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園長の日記

木場公園が園庭と思えた瞬間

2019/06/12

■3回目の木場公園
木場公園へのバス遠足も今日で3回目になります。先週7日よりも、たっぷりと遊んできました。今日は道路もあまり混んでおらず、信号待ちも少なくて約20分で木場公園に着きました。わらす組の子たちにとっても見覚えのある景色が増えてきて、両国橋を渡るとき今日はスカイツリーが見えました。
■小林先生はホスピタリティのお手本
「わぁ、すごいなぁ、わぁ、珍しいなぁ」と、子どもの好奇心に訴えて、場を盛り上げたい、サービス旺盛な小林バスガイド。私が個人的に面白かったのがこの場面。流石の小林バスガイドの説明も3回目にして、はやくもネタ切れ?のはずもなく、わざと向かいからすれ違うただの普通のバスでも「あー、すごいね、あのバスみんな見えるかな、『回送』って書いてあるよ、わぁ、珍しいなぁ」と、時間稼ぎにでたトークに対して、海の「海草」と勘違いした子がいてくれて、子どもが笑いに落としてくれました。小林バスガイドを救ってくれたT君、ありがとう。
■子どもは乗り物が大好き
しかし、小林バスガイドの本領発揮の場面がやってきました。「ピーポーピーポー」とサイレンを鳴らして走り去った特殊車両が通ってくれた時でした。「とても珍しい車が走っていったね。パトカーでも、救急車でも、消防車でもない車でした。なんだと思う?」私も「!?」と引き込まれてしまいました。
「今のはね、血液ってみんなわかるかなぁ、人は体の中に血液が流れてるんだけど、動物もそうなんだけどね、その血液を急いで運ぶ自動車だったんだよ」
その車の正式な名称は「献血運搬車」でした。そして自然な流れとして、「はたらくくるま」の歌が口ずさまれます。
「♫働く、くるーまー、
♫ケンケツウンパンシャ!」
■はらっぱの引力を再確認
昨日まで雨が降っていた公園なので、土の表面がつるんと光っているところは「滑りやすいから気をつけて」といった程度の注意確認の話もそこそこに、広い原っぱに散り散りに飛び出して行きました。まずは大抵の子たちが走り出します。こんなに広いところは、隅々まで走り回らないともったいないとでも身体が感じ取るのでしょうか。面白いですね、虫かごを持っていても走っています。
サッカーが好きな子は、ほとんどの時間を友だちや先生を相手にボールを蹴って走り回っていました。虫がいそうな場所を探し回っているこもいます。公園に着くなり、最初に子供たちの群がりができたのは、大きな銀杏の木の根元に見つけた大きなミミズでした。鳥についばまれていたのか、ほぼ絶命状態でしたが、子どもたちは恐る恐る、興味深げに見入っています。
■モンシロチョウを追って
遊んだ時間も長かった上、かなり走り回わることになったのは、モンシロチョウのおかげです。ヒラヒラと舞い回わるモンシロチョウを捕まえてたくて、「あ、あっち、ちょうちょ、いた!」と追いかけます。モンシロチョウがこんな速いとは思っていませんでした。自分たちでは捕まらないと悟ったのか、見つけるたびに「先生!」と叫ぶようになっていた子どもたちでした。5、6匹は捕まえたでしょうか。小林先生と坪井先生の走行距離もかなり伸びました。次回は万歩計をつけてもらいましょう。
(「あとは、自分たちで、やってやって」とモンシロチョウを捕まえた網を子どもたちに任せる坪井先生と、それを見守る小林先生と古野先生)
■「いざこざ」が自然に包まれる
チョウが捕まるたびに虫取り網に、子どもたちが群がります。虫かごの中は子ともたちの宝物に変わり、それを誰が持つか、宝物の争奪戦も同時に勃発します。このようないざこざも、何度も続くと、狭い室内だったら大人もイライラしてしまうでしょう。ところがこのように大自然の真下で、自分の欲求をぶつけ合う姿を見ていると、怪我をしない限りは、どんどん気持ちをぶつけあったほうがいいんだろうなぁと、思えてきます。子ども同士の関係は、大自然に包まれて初めて育まれていくのかもしれません。
「さっき捕まえたのは紋白蝶だね、これは紋黄蝶って、書いてあるね。同じ仲間だけど、羽の色が黄色いのが紋黄蝶で今日捕まえたのは紋白蝶だね。」
■身についていたルール
水筒を置いているブルーシートの周りに鳩が寄ってきたときも、ずいぶんと長い間、鳩との鬼ごっこが続いていました。
鳩がサイクリング道路側へ逃げても、子どもたちは、そちらまで追いかけて行く事はありません。原っぱの中にとどまると言うルールを、きちんと守ることができていました。安心して見守ることができます。公園は何組も保育園の子どもたちが来ていて、目印としての緑の帽子が役立ちました。
走り回ってくたびれると、木陰に置かれた木枠の台に座ったり、立ち上がってアイドルのように体を揺らして歌う真似っこをする子もいました。
■園庭にいた感じを思い出す
最初にここに来た時、外に出てしまう子はいないかと、監視するかのように子どもの数を何度も数えていた緊張感に比べたら、今日は長閑です。園庭にいる時の安心感を思い出しました。こうなってきて初めて、子どもの傍らで一緒に生活している感じがしてきます。今回は、自然と「ですます調」で書いていることに気づきました。これが、ハラハラすることがなかった証拠かもしれません。
■帰路の車中も和やかに
いっぱい体を動かした後で、下町の玉子焼き屋さんや、たい焼き屋さんの前に赤信号で止まると、お店の人が手を振ってくれます。なんだ、妙に嬉しいですね。

