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園長の日記

散歩ギャラリー14 ヒルガオ

2019/06/07

(佐久間橋児童遊園)
朝顔よりも、淡いピンク色が美しい。園の通りの花壇や、和泉公園や佐久間公園の垣根やツツジ、サツキなどに、ゆらりと絡まっています。漢字名は「昼顔」。花言葉は絆、優しい愛情、情事、友達のよしみ。
ヒルガオは日本全国に古くからある日本在来の花です。あの哀愁の歌人、大伴家持が「高円(たかまど)の 野辺の容花(かほばな) 面影に 見えつつ妹は 忘れかねつも」と詠んでいます(万葉集)。容花を見ると奈良に残した妻の大伴大妻(いらつめ)の面影と重なり恋しさが募ったのでしょう。
「容花」と書き「かおばな」。容という字は「美しい」のほかに「かお」という意味があります。美しい顔。だから容子など、女性の名前によく使われます。ルックスのことを「容姿」とは、うまく表した日本語だと感心します。和名を紐解いていくと、日本人がこのヒルガオに感じた魅力に気づきます。遣唐使が中国から朝顔を持ち帰ったことから、それ以降、区別するために昼顔と呼ぶようになったそうです。「かほばな」を忘れないようにしたいですね。

神田淡路町保育園を見学

2019/06/06

6月6日その2

■神田淡路町保育園に行ってきました

今週月曜日の四番町保育園に続き、今日の午前中は「区内保育所見学会」の2回目に参加してきました。当園から歩いて10分足らずの神田郵便局隣「神田淡路町保育園大きなおうち」です。4階建てで確かに「大きなおうち」でした。2年前に開園し今年度が3年目。千代田区で初めての社会福祉法人です。園長の菊池恵子先生とはずいぶん前からの知り合いです。菊池園長先生のお子さんのイケメン男性保育士「マー先生」は、保育界では有名ですから、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。近いので「大きなおうち」から当園に転園してきた子もいます。
■幼児は異年齢でコーナー保育
菊池先生は、保育の質向上に熱心に取り組んでこられた方で、現在、東京都民間保育園協会の研修部長を務めていらっしゃいます。法人は現在、東京や千葉に19の施設を運営しており、本部は新宿です。
園舎のデザインコンセプトは「大きなおうち列車にのって」。これは、明治時代、東京の中心地としてにぎわった国鉄万世橋駅前に近いことから、鉄道と駅をあしらったものになっています。
保育環境は、1階のエントランスに砂場があり、ガラス張りの調理室とランチルームが隣接しています。2階の乳児0歳児は独立した部屋で、1歳児と2歳児はつながった空間です。3階が3〜5歳児が一緒に生活するオープンルームでした。4階には広いホールとスタッフルーム。屋上が園庭になっています。
こうした建築空間は、海外によく見られるものと同じで、遊ぶところや食事をするところが最初から分かれていて、遊ぶところは活動の種類によってあらかじめ遊具がセッティングされています。乳児の保育室の色彩は、シュタイナー教育のテイストが生かされており、幼児の保育環境は、モンテッソーリ教育の環境設定と似ていました。
■園児の交流を約束してきました
子どもたちが散歩に慣れてくれば、この保育園までは歩いて行くことができそうです。お互いに散歩先としての相互受け入れや、子どもの交流をやりたいですねと話してきました。またひとつ、子どもたちの体験を広げる機会が作れそうです。

保育参観3日目

2019/06/06

■保育参観の感想お寄せください

天気予報の通り、ずいぶん暑い1日となりました。今日は乳児の参観が最も多い日でした。ベランダから保育室を見ていただくと、楽しそうに過ごしている様子にほっとしていただいたのか、それとも不安を募らせてしまったか、どんな感想をお持ちになったでしょうか。また、昼食の主菜や副菜を試食された方は、その感想も大歓迎です。ぜひ正直な感想をお寄せください。
■保育参観はいつでもどうぞ
保育参観は今日が3日目で、予定の日程は終了ですが、基本的に保育参観はいつでも大丈夫ですので、今回参観できなかった方や、また見学してみたいと言う方は気軽に担任までお伝えください。また幼児クラスでは、散歩先まで保護者の方と一緒に行ったり、公園で少し鬼ごっこを楽しんだりする一コマもありました。このような場面を考えれば、保育園の保育参観というよりも、「保育参加」と言うものに近くなります。それを希望の方はおっしゃってください。
■「保育参加」も可能です
お子さんと一緒に、午前中一緒に子どもと過ごしてみてたい方は、担任とご相談ください。慣れ保育の初日と同じイメージです。その時よりも、子どもは親御さんから離れて遊んだり過ごしたり出来るようになっているはずです。また、いろんなことが随分と成長していることに気づくことになるでしょう。たった2ヶ月でこんなにも変わるのですから、子どもの成長は随分と早いものだと実感できるはずです。

保育参観2日目

2019/06/05

6月5日

■子どもの〜したくない!

