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園長の日記

すいすいの成長

2020/08/05

2階のダイニングで昼食をとっていたとき、ふと、年長組すいすいの成長を感じた瞬間がありました。これは言葉で説明するのは、とても難しいのですが、かと言って、それでは動画だったらそれで理解してもらえるというものでもありません。2階から階段を降りながら「すいすいさん、なんか成長したよね」と主任に告げると「う〜ん、ほんとに。変わりましたね」と、同じ変化に気づいていました。

それを感じた時はこんな時です。昼食を久しぶりに子どもたちと一緒にとろうと、空いている席に座りました。すると、大抵、複数の子どたちは「ここにきて!」と開いているテーブルのスペースへの勧誘合戦が始まります。今日もHくんとJくんから誘われたのですが、「そこだと密になりすぎるから」と言って断ると、すんなりと受け入れたのです。これまでの彼らとは、ちょっと違いました。「へー、そんなに簡単に受け入れるんだ」と意外に感じ、その時は「密にならないようにする」ことを子どもたちなりに受け入れているんだな、と理解したのです。

しかし、その時、彼らの態度に少しだけ、自信のようなものを感じたのです。「それなら、しょうがないよね。まあ、いいか」という心の動きなのですが、「もう、それくらいのことには拘らないよ」という心の余裕もあるんです。食事は、一人ひとりが「ごちそうさま」をして、自分で食器を片付けて3階へ戻っていくのですが、その振る舞いにも、頼もしさを感じます。

年長さんだから、当然といえば当然なのですが、なんと言っていいのか、物事を落ち着いて終えていく姿を、お互いに見通しを感じあっていると言った様子で見守りあっているのです。Jくんが「いちばん最後はRくんだな」みたいな事を言っています。Sさんも、茶碗に残っていたご飯粒をきれいに最後まで食べよう、という促しにすんなりと応えて、そうしています。

どれもこれも、あえて語ることのことでもない、ほんとに些細な事でしかないのですが、その些細なことが1つずつできることは、大きな成長のための、1つ1つなのだと思います。

私たちは子どもの成長を捉えるとき、個人の育ちと併せて、集団の育ちというものを捉えます。スポーツの団体競技に例えるなら、何に当たるのかわかりませんが、一種のチーム力の育ちに近いかもしれません。お互いのことを知り尽くしており、どうなっていくかの成り行きも了解しあっている仲間が増えていくと、次への見通しへ心の余裕を持って備えることができます。そんな落ち着き払ったような態度を感じました。

(写真は8月1日のお泊まり会のフィナーレより)

 

千代田区図書館からのお知らせ

2020/08/05

 

千代田区図書館からの情報です

vol.9千代田区読書振興センターからのお知らせ0805

Vol.9おはなしトレイン乳幼児版2020夏

「おはなしトレイン」は夏と冬の年 2 回発行しています。 千代田区立図書館ホームページでは、過去に発行した「おはなしトレイン」を 掲載していますので、ぜひこちらもご覧ください。

https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/kids/bookadvise/

100の言葉

2020/08/04

「園長先生、青と紫を混ぜたら何色になるか知ってる?」と、Kちゃんが聞いてきます。「そうだなあ、きっと濃い紫になるんじゃないかな?」と答えると「ううん、違うよ、青だよ、紫と青を混ぜると青になるんだよ」と教えてくれました。これがKちゃんの実験結果の報告です。とっても真剣です。どうしても、これを「色水遊び」などと、名前をつけて、彼らが取り組んでいることにレッテルを貼ってしまってはいけません。混ぜる量で色合いが変わることに彼はすでに気づいていて、その上での発見報告です。

 

またSくんは、昨日からハマっているある曲を振り付け付きで歌って教えてくれるのですが、何の歌なのか分からなかったのですが、今日お迎えのときにお母さんに伺って謎が解けました。Sくんの頭の中でなっている曲は、私にまではリアルにそのまま届きませんが、明らかに彼はその曲が聞こえていて、それを再現することがとても楽しそうです。

