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園長の日記

小学校との連携を話し合う

2023/12/21

今日は午後から千代田区の就学前プログラム策定の会議がありました。理論編に基づいて実践編の事例をどう冊子にまとめるのか、話し合いました。全国的に課題になっている「架け橋プランづくり」につながるような表現の仕方にしよう、ということになりました。小学校との具体的な連携に繋がるように、実践編を検討しています。

「ちよだせいが文庫」の整理整頓

2023/12/20

「ちよだせいが文庫」の本棚を整理しました。これまで2階のダイニングに置いていた本棚をなくして、2階の入り口にまとめました。今後は1階の本棚は乳児用の絵本をまとめていく方針です。

意外と難しい「音」をきくこと

2023/12/19

今日のお手伝い保育では「音」についての体験を試みてみました。3人の年長さん(すいすい組)を相手に、糸電話でお友達の声や、吊るした糸を伝わるスプーンの振動音、水を入れたワイングラスの共鳴音などを聞きました。

私の実験の意図は、子どもに「音」そのものを経験することは、どれくらいできるだろうか?と考えているからです。

私たち大人も幼児も、ふだん聞いている声や音は何にしても、そこに意味やメロディや象徴するものを「聞いて」いることが多いでしょう。音そのもの、ということがどういうことになるのか、そこも私もよくわからないとこが多いのですが、いずれにしても、できるだけ「音」そのものに注意を向けてみることができないだろうか?と思っているのです。

たとえば人の声は意味を聞いてしまいます。でも喉の声帯が振動し口腔や鼻腔で共鳴しているのですが、その「音」そのものは聞いていないのではないでしょうか。

(そこで、まず三人には私の喉を触ってもらい、ガギグゲゴと声を出してみるときに、のどがどう動いているかを感じてもらいました。そのあと自分の喉にも手を当ててもらい、おなじようにガギグゲゴを言ってもらいました。そのあと、ひそひそ話で話してもらうと、声帯が震えないことを感じてもらいました。あまりわからなかったので、次回はそこは工夫が必要でした)

例えば、遊びの中でよく登場する糸電話ですが、近くで二人がやっているのを見ると、糸はだらりとしていて、紙コップを耳に当てたまま喋っていたり、口に当てて「聞こえた!」と喜んでいたりと、まあ、実際には糸を伝わってきた振動を聞いているようには見えないことがよくあります。

もしかすると、糸電話の格好をした「電話ごっこ」をしているだけだったり、そもそもケータイで話す姿もあまりみなくなり(イヤホン越し)、ましてや聞く部位と話す部位がそれとわかる「受話器」は、もう見かけないので、糸電話が「聞く」と「話す」を同じコップを交互に使い分けること自体の意味がわかっていない可能性があります。ですので、年長さんでも意外とその面白さを知らないことが多いのです。

そこで、写真のように、こんなに離れてやってみました。しかも「ヒソヒソ話」で。確かにコップから声が聴こえた!という体験になったようです。3人とも面白い!といっていましたが、多分それまでの面白さとは違ったはず。

ワイングラスに水を注いて、指を少し濡らして、グラスの縁をゆっくりこすって動かすと、キーンという共鳴音がし出します。とても大きい音になるのですが、指をほどよい強さで押し付けながらこする力の加減がちょっと難しいのですが、「あ、鳴った」というときの感触を覚えていくと、鳴らすことができるようになります。3人とも鳴らすことができました。

それからやってみたのは、食具のスプーンを糸で吊るして、先端を輪にして指にひっかけ、その指を耳の穴につっこみます。そしてスプーン(フォークでもなんでも金属がいい)をたたいてみます。ぜひやってみてください。とてもいい音がします。お寺の鐘のようにゴーン、といつまでも鳴っています。

そして最後に、部屋のなかに面白い音がないかを探しをしてみました。今回は棒で叩く子が多かったのですが、いつも登っているネットを揺らしてみたり、階段の手すりを手で、こすってみたり、少し広がりも出てきました。偶然、楽器ゾーンにあったトライアングルも、スプーンを鳴らしたように触らないで吊るした方が良い音がする、と言うことに気づいたようです。

音探しから新しい楽器との出会いになったならいいのですが、どうだったでしょうね。

 

 

 

睡眠講座「赤ちゃんのねんね講座」の日程変更

2023/12/19

平日の参加があまりないので、1月からの残り5回のうち4回を

すべて「土曜日」開催に変更します。ぜひ、ご参加ください。

1月13日(土)27日(土)

2月10日(土)20日(火)

3月9日(土)

 

 

来年1月14日(日)「小学校ってどんなところ?」座談会

2023/12/18

園長のコーヒータイムや日曜開放を通じて、こんなことをやってみたいという話になりました。題して「小学校ってどんなところ?みんなで話そう座談会」。1月14日の「にちよう開放」の日の午後1時から3時にやることになりました。

