MENU CLOSE
TEL

園長の日記

魚釣りの合間にアリの観察も

2024/06/08

魚釣りへの関心は、子どもによって差があります。お昼ご飯が終わったらまた午後も行く!という意欲満々の子もいれば、最初から全く興味を示さない子もいます。そんなことより、お店屋さんで忙しいの!と言わんばかりの子もいます。そこで当園ではみんなに同じことを無理にさせるということはありません。昨日の魚釣りもそうでした。部屋やベランダに残って、同じ時間に別のことをしている子どもたちもいました。

昨日の担任の報告にも「途中エサのオキアミをありにあげると、せっせと運ぶ様子も見られ、釣りそっちのけでその様子を楽しむ姿もありました」とあります。

たしかに、魚釣りを始めて、なかなか釣れないとなってくると、つまらなくなって別のことをやりたがる子も出てきます。花壇の周辺をひらひらと飛んでいるシジミチョウを追いかけたり、ダンゴムシを探し始めたり、釣りの餌の小エビ(オキアミ)を運んでいるアリの観察を始める子がいたり。階段を使った運動遊びを始めることもいました。

中でも少し盛り上がったのはアリにオキアミをあげてどうなるかを見てみたいという子たち。この公園には扇形の階段になっているのですが、私がその階段をどんどん登っていくアリを見つけたので、ちょっと大袈裟に「アリがクライミングしているよ」と教えてあげると、数人の子たちがその追跡を始めました。

そして10数段を登り切ると花壇の隅にある「穴」を発見。Mくんは「ここだ。ここにあったよ」と、そこにオキアミを持っていって、置いてあげようとしていました。

自分の体よりも何倍も大きなアリが、遠くまで何段も運んでいることに私は驚くのですが、子どもの注目点はそこではなかったようです。

でもそこを拡大して動画でみんなで見てみたりすると、また違った体験になるかもしれません。テレビやネットにも同じようなものがあるのですが、それよりも実際に自分たちが行ってみてきたものでやったほうがいいでしょう。これは来週のお楽しみ。そういえば、Mくん、アリを部屋で飼いたいと言っていました。

過去にもやっていたのですが、いまの幼児クラスの子どもたちは知りません。3年前の2021年6月7日の「園長の日記」と「保育アーカイブ」「STEM保育」にその記録が残っていました。

https://www.chiyodaseiga.ed.jp/stem/page/8/

こういう事は大人も飽きないで、毎年続けるためにも、大人の探究も欠かせないのかもしれませんね。

神田川で魚釣りをしてみた

2024/06/07

目の前の神田川には魚がいます。目撃情報によると「鯉のような大きな魚」が泳いでいるそうです。今年4月9日に年長さんが話し合ったときにも「今年やりたいこと」の中に「魚釣り」が挙がっていました(写真)。

その後、5月2日の花壇の花植えの時に和泉橋出張所へ「どこで魚釣りをしていいのか」を尋ねに行き、「どこで釣ってもいい。魚釣りを禁止しているところはない」という返事をもらったのでした。

その後、魚釣りに必要なものを調べて竿と針とエサが必要だとわかり、部屋の中で魚釣り遊びも始まって、納涼会でやるゲームに「輪投げ」と「魚釣り」が候補に挙がっています。

天気もちょうど良さそうな日ということで、今日、1回目の魚釣りに出かけました。場所は園の目の前の防災船着場でもある「佐久間橋児童遊園」。

公園と桟橋の隙間に糸を垂らしてみました。餌はオキアミで針につけるのは先生がやり、2本の竿を子どもと一緒に垂らしてみました。

みんな「釣れるかな」と興味津々で浮の動きを見ています。場所を変えたり、餌を付け替えたりしながら小一時間の魚釣りをやってみました。

和泉橋の欄干から垂らしてみると、子どもたちが魚を発見!「ほら、あそこ!」「いた、いた。早く!」とか、子どもたちからは急かされるのですが、どうも私たち大人には見えませんでした。ああだ、こうだと大賑わいの時間だった魚釣り。園に戻ってくると、「どうだった?」と先生に聞かれると、子どもたちの第一声は「釣れなかったけど魚いた」という報告になっていました。

