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園長の日記

本日28日で4月の園児が確定しました

2024/02/28

本日2月28日、4月入園の2次募集の結果が公表されました。その結果、各クラスは次のようになります。

0歳 1歳 2歳 3歳 4歳 5歳

定員 6  7  8  10 10 10 合計51

4月 6  8  9   6 10  7 合計46

目標 7  8  9  10 11 10 合計55

その結果、5月は次のように募集しますので、ご希望の方は3月末までに千代田区へ応募ください。

0歳 1名

1歳 0名

2歳 0名

3歳 4名

4歳 1名

5歳 3名

合計 9名

*ただし、千代田区のホームページよりも多いクラスがありますが、受け入れますので応募してください。

たわいもないことを語り合える空間に

2024/02/27

どんな人にも「井戸端会議」と呼ばれるようなことがなされる場があると良さそうです。あるいは路地裏の「縁側」のような空間です。人と人がゆるやかに交わるようなところ。そこではたわいもないことが話されていて、話すことがまるで体の振る舞いのようなものとしているような言葉のやり取り。そうだね、そうかな、まあね、でもさ、それはいいね、それもいいじゃないの、またね・・・。

ぽんぽん、と肩を叩き合って、何を話すわけでもなく、それでもつながっていることを確認しているようなこと。そういうつながりは、意味がないように見えて大事なことかもしれないと思わせるものがあって、そう思ってしまうと、また意味か!となってしまうのですが、いやいや、そんな場所ではありません、と何気ない背景に引き下がっていくようなところです。そこにいるもいないも、その時の気分次第。でも顔を見せないと「最近顔を見ないね、どうしたんだろう」と心配してくれる人がいて、「ちょっとお裾分け」とか言って、惣菜やら貰い物やらを分け合ったりするようなところ。

保育園の中がそんな感じにならないかなあ。気兼ねのない空間。居心地のいい場所を一緒に作り出すような場所。今日は玄関の金魚の水槽を掃除しました。3人の年長さんが手伝ってくれました。優しく金魚を両手で救ってくれました。とても上手でした。保育園の玄関は金魚に餌をあげたりしながら、ちょっとした井戸端会議風の空間でもあります。

・・・今年の桜前線は早くきそうです。東京の開花予想は3月21日だそうで、卒園式の頃は桜の蕾が膨らんでいそう。暖かくなってきたら、公園でまた花見を兼ねたピクニックでもしましょうね。・・

先生は41人目の追究者

2024/02/26

子どもが何かをやっているとすると、それをみてつい大人の私たちは「こうしたらいいよ」と教えてしまいたくなります。今日もありました。なんという名前のおもちゃだったか、パッとわからないのですが、虹色のカラフルなスプリングになっていて、びよ〜んと伸びるやつ。それで遊んでいる子が何人かいたのですが、長〜く伸ばしたり、引っ張ったり、垂らしたり、その動きを楽しんでました。

みなさん、そんな姿をみると、「あれ」を見せてあげたくなりませんか?私はあのスプリングおもちゃ(と、ここでは呼部ことにしておきますが)をみると、階段を自分でビョン、ビョン、ビョンと尺取り虫のように降りていく動きを見せてあげたくなります。でも、そこをグッと堪えて「どう関わるのがいいんだろう」と思い直し、それを見せればきっと子どもたち自身で「それやりたい!」と、工夫し出すだろう。

試しに階段でやってみたのですが、幅がありすぎて、次の下へうまく跳ねません。同じステップのところに落ちて転げてしまいます。階段の幅を狭くするといいわけですが、子どもたちだけでは、それを思いつきそうもありません。さて、ここからどうするか。階段と階段の間にもうステップ作ればいいのですが、そこにちょうどいい大きさの箱か積み木を置いて見ればいいのですが、子どもと一緒に話しながら、そこを試してみるか、どういうふうに活動を繋げようか、そんなことを考えているうちに、今日は終わってしまいました。

ちょうど今読んでいる本に、先生は「41人目の追究者」とある。これは学校の40人学級を前提にした数ですが、私はスプリングおもちゃの発展系を探求中です。皆さんも、子どもと一緒に、1番最後についていく追究者になってみませんか?