座談会チラシ

「小学校生活ってどんな感じ?」「我が子に合った学校って?」。卒園して小学校になったご家庭の親御さんたちの交流の機会に、また就学に向けての不安や疑問などを聞いてみるいい機会にもなりそうです。

「にちよう開放」にどうぞ

2023/12/17

園長の「にちよう開放」は月1回のペースですが、今月12月から来年2月までは月2回開いています。子どもたちは園内で遊びながら、親御さん同士で何かやりたい時などにもご利用ください。私以外の職員はいないので、基本的には親御さん同士で子どもの面倒を見てもらっています。昼食を親子でみんなで一緒に食べて帰る、という流れが出来始めています。

 

表象を迂回しない知覚と行為の繋がりについて

2023/12/16

この話は土曜日の午後の園長の「うたた寝の夢」みたいなものです。少年が時計を分解して元に戻せなくなった悪夢みたいな。真面目に読まないでくださいね。

このところ、子どもたちはどうして模倣するんだろう?と考えています。すると私が考えていることは、心理学でもよく検討されていることなんだ、ということに気づき、また新たな見え方が生じて面白がっています。例えば発達心理学者の森口佑介さんが書かれた本『おさなごころを科学する 進化する乳幼児観』を読んでいたら、こんなフレーズに出会いました。ピアジェの「感覚運動期」第六段階を説明するくだりです。

「・・・そして模倣は行為による表象だと言えますが、これが内化されることにより、思考による表象へと変遷していきます。かくして身体や知覚を通した直接的な知的活動から、表象を通した間接的な知的活動へと質的な変化を遂げていくのです」

 私がおっ、と思ったのは「模倣は行為による表象だと言えますが」と、サラリと書いてあるところです。何かを真似をすることが、その模倣行為そのものが表象になっていると考えてもいいんだというわけです。そのことは、偶然にも今月12月の園だより巻頭言に書いたことと似た見方です。

そこでは表象を心動かされたことを再現する行為全般に広げてみたらどうか、という提案でした。それでもいいとなるなら、子どもの遊びや活動は表象活動であり、それが言葉や記号操作などに置き換わっていくことによって遊びや活動が減って大人になっていくという見方ができるのではないだろうか。ふとそんなふうに思えてきたのです。

つまり、それは私には「なぜ人間の場合は表象(文化)が拡大するのか」という問いと同種に思えるのです。と言うのは、動物には表象行為がほとんどありません。霊長類と人間の、その分岐点をマイケル・トマセロが指差しなどの共同注意に見出したのですが、意図を模倣したり共有することが人間たらしめ、そのラチェット効果によって、文化文明が進展しているのだと考えられています。

生態心理学は、知覚と行為をある意味で一体的に捉えるのですが、そのシステムの道の途上のどこかで、人間は表象という分かれ道を作り出しているのかも知れません。それが迂回して行為につながる道と、限りなく表象の彼方へ拡散していく道をつくっているように思えてきたのです。

 こんなことを考えていると、まるで分解しかけたアナログ時計を元通りに戻せなくなりそうな概念の混乱に襲われるので、また使い慣れた道具一式(デカルト的に二元論的なもの)を使って考えることに戻ってきてしまうのです。そんなことを言ったり来たり。まさにメカニズムを考えてしまうのですが、私たちが「生きていること」はメカニズムではなく、複雑な関係的な生成過程そのものなのでしょう。

ただ、模倣や表象という言葉にとらわれず、私たち生きているものとしてやっていること、あるいはやってきたことを、率直に表現し直す方が、実態に即して物事を捉えることができるのだろうと直感しています。が、しかし、それもまた使い慣れた概念道具一式をまえに、一筋縄ではいかないのです。

今年最後のコーヒータイム

2023/12/15

絵本の読み聞かせが終わると、今月の「園長のコーヒータイム」。面白いもので、人はT P Oに応じて思いつくことが変わるものです。家庭、職場、喫茶店、居酒屋、お茶会・・・面子も話題も違うことが想像できます。

それと同じで、お迎えに行く前にちょっと一息。コーヒーでも飲んで親子の対面。お迎えが終わった後も、親子で6時ごろまで過ごしてもらって構いません。子どもはにこにこ組(2階のベランダ側)で過ごしています。私も他愛のない雑談タイムで1週間の疲れが少し回復しそう・・・

民話「とりのみじいさん」が意外と好評で

2023/12/15

絵本の読み聞かせをしていると、子どものその絵本への好みの差を感じます。読み終わった時に、前に座っている子がその絵本を「ほしい」といって、取り合いになることがよくあります。今日はめずらしく民話「とりのみじいさん」でそうなりました。

誤って飲み込んでしまった小鳥の尻尾がおへそから出て、それを引っ張ると世にも不思議なヘンテコなオナラがするというお話です。いいいおじいさんと悪いおじいさんが出てきて、いいおじいさんは宝物などをもらって幸せになるのですが、いじわるなおじいさんは、痛い目にあうという、昔話によくあるパターンの一つです。

