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園長の日記

「NEW」が2日間ピコピコ点灯します!

2019/12/10

ホームページをご覧いただいている方が多いことから、更新されたカテゴリーには「NEW」が2日間のみ点灯します。点灯するのは、「園からのニュース」「感染症情報」「お知らせ」「園だより」です。クラスブログは点灯しません。

公立の園長たちが2月に見学に来ます

2019/12/09

都内23区が5つのブロックに分かれていて、千代田区は中央区と新宿区と共に「第一ブロック」に入っているそうです。何の話かというと、公立保育園の園長会です。それぞれのブロック会で年3回、会合を開いているそうで、その内1回を施設見学に当てているそうですが、今年度は2月にあり、その見学先がうちになりました。全部で約30数人の公立の園長先生たちが見学に来ます。一度に園内に入らないので、神田川を挟んだ向かいの和泉橋出張所に集まり、私のプレゼンの後で、2時半過ぎから4時頃まで、小グループに分かれて見学して頂くことになりました。今日はその打ち合わせに、区から荒井課長と第一ブロックの代表の先生がいらっしゃっいました。

 

小西先生を偲ぶ会に参加して

2019/12/08

さる9月5日にご逝去された小西行郎先生を偲ぶ会が今日開かれました。小西先生が保育に与えた影響は大きく、赤ちゃんが本来持っている自発性や環境との関係は、いまだに保育や子育てに関わる人がきちんと学ぶ必要がある知見に富んでいると思います。今年の学術集会に参加できなかった小西先生は、メッセージを寄せられました。その音声が今日もご紹介されたのですが、現在の子どもをめぐる環境の悪化について、強い危惧を抱かれておられました。小西先生の意思を受け継いでいこうと、気持ちを新たにいたしました。以下にその最後のメッセージをご紹介します。

<・・・このグループを集めたのが私の一つの役割だったような気がしますけれども、これがおそらく他に類を見ない学会を作ったのではないかと思っています。ですので、日本赤ちゃん学会は、この得意面を強調しつつ伸ばしていっていただきたいという風に考えます。そしてもう一つ重要なものとして考えているのが、基本的は保育、育児、教育の現場とこの研究をどう結ぶかということを理事長になってから考えてきました。おかげさまで様々なところで、赤ちゃん学講座を開かせていただいて、少しずつ赤ちゃん学が広がってきたと思っています。ただ、学会を創設した2001年からこの19年間の間に、できたことはほんのちっぽけなことしかないのかなと思うと同時に、今、あの時期に比べて、子どもたちをめぐる社会の悪化、変化が非常に気になっています。発達しょうがいが増えた理由、あるいはインターネットを含めてですけれども、大人が子どもを悪くしている状況が見られます。私は医者ですから、当然、発達しょうがいとか興味があってやってきましたけれども、この場面は、赤ちゃん学会にとっても生命線ではないのかな、という風に思います。もちろん研究者がしたい研究を自由にするのが学問であるだろうとは思っていますけれども、この時代、子どものこの環境、睡眠もそうですし、栄養もそうですし、インターネットもそうでし、もっと大きな問題は大人が子どもを管理している、という世の中、これは正しいのかどうかというきちんとした論争を外に向かってやっていく時期が来たのかなと、強く強く感じるようになりました。私は赤ちゃん学、あるいは学会の仕事を専らにしてやってきた、とても変わった生活をしてきた人間じゃないかなと思います。それだけ思いの強い学会運営をしてきたのではないかという風に、反省はしています。ですが、この学会をやってよかったのは、研究者だけじゃなくて、保育士さんなり、保健婦さんなり、あるいは赤ちゃん学をつなぐ人たちが、何人もできたことだと思います。すでに赤ちゃん学は社会に認知され、その重要さは、むしろ現場の方に認められているんだと思います。どうか既存の研究者の方に、そこの重要さをお分かりいただければありがたいなという風には思います。・・・>

 

おたのしみかい、いかがでしたか?

