MENU CLOSE
TEL

園長の日記

子どもも大人も「うそっこ」好き

2023/09/03

子どもは当然のごとく「うそっこ」が好きなのです。嘘っこ、というくらいですから、本当に対する嘘、なのですが、それは子どもたちにとって空気のように遊びの中で展開されています。何かしらの「本当」について、それを虚構として再現しています。だから「うそっこ」と自覚しています。その「つもり」なのです。

その再現性は、本当らしくすることを目指しているわけではありません。芸術で言えば、自然主義的リアリズムを求めて試行錯誤しているのではありません。私に言わせると、まるで劇画的であり、時にバロック的だったりします。ままごと遊びや電車遊びなど、そのらしさにハマって没頭してる時もあれば、そこから気まぐれに展開していくことを面白がっている時もあります。つまり再現されている生活や出来事そのままであるというよりも、アレンジが加わり、やっている本人が面白いと思う何かに従って展開しています。

例えば、ただのおいしい料理ではなく、手元にそれらしいものがないなら、それは構わずびっくりするような食材が入り込んだり、風邪をひいて手術をしたら死んでしまって、でも「大丈夫!お薬があるから」と、特効薬で生き返ったりします。時間と空間を自由に行き来する能舞台のように思えなくもありません。

「うそっこ」が、好きなのは大人も同じです。ギリシャ時代からわざわざ劇場を作ってきました。人間に普遍的なテーマは時代を超えて、昔からあった物語を、表現の形式を変えながら現在まで受け継がれてきています。

室町時代にできた能は、今も根強い人気がありますが、それらを例えば三島由紀夫は「そのまま現代に生かすためにシチュエーションのほうを現代化」(「近代能楽集)あとがき)して、8つの曲を創作しています。ドナルド・キーンによると昭和27年に上演された三島の「卒塔婆小町」(世阿弥が原作)は、三島の他の作品と深い関係がある「美と愛と死」がテーマであり、成功を収めたそうです。

実はその戯曲が、9月1から今日3日まで「山中湖国際演劇祭」として、ダンスと演劇で表現されました。場所は富士山を借景に設られた山中湖交流プラザの屋外劇場です。現代の夢幻を舞ったのは、クラシックバレエのトップダンサー、中村祥子と池本祥真の両氏。俳優として演劇キャストの宮川雅彦氏も熱演しました。そして、この演出と振り付けが、青木尚哉さんです。普遍的なテーマが時代を超えて、表現形式は変わっても、私たちに感動をもたらし続けているのです。

さて、こんなことを思いました。三島が数百もある謡曲を渉猟し、その中から「現代化に適するもの」は、結果的に8つしかなかったことになります。それと比較してもしょうがないのですが、子どもの「うそっこ」は、どのように子どもに選ばれているのでしょうか?

絵本などの物語の登場人物、戦いごっこ、怪獣、食事をめぐるあれこれ、乗り物、お店屋さん、買い物、お医者さん・・生活に身近なもので面白いと思うものが選ばれているわけですが、そこにどんな意味があるのか勉強中です。いろいろなことが培われていく経験になっているのは間違いないのですが。

劇遊びやごっこ遊びを発展させていく時に、子どもの即興性を大事にしたいと感じます。子どもたちの「うそっこ」の面白がり方を、じっくり鑑賞してみたくなりました。

子どもが自分を発揮できるコミュニティーへ

2023/09/02

人と人がコミュニケーションを取るときに「食事」と言うものは欠かせない環境だと思います。仲良くなりたいとき、お茶でもどう?とか、ご飯でも一緒に食べましょうか?とか、飲食は、コミュニケーションの大事なツールと言って良いでしょう。同じ釜の飯を食うという言葉だってあります。国が大事なお客様さんを招いたら、晩餐会は欠かせません。

昨日1日の夕方、保育園の屋上で、保護者コミュニティー「しずくの会」がパーティーを開いて下さいました。家族ぐるみの保護者晩餐会です。食事が済んだ子どもたちは、保育室で保護者の見守りの中、遊びました。保育園だからこそできる夕食会です。

