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園長の日記

生活の流れの中にあり、潤いを与える、練習のいらない行事へ

2024/10/25

何かのために練習するのはいいことです。練習というのはある行為を繰り返すことで、その度に体験することが深まっていったり、何かが良くなりことを、最も端的に表す日常語でしょう。ですから、これを否定的に使うことはそう多くありません。ところが保護者のみなさんはどう感じるかわかりませんが、保育では練習という言葉は、もっと多義的で、肯定的なものから否定的なものまである気がします。

私は保育の仕事を始めた頃、もう30年ぐらい前のことですが、日本保育協会が主催する研修会に参加して「保育は訓練や鍛錬ではない」と強調されていたその講義をよく覚えています。そのように、あえて強調していました。子どもになにかを身につくようにするために、大人が一方的に子どもにさせる練習への注意を促していたのです。

幼稚園教育要領には、行事について次のように留意するように書いてあります。

「(5)行事の 指導にあたっては、幼稚園生活の自然の流れの中で、生活に変化や潤いを与え、幼児が主体的に楽しく活動できるようにすること。なお、それぞれの行事については、その教育的価値を充分検討し、適切なものを精選し、幼児の負担にならないようにすること。」

この解説文では「・・・なお、行事そのものを目的化して、幼稚園生活に行事を過度に取り入れたり、結果やできばえに過度な期待をしたりすることは、幼児の負担になるばかりでなく、ときには幼稚園生活の楽しさが失われることにも配慮し、幼児の発達の過程や生活の流れから見て、適切なものに生産することが大切である。・・・」となっています。

当園の行事は、自然な生活の流れに変化や潤いを与えるものであり、子どもが期待感をもち、行事を楽しみに待つようなものでありたいと思っています。ですから、あすの「親子運動遊びの会」は、子どもたちが親御さんと一緒にやることを楽しみにしているようになってもらいたいし、終わった後も、もっとやりたい、またやりたいと思うようなものでありたいと考えています。

開会式や入場行進といったものもありません。それは、入る場所と出る場所の空間を区切り、そのエリアで見るものとするものを分断する空間を作り上げてしまうからです。子どもは見せる側で、大人が見る側と言う見えない空間の壁を作りたくないからです。

 

「気持ちが通い合う嬉しさ」ぐんぐん組の最近の様子をブログで紹介

2024/10/24

こんなに小さい子たちが、こんなに豊かに気持ちを通わせています。そして、こんなにも嬉しいことなんですよね。ぐんぐん組(1歳児クラス)のブログからご紹介します。ここでは、写真を加工しましたが、ブログではそのままですので、ぜひご覧ください。

・・・・

Nちゃんは最近、お友だちに水筒を配るお手伝いブームのようです。 今日の活動記録でも配信しましたが、プラザでRちゃんに水筒を差し出したり… 

(Rちゃん、気が付いて取りに来てくれました^^) 夕方も、Sくんの水筒を見つけて飲ませてあげようとしたり…。 でも、Sくんは、そのときあんまり飲みたくない気分だったみたいで、床にゴローンとしたままでした。 

フタまであけてくれて、何度かお茶をすすめるNちゃんでしたが、今はSくんは飲まなそう…と分かると、その水筒を大人のところに持ってきて、「せんせー!ごっごっごっ(ごくごく)」と言って、大人に飲ませる真似っこ遊びをして楽しんでいました^^

そんなやりとりをしたあと、もう一度Sくんのところへ行ってお茶をあげてみるNちゃん。 「Sちゃん、Nちゃんが、お茶もってきてくれたよ」と伝えると、Sくん、今度は飲もうかな?という気分になったみたい。 

「よかったねぇー!Nちゃん、ありがとう♪」とほほえましく見ていたら、Nちゃんも、とっても嬉しそうにニコッ! 