というわけで、年長の担任はこんなふうに今日を振り返っています。

<魚釣りをしたい!という子ども達からの願いを叶えることができたが、今日は魚は釣れず「ご飯の後も行きたい!」といった声も聞かれ、釣れないながらも楽しんでいた様子だった。ではどこで釣れるのか、どうやったら釣れるのか、エサはこれでいいのか?など、子ども達と一緒に考えながら次の挑戦の機会を作っていきたい。>

さて、次回に向けて子どもたちの魚釣りはどうなっていくのでしょうか。

 

大事に育てたものを分けてあげる姿から感じる育ち<キ自然との関わり・生命尊重><ウ協同性>

2024/06/04

この手のひらの上のもの、なんだと思いますか?

年長のKくんが「これ、見て」と見せてくれました。保育園でさなぎになっていたある昆虫が、先週末から続々と土の中から姿を現しました。そうです、カブトムシの脱皮した「抜け殻」です。彼は虫が大好きで、幼虫の頃から大事に育ててきました。枯葉を食べて蛹になるまでにとれたフンの量もこんなにあります。多分全部で40匹以上はいるんじゃないかと思います

そして生まれたばかりのピカピカのカブトムシをカゴに入れて「にこにこさんにあげていい?」と聞いてきました。

先生がそうしたら?と促したわけでもなく、一つ下の2歳児クラスにプレゼントしたいというのです。頻繁にせっせと枯葉を取り替えてあげたり、噴霧器で湿気をあげたりしてきた大事なカブトムシを年下の子達にあげたくなるという思い。いいものを分かち合いたいという気持ちが出てくるもんなんですね。

お迎えの時にお母さんに、その話をしたら「最近、ちぐにの小さい子たちに興味があるようなんです」と彼の優しさを分かち合いました。主任は「生き物を飼っていて良かったですね。これも広い意味で協同性や社会性の育ちですよね。そういう環境を用意したから生まれてきた姿ですかね?」と語っていました。

<キ自然との関わり・生命尊重><ウ協同性>

 

 

退院してきたお友達を迎えて

2024/06/01

(園だより「巻頭言」6月号より)

「ねえ、一緒に遊ぼう!」「遊ぼう、遊ぼう」ー。歩行用の装具を右足に取りつける彼を取り囲んでいます。口々に言っているのが、この言葉でした。着いたよ、の一言で3階から駆け降りてきた子どもたちです。歓迎の気持ちがそんな言葉と行動に現れていました。

何人もの「遊ぼう。遊ぼう」の言葉に前に省略されているものをあえて想像で補足すると(やっとこの日が来たね。ZOOMで約束したように)「一緒に遊ぼう」とでも言っていいでしょう。昨日の「職員室だより」でお知らせしましたが、彼はある病気の治療のために入院して治療を受けていました。面会ができないので、病室と園内をオンラインで繋いで子ども同士のかかわりを持っていたのです。

親御さんと一緒にこの姿に接して、いろんな意味で「よかったあ」と胸が熱くなりました。自分だけどうしてこんな目に遭わなければならないのかと悲しく悔しい思いもあったでしょうし、友達とあったりするとかえってその気持ちを強くしてしまわないかも心配しました。でも親御さんが本人の気持ちを確認しながらZOOMで繋いだ時も、先日の親子遠足で参加した時も、それが前向きな気持ちを産んで、張り切ってリハビリに取り組んだそうです。

そして、退院というこの日を迎えることができました。黙々と装具をつけたり外したり、どんどん自分だけで室内を歩いていく姿を目にしてすごい、と思いました。私の予想をはるかに超えた先を彼は歩んでいます。心配したことを見事に打ち破ってくれました。私でさえそう思うので、ご両親にとってはひとしおでしょう。この病気では退院までの最短記録だそうです。