昼間働いていて、忙しい保護者の皆さんは、お互いのことを案外知る機会がありません。同じクラスでありながら、親睦を深める機会というのが少ないのです。夕方の保育が終わった職員も数名参加して一緒に語り合いました。私も数人の保護者の方と、その子供の最近のエピソードを交えて、お互いの思いを楽しく共有しました。

そういう話をしていると、家庭での子どもの姿と保育園での子どもの姿の違いと言う話題になるときがあります。保育園で〇〇ちゃんがこうですよ、と言った話をすると、家ではそんな姿はありません、とびっくりされる時もあります。それはそうなんです。保育園と家庭では環境が違いますから。矛盾しているように見えたとしても、それぞれの姿はその子らしさを表しているはず。

私たちは、人はどんな環境に置かれていても同じような振る舞いをするはずと思い込んでいます。でも事実はそうではありません。文脈から独立した、客観的で、不動の個人と言うものはないと思ったほうがいいと思います。

ある著名な哲学者は、それを「分けられない」という意味の個人=インディビジュアル(individual)に対してinをとって「分けられる」を意味するようにディビジュアル(dividual)と名付けたそうです。それを平野啓一郎さんは「分人」という日本語訳を提案しています。私は面白いなぁと思います。

保育園が遊び込める空間になっているから、そこにあるものや、人に出会うとその世界に引き込まれ遊び始めるのでしょう。愛情と安心に溢れた親の下から離れて担任に身を委ねる時、親は一抹の寂しさを感じるものでしょう。

しかし、それは担任に対する信頼感もあるでしょうが、それ以上に保育園で味わっている世界の面白さが思い出され、未知のものが既知のものに変わっていく体験の魅惑に誘われているのかもしれません。あるいは好奇心や探究心が旺盛な子どもが保育園での遊びを希求し、そこに誘ってくれるアイコンのような意味を保育者が発信しているのかもしれません。

親や家庭には、園や先生では、決して及ぶことのできない親密な愛情の世界があり、保育園には家庭にはない仲間や遊びの面白い世界があるのでしょう。家庭でも保育園でも、その子どもにとって輝いて見える世界に差は無いのです。子どもという「分人」が、それぞれの世界から光を浴び、自分を発揮し、輝いているのでしょう。

 

子どもの成長を感じるとき

2023/09/01

園だより9月号「巻頭言」より

今朝、ある遊びを私に提案しにきた子どもたち。それがまた丁寧に真面目な顔をしているからおかしい。「ねえ、園長ライオン。運動遊びをしたい」。それが朝の9時35分だったから、もう朝のお集まりの時間だ。その様子を見ていた主任が「40分まで」、とロスタイムをくれた。そこで、私は「あと5分しか遊べないよ」というと「うん、大丈夫!」という。「え〜、ほんとかなあ。遊び出したら、もっとやる!とか言って、ちっともやめないんじゃないの」といってみた。ちょっと考えている風に見えた。私は運動ゾーンの壁の時計を指差して「今、時計の長い針が6と7の間でしょ。これが8になったら、おしまいなんだよ」と説明したら、すぐに例の遊びが始まった。ルールはみんな熟知している。

そして、あっという間に時間がきた。するとどうだろう。何も言わないのに、NちゃんやYちゃんはネットが降りて、さっさと靴下と上履きを履き、お集まりを行う二階へ向かって移動していくではないか。ほう。感心した。そういえば、今年の春、年長のクラスに進級したこの子たちは「切り替え名人になりたい」という目標を語っていたことを思い出した。それがこうやって自分達の姿になっているではないか。きっと本人たちは、そんなことを言っていたことは忘れているかもしれないが。

朝のお集まりでは、グループに分かれて座る。出席は名前を一人ひとり呼んだりはしないで、司会の当番の子どもが「赤グループさん、お休みは何人ですか?」と、など聞くと、「誰々ちゃんがお休みです」などと答えてくれる。こうして誰がどうしてお休みなのか、分かり合ってから一日が始まる。お集まりの大事な役割になっている。その相互理解がとてもスムーズになっている。

ホワイトボードに、3歳、4歳、5歳のお休みの数が、1、2、1などと書き込まれる。「ということは、今日は全部で何人のお休み?」「4人」などという会話がなされる。これは足し算。さらに幼児は3クラス合計で26人なので「すると今日は」「22人」という声が返ってくる。こちらは引き算。ゲームやクイズのような感覚で毎日繰り返される。