絵本の人気度はお話の展開の面白さもそうですが、絵の力や言葉遊びの面白さなどにもよります。今日読んだのは(株)教育画劇の「日本の民話えほん」シリーズからですが、絵は長谷川知子さんで、人の表情が優しくてユーモラス。またオナラが調子のいい唱え文句になっているので、読む前からそこだけ声を出して覚えてから、お話を読んであげました。絵本の中の唱え文句や面白いリズムのある言葉は、子どもたちも大好きです。こういうものも身につけてしまう子どもたちの吸収力というものに、いつも感心します。

それにしても、昔話や民話は、語られている時間の間だけに存在する(小沢俊夫)ものだったのが、こうして絵や文字を伴う絵本として語り継がれていると言う事はありがたいことかもしれません。と同時に、それだからこそ読んであげている時間を大事にしたいと思います。

睡眠に個人差も大きいし、例外的夜ふかしは大丈夫

2023/12/14

昨日の「園長日記」に、無藤隆先生から貴重な大切なコメントをいただきました。ご紹介します。

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なるほどと思うのですが。もう一つ大事なことは子どもの体質的気質的な個人差がかなりあることと、特定の日が寝不足になっても大丈夫だということではないでしょうか。例えば、4歳5歳になると、昼寝をよくした日は夜なかなか寝ないということを見聞きします。結構寝る子どももいます。寝付きの良い子どももそうでない子どももいます。もう一つは子どものサイクルは基本的には一日完結で、大人と違って、疲れても動けるという余地が少ないということですが。その二つの両立を図りつつ、穏やかに暮らすことが家庭では何より大事だと思います。

・・・・

このコメントをいただいて、本当にその通りだと思いまして、昨日の日記の続きとして、いくつか補足します。

一つ目の個人差について。

・当園もそこは大事にしているつもりです。皆さんご存知だと思います。帰宅後と夜の様子を情報交換しながらその子に保育園の午睡が必要かどうか、どの程度必要かどうかは話し合って決めています。簡単には「選択制です」という言い方をしていますが、基本は個別の対応です。大事なのは必要かどうかの個別判断です。午睡があると夜寝られないという場合も当園では午睡をやめたり短くしたりして調整させてもらっています。

・たまに例外的に夜更かししても大丈夫、というのは経験上もそうですよね。たまに遅くなっても、それで生活リズムが一気に崩れるといったことはなく、また元のリズムに戻ります。この睡眠リズムというのは出来上がると、変える方が帰って難しいものです。

・個人差についてですが、ちなみに当園の実態で見ると、3歳でも午睡がいらない子も時々いますし、5歳でも必要な子もいます(今年度はいませんが)。おおよその感触ですが、4月当初で3歳は約7〜9割が寝て、5歳は約9割が起きていて、4歳の1年間でだんだんお昼寝がいらなくなっていく感じでしょうか。

・年長さんになると就学に向けて全員起きています。午睡が必要だった子どもも1月から3ヶ月間は最低午睡なしの生活(休憩をとる場合もあります)に切り替えていきます。年長は大抵は春〜夏から自然と午睡がいらなくなり、起きていることがほとんどです。ただプール遊び、水遊びをする夏は年長でも午睡をとることが多いです。夏は疲れやすい。遠足に行った日の午後は年長さんも一寝入りしたりしますし。

・今でも一律に寝かせている園もあると聞きますが、幼稚園が午睡がなくて大丈夫なのに、保育園が同じ年齢で午睡があるというのは、ずっと前からどこか不自然だと思っていました。確かに朝7時半から登園している子は起床が6時だったりしますし、就労や通勤など生活リズムの違いもあるでしょうが、それでも午睡の在り方は保育園の方が寝かせようとしている感じがしますがどうなんでしょう? その時間しか書類などの事務作業が取れないという事情も大きく影響してきた時代が長ったからでしょうか。

・また寝つき具合も個人差がありますね。寝るまでに5〜10分で寝てしまう場合と、かなり時間がかかる場合とあります。睡眠の専門家によると、寝るまでに5分ぐらいかかるのはよくて、バタンキューで寝てしまうのはよくないそうです(私などはそのくちですが)。10分以上かかる時は、リズムができていないのでしょう。

二つ目の大人と違って、子どもは疲れても動ける余地が少ない。なるほどと思います。大人は寝不足でもばんがって動いたり働いたりしてしまいます。そのつけが大人は週末の休日の朝寝坊でしょうか。そこで足りなかった睡眠を取り戻していうのでしょう。負債を返していることになります。ちなみに普段の睡眠不足の負債を返済はできるのですが、大人も子どもも「寝貯め」はできません。週末たくさん寝たからといって、それは借金の返済であって、貯金ではないので、その分で平日の睡眠時間が少なくてもいい、ということではありませんのでご注意を。

最後に「この二つの両立を図って、穏やかに暮らすことが家庭では何より大事だと思います」という言葉。先生の温かい愛情を感じますね。コメントありがとうございました。

 

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