2019/12/07

◆いろいろな発達の過程を示した姿

保護者の方がいる中で、子どもの言葉や表現を見てもらう。そんな趣旨の「おたのしみ会」でしたが、いかがでしたでしょうか。ぜひ、感想をお寄せ下さい。

子どもの姿といっても、普段とはいろいろなことが違います。まず、目の前に保護者がいます。

「(なぜいるのかかがわからないという発達の段階も含めて)傍らに親がいるという認知」

「見られている(と意識できるのも発達)という自意識」

「なぜ近くに来ないの?という違和感」・・

子ども達は、いろんな思いが沸き起こってくる自分自身との葛藤を感じながら、「これをやろう」というつもりでいる心理。それが外から見たら「緊張している」「浮き足立っている」「あがっている」といった姿に見えるというわけですね。でも、私からしたら、みんな「なんて素晴らしい子たちなんだろう」と思いました。全員を抱きしめて、褒めてあげたいと思いました。

環境が変わると、ちっち組かららんらん組まで、その姿が違うという当たり前の姿が見られましたね。それが自然なことなのです。まず、その確認が大事ですよね。普段通りにできることを望んではいけないのです。それを子どもに強いてはいけません。人的環境が変わったら、心は変わるのですから。普段の園生活の様子は幕間で見ていただいた写真や動画に写っていた姿です。それも含めた全体をできるだけお伝えしたかったからです。(それでも、一部分ではあるのですが)

◆子どもにとって「初めての経験」

このことを、もう少し踏み込んで説明します。

園生活と家庭生活とでは、環境が違うから子どもの姿も違うということは、これまでも、すでに、いろいろなところで気づかれていると思います。保育園の食事は進むのに、おうちではあまり食べない、とか、園ではお手伝いが好きなのに家では甘えてばかりでしない、とか。それが自然なことでしたね。相手が違うのですから。子どもは人によって対応が変わります。どっちが本当かを求めても仕方がありません。どっちも本当なのでした。

さらに、今日のおたのしみ会という状況は、園生活の中でありながらお家の人がいて、しかも傍にいるのに「見ているだけ」という、子どもにとってこれまで経験していない「不自然な状態」とも言えます。子どもにとって普段とは違うのです。子どもにとってほぼ「初めての経験」だったのです。初めてであることだけで、どうしたらいいのか見通しが立たず、不安になることもあります。そういう傾向の強い子もいます。

◆子どもは親の顔を見ると「安心したい!」という気持ちが引き出される

そうした心の葛藤に対して、どのように心が処理していたか。それが「表現」されていました。いろんな姿で我慢していた姿がありましたね。それもまた対人関係力の発達に必要なプロセスでした。「ママ(パパ)がいる!(ほら、見て)ママがいる!」という気づきは、黙ってしまう子もいれば、声に出して、あるいは指をさしている子もいました。傍に寄っていく子もいました。あるいは笑顔で手を振っている子もいました。これらに共通するものは、「ほら、私(僕)はここにいるよ、受け止めて」です。

受け止め方はいろいろです。笑顔でうなづく、見に来たんだよと説明してあげる、一度だけタッチしてあげる、膝に座わらせて安心させる、キューっと抱きしめてあげる・・・こうして子どもは安心を求めていました。子どもは「安心基地」に一旦立ち寄り、心のエネルギーを補給してから、また劇遊びなどに戻っていきます。これを心理学では「安全感の輪」と言います。

◆「地域を知ろう」シリーズとしてのお楽しみ会

8時半に園に来ていただき、舞台で準備をしている時、初めて知ったのが「締太鼓」の締め方です。鋼鉄製のボルトで、ギイギイと締めていました。「しん」と「流れ」の二つの締太鼓で、微妙に音程の差があるように調整していました。ギターやピアノのように絶対音階をはかる道具があるわけではなく、耳で高さを合わせます。

会の最後にお囃子の体験をしていただきましたが、あのハリのある音は、かなりきつく張ってある太鼓の皮だから奏でられる音なのです。

今回は神田囃子を楽しんでいただきましたが、この地域にはホンモノの伝統文化が、このように根付いていることがよくわかりましたね。長い歴史のある日本が生んだ正統な文化だけに、私たち日本人がそれをよく知っておくことが「グローバル社会」の条件です。日本人が日本のことをよく知っておくこと。そのコンテンツがないといくら英語が喋れても話すことができませんからね。

