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園長の日記

子どもに聞こえる「面白い」もの

2024/04/15

子どもは新しいものが好きなので、大人から見るといつも見えている世界の「正面」よりも、「先端や裏側や異物や意外なもの」に目をつけてきます。もちろん大人だってハッとすることもありますが、子どもが注目するものは「面白い」ものなのでしょう。今日は午前中に幼児20人と一緒に公園で過ごしたのですが、大人なら聞こえないような物からの「呼びかけ」が子どもたちには聞こえるようです。

大型のアスレティック遊具やブランコ、砂場などもあるので、もちろんそれで遊んだり、広い原っぱでかっけっこや鬼ごっこ、かくれんぼもやったりします。私が鬼のタガメになって逃げ回るおたまじゃくしたちを追い回すというひと時もありました。それはそれで楽しいのですが、こんな姿もたくさんありました。

「こっち」と私の手を強く弾くので、引っ張られていくと、歩道の欄干を歩きながら手でなぞり始めます。地面の上を枝を手にして車のワイパーのように左右に動かしているので、なんだろうと思ったら、地面の上を履くようにすると現れてくる小さな石。それを拾ってポケットに詰め込んでいます。

何かの葉っぱを口につけて「ピー」と音を鳴らしたり、花壇の縁を上手に落ちないように渡って歩いたりしています。丸太を模したベンチは飛び石の遊びになり、根本から別れた樹木の枝は木登りに使われています。

アリを見つけてはそれを追いながら、自分の持っている枝に登らせようとしている子もいます。手にした紙コップには、枯葉と何かの幼虫が入っていました。数人の女の子が輪になって座り込んでいるのでなんだろうと思うと、公園の水道メーターの蓋を開けてその中にいるダンゴムシを捕まえては、また元に戻してあげたりしています。

子どもたちは、大人がここで遊んでほしいとデザインした物や空間ではないところも、自由に関わりを求め、探索をしたり、それらの世界に出あおうとしているようです。

(ここで紹介したような写真があまりなくてすみません。写真を撮るのを忘れてしまうぐらい、めだたない遊びなんですよね)

選ぶこと・ものの性質に興味を深めること

2024/04/13

「園長の日記」では、年度の初めなど新入園児の方が入っていらっしゃるので、「そもそもの話」をすることが多くなります。例えば、なぜ子どもの直接的な体験が大切なのかとか、どうして遊びを大切にするのか、あるいは当園の保育目標に関連してなどです。そういう基本に立ち返って保育を振り返ると、私自身も改めて気づくことが出てきます。

この二日ほど幼児の「剣づくり」をクラスブログから紹介しましたが、そこに当園の保育として意識的に大切にしていることがあります。なぜ剣を作りたい!になったのかはわかりませんが、(今度Yちゃんに聞いてみますが。聞いて分かるとも限りませんが)作った後でやる経験が、何か一緒にやる遊びの一つのツールとして使われていくのか、とか、一人で黙々と作ることも大事なのですが、それ(剣)を一緒に作り上げたり、作り方を教えたり教えてもらったりすることも大切にしています。子ども同士の関わりです。

そこまでの一連の活動の流れの中で大切にしていることをいくつか取り出してみましょう。まずは、子どもがやりたいことを決めて選ぶことができることです。その時間、その場所で何をするかを自己決定するということです。今日はその、そもそものところをお伝えしておきます。

生活のある時間と場所で、何かをすることになっているとします。起きる時間、朝食の時間、登園する時間などを思うかべてください。その「することになっている」状態に参加するかどうかは、本来は自由なのかもしれません。登園するかどうか、何時に登園するかも自由、というわけです。でも私たちは生活のリズムを大切にしたいし、朝食も食べて欲しいわけです。それを「しない」選択は選んで欲しくないわけです。生命の保持と情緒の安定に関することや基本的な生活の習慣のようなことです。そういう「望ましいこと」を選択できるように育って欲しいと私たちは考えています。何が望ましいことかの話は、結構複雑なので、またの機会にします。

