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園長の日記

裸の王様

2020/08/02

毎週末にその週を振り返るとき、将来を憂う精神状態になるので、あまりCOVIT-19については語りたくありません。言いたいことはこれまで全て語ったので、同じことを繰り返し言うつもりもないからです。日本の国の意思決定の機能不全は深刻です。ここでは事態を見守ってはいけません。日本のこの第二波は、ついに人災になってしまいました。

昨日、こんな夢を見てしまいました。

・・・・梅雨が明けてセミの声が聞こえます。夏がやってきました。あの「裸の王様」の子どもが、火事だ!と叫んでいます。あちらこちらの町で家が燃えあがっています。でも消防車を呼ぶ人もいないのです。みんな火事だと思っていないみたいです。絵本だったら、子どもが火事だと言ったら、本当だ、火事だ、火事だと気付いてくれるはずなのに、なぜかみんな火を消そうとしないのです。

子どもがいいます「ねえ、どうして火を消さないの?」

大人がいます「坊やは火事に見えるのかい。あれは火事じゃないんだよ。大丈夫、大丈夫」と笑って歩いて行ってしまいました。・・・・・

 

火事は見えるけど、コロナは見えないので、通報を待っていても間に合いません。どこに火事があるかを調べないと消せません。その検査はあまりしないで、通報のあった火事だけの数をカウントして、「困った、困った。でもまだ重症者は前の火事よりも少ないから、もう少し様子をみてみよう」と、どこで火事が起きているのか調べようとしません。この火事は2週間後に燃え始めるので、火がついているところは、もっとたくさんに広がっているのに・・・

サーべランスの体制強化がちっとも進みません。これまでの報道で、症状のない感染者を積極的に調べることがCOVID-19の対策の常識になっていることは、私たちも学びました。日本はクラスターの周辺しか調べてきませんでした。「リンクが追えないとお手上げ」の状態は、サーベランスとは言いません。世界から見れば異端の国になりました。

東京大学保健センター

http://www.hc.u-tokyo.ac.jp/covid-19/international/

山中伸弥による新型コロナウイルスの情報発信

https://www.covid19-yamanaka.com/cont3/17.html

 

でも、日本ではどうしても「治療としての検査」の枠を超えられません。その枠を広げようと、感染症法15条の改正のために、自民党の一部議員(武見敬三参院議員)が議論を始めましたが、それを待っていたら、今の炎は広がるばかり。感染研関連の専門家は、「必要なのは全ての無症状者への積極的なPCR検査ではない」(尾身会長、7月16日)と考える人が多いのです。

一方で、この同じ16日に、参議院の予算委員会で東京大学先端科学技術研究センターがん・代謝プロジェクトリーダー 医師・医学博士 児玉龍彦氏が、いますぐに手を打たないと「目を覆うような状況になってしまう」と警鐘を鳴らし、大きく報道されました。その時の提出資料が次のものです。うちの職員がこの資料を見つけてくれました。

https://www.ric.u-tokyo.ac.jp/topics/2020/ig-20200716_1.pdf

でも、その後はそうなっていません。こちらも「本当ですか?」と思ってしまいます。確かに、ついに各家庭の火災報知器がなりだしました。保健所はすでにオーバーワークなので、このままだと検査難民がどんどん増えていくのでしょうか。

さらに混乱しているのは、専門家の考え方もマスコミの報道スタンスも、人や組織によって、その前提になっている日本型コロナの「リスク」の見方に差が生じていいます。季節性インフルと同じと言う専門家もいれば、後遺症や変異も怖いと言う専門家もいます。世の中で一番恐ろしい「怒り」と「分断」の芽が出始めました。

不安や恐れのマネジメントのためにも、やはり検査がないと実態が見えないですよね。それがないと隔離も治療にも届かないのはもちろんですが、同時に何度も行ってきましたが予防マスクで終わらせずに「いま、自分が大丈夫かどうかを把握すること」が、経済を回すことにもなるのに(私はこのテーマは、自由に生きるという、人権の問題だと考えているのですが)。