さて、最後に一言、演芸ホール支配人を演じた園長よりお礼申し上げます。

◆演芸ホール支配人によるオフィシャルコメント(感謝とお詫び)

本日は千代田せいが演芸ホールの柿落とし公演にご来場いただき、誠にありがとうございました。お陰様で一部、二部ともに盛会のうちに初演を挙行できましたこと、改めてお礼と感謝申し上げます。

まず二部の開始が予定よりも大幅に遅くなり、長らく1階ホワイエにてお待ちいただくことになったことを、ホール支配人としてお詫び申し上げます。椅子や敷物を用意できず、ご不便をおかけしました。

二つ目は、今日は寒くて、雨が降っている中での実施でしたので、子どもの移動では室内階段を使うべきだったと反省しています。避難階段とベランダを用いたのは、手狭な客席の中、できるだけ多くの保護者の皆さんに座ってみていただくことを優先したことがあります。また保護者の方の傍らを通ることで情緒が不安定になってしまう子どもたちが多くいることが予想されることも、そう判断した理由の一つです。さらに避難階段は毎月の避難訓練で使って慣れているということも理由の一つでした。

今回の演芸ホール特設会場は、元のにこにこ組の部屋、ダイニングに戻りました。年に1回の公演ですが、また来年をおたのしみに。ありがとうございました。

身長170センチが1ミリ伸びた理由

2019/12/06

私はよく学生さんたちに「実はね、保育の質は先生の背の高さ以上には、高くならないんだよ」という例え話をします。私の身長はちょうど170センチですが、それ以上に保育の質は高くなりません。

どういうことかというと、子どもの発達には持って生まれた力と、生まれた後で経験する内容との掛け算で成り立ちます。あくまでも、例え話です。持って生まれた力が10センチで、経験する内容が10センチなら、その子の発達は10かける10で100平方センチです。保育の質は持って生まれた力をどれくらい引き出せるか、「かける10」なのか「かける20なのか」あるいは「かける100」なのかで変わります。持って生まれた力が同じなのに、面積は100だったり200だったり、1000だったりするのです。

その掛け算の数値は、大人の力です。どんな経験を用意できるか、子どもがどんな経験ができるかで変わってくる変数なのです。ところが、その変数を大きくする力は、保育者の力にかかっていて、それを環境構成力と保育学では言います。どんな環境を用意したら子どもがよりよい経験ができるか、そのセンスが問われるのです。そのセンスは、大人も持って生まれた力とそれまでの経験の掛け算で成り立つので、大人もまた「どんな経験をしてきたか」が大事になります。話を少し飛躍させると、大人がどれだけ「ホンモノ」に感動し、魅了された世界を持っているかということです。なぜなら、大人もその魅力的な世界を、子どもたちに伝えたいと思うからです。そう思うかどうかが、決定的なのです。私はそれを大人の身長に例えているのです。

明日はお楽しみ会ですが、大人が魅了されたものを、子どもたちと、そしてみなさんと分かち合いたいと思います。昨日5日(木)の夕方、神田柳囃子の会の練習場にお邪魔して、最後の打ち合わせと同時に、締太鼓を叩かせてもらいました。

奥が深いです。やってみて初めて、会の皆さんの演奏の素晴らしさに気づくことができます。毎週毎週、練習しているからこその音色です。その素晴らしさをぜひ明日味わっていただきたいと思っています。実際に演奏させてもらって、私の身長は170センチ1ミリに伸びました。

保育の質は、保育者のSense  of  Wonderだよね、といういつもの話です。明日のお楽しみ会が、驚きに満ちたものでありますように。

 

生活の中の声、言葉、椎茸の天ぷら

2019/12/05

◆「にこにこさん、通っていいよ」。

サンタからの手紙が届いているか、確かめに来た3歳のNKくんと4歳のYSさんの2人。NKくんが「今日はよん?いつつ?」とか「ごにちと書いて5日っていうんだよ」とか話していると、ちょうど散歩に出かける2歳クラスのにこにこ組の子たちが降りてきました。そこで私が「あ、にこにこさんが降りてくるから、ここにいると靴がとれないかな」と、にこにこの先生にいうと「大丈夫です。靴は、こっちなので」と先生からの返事。2人はその会話を、聞いていたのでしょう。二人らしいなあと、笑ってしまったのですが、座っている場所は変えずに、足を上げて、冒頭のようにいったのです。

◆英語でおかえり!は何ていうの?

