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園長の日記

身長170センチが1ミリ伸びた理由

2019/12/06

私はよく学生さんたちに「実はね、保育の質は先生の背の高さ以上には、高くならないんだよ」という例え話をします。私の身長はちょうど170センチですが、それ以上に保育の質は高くなりません。

どういうことかというと、子どもの発達には持って生まれた力と、生まれた後で経験する内容との掛け算で成り立ちます。あくまでも、例え話です。持って生まれた力が10センチで、経験する内容が10センチなら、その子の発達は10かける10で100平方センチです。保育の質は持って生まれた力をどれくらい引き出せるか、「かける10」なのか「かける20なのか」あるいは「かける100」なのかで変わります。持って生まれた力が同じなのに、面積は100だったり200だったり、1000だったりするのです。

その掛け算の数値は、大人の力です。どんな経験を用意できるか、子どもがどんな経験ができるかで変わってくる変数なのです。ところが、その変数を大きくする力は、保育者の力にかかっていて、それを環境構成力と保育学では言います。どんな環境を用意したら子どもがよりよい経験ができるか、そのセンスが問われるのです。そのセンスは、大人も持って生まれた力とそれまでの経験の掛け算で成り立つので、大人もまた「どんな経験をしてきたか」が大事になります。話を少し飛躍させると、大人がどれだけ「ホンモノ」に感動し、魅了された世界を持っているかということです。なぜなら、大人もその魅力的な世界を、子どもたちに伝えたいと思うからです。そう思うかどうかが、決定的なのです。私はそれを大人の身長に例えているのです。

明日はお楽しみ会ですが、大人が魅了されたものを、子どもたちと、そしてみなさんと分かち合いたいと思います。昨日5日(木)の夕方、神田柳囃子の会の練習場にお邪魔して、最後の打ち合わせと同時に、締太鼓を叩かせてもらいました。

奥が深いです。やってみて初めて、会の皆さんの演奏の素晴らしさに気づくことができます。毎週毎週、練習しているからこその音色です。その素晴らしさをぜひ明日味わっていただきたいと思っています。実際に演奏させてもらって、私の身長は170センチ1ミリに伸びました。

保育の質は、保育者のSense  of  Wonderだよね、といういつもの話です。明日のお楽しみ会が、驚きに満ちたものでありますように。

 

生活の中の声、言葉、椎茸の天ぷら

2019/12/05

◆「にこにこさん、通っていいよ」。

サンタからの手紙が届いているか、確かめに来た3歳のNKくんと4歳のYSさんの2人。NKくんが「今日はよん?いつつ?」とか「ごにちと書いて5日っていうんだよ」とか話していると、ちょうど散歩に出かける2歳クラスのにこにこ組の子たちが降りてきました。そこで私が「あ、にこにこさんが降りてくるから、ここにいると靴がとれないかな」と、にこにこの先生にいうと「大丈夫です。靴は、こっちなので」と先生からの返事。2人はその会話を、聞いていたのでしょう。二人らしいなあと、笑ってしまったのですが、座っている場所は変えずに、足を上げて、冒頭のようにいったのです。

◆英語でおかえり!は何ていうの?

散歩から帰って来たらんらんのUKくんが、坪井先生に聞いています。「英語で、ただいまあって、何ていうの」「アイム・ホーム、じゃない」「じゃあ、おかえり!は?」。いい会話だなあ、としばらくその会話を聞いていました。すると、らんらんのNJくんが、「アイム・ハロー」というから、私が「それじゃあ、僕は今日は、になっちゃうんじゃない」。それを聞いていた、TRくんも、英語らしい発音で何かそれらしい口調を真似していました。英語を喋りながら遊んだり、食事をしたりできる方を探してみようかな?

◆「言葉かけ」という言葉への違和感

11月8日にある大学へ講義へ行きました。その感想と質問が届き、先日返事を返したのですが、その中に数人の学生さんから「子どもの言葉かけで気につけていることはありますか?」とか「どのようなこえかけと接し方をしていけばいいのか?不用意な声かけをして、よくない影響を与えてしまうのではないか?」、あるいは「子どもの気持ちに共感するには、どのような声かけをするべきでしょうか?」といった具合に、何度も「言葉かけ」とか「声かけ」という言葉が使われていました。私からは「言葉かけ」という言葉に違和感を感じてほしい、という返事を次のように書きました。

<(略)・・・まず「言葉かけ」という言葉に、違和感を持って欲しいですね。Eさんは普段の生活で家族や友達に「言葉かけ」なんてしますか? 園生活も生活です。この言葉の由来は、学校での指導のための教育心理学と対応して生まれた教育技術の言葉です。子どもたちと自然な会話をすればいいだけです。