さらにもう一つ、子どもたちの再会を喜ぶ姿も私たちは嬉しかったのです。しかも「一緒に遊ぼう」という言葉になるところが、いい。やっぱり、遊びです。そして一緒に遊ぼうという、その一緒に、のところ。彼はずっと黙っていましたが、どう感じていたでしょうね。仲良しのRくんとはふざけて叩き合いごっこのようなことを長い時間やっていました。立ったり座ったの動作も自分で椅子や机の使い方を工夫しています。それを周りで手伝う子もいます。

昼食を2階のダイニングで食べるとき、ある子二人がテーブルを寄せて大きくして、彼を囲んで食べるようにしたのです。彼らの中から生まれたアイデアです。座る椅子が足りなくなると、お盆を詰めて寄せ合っていました。お父さんはちょっと離れたテーブルで見守って食べています。園生活の大事なところは子どもたち自身がつっているということを実感します。

 

2歳と3歳の同型的行動に見られる親密さ

2024/05/29

こんなブログが29日の1歳児クラスに載りました。私が今関心のある「同型的行動」の事例として、紹介したくなりました。内容は1歳児クラスでこの5月に満2歳になったHくんと、3歳児クラスのAくん(3歳5か月)との仲良しぶりを描いたエピソードで、28日(火)の夕方のことです。す。クラスが違っても自由な交流が発生しやすい生活にしてあるので、こんな光景が生まれたようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

きのうの夕方、わいわい組のAくんが、ぐんぐんのお部屋に遊びにきてくれました。

Aくんとニコッと笑い合うと、Hくん、なんだかそこから心を掴まれたようす…。気が付けば、Aくんと一緒に遊び始めていました。笑顔のパワーは、すごいものです。

真似っこして、ごろ〜ん。ふたりで顔を見合わせてケラケラ笑っています

↑Aくんが、ジャンプして、壁に貼ってあった食べ物のイラストをゲットする遊びを始めました。Hくんも、一緒にジャンプ!でも、届かないので、Aくんが取ってくれます。どれが欲しいのか、ちゃんと聞き取りながら、取って渡してくれる、Aくんです。

バナナとオレンジも取れたよ〜

 

たくさんの食べものが取れたから、お皿にのせて、運びたいようです。

Aくんが、Hくんに「Hくん、これとこれ、持ってきて〜」とお願いしています。Hくんが、どれのことか分からなかった様子で迷っていると、戻ってきて、一つひとつ丁寧に教えてくれるAくん。

(これのことか!)と分かったHくん、一緒にお皿を運びます

Rちゃん や Lちゃんにもおすそ分け

「いただきますをします、用意はいいですか〜」とAくんの掛け声で、みんなでごはんの時間のようです。

それから、こんな遊びも・・・

Aくんが持っている太鼓に届くかな?とジャンプしてタッチする遊びのようです。

「こんどはHくん」と役割交代です。Hくんも、Aくんの真似っこをして、太鼓を掲げます。

Aくん「もっと高くして〜」

Hくん (・・・こうかなぁ…)

と、一生懸命な姿がかわいかったです^^

ぐんぐん(1歳児)の子どもたちの中に、ふわりと溶け込んで一緒に過ごしてくれたAくん。その自然な空気感が、ぐんぐんさんにとっても、心地よかったみたいです。

 

今朝、ふたたびAくんがお部屋に遊びにきてくれました。すっかりAくんに懐いていたHくん、さっそくAくんの元へ行って、一瞬に遊んでいました。

↑きのうの続きで、食べもののイラストをゲット。そして、キッチン台でお料理していました。

思えば、普段、わらす組(3~5歳児)のお兄さんお姉さんと関わる時間がまだ少なかったぐんぐんの子どもたちでした。
ときどき、「ダメ〜!」と言い合って涙したりぶつかったりもあったけれど(笑)、それでも、こんなふうにやさしく接してもらったり一緒に楽しい時間を過ごして、年上のお兄さんに、憧れの眼差しを向けながら信頼を寄せていく姿が印象的でした。