その後はどこで何をして遊ぶかを、子どもたちの司会進行できまっていく。年度の初めなら3つだったゾーンが、先日は「じゃあ、先生の代わりをしておくから」と4つのゾーンを開こうと決まっていた。だんだん、先生の役割がいらなくなってきた。

自分達で自分達のことを決めていく。そこには言葉はまだ拙くても、子どもなりの考えや工夫や協力が見られる。担任はそうした様子を動画とパワポにまとめて来週、ある研修会で発表することになった。その原稿を読んでいて、子どもの成長を感じて嬉しくなる。

8月の「研修」を振り返って

2023/08/31

子どもが出しているサインをどう「気づき」、どう「理解するか」。サインにどういう意味があるかが分かると、それへの対応や働きかけがより適切なものになるでしょう。サインに気づかなければ、スルーしてしまうし、気づいても、その意味がわからないと、対応や働きかけは不適切なものになるかもしれません。そして子どもは、その対応によってまた気持ちや姿が変化します。

研修は、ある動画をみて、子どものサインと介助している職員の働きかけ、そしてその結果の子どもの気持ちの変化を読み取る練習でした。サイン、対応、変化。この3つを言葉で記述します。その記述は左側にサインと対応の事実だけを書きます。右側には子どもの内面の変化についての推論を書きます。

その事例を複数の参加者で話し合いました。同じ出来事を記録した動画なのに、見る人で記述内容がまったく変わります。子どもが重度の障がいを持っている方だったので、サインも変化も読み取ることが難しい、という要素もありましたが、保育にもかなり重なるものがありました。子ども理解と環境の再構成を成り立たせる基本スキルに当たります。

この研修会は、東京都の第三者評価者向けの「フォローアップ研修」です。30、31日の二日間にわたるものでした。こういうトレーニングは保育者にも必要でしょう。専門的知識をもつことが「気づき」にも「理解」にも「対応や働きかけ」に不可欠だからです。ただ、保育はサインも対応も広く深いとはいえ、保育者のスキルアップが収斂していく方向性の一つと言えるでしょう。

 

ダンスで多様な体の動きを楽しむ

2023/08/30

保育の質を高めるためのアプローチの一つに、外部の専門家との協働があります。近所の海老原商店はアーティストの活動拠点になっていますが、そこで出会ったコンテンポラリーダンスの第一人者、青木尚哉さんのおかげで、保育にダンスを通じた活動が増えました。子どもは基本的に、体を動かすことが好きです。子どもたちが「十分に体を動かす楽しさを気持ちよさを体験し、自ら体を動かそうとする意欲が育つように」(要領・指針の「内容の取り扱い」)してあげたいと思います。

今年も7月から青木さんのダンスグループZERO(ゼロ)のメンバーが、来てくださり、全てのクラスで「多様な動きを経験する中で、体の動きを調整するようにすること」(同上)に広がりをもたらしてくれています。何よりも、私が感じるのは、プロの体の動かし方、なめらかな美しい身のこなしは、子どもたちにも伝わっていく気がします。今日は身体的なふれあいと併せて、赤ちゃんと見つめあったり、心のふれあいも楽しみました。今日のドキュメンテーションを、以下に紹介しましょう。

ちっち組(0歳児クラス)。二人のダンサー「いづみさんとももかさんの温かな関わりに心を許した様子の子どもたち。タッチしたり、どうぞをしてあげたり、ぎゅっと手を握り返したり…触れ合いを通して、心を通わせていました。」

ぐんぐん組(1歳児クラス)。「いづみさん達のダンスは決まった形や表現があるのではなく、子ども達が音楽と触れ合い、お友達や大人との関わりの中で自然と身体から溢れ出てくる表現を周りにいる人と共感しながら・・体を動かすことの楽しさを感じていけたらと思います」。

2歳児クラスのにこにこ組。「今日はいづみ先生とももか先生が来て下さり、ダンス表現遊びを楽しみました。 グーパー体操、ペンギン歩き、トンネル遊び、飛行機、お馬さん、走って抱っこ、ゴロゴロ遊びと、いろいろなメニューを楽しみました。少し緊張気味の子も、その様子を一緒に見たりしながら参加することができました。」

