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園長の日記

栄養士めざす学生さんたちが食育活動の体験に

2024/02/19

豚汁と手巻き寿司を子どもたちと作ってみようー。そんなねらいの活動を、大妻女子短大で栄養士の勉強をしている学生さんたち6人と園児が楽しみました。

参加した園児は4、5歳の全員と、やってみたい3歳の子どもたちの選択。まず導入の遊びとして、豚汁の材料になる野菜や果物を、目隠しして手で触って当てるクイズを楽しみました。

そのあとで6グループに分かれて豚汁の材料となる人参、白菜、しめじ、こんにゃく、大根、煮干しを切ったり、ちぎったりして下ごしらえ。

当園には毎日配膳に使う子ども用のキッチンがあるので、その電磁調理器で豚肉を炒め始めると「いいにお〜い」と子どもたち。そこに今準備した野菜を入れて、調理室で煮込みます。

豚汁ができるまでの間は、魚釣りゲームをしたり、ゾーンで遊びました。

昼食のメニューは唐揚げとレンコンのきんぴらで、今日は特別に豚汁が加わり、有明海苔に白ごはんと、唐揚げやきんぴらを乗せて手巻き寿司のようにして食べました。食事は先生も学生も一緒です。席を譲りあったりと賑やかでした。いつもよりも、おかわりの列が多くて、たくさん食べていたようで、栄養士も「海苔が人気でご飯が進みました」と目を細めていました。海苔に含まれる旨味成分は母乳の旨味に近くて、子どもは好むそうです。

さて、いつも申し上げていますが、食育というのは、何か特別なイベントをすることではありません。毎日の食事を「つくる」ということの中に、いろんな体験が入っていて、その土地の文化背景を持ついろんな食材があって、それを誰とどのように食べるか、という目標に従って、それを達成させるために課題解決の体験が変わってきます。

それを子どもが大人と一緒に体験していくこと。しかも食育の場合は、その結果「美味しいね」という他にない達成感が待っているという、素敵な活動(食の営み)だと思います。

 

日曜開放で久しぶりの再会も

2024/02/18

今日の日曜開放は感染症の用心のために昼食なしで午前中のみ。9時から12時までの3時間でしたが、それでも「ちょっとでも保育園が空いていたらとても助かります」という声をいただくと嬉しいです。小さい子どものいる頃は、その毎日の「ちょっとでも」が大きいのですよね。

結局10家庭以上が参加されました。卒園されたり転園された親子もいらして、懐かしい再会の機会にもなりました。

そのうち年長組の卒園アルバム作りのために集まった方も。いよいよ3月の卒園式まで約1ヶ月という時期になってきたね。卒園アルバム作り、ありがとうございます。

さて、次回の日曜開放は、24日の成長展の翌日25日(日)です。感染症が落ち着いていたら昼食もあり、午後1時までになります。

入園説明会を開きました

2024/02/17

17日(土)の午後はZ O O Mでの入園説明会。保育園に集まることもなく、ご家庭にいながらできるのは子どものいるご家庭にとっては参加しやすいので、コロナ禍から始めましたが、今日ご都合がつかない方にはオンデマンドで後で見てもらうことにしました。

説明会の内容は重要事項説明書をかねた「園のしおり」を画面共有して、大事なところだけピックアップして説明しました。園の見学は、保育園を選ぶときに見学していただいた方ばかりだったので、園の様子の説明は省略させていただきましたが、次回の健康診断などの時に、入園されたクラスの様子をまたご覧になってください。

今日の録画内容はYouTobeでアップしますので、またお知らせします。在園の方も確認のために、もう一度ご覧になっても構いません。URLは園のホームページの「お知らせ」に載せる予定です。

保護者主催の「子どもが幸せに生きていくヒントを見つけよう」

2024/02/17

今日17日午前中は姉妹園の「新宿せいが子ども園」で、その保護者と卒園家庭からなる「落四小学校区域の学童クラブを考える会」(代表・渡辺仁子)が開いたイベント「子どもが幸せに生きていくヒントを見つけよう」に参加しました。

まず「保育園を考える保護者の会」代表の渡辺寛子さんから、こども家庭庁の「幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン)」が紹介されました。渡辺さんはその会合の委員でもあり「これから出されてくる色々な政策の大元はこの5つのビジョンに基づいているのになるでしょう」と。

続いて紹介された、この会に参加している方に事前にとったアンケート「子どもが大人に言われて・されて嫌だったこと」と「大人が子どもの時に言われて・されて嫌だったこと」の結果からは、本人からすると大人が過干渉になっている傾向が見られました。

それらを受けて、いわゆる「見守る保育」については、藤森平司園長から乳児保育における保護者の関わり方の話が、また元ソニー開発マネージャーで『パパだからデキる子育て術』の著者である鬼木一直・東京富士大学教授からは、見守る保育の意味についてのミニ講演がなされました(録画)。