Aくんもまた、(わらす組内ではいちばん年少のクラスであるけれど、)ぐんぐんの子どもたちと過ごしているときは 頼れるお兄さんらしい姿を見せてくれて、成長を感じました。
こうして、いつもクラスの子どもだけで過ごしているとなかなか見られない姿を、お互いに引き出し合っていく関係性が、なんとも微笑ましくて、そんな出会いをたくさん作っていけたら良いなあと、改めて思ったのでした。

おもっきりの「きゃ〜!」が訴えてくるもの

2024/05/28

「キャアアアアア〜」「キャアアアアア〜」。文字にすると、多分「叫んでいるだろうな」と思わせる文字列だけですが、実際には耳をつんざくような、あの子どもだけが時々やる、裏声の甲高い「きゃ〜!」です。想像できますか?昨日の朝のことですが、それを3歳児クラスの◯さんと◯くんが、交互にやっていたのです。何をしながら声を出していたか、というと、それぞれ狭い場所に隠れて、そこから「あ、見つかちゃった!きゃ〜!」という、ごっこあそびを二人でやっていたのです。

(写真は別の子です)

多分ですが、まるで「かくれんぼ」で鬼に見つけられた、その最後の瞬間のところだけを、何度も何度も二人で繰り返しています。つんざくようなぎゃ〜は、3階のフロアのどこにいても聞こえるくらい、ボリュームがあって、音量だけなら何dBになるかわからないくらい(多分工事現場のダダダ〜ぐらいはあるでしょう)の「騒音」です。外部の第三者から「わあ、うるさ!」と思われて終わるかもしれません。

でも二人は、柱と壁の流しで区切られた隙間とか、カーテンの裏とか、折り畳みクッションの隙間とかに入り込んでは、実際にはいないのですが、あたかも鬼に「み〜つけた!」と言われた瞬間を、そこだけを拡大再生させるかのように、思いっきり張り上げた声で「ぎゃ〜」と繰り返しています。いちいち、どこかに隠れてからやっているので、多分見つけられるまでの、隠れているドキドキ感や見つかった時の、軽い恐怖感?を何度も味わいたいという面白さがあるからでしょうか。

(写真はこのときの子ではありません)

実際のところ、園全体を使った大掛かりな「かくれんぼ」は何度かやったことがあって、その時の楽しかった経験があるのは間違いないでしょう。お迎えの時にトイレの前の荷物の裏や、事務所のアコーディオンカーテンの裏に隠れて親に見つけてもらう、ということを楽しむ子どもも何人もいます。

でも、これだけ大きな声を、しかも思いっきり吐き出すかのように叫んでいるのは、ただ「かくれんぼ」的な遊びが面白いだけではなく、何か自分の中にある気持ちを吐き出したいようにも見えてきます。どうしたの?と気にかけてもらいたいわけでもありません。二人で繰り返し楽しんでいるので、二人の間に仲間意識はありますが、声でも言葉でもない腹の底から思いっきり脳天まで貫通させたいような、鋭い声なのです。

その声を文字にすると「きゃ〜」なのですが、実際には「イ」という母音の持続的な音を前面に感じるのです。その身体的な音は、ある種の意志や瞬発性や鋭利さや否定性を持った響きです。

余談ですが、人間の発する母音には、それぞれ身体的な意味合いがありそうです。(そのあたりはシュタイナーの言語学やオイリュトミーにも詳しく展開されていますが)たとえば朝日がのぼるような開かれる明るい感覚は「あ」の音、警戒して内に篭るような情動は「う」の音、驚きや不思議さは「え」の音、感嘆や感動などの気持ちは「お」の音から感じることができます。動物もそんな声を出してますよね。犬が警戒して「う〜」と唸ったり。