3歳児クラスのわいわい組の日誌には「Sくんは朝登園すると「ダンスやだ」と言っていたが、「やらなくてもいいよ、一緒にみてよう」と誘うと前向きにダンスに向かっていた。Rくん・Sさん・Lくんは「やりたくない」と初めは階段の所で見ており、その後はお部屋の中で見ている、端の方で参加してみる、と少しずつ近くで参加していた。Yくんは初めてのダンスだったが、前でやることを希望する等、積極的に参加しており、「合体トンネル」という新しい遊びを生み出した」とあります。

4歳らんらん組・5歳すいすい組の日誌。「今日は、いずみさん、ももかさんがきてくれて、らん・すいさんでダンスを楽しむ。気持ちが高揚していたのでダンスが始まる前は、わらすみんなでイス取りゲームを楽しむ。イスの取り合いでらんすいさんたちが、ヒートアップする場面もあったがリズムに合わせて存分に身体を動かせていた。ダンスでは、二人にリクエストする、らんすいさんが「マネキンやりたいー!トンネルやりたいー!」とやれる喜びを感じていた。」

子どもたちの運動はできるだけ毎日、全身的で、偏りのないバランスのとれた動きを大切にしています。ダンサーの方々との運動は、音楽やリズムも心地よく、頭から足先まで、美的なセンスも配慮した動きになっているのが子供たちにとっても魅力的なようです。

遊具や装飾作りのお手伝い

2023/08/29

毎週火曜日は、年長すいすい組の「お手伝い保育」でした。事務所担当の私は、来月から使い始める天体望遠鏡を棚から降ろして、その使い方を説明しました。それだけでは面白くないので、玄関からレンズ越しに遠くの建物を見せました。カレー屋の看板や道路の交通標識などが「見えた!」「でっか!」など、はしゃいでいました。

もっといろんなところを見たいと言うので、3人を園外に連れ出して、隣のビルの1階から神田川を挟んで、北側の和泉橋やヨドバシカメラなどの方面を観察してみました。

続いて先週から作り始めた光遊び用の「色セロファン」での形カードづくり。前のチームは三角と四角を切ったので、今日のチーム3人は「丸」と「好きな形」にしました。

「好きな形」となると「ハート(マーク)がいい」というのですが、ハサミではうまくその形になりません。そこで二つに折って「つ」の字に切るとハート形になる切り方を教えました。切る線をマジックで書いてあげ、その線に沿って切ってもらいました。そしてラミネートをして、ライトボックスの上に乗せて、色の変化を楽しんでいました。

こんなことをしていると、体を動かしくなったので、散歩に行くことになりました。でも今日も外は暑いので運動ができません。そこで神田川を挟んで向かい側に立つ和泉橋出張所の中を探検した後、その隣の書店に入って絵本コーナーを見てきました。

最後に、水鉢に浮かべていたほおずきを洗って浮かべ直しました。もうすぐ葉脈だけになった「透かしほおずき」ができそうです。

園長はライオンなの?

2023/08/28

子どもはユーモアが好きです。人は虚と実の間を楽しむ存在なんでしょう。それも悲喜交々と。

今日も年中の男の子Sくんから「園長ライオンはどうしてコーヒーとイチゴが好きなの?」と聞かれたので「だって人間のふりをしていないとライオンだってバレたら困るでしょ」というと楽しそうに笑っていました。私は子どもから「園長ライオン」とか「クラッキー」とか呼ばれることがあります。

園長ライオンというのは、私がときどきライオン役をやって運動遊び「はいはい鬼ごっこ」をやるからです。つかまえた子どもをむしゃむしゃと食べるんです。くすぐったり抱っこして揺らしたりしながら。食べられたらトランポリンをある回数とべば復活できます。朝、こどもの身体的な活性度を上げるために、開園してすぐに5年前から始めました。

そこで私が「人間ではなく実はライオンで人間に化けているんだ、内緒だよ」とある年長の女の子Mさんに冗談を言ったら、それがウケたらしく噂になっているみたいです。なので「園長ライオンは、ほんとはライオンなの?」と聞いてくる子どもには「シー、声が大きい。聞こえたら大変だ。知られたからには、もう君も食べるしかない」とヒソヒソ声で答えることにしているのです。ちなみに動物占いでは「慈悲深い虎」なんですけどね。

