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園長の日記

今日の7不思議

2020/07/16

◆ 不思議なこと1 県を跨ぐと危険?まさか!

ゴー・ツー・トラベル・キャンペーンから東京発着を外した理由を聞いていると「?」と思う事がいろいろあります。感染経路は接触感染と飛沫感染であり、接触感染は清掃・手洗い消毒で防ぐので旅行とは無関係。飛沫感染も「1メートル以内15分以上」の密接、換気の悪い閉鎖空間という「密閉」、多くの人が集まる「密集」を避けることにあるので、これも旅行とは無関係。移動距離や県を跨ぐ跨がないはリスクとは本来なら関係がない。もし旅行プラン自体に三密が生じるものなら、どこから乗ろうがそれ自体がアウトです。つまりは「都民1400万人には、元気な無症状感染者が多いだろうから除きましょう」ということなのでしょう。

◆不思議なこと2 まさか、またマクロ確率の対処策?

解決すべき問題は、3月に議論されたように①自分は安全なのかどうかわかるような自己診断の手段を増やすこと(例えば大阪大学免疫学フロンティア研究センター宮坂昌之教授らの『抗原検査キット』など)か、②その手段が間に合わないならマスクをして「人と接する機会を減らすこと」今の新生活ーーしかないことになってしまいます。いまだに自己診断キットはないので、また②の自粛要請に追い込まれてしまうのでしょうか。でも経済は止めないので、何も対策がない以上、このまま感染は確実に拡大します。止まる要素がないからです。

◆不思議なこと3 観光が経済の起爆剤?

日本のGDPに占める観光業の割合は5%でしかないのに、それだけが経済の牽引車かのように報道されているのはどうしてなのでしょうか?まさか二階俊博自民幹事長が日本旅行業協会会長だからだけではないでしょう。冷え込んだ農業や輸出産業や地場産業振興策もいろいろ議論されているというのに、これも不思議です。1・4兆円をどうか、うまく使ってもらえますように・・

◆不思議なこと4 尾身会長「4月前の状況とは異なる」はなぜ?

あの「オーバーシュート」とか「個発例」とか「リンクを追えない」とか「実効再生産数」などの専門用語を人口に膾炙せしめた尾身氏が、今日の専門家会議では、とっくにその危険水域を超えているはずなのにどうしてなんでしょう? 実は最初のオフピークに至った効果策が何だったのかわかっていないことや、緊急事態宣言前に感染ピークを終えていたことは明らかになっているのですが(そのことは政府はあまり言いませんが)何が効果があったのかが分析できずに終わったこと、つまり正確な判断材料が入手できない仕組みのままであることが、こうした判断になる遠因の一つなのでしょうか。

◆不思議なこと5 年齢別の対策になぜ変えない?

若い人が多いとまるで「等閑視」で、高齢者や子どもに波及しそうだと「注視する」という専門家のリスク判断は医療体制への影響の話としてはわかります。感染爆発を招くと医療崩壊になるから、小刻みにブレーキをかけて波は小さく抑えるという方針だったはず。その方針をやめるのなら、早期発見隔離が前提の指定感染症から外したらどうか。たとえば食中毒が発生したお店は営業停止にするような運用ではダメなのか。食中毒の場合は補償などないけれども。

◆不思議なこと6 250件のクラブと8000人のホスト

ホストクラブは土日まで営業して月曜が休みが多いそうだ。体調が変だと思って月曜日にCPR検査に行くので月曜に検査した結果が出るのが4日後の木曜日。木曜日に数字が跳ね上がるのはこのためだそうです。このような実態が報道されていた6月中旬からすでに1か月が経ち、都知事選が間に入ったスケジュールも運が悪かった。関係者の中には、こうなることはわかっている人がいたとしか思えないわけで変えられないもの、語られないものがあるのでしょう。そこの情報開示、なんとかならないものかと。

◆不思議なこと7 結局は有効な対策は?