そこで、どんな感情の時に「い」を出しているかというと、刀を「えい」と振ったりするときのように、自分のいる場や空間を切り拓いて、外の世界に切れ目を入れていくような、そういう動きに似た印象を持っています。あくまでも個人的な印象ですけれども。

というようなことを色々感じるのですが、二人はその「きゃ〜」を交互に響き合わせることで、何か同じ気持ちを分かち合っているように見えるのでした。その辺りを普段から一緒に生活している身近な大人がどう感じているかを重ね合わせてみたいですね。

手洗い指導を行いました

2024/05/28

昨日27日は、すいすい組ではイソジン液を希釈しての手洗い指導を行いましたが、色や匂いがあるため、本日28日のらんらん組は、「手洗いチェッカー」を使用して行いました。

手洗いチェッカーは、専用ローションを手にぬって乾かした後に手洗いをして、専用ライト(ブラックライト)の下に手をかざすと洗い残しが光って見える教育用ツールです。

「あわあわ手洗いの歌」で、6つのポーズ(お願い・かめ・山・オオカミ・バイク・つかまえた)を歌いポーズをやってみてから、順番を子ども達が決めてひとりずつやってみました。

「ゆびの間が白くなっているから。お山洗いがたりないのかな?」「指先がひかっているからオオカミをもっとやろう!」など皆で覗き込みながら、もう1~2回丁寧に洗っている姿が素晴らしかったです。みんな2回目はピカピカでした!

うがいや歯磨き、咳エチケットについても少しお話をしましたので、合わせてご自宅で実践および話題にしていただけたら嬉しいです。

保育の中の「同じことをする」意味を考え始めました

2024/05/27

大谷選手がヒットなどで塁に出ると、片足を上げて万歳の両手を傾ける、あの仕草、ご存知ですよね。選手とベンチと同じポーズを取ります。やったね!イェーイ!の喜びが倍増します。昔はギブミー・ファイブでしたが、今は塁に帰ってくるとグータッチで結束を確認しているかのようです。同じポーズを共有するのはメンバーシップを高めるのでしょうね。制服も同じ発想でしょうか?仲間意識を強化するのでしょうね。

大谷選手が大好きな4歳のYくんは、いつも野球帽をかぶっています。好きな人と同じものを身につけたがるのは子どもだけではありません。お気に入りのフィギュアを下げている人もよく見かけます。昨日の日曜日の朝の番組で「推しビジネス」特集をやっていましたが、アイドルやキャラクターのアクスタ(アクリル・スタンド)を何枚もバックに入れて持ち歩いている人も多いそうです。プラスタは全身なので、まるで生活を常に共に一緒にしている感覚だそうです。

親しさは、そばにいて欲しいという気持ちを強めますが、同じことをすること自体が親密さを表すというのは、挨拶を見てもわかります。お辞儀も握手もハグも同時に同じことをしているのですね。当園の朝の挨拶の歌は「握手をしよう、おはよう」です。そういえば、どこかの大統領が握手を拒んだことがありました。

子どもの同士の仲間関係でも、ごっこ遊びや物のやり取りや、円陣を組んで遊ぶわらべうたや、鬼ごっこやかくれんぼでも、おんなじ行動を示す瞬間がたくさんあります。身体的に触れ合ったりすることだけではなく、同じものを見たり、同じ声や所作を見せてくれることもあります。子どもの置かれている状況と身体の関係から保育を見つめ直してみるといことに、今とても興味があります。子どもたちは遊びの中でバリエーション豊かな同型的行動を見せてくれているようです。

先生がある状況で判断していること

2024/05/25

今日はお迎えの時に、屋上で育った思想をお店屋さんのようにお迎えに来ている保護者に販売していました。昨日のダンゴムシの話もそうですか、次のようなことをお伝えしたくなりました。保育者の専門性のようなことです。

「あの辺のことがどこから来ているのか、見ていきたいんですよね」「〜ちゃんがほんとに〜になって。次にどうするか楽しみなんんですよね」。こんな会話をしながら、子どもたちの様子を語り合うことが毎日のようにあります。