業務日誌より

2019/06/11

9時30分、朝のお集まり。散歩前に交通安全の紙芝居をみる。
10時、子育て推進課2名、東京ビルド2名で解体工事について打ち合わせ。防音壁、アスベスト対策、粉塵対策。
11時、園の周りの喫煙対策。労務管理事務の処理。
12時15分、子どもと食事。野菜を美味しく食べるための「味覚体験」のアイデアを考えながら。
13時45分、給食会議。6月までの給食を振り返り、7月の献立のコンセプトを確認する。素材の味を引き出し料理。食べる意欲を育む配膳と喫食方法。
14時、行事会議。夏の行事について屋形船依頼の進捗状況。町会主催の夏祭り情報を確認する。
14時30分、子育て支援課看護師。プールの後のうがい、感染症状況、千代田区の感染症サーベイランス態勢、区の病後児保育施設など。
15時、区との情報交換。明日のバス遠足の再確認。
16時、園見学者4名を案内。
18時、災害対策計画に関する区からの調査依頼を確認。

梅ジュース(シロップ)作り

2019/06/11

園生活にはいろいろな活動があるなかで、子どもクッキングは、いろんな経験がギュッと盛り込まれていて面白い。昨日10日は朝9時30分から10時まで「梅ジュース作り」を楽しみました。

エプロン、三角巾、マスクの準備ありがとうございました。
テーブルにラップを敷き、手を洗ってマスクをつけ、ポリエチレンの子ども用手袋をつけて準備完了。衛生面に気をつけて、食べ物を扱う時は「きれいに」と言うことを徹底します。
まず、青い梅の蔕(ヘタ)を、竹串でとります。尖った先端は、使い方を誤ると手を刺して怪我をしかねないのですが、この使い方なら、その心配はあまり、いりません。また、子どもたちの関係も気持ちも安定しています。このくらい人間関係も成長してくると安心です。子どもたちは上手に「ほじくって」、ポロリと取っていきます。刺すという動きではないから力はいりません。だから誤って手を刺すこともありません。
私は「竹串のどこを、どう持つだろう?」「 鉛筆を筆握り(人差し指に中指も添える)のようにすると、使いやすいと気づくだろうか?」などと思って、その様子を見ていました。
それと近い持ち方の子もいます。鉛筆のように持った方が、竹串の先をうまく操作できるということに気づいているようです。また串を鉄棒の順手のように握っている子もいますが、それでもうまく加減して動かしています。なかには、添えている手から梅がこぼれ落ちてしまう子もいました。
これは、手指の巧緻性や、手首の柔らかさが求められる活動と言えます。普段から、色鉛筆で塗り絵をしたり、クレヨンでぐるぐると手首を回してを描いたり、綱やロープにぶら下がったり、砂や水をコップにいれたりこぼしたり、そんな遊びをいっぱいやっているかどうかと、きっと関係しています。
 
