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園長の日記

4月を振り返って嬉しいことは・・

2021/05/01

子どもの生活において「1か月」というのは、短いようでいながら、ある種の契機が誕生するには十分な長さがある保育期間です。新年度が始まって4月がちょうど終わったわけですが、この間に「いいなあ」と嬉しく感じることがたくさんありました。私たちは毎日、子どもたちの一瞬、一瞬にその都度の判断を繰り返しています。春の保護者会でお伝えした子育てのポイントをしっかりと理解していただいて、子ども一人一人の「支え方」を保護者の皆さんと共有できているという一体感は何よりです。

睡眠リズムの作り方(いい意味での夕食の簡素化、寝る2時間前のテレビ消し、本当に真っ暗にすることなど)、排泄の自立のポイント(尿意の自覚ができる身体的育ちという大前提など)、意欲的は食の進め方、感覚・知覚の個人差、衣服の着脱が小さな自信を育むこと、ちゃんと甘えさせることの大切さ、イヤイヤの意味など・・・色々なことをお伝えしてきました。

これらのことは子どもの自立を促すだけではなく、保護者のみなさんにとっても「ねばならない負担」からの解放につながるはずのものであり、過去に実際にあった「子育てが楽しくなった」という、多くの保護者の皆さんの体験に基づくものばかりです。それでも、まだ1か月です。健やかな毎日を気持ちよく迎えるようにしましょう。今日から5月が始まりましたが、楽しいGWをお過ごしください。

こどもの日まつり

2021/04/30

5月5日のこどもの日を前に、一足やはく「こどもの日まつり」を楽しみました。まずは、みんなで元気よく、♪屋根より高い 鯉のぼり・・・の歌を坪井先生のキーボード伴奏で歌います。

今年は本物の鯉のぼりを園舎に挙げたので、その「鯉のぼり」に乗って、大空をお散歩することにしました。素敵な絵本のお話の中で・・

一つ目の絵本は「こいのぼりくんおさんぽ」です。ねこが鯉のぼりに乗って、雲よりも高い大空をとびます。でも喜び過ぎてバランスを崩し、木の枝に落ちてしまうのですが、それをお猿さんが助けてくれます。

もう一つの絵本は「かえうた かえうた こいのぼり」。こちらは、虎の親子が登場する楽しいお話で、おとうさん虎が垣根に挙げたこいのぼりを見て、大喜びの「とらのこさんきょうだい」が、♪屋根より高い 鯉のぼり・・・の替え歌を作って、大はしゃぎするというお話。

替え歌がおかしくて、年中、年長の子どもたちを中心に大ウケでした。

その後、こどもの日をめぐるクイズ大会。「こいのぼりや ごがつにんぎょうは かざると どうなるの? ①わるいことがおこらなくなる ②おかねもちになる ③ママがすごくやさしくなる」といった3択クイズです。「は〜い」の手は③がとっても人気でした(笑)

そのほか、今日のおやつに出た「このたべもののなまえは? ①かしわもち、②はっぱもち、③ちからもち。さてどれでしょう?」とか、「しょうぶゆにはいると どうなる? ①おふろがすきになる ②びょうきにならなくなる ③からだがピカピカになる」。当たると、「やったー」と大喜び。

そしてクラスで作ったこいのぼりを見せ合ったのですが、マラカスになったこいのぼりに、注目が集まりました。

最後は、今日の行事食「お楽しみメニュー」の「こいのぼりランチ」の紹介。こいのぼりに見立てた稲荷、まりふのすましじる、からあげ、白菜のゆかりあえ、つけあわせ野菜、デコポン。そしておやつは、柏餅と野菜ジュース。

紙芝居で交通安全指導

2021/04/28

 

散歩や戸外活動を安全に行うために、今日4月28日、紙芝居を使って子どもたちに「交通ルール」を覚えてもらいました。物語はキツネのこんたくんが、おじいさんに薬を届けるというもの。