 

(嬉しくって、思わず、この笑顔…!) そんなNちゃんの表情を見て、そのかわいい姿に大人も思わず一緒に喜び合っていたら、Sくんも、思わずにっこり。 Sくんが飲んでくれて嬉しいNちゃんと、喜んでくれるNちゃんの姿が嬉しくてつられてニコニコするSくん。 

 

お互いなんだか嬉しくなって、そのあとも何度かお茶のやりとりを繰り返していました。 お友だちと気持ちが通い合う瞬間は、こんなに嬉しいものなのだなぁとそばで一緒に見ていた大人も、その喜びの輪に入れてもらった気分です♫

ぐんぐんさんたちは、誰かのお手伝いをすることへ意欲的な姿が増えています。こうして、自分がやったことを、誰かが受け入れてくれる・受け止めてくれる…そんなやりとりの中で、相手とのつながりを感じているのかな?と思います。

昨日は、お散歩中に、Hくんが、ちっち組のNちゃんに帽子を、かぶせてあげようとしていました。 

でも、Nちゃんはかぶるのがイヤだったみたいで、そのたびポイポイと脱いでしまいます。 すると、かわりに自分の頭へ。 

 

ぼくがかぶっちゃおう!と、そんなユーモアで、Nちゃんの思いを受け止めてくれたのかな? 大人が思わず、Hちゃんかわいい〜!とみんなで言い合っていたら、照れ笑いのHくんでした。笑 

Sくんにお茶を勧めるNちゃんもですが、こうして、お友だちの様子を見ながら、相手はどうかな?いまはイヤなのかな?などと、子どもたちなりに距離感を確かめながら関わっているような姿が見られます。   

(水筒どうぞ) 

(ありがとう〜・・・こんな光景が、日常にたくさんあります。)   ぐんぐんの今年の年間目標には、「自分の気持ちをたっぷり受け止めてもらう」ということと、「少しずつ相手の気持ちにも目を向けていく」という内容が含まれています。 最近の子どもたちの姿を見ていると、それぞれに、お互いの気持ちを主張したり、察して受け止めたり…そんな心の交流がそっと行われているように感じます。(もちろん、真っ向勝負の気持ちのぶつかり合いもたくさんしていますが笑)。

 

それでも、子ども同士で、こうして自分の思いと相手の思いの距離感をはかりながら、そのやりとりの中で気持ちが通じ合っていく体験を喜んでいる姿。そして、やってあげる体験・やってもらう体験、その両方を、その時々に応じて子ども同士で体験し合っているのも、素敵なことですね。 そうした姿を感じるたびに、その成長を嬉しく思っています。

4人の民生児童委員の方と交流(4回目)

2024/10/23

曇りのち雨という変気予報だったので、午前中は全クラスが戸外遊びへ行きました。来週以降は雨模様の予報なので、晴れ間が愛おしいような気持ちで、そそくさと出かけたのでした。というわけで、子どものいない保育園で、来ていただいた民生児童員の方々には、保育園の紹介映像を見ていただきました。強調したのは、保育園も幼児教育施設であるということです。保育園は保育で、幼稚園は教育。この理解を覆すのは容易ではないのです。

と当時に、このあたりは昔こうだったのよと教えていただき、話が盛り上がりました。保育園のある地域のことを民生児童員の方々はよくご存知なので、人的ネットワークが広がっていくことを期待しているのです。

今年は、ほぼすべての民生児童委員の方々をお呼びして、当園のことを知っていただく予定です。お互いに顔見知りになって、子どもたちを見守っていく地域の人たちが増えていくことを願っています。

保育士体験「パパ先生、ママ先生」のお誘い

2024/10/23

保育園の保育参観は、子どもに見つからないように、そっと観てもらっています。子どもに見つかると「ママ〜」「パパ〜」とそばに寄りたくなって、場合によっては離れ慣れなくなるということもあります。大きくなると、そばにいても平気で、いつものように遊んでいます。10月は保育参観が連日、続いていますが、今日は公園での遊びを参観してもらっていると、幼児では親も遊びに参加して一緒に遊ぶという姿も見られました。

乳児ではそうはいかないという場合、逆の発想でうまくいく方法があります。それは最初から子どもと一緒にいて、先生と同じように保育をしながら生活をともにするという方法です。これを当園では「保育士体験」と呼んでいますが、愛称をパパ先生、ママ先生と名付けています。「〜ちゃん、今日はママが先生だって。一緒に過ごそうね」という感じでやります。最初は一緒にいても、だんだんいつもと同じように子どもたちと遊び始めます。ママやパパは先生と一緒に保育のお手伝いをしながら、子どもの遊びをそばで見守ることができます。

ちょうど0歳と1歳でそのお誘いをしています。よかったらやってみてはいかがでしょうか?