また「登園するかどうか」にまで本人に委ねてもいいのですが、そこはお家にいたい!となると働いている親御さんは困るので、「なんとか登園してほしい」と思ってもらいたいわけで、そこは「保育園が面白い!保育園に行きたい!」という選択になるように、保育園は目指していることになります。そういう消極的な意味ではないのですが、まずは保育園に行きたいという気持ちになることを大事にしています。積極的な意味については、9日の日記に書いたつもりです。

さて、子どもの自己決定の及ぶ範囲の話をしているのですが、当園した後もできるだけすぐに遊び始めることができるようにしているのですが、それでも子どもの数によって出勤してくる先生の数も増やすようにシフト勤務をしているので、開園したばかりの朝の7時半から8時半ごろまでは1階の部屋での合同保育です。どの年齢の子どももそこで遊びます。遊ぶ内容によって、制限が生じます。すぐに散歩には行けないし、すぐに屋上で縄跳びもできません。でも短剣作りなら場所はあまり問わないので登園するなり始めることはできます。

そうすると、ある程度先生が揃ってから、製作ならその材料が色々揃っている場所でできる時間になったら「選べる」という条件付きの選択をやっていることになります。その時間までは待てるとか、お昼ご飯の時間になったら一時的に中止できるとか、そういう活動の「切り替え」というものが時間と場所の制約の中で求められることになります。「こわさないで、とちゅう」などと紙に書いて(カードや印を置く、ことも)別の活動に移ることをよくやっています。ここで文字を書くという経験にもなっています。

その次の分岐点が室内で過ごすか、戸外で過ごすか、です。当園の場合は園庭がないのですが、ベランダや屋上は戸外に似た要素があります。ベランダの砂場で泥団子を作るという活動場面に限るなら、園庭や公園の砂場よりも面白い活動になるかもしれません。この室内か戸外かも選択出来ます。ただ「食わず嫌い」を作らないような配慮が大切です。

短剣作りの遊びの話に戻ると、大事なのはその製作過程でわからないことやできないことは教えてもらったりしながら、「やっているのは自分」「自分がやっている」という主導権は本人であることです。他人にやってもらっているのではない。やらされているのでもない、ということです。教えてもらう、というのは本来の活動が自分でできるようになるまでの支え、サポートであったり、高すぎる階段を自分で登るための踏み台、スモールステップに例えるといいでしょうか?階段を登るのはあくまでも本人、子どもです。短剣を作るのはあくまでも子どもです。

ここで無藤先生に教えていただいた遊びの定義を思い出します。あ、短剣作りたい!という思いつきから目標設定が始まって、どんな形だったっけ?になったでしょうから、そこにも本人が以前見た映像のイメージはあっても具体的な形にすることは難しいので「教えてもらう」「見本をみる」など映像的な手がかり得る過程が生まれるでしょう。そこも、どこまで先生や大人が提供するかという判断もあるでしょう。できるだけ、本人が作りたい目標に向けて、自分で考えて試行錯誤してもらいたいからです。ここに仮説を立ててやってみるといった課題解決プロセスが生じます。そしてできた!という達成感。なんとも嬉しそうです。

あの遊びが学びになっているのは、その形を実体化する方法の素材がダンボールと折り紙でしたが「切る」と「貼る」という、行為がまれていたことです。ものを「分ける」と「つなぐ」で新しい創造になっている過程があって、そこにいろんな道具が使われています。「分ける」は破る、ちぎる、切る、砕く、つぶす、溶かす、蒸発させるなどの方法が色々ありそうです(料理はそれが多い)。「つなぐ」の方は、貼る、結ぶ、かく(書くも描くも)なども、何かと何かをつっつけて新しい形にしていきます。二つ以上のものが一つなります。このような遊びの中で、色々な物の性質に気づき関心を深めていくことできるでしょう。

ちなみに造形には粘土のように可塑性や弾力性のあるもの変形させるという面白さもあります。小麦粉粘土など2歳ぐらいからでも「分ける」と「つなぐ」がすぐにできて、感覚的にも面白いのでしょうね。また思わずある形があるものに思えてきたり、また変わってしまうこと、それを自分の関わり方一つで変化する面白さがありそうです。