蔕が取れた青梅は、氷砂糖と一緒にビンの中に収まれば、終わりです。ここでもまた、ちょっとした人と人とが支え合って生活する、という場面が出てきます。「僕もやりたい」「わたしもやりたい」の気持ちをコントロールしながら、順番を待ち、梅と氷を交互に入れていきます。
この梅と氷砂糖を「まばらに」混ぜるということは、小学校後学年になると「一様(いちよう)に」混ぜると言う言葉が出てくるのですが、このような感覚を体験しておくことが、算数や理科の学習を支えていくことにつながっています。
古川先生が「夏には梅シロップになると思います。冷やして飲むと美味しいよ。楽しみに待っていようね」というと、子どもたちは「早くできないかなぁ」。
最後は、氷砂糖の小さいかけらを、一粒ずつ舐めて「あま〜い!」と、笑顔で終わりました。子どもたちは、砂糖と梅が混ざって、どんな味を想像しているのでしょうか?簡単なので、お家でも、ぜひやってみてください。小さいボトルで、できますよ。

心肺蘇生方法の練習

2019/06/10

心肺蘇生法は、練習を定期的にやることが大事ですが、今日(10日)は神田消防署から指導に来ていただいて、開園して初めて実施しました。AED(自動体外式除細動器)は近く導入する予定です。その使い方も学びました。いざという時に、慌てないように。

ソサエティー5.0の数学

2019/06/10

■ソサエティー5.0
(梅と梅の隙間に、小さな氷砂糖が入り込めば、最も全体が効率よく埋まります。容積は同じでも、形の組み合わせが大事だということがわかります。幼児教育でこれに気づくことができる活動は、工夫すればありそうですよね。家庭でも収納をするときに、使っている幾何数学になります。)
昨日9日日曜日、日本数学検定協会の評議員会がありました。日本政府は来たる近未来社をSociety5.0と命名しました。狩猟、農耕、工業、情報の各社会に続く人類史上5番目の新しい社会という意味です。その産業社会では、大学受験を勝ち抜く受験数学ではなく、職場で必要とする数学が必要な社会になるだろう。昨日はそんな質疑がありました。
学校と社会のズレは、企業の人事担当者と話すとよく話題にやなりますが、幼児教育の質が数学・算数と関係することに関心を持つ方は、あまり会ったことがありません。まだ「幼稚園でもカードで暗算とかやってますよね」とか「算盤もまだまだ必要らしいじゃないですか」とか、言われたことはあります。日本での数学理解は、誤ったまま浸透しています。これは何とかしなければなりません。
(最も小さな面積で、最も大きな容積を作り出す球と言う形)
■幼児のプログラミング教育とは
先週、島根の園長先生と「プログラミング教育」ついての話しになりました。2020年から小学校で必須となる「プログラム学習」ですが、幼児教育におけるそのテーマは、どんな遊びや活動の中で経験できていくか、探ってみたいテーマの1つです。
ポイントは抽象的な記号操作を具体的な物の操作とどのように結びつけていくか。つまり子どもからの働きかけで変化する対象を、表象(プログラミング)の操作という働きかけにどうやって置き換えるか、そのつながり具合をどうデザインするか、ということになります。
ピタゴラスは世界は数学でできている言いましたが、4歳や5歳の子どもが遊びでそれを体験しておく(意識しなくても)意味を、昨日は考えていました。日本数学検定協会は、日常にある数学にスポットを当てています。

当園の食育の全体像(1)