 

Kくんは、色と色が混ざると色が変化することはすでに知っていても、「今度はこの色とこの色を混ぜたらどうなるだろう」という予想や期待を持ってやっている遊びであり、それは科学実験と同じ「仮説―実験―結果」のプロセスが見られます。Sくんの表現は、テレビで見たコマーシャル映像を私に伝えたくて再現しており、模倣から自分なりのアレンジを経たアーティストの表現と同じ過程を踏んでいます。

 

この二人がやっている遊びは、ほとんどの子どもがやっている遊びと同じなのですが、やっていることの本質を描き直すと、小さな科学者や小さなアーティストだと言えるから面白いと思いませんか。このように、色を再現したり、曲&振り付けを再現したりする活動は、人間しか行わない「表象」の編集なのですが、なぜか、人はこうしたことを面白がることができる資質を持って生まれてきたようです。

こんな子どもたちの様子に接していると、ここに物事を理解する時の「測定の原基」があるように思えます。例えば・・・

日本はいま何色だろう。黄?赤?青?緑?それとも・・・絵本「カラーモンスター」は、感情マネジメントの導入教材としても最適ですが、この絵本には、もう1つの色が最後に登場し、あえて感情の名前は伏せてあります。子どもたちは「○○じゃない?」といろいろな言葉を見つけてくるのですが、それが楽しい。子どもたちには、やはり「100の言葉」があるのです。

私は成熟していく社会というものは、もっと多様な色が共存ずるイメージを持っていたのですが、どうも様子が違ってきているような空気を感じます。3階のテラスに並んでいるペットボトルの色水のように、人や国はもっと多様であっていい。覇権とどう戦うか。こっちもの話も、とても難しい時代です。

コロナの気持ちになってみよう

2020/08/04

君はまた世間を騒がす、厄介者にらなってるよ。もうちょっと、静かにできないのかな?

「別に広げたいわけじゃなくて、ぼくだって、仲良くやっていきたいんだけどなあ」

じゃあ、もう少し人に移すの、やめてくれないか。陽性者が増えて、みんな困ってるんだよ。

「ぼくに、どうしろって言うんだよ。ただの粒々だよ。足もないし、手もない。空も飛べないし、自動車だって、飛行機にだって乗れやしないんだから。2〜3日ほっとかれたら、干からびてしまう、か弱き存在さ。君たちが僕にいろいろ、ちょっかい出すから、良くないんだよ」

なんだよ、そりじゃ、こっちが悪いみたいしゃないか。こんな暑いさなか、マスクなんかされられて、テレビのドラマは再放送ばかりだし、ノンフィクションは災害か大自然ものか料理番組だし、ニュースは明けても暮れても、君のことばっかり。この夏の帰省だって・・

「まぁまぁ、冷静に冷静に。そうやって、ペラペラ喋るのがよくない。ぼくのこともう、結構わかっているでしょ。僕らは細胞の中にいたいんだけど、水分がないと生きていられないから、僕らの仲間は唾液腺に溜まっているんだよ。哺乳類の中で、いや霊長類の中でも、飛び抜けて君たちは、よくしゃべる動物だし、食事をするときも分け合って、喋って食べたりするでしょ、しかもアルコールなんか発明しちゃって、ペラペラ、ガヤガヤ、大声出したり、叫んだりして騒ぐもんだから、僕たちが撒き散らされてしまうんだよ。もう少し、静かにして欲しいと言いたいのは、こっちなんだけどな」

そんなこと言ったって、言葉を獲得したり、食べ物を分けあったり、一緒に協力して子育てしたりするのが人間の人間たる所以なんだから、君にとやかく言われたくないんだがな。

「僕らだって、自分でこうなってしまったんじゃないよ。自分をコピーするときに、どうしてもちょっと差異が出てしまうんだ。それは君たちだって一緒さ。同じ地球の生命体から枝分かれしてきた兄弟だからな」

