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園長の日記

子どもから学ぶ働き方改革 成長展のためのミニ連載(6)表象欲求

2021/02/06

このミニ連載では、模倣について、多面的に眺めています。そうすることで、模倣の特徴や役割、広がりや輪郭がハッキリしてくるかもしれません。模倣を前から横から上から斜めから、いろんな角度から見てみましょう。すると、模倣はまるで百面相のように多様な表情を見せてくれます。あるいは「だまし絵」のように、なにも無いと思っていた所に模倣が隠れていたりします。

一見して模倣だと分かりやすいのは、子どもが何かになった「つもり」で遊んでいたり、物を何かをに「見立て」たりしているときでしょう。前者を「ごっこ遊び」といい、後者を「見立て遊び」と言うことが一般的ですが、成長展では、この2つの様子を各クラスごとに動画でご覧いただく予定です。

子どもが頭の中でイメージしたもの、想像しているもの、思い浮かべているのもは、外から子どもを見ている私たちには見えません。子どもの精神世界は本人でないとわかりません。しかし、子どもの言葉や表情や仕草や行動から、こんなことを感じているのかな、思っているのかな、考えているのかな、と想像することができます。そうやって、私たちは子どもとコミニケーションをとっています。

子どもがイメージしていることを、話してくれればわかりやすいかもしれませんが、子どもがイメージしているものは膨大で、常に動き、うつろい行くものでしょうから、ボキャブラリーの少ない子どもにとってはなおさら、言葉という表象だけでは表し切れないものです。それが何故だか不思議なことですが、子どもたちは、その印象深く「心動かされているもの」を再現しようとします。私は「きっともう一度味わいたがっているんだ」と理解しているのですが、これは私の仮説に過ぎません。

でも私が「これは有力な仮説じゃないか」と考えているのは、大人も同じ衝動をもち、感じたことや考えたことを表そうとしたり、人に伝えようとしたり、分かち合おうとしている事実があるからです。表象を作り、それを共有しようとする衝動は、人間特有の大きな欲求なのではないでしょうか。子どもは持って生まれたものとして、つまり教わったり学んだりしたことではない「表象欲求」とでも言ってよいものを持っているのだと思います。ちなみにルドルフ・シュタイナーは、生まれながらにその表象を持っているとはっきり言っています。

画家が絵を描きたがり、詩人が詩にするように、子どもたちは見てきた風景をそこに再現したり、物語を演じたり、好きな歌を歌ったりと、意欲的に再現を「やりたがり」ます。お話の「てぶくろ」や「おおきななぶ」や「ももたろう」や「エルマーのぼうけん」も、あんなに上演したがる、小さな俳優たちでした。大人の画家、詩人、ミュージシャン、俳優、料理人、都市設計士、運転手・・ありとあらゆる表現者たちは、優れた模倣遊びやみたて遊びのプロたちなのです。成長展でご覧いただく動画には、子どもの画家、詩人、ミュージシャン、俳優、料理人、都市設計士たちが登場します。

なんと生き生きと活動していることでしょう。私たち大人は、このような仕事の仕方をしないといけないなぁと、子どもの遊びの姿から働き方改革のヒントを得ることもできそうです。

 

成長展のためのミニ連載(5)模倣が遊びを盛り上げる

2021/02/05

「園長ライオン」。Sさんは私と会うとホッとしたような顔で笑って、そう言うことがあります。最近はやってないのですが、ひと頃、朝の運動タイムで私がライオンになって子どもたちを捕まえて「食べる」という遊びで盛り上がった時期がありました。私に捕まると、抱き上げられ「むしゃむしゃむしゃ、Sちゃんを食べました」とライオンの家であるトランポリンの上に抱き下ろされます。トランポリンを3歳児のわいわいは10回、4歳児のらんらんは20回、5歳児のすいすいは30回ジャンプすると脱出できます。

ネットが森で、緑のマットを迷路のように立てて、ジャングルの樹々に見立てます。そこに隠れて逃げる動物を私が四つん這いで追いかけます。子どもたちも立って逃げてはいけません。四つん這いです。地面に手を着き、自然と受け身ができる身体になってほしいからです。「お、美味しそうな子どもの匂いがするぞ。アハハ。そんな所に隠れても無駄だあー」とかなんとか、ライオン語を駆使しながら、私は追いかけます。