2019/06/09

6月9日

■好き嫌いは味覚の発達でとらえる
「子どもの食べ物の好き嫌いをなくすたには、子どもの味覚の発達の筋道を理解すると、その秘訣がわかりますよ」。
入園先を探しているご夫婦に昨日土曜日、いろんな保育の話をしました。中でも昨日は食事や運動について、1時間半ぐらい時間をかけて、ゆっくりと説明しました。昨年11月18日の保育園説明会で私の話を聞いて、興味を持たれたそうです。その時はまだ生まれたばかり、今はもう7ヶ月です。昨日の話をもとに「食」について、改めて当園の考えをお伝えしておきます。
⭐️
昨日の入園案内では、1階のちっちの部屋で母乳の栄養の意味、離乳の時期と離乳食のあり方、幼児食の料理方法などを説明しましたが、2階のダイニングでは食べ物の好き嫌いがどうしたら少なくなるかについて要点だけを話ました。以下は、当園の食育の全体像の概要です。
■胎児のときから「味わっている」
もともと人の味覚と言うのは、栄養になるものをおいしいと思うようにできています。旨味や甘味は栄養になることを体が知っていて、赤ちゃんの頃から、もっと言うと、生まれる前の胎内にいるときから、味覚器官が味を判断しています。
生まれてからは、もっぱらお母さんのおっぱいを飲んで育っていきますが、その味はさっぱりとした甘みのある薄味です。赤ちゃんにとってはおいしい味です。水分だけで栄養や抗体をえるために、程よい糖分濃度になっています。
■生まれながらに好きな味
甘いものは糖分ですが、エネルギー源としての栄養があるので、子どもはこれが好きです。これは人間に限りません、昆虫も甘いものが好きなので、花の蜜は甘く、カブトムシやクワガタが好きな樹液も甘いのです。動物も甘い糖分は好きです。ゴリラやオランウータン、チンパンジーなどの霊長類も好きです。赤ちゃんも同じです。甘いものは栄養になるから好きなのです。
(UMAMIの発見者の池田菊苗)
それから子どもも大人もおいしいと思うものは、旨味です。アミノ酸の1つであるグルタミン酸を旨味の元だと発見したのは日本の池田菊苗さんです。こんぶや鰹節のアミノ酸は旨味のもとで、それを合わせると特に美味しく感じます。アミノ酸はタンパク質(ペプチドやプロテイン)の素材です。私は大学で生物化学が専攻でしたので、アミノ酸20種類の化学記号がわかります。アミノ酸の配列を決めるのはDNAです。DNAは蛋白質をつくるアミノ酸の配列を決めています。
塩分も体に必須なので、程良い量はおいしさと結びつきます。汗をかいたりして塩分を喪失すると、体はしょっぱいものを欲しくなるものです。
■生まれながらに嫌いな味
(子供は薄味でもお寿司は苦手です)
生まれながらにして好きな味があるのとは反対に、生まれながらにして嫌いな味というものがあります。それは長い生物進化のなかで、食べると体に悪いと覚えているものです。酸っぱい味は腐敗の味、苦い味は毒があるという意味です。これらの味は教えなくても、赤ちゃんは嫌いです。もともと人間には好き嫌いがあるのです。と言うより好き嫌いがなければ私たちは毒を食べてしまうか、腐敗したものを食べてしまって、すでに絶滅しています。動物もそうです。好き嫌いがあったからこそ、こうして私たちがいるのです。このような現象は生物としての味覚の原理なので変えようがありません。
■防衛機構つとしての「この味きらい」
甘味、旨味、酸味、苦味、塩味の5つはそれを感じる味覚器官(味蕾など)が対応しています。このような味を感じる味覚器官は、舌や口内、食道や胃にも分布しています。身体がそうできているのです。無理して飲み込んでも、栄養にならないこともあります。身体がおいしいと受け付けていることが大事なのです。反対に味覚がおいしいと思って食べても、体の防衛機構が毒素を感知すれば、嘔吐や下痢という形で体外に出そうとします。この防衛機構の第一ゲートが「不味さ」(まずさ)です。美味しくないと感じる感覚は大切な機能です。何でも食べてしまえることが、無条件に良いとは限りません。
子どもがすっぱいトマトが苦手なのは好ましいことです。苦いピーマンが嫌いなのも好ましいことなのです。匂いの強いニンジンがいやなのは正常な反応てます。まず親がこの認識を持つことが大事です。子どもの頃から、生のニンジンやピーマンやナスやトマトを、おいしい、おいしいと言って食べることは、まず、ありません。あるとしたら、後天的に好きになっていったプロセスが必ずあるはずです。では、その話をしましょう。
■料理することの意味
(トマトもミートソースなら大好き)
火を使う料理の意味は、ここにあります。食べ物を柔らかくするだけではなく、熱を上手に加えることで、素材の甘みを引き出し、美味しくしているのです。野菜を煮込むと旨くなります。アミノ酸などが溶け出すからです。生では酸っぱいトマトも、ケチャップになれば子どもも好みます。甘みやうまみを引き出す料理方法を重視してください。子どものための料理とは、このような役割を意識したほうがいいのです。例えば、加熱しすぎた卵は塩や醤油が欲しくなりますが、ポーチドエッグにすれば、卵が持つミネラルなどの素材の味が引き出されます。