散歩から帰って来たらんらんのUKくんが、坪井先生に聞いています。「英語で、ただいまあって、何ていうの」「アイム・ホーム、じゃない」「じゃあ、おかえり!は?」。いい会話だなあ、としばらくその会話を聞いていました。すると、らんらんのNJくんが、「アイム・ハロー」というから、私が「それじゃあ、僕は今日は、になっちゃうんじゃない」。それを聞いていた、TRくんも、英語らしい発音で何かそれらしい口調を真似していました。英語を喋りながら遊んだり、食事をしたりできる方を探してみようかな?

◆「言葉かけ」という言葉への違和感

11月8日にある大学へ講義へ行きました。その感想と質問が届き、先日返事を返したのですが、その中に数人の学生さんから「子どもの言葉かけで気につけていることはありますか?」とか「どのようなこえかけと接し方をしていけばいいのか?不用意な声かけをして、よくない影響を与えてしまうのではないか?」、あるいは「子どもの気持ちに共感するには、どのような声かけをするべきでしょうか?」といった具合に、何度も「言葉かけ」とか「声かけ」という言葉が使われていました。私からは「言葉かけ」という言葉に違和感を感じてほしい、という返事を次のように書きました。

<(略)・・・まず「言葉かけ」という言葉に、違和感を持って欲しいですね。Eさんは普段の生活で家族や友達に「言葉かけ」なんてしますか? 園生活も生活です。この言葉の由来は、学校での指導のための教育心理学と対応して生まれた教育技術の言葉です。子どもたちと自然な会話をすればいいだけです。

ですから、子どもに教育的な語りかけをしないといけないという先入観をまず捨ててください。その根拠を知りたい方は、『心理学と教育実践の間で』(東京大学出版会)などを読んでみてください。

語りかけることよりも大事なことは、子どもが何をしたがっているのか知ろうとすることです。それがあって、先生が何かに気づいて、「あ、そうか!」があったら、その上であなたの中に何か自然に湧き出てくるものです。それが援助内容なのです。そのつながりが大切なんです。それが「保育のプロセス」になることを押さえておきましょう。・・>

◆なにも言わないという働きかけ

今日、私の中に起きた、「あ、そうか!」は、12時前にお散歩から帰ってきた「わいわい」「らんらん」さんの姿を見たときに閃きました。閃いたことを、先生に伝えました。「この子たちに先生たちは何も言わないで、自分で何をすればいいか考えられるようにしよう」。先生たちが玄関でつい色々言っていた言葉を全く封印して、どうなる見てみました。すると、面白いことに(と言って子どもたちに失礼ですが)、自分で外履を脱いで上履きを靴箱から出して入れ替え、上履きを履いて、水筒を下ろして帽子とコートをかけて全員3階まで登ることができました。

(こう書くと、なんだか当たり前すぎることですね。そんなことも自分でまだできなかったのか?と思われるかもしれませんが。でもそれすら、なかなかできなかったのが現実なのです)

途中で、帽子の紐が絡まって「やって」と助けを求める子が一人いましたが、それ以外全員が自分で考えながら3階まで登って行きました。この子達は、全員できるんです。自分で考えて次はどうするのかも知っているし、大人の「声かけ」はいらないのです。その代わり、先生たちと打ち合わせて意識して声にしたのは、「だいぶ大きくなった椎茸を収穫しなきゃ」とか「お昼ご飯はすき焼き風煮物だって、お腹減ったなあ」とか、「調理の先生が椎茸を天ぷらにしてくれるそうだよ」とか、そんな会話を子どもたちに聞こえるように話しました。

椎茸の収穫の話が聞こえた子は「僕もきのこやる」と言ってきました。自分なりに次の行動に移し始める子ども達です。その中で、困ったことやあれば「やって」「できない、手伝って」などを言えるようになっていけばいいのです。大人は黙って手を出してやってあげてしまいますが、自分でできるようになっていくように助ける。これが大切なことだと思います。

椎茸の天ぷらは、大好評でした。

 