子どもたちの中には「(僕は)サルだよ、こっちにおいでー」などと自分が動物になって、囃し立てる子がいます。ライオンは木に登れないという設定なので、私に捕まりそうになると、子どもたちはネットやクライミングに登ります。運動してほしいから、そうやって逃げながら運動するのは大歓迎。私は「もうちょっとで捕まえたのに」と悔しがり、「あー、眠くなったなあ。ちょっと一眠りするか」と寝たフリをすると、動物たちはライオンの立髪を触りに来ます。(私には自慢のフサフサの立髪があるんです。正直者には見えるよね、ということなっているので、大抵の大人には見えません)

そして「誰だぁ、わしの立髪を触るヤツは」と、がらがらどんのように目を覚まして、「またお腹が減ったなあ」と動物を追いかけます。朝のいい運動です。時計が「リリン」となると、ええー、もう終わり?!とブーイングが起きてました。こんなに盛り上がるの理由は、昨日説明した遊びの4要素が全部詰まっているからです。競争、運動、偶然、模倣です。ライオンや動物に「見立てる」力が人間になかったら、こんなに盛り上がって遊ぶことはないかもしれませんね。

成長展のためのミニ連載(4)遊びと模倣の関係

2021/02/04

子どもが熱中して遊んでいる時、共通するいくつかの要素が見えてきます。1つは競争や勝ち負けです。鬼ごっこや、転がしドッチをしたり、ボードゲームで遊んだり、将棋を指したり、オセロを楽しんだりしている時、勝ち負けが遊びを楽しくさせています。ルールがあってそれを守ったり、新たに作ったりしながら、勝敗の行方を競います。

次によく見かけるのは、心地よい「動き」です。子どもは身体を動かすことが大好きで、性格や特性にもよりますが、じっとしているよりも、手足を動かしたり、触ってみたり、運動したりする感覚的な刺激を求めます。ブランコや遊園地の乗り物がどうして人気なのか、身体的な心地よさがあるからでしょう。

さらに、どうなるかわからないこと、AになるかBになるか、やってみないと分からないような事に興味を持ちます。「じゃんけんしよう」と言えば、大抵やります。分かれ道で「どっちにする?」と決めかねるとき、「・・カミサマノユウトオリ」などと判断を天に任せたり、サイコロを使った双六やボードゲームなど、偶然の成り行きや結果を積極的に受け入れます。

そして、この3つの遊びの要素よりも、もっと根底的で、遊びに限らず生活全般のなかで多く見られるのが「模倣」です。人がやっていることを真似したり、「物」や「出来事」と同じように、似ているように作ったりします。見たものややったこと、つまり「体験」したモノやコトを再現させよう、繰り返してみようとします。

この4つの要素が絡み合って、子どもの遊びは展開されています。ここまでは、ロジェ・カイヨワが『遊びと人間』の中で整理していますが、私はこの4つが並列的に等価なものではなくて、人間にとって「模倣」がより基本的なもので、人間を人間たらしめているものに見えます。

なぜなら人間と動物の違いがこの模倣にあったり、高度な文化を作り上げている理由になっているものだからです。そう、昨日まで語ってきたリプレゼンテーション(表象)につながる働きだからです。

子どもの表現 成長展のためのミニ連載(3)再現される表象

2021/02/04

そもそも表象などという難しそうな言葉を使うから良くないのかもしれませんが、この概念は文化の根底にあるものなので、どうしてもスキップすることはできません。外来語を日本語に訳したものなので、日常会話に出てこないものなのですが、英語ではrepresentationです。どこかで説明したかもしれませんが、sentは「ある」ということ、preが付いているので「目の前にある」という意味になって、さらにreがついているので「再び目の前にある」というのが、もともとの意味です。

◆表象の定義

表象文化論学会による説明ではこうなります。

「表象」という概念は、哲学においては「再現=代行」であり、演劇では「舞台化=演出」、政治的には「代表制」を意味しています。

そこで私は子どもの遊びを観察してきた結果、子どもはそれまで経験してきたことをもう一度味わいたくて再現しようとする傾向を持っていて、それが大人から見た文脈では「模倣」という概念に当てはまるだけではないだろうか、本人は模倣しているつもりはなくて、ただ再現して味わっているのではないか、と思うのです。