(事務室カウンターの展示食)
実はそのような調理方法の結晶が、本来の和食です。素材の持つ甘みと旨みを生かした熱の加え方、熟成のさせ方、発酵のさせ方があります。小さく刻んで味がしないように混ぜて食べさせるということをやっても、その素材を生かした料理とは言えないのです。そこには「味覚の経験」がないので、学習がなく味覚は発達しようがありません。
■美味しいと思うから意欲も育つ
(「見て!ピカピカ!」が「美味しかった。ごちそう様」の表現に育っていきます。それが「心のこもった挨拶」になっていくのです)
食べたものがおいしい。その心情体験があってはじめて、また食べたい、もっと食べたいと言う意欲が湧き出てきます。最初の「美味しいなぁ」という、心情体験が大切です。食への意欲が育つのは、先に「美味しい」と感じることが大事なことなんです。これが偏食予防のセオリーです。気持ちも乗らず、無理をして食べても食への意欲は育ちません。訓練や鍛錬で、本当の意欲は芽生えません。訓練や鍛錬が効果を上げるのは、本人が望んで始めるときに限ります。いやいややらせても嫌いになるだけです。よく間違うのは、成功体験が好きにさせるという幻想です。人はもともと好きだから努力できるのです。達成感や成功体験で好きになったように見えるのは、もともとそれが好きな場合に限ります。これはスポーツ科学の常識でもあります。意欲の科学は、あらゆる分野に普遍的な見方をもたらしました。好奇心や探究心が育つのも、本人が意欲的であることに限ります。偏食予防の科学は、意欲的な食のあり方を見つけているのです。
■自分に合った適量を食べる人権
私は毎日、子どもたちと一緒に食べているので、どの子がどんなものが苦手かが大体わかるようになりました。生まれてら3年〜5年の間の食の経験の積み重ねが、今の子どもたちの身体を作っています。それと同時に、先天的に好き嫌いがあることとは別に、後天的に好き嫌いを作ってしまっている要素があります。無事に食べさせた子どもほど、嫌いなものが増えてしまいます。味覚に関する脳のシナプスも、2歳位までに出来上がります。その頃までに「おいしい」と感じて食べたものが、「おふくろの味」「生まれ故郷の味」として、何をおいしいと感じるかという個人差をつくりあげます。これは、文化的な個人差です。後天的な「文化的学習」です。カタツムリの高級料理、カエルの姿焼き、イナゴの佃煮、納豆などの味について、考えてみてください。味覚は文化的なものでもあります。
■食べる量には個人差がある
これまでの話が大前提になって、セミ・バイキングと言う配膳の仕組みが有効になります。私たちの法人は、バイキング方式には反対です。自分が好きなものだけ好きな量を食べると言う事は推奨していません。「おいしいと思うから食べてみて」と言う料理を出すのが大前提ですが、それをどの程度食べるかを決定することは、本人の人権だと考えています。自分で自分が食べる量を決める人権。自分がどのくらい食べきれるかを自覚できる人権。日本は「子どもの人権に関する条約」の批准国です。子どもの意見表明権を守ることに批准している民主主義国家です。
■都知事賞をもらった配膳方式
このセミ・バイキングを東京都の管理栄養士さんが視察に来て「このセミ・バイキングは、偏食予防のために効果的な方法なので、東京都に推薦させて欲しい」と言われました。意欲的な楽しい食事が、偏食を予防するのに役立つと、おっしゃるのです。そしてこの方法が、集団給食の都知事賞を受賞しました。 好きな量を食べると、苦手なものは食べなくなるのではないか、好きなものだけを食べて偏食を生むのではないか。このような疑問に、根拠ある形で答えるために、大学の栄養学研究室に調査を依頼し栄養摂取状況を調べてもらいました。そうすると、日々の凹凸はあっても1週間の栄養摂取の平均を見ると期待されている栄養摂取量の水準を悠々と超えていたのです。しかも、子どもたちの食に向かう姿勢は積極的で、給食を楽しみにしている子どもたちが多かったのです。
■子どもクッキング
食への意欲は、野菜の栽培や世話によっても育まれます。「ここは子ども用キッチンです。ここでは、子どもたちがお米を研いだりジャムを作ったり、後で火を加える簡単な料理をする場所です」と、見学者には説明しています。
ちょうど明日10日月曜日に、子どもクッキングをします。梅シロップを作ります。栽培して、収穫して、料理して、分け合って食べる。動物は決してやらない、ホモ・サピエンスだけが行う文化です。以上のように、子どもたちの食を営む力を育んでいきたいと思います。(続く)