(『「個別最適な学び」と、「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』北大路書房より)

 

同期型から非同期型の生活や学びへ

2024/02/25

「今日話し合ったことを、確認のためにラインに挙げておきますね。確認して進めましょう」。こんなやりとりを経験している人は多いことでしょう。その場を共にするアナログな出会いや会合があって、さらにこれの議事録なり、メモなり、あるいは録画したものをネットで発信しておく。そうすることで、振り返ったり、修正しあったり、個々の記憶が外部記録に転換されて、「忘れる」ことがないうえに、いつでも思い出すことができるようになりました。

これと同じことを複数の相手と、複数のテーマで行っているのが、私たちの生活になってきました。家族のなかでもラインを使っているし、時には写真や動画が使われます。先日も旅先のオランダから友人のメッセージが届きました。もう一度見たい人は~で、も当たり前になったテレビ視聴、それぞれのペースで情報入手とコミュニケーションを、その要求や必要性が発生したタイミングで、つまりオンデマンドでやることが増えました。

今日の午前中の日曜開放でも、話し合ったことはオープンチャットなどを使って時間をかけて、共有することがしやすくなりました。このような同期したコミュニケーションから、非同期のコミュニケーションへの移行は、時間と場所を同じにしなければならなかった制約をほとんどなくしてきているように思います。

これと同じことを、令和の日本型教育、あるいは「個別最適な学びと協働的学び」のなかにみることができます。子どもたちは何を学ぶか、どういう方法で学ぶか、いつ学ぶか、そしてどこで学ぶかも個性化されていくでしょう。先生の方は、それに合わせて選択できる教材や教え方などの指導方法を個別化していくことになるでしょう。

私たちは、同期型から非同期型へ、時間も空間も超えて、しかも集い方やテーマもそれぞれに最適なものを自分で自己決定していく要素がふえてきていることを、生活の変化のなかにみることができます。

成長展〜「仲良し」にもいろんな種類がありましたね

2024/02/24

今日は子どもの育ちのある一面を、成長展という形でご覧いただきました。身長や体重、手足型、好きな遊びや公園、描いた絵などから、「自分の子どもはどれだろう」とクイズ形式で当ててもらうものでした。いかがでしたか? お子さんの特徴が現れていたのではないでしょうか?

行事の展示の特徴は、教育の「領域」と呼ばれている経験の中から、子どもの姿として現れているものを捉えて、これは誰だろう?と、自分お子さんだけで吐く、他のお子さんの特徴も見ていただけたのではないでしょうか。また4ヶ月に一度描いた「自由画」や「人物画」「ぬりえ」あるいは「シルエット」でのお話の1年間での変化もお伝えできたでしょうか。

調理さんからは、手作りふりかけのおにぎりを試食いただきました。このふりかけは子どもたちに人気があります。不足しがちなカルシウムもたっぷりで、ご家庭でもぜひやってみてください。

今年の私の「一推し」は、幼児で掲示した「人間関係の相関図」です。一人から矢印が3本出ていて、他の子につながっています。反対に3本が入ってきていて、合計6本の線で、つまり一人当たり6人とつながっています。その線ひとつずつに関係に意味が書かれているのですが、それが面白いと思います。

展示はひらがなで書いてありますが、ここでは漢字を使います。例えば3歳児クラスでは「なりきり世界の仲間」「憧れのお兄ちゃん」「ごっこ遊びのパートナー」「一緒にいると安心」「可愛がってくれるお兄ちゃん」「制作仲間」「ほっておけない弟」など。4歳児クラスでは「信頼があるお友達」「恋心」生き物探しの仲間」など。中には「親友」「恋心」などもあります。