さらに脳科学者でもある一人の保護者からの話題提供もあり、盛りだくさんの内容を踏まえてのグループディスカッションは熱のこもったものとなりました。

このイベントは、主催している会の名前から想像できるように、卒園したあとの学童のあり方を考える会ではあるのですが、子どもが幸せであるために、学校の在り方や学びのあり方も考えていこうという趣旨の内容になっています。就学前の学びと就学後の学びをつなぐ活動のあり方として、保育と学童の連続性を考えるための、いい機会になりました。

 

近未来の学びの姿を探る

2024/02/16

国が学校で「個別最適な学びと協働的学び」を推進している中で、新しいカリキュラムに挑戦している自治体が話題になっています。いったい、どんな変化が起きているのだろうという関心を持っているのですが、今日16日は朝から文京区にある国立お茶の水女子大附属小学校の授業を参観して、その授業についての協議会にも参加してきました。

1年生が「やさしさってなんだろう?」を何時間もかけて探究していました。助けてあげること、思いやりがあること、困っている人に寄り添うこと、自分ことより人のことを優先する人・・・いろんな考えが出てくるので「面白いなあ、どんなふうに深まっていくのだろう」と見ていたら「教え過ぎるのはだめで、その人が将来何もできなくなる」とか「いや、教えても大丈夫」という一見反対の考えが出てきたところで、次回に持ち越しとなりました。

大人も考え込んでしまうようなことを、子どもたちは自分事としてちゃんと考えていることがわかります。このようなやりとりを聞いていると、自分というものを作っていくプロセスの中に、他者を包摂していくと言うことの実際がこのように目の当たりに行われていることが実感できます。またそのために言葉というものが、いかに大事かということも。そこに教師の繊細な働きもありました。

この話し合いになるまでに、斎藤隆介の「モチモチの木」をずいぶんと丁寧に何時間も読み込んできていました。辞書で言葉を調べたり、友達の意見を聞いたり。その過程は多目的室の後ろにパネル掲示してありました。このような学びのドキュメンテーションのようなものがあると、今日の姿に至っている学びの変化が読み取れてとても面白いものです。

写真撮影は禁止されているので、ここでお見せできないのが残念です。

もう一つ、1年生の教室を覗いてみると、「みがく」という総合的な活動が展開されていました。いくつかのグループに分かれて忍者やダンスや石について、それぞれの目標に向かって「探究」していました。こちらも教室や廊下の壁に1学期からの学びの過程が掲示されており、子どもたちが選んだテーマ(スポーツ、お化け屋敷、旅行、料理・実験、折り紙など)の活動が深まっていったり融合したり、途中で新たに「宇宙」や「石」が発生したりして、活動の流動的な流れが可視化されていました。

教室は可動式の大パネル4枚で仕切られ、教室と廊下の境目の壁はありません。今日のような活動の時間は、テーマごとの机を4つぐらい組み合わせたテーブルが8つほどできていて、それぞれ別の活動をしています。授業の最後は集まってサークル対話をします。司会も子どもに委ねており、学びの共有がなされていました。この時の子どもたちの発言から、どんなところに関心があって何を成し遂げようとしているかが垣間見られました。

大事にしていることは「えらぶ〜自分の学びや生活をつくる」「みつける・しらべる」「サークル対話」などです。個別最適な学びと協働的学びの具体的展開と見ることもできるでしょう。また主体的、対話的で深い学びであるとも。

午後は、井庭崇・慶應義塾大学教授(創造実践学、創造哲学、未来社会学)が「創造性を育むこれからの教師像:ファシリテーターから『ラジエーター』へ」と題して講演され、教育は遠い将来を見定めることに関わっているとして、子どもが主体的に学びをあむには教師も答えのない問いに向かって一緒に「つくる」ことを提案されていました。

この小学校は数年前から新しいカリキュラムを研究してきており、国語や算数といった教科以外の特別活動や総合的学習の時間などを集めて新しい領域「てつがく創造活動」という名前の時間を模索してきています。詳しい説明はできませんが、教育がこのように変わっていく姿を見ると、私たちがやっている就学前の幼児教育を考える上でとても参考になるし、同じ方向を向いていることが確認できてうれしく思いました。

土曜日も開かれていたのですが、金曜だけの参加となりました。ごく一部のことしかわかりませんでしたが、何に向かっているのかという大きな方向性は感じることができました。

誕生会でやりたいとダンスの自主練習

2024/02/15

主に女の子たちの間でダンス熱がすごい。うまいもんだなあと、感心します。曲はパソコンのYouTubeから動画と共に流れています。その操作もお手の物です。火付け役はどうも園児の上のお兄さんやお姉さんたちのようです。小学校でやっているので、その影響のよう。