そして試行錯誤が目立ってわかりやすいのが剣の修理というか補強に取り組んでいる姿でした。振り回しているうちに剣が曲がったり折れたりして頑丈にするという方法を見出していました。使い捨て文化を見直すなら、大人も修理して使い続ける姿を子どもにもっと見せたいものです。素材の折れやすさは、自分が負けるという戦いには致命的な素材の弱点だから、どうやったら強くなるかが、強い動機になっているようにも思えて面白いのでした。

 

「昨日のつづき」が今から未来へ

2024/04/12

今日も「昨日のつづき」が展開した様子を幼児のブログが描いているのでご紹介します。

・・・・・

「制作ゾーン開けてほしい。剣作りたいから」と今日も朝早くから剣作りで盛り上がっていました。

あるお子さんは、朝保育園に向かいながら「今日はこうやって作ってみようかな」と、保護者の方と剣作りの話をしながら登園したそうです。

園についたらこれを作りたい。あれで遊びたい。そんな思いを持ってウキウキしながら保育園に来てくれる姿は私たち保育者にとってとても嬉しいことですね。

楽しかった。また作りたい。そんな気持ちを言葉だけでの表現ではなく、お家に帰ってからお家の人に見せたり、寝る時まで側に置いていたり、もっと強く作ったり、遊んでみたりと子どもたち一人ひとりが違った形でも、その日の出来事をきちんと自分の経験として持ち帰ってくれたのかなと感じました。

 

登園してきたわいわいのHくんも作りたくてうずうず。

剣切りの順番を待たなければいけません、、、

でも作りたい気持ちがあるため、椅子に座って順番がくるのを待っていました。

完成させると、「うわ〜!海賊だー!」と嬉しそうに遊んでいました。

剣には水で溶かしたボンドを折り紙に塗っていますが、折り紙1枚を贅沢に使って何枚も張ってしまう子もいました。

この使い方はもったいないな〜と思っていると、すいすいのNくんは、剣の形に沿って細かく折り紙を切って貼り付けていました。

Nくんの貼り方を見てMちゃんも必要な分だけ器用に切りながら貼っていました。

さすがすいすいさんですね。ハサミを器用に動かしながら細かく切っていました。

後片付けまでしっかりやっていました。

 

決めポーズ

夕方になると、RくんとMくんは

「今度は銃をつくりたい」と新たなものへ発展!

<<制作遊びを進める中で>>

ある男の子はいつも制作ゾーンではなく他のゾーンで遊ぶことが大好きなようで、製作ゾーンで遊ぶ姿をあまり見る機会が少ないなと思っていました。剣作りが始まった日もそばにきてずっと見ているだけ。「作る?」と声をかけても「見てるだけ」「家にこれより強い剣あるから」と…

私たちも無理にさせることはしません。子どもが自発的に作り始めてほしいからです。

でもその子に何かきっかけがあれば、「作りたい」となる気がするんだよな〜と思っていたので、きっかけや仕掛けの用意だけはします。そこからやるかやらないかは本人が決めます。

そこで昨日の夕方屋上で剣を使って遊ぶ時間を作ると一番に「ぼくもつくりたい!」と大きな声で言ってくれたのです。そんな彼は誰よりも無邪気に剣を振っては、ガムテープで補強して、を繰り返していました。

彼は今日は日中公園へ出かけた以外のすべての室内の時間を製作ゾーンで剣作りに夢中になっていました。彼にとって素敵な経験になっていたらいいなと感じました。

子どもが遊びをつくっていけるように

2024/04/11

自発的な活動としての遊び。そこをどのように実現していけば良いのでしょう。保育園では子どもをただ遊ばせているだけということでは決してありません。また、ただ家庭の育児の代わりをしているわけでもありません。遊びの中にいろんな学びが入っているのですが、そこを具体的にお伝えしたいといつも思っています。

子どもがどんどん自分たちで遊んでいけるように、先生たちが援助するポイントはどこにあるのでしょう?昨日と今日の幼児クラスのブログをご覧ください。子どもの「やりたい!」が作り上げられていくプロセスがよくわかります。少し長いのですがご紹介します。

・・・・

保育の中で偶然が重なり、遊びに発展

剣をつくりたいとYちゃんからの一言から一緒に作っていました。

 