 

第2回 全国実践研究大会 in 石川・富山(2日目)

2023/08/26

全国実践研究大会の2日目は、実践発表です。6つの実践が報告されたのですが、その後の藤森代表の講評の内容に沿って、実践の特徴を以下に簡単にまとめておきます。今年こども基本法が施行されました。これは子どもの権利条約を制度化したもの、と捉えることができます。そこで子どもの人権を大切にするということを、改めて保育で考えるとき、いくつかのキーワードから保育実践を振り返ることができそうです。そういう意味でも6つの実践は全てその参考になるものでした。

まず、子どもの人権や主体性を考えるとき、キーワードとなるのは「参加・参画」でしょう。子ども自身がどうするかを思い巡らしたり、意見や思いを反映を物事の決定に反映させてもらうこと。また意思決定のプロセスで話し合いなどをしたりしながら、子どもたちなりに最善の方法を考えていくことも含まれます。子どもの権利条約で「4つの柱」と言われているものの一つ「参加する権利」の具体化と言えます。

そうした「自己決定」と「選択」という視点から実践を報告したのは、芦花の丘かたるぱ保育園(東京都)の「君たちはどう育つか」。自分の意見だけではなく、他人の意見も受けとめて考える保育を積み重ねてきた結果「今では傾聴する力や受容する力が根付いてきた」といいます。年長児が野菜を育てていく活動の様子から「仲間と作る1年」が報告されました。

子どもの人権には「自分らしく育つことの権利」もうたわれています。その根底になるであろう心の基盤の一つとして大切に育てたいのは「自己肯定感」です。国際比較でも日本の若者のそれが低いことが、この間ずっと懸念されてきました。これは「今のありのままの自分を受け入れる力」と言っていいものですが、そこに注目した発表が、新宿いるまこども園(東京都)からありました。子どもの自発的な活動や、他者から認めてもらう経験を大切にする保育です。発達が異なる集団の中での生活や遊びの中に、そうした関わりが生まれ自己肯定感が育まれていくことがよくわかる内容でした。

同じ法人のいるま保育園(埼玉県)からは「我が国の課題に向き合う、見守る保育・藤森メソッド」と題して、自己有用感にスポットを当てた実践の分析が報告されました。乳児が幼児の姿をじっと見つめ、それを真似てお友達にやってあげる・させてあげる姿、幼児クラスでの当番活動、年下の子どもへのお世話や手伝い、ピーステーブルでの話し合いなどが動画で報告されました。異年齢での生活や遊びの中にそうした関わりが自然とたくさん発生しています。

子どもは障がいの有無や年齢、ジェンダーで差別されてはなりません。保育における包摂のテーマを取り上げたのは、幼保連携型認定こども園 城山幼稚園(熊本県)の「見守る保育におけるインクルーシブ」でした。具体的にはオープン保育、チーム保育、お手伝い保育、共食などを通じて「みんなと同じように活動に参加できない子どもを年長児が自然に受け入れ、その子用に遊具を用意したり、みんなで遊べるルールを作り始める」様子が報告されました。

「園庭にどんな遊具や場所があったらいいと思う?」。子どもにカメラを持たせ、子どもが何に興味を持ちどんな園庭を望んでいるのかを把握しながら園庭を作り直したのは、ちゅうりっぷ認定こども園(富山県)です。「子どもの様子や視点から園庭環境を考える」取り組みで、「子どもの参画」を大切にしていました。子どもの意見が反映させた園庭が徐々にできていく様子を、わくわくした顔つきで見つめていました。

子どもの人権には、子どもの育つ権利を含まれます。子どもの驚きや不思議に思う体験が起きるような環境づくりに取り組んでいるのが、わかばこども園(石川県)の「子どもの驚き・不思議さを引き出せ!〜STEAM保育の実践とこれから〜」でした。日常の中で感じた不思議について、自分達で調べたり遊びに発展させられるような保育を目指しています。

