持っているのかもしれないという想像力の育ちがあります。これは世間では「思いやり」と呼ぶ力と同じです。相手の思いを想像する力です。相手の気持ちを察する力、共感する力です。Uさんらしく、意欲的で、思いやりのある姿です。これはまさしく当園が目指している育ちの姿、つまり保育目標である「自分らしく、意欲的で思いやりのある子ども」そのものではありませんか。この育ちが見られることが嬉しいですし、この姿に感激している先生がいることに、さらに嬉しいのです。

この姿はUさんに限りません。どの子もその子らしく、意欲と思いやりが育っています。実はこの2つの要素は、思春期になった頃に花咲く根っこです。この発達課題がしっかりと身につくとき、同時に自己肯定感も培われています。これは人生を力強くスタートさせるエンジンを手にしたと言っていいのです。この2つは昔、平井信義さんが大切にしていたものと同じです。

さらに私にとって、格別に嬉しいのは、次のことです。

「思いやりは、道徳心ではありません。躾のように外から形づけられるものでもありません。あくまでも心を通わせ合っているお友達との関係の中から、自ずと芽生えてくるように育つものではないでしょうか」

この育ちの真実を、このエピソードは明かしているように思えるのです。

 

 

睡眠の質を良くする安心感と満足感

2021/02/18

月に2回のペースで開いてる睡眠講座「マムズサロン」は今日で15回目になります。今日は4月の入園が決まった保護者の方の参加がありました。子どもは成長していくにつれて、睡眠に関する課題も変わってきます。特に保育園での生活が始まると、家庭とは違った環境での過ごし方になります。家庭とは違う環境での「午睡」もあります。子どもの睡眠の質を良くするには「安心・満足」な気持ちで睡眠を迎えることができるといいでしょう。それは保育園の午睡も同じかもしれません。

保育園生活に「慣れる」には、次の3ステップが必要になります。まず、起きている時間に「遊び」を通してお友達や先生と仲良くなること。次に保育園の「食事」に慣れること。授乳や食事の味や食べ方も家庭と違うかもしれません。

そして、3つ目が「午睡」です。家庭と異なる場所で親御さんと離れて寝ることができること。こうやって、遊び、食事、睡眠のぞれぞれに違った「慣れ」が必要なことを感じていただけると思います。それぞれが「安心・満足」なら素敵です。そうなるとき、遊びも食事も午睡も、質が高い営みになることでしょう。睡眠講座では、毎回、睡眠インストラクターの永持伸子さんが、この睡眠の質を高めるためのコツを、詳しくやさしく説明してくださいます。

今日は夕方に雛人形を飾りました。子どもたちも綺麗な赤い布を敷いたり、人形を並べたりすることが楽しくて、せっせと手伝ってくれました。場所は昨年と同じ3階から屋上へ向かうところで、階段をひな壇代わりにしました。ただ、まだ完成していません。というのは、お手伝いをしてくれていた子がお迎えの時間がきて「やりたかったお人形を並べ終わること」ができなかったので、あえて五人囃子の楽器を手にするお供えを明日に残してあります。明日19日がお雛様を飾るのに、ふさわしい日でもあります。

「入園説明会」開かれる

2021/02/17

今日17日(水)は午前中に「入園説明会」がありました。来年度令和3年度も定員は変わりません。51名です。新しく0歳児クラスに6名、1歳児クラスに1名、2歳児クラスに2名が入りました。3歳児クラスは千代田区によると2時募集で決まるそうです。新しく入園される方のためにも、保育園の考え方やルールなどもお伝えしていきます。すでにご存知の方は繰り返しの話になってしまいますが、再確認の意味でもお読みいただくと嬉しいです。

◆集団生活のメリット

本日、新しく入る保護者の皆さんに理解を「お願い」したことがあります。それは「園生活」が集団の場所であるということです。すでに入園されている皆さんは、何度もお伝えしてきた「アロペアレンティング」のことはご理解いただいていると思いますが、子どもたちは親だけでは育ちません。アロは否定形の接頭辞prefixで、親の子育てを意味するペアレンティングの前についているので、「子育ては親による子育てだけではない」という意味になります。子育ては親御さんだけではなく、私たち保育園の職員や、園にいる子どもたちと一緒に作り上げていきたいと考えています。

実は、このことは学術的にもヒトの子育ての特徴として理解が広がりつつあります。日本乳幼児医学・心理学会でも、理事長の根ケ山光一・早稲田大学教授が次のように述べています。

「親以外の人たちによる子どもの育ちへの関わりはアロペアレンティング(アロケア)システムとして、ヒトの子育ての大きな特徴となっています。このことは、私たち人間の子育てが母子のみで完結しているのではなく、そういった豊かな社会文化的システムのバックアップ抜きには語りえないことを教えてくれています」

https://www.jampsi.org/message/

子どもが子「ども」と複数形で表されているように、子は人間と人間の間で育つものです。特に保育園では、乳児の頃からその子ども同士の関わりがあるので、私たち人間のDNAに刻み込まれている発達が発現しやすい「人的環境」になっていると言えるのです。

◆集団であることのリスク

それから理解をお願いしたもう1つは、集団ならではのリスクです。メリットと同時にリスクであるのは、感染症などがうつりやすい場所だということです。お子さんは、元気な状態で保育園にお預けください、というお願いです。発熱、咳、鼻水、嘔吐・下痢、発疹などの症状が現れたら、それは感染症である可能性があり、それだけに医師の診断を仰いてほしいということです。

たとえば、冬はウイルス性の胃腸炎が流行ります。子どもは嘔吐するとケロリと元気になったように見えるのですが、実はそれは感染症の初期症状であって「病児」なのです。というより、まだこれから病気になっていく途中です。症状は治ったように見えても、ウイルスを排泄する状態であり、まだ「病後児」でさえありません。

そこで「ウイルス性胃腸炎」に罹患している状態から「治っている」ことを医師に証明してもらう「登園許可書」の提出か、医師が治ったかどうかをみる再受診が必要ないという場合だったら「登園届」を提出していただきます。また、もし受診しないときは、嘔吐症状がなくなってから2日間はお休みいただくというルールもお願いしていく予定です。

◆成長展は今日から明日まで「ちっち・ぐんぐん」

今週から始まった成長展は、今日から乳児です。0歳のちっち組と1歳のぐんぐん組です。

小さいうちから豊かな心の動きが、画用紙に投影されている絵やぬりえやシルエット。

それがまだできない0歳のちっちさんだけは、先生が作った「成長のアルバム」があり、この1年の保育園で見せてくれた乳児の姿を、春夏秋冬のフォーシーズンに分けて写真のコラージュにしてあります。乳児の一年の大きな成長をじっくりとご覧いただけます。

 

 

 

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