◆模倣は再現された体験である

再現しているのですから、先行する経験があるわけで、無数にある体験の中から本人の「生」にとって意味のある何かが選び取られ、それが再現されているのが遊びであろうと見えるのです。

ですから、お絵かきであろうと、積み木遊びであろうと、そこに子どもがイメージしているものがあって、それが遊びの中で表現されているなら、それは表象行為なのです。1歳児クラスのぐんぐんさんが、どこまで鬼の腰巻を想像できていたのかわかりませんが(笑)、鬼の腰巻を「再び目の前にある」ようにした作品が保育室に展示されていたのでした。

◆成長する表象

そのように見るなら、積み木で積み上がっている高い塔は、ただ漠然と積み木を積んでいるのではなくて、東京スカイツリーや広州塔やCNタワーだったりします。昨日の話では大きい丸が表象世界だとしたら、それは成長によって豊かに広がっていくと言ったのは、3歳の時は東京タワーしか知らなかったのに、今では世界中の高い塔の名前や何メートルまで覚えていたりするという意味です。子どもの住んでいる世界が言葉(表象の代表格)の習得とともに広く豊かになっているわけで、これを成長と言わないわけにはいきません。同時に豊かな学びが展開されていると言えるのです。

今回、成長展の特別展示で、遊びの中の模倣を取り上げるために、その前提となっている表象という概念について、理解を深めておいて頂きたいのです。再現したいと思う「心動かされる経験」が先にあって、その経験の質が表象の広がりと豊かさをもたらしているという関係を押さえておきたいのです。

今日3日(水)も、色々な生活と遊びの中に「再現」が起きていました。そんな視線で、子どもが何かを繰り返しやろうとしていると捉えてみると、そこには「意味のある経験が創発している」のかもしれません。その話は明日以降にまた。

鬼のイメージ 成長展のためのミニ連載(2)表象と模倣の関係

2021/02/02

◆今日は節分

子どもたちにとっての節分は、やっぱり鬼退治。福は内鬼は外の掛け声で、豆をまいて鬼をやっつけます。でも、今年は感染症対策優先のため、幼児クラスは鬼の登場は無し。また豆まきも「誤食」防止のためにもやめました。厚生労働省から通知も届いてました。豆の誤食による事故が多いそうです。にこにこ組は担任が鬼の役をやる鬼退治ごっこ(クラスブログ)を楽しみました。お昼ご飯は鬼の顔に見立てた鬼ライス。3時のおやつは恵方巻でした。恵方巻は南南東の方を向いて食べました。

私が心惹かれたのは、ぐんぐんさんのおやつの時です。Uちゃんがおかわりを欲しくて、恵方巻を半分にしてあげたのですが、どうしても1個欲しかったらしく、泣きながら訴えるのです。

泣いてでも食べたいと欲しがる気持ち。こんなに思いっきり気持ちが出せてうらやましい。こういうことをやらないようにするのが大人になることだと、私たちは思いすぎているのかもしれません。なんとも微笑ましい素直な気持ちなんでしょう。とりあえず半分食べるように促してみると、食べながら泣きやみました。

◆多様な鬼のイメージ(表象)

子どもたちの生活や遊びは、まるでお伽の国のようです。鬼が出てきては泣き笑い、おいしいものには心を奪われ、絵本や紙芝居の世界に身も心もどっぷりとつかり、面白いと思ったことを絵に描いたり、積み木で再現してみたり。子ども1人ずつ、異なる感情のうねりや起伏や物語が、生活の中で響き合っています。

例えば、今日のことだけでも子だもたちの周りには鬼がいっぱいです。絵本に出てくる鬼、桃太郎の鬼が島の鬼、鬼滅の刃の鬼。・・・お伽の国と言うのは、おとぎ話の国と言う事ですから、現実の世界ではなくて想像の世界、イミテーションの世界、嘘っこの世界です。しかしそれは、子どもにとってはそうでなくてはならないあり方です。子どもが呼吸し生きている世界です。7歳までは夢の中。そんな言い方をするのも、子どもは大人と違って半分は非現実的なファンタジーの世界に住んでいるからでしょう。例え話ではなくて本当にそういうことです。