都会を通るので人間の男の子に化けてから、出発するのですが・・・

つい道路に飛び出してしまいます。

危うくトラックに轢かれそうなり、運転手さんに怒られます。

横断歩道を手を上げて渡ることを教えてもらうのですが

信号の見方を知りません。平気で赤信号を渡ってしまいます。お巡りさんに助けてもらい、

信号は青でわたることを教えてもらいます。

うまく横断歩道は渡れたものの、今度は踏切です。

電車が来ないから、踏切の隙間から渡ろうとしたら・・

電車がものすごいスピードで走ってきて、びっくりしたこんたくん、子どもから狐の姿に戻ってしまいました。

私が紙芝居をよんであげたのですが、子どもたちはシーンと熱心に見入っていました。

 

心が自ら一歩を踏み出すように支える

2021/04/28

 

園だより5月号 (巻頭言より) ホームページ「園だより」に本日アップしました

保育の要諦はなにか?と一言で核心を、と訊ねられたら「心が自ら一歩を踏み出すように支えることです」と答えます。さらに、短く漢字一文字で、と言われたら「自」になるでしょう。自然という言葉の原義ですよね、自ずから然(しか)るべくある、という仏教用語で「じねん」と呼びます。これをネイチャーに当てはめたところが、日本人の感覚の鋭さでもあるなあと、感心するところです。どうして、そう考えるのかというと、そもそもの生命の始まりは本人のことであって、本人が自ずと生き始めたものだからです。自然界の生き物は全てそうです。人間もそもそも、存在していること事態がすごいことだし、どの子も可愛くて、その子らしくて愛おしい。そのありようを、そのまま大事にしてあげたい。自分らしくあって欲しいから、そうであるように私たちは支えるようにしています。

例えると、そうですね、何がいいでしょう。昔からよく言われるのは啐啄同時です。雛が卵から孵るときに、親鳥がタイミングよく突いて殻を割ってあげることですが、出てこようとする雛自身の力が先にないと生まれないし、親鳥もタイミングよく程よい力で突かないと傷つけてしまいます。あるいは発芽の条件もそうですね。種は何もしなければずっと種のままですが、でも生長する生命力を秘めている。気温、水、空気(日光)を揃えれば発芽します。種の持つ生命力がまずあって、条件はそれを支えているだけです。

保育の例なら事欠きません。教育の五領域の「健康」のねらいは「自ら健康で安全な生活を作り出す力を養う」ことですから、ここにも「自ら」があります。危なくないようにと、なんでもモノを無くしたりして経験をさせないと、危険を回避する力が育ちません。また五領域の「人間関係」には、「支え合って生活するために、自立心を育て、人と関わる力を養う」となっているように、ここでも「自立心」が育ちのキーワードです。依存ではなく自立。他律ではなく自律です。しかもそれの力で支え合って生活しようと主体的な関係性(やさしさや思いやり)を謳うのです。

これは渋沢栄一がモットーとした「修己安人」に通じます。論語に「自分を磨いて人々の生活を安定させる」と語った孔子のことばに由来するそうですが、社会のなかで自分の志をどう立てるか、生きていく上でこれが一番難しい実践力ですね。そう考えると、その原点はやはり克己であり、先哲はそこに至る筋道の探究者ばかりでした。「自ずから」をどうやって養うか。教育界なら自己学習とか、自ら学び〜云々という「生きる力」の涵養の話になります。

では、子育てをどうするか。結論はいつもお話ししていることと同じです。環境をきちんと用意して子どもの探索欲求や好奇心を大切にしながら、選択できることを子どもに見えるようにしてあげること、その遊びや生活の中でその活動に没頭できるようにすること。それは子ども同士の関係の中にできるだけ任せて大人はあまり介入しないで見守ること。困ったらいつでも助ける用意があることを伝え、大人はどっしり構えて安全基地になってあげることです。

「こわいよ〜たすけて〜」をめぐる謎

2021/04/27

子どもの遊んでいる様子をどのように受け止めるのかという話をしていたら、ある人の言葉に「そうか!」と気付かされることがありました。3歳わいわい組のFちゃんが、ネットの高い方に自分で乗って、立ち上がって揺らしながら、ともて面白そうに楽しんでいたのです。そのときFちゃんは「こわいよ〜、こわいよ〜、たすけて〜」と言っていました。もちろん、本当に怖いわけではなく、本当に助けを求めているわけでもありません。その様子は、嘘っこの世界であり、彼女の想像力が働いて、何かのイミテーション(模倣)遊びになっています。私は「でも何をイメージしているのか、わからない、それは本人にしかわからない。地震なのか、船の上なのか、それとも何かのお話の世界なのか、それはどういうつもりなのかわからないです」そんなことを語っていたのです。すると、その人は単純に「ふりあそび、ですかね」という表現を使ったのです。