5歳児なると「ダンス仲間」「運動への憧れ」「かっこいいところを見せたい」「大好きなお友達」。目を引いた関係は「癒しの存在」とか「初恋」というもありました。子ども同士の仲間の関係といっても、このように色々な関係があるのですが、それもある状況では「なりきり遊び仲間」でも、ある時は「ライバル心を燃やす相手」だったり、「頼りになる友達」だったりしているようです。

これは大人の場合どうなるのでしょう。ずいぶん昔から人間関係の希薄さといったことが問題になってきたわけですが、SNSの普及や経済のグローバル化、高度情報化社会、生成AIや人工知能など、そういったことを考えたときに、多様な人間関係の中で主体性をどのように育むか考えていきたいと思います。

子ともから招待される世界

2024/02/23

子どもの遊びは世界の可能性を開く扉である。無藤先生から教わっていることですが、そんな考え方を、子どもの姿から感じるようになりました。経験というのは世界との出会いなんだ、遊びがその経験になっていくんだ、それは面白そう、楽しそう、それなになに?みたいなことがきっかけになっていく。その経験の連なりを物語のように語れるとしたら、主人公の子どもの脇役は、環境の中からその子どもに呼びかけているものたちかもしれません。主人公がそれに応えて「そうだ、こうなったらいいな」という小さなゴールが現れてきて、そこに辿り着くために、脇役たちも応援しだします。みんなアクターなんですね。

主人公からすると、気づいたり、できたり、考えたり、試したり、工夫したり、表現したりしながら物語は進んでいきます。脇役からすると、合いの手を入れたり、こっちだよと誘導したり、壁になって立ち塞がったり「協力者があそこにいるよ」と教えてあげたり。大抵は知らんぷりしているのかもしれませんが・・・。物語の描き方は色々ありそうです。それでも、ゴールに向かって制御していくのは主人公の子どもですから、そこに自己コントロールの成長が見られます。どんどんそれが上手くなっていく。実行機能が発達していくように見えます。それを確かなものにしていくことが「自己発揮」としての子どもの人権を保障していくとになっていくのでしょう。そのように成長していく中に、私たちは子どもが主体的に何かをしている姿を見出して嬉しくなるのです。

もう一つ、何が嬉しいのかというと、子どもがそうなっていくこともそうですが、実はその姿に刺激を受けて、私たち大人も子どもが開こうとする世界に<招待されている>ことに気づくことがあります。昨日のダンスの姿を思い出してください。私は「怪獣の花唄」なんて全く知りませんでした。「おお、そこに面白さを感じるんだ!」とか「そこがいいのね!」や「ああ、そうしたいんだね!」「なになに、どうしたいの?」などと、子どもが不明瞭なものから明確なものまで、いろんなものやコトとの出会い、そのエンカウンターの「入り口」や「真っ最中」や「出口探し」に遭遇していることに、私たち大人も巻き込まれて、ある種の学びが起き始めているように思えます。

そうなってくると、私の「子ども理解」という理解の仕方が狭かったかもしれないと反省します。その定義にもう少し、相互的、動的な要素を加えたい。養成課程のように巨視的にみれば、子どもを対象として捉える大きな枠組みは仕方ないにしても、実際の活動を微視的に見ると、こちらがあたかも変化を受けない地点にいて、文字通り子どもをオブジェクト化してしまうことは到底無理で、主体同士の相互補完的で動的で流動的な営みと捉えたくなってきます。

社会が大きく変化しています。その変化の先を見通すことが大事な時代になってきました。その先の世界で必要になることを出会わせてあげたいのですが、それは個別テーマの内容というよりも、どんな内容であっても通用するコンピテンスになってくるらしいので、なおさら「遊び」を大切にしたいのです。

好きだから生まれる目標と練習

2024/02/22

好きなことを自分で見つけてその目標に向かって試したり、工夫したりしている姿を見ると、やっぱり、それぞれに始まる「遊び」がいかに大事か、と思えてきます。何日も前から練習していた子どもたちによるダンス「怪獣の花唄」が、今日の誕生会で披露されました。誕生会そのものは、わらすのホームページでのブログや、アプリのクラスドキュメンテーションを見ていただくとして、担任からこれまでのいきさつを聞き、気持ちよく踊っている子どもたちを姿を見ていると、こんなことを想像していました。