高齢者施設でも病院でも、会社に出勤するためにも、先生が教育や保育をするためにも、学生が大学にいくためにも(MITやハーバード大などは週2回など検査)。そして陽性になった時のバックアップ体制も、極めて大事。例えば保育園を閉めるのではなく、代わりの職員をちゃんと確保する体制を組むこと。施設は消毒すれば、使えるんですから。それが怖くて陽性隠蔽が始まっているのです。

それはともかく、C P R検査は高すぎるので抗原検査をもっと安くして、インフルエンザの保険点数150点程度に抑えて。報道では例えばタカラバイオは2時間で5000件を処理できる検査システムを開発したようです。検査市場が勃興しているのです。このイノベーションでもっと早く安くなるでしょう。誰もが週1回ぐらいできる程度の極めて身近なものになっていくでしょう。量販店で変えるくらいの家電化してしまえばいいとさえ、思います。

したがってそしてR N Aの変異特定を待たずに指定感染症の定義を弾力的に運用できる体制に変えるべきです。その休業や風評被害を恐れて陽性結果を隠す空気をなくすためにも。長いですからね、この先も、コロナさんとのお付き合いは。

先週号の週刊誌のインタビューで、あの「8割おじさん」こと西浦博・北海道大学教授(8月から京都大学医学部研究科)は、やはり今は「強固な対策を行わなければ、流行は収束しないメジャーエピデミック(大規模流行)の分岐点にある」と語っていました。

しかも、私たちは5月になんとなく収束したと勘違いしていて、野球に例えるなら「まだ2回表で新型コロナウイルスが攻撃している段階」だという。確かに今年の感染者が出始めてから一度も、感染者数がゼロになった日はないし、第一試合は終わっていないのです。

眠るための安心感

2020/08/01

お泊まり保育の睡眠不足を補った今、すいすいさんたちが眠りに着くまでの約1時間の間に感じたことを思い出します。ヒトが夜、警戒心を解いて眠ることができるようになったのは、家族同士が助け合い、社会が家族を守りあうようになったからですが、子どもが家庭を離れて安心して寝ていることを目の当たりにすると、ここに幸せな育ちがあると感じます。

「いいよ、大丈夫だよ、ぐっすりとおやすみ・・」

仕事柄、心の専門家と話すことがあるのですが、放任という児童虐待を受けている子どもは、目覚めた時に親がいないという不安を繰り返しているので、寝ることを恐れて拒むことがあります。当園にそのような子はいません。

また、よく昔、話題になったのは、日本の若者に自信がない、自尊感情が低いという国際比較調査の話です。この傾向はずっと変わっておらず、文部科学省も長い間、最も重要な課題としてきました。

https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html

その要素はいろいろあるのですが、私たち幼児教育にかかわる者が配慮しているのは、〈世界に対する信頼感〉です。人が生きていく上で、最もベースになるもので、その経験は思い出せません。どんな大人でも、誰でもが無意識の中で働いているものだからです。これを「基本的信頼感」と言います。ベーシック・トラストを日本訳されたものです。0歳の赤ちゃんの頃に獲得する発達課題です。泣いて応えてもらえていれば、絶望することなく、サイレントベイビーになることもなく、この力を持てます。

この力があれば、自発性がうまく育ちます。そして自分に対する自信が持てるように育ちます。何かができた時だけ褒められるしつけばかりが繰り返されると、行動が伴っても心が育ちません。形だけ、口だけで「ごめんね」と言えても、心から「悪かったなあ」と悔いる気持ちが育つとは限りません。

例えば、心のこもった「ありがとう」ができません。身近な人の痛みを感じていると自分もその痛みを感じたり、他人が喜んでいたら自分も嬉しくなったり。そういう共感できる力を支えているのが、基本的な信頼感、何があっても自分なら大丈夫という感覚です。つまり、成功や失敗とは関係がなく、条件的な根拠のいらない、無条件の自信が育つと言われています。