大人はこうして欲しい、でも子どもはこうしたい。両者の要求がぶつかり合うとき、子どもの要求に手こずることがあります。
保育園に行きたくない、寝たくない、これ食べたくない、それやりたくない(それ、は無限にあります)、ママがいい・・・こういう状況になったら・・・叶えてあげられるものと、そうでないものがあるので、困ってしまいますよね。
それと似た状況は、保育園の中でも起きています。保育参観では、その様子を見ていただくことが可能かもしれません。
■いろんな理由が重なって
今日私は「それも理由だったんだ」と担任に教えてもらったことがありました。ある子どもが、お昼寝をしたくないと言うので、眠くなるまで静かに過ごしてあげようと思ったのですが、後で担任から「オムツが汚れていたら、寝たくないと言うことがあるんですよ」と教えてもらいました。実際そうでした。寝たくない理由は他にもありそうなのですが、いろんな理由が重なってそうなっていることが多いんですね。
ただ、気持ちが通い合っていく関係が、どんなときにも大事なんだろうと思っています。そうすることで、本当の理由を打ち明けてくれることが多いので。今日は外に出ても少し過ごしやすい1日でした。明日の天気は暑くなって厳しくなりそうです。

保育参観初日

2019/06/04

■見られないように見ているときの後ろめたさについて

ベランダ側から覗いて見えた「我が子」の姿はどんなでしたか?1階と2階のベランダの大きな窓ガラスには、紙を貼って小さな窓を作りました。5センチ×3センチぐらいの四角い穴。そこからスマホのカメラレンズ越しに、行動を追いかけた方もいらしたことでしょう。
数年前のことですが、保護者とこんな話をしたことを、思い出しました。子どもは、自分が見ていることを知らない・・・。 そんな状況に違和感を覚えた方もいらしたはずです。それは子どもに対する、ある種の後ろめたさのような感情だったかもしれません。
■こんなことをしてまで
そして「こんなことまでして、私は我が子の、何を見たいのかしら」という考えが、ふと頭をよぎったかもしれません。もし「こんなことをしている私って!」そう感じた方がいたとしても、無理はありません。いつもとは違う振る舞いですから。なぜなら母子関係は、お腹の中にいたときから、我が子が自分を呼べば、それに応えるという繰り返しだったわけで、我が子のことは「知り尽くしている」のが、お母さんというアイデンティティです。滑稽さを覚えるかもしれませんね。
■人間関係の中で社会性が育つ
その強い愛着が働き合っている親子関係の間に、先生や友達という新しい人間関係が作られている姿が、小さい穴の向こうに「見えて」います。目の当たりにしているもの、それは我が子の人間関係の広がりであり、私たちが「社会的発達」とよんでいるものに他なりません。親から離れていくように見える子どもの「自立」は、親からすると、少し切ないものかもしれません。後ろめたさと感じる原因は、そこにあるかもしれません。
■親が側にいても平気!?
幼児になるとそのような心理はあまり覚えないでしょう。子どもは親が側にいることでは、あまり影響はありません。そこで幼児の3階は何もせず、保育室まで入ってもらいました。子どもたちはお父さんやお母さんがそばにいること、それが嬉しいようです。自分で描いたり作ったりしたものを親に見てもらったり、一緒に遊んだりしてもらいました。家庭と園とでは、様子が違ったのではないでしょうか。友だちとの関わりや、その関係の中の心の交流など家庭環境では見られない様子があったはずです。ついでに、ベランダから神田川を見てもらう機会にも、なったかもしれませんね。
■関係を変えずに観察はできない
当たり前ですが、家庭であっても、園であっても、観察できるのは、そこの状況の中での「子どもの姿」です。環境がかわれば、姿は違ってきます。客観的な個人の特性という不動のものがあって、どこでも同じように現れるわけでは、ありません。子どもは、その時々に成長に必要な行動をやりたがりますが、それが引きだされやすい環境と、そうでない環境とがあります。姿の差に、発達に必要な環境とはなんだったのか、子どもは何をやりたがっているのかが見えてきます。そこに育ちの大切なメッセージが顔を出してくれるときもあります。それが読み取れると、子育てが一層、楽しくなるでしょう。