散歩ギャラリー15 コバンソウ

2019/06/09

  
(柳原通りのコバンソウ)
漢字で書けば「小判草」。これも子どもが早く覚える雑草のひとつです。「ほら、形が小判のような形をしているでしょう」と子どもに言っても大抵は「小判ってなぁに?」となります。でもたまに、幼児のなかには「知ってる!」という子もいて、そんな子は花咲爺さんの「ここ掘れワンワン」と「大判小判が、ざっくざく」を思い浮かべていることが多いです。
花の名前は、国によって違います。何に見立てるか、どう着目するかが表れて面白いものです。この草は地中海が原産で、属名はギリシャ語で「居眠りする人」だそうです。日本には明治時代に鑑賞用として持ち込まれたそうで、当地ヨーロッパでは、「揺れる草」「うなずくイザベラ」と呼ばれています。

にこわらすのバス遠足

2019/06/08

6月7日

■にこにこ組もバス遠足に参加

2歳児クラスの「にこにこ組」が昨日7日、初めてバス遠足に参加しました。3〜5歳の「わらす組」の子どもたちと一緒です。
にこにこさんたちが、バス遠足が可能かどうか、わらすさんたちの経験を踏まえて、木場公園の遊び場としての環境やトイレの位置、バギーの持ち込みや移動範囲、バス移動の時間などを検討した結果、「よし、一緒に行こう」となりました。とても楽しい、いい機会になりました。また、続けていきます。昨日、参加できなかったお友達も、またあるから楽しみにしてて下さい。
にこにこ組の保護者の皆さん、準備のご協力、ありがとうございました!詳しくは、各クラスのブログをご覧ください。以下は、私のドキドキ、ハラハラ日記です。書いていると「である調」になりました。ドキュメンタリーは、いつもの「ですます調」では、気分が乗りませんからね。
■雨雲よ、待て!!
手元には東京電力の雨雲レーダーがある。雨雲はまだ甲府あたり。関東一帯はまだ大丈夫だ。さて、出発の準備はできた。雨雲が時速60キロで迫ってきたとしてもまだ2時間はある。雨よ、頼む、降らないでくれ!
年中組のらんらんさんが先に山上ビル側に列を作っている。園舎の前に待機している大型バスが目に入ると、J君が目をまん丸にして叫ぶ。
「でっけー!」。
ほかの子もあまり意味なく「でっけー、でっけー!」とはしゃいでいる。
にこにこ組の子と、マンツーマンでベアを作り、そのペアがバスの座席にもなる。先生が「にこにこさんの手をつないで、バスまで行きます。しっかりと手を握って連れて行ってあげてくださいね」というと「はーい!」。
■巧みなバスガイドでワクワク
9時40分に園を出ると、10時過ぎには木場公園に着いた。その間、小林バスガイドの巧みな話術によって、バスから見える普通の景色が、遊園地に入り込んだかのように楽しいモノに変わっていく。
以下のやりとりのミソは、子どもの素直な「巻き込まれ感」と「おかし可愛さ」です。
小林ガイド「今ね、偶然だけど、水陸両用車が通ったよ。すごいなぁ、先生もっと早く気づいて教えてあげればよかったなぁ。ごめんねー」
子ども「いいよー」
小林ガイド「このライオン堂と言うお店はね、お相撲さんが洋服を作ってもらう場所なんだよ。みんなが4人ぐらい入れそうな大きな洋服を、お相撲さんのために作ってくれるんだ」
子ども「お相撲さんて、大きいんだよ」
小林ガイド「あ、右の方に消防署があるよ。すごいなぁ、消防士さんたちがこんなにたくさんいて、訓練しているみたいだよ。こんなの滅多に見られないよ、ラッキー」