そうか「こわいよ〜」というふりあそびをしているだけ。そういうことって成立するのかもしれない。そう思えたのでした。怖いこと自体を見立てていると考えばいいのであって、何かの具体的な状況を想定しているわけではないかもしれない、そう思い直してみました。誰かになるとか、自分が具体的に体験した何か、という特定の何かではなく、「こわい思い」という、一種、一般化された「思い」や「感情」そのものを模倣することが、できているのだろうか? そんな見立て遊びが3歳児に可能なんだろうか? 地震や火事や泥棒や幽霊や鬼や、3歳になるまでにこわい思いは確かに色々体験しています。そんな体験から抽出された「こわい」という感情だけが、ふりあそびを成立させることができるものなんだろうか。そんなことをずっと考えています。

経験さえあれば、もしかすると、本人が本当はこわい思いをしていなくても、こわがっている何かをみて、それを思い浮かべているだけかもしれないですし、そんなに具体的な状況ではないかもしれない。なぜなら、霊長類は生まれる前から持っているものに不思議な模倣力があるので、そんなことくらい簡単かのかもしれません。新生児模倣と呼ばれる現象は生まれたすぐの赤ちゃんが、リラックスしているときに親の顔の表情を真似することができる現象です。舌を出したり、驚いた顔をしたり、しかめっつらをしたりすると、同じような表情を真似することができるのです。これは表層的な模倣なので、相手の意図や感情までを共感しているのではありません。

この模倣は3ヶ月ぐらいで消えてしまうのですが、子どもの遊びの中心に「模倣」がある限り、子どもが頭に思い浮かべている表象の広がりと豊かさは、大人が外から観察しているだけでは察しきれないものがあるのは確かだろうと思います。Fちゃんの模倣とは次元が違うのですが、それでも人間が持っている不思議な力、人と関わる力、間柄的な存在様式を考えると、他者に呼びかける「こわいよ〜」は、揺れるネットをこわい場所とみなし、しかも人と関わりたいという関係欲求が、こんな表象を呼び起こしている遊びになっているのかもしれません。

 

都心でも自然や季節を感じたい

2021/04/26

今日26日(月)、藤崎農場から稲の苗が届きました。明日以降、配布を始めます。日本の田植えは地域によって、あるいは稲の種類によって時期が少しずつ異なるのですが、この4月には、希ですがすでに始まっている地域もあります。多くは5月に行われます。稲をそだてるということも、根のある花を育てるのも、同じ植物なので基本は同じです。花を咲かせて実がなるのですが、稲の場合はそれが「お米」に他ならず、種でもあるわけで、そんな風に稲をまるで花のように育ててみると、面白い発見があるかもしれません。

色々な鯉のぼりができてきました。各クラスで子どもが作っているのを見ると、作り方や描き方もそれぞれのクラスで独創的です。手法は違っても、その子の思いが表れているようでおもしろですね。

園舎に挙げた「鯉のぼり」の挙げ下げを、数人の子どもと一緒にやっています。鯉のぼりを実際に触りってみて、その大きさや色合いを感じ、ロープを引っ張って挙がっていく鯉のぼりを見上げています。遠くからみえる鯉も、実際は相当大きいのですが、それを実感してもらいたい。風が吹いて泳ぎ始めると「わあっ」と声が上がります。風でロープが引っ張られる強さが、子どたちの手にも伝わってきます。

実際に手応えを感じながら、鯉のぼりが風にたなびく姿を目にするという、鯉のぼりを挙げてみる体験ですが、これには何か、色々と「良いもの」が含まれている気がしました。

 

 

 

保育園はこれまで通り〜緊急事態宣言(3回目)対応

2021/04/24

本日4月25日から、東京都は緊急事態宣言の対象となりました。期間は5月11日までです。千代田区に保育園の対応を確認していましたが、23日(金)の夜に保護者宛の案内通知が届き、保育園はこれまで通り開園を続けることが確認できましたのでお知らせします。