わかりやすくいうと「失敗したって大丈夫。またやればいい」という気持ちの持ち方ができるようになります。それが、レジリエンシー、耐性に通じます。七転び八起きの達磨さんの精神です。困った時に、こうすればいい。助けを求めればいいという安心感を持てる人間関係を作り上げることも出来やすくなります。

ところが、人間関係を作ることに苦手意識を持っている若者が多いのです。特に自分で、自分をそう考えているようです。内閣府が、令和元年度に実施した「子供・若者の意識に関する調査」の結果です。

https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/r02gaiyou/pdf/b1_00_01_01.pdf

ソーシャル・ディスタンスという言葉をこの春に聞いた時、実はドキッとしました。それを進めるのは、さらに人間関係を希薄化する方へさらに進めてしまわないかと心配したのです。SNSとは上手に付き合えば大丈夫だとは思うのですが、はやり課題は、乳児の頃からの子ども同士の関わりを増やすことと、核家族だけで完結しないように、親子関係を周りから支える仕組み作りであることは変わないでしょう。

親子関係が痩せ細ってしまうと、アイデンティティを確立させ、異性との間で力を合わせて暮らしていく課題獲得に困難を伴うようになります。これらのライフサイクルに伴う生涯の発達課題は、時代が変わっても、本質的なところは変わらないような気がします。30歳の俳優の死の話と、安心できる夜の睡眠とは、長い長い発達のプロセスという筋道の中では、つながっている話なのです。

お泊まり会(すいすい)

2020/07/31

「今がいちばん楽しい!」インタビューに答える、年長のすいすいさんたち。質問は「今日のお泊まり会で一番楽しかったことは?」の質問にこういう返事が返ってきた。ただのインタビューではなく、輪になって「爆弾」を回し、音楽が止まったところで爆弾を持っていたらバツとして質問に答えるという「爆弾ゲーム」でのこと。友達の一言一言が面白くて笑い転げていた。

 

その直前まで、目の前には、昼間に自分たちで製作したキャンドルが灯っていた。キャンプファイヤーの代わりに行った「キャンドルナイト」のセレモニーでは「今日も友達、明日も友達、ずっと友達さ」という歌詞の「キャンプだホイ」と、忍たま乱太郎の主題歌「勇気100%」を歌った。

その前の夕食は、蜂蜜をかけるスパゲッティミートソース、麻婆豆腐などをみんなで食べたが、これらのメニューは、何度も話し合って決まったもので、それまでのミーティングの経緯は、階段に掲示してあった通り。美味しそうに、おかわりもしてました。

今日のお泊まり会は、古野先生の絵本『カラーモンスター』の読み聞かせから、静かに始まりました。自分の気持ちを何色にしたいか?というモチーフが今回の、お泊まり会には流れています。そして今、楽しい気持ちのまま、みんな夢の中にいます。

すいすいの保護者のみなさんには、コドモンでお伝えしましたが、どうぞご安心ください。明日、詳しい報告をさせていただきます。

できることはやりましょうcocoa登録

2020/07/30

感染確認アプリcocoaを登録すると、自分が過去14日間に「陽性者」と接触したかどうかが、分かります。もちろん限界はありますが。

人と接触する機会が多い方は登録するといいでしょう。

今日30日に東京都の陽性者数は過去最高を更新しました。でも、7月10日ごろには400、500になるかもしれないと思っていましたが、22日ごろに増加率が減っていることから感染時点はピークを超えていることがわかり、その通りになってきました。これ以上は増えないで横這いで行ってほしい。しかし先の連休の影響がどう出るのか? いったん100ぐらいに減ってまた来週あたりに200台まで増えて2つのこぶができるかもしれません。地方の方が心配です。

 

いまをていねいに生きる

2020/07/29

 

園だより8月号 巻頭言より

三浦春馬さんはALS患者の澤田拓人だったのでしょうか。そんなことを考えても仕方がないのに、彼の訃報に接してから、どうしても2014年1月放送のテレビドラマ「僕のいた時間」(脚本・橋部敦子)のことを思い出してしまいます。人は対人関係や社会的立場を円滑にするために、仮面(ペルソナ)をかぶって生きるようになるのですが、普段はそれが仮面だと無意識に気づかないようにもしています。そんなことはないと、違和感を感じないで生きているなら、それは幸せなことです。