剣を片手にするゆうちゃんを見て男の子たちを中心に目がキラキラキラキラ〜

と剣の魅力に吸い寄せられるかのように

「せんせい、ぼくもつくりたい」と集まってきました。

すると、

「せんせい、つくって」

「せんせい、やって」とやる前から大人に頼んでしまう姿がちらほら、、

「作りたいのはみんな。

作るお手伝いはできるけど、作るのはみんなだと思うんだよね。」

大人が作ることは簡単にできてしまうけれど、園では作るまでの道のりも体験してほしいという私たちの思いもあります。

この子はどこまでできてどんなところで手伝いが必要なのか。大人が気づくだけでなく子ども自身も自分に気づくきっかけにもなるかもしれません。

 

「まずは剣の形を描いてみよう」

「ボンドで貼ってみよう」

「ダンボールカッターを使って、一緒にダンボールを切ってみよう」

色んなものに触れながら物の使い方や自分で作っていくおもしろさを感じながら…

「できたー!」と次々と自分の剣を完成させていきました。

 

このままだとそのあとの子どもの姿がちょっとヒヤヒヤするよね、、、とこちらもドキドキしながらどうするか職員でミーティング。

実はこの日、和泉公園で男の子数人が枝を手に戦いごっこ?のように落ちてくる桜の花びらに向かって振って遊んでいる姿がありました。

剣を作りたいと言ってきた子の中には公園で枝を振って遊んでいた男の子たちもいました。

日中にそんな男の子たちの枝を武器のようにして遊ぶ姿もあり、たまたまその日に制作で剣を作っていた偶然が重なり、、

作ったものをそのまま持って帰るのもいいけどせっかくならそれを遊びに取り入れたいと思い、急遽夕方に戦いごっこができるよう屋上を開放することに。

気持ちの良い風が吹く中で、大人が持つクッション型のポール相手に思いっきり剣を振る子どもたち。

 

私たちは体を張って全身で剣を受け止めました。

 

そんな遊ぶ友達の姿を見てさっきまで見ているだけだった子も「作りたい!」「わたしもやりたい!」と気づくと夕方みんなが作り始めていました。

作り終わると屋上へいき、思い切り体を動かして、、、

途中でポキッ

あ…………

すると迷うことなく部屋へ戻りガムテープで補強!

すぐに屋上へ。

またポキッ…

え……

またまたガムテープで補強。

らんらんさんはテープをペタっと貼っただけ。すぐにポキッ。あれ?

すいすいさんはぐるっとテープを巻きつけてきました。折れない!

学年によっても直し方の工夫が異なっていておもしろかったです。

折れても直せばいい。こうすれば直るんだ、こうなったらどうしようか、もっと強くするためにはどうしようという考える力が子どもたちの中で生まれ始めました。折れない剣がいい、壊れたくない、でも遊びたい。そんな自分との葛藤と向き合い、どう自分自身と折り合いをつけていくのか、、、うまくいった経験だけではなくその葛藤や悔しさへの出会いこそ子どもの心の育ちにつながっていくのかもしれません。

はじめは大人頼りの子どもたちでしたが、作ってからは自分たちでなんとかしようという考えに変わっていました。

気づくと1時間半近く屋上と部屋を行き来しながら遊んでいました。

最初は金や銀の折り紙で輝いた剣を作っていたみんなでしたが、補強した結果、ガムテープの剣に見事に生まれかわりました笑

戦いごっこというとちょっとヒヤヒヤしたり危ないからやめてほしいという大人の気持ちが強くなりがちですが、(私たちもこの遊びをすることにドキドキしてました…)

ただ子どもたちのイキイキとしたキラキラした表情を見ると、これはやってよかったなと心から思うことができました。すごくみんなの表情が可愛かったですよ♪

園ではお兄さんお姉さんの立場で何かとお手伝いをしてくれる頼りのあるすいすいさんも、無邪気に剣を振り回す姿はなんとも微笑ましかったです❤︎

まだまだ大人の手は必要ですが、ちょっと遊び方を工夫したりみんなで約束守りながら楽しい遊びをつくっていけたらと思います。

・・・・

以上が、今日のブログです。子どものやりたいことが実現していくプロセスの中にいろんなことが入っています。

 