子ども「あー、ホントだ、いいもの見たあ、ラッキー」
あー、なんて素直で、可愛いんだろう。こんな感じで、景色を楽しんでいるうちに、木場公園に着いた。
ところが、駐車場に入る頃、バスのフロントガラスに雨粒が。
小林ガイド「園長先生、雨です。どうしましょう?」
バスのなかで雨雲レーダーをずっとみていたので、慌てない。でも正直おかしいと思った。こんなに早く雲が迫っているなんて。一時間4ミリメートル以下の雨雲の帯が、ちょうど木場公園のある東京東部まで延びていた。
小雨は覚悟していたが、雨が予定よりも1時間も早い。そうか!間違えた!台風なんかは時速20キロなんていうから、うかつにも、つい勘違いしてしまった。雨雲は沸き上がるんだよ、移動して来るんじゃない!あー、そうだった。でも、こうなったら、もう迷う余地はない。
「早く遊ぼう!」
■格別な開放感がある原っぱ
幸い、雨といっても霧雨程度。「これなら問題なし!気象の定義なら曇りの範囲だ!」そう自分に多少強がりを言って、みんなバスを降りて原っぱへ行く。
やっぱり、広い原っぱはいい。「子どもは隅っこと原っぱが好き」というが、大人だって、気持ちいい。心の背伸びができる。ぐっ〜っと、こころのシワも取れそうだ。なんの屈託もなく、気持ちの赴くままに、トコトコと足を運んでいい空間、座り込んでも、寝転んでもいい場所。暑くもなく風もない。霧雨も降ったり止んだりで、私たちのために、待ってくれている。
■茶色のサッカーボール
水を含んだ草むらを転がるたびに、サッカーボールは茶色く変わっていく。ボールが転がった距離だけ、子どたちも走った。ボールの色は、子どもたちの運動量そのもの。あの小さな体から、あんなに力が溢れて出てくるのは、広い原っぱとボールのおかげだ。堅苦しい解説はやめたいが、やっぱり子どもの潜在力を引き出すのは環境の力だ。ここに来ないとこんな運動にはならないし、思いっきり全速力を出すことなんてできない。
■優しいらんらんさん
にこにこさんの顔も明るい。らんらんらんさんのお兄さんお姉さんに優しくしてもらいながら、バスに乗って原っぱに来た。このことだけでも、にこにこさんにとっては大きな大きな体験になっている。先生たちの声や性格も大体わかっているから、様子を見ている表情が、いろいろなことを伝えてくる。M先生やU先生だけじゃない。わらすの先生も、わかっているから、安心して楽しめる。その上、困ったことがあったら、らんらんさんが先生に教えてあげる。そんな約束をしたらんらんさんたちは、しっかり守ってくれた。
■にこにこさんの「ぼくも、わたしも」
草むらに出ると、先生を安全基地にしながら、じわじわと思い思いの行動を始めていく。歩き始める子、走り出す子、座ってみんなの様子を眺めている子、虫かごを持ちたい子、虫を探しに行く子、転がっているボールに近づいていく子、色々な「自分も!」がいっぱい始まっていく。わらすの子たちの姿がモデルになり、刺激になり、にこにこさんなりの「私も!」が動き出していきます。その動き始める鼓動が聞こえてきそうで、あーここに連れてきて良かったと思う。
■そして梅雨入り
下見のとき、花が満開だった桜が、昨日は、すっかり青葉の茂る大きな木の傘となって、私たちを迎え入れてくれた。まもなく降り始めた雨は、梅雨入りの雨となった。梅雨前線と競争したバス遠足は、私たちの逃げ切り勝ちだった。