旅行の割引や特典がなくても、旅行に行く人は行きます。仕事の出張で働く人は働きます。移動は今より減ることはありません。今の局面まで来てしまったら、はっきり「動くな!」という強いメッセージとを出さないやらない限り。ですから②はもう無理なのです。都内でのマイクロツーリズムを奨励しながら、「不要不急な外出をしないで」は、矛盾しているから受け止めるのが難しい。それなら、なにか〈通行手形〉のような安心証明の何かを作らないと、長い潜伏期間に10人のうち2人が広く感染させてしまうので、相手は安心できずに、現在進行している無要な警戒と、恐れと不信と萎縮が増幅されてしまいます。また国民の間に「分断」が持ち込まれそうです。原点は三密回避、ソーシャルディスタンスの徹底で、違う行動になっても相手に優しくありたい。どうか、分断されませんように。

 

子どもが「文字」を覚える意味

2020/07/15

毎週月曜に、布川保育士が年長すいすいの子どもたちに「習字」を教えています。子どもが「言葉」を獲得する仕組みは、いまだに解明されていないことが多いのですが、人が後天的に発明した「文字」の習得に関しては、いくつかの知識と技能が組み合わさっています。

以下の文章は、大学の授業のために書き下ろした印刷教材の一部です。ちょうど幼児と「文字」の出合いについて説明したものになります。少し引用します。

(1)文字の誕生

言葉は聞いたり話したりすることによって、持って生まれた力が環境と関わって身についていくものでしたが、今回は、その言葉が文字のように書かれたもの、平面(2次元)に痕跡を残す表象となったものについて考えましょう。

聞いたり、話したりされる言葉は、物質ではありません。その場で消えてなくなります。文字が発明されるまで、人間は聞いて話すことしかしていなかったので、人が覚えておくしかありませんでした。ですから人間が作り出した表象は、人間の頭の中から他の人の頭の中へ「脳の記憶」を使って伝承されていくことしかできませんでした。これを口承文化といっていいのでしょう。もちろん文化全体の中には、道具や多様で高度な生活方法が伝承されてきたのは間違いありません。埴輪や縄文土器のように物質化したものの一部の遺跡を通じて、必要な表象は伝承されていったことが考古学で証明されてきています。

日本にどのように書かれた「日本語」が成立していったのか、という歴史的変遷については、小池清治の『日本語はいかにつくられたか』(筑摩書房)をお勧めします。

(2)漢字との出合い

日本人は3〜4万年前にアフリカから何万年もかけてやってきたホモ・サピエンスが日本列島に住み始めますが、その頃はもちろん、つい最近まで文字を持っていませんでした。青森の三内丸山遺跡などで1万年も続いた縄文時代も、その後の弥生時代も文字がありません。ず〜っと、オーラル・ソサエティでした。そこへ大陸から漢字がやってくるのです。西暦57年、中国の光武帝の時期です。日本書紀によると4世紀末ごろ百済の王が馬2頭を贈ってきた時、当時の天皇(応神天皇)の太子が百済からきた馬飼の阿直岐(あちき)に文字の読み書きを習ったとされています。これが歴史書で確かめられる日本人に最初に文字をもたらした古代日本の初期の出来事です。応神天皇は早速、使者を百済に遣わして、王仁(わに)という人が持ってきたものが「論語」や「千文字」など11巻だったのです。こうして日本に入ってきた書き言葉は「儒教の言葉」でもあったのです。その後も儒教学者が招かれます。

(3)ひらがなの誕生

その後、711年(和銅4年)、皆さんもご存知の「古事記」は、元明天皇の命で、頭の中に覚えていた稗田阿礼が話したことを、太安万侶が文字として残した、という話を日本史で学んだと思いますが、書かれた文字は漢字ばかりです。漢字の音を、話し言葉の音に当てはめていったのです。いわゆる万葉仮名です。「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微尓」と漢字を並べて表しました。今なら「八雲立つ出雲八重垣妻籠に」(やくもたつ いずも やえがき つまごひに)と表記するところです。これが当時の日本語の「文字」です。まだ平仮名もカタカナもありません。当時は紙や竹に墨で文字を表していたので、漢字を筆で書くのは画数が多くて大変でした。柿本人麿や大伴家持らの万葉歌人たちは、歌を詠むときに、「万葉仮名」を筆で崩してかくから、草仮名や女仮名が生まれて、それが「ひらがな」になっていったのです。またカタカナは中国からもたらされた経典を音読する時の「声符」や「ヲコト点」から生まれました。主に僧侶が使ったものです。漢字の扁や旁からできました。たとえば、アは漢字の「阿」の扁ですし、イは「伊」の扁です。またウは「宇」のウカンムリ、エは「江」の旁です。仏教の経典を音読する時に、使われていたものです。漢字で書かれたものを、数万年間、日本人がずっと使っていた「話し言葉」にいかにして変換するか、という方向へ向かって約1200年をかけて変わってきているのが「書き言葉」としての文字なのです。私たちは、漢字、ひらがな、カタカナを上手に混ぜて使っているということになります。さて、子どもには、どのように出合っていくのがいいのでしょうか。