区主催の園見学会に参加

2019/06/03

■千代田区主催の保育園見学会

今日3日は午前中、千代田区立四番町保育園を主任と2人で見学してきました。市ヶ谷駅からすぐの、以前、日本テレビがあった場所です。3階建ての園舎に約100人の子どもたちが生活していました。見学者は千代田区内の園の主任や看護師などリーダー格の職員が全部で8人、案内は四番町保育園の園長先生が、直接なさって下さいました。
区が主催するこの見学会は、お互いに園を見合うことで、見学者がよいと思ったところを吸収しあったり、情報交換したりできます。これを積み重ねれば、知り合いも増えて区内に保育者ネットワークができていくかもしれないので、一年を通して十数回ある機会はすべて申し込みました。
■仮園舎とは思えない建物
今日はその1回目。いろいろな感想を持ちましたが驚いたのは、この園舎が仮園舎だったと言うことです。古くなった園舎を建て替えるために、この仮園舎を新たに建て、昨年3月から新園舎ができるまで(平成34年度中、つまり令和4年度中)の5年間を、ここで保育し続けます。仮園舎の建設まで含めたら、ざっと10年計画です。本来の園舎設立計画とは、これぐらいの時間と資金がかかるものなのでしょう。
■屋上が園庭に
参考になったものの一つは、屋上です。仮園舎だからなのか、園庭がありません。そのかわり屋上に芝生と砂場とプールがあります。屋上の広さは4〜5倍あるので、同じことは出来ませんが、こんな素材ならこうできるという参考になりました。
■保育参観は変装して
明日から保育参観ですが、「子どもに見つからないように見てもらう」という配慮は同じでした。ただ「変装セットも用意」しているそうですが、実物を見ることができませんでしたが、どんなものかと言うとメガネやマスクや帽子などだそうです。部屋にいても誰かわからないようにしてみてもらっているそうです。参考にしてみてください。

散歩ギャラリー13 エノコログサ

2019/06/03

散歩ギャラリー13  エノコログサ

穂を握ってモミモミすると、生きた虫みたいに指の穴から出てくるアレです。別名ネコジャラシの花言葉は「遊び」「愛嬌」。子どもに人気のこの雑草が目立ってきたら、季節はもう夏です。
名前の由来は「ふさふさした穂が犬のしっぽに似ていることから犬コロ草と呼ばれたことに由来している」そうです。漢字名は「狗尾草」と書き、「狗」という漢字は、一文字で犬のことで「ぐ」や「えのこ」と読むことができます。英語ではfox  tailで、犬ではなく狐のしっぽになります。このエノコログサはイネ科で「粟」の原種だそうで、これが食糧の粟になっていったのだとか。穂を炙ると粒がはじけて、食べることが出来るらしい。やってみよう!
仲間のアキノエノコログサは、穂が長く、だらんと垂れているそうですから、秋になったら確かめてみたいですね。