◆表象と模倣の関係

成長展で模倣と言う切り口で子どもの姿を捉えてみたとき、きっとそこにも成長の足跡が見られるでしょう。こんな図を頭に思い描いてみてください。大きな丸があります。それは子どもが生きている心の世界です。「表象世界」とでも名付けておきましょう。その中にもう一つ丸を書いてください。それが「見立て遊び」や「ごっこ遊び」などと名付けている遊びの世界です。

例えば子どもにとっての鬼のイメージも、年齢によって全く変わっているはずです。成長していくこと、大人になっていく事は、表象世界が広がっていくこと、豊かになっていくことを意味します。外側の大きな丸い円です。それは心の内面ですから、外からは見えません。

ところが見える時があるのです。言葉で話したり、表情や仕草で伝えてくれることもあります。もう少し大きくなれば歌や詩にしたり、大人なら俳諧や小説、映画や能舞台になります。それが、乳幼児にとっては「みたて遊び」や「ごっこ遊び」が言葉や記号では語り尽くせない豊かな象徴的表現行為なのです。内側の丸い円です。内面の豊かなイメージが、みたて遊びやごっこ遊びの姿をして可視化されます。内面の世界が、外側にあふれ出してくるようなものです。まるで地球の中のマグマが火山を作って噴火しているかのようです。子どもの心はそれを取り巻く環境との相互作用によって作られていくと言うのはこういうことです。ですから、みたてるための材料や素材が子どもの身近なところに、置いておかなくてはならないのです。

成長展ではその噴火している遊びの様子を見てもらうことになります。そのそれが何を表しているのか、表象の意味や価値、あるいは民俗学的な意味については、また別の機会に説明したいと思います。

成長展の特別展示は模倣がテーマ ミニ連載(1)成長と模倣

2021/02/01

緊急事態宣言は延期されますが、成長展は予定通り実施します(園のニュース)。今年の成長展では「特別展示」として、子どもの「模倣」に焦点を当ててみます。子供の育ちについてお伝えしようとする行事で、テーマが模倣だと言うとどう思われるでしょうか。意外な気がするかもしれません。何の関係があるんだろうと思われるかもしれません。人の成長に真似することがどのように影響すると言うのだろうと、不思議に思われるかもしれません。

ところが実は、人間の本質の真ん中に模倣があると言っても過言ではないのです。このことを成長展までの2週間、詳しく説明してみたいと思います。

模倣と言うのは英語ではイミテーションです。本物に対して偽物がある、あの偽造品のことです。高級ブラントのイミテーションを作ったり売ったすることは違法です。パクリや贋造は褒められたものではなく、ときには犯罪にもなります。

ところが学びの世界においては、その本質は真似することにあります。学びの語源か「まねび」にあることは有名です。プラトンやアリストテレスは芸術の本質はミメーシス(世界の模倣表現)にあると喝破していましたし、世阿弥の序破離にしても、ピアジェの発達論にしても、人間の営みに模倣の要素は本質的なものとして理解されているのです。

生まれてすぐの赤ちゃんは誰に教えてもらうわけでもなく、親の表情を模倣し、模倣されることを喜び、目の前にあることを真似し(即時模倣)、目の前になくても思い出して真似をする(遅延模倣)ようにそだっていきます。世話をしてもらったことは真似をしてやってあげるようになりますし、ごっこ遊びやみたて遊びは、面白いと思ったことの再現遊びです。

普通は模倣とは言いませんが、日本語を獲得すると言う事は、実は日本語を上手に真似して使いこなせると言うことなのです。みなさんも外国語を学ぶ苦労を思い出してみましょう。語学の勉強も真似をして発音する、真似をして文字を書く、そういう練習の本質は模倣力であることに同意してくださることでしょう。

ことほどさように、人の成長と模倣は切っても切れない関係にあり、その表層的なものと深層的なものが私たちの表象文化を豊かにしていることにもなります。さて赤ちゃんから年長さんまで、子どもたちはどのように模倣しているのか、その姿を見せてくれるのでしょう。成長展はその様子を動画で点描していきます。