(4)子どもが出合う日本語の文字

子どもが文字と出合っていくのは、日常生活の中で見かける看板や絵本などが最初になります。人とのジョイントネス(前回講義)が強い子どもは、大人がすることに興味を持ち、その意図やねらいを感じ取って自分でもやっていこうとします。そうすると、大人が文字と接している場面を見せることから、子どもはその「文字」の世界が自分の視野に入ってくるようになります。人は何事も見ようとしないと見えないので、子どもが「文字」に気づいていく過程がここにあることになります。では、そのプロセスはどのようなことが起きているのか、最初にまとめてみましょう。

(5)幼児が文字を覚えるまでのプロセス

このプロセスについて、松岡正剛が『千夜千冊エディション ことば漬け』(角川文庫)第三章「日本語の謎」の中でわかりやすくまとめているので、それを引用します。

 ①知覚しているモノやコトが単語になりうることを理解すること

②その単語は文字であらわすことができるということがわかること

③喋っている言葉(母語)はそれらの単語をつないで成立しているということを納得すること

④一方では、文字の群を読んでそこに意味(文意)を感じられるということ

⑤その文字群は自分だけではなく他者にも同様の理解を伝えていると感じられること

⑥そうだとすると、自分の思いを言葉にして文字群によって綴ることができると確信できること

 

これに続いて松岡正剛は次のように書いています。

<これらの前後関係はともかくも、さまざまにつながって「言葉と文字の関係」が成立する。のみならず、このプロセスには段階ごとに異なる才能が要求され(よく喋る子がよく書けるとは限らない)、このプロセスのいずれかを示唆できる「教師モデル」が先行して、言葉と文字の関係を外側から教えるしかないのである。長らく文字を知らなかった日本人が、縄文以来の母語である日本語(倭語)を文字におきかえるにあたって、どんな工夫と苦労があったかを知るということは、以上のような学習と工夫がどのように起こったかを、どう説明するかということに重なってくる。>

文字を読んだり書いたりできるようになること、つまり子どもが文字を覚えていくことは、話し言葉とは違って、先天的なもの、持って生まれた力には根ざしていません。全て後天的な人間が作り上げた歴史的な文化に根ざしているので、上の箇条書きされた6項目を「学習」していくこと、「学んで」いくことが必要なのです。

マムズサロンの今後の予定

2020/07/14

 

今年度の睡眠講座「マムズサロン」はすべてZOOMで開くことになりました。

時間は毎回午前10時から11時です。

7月10日(金) 実施済み

7月22日(水)

8月7日(金)21日(金)

9月11日(金)25日(金)

10月9日(金)23日(金)

参加したい方は、電話かメールでお知らせください。

03-6811-6686

c.seiga@chiyodaseiga.ed.jp

Mam’s Salon 全体ポスター(2020年度)

東京の感染抑制策は大丈夫か

2020/07/13

◆ 納涼会の参加者ルールはより厳しく

7月18日(土)に行う予定の「納涼会」ですが、感染防止策を徹底して実施します。千代田区と相談しながら準備をしてきましたが、じわじわと市中感染が始まってしまったようなので、参加者の制限もやむなし、と考えています。保育園での感染を防ぐために、以下の方は参加をご遠慮いただくことになります。例えば2週間以上、子どもと一緒に生活していない方や、職場の感染者と接触した可能性がある方です。自覚症状がなくても感染している可能性が高い社会情勢となってしまいましたので、ご理解のほど、よろしくお願いします。

◆協力要請の基準日から14日も過ぎても・・

東京都の市中感染が危惧されて早くも2週間も経ってしまいました。不顕性感染者の割合を推定できるモニタリング体制を早く構築してほしいと6月30日にこの日記に書きましたが、すでに感染爆発の局面に入ってしまいました。というのは、厚労省は6月19日に「感染者が10万人あたり2.5人」になった時点で社会への協力要請をしないと、遅れれば遅れるほどオーバーシュートしてしまう、と推計していたからです。協力を要請すべき日は6月30日でした。

新たな流行のシナリオについて

 

このグラフの前に、次のような説明があります。

◆本当に、本当に大丈夫なのか?