ですから、子どもに教育的な語りかけをしないといけないという先入観をまず捨ててください。その根拠を知りたい方は、『心理学と教育実践の間で』(東京大学出版会)などを読んでみてください。

語りかけることよりも大事なことは、子どもが何をしたがっているのか知ろうとすることです。それがあって、先生が何かに気づいて、「あ、そうか!」があったら、その上であなたの中に何か自然に湧き出てくるものです。それが援助内容なのです。そのつながりが大切なんです。それが「保育のプロセス」になることを押さえておきましょう。・・>

◆なにも言わないという働きかけ

今日、私の中に起きた、「あ、そうか!」は、12時前にお散歩から帰ってきた「わいわい」「らんらん」さんの姿を見たときに閃きました。閃いたことを、先生に伝えました。「この子たちに先生たちは何も言わないで、自分で何をすればいいか考えられるようにしよう」。先生たちが玄関でつい色々言っていた言葉を全く封印して、どうなる見てみました。すると、面白いことに(と言って子どもたちに失礼ですが)、自分で外履を脱いで上履きを靴箱から出して入れ替え、上履きを履いて、水筒を下ろして帽子とコートをかけて全員3階まで登ることができました。

(こう書くと、なんだか当たり前すぎることですね。そんなことも自分でまだできなかったのか?と思われるかもしれませんが。でもそれすら、なかなかできなかったのが現実なのです)

途中で、帽子の紐が絡まって「やって」と助けを求める子が一人いましたが、それ以外全員が自分で考えながら3階まで登って行きました。この子達は、全員できるんです。自分で考えて次はどうするのかも知っているし、大人の「声かけ」はいらないのです。その代わり、先生たちと打ち合わせて意識して声にしたのは、「だいぶ大きくなった椎茸を収穫しなきゃ」とか「お昼ご飯はすき焼き風煮物だって、お腹減ったなあ」とか、「調理の先生が椎茸を天ぷらにしてくれるそうだよ」とか、そんな会話を子どもたちに聞こえるように話しました。

椎茸の収穫の話が聞こえた子は「僕もきのこやる」と言ってきました。自分なりに次の行動に移し始める子ども達です。その中で、困ったことやあれば「やって」「できない、手伝って」などを言えるようになっていけばいいのです。大人は黙って手を出してやってあげてしまいますが、自分でできるようになっていくように助ける。これが大切なことだと思います。

椎茸の天ぷらは、大好評でした。

 

 

 

お兄さんお姉さんの様子に興味津々

2019/12/04

◆お楽しみ会の予行練習2回目

当日までのお楽しみ!とばかりに、ちっち組の後ろ姿だけを載せた今日4日のブログをみて、じゃあ、私はその「横顔」をご紹介したいと思います。

これです。

ぐんぐんさんが、絵本で「だるまさん だるまさん にらめっこしましょ 笑うと負けよ あっぷっぷう 」とやっている様子に、食い入るように見入っていますね。みんな気持ちは、だるまさんの世界に入っています。

これが、子どものすごいところです。新しいもの、楽しいものが好きなので、その中に身も心も「なりきっている」のです。

ところが、今日と違って、お楽しみ会当日は、目の前に親御さんがちが「かぶりつき」の状態なので(笑)、子どもたちも、うそっこの、なりきっている世界を楽しみたい気持ちがあるのと同時に、大好きなおうちの人も目にするので、気持ちの整理がつきにくいことなります。

「ママ〜、パパ〜」と手を振るくらいの余裕があるといいのですが、まだそこまではいかないでしょうから、当日は、そっと温かく見守ってあげましょう。もしおうちの人のそばにいたくて泣いて、どうしても我慢できなくなったら、どうぞ舞台の上まで来てそばにいてあげてください。

◆今日は「これをするんだ」と生活プランを持つ

それから「わらす」のブログで「今日はこれをやって遊びたい」という見通しを持てることの大切さを述べています。それを読んで思い出したことがあります。先日お会いした忍岡高校の家庭科の先生の話です。知人がミュンヘンの幼児施設に通っていたのですが、日本に帰国して園に通いだしたのですが、しばらくすると登園できなくなってしまったというのです。その理由が、日本の園ではやることを先生が決めているけど、ミュンヘンでは、子どもがやりたいことをやれるというのです。「今日はこれして遊ぼう」と「わくわくして園に通っていた」そうです。日本ではそれがなくなったから、園に行きたくなくなったと。