25日以降の出勤方法の変更等に伴い、保育の必要性が変わった方は、お知らせください。保育園も園児数の減少に伴う職員の勤務変更をします。

引き続き、手洗い、手指消毒、マスク着用、換気、三密防止など感染防止への徹底をお願いします。

 

20210423 新型コロナウイルス感染拡大に伴う対応について

親子ふれあいイベント第一弾「稲の配布」

2021/04/23

 

親子遠足の代わりの「親子ふれあいイベント」を早速始めます。その第一弾は「親子で田植え!」です。苗を配布しますので、家庭で育ててみてください。この稲は私と事務長の2人で、昨年秋に稲刈りをした田んぼの稲です。藤崎農場といいます。この田んぼは私たちの法人で長く付き合っている田んぼで、「耕さない田んぼ」で有名です。無農薬ですから、水田の中にはメダカなどの水生動物がたくさん棲んでいて、空中には虫が飛び交い、サギなど鳥もきます。

そんな生態系が守られている、これから求められているSDGsにふさわしい田んぼです。自然の風雪に晒されているからか、数年前の台風でも倒れない強さもあります。

この藤崎農場の田んぼの仕組みの紹介YouTubeです。見てみてね!
https://youtu.be/I4i9VmC_Ma4

その田植えで使う稲がもうすぐ届きますので、そのお裾分けです。容器を持ってきていただけば、荒木田土とセットで差し上げますので、ちょっと変わったインテリアとしても育ててみてください。

20210423 稲お知らせ(親子ふれあいイベント第一弾)

 

旧今川中学校の校庭で

2021/04/23

千代田区から毎月第2火曜日に借りている旧今川中学校の校庭ですが、先週は雨だったので今日23日に借りることができました。今年度初めての校庭遊びです。新しい、年中らんらんと、年長すいすいで出かけました。

年長と年中だと言っても、先月までは年少、年中だった子どもたちだけに、安全第一でゆとりを持って歩いていきました。列が広がらないように、また前のお友達から離れないように、同じペースで歩くのも難しい段階です。体力もあまりないので、まだまだ時間もかかります。また中学校まで横断歩道が大小合わせて8箇所あり、「右見て左見て、また右を見て」と交通ルールを確かめながらの散歩です。

校庭についたら、ルールを確認した後で遊びました。広々とした空間を走り回ったり、縄跳びやぽっくり、ボール遊びなど思い思いの遊びを楽しみました。

このような広い空間に出ると、普段できないだけに、喜びも意欲も全開です。ちょっと足りないぐらいの方が、大事にしたり、返って意欲が引き出されたりすることもあることがわかります。これから1年間、この子たちがこの空間をどんな風に使いこなしていくか、とっても楽しみになりました。

 

 

子どもの目線に合った実験づくり

2021/04/22

え〜、どうして? フライパンが浮いたことに、驚きの声をあげたのは、年長のKMさん。

22日(木)の幼児クラスわいらんすいの誕生会では、先生の出し物として「うく?しずむ?」の実験がありました。身近なものを水の入った水槽に入れてみて、浮くか、沈むかを確かめる実験です。やる前に、「浮くと思う人?」「沈むと思う人?」と先生が聞くのですが、それを見ていて「子どもらしいなあ」と感じるのは、「どうしてそうなるのか」ということよりも、「当たった!やったあ!」の方が嬉しいということです。

それでも、さすがに最初は沈んだフライパンが、そっと載せると船のように水に浮いたことに、素直な「びっくり感」が表れていました。でもそれは年長さんぐらいにならないと、「あれ、どうして、不思議だな」という感じになりません。多くの子たちは、答えが外れたことの方が「え〜外れた、残念」という感じであって、関心が不思議さの方にはあまり向きません。

そんな様子を見ていたら、最後にいくつかの石を入れてみると、ふんわり浮いたり、スーッと沈んだり、ふわふわと漂ったりする石があって、それは「あれ!」「え!」という意外さを表していました。そうした子どもの心の動きが見えてくると、どんな実験が、この時期の子どもたちにとって「心動かされる体験」になっていくのかが、見当をつけていくことができそうです。いろいろな実験を通して、見せてくれる乳幼児の姿から、子どもに目線に合った実験をやっていきたいと考えています。

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