心理学では社会への「適応」が仮面のことでもあると説明されることもあるわけですが、仮面だと感じる人は、生きていて居心地の悪さを感じているからでしょう。たとえば周りに合わせて生きている自分に気づき、それが「仮面をかぶっている自分」に思え、本来の自分があるはずだと「自分探し」をすることが若者に共感をよびました。私は当時の園だよりで、卒園していく子どもたちが、自分らしく過ごせて良かったと、このドラマを引用して祝福しました(写真)

それから6年。彼らは今年中学生になりました。そして今ふりかえると、改めて「ペルソナ」が気になってきます。仮面なら「外せる」と思えますが、自分探しは取ってもまた新たな仮面が出てくるだけであり、それは剥き続けても芯などないラッキョウに似ていています。それがわかると、今度は「目的を持って生きる」という受けのいい仮面が登場しています。今はとにかく我慢しよう、目的を達成するように頑張ろうと。政府も忍耐力などの「社会情動的スキル」の育成を盛んに持ち出すようになりました。

子どもたちが「現在を最もよく生き」それが「未来を創り出す力」にすることが保育の仕事です。子ども同士の関わりの中に、それぞれの思いが生まれます。「そういうことだったのね」とわかることがよくあります。傍らでそれに共感して見守っていると、子ども自らが動き出してくれるものです。「ああ、そうしたかったのね」と気づいたり「あれ、そうきたか、考えたね」と感心したり、「すごい、さすがだな」と感動することも多いです。

そんな子どもの自発性と可能性を感じるとき、私たち大人も勇気づけられます。子どもには真心を持って初めて、子どもから打ち明けてくれる心と出会える時もあります。子どもが持っている力を信じることから、私たちも未来のために前に進むことができるような気がしてくるのです。社会で起きている現象に関心は持ち続けても、決して振り回されないように、毎日を丁寧に生きたいものです。

(6年前の巻頭言より)

 

 

けんかのきもち

2020/07/28

(千代田せいが文庫より)

たいは、友達のこうたに泣かされる。くやしくて、くやしくて涙がこぼれる。溢れ出る気持ちを堪えらることができずにいる。第七回日本絵本大賞の絵本「けんかのきもち」は、とにかく伊藤秀男の絵がいい。もちろん、柴田愛子の簡潔な文は、ほとんどが主人公の少年たいの「内言」だけで物語が進んでいく。この絵本は、子どもの気持ちが、いかに大きな大きな塊であるかを感じるためにある。そして、その「きもち」の熱量を、伊藤秀男の絵が伝えてくれる。

子ども同士がとっくみ合いのけんかをする権利が奪われてしまって久しい。

別にとっくみ合いのけんかを奨励したわけでも、保育園で復活させたいと思っているわけではない。そんなことを私が言い出したら、大反対にあうだろう。そういうことではなく、けんかの気持ちに共感する機会そのものがなくなってしまったなあ、としみじみ感じるからである。

(おっ、今日は、なんだか、である調、である!えへん!)

別に保育園で「けんか」があったわけではありません。たまたま午後に来園された千代田区の方と、子どもの見守り方の話になり、ちょうちんが下がっている階段の下をくぐっていて、突然にこの絵本を思い出しただけです。ぜひ、一度、手にとってみてください。子どもと一緒に読むのではなく、大人が一人でじっくりと読んでみてほしい絵本でもあると、勝手に思っています。

 

 

楽しい水遊び

2020/07/27

◆楽しい水遊び

水の感触を楽しむ中で、「ムニョ」とか「プルン」とか「ツルン」とか、いろいろな擬音やオノマトペを体で感じながら使っています。夏ならでの遊びだなあ。楽しそうです!