これを読むと、協力要請の効果がないと「感染爆発してしまい、集団免疫を獲得するまで収まらない」というのです。その条件は「実効再生産数の低下が4割程度にとどまったら」というのです。前回の実効再生産数の推定値は、自粛などによって1.7から0.7へ約6割減少したのです。あれだけの犠牲を払ってやっと「1」を下回ったのですから、今日7月13日の時点で、協力要請を出さないといけなかった基準日6月30日から2週間も経ってしまったのです。本当に大丈夫なのでしょうか。

リンクの追えない人が毎日100人を超えています。本当の計算はこうではないのですが、わかりやすくするために過去14日間に、もし感染者一人が毎日2人に感染させているとしたら、2の14乗は16384ですから、100人いたら、160万人を超えていることになるのです。志村けんさんも天国から「だいじょうぶじゃな〜い」と言っていると思います。10人でも16万人。こんな机上の計算は意味がないかもしれませんが、正しく恐れることの1つに「最悪の事態は想定すべし」もあるからです。

 

続・今週を振り返りながら

2020/07/12

◆書道

7月6日(月)から年長すいすい組で、「書道」が始まりました。毎月月曜日にやります。書道教室を開いている布川先生によるもので、楽しそうです。子どもたちの文字を「読む」こととの出合いは、絵本や生活環境の中にある看板などから始まりますが、「書く」ことは年中さんぐらいから。しかも「筆」で文字を書くという経験は、大抵は小学生からなのですが、それを先取りするという意味ではなく、ゆっくり、じっくりと筆で文字を書くと、「描く」かのように「ひらがな」の形や筆順などを体験することもできます。ひらがなは、漢字ばかりの万葉仮名から草仮名や女仮名を生み出した宮廷の歌人たちによるものですが、本来は「筆」の運びの流れが残っているのです。その原体験をしていると考えてあげてください。

◆七夕会と水遊びの開始

7日の七夕会の様子はお伝えしましたが、8日からは夏の水遊びを始めることになり、いよいよ夏本番を迎えます。体調に気をつけながら「水と仲良しになろう」が目的です。水は土と並んで、生命体である子どもにとって最大といってもいいほどの「教材」でもあるのです。感触を楽しみ、その物性を感覚的によく体験しておくことが、その後の身を守るための泳ぎや、競技としての水泳、水害からの身を守るための行動取得の前提となります。例えば、防災教育の中で、洪水から避難するときは運動靴で逃げます。長靴だと靴の中に水が入ると重くなって歩けなくなるからです。このような水の特性も水遊びの中で体験していくのです。

◆アジアの中の私たち

18日の納涼会は、休園期間中に行っていた「特別保育」の基準に戻した厳しいコロナ対策の中で実施します。つまり「これからの園行事は最初から、感染者が増えて医療が逼迫するような危機的状況になって行事どころではない、という状態にならない限り、延期や中止が必要ない方法の範囲で行う」ことにします。大人の三密をさけ、手洗い消毒マスクを徹底し、その上で子どもにとって大切な心が豊かに育つような体験を作りっていきたいと考えています。

その1つとして、行事中に本来は「親子で試食してもらうアジアの食べ物」を用意していたのですが、それは「三密」になるのでできません。そこで6日から昨日の10日まで、午後の間食で近隣アジアの国の味を楽しみました。

6日台湾(ルーローハン)7日中国(麻婆豆腐)8日韓国(チジミ)9日ベトナム(フォー)そして10日日本(赤飯)です。保護者の皆さんにその味を届けることができませんでしたが、ホームページの食事の写真で想像してみてください。また18日の納涼会ではその様子を展示します。屋形船に乗って涼を味わうという体験は、この神田ならではの夏の風物詩でもあるわけで、なんとか実現させたいものですが、これも社会情勢次第になってきました。

今週を振り返りながら

2020/07/11

7月も早くも3分の1が過ぎました。「もっと明るい話題はないのかしら」と事務室で先生とよく話しています。これからも、色々なことを先回りして準備していく必要がありますが、幸い、子どもたちは元気に毎日過ごせています。保護者の皆さんも、家庭や職場での安全を第一に、一緒にこの自然の猛威を乗り越えていきましょう。

 

◆7月1日にオープンした絵本の貸し出し「千代田せいが文庫」ですが、たくさんの方が利用してくださり、始めて良かったと感じています。絵本を提供してくださった保護者の方に改めて感謝しています。ありがとうございます。こうした支え合いと協力が子育てを支え合っていくのだと実感できて嬉しいです。

 

