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園長の日記

奔放ないたずら気分・気晴らし・騒ぎ・即興・無邪気な発散

2024/08/07

今朝、2歳児クラスの子ども二人と始まったの遊びを見ていました。2人は防災づきんを被って「火事だ〜地震だ〜」と走って行ってカーテンの裏や、机の下に隠れたり、靴を取ってきて避難ごっこをして、お家に帰ってきて、ジュースを飲んで「はあ、疲れた〜」と笑い合っていたのです。

遊びの幅のようなものがあるなら、その片方にはこんな姿があります。だんだん無秩序になっていくような騒ぎ、即興的に何かを始める嬉々とした躍動感。あ、いいこと考えた!と言いながら始まるいたずら。そのようは無邪気な気晴らしやエネルギーの発散のようなことです。

こっちがあるから、その対極になるのかもしれない姿が、何かに真剣に取り組み、何かを作り上げたり、ルールのある遊びで参加者にその決まりを厳格に守らせようとしたりします。遊びであっても成し遂げたい目的のために努力して工夫しています。こうなったから、今度はどうなるだろうと飽くなき探究が始まることもあります。

この両方の間を行ったり来たりして過ごしているのが子どもたちです。ともすると前者の一見、混沌としたような姿を否定的に捉えていないだろうか?ロジェ・カイヨワが「パイディア」と名付けた遊びの傾向です。そこに自由な躍動するものがあり、それが秩序づけられていく方にばかり気を使っていると、生と環境が自ずと創り出しているものに気づかず、せっかくの環境構成の機会を見逃してしまうのかもしれません。

もしかすると遊びが学びや探究につながると言いながら、このパイディアの領域を無くそうとしてしまうと、何か遊びの深みがない、表層的なものになってしまいそうで気をつけたいと思うのです。

 

お友だちの存在を感じながら・・・

2024/08/06

昨日のぐんぐん組のブログから。

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午睡明け、早めに目が覚めたぐんぐん組(1歳児)の Wちゃんが、先にお部屋で遊んでいた ちっち組(0歳児)のKちゃんに話しかけていました。 「Kちゃん、かわいいねー」。 Kちゃんが大人の膝から降りた瞬間に少し泣いていると、「”えんえん”って。ママがいいって泣いてる。」とWちゃん。 なんで泣いているのかな〜とWちゃんなりに想像して、言葉にして教えてくれたのでしょうか。 そして、Wちゃんが窓辺へ行くと、「Kちゃん、おそと見えるよ。」とKちゃんを誘ってくれます。 Wちゃんのお誘いを受けて、Kちゃんを窓辺のほうへ連れていってみると…ふたりで一緒に外を眺めます。

Kちゃんにそっと手を添えたりそっと抱きしめたりする Wちゃんです。 なんとも穏やかな愛おしい時間が流れていました。 Kちゃんと目が合うと、自分のことを指差して「Wちゃんだよ、Wちゃん。」と、自分の名前を教えたり、窓を触って「ここ、つるつるだよ。」とKちゃんに伝えたり、「青い自転車だねぇ」と駐輪場の自転車を指差したりしてKちゃんに語りかけるWちゃん。

Kちゃんも、それに応えるかのようにWちゃんを見つめながら「あーばーばーばー!」と声を出しておしゃべりしていました^^

 

言葉はなくても、こんなに小さなちっちさんが、お友だちとの関わりを喜んで気持ちを通わせる姿に、感動します。Wちゃんのやさしい気持ちが伝わったみたいです。 夕方の水分補給タイムには、こんな様子も。 

ぐんぐん組のSくんは、最近、ちっち組のTちゃんに水筒を持っていって、飲ませてあげるのが好きなようす。

最初は、Tちゃんの水筒のフタの開け閉めに興味を持って、それを試して楽しんでいた Sくんでしたが、ふと思い立って、そのままTちゃんの元へ行くと、お茶を飲ませてあげる姿がありました。今日も、その時のことを思い出して、Tちゃんに飲ませてあげようと思ったようです。

Tちゃん、なんだか嬉しそう♪ ぐんぐん組のRちゃんも、同じくぐんぐん組のNちゃんに、お茶を飲ませてあげていました。 

随分と長いことお茶をあげていたRちゃんですが、Nちゃんもその間、素直にずーっとお茶を飲み続けていました。水筒が空っぽになっても、飲ませてあげるRちゃんとストローを吸い続けるNちゃん。笑 (途中でお茶を追加したら、その後も再び、飲ませてあげ、飲ませてもらう、ふたりでした😂)

お手伝いしたいな、やってあげたいな、という気持ちが芽生えていることはもちろんですが、こうした姿が成り立つためには、やってあげる側だけでなく、やってもらう(やらせてあげる)側…の双方の関係性が必要です。 お互いの、「やってあげる/やってもらう(やらせてあげる)」の共通意識があるからこその姿でもあると思います。そう思うと、こんな場面も、子どもたちは「協力し合っている」と言えるのかもしれません。少し大げさかもしれないけれど、RちゃんとNちゃんは、もう「お茶を飲む」という目的を越えて、ふたりの関わりそのものを楽しんでいたのかもしれないですね。 こうして、お友だちのことをやってあげたい、関わりたい、という姿がさまざまな場面で垣間見えるようになってきて微笑ましいです。