散歩ギャラリー14 ヒルガオ

2019/06/07

(佐久間橋児童遊園)
朝顔よりも、淡いピンク色が美しい。園の通りの花壇や、和泉公園や佐久間公園の垣根やツツジ、サツキなどに、ゆらりと絡まっています。漢字名は「昼顔」。花言葉は絆、優しい愛情、情事、友達のよしみ。
ヒルガオは日本全国に古くからある日本在来の花です。あの哀愁の歌人、大伴家持が「高円(たかまど)の 野辺の容花(かほばな) 面影に 見えつつ妹は 忘れかねつも」と詠んでいます(万葉集)。容花を見ると奈良に残した妻の大伴大妻(いらつめ)の面影と重なり恋しさが募ったのでしょう。
「容花」と書き「かおばな」。容という字は「美しい」のほかに「かお」という意味があります。美しい顔。だから容子など、女性の名前によく使われます。ルックスのことを「容姿」とは、うまく表した日本語だと感心します。和名を紐解いていくと、日本人がこのヒルガオに感じた魅力に気づきます。遣唐使が中国から朝顔を持ち帰ったことから、それ以降、区別するために昼顔と呼ぶようになったそうです。「かほばな」を忘れないようにしたいですね。

神田淡路町保育園を見学

2019/06/06

6月6日その2

■神田淡路町保育園に行ってきました

今週月曜日の四番町保育園に続き、今日の午前中は「区内保育所見学会」の2回目に参加してきました。当園から歩いて10分足らずの神田郵便局隣「神田淡路町保育園大きなおうち」です。4階建てで確かに「大きなおうち」でした。2年前に開園し今年度が3年目。千代田区で初めての社会福祉法人です。園長の菊池恵子先生とはずいぶん前からの知り合いです。菊池園長先生のお子さんのイケメン男性保育士「マー先生」は、保育界では有名ですから、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。近いので「大きなおうち」から当園に転園してきた子もいます。
■幼児は異年齢でコーナー保育
菊池先生は、保育の質向上に熱心に取り組んでこられた方で、現在、東京都民間保育園協会の研修部長を務めていらっしゃいます。法人は現在、東京や千葉に19の施設を運営しており、本部は新宿です。
園舎のデザインコンセプトは「大きなおうち列車にのって」。これは、明治時代、東京の中心地としてにぎわった国鉄万世橋駅前に近いことから、鉄道と駅をあしらったものになっています。
保育環境は、1階のエントランスに砂場があり、ガラス張りの調理室とランチルームが隣接しています。2階の乳児0歳児は独立した部屋で、1歳児と2歳児はつながった空間です。3階が3〜5歳児が一緒に生活するオープンルームでした。4階には広いホールとスタッフルーム。屋上が園庭になっています。
こうした建築空間は、海外によく見られるものと同じで、遊ぶところや食事をするところが最初から分かれていて、遊ぶところは活動の種類によってあらかじめ遊具がセッティングされています。乳児の保育室の色彩は、シュタイナー教育のテイストが生かされており、幼児の保育環境は、モンテッソーリ教育の環境設定と似ていました。
■園児の交流を約束してきました
子どもたちが散歩に慣れてくれば、この保育園までは歩いて行くことができそうです。お互いに散歩先としての相互受け入れや、子どもの交流をやりたいですねと話してきました。またひとつ、子どもたちの体験を広げる機会が作れそうです。
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