研修会の講義を終えて

2019/06/02

6月1日
■保育士向けキャリアアップ研修会
幼児教育の意義と保育内容について、昨日1日、島根県江津市の先生たちに話してきました。午前中2時間、午後3時間でしたが、始める前は長いなぁと思った5時間も、実際にやってみると足りなくなってしまいました。新しくなった保育所保育指針の改定内容を、本当によく納得するには、その前提となっている考え方や枠組みも理解しておく必要があるからです。
■日常感覚でとらえる言葉に一度は置き換える
例えば、「心情・意欲・態度を育て、学びに向かう力、人間性等」という目標概念が新しくできたのですが、これをきちんと説明しきるだけでも、1時間ぐらいかかるからです。これを作った「学識経験者」たちは、日本の学校教育(幼児教育から後期中等教育まで )全体に、辻褄が合うように一貫性のある体系化を試みました。なるほど、だからそうなったのか、と受け止めるためには、ある程度の時間が必要です。しかも、どうしてそのようになっているのかを、私たちの日常的な感覚に結びつけて納得してもらうためには、わかりやすい例えや、具体的な実践事例を通して、頭の中につながりを作っていく必要がありました。
■日本語を英語や対立語でとらえる
今週1週間のニュースダイジェストを見ていたら、新しい元号の令和を、トランプ大統領は演説の中でビューティフル・ハーモニーと、使っていました。これは外務省が公式に令和をそう訳したからでしたね。
よく知っている日本語の言葉であっても、それを英語にしてみたり、反対の意味や対となる言葉を並べてみると、新しい語感や意味を感じるときがあります。昨日の講義のなかでも、いくつかありました。少し、紹介します。
■道徳の英語は・・
例えば、教育には「道徳」と言う言葉がよく出てきます。英語で言えばセンス・オブ・モラリティーです。「あー、倫理感の事なんだなぁ」と一度、シンプルな意味から組み立て直した方が、自分の言葉で考えやすくなります。
「自立」と言う言葉も教育や子育ての中で大切な概念ですが、英語で言えばインデペンデント、反対言葉は「依存」ディペンデントです。
日本語では同じジリツという発音になる「自律」の方は、セルフコントロール(自己コントロール)あるいは、オートノミーですから、いちど英語にしてみると「自立」とはかなり距離のある概念だということがわかってきます。反対は「他律」で英語はペテロノミーとなります。
■自分からやるか、言われてやるか
自分で自分のことができることと、やってもらったり言われてできる事は、結果は同じように見えても育ちの視点から見れば、大きな差があることに気づきます。自律で、できるようになっていくのか、それとも他律でできるようになっていくのか。主体的に生きるためには、自律的に自立することが先なんですが、その育ちの過程では、いま自立している大人の人も、例外なく依存と他律の時期が幼児期にはあったことになります。
■「ひきこもり」の反対は自発性
精神的な自立、社会的な自立、経済的な自立、それらを混同してしまって、一言で「ひきこもり」と言ってしまう日本語の粗雑さに、もっと敏感でありたいと思うニュースが溢れてしまいました。
ひきこもりの英語は、ソーシャル・ウィズドローです。withdrawalの反対語は発達心理学的に考えれば、自発性や自主性です。これも就学前の幼児期に獲得する発達課題といえます。社会的事件には常に当事者たちの教育成果が何割か含まれています。それを相関関係があったかなかったかまで、要因分析する事は難しいのですが、人の一般的な心の発達原理を再確認することはできます。
■私たちの判断の元となる言葉も再吟味
的確な判断に至るには、それを私たちが無意識に使っている概念(言葉)について、自ら吟味しながら考え直すことも必要です。それは日本保育学会に参加したときの日記にも書きました。
昨日は、このような概念整理をしながら、一つ一つ、幼児教育の目的、目標、ねらい及び内容について、その根拠となっている法令まで遡り、そして子どもを理解するために、新しく導入された枠組み(乳児の3つの視点、幼児の10の姿)と、従来からある教育の5領域の関係や繋がりを、再確認しました。決して楽しいとは言えないテーマですが、私たち保育士が日本で働くからには、避けて通ることができないものです。

神話の故郷島根で、人と自然の関係を考える

2019/05/31

■豊かな自然が目の前に広がる
畑の耕運機の周りを何羽も鳥が飛び交っています。凄い!と思ってシャッターを切ったら、目の前の高校生2人が目を覚まして同時に顔を上げました。私が撮っているものが、それだと分かると、すぐまた夢の中にもどっていきました。「悪かったね、起こしちゃって」。そう心で呟いて、またシャッターを数枚だけ切りましたが、2人は、もう起きません。
(「疲れたぁ」と笑っていた2人。約1時間30分の移動、お疲れさま!)
自然豊かな田舎の風景が、延々と続いています。眺めているだけで、目が健康になりそうです。山、川、海、鳥、花、何でもあります。だけど人があまりいないのは、しょうがないかなぁ。ここは島根県の中央部。J R 山陰本線アクアライナーがもうすぐ江津市に着きます。明日6月1日に、保育士向け「キャリアアップ研修会」で5時間の講義が待っているのです。
■自然に魅せられた大人が子どもの傍らにいる大切さ
講義のテーマは、幼児教育の意義と保育内容です。その中に、教育の5領域「環境」があります。一般に自然が少ないと思われている千代田区の子どもたちも、少ないながらに、生き物に好奇心や探究心を持って関わり始めています。
ただ大人になっても、どうやったらその自然環境を生活に取り入れ続けることができるのか、そんなことを考えている時、目の前に鳥たちが現れたのでした。こんなにすごい自然が目の前に展開されているのに、運動部の少女たちは、いつも見慣れた風景だからでしょうか、それには関心がないようです。後でわかったのですが、今日は高体連の大会が開かれていたそうです。それはそれで素晴らしいことです。
いくら環境が豊かであっても、関わりがなければ経験になりません。その経験の質が、教育の質にダイレクトに関わります。まずは心揺さぶられる体験がなければ、好奇心も探究心も生まれようがありません。
私にとって、今日の出来事は、象徴的でした。そして、次のような強いインスピレーションを与えました。
・・・人間の心は人と人の間で成長する。子供にとって、自然に感動している大人がそばにいなければ、子どもはその自然に共感し続けることができないのではないか。・・・
人と自然の関係は日本の場合、縄文時代から「里山文化」と言う形で、バランスをとってきました。その精神文化が、国づくり神話を生んだ、ここ島根には息づいています。それが千代田区の神田祭までつながっていることに思いあたり、5領域「環境」の、次の趣旨が新しいイメージを持って迫ってきたのでした。
「周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活の中に取り入れていこうとする力を育む」