 

「初めて」や「再会と繰り返し」におきる新しい関わり方と意味

2024/10/22

今日はいつも親しんでいる人やものに繰り返し「再会」している姿、反対に初めて電車に乗ったり、初めて広い場所で野球をしたりと、そのコントラストのある1日だったように感じます。それぞれの記録を拾ってみました。

 

0歳児クラス「今日はお友だちとの関わりもたくさん見られる一日でした。

いずみ公園にも慣れ親しんできた様子で、いろいろな場所へ行ってみてたくさん新たな発見をしたり、

お友だちのいるところに行って自分もその場で遊んだりと、遊びが広がってきただけでなく、子どもたちの表情も豊かになってきました。

言葉がない中でも、ちっちさんならではのコミュニケーションがあり、お友だちと楽しさを共有できて嬉しい気持ちが増えてきているようです。」

 

1歳児クラス「きのうまでのお散歩の記憶を反芻するように色々なことを思い出しながら…

そして同時に新しいことも発見したり興味を広げたりしながら、お散歩を楽しんでいます。

佐久間公園では、砂場遊びをじーっくりと満喫したり、広場でたっぷりかけまわったりして、遊んでいました。」

2歳児クラス「今日は、旧今川中学校へ遊びに行きました。初めて行くルートだったからか全員が「歩きたい」と言っていたにこにこさん。

学生さんも授業の一環で来てくれていたこともあって、目的地までゆったりと歩いていくことが出来ました。

少しずつ先生と手を繋ぐからお友達と一緒に歩くことを誘ってみると、「わらすさんみたいだね~」とお互いに顔を見合わせて嬉しそうな姿もありました。」

3歳児クラス「今日は、わいわい組だけでどのくらい出来るのかなと子どもたちの持っている力を見て見たいと初めての活動を行いました。

集団活動や社会生活(今回は鉄道)に参加していく中では多少の我慢が必要です。自律ですね。 どのくらいできるだろうかと思っていた通り、難しいシーンもあってその時々にじっくりと時間をもって考えました。

電車には乗れてとてもいい経験でしたがそれに至るまでの多様な時間があったことが良かったです。」

45歳児クラス「今日は旧今川中へ行きました✨中々近隣の公園では、ボールあそびが出来ない所が多いのですが、唯一旧今川中は、のびのびとボールあそびが出来る場所です。

月に1度は千代田せいが保育園が使える日となっているのですが、その他の日は他園の利用日になっていて相談が必要なため、中々利用出来ない日が続いていたのですが、やっと行くことが出来ました!野球やバスケ、サッカー等、色々なボールあそびを楽しみました^^✨」

毎日のドキュメンテーションをみていると、0歳から幼児まで、子どもたちの環境への関わり方と意味が多様に、また繊細に変容していくことが見えてきて面白いものです。確かに「できる」ことが増えていくのが目立ちやすいのですが、同じ人やものであっても「感じ」たり「気づいたり」することも違い、広がったり深まっていくようにみえます。また色々な関わり方が変わっていく様子も面白く、いろいろ考えたり、工夫して試す姿もたくさんあります。

すべてのクラスのドキュメンテーションが読みたいと言う方の声もあるので、今後そういう仕組みに変えてみたいと思います。

 

 

 

子どもはやっぱり小さな芸術家だ!

2024/10/21

こんな言い方をすると誤解されるかな?

でも散歩先で、やっと歩き始めた0歳児クラスの赤ちゃんが、紅葉した葉っぱを「これ」って、トコトコ走ってきてみせてくれたら、やっぱり「美しさ」がわかっているんだって、思いたくなります。1歳2ヶ月の女の子です。

1歳4ヶ月の別の子は手にした石や葉っぱを見せてくれます。それらのものに何かいい感じがするんだと思います。珍しいとか、面白いとかいう感情もあるでしょうけれど、感覚的に「これ、いいと思わない?」と言いたいかのように、見せてくれます。

見せてくれなくても、夢中になっていることが、楽しいというのはそうなんでしょうけど、「音が鳴ることに気づいた子どもたちは、今日も足を高く上げながらいっぱい歩いていました」。その音があまりいい音でないなら、あんなに何度も夢中になるだろうか?とも感じます。

一つ上の1歳児クラスの散歩でも、砂場での遊びに夢中です。いろんなお山をつくっています。いいのができるかな。

道中、「船が来るかな?」と橋から見ていたら、Wちゃんが「きた!」と遠くからやってくるのを見つけました。ナイスタイミング!「なんであわあわになるんだろー?」と呟いていました。