この子たちは「いいな」と思うお友達のダンスを何度も見たそうです。ダンスを始めた子たちは主にNちゃんとMちゃんの2人で去年夏ごろから。2人とも同じ小学校に姉がいて、オリジナルの振り付けをした「怪獣の花唄」に夢中になっており、その姉の影響受けた2人が保育園でもダンスをしだしたのがきっかけです。

バトントワラーを習っているKちゃんもダンスが好きなので、ちょうど同じ頃、時々、見せあったりしているうちに、周囲に広がっていったそうです。発信源2人の影響が大きいのは、周囲に「いいな」「たのしそう」「やってみたい」と思わせる力があったからでしょう。

最初の2人はそれぞれ姉がやっているダンスを身近に見たり、おそらく行事で行われた録画のビデオを何度も見たりして、その音楽やダンスの「完成形」がイメージされていて、それを再現して楽しんでいるときは、本人はいい感じになっていると思っていそう。みるからに、自信を持ってやってます。ここにも個別最適な学びと協働的学びがあるように思います。言葉による対話と言うよりは、身体的表現による対話があるからです。

それからもう一つ。個別最適な学びの発生に関わる大事なポイントだと思うことですが、最初に「いいなぁ、楽しそう、やってみたい」というのがあるかどうか。そういう出会いがあるかどうか。思わずやってみたいと思うような活動と、偶然出会う可能性の高い場が用意されているかどうか。新しい世界や時代が紡ぎ出されるようなネットワークがあるかどうか。

「みんなの前でやるのは恥ずかしいと言う感じだったのが、お楽しみ会をきっかけに、見せたいと言う気持ちが高まっていったように思います」

このように言う担任の捉えている子供の変化は、行事を通じて表現し合うことが学び合いや対話になっていると言うことなのでしょう。

そう考えてくると、よく「結果よりもプロセス」とか「努力の過程を大事に」という話があるのですが、それはそうなのですが、前提として大事なのは、やはりそれが好きだということでしょう。努力は好きだからこそ自然に生まれるといいですよね。努力の前に、その前に「楽しい」「面白い」がしっかりあって、そのちょっと先に見つかっていく目標という関係が大事な気がします。この事は、平凡な結論のように見えますが、新しい世界が開かれていく可能性に結びつくように、遊びというものが機能しているんだと考えると、遊びはとても大切なことだと思えてきませんか?

 

成長展の動画の説明(前文)ができました!

2024/02/21

あさって24日(土)の園の行事「成長展」のために、先生たちがクラスごとに3〜4分ほどの動画を作成しました。テーマは戸外遊びです。私の役割はその動画のイントロダクションを作ること。全体を通して、どんなことが描かれていて、どういうあたりに注目してほしいか、またその見方の提案のようなことを述べることになっています。

そこで0歳から1歳、2歳、3歳、4〜5歳クラスまで5本の動画を通して見てみてみました。成長展はそもそも子どもの育ちと自らの保育を振り返る行事で、主に「教育の5領域」で振り返るので、まずはそのこと、そして発達の過程ではその成長のその時期ごとに必要な経験をすることが大事なこと、また活動の中には遊び性が溢れていて、その過程の中に目標の達成に向けた問題解決プロセスが含まれていて、その真剣な試行錯誤ぶりを見てもらいこと、その過程は私たち大人がやっていることの練習のようになっていませんか?という提案を述べる、ということにしました。

でも、短くないといけない。せいぜい1〜2分で聞いてわかるような文章でないといけない。この例えでいいのかな、ミスリードしてないだろうか。動画は、明日22日に流しますが、そのイントロダクション(前文)のところだけ、ここに先にご紹介します。動画は明日までのお楽しみに。