 

遊びの楽しさや面白さ

2024/04/10

今週月曜日に保護者の方からおたまじゃくしをたくさんいただきました。日曜日にA公園の池にいたそうです。幼児クラスで飼い始めたのですが、今朝何人かの子供たちが覗き込んでいたので、その会話を聞いていたら、Yくんとおたまじゃくしの絵本を探すことになり、千代田せいが文庫から、かこさとしの「おたまじゃくしの101ちゃん」を読むことになりました。おたまじゃくしの入った水槽を目の前に置いて、絵本を読んであげていると、8人ぐらいが集まってきました。

この話は、母親のカエルとその子どもたち(おたまじゃくし)が池の中を散歩に出かけると、101ひき目の「101ちゃん」が迷子になり、母親が探しているうちに、タガメ親分やザリガニの餌食になりそうなピンチを辛うじて切り抜けるという冒険物語。

そのあと、運動ゾーンで、おたまじゃくしとタガメの鬼ごっこ。ルールは子どもたちがおたまじゃくし役ですが、まだ手足がないので、クライミングやネットに登って逃げることはできません。だんだん手足が出てきたら、のぼったり、跳んだりして逃げることができるきまりになっていきました。

それにしても、子どもの遊びは、なんとエネルギッシュで躍動的なんだろう、と感動します。保育の最初にまずはこの実感を共有したい。どうして子どもがこんなにもエネルギーを注ぐのか、こういうことが面白いんだという、当たり前の前提を忘れないようにしたいと思うのでした。

 

 

「園長の日記」の役割について

2024/04/09

当園を選んでくださっている保護者の方は「園長の日記を見て」とおっしゃっている方が多いのですが、実際に入園されてみて、どうだったでしょうか?この4月に入園された方は、これから経験されることが増えていくわけですが、続けて読んでくださっている方が多いので嬉しく思っています。

この「園長の日記」は、その日の出来事の中から、私なりに経験したことを中心に保育の意味を考えてお伝えしているものです。年度はじめには、これまでも書きてきた保育のねらいや意図などを述べることが多くなりますがご了承ください。

今日は雨だったのでどのクラスも室内で過ごしました。来客もなく、ほとんどの時間をクラスの中で過ごしました。このような時間がないと保育が実感として掴めないので大事にしています。その日に起きたことを、どこを選んでどのように伝えるのかということは、実はとても難しいことです。

というのも、起きたことにあるまとまった単位でもあれば、そこに気の利いた名前をつけて、「〜活動をしました」と言えば、伝える方も受け取る方もなんとなく、「ああ、あれか」と了解し合えるような気になるからです。〜ゾーンで遊びました、〜へ行って過ごしました、あるいはもう少し細かい活動の内容を述べて、どうだったと述べれば、確かにイメージしやすいでしょう。

ここまでは誰でも書ける日記みたいなもので、個別に描けば〜ちゃん日記になるでしょう。実はそういうことが保育記録ではなくて、その活動なり体験なりが、「どういう意味を持つのか」を明らかにしていくことを目指して記録をとっています。そのことは、毎日見てもらっている「保育ドキュメンテーション」の裏側で、月毎や週ごとねらいがあって、実際に行った保育を振り返り、明日にどう繋げるかという省察が毎日行われています。その記録は昔は手書きでしたが、今はデジタル化されて職員間で共有されやすくなりました。どの職員がどう考えているのかが統合保育支援ツールで共有できるからです。

それを読んで、職員が自らの保育と子どもの育ちをどう受け止めて考えているのか、その上で保護者の皆さんに何をどのように伝えているのかがわかります。その上で園全体として、今日の保育園の中のエピソードを選び何かを考えて述べていくという作業を毎日行っています。

すでにお伝えしていることを繰り返しても意味はないですし、すでに伝わっていることばかりとも限らず、この辺りのことが大事だなと思うことを、全体のバランスを考えながら述べさせてもらっています。必ずそれができているとも限りませんが、できるだけそうしていきたいと思っています。