当たり前のように聞こえるかもしれませんが、私にしてみると、この先生たちが体験していることは、何がどうしてどうなった、式の、ある出来事を取り出しても収まらない、その状況までの経緯やら、親御さんとの長い対話の積み重ねなども含み込んだ中での、実感です。その継続的な流れの中で出て来る、いわば身体的な感覚に近いものを拠り所とした子どもの理解の仕方であって、また見通しを語っています。

保育でやっていることは非常に多岐わたることを想定しており、どのようになっても困らないろうに、こうなったら、こうしようというアイデアをリソースとして用意しておきます。その想定の範囲内に収まるようにあらかじめひろ〜く構えています。目の前の子どものことも周りにいる子どもたちのことも、同時に見ているので、一緒に連携して動いている先生たちがそれぞれ何をどう考えてやっているのかも、お互いにわかり合いながら、連携をとっている感じです。

先生たちの動きはまるで、その担当の幅の中で、子どもの思いつきが、いつ同時多発的に起きてくるかわからないような中から、子どものやりたがっていること、やろうとしていることが出てくると、先生たちが「よーし、来た来た!」とばかりに、そこに向いあうようなことをやっています。お店屋さんごっこから屋上で育った本物のシソ葉の販売屋さんになりました。

きのう紹介した、だんごむしのお家づくりですが、その先生が子どものやりたいことに込められていそうな「願い」を感じ取ったからこそ、その活動に先生の注意向いたのでしょうから、子どもと一緒に動き、子どもと一緒に「何を食べるんだろうね」と共感していくことができたのでしょう。

それまでの経緯の変化の連続している中で、新たに見せてくれる姿を楽しそうに親しみを持って接しています。その中で、冒頭のような会話が先生たちの中で交わされているのです。

だんごむし何食べるのかな?<7自然との関わり・生命尊重>

2024/05/24

5月22日水曜日から今日24日金曜日までの3日間の、担任が拾った4歳児たちの小さな物語です。

今日のわらすクラスブログで紹介されています。題名は「大切な命」。

だんごむしのためにこれだけの力が「引き出されていく姿」が、いい話だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

水曜日。佐久間公園でダンゴムシをつかまえた Sくん・Yくん!

帰ってきてからも、かごの中に入っているダンゴむしをじ〜っと眺めて、机の上に出してあげたり、手作りのダンゴムシコース(以前、Rくんがつくったもの)で遊ばせてあげたり、お世話するのが楽しそうな2人。

かごの中には緑の葉っぱが入っていたのですが、Fちゃんが「みどりの葉っぱじゃなくて、枯葉がすきだよ!あとは、小魚とかチーズとかも食べるんだよ!」と教えてくれました。

「そーなのか!」と思う2人ですが、”枯葉ないな〜どうしよう〜” と考えます。

そこで大人が、絵本ゾーンに行き、「ダンゴムシさんって他にどんなもの食べるんだろう?」「ダンゴムシって飼うとき、どんなおうちにしてあげたらいいんだろう?」とぼそっと呟くと、みんながヒントになりそうな絵本や図鑑を探し始めました。

『ぼく、だんごむし』という本を発見!

読み進めていくと・・・

育て方がかいてあるページを発見!

みんなでかいてあることを1つひとつやりながら・・・

before

after✨ 住みやすいおうちが完成!

 

そして今日、金曜日。枯葉が食べられていることに気づいた2人。嬉しそうに大人のところに報告に来てくれました!

でも、このままじゃ明日から2日間お休みだから、葉っぱ足りるかな.. 大丈夫かな.. ということで、園には枯葉がないので外(玄関付近)に見に行こう!となり・・・

そこで枯葉をget!

石も必要!と石もgetし、お部屋に戻りました。

水もかけてあげて、これでOK!

命について考えられるようになった姿に感動です。

これでダンゴムシさん、明日からも元気に過ごせそうだね!

top