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成長展 特別展示〜戸外遊びから考える「環境の広がり」〜

私たち保育者は、子どもの育ちを「教育の5領域」から捉えています。健康、人間関係、環境、言葉、表現というものです。これは子どもの経験を分析的にみたときに含まれている要素のようなものです、料理に例えると、タンパク質や炭水化物、ビタミンやミネラルなどの栄養のようなものに似ていますね。

そう考えると、赤ちゃんの頃からなんでもよく食べるようになって、栄養が身について大きくなっていくように、教育の要素も子どもたちの心と体にとってなくてはならない栄養のようなものです。成長展では、栄養が身についていく様をいろんな切り口でご覧いただきたいと思っています。いろんな料理を美味しそうに食べている姿と言っていいでしょう。

その中で、今年の特別展示は、クラス別の動画を作ってみました。千代田せいが保育園は園庭がない保育園ですが、それをハンデと考えないで「地域を園庭のように活用しよう」と考えて、園内だけでは体験できないことを、散歩やバスでいろんな公園に出かけたり、自然の中で戸外遊びを楽しんできました。今年はその様子から、子どもたちの成長をとらえてみました。

子どもの発達には、その時期その時期に、その年齢に相応しい必要な経験というものがあります。これは適時性とか敏感期と言われたりするように、その時期だからこそ大事なものであって、それは先取りして行うものでもなく、また個人差もあるので同じ時間や場所で一斉に行うこととでもないでしょう。

さまざまな欲求が満たされて情緒が安定すると、好奇心を持って探索を始め、自ら環境に関わって、その関わり方と意味に気づいていくことを繰り返しています。それが遊びです。室内の探索でも戸外での散歩でも、遊びの中でいろんなことを身につけているのです。

遊びというものを、また環境からの呼びかけに呼応しながら面白いことを見つけると、その中に子どもなりの目標を立ち上げて、その目標を達成しようとして、いろんな問題解決にとりくんでいます。全ての遊びにそれがみられるので、そういう目で見てみてください。遊びは自分で課題を見つけて自分で解決していこうとしている真剣な取り組みなのです。それはまるで大人の私たちが仕事の中で、答えのない課題を解決しようとしていることと同じ構造になっていて、将来の課題解決の練習をしているかのようです。どのように自分で目標を定め、そのための課題を発見して解決しようとしているのかを、ぜひご覧ください。

 

 

睡眠の答えはケースバイケース

2024/02/20

「午前に赤ちゃんが寝ている時期は、午前中の活動の大切さをどう考えたらいいのか?」今日の睡眠講座で、こんな質疑応答がありました。月齢によっては睡眠が夜と午後の昼寝に集中していない時期があるので、その移行の時期をどう受け止めて見通しておくか、という話です。

睡眠衛生指導を長くなさっている講師の永持伸子先生は、ケースバイケースで微妙な個人差を踏まえたアドバイスをしてくださるので、講座の進行役の私は毎回、最後の質疑応答をいつも興味深く聞いています。同じような課題に見えながら、それぞれの課題の受け止め方や改善目標が違ってきます。

これは当たり前かもしれませんが、「事実」に基づく課題というものは、どんなことでもその状況にあった「処方箋」というものを見つけ出せるといいですよね。子どもの持って生まれた個性や、それまでの経験、睡眠環境を含めた子育ての状況、そして親御さんの意向など、いろいろな要素が作用し合うちょうどいいバランス地点を探すような感じです。

よく永持先生は、基本的にはこれこれこうですけど、「親御さんが負担になるとかえって良くないので」とか「いずれそうなるなら、今はそのままでいいでしょう」とか、ある方針の中で幅のある選択肢を示してくださいます。そして継続してやっていける、よりベターな方法を見つけていく感じです。「よくある質問と答えと、その例外や応用」ということが大事なんでしょうね。

 