知っている曲がながれると、集まってきます。それだけ人気があるんですね。何にいま興味があるのかよくわかります。

このダンスを今月の誕生会でやりたいと練習が始まっているようで、お楽しみ会でやった人形劇の経験が、生かされているようです。

一緒になにかを創り上げることの面白さを知ったのかもしれません。

大縄に跳び込むタイミング

2024/02/15

屋上で大縄跳びが盛り上がっています。1月中旬の行事「お楽しみ会」の頃は、できるだけ多くの回数を跳ぶことが目標になっていました。

回数を数えているので、それがホワイトボードに書かれていて、それをみながらまた新しい目標を目指している子もいます。

それが最近は、大きな縄が回っているところへ、外からタイミングよく入ることに挑戦しています。「できたんだよ」と興奮気味に喜んでいる姿がとてもイキイキしています。

やっている子は楽しいから、「またやって」「もっとやって」と意欲満々です。

それを叶えてあげたいと、綱を回している先生の腕を心配して声をかけたら、やっぱり「もう腕はパンパンです」と。これも献身的な若い先生がいるからこそできる集団遊びかもしれません。

アイグラン保育園との交流

2024/02/14

近くなので少し交流が始まっている「アイグラン保育園東神田」の子どもたちと今日14日(水)の午後、和泉公園で遊びました。昨日配信でお知らせしたように、こちらの保育園さんとは、他の公園でも今までに、ばったり会って交流するということが数回ありました。さらに「就学に向けて少しでも不安をなくし、楽しみを持って進学出来るよう、交流を持っていけたら」と先生たちは考えています。

今日の交流では、そこから転園してきたSくんが前のお友達と一緒に遊ぶことができて楽しそうでした。

小学校にいくとまた一緒のの生活や学びが始まります。地域の保育園や幼稚園との交流はコロナ禍でストップしてしまっていましたが、子どもたちは地域で仲良くなっていると、就学へ向けての安心にもつながります。

グローバルキッズ神田駅前保育園と交流

2024/02/13

保育園からは少し遠いのですが、幼児になると「旧今川中」の校庭まで遊びに行くことができるようになります。千代田区が近隣の保育園に割り振ったスケジュールに従っているのですが、今日火曜日は「千代田せいが保育園」が優先的に使える日でした。

広い校庭に面して「グローバルキッズ神田駅前保育園」があるので、そこのお友だちとの交流になりました。ここのお友達は、4月からお茶の水小や千代田小に行きます。就学前に一緒に遊んだことがあるお友達との親近感は、学校そのものをきっと身近に感じさせてくれるでしょう。

千代田小の学校説明会は2月6日にありましたが、8日に子どもたちと訪問する予定です。和泉小学校は3月1日。昌平小の訪問は4日になりました。お茶の水小は調整中です。

保育空間における公私

2024/02/12

何かする前も、した後も、やってるときも何かと話し合う。一緒にやることは楽しいけど、意見があわないときは、「どうしよう?」と話し合う。年長さんぐらいになると、そんな感じの話しあいというか、〈普段着の会話〉が頻繁に起きているように感じます。

しかし、その空気が違ってくるときがあります。どうしてでしょうか。改まった「話しあい」のようなことが必要な時もあって、それはそれで大切なことだと思います。

たとえば、手を挙げて順番に話を聞き、自分の考えを伝える。そういうことも学ぶ場になっていきます。学校はきっと公的空間だからでしょう。休み時間とかの会話と、授業中にみんなに通じるように話す話し方とは、ずいぶんと違います。よく人前で話すことが苦手ということがありますが、そのテーマと公的空間での会話の在り方と、もしかすると課題が一部つながっているかもしれません。

保育園の生活空間の場合は、どうもプライベートな空間の要素が多いのかもしれません。その子らしくとか居場所づくりとか、自分らしく自己発揮できるとか、養護的場所であるとか、安心感の輪における安全な避難場所であったり。〈そのまんまの自分〉という状態があることになっているのです。でも、それも本当だろうか?

でも、確かにちょっと矛盾してくるな、と感じてしまうのことはあって、つまり、そこが難しいと思えてくるのは、それぞれ異なる子どものその子らしさが発揮できたり、全く遊び込めるようにしたり、一人になる空間を用意してあげたりする工夫が奨励されているのはプライベートな要素が色濃い気がするのですが、その一方で社会で通用する常識的なふるまいを期待されてもいて、それが結構な割合であったりするのです。

ちょうどいま、NHKの100分で名著という番組で哲学者リチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』が取り上げられているのですが、そのなかに、この公的なバザールと私的なクラブの差によるたとえ話が出てきます。ローティは個人の中には正しい建前と正しくないかもしれない本音があって、その併存を認めようという考えのようです。

このようなものを意識してみると、お互いにそぐわない姿をそぐわない場所で要求しあってしまうことが起きている気もしてきます。公的な場でふさわしいふるまいと、私的な場だから許されるふるまいと、そこを嗅ぎ分けて身に付けていく子どもの姿も、保育園生活のなかに見られそうです。この違いに少し気を配ってみてみたいと考え始めました。

 

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