 

そして、そうした関わりも増えてきたぶん、例えば お友だちの水筒のフタをあけて渡してあげたい子vs自分の水筒を取られたと思って早く返してほしい子…という、ちょっとしたすれ違いのようなケンカが勃発するなど、まだまだ、「自分が!」「自分の!」の気持ちが強い時期ゆえに 互いにぶつかる場面も絶えないぐんぐんさん。

でも、そんな体験を繰り返しながら”このお友だちは手伝ってくれようとしているのかも”と待ってみたり、”相手も自分でやりたいのかな”と気付いてゆずってあげたり、という姿が、そのうち少しずつ出てくるのではないかな、と思っています。 それでも、こうして、お友だちとともに過ごす中で、自分のことだけでなく、まわりにも目を向けて関わってみようとする姿が増えてきたこと自体に、大きな成長を感じられて、なんだか嬉しいです。

「お友だちと一緒」が楽しかったり嬉しかったり、気持ちがぶつかって悲しかったり悔しかったり、思い通りにいかなくて葛藤したり…人間関係の酸いも甘いも 子どもたちなりに経験しながらの毎日ですが、その体験をひとつひとつ紡いでいくなかで、さまざまな関係性が結ばれ、築かれていくように思います。

子どもたち自身の関係や気持ちの動きに寄り添いながら、そっとフォローしつつ、「今」の成長を気長な目で見守っていきたいと思っています。

還ってくる場があるという意味

2024/08/03

今日の第6回納涼会はいかがでしたか? 家族で一緒の楽しい時間になったでしょうか? 午前中は在園児の親子で、昼からは卒園児の家庭で楽しんでもらいました。

1日その様子を見ていると、この5年間の間に、子ども同士の仲良しの輪は大人を結びつけて、その輪がこんなにも大きく広がっていくのだなあ、と思いました。

食事コーナーは、お祭りの夜店でよくある「わたあめ」「かき氷」「フランクフルト」。

午後はこれに「焼きそば」も加わりました。

遊びは子ども提案の「輪投げ」「的当て(水鉄砲)」「ボーリング」「ヨーヨーつり」「うちわ作り」そして「スイカ割り」。午後は小学生も多くなることから、これに「型抜き」と「くじ引き」も用意されました。

このような日は、小さい赤ちゃんから小学生までの遊びにおける発達を連続的に見ることができます。特に卒園児は成長を具体的に感じられると同時に、過去の「おんなじ」を想起のうちに現在にあらわにするように感じられました。

いま通っている小学校は違っていても、「再会」は保育園という同じ空間を長く共に過ごしたという過去を今によみがえらせ、共有した者同士でしかつくれない空間を「いま・ここ」に創り出しているように感じました。

ああ、これが懐かしさの正体か、とさえ思えるほど、人間のもっている過去を「想起」できる力は、そこにお互いの意識が重なり合わない限り発生しないのだということに気づかされたのでした。きっと同じ思いを卒園された保護者の皆さんも感じられたことでしょう。

現在に引き寄せられた過去の想起が、子どもも親も自身の過去を今の自分に巻き込んで今を創り上げているかのようです。ここで生きてきた時間の堆積がある場と、そうでない場の違いとなって感じられるのでしょう。このことが「還ってくる場所がある」ということの大切な意味なのかもしれません。

 

溶かして混ぜて自分のクレパスを作りませんか?8月3日(土)

2024/08/01

クレパス作品を手掛けているアーティストのコンドウカヨさんが、8月3日(土)に台東区でワークショップを開きます。クレパスで絵を描いているクレパス画家のコンドウさんは、イベントを通じて親子で集える場所を作っていきたいそうです。「近くの保育園などにお願いして回っています」と尋ねていらっしゃったので、ご案内します。

20240802 one day workshop

今年初のアゲハ誕生

2024/07/31

今朝、アゲハが誕生しました。卵から幼虫になり、玄関の自動ドアの隅で蛹になっていたのですが、ついに綺麗な羽を広げてくれました。待ちに待ったこの日を、多くの親子が見ています。その反応もそれぞれが違っていて面白いのですが、「愛おしい気持ち」を分かり合える方々と、蝶の世界を語り合うのでした。

 