 

 

お兄さんお姉さんの様子に興味津々

2019/12/04

◆お楽しみ会の予行練習2回目

当日までのお楽しみ!とばかりに、ちっち組の後ろ姿だけを載せた今日4日のブログをみて、じゃあ、私はその「横顔」をご紹介したいと思います。

これです。

ぐんぐんさんが、絵本で「だるまさん だるまさん にらめっこしましょ 笑うと負けよ あっぷっぷう 」とやっている様子に、食い入るように見入っていますね。みんな気持ちは、だるまさんの世界に入っています。

これが、子どものすごいところです。新しいもの、楽しいものが好きなので、その中に身も心も「なりきっている」のです。

ところが、今日と違って、お楽しみ会当日は、目の前に親御さんがちが「かぶりつき」の状態なので(笑)、子どもたちも、うそっこの、なりきっている世界を楽しみたい気持ちがあるのと同時に、大好きなおうちの人も目にするので、気持ちの整理がつきにくいことなります。

「ママ〜、パパ〜」と手を振るくらいの余裕があるといいのですが、まだそこまではいかないでしょうから、当日は、そっと温かく見守ってあげましょう。もしおうちの人のそばにいたくて泣いて、どうしても我慢できなくなったら、どうぞ舞台の上まで来てそばにいてあげてください。

◆今日は「これをするんだ」と生活プランを持つ

それから「わらす」のブログで「今日はこれをやって遊びたい」という見通しを持てることの大切さを述べています。それを読んで思い出したことがあります。先日お会いした忍岡高校の家庭科の先生の話です。知人がミュンヘンの幼児施設に通っていたのですが、日本に帰国して園に通いだしたのですが、しばらくすると登園できなくなってしまったというのです。その理由が、日本の園ではやることを先生が決めているけど、ミュンヘンでは、子どもがやりたいことをやれるというのです。「今日はこれして遊ぼう」と「わくわくして園に通っていた」そうです。日本ではそれがなくなったから、園に行きたくなくなったと。

◆わくわくする生活

ぐんぐん組のブログや微笑ましいですね。こんなに小さい子が「わくわくする」って、自分の気持ちを的確な言葉で表現できるなんて、なんて凄いことだ、と思いませんか。豊かな心情体験がある生活を送っている証拠だと思えます。こんなに小さい時から、子ども同士が心を通わせているから、「共にいる」という心がこうして育まれていくのでしょう。

一方で、相手のことが「好き」とか「嫌い」とかを言い合える正直なところが子どものよさであり、また、そうしたマイナスの心のぶつけ合いも、大切な経験になります。これも広い意味での心の通わせ方です。幼少期の人間関係でも、葛藤する気持ちを抱えることもあります。そういう言葉を経験しあって、自分も嫌な思いをしたり、悔しい思いをしたりします。そういう生の感情が、心の優しさと強さを育てる肥やしになるのです。

◆毎日が成長の軌跡に

色々なことが起きる園生活。それを全て詳らかにすることは不可能です。でも、こうやって担任の先生が、それぞれの視点で気づき、感動し、悩んでいることが、私にはとてもありがたいと感謝です。何度か申し上げてきましたが、行事はあくまでも通過点です。それを経験することで、またさらに意欲的な子どもたちになってもらえたらと願っています。

 

 

 

 

いしたけの栽培

2019/12/03

あっという間に大きくなったしいたけ。

そろそろ、大きくなったのから収穫して食べます。

12月3日

12月2日

12日1日

11月30日

11月27日

アドベントカレンダーにサンタから毎日お手紙が!

2019/12/02

12月20日(月)から玄関にアドベントカレンダーを飾りました。1日から24日まで24の靴下に日付がついています。この中に、サンタクロースから毎日、手紙が届きます。その手紙には、さて何が書いてあるのでしょう? らんらんのお手伝い活動として、毎日その手紙を読んで、そこに書いてある遊びや活動をします。クリスマスを楽しみに待つという、基本的には「わらす」向けの活動になりますが、その趣旨は皆さんにお伝えしておきます。