◆わくわくする生活

ぐんぐん組のブログや微笑ましいですね。こんなに小さい子が「わくわくする」って、自分の気持ちを的確な言葉で表現できるなんて、なんて凄いことだ、と思いませんか。豊かな心情体験がある生活を送っている証拠だと思えます。こんなに小さい時から、子ども同士が心を通わせているから、「共にいる」という心がこうして育まれていくのでしょう。

一方で、相手のことが「好き」とか「嫌い」とかを言い合える正直なところが子どものよさであり、また、そうしたマイナスの心のぶつけ合いも、大切な経験になります。これも広い意味での心の通わせ方です。幼少期の人間関係でも、葛藤する気持ちを抱えることもあります。そういう言葉を経験しあって、自分も嫌な思いをしたり、悔しい思いをしたりします。そういう生の感情が、心の優しさと強さを育てる肥やしになるのです。

◆毎日が成長の軌跡に

色々なことが起きる園生活。それを全て詳らかにすることは不可能です。でも、こうやって担任の先生が、それぞれの視点で気づき、感動し、悩んでいることが、私にはとてもありがたいと感謝です。何度か申し上げてきましたが、行事はあくまでも通過点です。それを経験することで、またさらに意欲的な子どもたちになってもらえたらと願っています。

 

 

 

 

いしたけの栽培

2019/12/03

あっという間に大きくなったしいたけ。

そろそろ、大きくなったのから収穫して食べます。

12月3日

12月2日

12日1日

11月30日

11月27日

アドベントカレンダーにサンタから毎日お手紙が!

2019/12/02

12月20日(月)から玄関にアドベントカレンダーを飾りました。1日から24日まで24の靴下に日付がついています。この中に、サンタクロースから毎日、手紙が届きます。その手紙には、さて何が書いてあるのでしょう? らんらんのお手伝い活動として、毎日その手紙を読んで、そこに書いてある遊びや活動をします。クリスマスを楽しみに待つという、基本的には「わらす」向けの活動になりますが、その趣旨は皆さんにお伝えしておきます。

今日2日のお手紙は、絵本のプレゼントを届けたよ、というメッセージでした。子どもたちは、大喜びでした。

11月を振り返りつつ、実践の方向性を確認する

2019/12/01

毎日、こうして日記を書いていて、「これでいいのかなあ」と、ふと思うことがあります。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がいろんな意味で社会問題になっているからです。そうした報道に接すると私自身が「たまにはスマホやパソコンを使わない日を決めようかな」と思う自分がいるからです。確かに新聞記者をしていた30年ぐらい前は、ポケベルがなると公衆電話からデスクと連絡を取っていた時代がありました。紙の原稿用紙に黄色いビックのボールペンで原稿を書いていた時代でした。

11月に取らせていただいたアンケートで、35家庭のうちホームページをみている方が「ほぼ毎日」が14人(締め切り後の回収も含めて)、「週に数回」が6人いらしゃっいました。多くの方がホームページをみてくださっています。私はそれに応えたいという思いもありますし、アンケートの結果だけではありませんが、最近は慣れてきたこともあるのか、担任の先生たちによるクラスのブログの更新頻度も上がっています。私も毎日、お伝えしたいことが山ほど出てくるので、つい、日記なのにいろいろ書いてしまいます。ただ、クラスブログの量が多い時は、私の日記は少な目にしようと思っています。でも保育園で何が起きているのか、その意味について解説することを歓迎していただいていることがよくわかったので、それは続けていきたいと思います。

急いてみて欲しいことは「園からのニュース」に書きますので、日記は暇の時に時間つぶしで楽しんでくださいませ。

◆11月を振り返ると・・・

中旬から一気に寒くなって、雨が多かったので外遊びがあまりできませんでした。でも室内での運動遊びは活発です。

またお楽しみ会に向けて、乳児は朝のご挨拶や絵本や運動遊びを少し意識してやっています。それに加えて、2歳のにこにこ組以上は劇遊びや、楽器遊びを楽しんでいます。

また11月は保育士養成校との連携や、地域向けの子育て支援として保育所体験や睡眠講座も始めました。

そのうち、短大の先生、大学の先生、高校の先生と話す機会がありましたが、29日にお会いした忍岡高校の家庭科の先生がおっしゃっていた話が印象に残っています。その報告と感想を少しします。

◆高校生が保育士になりたいと思った時に・・

その話というのは、<いま高校生の間で、保育者になるには、ピアノが弾けて、素話ができることなどが条件のような空気ができてしまっている>といった話です。私は長年、日本の保育士養成課程のあり方に関わってきたので、現場を含め養成校の課題、特に実習のあり方などを検討してきました。でも高校段階でも課題があることは知っていましたが、こんなに身近なところで、違和感を持っている家庭科の先生とお会いできたのです。