未来に向かって今を生きる子どもたちのために

2024/04/08

20240408 巻頭言4月号(印刷用)

園だより4月号 巻頭言より

先週で今年度の第一週が終わったのですが、毎日クラス別の保護者会をひらき、今年度の目標や展望をお伝えしてきました。こんな活動になっていくといいな、という目標は子どものことなのですが、まずは本人たちが毎日わくわくしながら保育園にやってきてほしいというのが一番です。そして何か新しいこと、面白いことに出あって、時々目を見張るような出来事に遭遇してほしい、そんな活動がたくさん経験できるといいな、と思います。

保育園での活動は家庭や地域での経験とつながっています。家庭や地域では経験できないことが保育園ではできるとしたら、またそれを大事にしてもいるのですが、思わず遊びたくなって熱中して遊んでいる世界と、私たちが大人が主に作り上げている世界ともつながっています。私たち大人も地球上のいろんな課題に直面していて、その解決に向けて努力しているわけですが、いずれ子どもたちもその世界に加わってきます。

私たち保育者は、子どもたちが大きくなって社会人になっていくときのことを思い浮かべながら、いま熱中して遊んでいる活動が、その将来の現実の世界に参加していくために、どのようであればいいのかを考えています。それはなかなか難しいことですが、きっとこんなことが大事だろうということを、できるだけしっかりと身に付けていくようにしてあげたいと考えています。

それが保育目標に表した内容です。大きく分けると3つでした。ちょっと順番を変えますが、まずは自分とモノの世界との関係です。自分の気になること、好きなこと、やりたいことができること。それが選べること、そしてその探究が深まっていくことです。そのために生活も遊びも選べるようにしています。二つ目は自分と他者との関係です。自分のことだけではなくお友達ともうまくやっていくこと。お互いの異なる気持ちや考えの折り合いをつけながら、ルールに気づいたり作ったりしていく社会性を育てるようにしています。

そして三番目が、この二つのことを通じて育っていく自分とのかかわりです。思う通りに自分らしくいきていくこと、そこに自信をもって自分を世界にかかわらせていくこと、といっていいでしょうか。ものや他者との関係の中で自己発揮ができるようにあることです。

発達の異なるクラス別の保護者会で、どの子どもにも共通することを表現することは難しいのですが、この三つのことをを保育園の保育目標としては「自分らしく、意欲的で、思いやりのある子ども」としています。保護者のみなさんの愛情をたっぷりと受けながら、自分と他者と世界という関係の中で見せてくれる子どもたちの姿を捉えながら、子どもたちにとって楽しく面白い生活になるように配慮していきたいと思います。

こういう感性も大事にしたい

2024/04/06

 

新聞のコラムからの引用ですが、こういうのも大事な気がしますね。

朝日新聞「折々のことば」鷲田清一 から(3月14日)

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自分の視界の端に会いたかった人がいる。その距離感で十分なのだろう。

(伊藤雄馬)

タイ北部に住む狩猟採集民・ムラブリの言語を研究する言語学者は、ムラブリの人たちの、気持ちを表に出すよりもむしろそれを慎む態度にふれて、「ポジティブな感情を表現して認め合うこと」が幸福だという、現代社会の感性にふと疑問を抱く。そして「誰かといる」のでも「他人に認めてもらう」のでもない幸福に、むしろある「懐かしさ」を感じる。『ムラブリ』から。

ぐんぐん組の保護者会

2024/04/05

新しく3人のお友達が加わった、ぐんぐん組。身近なものや周りのお友だちと関わりながら、世界と自分の関係を確かめているようです。

クラスの正式名称は「おおきくのびる ぐんぐん組」。春の保護者会の最後は1歳児クラスでした。進級した子どもたちは、すでに昨年の春から1年間過ごしてきた場所なので、すっかり生活にもお友だちにも慣れているので、新年度を迎えても大きな変化はありません。知っている先生ばかりで、そんなに緊張もありません。

この子たちがやっていることを何に例えるとぴったりくるだろう? 手で触ったり、もったり、振ったり、落としたり、はいはいしたり、つかまり立ちやよちよち歩き。電車を走らせたり、絵本をめくったり、スコップで砂を掬ったり、コンビカーにまたがったり・・とにかくいろんなことをしています。