子どもの葛藤と忍耐を経て育まれる信頼する心

2024/02/19

ぐんぐん組のブログをご紹介します。タイトルは「葛藤と忍耐と信頼と・・」です。

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お部屋で遊んでいたとき、Rくん(2歳5か月)が持っていたレゴブロックが欲しくなってしまった、Cちゃん(2歳10か月)。いつもみんなが「ケータイ」に見立てて使っているものだったので、お人形の赤ちゃんのお世話ごっこに使いたかったようです。

みどり色のブロックが2つと、青色が2つ。同じ形のものが全部で4つ、Rくんの手元にあります。
Cちゃんも欲しいけど、まだRくんが使ってるんだよねぇ…と大人に受け止めてもらいつつ、涙ながらに悔しい気持ちをこらえるCちゃん。
「Cちゃんは、何色がほしいの?」と聞いてみると、「みどり」と言います。

さて、ここからは大人の腕の見せどころ?です。
Cちゃんの代わりに、Rくんにもお話を聞いてみます。どうすれば『貸してあげようかな』と思ってくれるかなぁ…うまく交渉できるでしょうか? 力ずくで取ってしまうわけにはいきません。伝え方やお願いの仕方、距離感…大人なりの交渉術を、実践してみます。
「Cちゃんはみどりが欲しいんだって。(・・・) Rくんが使い終わったら、貸してくれる…?」などと少しの間 Rくんに語りかけていると、最初はヒートアップしていた名残りなのか「ダメー」と言っていたRくんも、そのうち 「うん(終わったら貸すよ)」とうなずいてくれました。
子どもたち、言葉はだんだん巧みに使えるようになってきているけれど、お互いの気持ちがぶつかり合っていたりすれ違っていたりする場面となると、やっぱりまだ大人のフォローが必要なことも多いですね。
でも、Rくんとのやりとりを一緒に聞きながら、Cちゃんも落ち着きを取り戻し、Rくんが貸してくれるのを大人と一緒に待っています。
「Rくん、終わったら貸してくれるって。それまで(お人形の)赤ちゃんのごはんでも作って待っていようか」とCちゃんに伝えると、すこしホッとしたのか、Cちゃんも気持ちが切り替わります。

「やりたい!」「ほしい!」「わたしの!ぼくの!」と、最初こそ 気持ちと行動が先に行ってしまう瞬間もあるけれど、涙ながらでも、大人に寄り添ってもらいつつ、ぐっ!と悔しい気持ちを堪えて、自分なりにクールダウンしていく姿がそれぞれに多くなってきています。また、そうして気持ちを切り替えるまでの時間も短くなってきて、言葉でやりとりしてみようという姿も増えてきているように感じます。

少し経って、Rくんが、「ハイ」と持っていたレゴブロックをCちゃんに渡しにきてくれました。


Cちゃん、Rくんがブロックを持ってきてくれると「Sちゃんにも」と、まずSちゃん(2歳9か月)に手渡します。一緒に赤ちゃんのお世話ごっこで使いたかったようです。

なるほど…『こういうふうに遊びたいな』というごっこ遊びのイメージやストーリーをしっかり思い描いていただけに、どうしてもそのアイテムが欲しかったんだなぁ、とCちゃんの思いもわかった気がしたのでした。
Rくんが、ブロックを貸してくれようとしつつも うまく取り外せずに苦戦していると、「これ、取ろっか?」と、Rくんに聞いて外してあげようとするCちゃん。

Rくんも うん、と素直に渡して、うまく取れるかなぁ?というようすで眺めています。

さっきまでの攻防がウソのようです。(笑)

そのあと実は、CちゃんとSちゃんに2つずつブロックが渡って、今度はRくんの手持ちのブロックがなくなってしまって、一悶着あったのですが笑、同じようなやりとりをして、しばら〜くしたのち、最後はみんなで分け合って、遊んでいました!最後はちゃんと、誰かが譲ってあげる気持ちを見せたり、納得し合ったりして遊べるのが素敵です。