冗談じゃないよ、君と兄弟だなんて思いたくないな。

「でもしょうがない。事実はそうなんだよ。君たちも僕たちも、45億年前に同じ先祖にまでつながっているだ。まあ、君たちは僕たちの子孫だけどね」

まいったね、兄弟じゃなくて、今度は上から目線かい。でも言葉と共食は失いたいくないね。君を飛沫に紛れ込ませない方法を考えてみるよ。

「マスクもいいけど、テレパシーでも発達させたらどうだい。発話をしない意思疎通技術は、結構進んでいるはずだよ、君たちはイノベーションが好きなんだろ」

・・・・コロナくんとの付き合い方は、いろいろ考えてみる必要があるかもね。

 

 

大人こそ運動不足に気をつけましょう

2020/08/04

青い空、白い雲。屋上のひまわりが「待ってました」とばかりに、咲きました。梅雨が明けると、一気に暑くなった8月最初の平日だった今日3日、入園のための見学者と一緒に、園内を回りました。各階にベランダがあることで、暑い夏でもすぐにできる水遊びで「涼を取る」ことが可能なのは、ありがたい環境です。1階は0歳のちっち組と1歳のぐんぐん組が、2階は2歳のにこにこ組が、そして3階と屋上は3歳のわいわい組、4歳のらんらん組、5歳のすいすい組が分散して使っています。その様子を見て回ったのですが、見学者の方は、ベランダに加えて屋上にも大型プールがあることに驚いていました。「こんなところに、こんなスペースがあるなんて、知りませんでした」。私たちはすっかり慣れてしまっていても、こんな立地の保育園で毎日水遊びやプール遊びができるのは恵まれている環境なのかもしれませんね。コロナ対策で運動不足や座り過ぎが心配されている大人と違って、子どもたちは毎日、身体を動かす場所があるのもありがたいことです。

裸の王様

2020/08/02

毎週末にその週を振り返るとき、将来を憂う精神状態になるので、あまりCOVIT-19については語りたくありません。言いたいことはこれまで全て語ったので、同じことを繰り返し言うつもりもないからです。日本の国の意思決定の機能不全は深刻です。ここでは事態を見守ってはいけません。日本のこの第二波は、ついに人災になってしまいました。

昨日、こんな夢を見てしまいました。

・・・・梅雨が明けてセミの声が聞こえます。夏がやってきました。あの「裸の王様」の子どもが、火事だ!と叫んでいます。あちらこちらの町で家が燃えあがっています。でも消防車を呼ぶ人もいないのです。みんな火事だと思っていないみたいです。絵本だったら、子どもが火事だと言ったら、本当だ、火事だ、火事だと気付いてくれるはずなのに、なぜかみんな火を消そうとしないのです。

子どもがいいます「ねえ、どうして火を消さないの?」

大人がいます「坊やは火事に見えるのかい。あれは火事じゃないんだよ。大丈夫、大丈夫」と笑って歩いて行ってしまいました。・・・・・

 

火事は見えるけど、コロナは見えないので、通報を待っていても間に合いません。どこに火事があるかを調べないと消せません。その検査はあまりしないで、通報のあった火事だけの数をカウントして、「困った、困った。でもまだ重症者は前の火事よりも少ないから、もう少し様子をみてみよう」と、どこで火事が起きているのか調べようとしません。この火事は2週間後に燃え始めるので、火がついているところは、もっとたくさんに広がっているのに・・・

サーべランスの体制強化がちっとも進みません。これまでの報道で、症状のない感染者を積極的に調べることがCOVID-19の対策の常識になっていることは、私たちも学びました。日本はクラスターの周辺しか調べてきませんでした。「リンクが追えないとお手上げ」の状態は、サーベランスとは言いません。世界から見れば異端の国になりました。

東京大学保健センター

http://www.hc.u-tokyo.ac.jp/covid-19/international/

山中伸弥による新型コロナウイルスの情報発信

https://www.covid19-yamanaka.com/cont3/17.html

 