 

おおらかに、ゆったりと

2021/01/31

千代田区長選挙があった今日31日で1月も終わり明日から2月です。保育はじめから4週間、緊急事態宣言発令から3週間が経ちました。3週目はにこにこの個人面談、4週目はぐんぐんの個人面談でしたが、1人ずつのお子さんの育ちを家庭と保育園でしっかり支えていきましょう。明日からは、ちっちの個人面談があります。

4月の卒園及び進級まであと2ヶ月。就学への準備や進級に向けた移行保育が本格化してきました。子どもたちにとって、就学や進級に期待が膨らみ、「やはく来ないかなあ」と、待ち遠しく思えたり、意欲的に向かっていけるようにしてあげたいと思っています。「こうできないと何々になってしまう」といった雰囲気にならないように、心配事が先立ってしまわないように配慮していこうと思っています。写真はちっちぐんぐんの移行保育、2階で運動遊びをしているところです。

継続書類の提出は、すみましたか。もし忘れていたという方がいらっしゃったら、事務所に提出してください。千代田区の回収が8日になりましたので今週まで受付可能です。4月新入園児の内定も8日の予定です。2月から年度末に向けての仕事と、新年度開始に向けての準備が同時並行で進んでいきます。忙しい年度末が始まりますが、子どもたちにとってはいつものようにおおらかに、ゆったりと、笑顔の絶えない楽しい毎日を過ごしていけるようにしていきたいと思います。

藤森先生の研修

2021/01/30

今日はズームによる研修がありました。講師は藤森平司統括園長。参加者は全国のギビングツリー(GT)加盟園の先生たち約120人です。テーマはコロナ時代のおける保育です。保育園は家庭に代わって預かる役割だけではなく、これからの時代に必要な教育の役割について考えました。以下は要約です。

コロナの影響で明らかになったのは2つあります。まず1つ目は子どもへの影響です。子ども同士の関わりがなくなることによる悪影響です。子供の育ちにとって集団の場は不可欠であることが明確になりました。保育園は社会的スキルの基礎を培うために必須の場所なのです。

もう一つの影響は、時代の危機が早まったと言うことです。何が起きるか予測できない時代の中で、人は力を合わせて協力したり、それぞれに得意な事を発揮し合って生きていくための力が求められます。どんな状況になっても、それに応じて判断して行動できる力を育てる教育が不可欠であることがはっきりしてきました。

そのための乳幼児教育のおいて、子どもが何を身に付けるかと言うと、新たな価値を見出していく力です。これまでの保育はアートに落とし込みすぎていて、もっと科学的な視点を増やしたい。だからSTEM保育が必要です。例えば積み木遊びにしても、どうやったら倒れないかを考えたり、どの公園に散歩する話し合うなら、どういうルートを歩くかの見通しを述べ合ったり。それがプログラミング教育になります。科学的な視点の重視は物事の因果関係を考える力を育むことにもなります。

子ども同士の関わりから育つものを重視し始めたのはシンガポールや中国です。見守る保育を導入するようになってきています。特に国の人口問題から一人っ子政策を取った中国は、その見直しの中で乳幼児からの子ども同士の関わりの大切さに気づいたのと事でした。

またリモート保育のメリットデメリット、教科書のデジタル化などメディアのあり方などの話もありました。その後、乳幼児のとっての大人のマスク、保育園への共感的支援など参加者からの質問に答える質疑応答も行われました。

1月の誕生会:自分と他者、世界をつなぐコミニュケーション

2021/01/29

今日は1月の誕生会がありました。今月は4人のお友達が誕生日を迎えました。それぞれ1年の成長をお祝いしましたが、コロナ感染対策のためにみんなで集まる事は止め、クラスごとにお祝いをしました。

子どもの頃の1年は、とても大きな変化ですが、大人になると一年の違いがわからなくなってしまいます。それに引き換え乳幼児の1年はとても大きな意味があります。例えば2歳になった子にとっての1年は2倍の変化ですし、3歳になった子にとっての1年は3分の1の変化、4歳になった子にとっては4分の1の変化になります。現在の自分が一年の間に相当大きく変わっているのですから、大きな成長ですよね。