◆千代田区の看護師さんから感染対策で合格

毎月1回、千代田区の大江看護師さんに来ていただいて、当園のコロナ対策をチェックしてもらっています。9日の今回は「換気」の状態を確認してもらい、「どの階も、どの部屋もちゃんと換気されていますから、これで大丈夫ですよ」という「合格」をいただきました。私たちがこれで大丈夫のはず、と思っていることを専門的な第三者の目で見ていただくと安心します。大江看護師さんは、千代田区内の全ての保育園を毎月巡回して確認しているので、何にどのように気をつけるべきか、とても詳しい事例をたくさんご存知です。小さな見過ごしがちな視点も確認できて参考になります。今回は職員のマスクについて、「子どもにとって口元が見えないと表情が分からなかったり、どの先生の声なのか不明だったりということが他の園で起きていました。ソーシャルディスタンスが取れている時は時々マスクを外して、表情がわかるようにしてあげてください」という話も伺いました。

◆防災基準を超える雨量が毎年に

さてもう1つ。今週を振り返ると、梅雨前線の停滞で線上降水帯ができて、大洪水が今も起き続けています。来週で梅雨は明ける見込みですが、関東も警戒したいのが荒川の氾濫です。8月以降に必ず来る大型台風で荒川が氾濫する可能性は「大」です。保育園は3メートル水没します。それが起きる可能性についてですが、松尾一郎・東大大学院教授がとても気になる警告を発しています。

この方は今回の豪雨で熊本県日吉市に甚大な被害をもたらした球磨川で、避難計画「球磨川水害タイムライン」を作成した方ですが、足立区で荒川の防災アドバイザーでもあります。松尾さんがテレビでこんなことを言っていました。昨年の台風19号で荒川の氾濫が免れたのは「干潮だったから」というのです。「満潮だったら首都圏は溢れていました」というのです。今朝のテレビ番組「ウェークアップ」でのコメントです。

分かれ道となった7月10日

2020/07/10

 

7月10日の今日は「別れ道」の日となりました。右の道は高齢者の患者を増やしてしまう道で別名を「ゴー・ツー・キャンペーン」という看板が出ています。左の道は失業と自殺を増やしてしまう道で「営業自粛」と書いてあります。さて、どっちに歩いていくといいのでしょうか。別れ道には信号が立っているのですが、電燈は消えています。青なのか赤なのかわかりません。でも看板には「マスクをして気をつけて行ってください」と警告しています。どちらに行ったらいいのか迷っていたら、感染症に詳しいお医者さんが「右の道へ今行ったら死亡者数が10万人ぐらいになってしまいますよ。今は行かない方がいいですよ」と熱心に行くなと言います。それならと、左の道へ行こうとしたら、そちらから大勢の人たちが右の道へ押し寄せていくので行くことができません。誰も左の道へ行こうとしません。そこから出てきた人たちは、「左へ行っても大変です。働かないと死んじゃいますよ。三密さえさければ大丈夫ですよ」と言って聞きません。

どっちの道がいいのか。まるで究極の選択です。国は左の道を選んで困っても「政府はこれ以上、10万円を出すつもりはありません。自分たちで頑張ってください」と法律を作る仕事は店じまいしてしまいました。みんな右の道を選んでいます。右の道を行くしかないようです。でも見えないところに三密が生まれています。西村さんと小池さんという偉い人が話し合って「大丈夫です。ちゃんとどこが危ないかわかっていますから。慌てないでいいですよ。感染者が増えているのはちゃんと検査しているからです。スポット的に対処してますから」と安心させてくれようとしてくれます。でも、感染に詳しい偉いお医者さんは、「だめですよ、今動いたら。陽性率がすごく増えているから、感染が蔓延していくのは目に見えています。そうでないなら、検査数が増えても陽性率は変わらないはずなんです。でもそれが増えているということは、急増しているんです」と引き留めます。

リンクを追えない感染者が増えているグラフの角度を見ると二次曲線のカーブを描いているので指数関数です。実効再生産数も1以上なので明かに爆発し始めているのですが、どうも医療関係者が悲鳴を上げるまでは、イケイケで行くようです。テレビによく出てくるそのお医者さんは「相談件数が急増しています。夜の街だけではなく、明かに市中感染が拡大しています。しかも海外からの入国も始まっていて、そこで見つかった陽性者数は足されていませんし、2週間隔離もしていませんから、突然変異したウイルスが入り込むリスクも高まっています」と言います。