でも、日本ではどうしても「治療としての検査」の枠を超えられません。その枠を広げようと、感染症法15条の改正のために、自民党の一部議員(武見敬三参院議員)が議論を始めましたが、それを待っていたら、今の炎は広がるばかり。感染研関連の専門家は、「必要なのは全ての無症状者への積極的なPCR検査ではない」(尾身会長、7月16日)と考える人が多いのです。

一方で、この同じ16日に、参議院の予算委員会で東京大学先端科学技術研究センターがん・代謝プロジェクトリーダー 医師・医学博士 児玉龍彦氏が、いますぐに手を打たないと「目を覆うような状況になってしまう」と警鐘を鳴らし、大きく報道されました。その時の提出資料が次のものです。うちの職員がこの資料を見つけてくれました。

https://www.ric.u-tokyo.ac.jp/topics/2020/ig-20200716_1.pdf

でも、その後はそうなっていません。こちらも「本当ですか?」と思ってしまいます。確かに、ついに各家庭の火災報知器がなりだしました。保健所はすでにオーバーワークなので、このままだと検査難民がどんどん増えていくのでしょうか。

さらに混乱しているのは、専門家の考え方もマスコミの報道スタンスも、人や組織によって、その前提になっている日本型コロナの「リスク」の見方に差が生じていいます。季節性インフルと同じと言う専門家もいれば、後遺症や変異も怖いと言う専門家もいます。世の中で一番恐ろしい「怒り」と「分断」の芽が出始めました。

不安や恐れのマネジメントのためにも、やはり検査がないと実態が見えないですよね。それがないと隔離も治療にも届かないのはもちろんですが、同時に何度も行ってきましたが予防マスクで終わらせずに「いま、自分が大丈夫かどうかを把握すること」が、経済を回すことにもなるのに(私はこのテーマは、自由に生きるという、人権の問題だと考えているのですが)。

高齢者施設でも病院でも、会社に出勤するためにも、先生が教育や保育をするためにも、学生が大学にいくためにも(MITやハーバード大などは週2回など検査)。そして陽性になった時のバックアップ体制も、極めて大事。例えば保育園を閉めるのではなく、代わりの職員をちゃんと確保する体制を組むこと。施設は消毒すれば、使えるんですから。それが怖くて陽性隠蔽が始まっているのです。

それはともかく、C P R検査は高すぎるので抗原検査をもっと安くして、インフルエンザの保険点数150点程度に抑えて。報道では例えばタカラバイオは2時間で5000件を処理できる検査システムを開発したようです。検査市場が勃興しているのです。このイノベーションでもっと早く安くなるでしょう。誰もが週1回ぐらいできる程度の極めて身近なものになっていくでしょう。量販店で変えるくらいの家電化してしまえばいいとさえ、思います。

したがってそしてR N Aの変異特定を待たずに指定感染症の定義を弾力的に運用できる体制に変えるべきです。その休業や風評被害を恐れて陽性結果を隠す空気をなくすためにも。長いですからね、この先も、コロナさんとのお付き合いは。

先週号の週刊誌のインタビューで、あの「8割おじさん」こと西浦博・北海道大学教授(8月から京都大学医学部研究科)は、やはり今は「強固な対策を行わなければ、流行は収束しないメジャーエピデミック(大規模流行)の分岐点にある」と語っていました。

しかも、私たちは5月になんとなく収束したと勘違いしていて、野球に例えるなら「まだ2回表で新型コロナウイルスが攻撃している段階」だという。確かに今年の感染者が出始めてから一度も、感染者数がゼロになった日はないし、第一試合は終わっていないのです。

眠るための安心感

2020/08/01

お泊まり保育の睡眠不足を補った今、すいすいさんたちが眠りに着くまでの約1時間の間に感じたことを思い出します。ヒトが夜、警戒心を解いて眠ることができるようになったのは、家族同士が助け合い、社会が家族を守りあうようになったからですが、子どもが家庭を離れて安心して寝ていることを目の当たりにすると、ここに幸せな育ちがあると感じます。