今日2日のお手紙は、絵本のプレゼントを届けたよ、というメッセージでした。子どもたちは、大喜びでした。

11月を振り返りつつ、実践の方向性を確認する

2019/12/01

毎日、こうして日記を書いていて、「これでいいのかなあ」と、ふと思うことがあります。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がいろんな意味で社会問題になっているからです。そうした報道に接すると私自身が「たまにはスマホやパソコンを使わない日を決めようかな」と思う自分がいるからです。確かに新聞記者をしていた30年ぐらい前は、ポケベルがなると公衆電話からデスクと連絡を取っていた時代がありました。紙の原稿用紙に黄色いビックのボールペンで原稿を書いていた時代でした。

11月に取らせていただいたアンケートで、35家庭のうちホームページをみている方が「ほぼ毎日」が14人(締め切り後の回収も含めて)、「週に数回」が6人いらしゃっいました。多くの方がホームページをみてくださっています。私はそれに応えたいという思いもありますし、アンケートの結果だけではありませんが、最近は慣れてきたこともあるのか、担任の先生たちによるクラスのブログの更新頻度も上がっています。私も毎日、お伝えしたいことが山ほど出てくるので、つい、日記なのにいろいろ書いてしまいます。ただ、クラスブログの量が多い時は、私の日記は少な目にしようと思っています。でも保育園で何が起きているのか、その意味について解説することを歓迎していただいていることがよくわかったので、それは続けていきたいと思います。

急いてみて欲しいことは「園からのニュース」に書きますので、日記は暇の時に時間つぶしで楽しんでくださいませ。

◆11月を振り返ると・・・

中旬から一気に寒くなって、雨が多かったので外遊びがあまりできませんでした。でも室内での運動遊びは活発です。

またお楽しみ会に向けて、乳児は朝のご挨拶や絵本や運動遊びを少し意識してやっています。それに加えて、2歳のにこにこ組以上は劇遊びや、楽器遊びを楽しんでいます。

また11月は保育士養成校との連携や、地域向けの子育て支援として保育所体験や睡眠講座も始めました。

そのうち、短大の先生、大学の先生、高校の先生と話す機会がありましたが、29日にお会いした忍岡高校の家庭科の先生がおっしゃっていた話が印象に残っています。その報告と感想を少しします。

◆高校生が保育士になりたいと思った時に・・

その話というのは、<いま高校生の間で、保育者になるには、ピアノが弾けて、素話ができることなどが条件のような空気ができてしまっている>といった話です。私は長年、日本の保育士養成課程のあり方に関わってきたので、現場を含め養成校の課題、特に実習のあり方などを検討してきました。でも高校段階でも課題があることは知っていましたが、こんなに身近なところで、違和感を持っている家庭科の先生とお会いできたのです。

◆高校生に本来の専門性とは違うイメージが伝わって・・

保育者の専門性は、環境を通した教育、自発的な活動としての遊びをいかに創り出すかにあるのであって、主体は子どもなのです。ところが、今の家庭科の教科書や保育検定の試験対策が、「子どもが一斉に受け身的にしか体験することしかできない表面的な技術」を優先的に高校生に教えるので、それが保育者の専門性だと誤解されかねない状況を作り上げてしまっています。

例えば、音楽領域ではピアノ演奏で伴奏しながら大きな声で歌えること、絵画・制作領域では折り紙が折れてポスターが作れること(私は知らなかったのですが、折り紙には動物、植物、その他など種類に分けられていて。「カエルはどの種類ですか」という引っ掛け問題があり、それに「動物」だと答えるとバツになるというのです。カエルは両生類ですが、動物ですよね!)、言語領域では3分間で素話ができること・・・こんな表面的な技術がまず必要だと高校生に教えてしまうことは、罪作りなことだと思います。子どもの発達を理解したり、子どもが環境に働きかけることや、遊びの重要性などは、ほとんど問題にされていないのですから。

◆保育士資格を取るための試験について

私も保育士の資格を持っているのですが、試験を受けた時のことを思い出しました。確かにこの3領域の実技試験を受けました。バイエルを練習したりしてました。私が試験を受けた時はピアノ伴奏曲が「おつかいありさん」でした。「♩ あんまりいそいで ごっつんこ〜」で始まる、あれです。絵画・制作は「動物のイラストを使った運動会のポスター」作り、そして素話は、なんでも自由に覚えておいていいので、私の子どもが好きだた絵本の話をしました。3分で話さないといけないので何度も練習したことを覚えています。