感染前線に異常あり。戦いの場面は、かなりリスクの高い場所まで後退しました。それを決定づけた日が今日7月10日です。

正しく恐れる( 4)

2020/07/10

3月末に倣うなら、東京都はオーハーシュート(感染爆発)の重大局面というアナウンスを、感染者が50人を超えた時点で出してもよかったのかもしれません。感染者が224人になった昨日8日の東京都は、経路不明者が104名もいることに、高齢者や医療逼迫への波及しないかと、どうしても危機感を覚えます。国も都も「経済拡大局面」の方針を修正しないならしないでいいので、検査数を増やして感染源を断つ「市中感染対策」をもっと大胆に踏み込まないと間に合わないのではないでしょうか。あの西浦さんはこれをどう見ているのでしょうか。3月末はすでにリモートワークや時差出勤などが始まって接触率が下がり始めていたので、4月1日ごろが感染のピーク(旧専門家会議)でしたか。このようなことが奇跡的に同じことが起きるとしたら、都民の行動変容によって感染ピークを早めることができるのかもしれません。しかし、今の昔のままの満員電車や駅の人混みを見る限り、「本当にこれでも防いでいることになっているのかな」と、やっぱり心配です。もし、この「接触率」のままで世の中が推移してもピークアウトできるのなら、万々歳なのですが、そんなニュースを聞いたことがありません。アジアの国のどこかであるのでしょうか。悪い方を想像すると経路不明者がすでに「実効再生産数1以上」で移している可能性の方が高いので、この指数関数曲線を見る限り、最低でも400人ぐらいまでは行くのでしょう。どうしてもすでにピークアウトしているとは思えないからです。これから最低2週間は増え続けるでしょう。人と人の接触率を下げないで、つまりマクロ政策を取らずに、マスクと手洗い消毒だけで、経済を回しながらも「数字では見えないピークアウトの日」が今日や明日であることを祈るしかありません。何度も何度も繰り返しますが、検査数を増やして感染源を見つけるフォワード検査(未来を向いた検査)しか、医学的な「予防」はできません。日本独特のクラスター追跡検査(後ろを向いた検査)しかしないのなら、健康診断(がん検診など)に意味がないことになります。主幹課である厚労省の感染症対策課ができる範囲での対策しか打たない(打てない)のなら、ベッド数は「治療」の話であり、「予防」を考えるなら、ワクチンがない以上、検査しかありません。医療的な「予防」を大胆に拡大させないで、経済的な意味で「感染源」を隔離させたいのなら、検査以外にどうやってそこを「可視化」するのか、都民の具体的な行動をどう変えたらいいのかにつながる対策をとって欲しい。どうしても、今のままで「市中感染」がおさまると思えないからです。

ひまわりが咲く頃は・・

2020/07/09

休園期間中の5月26日から、屋上で「ひまわり」を種がから育ててきましたが、かなり大きくなってきました。育てているのは神宮司さん。「添加物ではない自然の調味料としての油を絞って、子どもたちに体験させたいと考えていた」のがきっかけだという。「菜種でもよかったが時期が過ぎてしまったので、ひまわりなら植木鉢やプランターや育てやすいし、給食の残菜を生かしやすいから」そうだ。

実際に咲いた花の種をまくと発芽は4割止まりだったので、どれくらい芽が出るだというと試しながらやってみたところ、驚いたことに発芽率は8割を超えた。売っている種の発芽率の良さに驚いている。屋上は遮るものもなく日当たりもいいので、スクスクと伸びている。先日は緑色の小さなバッタが、ひまわりの葉っぱを一生懸命食べていて、それを見つけた子どもたちが「バッタだよ。神宮司先生に教えてもらった」と言って喜んでいた。梅雨が明けて夏の日差しが眩しい頃、黄色いひまわりが咲くことでしょう。

そして植物から油が取れるんだよ、という体験にもつなげるねらいがあります。種をとって油を搾り「ひまわり油」(サンフラワー油)が取れたら、給食で味見してみたいですね。ちなみに、神宮司さんによると、市販されている食用油は通常、ヘキサン抽出といって、硫酸などで溶かしてイオン交換で生成しているものがほとんどで、昔のように圧搾(搾る)ことはしていないそうです。さらに長期に保存させるために酸化防止剤も含まれており体にはあまりよくないそうで、とりすぎると胸焼けしたりします。油を絞った後に残った油粕は、肥料にもってこいだったのですが、そうした昔の農業にみられた自然な循環もすっかり今では見ることができなくなってしまいましたね。

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