◆高校生に本来の専門性とは違うイメージが伝わって・・

保育者の専門性は、環境を通した教育、自発的な活動としての遊びをいかに創り出すかにあるのであって、主体は子どもなのです。ところが、今の家庭科の教科書や保育検定の試験対策が、「子どもが一斉に受け身的にしか体験することしかできない表面的な技術」を優先的に高校生に教えるので、それが保育者の専門性だと誤解されかねない状況を作り上げてしまっています。

例えば、音楽領域ではピアノ演奏で伴奏しながら大きな声で歌えること、絵画・制作領域では折り紙が折れてポスターが作れること(私は知らなかったのですが、折り紙には動物、植物、その他など種類に分けられていて。「カエルはどの種類ですか」という引っ掛け問題があり、それに「動物」だと答えるとバツになるというのです。カエルは両生類ですが、動物ですよね!)、言語領域では3分間で素話ができること・・・こんな表面的な技術がまず必要だと高校生に教えてしまうことは、罪作りなことだと思います。子どもの発達を理解したり、子どもが環境に働きかけることや、遊びの重要性などは、ほとんど問題にされていないのですから。

◆保育士資格を取るための試験について

私も保育士の資格を持っているのですが、試験を受けた時のことを思い出しました。確かにこの3領域の実技試験を受けました。バイエルを練習したりしてました。私が試験を受けた時はピアノ伴奏曲が「おつかいありさん」でした。「♩ あんまりいそいで ごっつんこ〜」で始まる、あれです。絵画・制作は「動物のイラストを使った運動会のポスター」作り、そして素話は、なんでも自由に覚えておいていいので、私の子どもが好きだた絵本の話をしました。3分で話さないといけないので何度も練習したことを覚えています。

確かに、こうした技術は必要かもしれません。それなら海外のように楽器はギターの方が子どもの方を見ながら伴奏して歌いやすいですし(今の実技試験はギターやアコーディオンでもよくなりました)、絵画制作は先生が作るのではなくて子どもがもっと幅広い制作遊びができる環境づくりを問うすべきですし、素話も大切ですが、記憶には限界があるので、いろんな絵本や紙芝居を読んであげたりすることが現実的です。

◆あくまでも保育は子どもが自立することを目指す

もっと重要なのは、大人がやってあげるのではなく、子どもが主体的に関わって遊ぶことの方がいいのです。楽器は子どもが触れて親しむ、歌は伴奏も手拍子で子どもがやってもいいし、絵は子どもが描くものであり、劇は鑑賞するのもいいですが、子どもが劇遊びをすることなどを主にすべきです。

海外の有名な保育室を見ると、子どもがペープサートや指人形を演じる子どもサイズの舞台や枠が用意されています。子ども用のイーゼルや子どもが使いこなして演じて遊ぶための衣装ラックが置かれています。子どもと大人のどっちが主役か。発想が逆なんです。

この点をどうにかしないと、アクティブラーニング(遊び)になりません。いつまでたっても、言われたことがやれる子どもが良いとされ、自分でやろうとする主体的な青年が育たないと思います。

◆どうしたらいいのか、突破口はどこに?

その家庭科の先生は、「これでいいのかな」という違和感を感じていました。話を伺っていて、また同じ課題だなと思いました。つまり今、社会で話題になっている問題の解決策を考えていくと「そうした方がいいとはわかっているんだけど、変えるきっかけがわからないし、そうすると、今までそれをやっていた人たちに迷惑がかかるし。実際には、どうしたらいいかわからない」という、誰もが気づいているあの「気づき」です。

余談ですが、分野は違いますがマスコミの第一線の政治部記者も、この「気づき」の話をしています。この問題は社会が抱え込んでしまっているアジア的閉塞感(SNS上の誹謗中傷、指殺人、いじめによる自殺、正論を言い続けることが空気を読まない異端児とされる風潮)が社会心理的基盤を作ってしまっていることとつながっています。

◆今の時代を俯瞰的に見てみよう

社会学によると、このパラダイム転換は1980年代に起きていると分析されているのですが(近代は1980年代に終わり、ポスト近代に入っている)、日本をはじめとするアジアは、どうもその主体性の転換ができていないのかもしれません。外山滋比古さんも昔『思考の整理学』などで同じことを言っています。大人が引っ張って飛ばすグライダー式教育はお終いにしましょう、と。ずいぶん昔ですけれども。