◆立派なすいかが獲れました

なかなか開かない梅雨空のもと、みんながせっせとあげてくれた水のおかげで、屋上で育ててきたスイカが今日27日、採れました。ネットで育つには、この大きさが限界だろうと、小林先生が子どもたちと一緒に収穫しました。30日にスイカ割りをする予定です。

 

◆習字が楽しみに

漢字やひらがなを筆でかくというのは、習字というよりも、紙に絵を描く感覚に近いのかもしれません。その感覚が優先する方が、文字の習得に関しては本質的なことなのですが、そのことを楽しそうにやっている子どもたちの文字が証明しているように思えます。

◆納涼会のパネルができました

7月18日に開いた納涼会で使った「案内」や「パスポート」を使ってパネルにコラージュしました。「あんなことしたよね、楽しかったよね」の思い出を残すためにも。

 

こんな心理状態を続けてはいけない

2020/07/26

 

人間はこういう社会を求めてきたとは思えない。そう感じる瞬間というものが時々あります。昔よりも、今の方が断然いいに決まっているのに、どうしてそう思うんだろう。あらゆるデータは過去よりも今の方が幸せである。それは確かなのに、将来に対する不安の方がなぜか大きい。その答えがこの数日の「自粛生活」で見つかりました。これはあくまでも個人的な「感慨」なので、他人にうまく説明することはできません。でも「そうか、そうだったのか」と、自分では妙に納得しています。

それでは、そんな個人的なことを、どうしてここに記すのかというと、ちょっとだけ仕事が関係があるからです。その気づきは例えると「不確かなものが見えてしまった不安」に似ているからです。変な言い方ですが、不確かなことだけがはっきりしてくるという分かり方は、心の健康によくない。

昔の方が、将来のことはよくわからなかったに違いないのです。今の方が将来予想が立ちやすい。いろんなことを過去からも学んでいるし、リスクも計算できるようになった。ところが、わかることが増えたから不安材料もよく見通せるようになってしまった。百年前のスペイン風邪の記録を読んでいると、わかっていないぶん、今よりも呑気だったことがわかる。今の方がいいに決まっている。読んでいると「え、そんなことしちゃってたの!」ということがある。でも、今の方が、わかっている分だけ「まだどうなるかわからない」こともわかってしまった。この「どうなるかわらかない」ことが多すぎると、心理的に結構しんどい。

類人猿から700万年もの間、あるいは旧石器時代の200万年の間、あるいはもっと短くして縄文時代1万年の間、私たちの先祖は、昨日も今日も明日も、ずっと同じ安定した盤石な生活が続くことを願って、努力してきたはず。でも、現代はそういうことを考えることが、まるで、非常識で呑気なヒト扱いされてしまいそうです。みんなが心理的なサバイバーになっています。こんなに豊かでありながら、どこか生き残りをかけて生きているような精神状態を感じてしまうのです。

多くの人はもっと、ノホホンとしていても大丈夫なような、寛いだ社会にならないものなのでしょうか。みんながノホホンと暮らしていい社会にしたい。こんなこというと「何、呑気なこと言ってんだ!」って、やっぱり怒られそうですね。昔から、そんな呑気な時代なんてなかったんだと。ずっと生存競争や戦争があったんだと。でも本当にそうでしょうか。狩猟採集民族の人々の暮らしには、私たちが見失っている考え方や知恵がありました。そこから真剣に学ぶことが結構あるように思えます。大きな価値観の転換に、多くの人が気づく時代が早く来るといいのですが。子どもの成長というものは、結構早いものですよ。(と、考えるから、またよくないのに・・)

グレートジャーニーの果て

2020/07/25

60歳になって、インドネシアから沖縄の石垣島まで、4700キロの海路を、手作りの船で横断した探検家であり医師でもある関野吉晴さんの言葉を思い出します。2つのメッセージが強く心に残っています。

人類はアフリカから約10万年をかけて地球上のあらゆる場所まで拡散しました。それをグレートジャーニーと言いますが、その5万3000キロの足跡を辿る旅に関野さんは40歳になって挑戦しました。足跡を辿るといっても、豪華客船の旅でも飛行機でも鉄道でも自動車でもない、エンジンのついた動力は一切使わずにカヤックや自転車などの人力だけを使って踏破したのです。