こうして、ケンカもたくさんするけれど、「待っていたらそのうちちゃんと貸してくれるんだな」「ちゃんと分かってくれるんだな」という体験が、けっこう、その後の子ども同士の関係によくあらわれてくるような気がしています。モノの貸し借りのやりとりを見ているとよくわかります。
何度ぶつかっても、大人の力を借りながらやりとりして、一度、そのお友だちと気持ちが通じ合う体験をすると、「この子はそのうち分かってくれる」と子どもなりに安心するのでしょうか。そうしたことの積み重ねで、それぞれの信頼関係が結ばれていくようにも見えます(もちろん、それだけではないと思いますが)。

(↑茶色の「麺」が欲しいYくん(2歳3か月)。取られちゃうのはイヤだけれど、それなら、お皿に取り分けるから待ってね、とYくんのぶんを取り分けるCちゃん。Yくんも、自分のぶんをお皿によそってもらうのを待っています。)

ぐんぐん組(1歳児クラス)の時期は、何かやりたいことや欲しいものがあるとき、まだ自分の気持ちを自分でコントロールするのが難しくて、ついお友だちのものを取ってしまったり、手を出したくなってしまったり…ということもたくさんあります。でも、子どもたちの姿を見ていると、やってはいけないこととか、どうすべきか、ということは、ほんとうは子ども自身がよく分かっているのだと思います。

分かってはいるけど、気持ちがまだうまくおさえられずに咄嗟にやってしまう…という感じでしょうか。大人でも、イラッ!とした気持ちを自分でコントロールして落ち着けるのは一苦労することもありますね。そんな 大人でも難しい「感情のコントロール」を、こんな小さな子たちが、子どもたちなりに一生懸命、体験して練習しているのだと思うと、涙ぐましい努力だなぁという気分になってしまいます。

だから、そんなふうに子どもの気持ちが爆発しているとき、一度ぐっと立ち止まって相手とやりとりしてみたり、ちょっと待ってみよう、と思えるために、大人がお手伝いします。
子ども同士の気持ちがぶつかったとき、何かが”正しい”とか”間違っている”とか”良い、悪い”とかを教えるのでなく、子どもの気持ちに寄り添って 一度クールダウンさせてあげながら、”子ども同士の関係を結んでいく”お手伝いをしているというイメージがあります。
やってほしくないことはしっかりと伝えたり、こうしたら?というアドバイスはしたりもしますが、あくまで、子ども同士の関係の つなぎ役 という気持ちです。
そして、子どものケンカは 案外、それぞれの子の思いの行き違いのようなこともよくあります。例えば、カバンを取り合っているとき、一方の子はこのカバンが欲しいけど、もう一方の子はこのカバンの中に入っている中身が欲しかったんだね…!など。言葉足らずだった部分を、大人がよく聞き取ってお互いに伝えてあげることで、解ることもあります。

子どもたちが忍耐強く、友だちとの間の葛藤やその先の喜びを体験しているのと同じように、大人にもまた根気と忍耐が必要です。子どもの気持ちに寄り添いながら、というのは、すごく時間がかかるもので、目に見えにくいものであるけれど、ふと気付いた時に、『こんなやりとりができるようになったんだ』とか『そんなふうに貸したり待ってあげたり譲ってあげたりするようになったんだね』とか感じる瞬間は、すごく嬉しくなります。子どもたちの体験してきたことの積み重ねは、そうしてふとした瞬間に感じることができるものなのでしょうか。

いま、小さなみんなが自分の身で全力で体験しながら学んでいる、葛藤や忍耐、相手と通じ合ったときの喜びや人への信頼感…というものは、きっとこの先ずっと、生きていくための力になっていくのではないかなぁ、そうであったら嬉しいなぁ、と願いながら、過ごしています。だからこそ、一つひとつのやりとりや出来事を、できる限り丁寧に読み取って、見守っていきたいと思っています。
1年後、5年後、10年後…そして、みんなが大人になったとき、どんな風になっているのかな。と、ときどき楽しみな気持ちで想像してしまうのです・・・が、気が早すぎるでしょうか😅

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