昨日読んでいた雑誌に次のような文章がありました。

「社会の仕組み全体が20世紀後半のままなんですよ。だからみんなの根本のマインドセットも昔のまま。人口構成が変わって、高齢者が増えましたが、年を取っても皆元気になっている。・・(中略)終身雇用と住宅ローンのセットをはじめとして、色々なビジネスモデルは制度が終わっているのに、それを変えられない。端から見たら、我が国の状況は滑稽ですよ」(川端康夫・アクティブビジョン(株)代表取締役)

「(社会心理学者の故)山岸俊男氏の説によると、日本人は先進各国の中で最もパブリックマインドが薄く、自分の所属集団の中でのポジション取りにしか関心がない。自分のポジションさえ維持されば、ゲームの結果として全体がどうなるのか、ということに関心を寄せないという、非常に重要な特徴があり・・・」(社会学者の宮台真司・首都大学東京教授)

◆実践あるのみ・・理念の実現に向けて

というわけで、こうした理念に基づくと、保育園の保育方法も、行事のあり方も変えないといけないと思います。出口のない話は気分が良くないので、じゃあ、こうしよう、という話をしていくつもりです。でも「気づき」がないと、変えようという動機も持ちようがありませんよね。もうしばらく、その「気づき」報告を続けさせていただきます。(また、ちょっと長くなってしまったなあ。申し訳ありません)

 

 

 

 

赤ちゃんがぐっすり眠れる秘訣を学べるMam’s Salonが好評につき引き続き開催決定

2019/11/30

睡眠について小林先生の連載が「わらす」のブログで続いていますが、赤ちゃんのぐっすり睡眠の秘訣を説明してもらう、永持伸子さんによる子育て支援講座「Mam’sSalon」が好評につき、第2回を12月20日(金)、第3回を1月10日(金)に開くことになりました。両方とも「海老原商店」で午前10時30分から11時45分まで。ただし予約をお願いすることにしました。参加されたい方は、保育園(03ー6811ー6686)までお電話ください。

Mam’s Salon 23

 

 

 

お楽しみ会でみんなで歌おう!

2019/11/29

来週の土曜日7日は、お楽しみ会です。

運動会が親子みんなで運動を楽しんだように、このお楽しみ会も特に練習してうまくやる、ということが目的ではなく、劇や歌を親子で楽しむという体験をしたいと思います。

ふだん、劇とか音楽とか合奏とか合唱などにあまり興味がない方でも、みんなで楽しむとこんなに気持ちが高揚するものなのか、いいもんだな、という体験の日にしたいと思います。

そこで一つ目に、この地域に古くから伝わる音楽として、神田囃子を披露してもらいます。演奏は地元、須田町の「神田柳囃子」の会のみなさん。本物の「五人囃子」をご披露いただきます。最後には楽器の体験タイムも設けます。

もう一つは、保護者の方もぜひ、参加していただきたく、お楽しみ会の一番最後に1曲、皆さんと一緒に歌いたいと思います。子どもたちに、職員と保護者による「即席の合奏団」を結成しましょう。

練習は各自やっていただき、当日は、気持ちよく声を出せるように喉のコンディションを整えてご参加ください。

 

歌うのは、奉祝曲 組曲「Ray of Water」より第三楽章「Journey to Harmony」です。

まだ配信されていないので、you tobeより紹介します。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=12&v=QSwl2QcBotA&feature=emb_logo

作詞はNHK連続テレビ小説「ひょっこ」の脚本家の岡田恵和さん、作曲は「花は咲く」の菅野よう子さん。

私たちも、これから練習します。一緒に歌いましょう。

 

外門扉の上部の鍵はいつも閉めてください

2019/11/28

改めて「外の門扉の上部」の鍵をかけてくださいますように、ご協力のほど、よろしくお願いします。

以下は7月1日に「園からのニュース」でお伝えしたものです。
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(写真:開いているとき)
(写真:閉まっているとき)
外門扉の上部にスライド型の鍵をつけました。(写真)登園や降園の時間帯は、電磁ロック錠を連続して解錠してありますので、子どもが開けて出ないように、新たにつけたスライド型の鍵を必ず閉めて下さい。
【電磁ロックが連続して開いている登降園の時間】
  7:30〜  9:30
16:30〜18:30

開園6か月アンケートのまとめをHPにアップ

2019/11/27

 

本日、園だより12月号と一緒に配布した「開園6か月アンケートのまとめ」をホームページのカテゴリー「園だより」(パスワード必要)にアップしました。本日配布したピンクの冊子は、読み返すと変換ミスなどがあったので修正しました。

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