ウクレレの伴奏に合わせて、いろんな歌も歌います。本人の中では歌がなっているのですが、聞こえてくるのはその片鱗だったり、一部の鼻歌のようなものですが、気分よく歌っているのがわかります。

そんなとき、本人の中では世界との出会いで、目眩く(めくるめく)高揚感に満ちているのですが、それを外に見えるようにすることに長けていません(というか、大人になっても基本は同じだと思うのですが)。ジェスチャーや仕草では限界があって、その大きな手がかりは言葉が大きく、そもそも言葉の獲得は本人にとっても大きな道具になっていくので、本人にとっても周りの人とのつながりにとっても大きな役割を話します。

知らない街の駅に着くと、私はその街の地図を手に入れて、さてどうしよか?と眺めてみることがあります。それと同じように、子どもも出会った世界でその都度、自分なりの世界地図を作っていて、あそこなら手が届くな、とかこうしたらこうなるとか、色々と自分との関係というか関わり方と意味を取り込んでいくのではないでしょうか。あそこには何がある、あそこでこうしたい! そんなことを繰り返しながら、地図(空間的な意味だけでなくて)の中の自分の位置を確かめているかのように見えてきます。

世界と関わることで自分ができる、というようなことをよく聞きます。この時期の子どもに限らず、世界を学ぶことが自分を知ることになるという意味はどういうことなのでしょう。生きるということは、ある種の自分の住んでいる(物理的社会的歴史的な)地図を拡大させ、新天地を取り込んだり解析度を上げたりしながら、その中を自由に行き来できるようになっていく方法を学んでいくこと、なのかもしれません。

そして大事なのは、そのナビゲーションのカーソルを動かすのが本人であり、地図の中の<現在地が自分>というものになるという関係でしょう。自分を制御できることは、道の行き止まりから分かれ道に戻ってきてやり直すフィードバック制御を積み重ねて、自動操縦できるようになっていくことに近いかもしれません。

すいすい組の保護者会

2024/04/05

保育園で最後の一年はどうなるんだろう? 今日は年長、すいすい組の保護者会でした。正式なクラス名は「なんでもしよう すいすい組」です。担任は「子どもの希望を叶えてあげる一年にしたい」と意欲満々です。というのも、毎年いろんな場面で子どもが自分の考えを出し合って、話し合って決めていくプロセスを大事にしてきました。そこで内容が毎年少しずつ異なることになります。実際にすでに、子どもに何したい?と担任が聞いたらTHさんからは「アメリカに行きたい!」、S Nくんからは「魚釣したい」という希望が出ているそうです。さて、どこまで実現できるでしょうか???

年長さんの後半になってくると、こんな姿になっていきますよ、という話や小学校に向けて、遊びの中にある目標を実現させるための試行錯誤のプロセスに目を凝らしてみよう、といったことを話題にしました。

雑談的に最近、私がハマっているキーワードが「スパークする瞬間を捉えよう」というもの。スパークというのは火打石の火花のように、パッとやってくる、あれです。わあ、きれい!とか、そこがいいなあ!とか、子どもにはいろんなスパークが起きていそう。あれ、どうなっているんだろう?とかもう一度見てみたい!とか、そういった心の動きを、どうにかして外の世界に表していくような活動も体験させてあげたい。その結果、なにか面白い、ということが生じることを周りの大人が大事にしてあげたい。

子どもはそれを言葉で伝えようとするかもしれないし、何かに表現しようとするかもしれない、そこのしようとすることを本当に「なんでも」に広げてあげたい。そしてゆくゆくは、自分でそこをやっているだという自覚を少しずつ持つことができるようになっていくといいのかもしれません。実際にそんな風な姿が増えていくのですが、まだまだスパークの「なんでも」が足りない!そこに着目してあげたい、という話をしました。

多分、あっという間に過ぎていく1年でしょう。それでも大きく成長する一年です。その成長の姿と、そうなった体験の数々をできるだけ繋いで描いていきたいものです。どこまでその姿を捉えていくことができるか、私たちの保育者の挑戦にもなります。

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