確かに、こうした技術は必要かもしれません。それなら海外のように楽器はギターの方が子どもの方を見ながら伴奏して歌いやすいですし(今の実技試験はギターやアコーディオンでもよくなりました)、絵画制作は先生が作るのではなくて子どもがもっと幅広い制作遊びができる環境づくりを問うすべきですし、素話も大切ですが、記憶には限界があるので、いろんな絵本や紙芝居を読んであげたりすることが現実的です。

◆あくまでも保育は子どもが自立することを目指す

もっと重要なのは、大人がやってあげるのではなく、子どもが主体的に関わって遊ぶことの方がいいのです。楽器は子どもが触れて親しむ、歌は伴奏も手拍子で子どもがやってもいいし、絵は子どもが描くものであり、劇は鑑賞するのもいいですが、子どもが劇遊びをすることなどを主にすべきです。

海外の有名な保育室を見ると、子どもがペープサートや指人形を演じる子どもサイズの舞台や枠が用意されています。子ども用のイーゼルや子どもが使いこなして演じて遊ぶための衣装ラックが置かれています。子どもと大人のどっちが主役か。発想が逆なんです。

この点をどうにかしないと、アクティブラーニング(遊び)になりません。いつまでたっても、言われたことがやれる子どもが良いとされ、自分でやろうとする主体的な青年が育たないと思います。

◆どうしたらいいのか、突破口はどこに?

その家庭科の先生は、「これでいいのかな」という違和感を感じていました。話を伺っていて、また同じ課題だなと思いました。つまり今、社会で話題になっている問題の解決策を考えていくと「そうした方がいいとはわかっているんだけど、変えるきっかけがわからないし、そうすると、今までそれをやっていた人たちに迷惑がかかるし。実際には、どうしたらいいかわからない」という、誰もが気づいているあの「気づき」です。

余談ですが、分野は違いますがマスコミの第一線の政治部記者も、この「気づき」の話をしています。この問題は社会が抱え込んでしまっているアジア的閉塞感(SNS上の誹謗中傷、指殺人、いじめによる自殺、正論を言い続けることが空気を読まない異端児とされる風潮)が社会心理的基盤を作ってしまっていることとつながっています。

◆今の時代を俯瞰的に見てみよう

社会学によると、このパラダイム転換は1980年代に起きていると分析されているのですが(近代は1980年代に終わり、ポスト近代に入っている)、日本をはじめとするアジアは、どうもその主体性の転換ができていないのかもしれません。外山滋比古さんも昔『思考の整理学』などで同じことを言っています。大人が引っ張って飛ばすグライダー式教育はお終いにしましょう、と。ずいぶん昔ですけれども。

昨日読んでいた雑誌に次のような文章がありました。

「社会の仕組み全体が20世紀後半のままなんですよ。だからみんなの根本のマインドセットも昔のまま。人口構成が変わって、高齢者が増えましたが、年を取っても皆元気になっている。・・(中略)終身雇用と住宅ローンのセットをはじめとして、色々なビジネスモデルは制度が終わっているのに、それを変えられない。端から見たら、我が国の状況は滑稽ですよ」(川端康夫・アクティブビジョン(株)代表取締役)

「(社会心理学者の故)山岸俊男氏の説によると、日本人は先進各国の中で最もパブリックマインドが薄く、自分の所属集団の中でのポジション取りにしか関心がない。自分のポジションさえ維持されば、ゲームの結果として全体がどうなるのか、ということに関心を寄せないという、非常に重要な特徴があり・・・」(社会学者の宮台真司・首都大学東京教授)

◆実践あるのみ・・理念の実現に向けて

というわけで、こうした理念に基づくと、保育園の保育方法も、行事のあり方も変えないといけないと思います。出口のない話は気分が良くないので、じゃあ、こうしよう、という話をしていくつもりです。でも「気づき」がないと、変えようという動機も持ちようがありませんよね。もうしばらく、その「気づき」報告を続けさせていただきます。(また、ちょっと長くなってしまったなあ。申し訳ありません)

 

 

 

 

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