「いいよ、大丈夫だよ、ぐっすりとおやすみ・・」

仕事柄、心の専門家と話すことがあるのですが、放任という児童虐待を受けている子どもは、目覚めた時に親がいないという不安を繰り返しているので、寝ることを恐れて拒むことがあります。当園にそのような子はいません。

また、よく昔、話題になったのは、日本の若者に自信がない、自尊感情が低いという国際比較調査の話です。この傾向はずっと変わっておらず、文部科学省も長い間、最も重要な課題としてきました。

https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html

その要素はいろいろあるのですが、私たち幼児教育にかかわる者が配慮しているのは、〈世界に対する信頼感〉です。人が生きていく上で、最もベースになるもので、その経験は思い出せません。どんな大人でも、誰でもが無意識の中で働いているものだからです。これを「基本的信頼感」と言います。ベーシック・トラストを日本訳されたものです。0歳の赤ちゃんの頃に獲得する発達課題です。泣いて応えてもらえていれば、絶望することなく、サイレントベイビーになることもなく、この力を持てます。

この力があれば、自発性がうまく育ちます。そして自分に対する自信が持てるように育ちます。何かができた時だけ褒められるしつけばかりが繰り返されると、行動が伴っても心が育ちません。形だけ、口だけで「ごめんね」と言えても、心から「悪かったなあ」と悔いる気持ちが育つとは限りません。

例えば、心のこもった「ありがとう」ができません。身近な人の痛みを感じていると自分もその痛みを感じたり、他人が喜んでいたら自分も嬉しくなったり。そういう共感できる力を支えているのが、基本的な信頼感、何があっても自分なら大丈夫という感覚です。つまり、成功や失敗とは関係がなく、条件的な根拠のいらない、無条件の自信が育つと言われています。

わかりやすくいうと「失敗したって大丈夫。またやればいい」という気持ちの持ち方ができるようになります。それが、レジリエンシー、耐性に通じます。七転び八起きの達磨さんの精神です。困った時に、こうすればいい。助けを求めればいいという安心感を持てる人間関係を作り上げることも出来やすくなります。

ところが、人間関係を作ることに苦手意識を持っている若者が多いのです。特に自分で、自分をそう考えているようです。内閣府が、令和元年度に実施した「子供・若者の意識に関する調査」の結果です。

https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/r02gaiyou/pdf/b1_00_01_01.pdf

ソーシャル・ディスタンスという言葉をこの春に聞いた時、実はドキッとしました。それを進めるのは、さらに人間関係を希薄化する方へさらに進めてしまわないかと心配したのです。SNSとは上手に付き合えば大丈夫だとは思うのですが、はやり課題は、乳児の頃からの子ども同士の関わりを増やすことと、核家族だけで完結しないように、親子関係を周りから支える仕組み作りであることは変わないでしょう。

親子関係が痩せ細ってしまうと、アイデンティティを確立させ、異性との間で力を合わせて暮らしていく課題獲得に困難を伴うようになります。これらのライフサイクルに伴う生涯の発達課題は、時代が変わっても、本質的なところは変わらないような気がします。30歳の俳優の死の話と、安心できる夜の睡眠とは、長い長い発達のプロセスという筋道の中では、つながっている話なのです。

お泊まり会(すいすい)

2020/07/31

「今がいちばん楽しい!」インタビューに答える、年長のすいすいさんたち。質問は「今日のお泊まり会で一番楽しかったことは?」の質問にこういう返事が返ってきた。ただのインタビューではなく、輪になって「爆弾」を回し、音楽が止まったところで爆弾を持っていたらバツとして質問に答えるという「爆弾ゲーム」でのこと。友達の一言一言が面白くて笑い転げていた。

 

その直前まで、目の前には、昼間に自分たちで製作したキャンドルが灯っていた。キャンプファイヤーの代わりに行った「キャンドルナイト」のセレモニーでは「今日も友達、明日も友達、ずっと友達さ」という歌詞の「キャンプだホイ」と、忍たま乱太郎の主題歌「勇気100%」を歌った。