その行き先々に待ち受けていたのは、とてつもない自然でした。熱帯や砂漠、気温マイナス40度のシベリア。標高4000メートルを超えるペルーのアンデス山脈。そのいずれにも、今もそこに適応して住む伝統社会の暮らしがありました。人類は、その厳しい自然環境に適応しながら移動を続け、アフリカから最も遠い、チリにまでたどり着くのです。

◆「今の社会は、待てない社会になっている」

「僕はアマゾンに長く生活したりして、日本人ができないことができるようになっていった。それが『待つ』ということなんですね。要するに、今、待てない社会になっている。半年や一年で、あるいは3ヶ月で成果を出さないといけない社会になってしまった。20年、30年先のことにかけて何かをやることができない」

この発言を受けて、ゴリラ研究の第一人者であり、京大総長で日本学術会議会長の山極壽一さんが、こう対応します。

「待つこと、あきらめない精神は、ものすごく人間的だと思うんですね。ゴリラもチンパンジーも待たないし、あきらめちゃうんですよ。そんなことやったって、無駄じゃんって。経験つめば、前に失敗していればやらないわけですね。それが王道じゃないですか。ところが失敗しても失敗してもあきらめない、こんな精神をなぜ人間は持てたんだろう。それが実は、最終的には新しい技術を手に入れることになったり、発見を通して新しいリソースを使えるようになったりするわけですよね。それって、いつできたんだろう?」

「今は、逆にあきらめやすく、待たないんですよ。それは、人間的な本質をどんどん失いかけているんじゃないか。あきらめない、待つということは、時間を現実の価値観ではない、未来の価値観にかけて使うわけですね。それは単視眼的に見れば、それはムダに見える。でも、それをやり通すことが、ブレークスルーにつながったり、イノベーションにつながったりする。それを人間はずっとやり続けてきたのに、なぜこんなに待てなくなっちゃんたんだろう。こんなにも、あきらめやすくなっちゃんたんだろうって思うんですよね」

関野さんの言葉のもう1つが、これです。

彼は寒冷の地、チリのナバリーノ島に住む先住民ヤマナ族の女性たちと出会って、気付いたと言います。そこは19世紀に持ち込まれた疫病で人口が減ってしまいました。

◆最も遠くまで辿り着いたのは、皮肉にも一番弱い人たちだった

未知の土地にたどり着いたのは、開拓精神に溢れる強い人ではなく、むしろ既存の土地から弾き出された弱い人々だったのではないか、と実際にその人々に会って一緒に暮らすと、思い当たるのだというのです。

「最も遠い場所までたどり着くのですから、一番進取の気鋭に富んだ、好奇心と向上心の強い人のはずなのに、一番弱い人たちだったわけです。パイオニアとしてその土地を支配した人たちは、そこに新しい文化を作って、そこを住めば都にした。そこが住みやすくなると人口が増えてまた弱い人が突き出される。それを繰り返したんじゃないか。それが今、住むところがないほど、広がったということですね」

この2人の対談は、NHKのスイッチインタビューN084「ゴリラから見たヒト 旅から見た日本人」(2015年8月15日放送)です。

国連難民高等弁務官事務所の緒方直子さんは昔、難民を作り出しているのはどうしてかを考えて欲しいと語っていました。今の世界がコロナ社会になって弱い人が「突き出される場所」は、もはや国境さえ来られないとどこかです。もしかしたら、それは病院なのかもしれません。あるいは、診断を受ける機会も得られないまま、後になって超過死亡数にカウントされているのかもしれません。

人類の人権の中で中心をなす「精神の自由」は、「移動の自由」と「集会の自由」に根差すのですが、強い人たちは、この機にその覇権行使をあからさまに開始しました。NHKのスイッチインタビューN084「ゴリラから見たヒト 旅から見た日本人」では、なぜ戦争をするのかも、語りあっています。

肉親の死を傍らで弔う自由も危うい社会になりつつあるなかで、いろいろなことに気づきにくい社会になりそうで、子らの将来を考えると、そっちのことも心配です。

 

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