その変化の中で人間らしいものは、自分と世界とのコミュニケーションの力にあると思います。自分と他者との違いは、いろいろな二者関係を積み重ねることによって気づいていきます。そのプロセスについては、ちっちのブログをご覧ください。幼児になってくると、自分と異なる世界の暮らしや文化にも興味を持っていきます。

今日の幼児クラスの誕生会では、エジプトのピラミッドやカイロの街並み、食事の様子などを坪井先生が写真で紹介しました。実際に先生が旅した話なので、ぐっと身近なものとして子どもたちは見入っていました。

これからの時代、異文化に接する機会はもっと増えます。自分と人とは違うこと、自分たちの住んでいる所と他のところは違うこと、日本と外国とは違うこと、その違いを理解しあうことが共生していく世界を一緒に作っていくためにも必要な出発点なのでしょう。

乳児から幼児まで、広がっていく世界のためのコミニケーションについて考える一日になりました。

続・「人新世」時代の保育とは

2021/01/28

(園だより2月号 巻頭言より)

先月1月号の巻頭言で述べた「人新世」(アントロポセン)の保育について、具体的にその姿を想像してみたいと思います。持続可能な社会実現のためのポイントは、地球規模の自然資源と人類の生産活動との関係の中に、共有資産(コモン)を作り出すことです。保育園からそのことを考えてみましょう。

◆食材の地産地消とエシカル消費へ

給食の食材は玄関に「本日の食材産地」を蒲鉾板で掲示しているように、日本各地からやってきていることがわかります。江戸時代に航路を使った物流が発達しましたが、基本方針は地産地消に改変することです。都市とその周辺が食糧生産の社会資本ネットワークを再構築できるかどうか。ファーストフードからエシカル消費の食卓へ。身近な小規模産地を効率よく共有することにIT技術が活用できるかもしれません。鳥インフルエンザ予防のための鶏大量処分はあまりに痛ましい。こうなってしまう経済流通の仕組みを変えたいものです。本当の安全で健康的で持続可能な食の営みを取り戻したい。

◆エネルギーの地域管理への道

エネルギーはどうでしょうか。遠くで大規模に発電して延々と送電することを減らし、地域発電の割合を高めたい。保育園はささやかながら太陽光発電のパネルが園舎の壁面についています。戦艦大和を造船した呉で再開した船の第一号はタンカーでしたが、中東の化石燃料に依存するエネルギー体質を大転換したい。それを地域の社会資源を新しい形のアソシエーション(組織)で管理したい。町会のような組織を大胆に行政がバックアップできないだろうか。

◆保育園の絵本も遊具も共有資産

岩本町三丁目は既製服問屋街発祥の地。衣服はすでにリサイクルが普通になってきました。園がよくやるバザーのように岩本町・東神田バザールが展開できないか。そういえばコモンの代表格は公立図書館。保育園の絵本も遊具もコモンです。千代田せいが文庫が子どもの文化の共有財産だというのはわかりやすいですね。しかも読み聞かせボランティアの福田さんの寄付も含まれています。

◆子育ても地域の基盤財産

実は、そもそも子育ても人類は村単位でやっていた共有コモンでした。社会福祉法人は収益事業ができません。千代田せいが保育園は全額税金で運営しているので子育ての共有資産です。株式会社は株主への配当があります。そこをどう考えるのか。そして子ども自体が未来の共有財産だと私は思うので、望ましい保育ノウハウは共有するべきでしょう。保育士も学校の教員も医師や看護師と同じように使用価値を生産するエッセンシャルワーカーですからコモンであり、国家資格があります。水や空気や住宅と同じようにコミュニティが共同管理できるといいですね。

◆競い合わせない学力(環境にマッチした生き方)

そしてどうしてもそうなってほしいことがもう1つ。それは子どもの学力評価です。個人の資質・能力を測定することは、産業革命以降に効率の高い労働者を採用するときに始まったのが起源です。人的な富を個人に還元して分断させず、それぞれが所属する複層的なコミュニティの中で個性を発揮しあえばいいのです。せめてブランドで競う大学入試の選抜評価をやめ、働きながら学び続けることができる本当の生涯学習社会のインフラを作り出しましょう。

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