そして「うみは、なみがぼこぼこってなるよ」と、お話を続けてくれました。川は波がないけれど海には波があったこと…を教えてくれていたみたい!(日誌より)

こんな風に、子どもたちがやっていることや、気づいていることに先生たちは着目して写真にとってコメントをつけてくれていますが、どこを切り取っているかというと、総じて「いい感じ」のところなんですよね。

 

子どもが何かを感じてそうしていることのなかの、子どももそこがいいんだよ、というところに共感して、それを皆さんに伝えたいと思っていることが伝わってきます。

例えば、こんなこと。

「朝のお集まりをしようとテーブルのところに行くと…あれ?それぞれの席に水筒が配られていました。なんでかな?と思ったら・・・」

「先に食事ゾーンの方へ行っていたRちゃんが、それぞれの席に配ってくれていたみたいです!かわいいアイデアと、親切な気持ちに、ほっこり。それぞれのお友だちの席と水筒の組み合わせもバッチリ!・・」

これも親切にやってあげたということもあるんですけど、きれいに並べているところに面白さを感じてるはず。

秋だからそう、ということもあるかもしれないと、ふと思ったら、3歳9ヶ月のHくんが「いろいろな色のもみじがあるね〜あきだね〜」と呟いたそうで、担任が「季節を感じているセリフ!素敵だなぁと感じました^ ^」と書いています。外に出かけると、芸術の妖精たちが秋の気配で子どもたちを包んでいるのでしょうか?

幼児たちはハロウィーンの装飾作品作りに熱中していました。

先生のかわいい!という感嘆のなかに、子どもの愛おしさが現れいるのですが、それは子どもたち自身が「美」への志向をもっているからのように感じるのでした。

 

 

しずくの会がハロウィン・パーティー

2024/10/20

とってもいい天気になってよかった。よかった。

しずくの会の皆さんが開いたハロウィンパーティー。

親御さんたちが手作りで用意した「ピニャータ」と呼ばれる袋を大人がつるして、子どたちが棒で叩いて、袋を破ると、中からお菓子がたくさん。これは楽しい!私は参加できなかったのですが、大変盛り上がったそうです。

良い思い出になりましたね。

 

赤ちゃんを抱っこして伝わりあう「波紋」の感度

2024/10/18

赤ちゃんを抱っこさせてもらい、あやしてあげると笑顔を見せてくれます。「あら、いいね、ママに抱っこしてもらって。ねえ、いいよね、ご機嫌だよね~」などと、色々声をかけて、ほっぺをつんつんと触ってあげたりしているうちに、あ、笑った笑った。私が発する声を受けとめてくれました。そして私の抱っこを受け入れてくれました。お母さんも喜んでくださり、私は「いろんな人に抱っこされてもらおうね」といってまたお母さんの胸元に戻しました。

私に抱っこされていた瞬間の、それ以外時間とはまったく異なる密度。そうした瞬間の粒々(つぶつぶ)が、無限に連なっているように感じますが、「いいね、ごきげんだねえ」の声が赤ちゃんにとどき、ここちよい気持ちが生まれ、その気持ちがお母さんや私にも波紋として広がるように伝わってくる。私にだっこされたものの、ちょっと不安になって、ママに手をさし出して戻って安心する。人が生きている世界とは、その小さな波紋の重なりや干渉のようなことが、大小さまざまな波を立てて連なっている海のようなものかもしれません。

このような波を感じる感性は、確かにあると思えるのに生物学的に、あるいは神経学的に特定できないからからといってないわけはないだろうと思います。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などはよく五感と言われていますが、保育では運動感覚の話として固有感覚や前庭感覚が言われるようになって久しいし、身体の緊張度もよく話題になります。おもえば内臓感覚も加速度感覚も、あるいは温痛覚とか時間感覚もありそうです。動物によっては渡り鳥やウミガメなどは磁気感覚があるらしいといわれています。

人間にも種なのか類なのか別にして、人への関心の強さという対人感覚のようなものがあるといってもおかしくないのではないかという気がします。シュタイナーなどはあるといっていますが、人の気配を敏感に感じる人は確かにいます。保育に活かす~感覚を考えると、環境から感じとるセンサーのようなものは、それぞれ感度が違いそうなので、その調整ということもありそうです。

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