(巻頭言)子どもの心の世界を見つめながら

2019/05/30

園だより6月号「巻頭言」
 雨がやんで日差しがのぞいた昨日の朝、ちっち組がバギーで散歩に行くことになった時のことです。先生が「ちっちさん、散歩に行こう」というと、何人かがその気になって赤いドアの方へ向かいます。廊下を過ぎても玄関へ向かわず、階段を登るのが楽しくなって、四つん這いで登り始める子もいました。先生が「そっちじゃなくて、お散歩に行こうよ」というと、止まって振り向きます。でも、先生が近づくと安心したのか、また階段を登り始めます。2階まで登った後、立って降りるのはまだできないから、結局、玄関まで抱っこしましたが、この間の子どもを「見守る」中に、育ちを保障するための大切な時間が流れていました。

お散歩に行こうよ、という「保育者の願い」と「こっちに行ってみたいもん」という子どもの願いが、柔らかく行き交っていました。ちっちさんは言葉ではなく、目配りや表情や仕草でそれを伝えています。先生は言葉で言ってもわからないだろう、なんて素ぶりは全くなく、穏やかな雰囲気の中で「あれ、そっちにいくの?」と、赤ちゃんの気持ちに寄り添いながら、外へ誘うタイミングを見計らっています。そんなことがしたいのね、と認めながら、ゆったりとした気持ちで接しています。0歳の赤ちゃんにも、もちろん人間としての尊厳があり、その意思や気持ちを尊重しながら、生活を作り上げていく。こんな時間が流れる日常になってきたんだなあ、と思うと、感慨深いものがあります。子どもたちの心が、だいぶ落ち着いてきたようです。

 ちっちやぐんぐんさんは、私と目線を合わせて手を振ると、手を振って返してくれることが増えました。こうして言葉にならないうちから、赤ちゃんとの「心の通い合い」と「挨拶」が成立していきます。挨拶は心を通わせることが大切だと思うので、いろんな心の通わせ方が、いろんな形の挨拶を生んでいます。
にこにこ組の子は、顔を見るとおもちゃを渡しに来たり、手を振るとちょっとだけ手をあげて「やあ」とやってくれたりします。幼児になると、やりたいことを一緒にやりたがります。「挨拶」と「一緒に遊ぼう」が一瞬で融合します。挨拶なんて、どこへやら、親御さんはハラハラかもしれませんね。でも、子どもの気落ちは分かっていますから大丈夫です。先日も子どもから「園長先生さようなら」と言われた時、「もっといてほしい」という気持ちが届いたので、少し遊びました。

ここに述べたことは、私と子どもたちとの関係ですが、園生活が始まって2ヶ月がたち、親子の関係、先生と子どもの関係が上手にバランスをとりながら、一人ずつの子どもの心の居場所が広がってきたようです。意欲的な姿を大切にしながら、子どもの「やりたい」の向うに目線を送りながら、人と物と空間の環境を整え、発展させていきたいと思います。

 園外保育、暑さ対策、水遊びの場所作り、交通環境の改善、隣のビルの解体、心痛む悲惨な事故報道など、色々なことが子どもを取り巻く環境にはありますが、子どもの心の世界をしっかり見つめていきたいと思います。
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