子どもの主体性のない保育には、子どもにも大人にも“揺れ”がない

2024/07/31

巻頭言(8月号)より

こんなことが書いてある研修レポートを読んで「うまいことを言うなあ」と感心しました。散歩のとき、枝を拾ってもいいかどうか?という議論がなされた保育園のエピソード。

「・・何かルールとして決まっていたり、決定されていることを守る方が、悩みもないし、迷いもないけれど、こうして大人にだって“揺れ”があると言うことは、主体性を大切にしていく中ではとても必要は要素なのだと感じました。保育者を含めて“大人”という立場にいると、つい『こうであるべきだ』とか『こうなってほしい』という思いや願いが先行してしまうことも多くて、“揺れ”とか、迷いや悩みといった状態は、知らず知らずのうちに、なんとなくネガティブなものに捉えがちになってしまう気がします。でも、そうして白か黒かという結論を出すのではなく、その間のグレーの部分にこそ、さまざまな関係性ややりとりが生まれていくのだと感じました。

また大人は、そう考えようとはしていなくても、ついどこかで「成功」とか「成果」など、「めでたしめでたし」と思えるような“結果“を追いかけてしまっているのかもしれないなあ、と感じます。例えば、野菜を育てるときに、うまく育っていくように大人の判断でネットをかけたり葉を剪定したり・・。うまくいかずに枯れてしまって、子どもをがっかりさせたくない、という保育者の思いもあるかもしれないけれど、でも、この迷いや揺れ、そして失敗したり試行錯誤したりする経験こそ、子どもの生活の中では必要なものかもしれないと感じました。・・」

研修レポートはニュージーランドの幼稚園の「トマトデモクラシー」(注:ホームページの方で紹介しておきます)のエピソードが紹介と続くのですが、この主体性を尊重し合う「共主体」は揺れ動くものという話は、きっと信頼と対話を育むことにつながるでしょう。その過程を経験してたくさん潜り抜けていく中で身につけることの中に、大事な宝物がある気がします。そこに目を凝らしたい。その見えにくいものを大事にしたい。レポートはこう続きます。

「これは子どもと大人の関係に留まらず、大人同士もまた、何かを誰かに押し付けるような『こうであるべき』という論を持ちすぎず、みんなちがっていいというおおらかな気持ちで保育をしていくことで、より良い関係や距離感を持って良いチームワークでやっていくことができるのではないかと思います。・・・」

・・・・

(注:「トマトデモクラシー」のエピソード。皆で育てたトマトがよく育つように大人が芽をとったら、子どもたちが「なんで相談もしないで勝手に取るんだ」と怒って、大人も子どもも話し合って進めていこうという議論がなされたという話)

納涼会パート2

2024/07/30

8月3日(土曜日)午前中は園の「納涼会」ですが、引き続き、卒園児を対象とした納涼会パート2が開かれます。主催は保育園と保護者有志からなる実行委員会。親子共々70人ぐらいが集まる、賑やかな同窓会になりそうです。

保育園の納涼会は午前中ですので、お間違い無いようにお願いします。

 

胸がいっぱいになる体験

2024/07/28

皆さんはご自身の人生の中で、何かの気持ちで胸がいっぱいになった体験というのはありますか?それはどんな時だったでしょうか?

きっと子どもたちにもそんな体験があるはずです。飛び上がるような喜びや、ジーンとくる嬉しさ。それは子ども同士の関係の中で起きていることもあります。子どもがそんな体験をしている側で、大人が運良くそれを感じ取ることができるかもしれません。

そう考えると、そんな経験は私の場合はやっぱり幼稚園のときの初恋の人だったり、小学校時代の親友と遊び惚けた時間のなかのほんの一コマだったり、中学校のときの部活動の地方大会でペアを組んだ彼との「あの試合」だったりします。

大人になってからはどうして生きているのかといった悩みを聞いてくれたグルとの出会いや、知らないところで応援してくれた方からの激励をふいに受けた経験などがあります。

こんなことを思い出したのは、フェイスブックで知り合った「いいね」同士のある方が新幹線のなかでの偶然の出会いについて書かれていたので「そんなことが起きるのか」と、こちらまでエキサイトさせられたかからです。

やっぱり人生を変えるのは出会いですね。

余談ですが、ということは教育の場こそ、そこを目指すべきなんではないでしょうか?

 

 

神田ベアーズで「大筆」体験

2024/07/26

大きな模造紙に、大きな筆で文字や絵を描く体験をさせていただきました。歩いて15分ほどの神田ベアーズさんから、カブトムシのお礼にと、大学生による大筆パフォーマンスに招待されたのです。年長のすいすいさん7人と出かけてきました。

パフォーマンスは3種類。床に敷いた大きな紙の上で、リズムに合わせて踊りながら大きな筆で文字を書いていきます。出来上がると写真のような文章が書かれていました。

その次は、襖位の4枚の立てたパネルに2人ずつ入れ替わりながら、やはりリズムに合わせて体を動かしながら描いていきます。次の写真。

そして最後は子供たちも参加。床に敷いた大きな模造紙の上に、文字と絵を描きました。

保育園のお友達たちとの交流もでき、また大学生との会話や書き方を教えてもらったり、褒めてもらったりしながら楽しい時間を過ごすことができました。

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