第2回 全国実践研究大会 in 石川・富山

2023/08/25

前日の夜から金沢に来ています。今日25日から明日26日まで「第2回 全国実践研究大会 in 石川・富山」に参加しています。これは当法人の理事長、藤森平司が代表を務める保育環境研究所ギビングツリー(略称・GT)が主催するもので、今年3月に続く2回目になります。全国各地から180名を超える先生たちが集い、実践を持ち寄って、子どもがどんな学びをしているのかを研究します。初日の今日は午前中は施設見学、午後は基調講演と記念講演でした。

GTの仲間はお互いに見学して保育の様子を見合うことを大切にしています。午前中の見学先は、ひかりこども園、こども園和光、キッズみなと園、わかばこども園、わかばにしかるみこども園、西田地方こども園の6園。この中から私は「わかばこども園」を見学しました。昨年7月に建て直し、竣工したばかりの新しい園で、広くゆったりとした空間に、ゾーニングされた物が配置されています。物や空間には、意図された保育のねらいが表現されています。乳児から幼児までが、それぞれ思い思いの遊びに熱中していました。見学者にあまり気を取られることもなく、遊びが展開されています。

午後の講演は藤森代表が、これからの時代に必要な保育の考え方と方法を約2時間にわたって説明しました。その中で話題は多岐に渡りました。夏休みに保育ボランティアに来ている卒園児の様子、地元の自治体や東京都に対して、保護者と共に望ましい保育や教育について提案している内容、子どものために幼保一元化が必要な理由、保育の質を高めていくために保育者が研究することの必要性など。最後に「子どもが何をどう学んでいるのかについて、現場から研究して世の中に伝えていけるように、私たちは学び続けましょう」と呼びかけました。

 

記念講演は社会福祉法人 佛子園 理事長の雄谷良成さん。演題は「ごちゃまぜ 〜木を見て森を見る力」。子どもから高齢者まで、いろいろな人が出会い、関わり自分らしく生活や仕事ができるように、施設空間をデザインしながら、居心地の良い空間を作り上げていました。乳幼児の保育の場であり、小学生や中高生が放課後に勉強していたり、障がいのある方やリハビリ中の方が、トレーニングに励んでいたり、失業中の人がここで働きはじめたり、実に、様々な人々の人生が重なり合って行きます。

そして不思議な、とも言えるような出来事が生まれています。個別にやっていたらうまくいかなかったようなことが、ここでは叶えられたり、改善されたり、生きがいや張り合いが生まれ、幸せな笑顔が取り戻されていました。人と人の関係性や触れ合いがいかに大切かを考えさせられる実践です。

・・・・

夜の懇親会では、藤森代表が陽明学の知行合一について話されました。3月の1回目の鹿児島大会にしても、今回の2回目の大会にしても、開催地の園の先生方にはほんとうに感謝です。ありがとうごさいます。学んだことを実践に移し、また実践から学んでいきたいものです。

少しずつ感じる秋の気配

2023/08/24

この夏もカブトムシのつがい2組が大活躍しましたね。そして小さな卵を残して天国へ旅立っていきました。子どもたちは毎朝セッセと餌のゼリーを与え、持ち方を覚え、絵を描きました。何人もの子どもたちから、何回も得意そうに手とっている姿を見ましたが、そろそろカブトムシとの交流も終わりを迎えます。

甲子園で優勝が決まる頃、毎年「これで夏が過ぎたな」と個人的には思うのですが、子どもたちはこの残暑厳しい中でどんな時に秋を感じるだろう?と思ったりします。スズムシも相変わらずリ〜ン、リ〜ンと泣いていますが、その卵も何個も見つかりました。小さな命がこうやってつながっていきます。当園で4代目になりますね。

保育園の隣は区の駐輪場ですが、その前の花壇に開園時に私が植えた苗がやっと大きくなり梨の実がなりました。まだ一つだけです。みかんの木はアゲハの幼虫に食べられて葉っぱがなくなっていましたが、またやわらない新芽が吹き出て、そこにまたアゲハの幼虫がいます。こちらは、もうしばらく「あおむし」の観察が続けられます。

区役所の近くに百日紅(さるすべり)の木が並んでいます。枝の下の方から咲き始めますが、花も先の方に移ってきました。こちらの花もそろそろ見納めの時期がきたようです。

top