その前の夕食は、蜂蜜をかけるスパゲッティミートソース、麻婆豆腐などをみんなで食べたが、これらのメニューは、何度も話し合って決まったもので、それまでのミーティングの経緯は、階段に掲示してあった通り。美味しそうに、おかわりもしてました。

今日のお泊まり会は、古野先生の絵本『カラーモンスター』の読み聞かせから、静かに始まりました。自分の気持ちを何色にしたいか?というモチーフが今回の、お泊まり会には流れています。そして今、楽しい気持ちのまま、みんな夢の中にいます。

すいすいの保護者のみなさんには、コドモンでお伝えしましたが、どうぞご安心ください。明日、詳しい報告をさせていただきます。

できることはやりましょうcocoa登録

2020/07/30

感染確認アプリcocoaを登録すると、自分が過去14日間に「陽性者」と接触したかどうかが、分かります。もちろん限界はありますが。

人と接触する機会が多い方は登録するといいでしょう。

今日30日に東京都の陽性者数は過去最高を更新しました。でも、7月10日ごろには400、500になるかもしれないと思っていましたが、22日ごろに増加率が減っていることから感染時点はピークを超えていることがわかり、その通りになってきました。これ以上は増えないで横這いで行ってほしい。しかし先の連休の影響がどう出るのか? いったん100ぐらいに減ってまた来週あたりに200台まで増えて2つのこぶができるかもしれません。地方の方が心配です。

 

いまをていねいに生きる

2020/07/29

 

園だより8月号 巻頭言より

三浦春馬さんはALS患者の澤田拓人だったのでしょうか。そんなことを考えても仕方がないのに、彼の訃報に接してから、どうしても2014年1月放送のテレビドラマ「僕のいた時間」(脚本・橋部敦子)のことを思い出してしまいます。人は対人関係や社会的立場を円滑にするために、仮面(ペルソナ)をかぶって生きるようになるのですが、普段はそれが仮面だと無意識に気づかないようにもしています。そんなことはないと、違和感を感じないで生きているなら、それは幸せなことです。

心理学では社会への「適応」が仮面のことでもあると説明されることもあるわけですが、仮面だと感じる人は、生きていて居心地の悪さを感じているからでしょう。たとえば周りに合わせて生きている自分に気づき、それが「仮面をかぶっている自分」に思え、本来の自分があるはずだと「自分探し」をすることが若者に共感をよびました。私は当時の園だよりで、卒園していく子どもたちが、自分らしく過ごせて良かったと、このドラマを引用して祝福しました(写真)

それから6年。彼らは今年中学生になりました。そして今ふりかえると、改めて「ペルソナ」が気になってきます。仮面なら「外せる」と思えますが、自分探しは取ってもまた新たな仮面が出てくるだけであり、それは剥き続けても芯などないラッキョウに似ていています。それがわかると、今度は「目的を持って生きる」という受けのいい仮面が登場しています。今はとにかく我慢しよう、目的を達成するように頑張ろうと。政府も忍耐力などの「社会情動的スキル」の育成を盛んに持ち出すようになりました。

子どもたちが「現在を最もよく生き」それが「未来を創り出す力」にすることが保育の仕事です。子ども同士の関わりの中に、それぞれの思いが生まれます。「そういうことだったのね」とわかることがよくあります。傍らでそれに共感して見守っていると、子ども自らが動き出してくれるものです。「ああ、そうしたかったのね」と気づいたり「あれ、そうきたか、考えたね」と感心したり、「すごい、さすがだな」と感動することも多いです。

そんな子どもの自発性と可能性を感じるとき、私たち大人も勇気づけられます。子どもには真心を持って初めて、子どもから打ち明けてくれる心と出会える時もあります。子どもが持っている力を信じることから、私たちも未来のために前に進むことができるような気がしてくるのです。社会で起きている現象に関心は持ち続けても、決して振り回されないように、毎日を丁寧に生きたいものです。

(6年前の巻頭言より)

 

 

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