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園長の日記

公園が選ばれて活動が変化していくことがわかる記録

2023/12/07

毎日、次のような振り返りが各クラス記録されています。職員は写真と文章の保育記録と併せて、これらの記録を読み合って、それぞれのクラスの動向を共有しながら次の日の保育につないでいるのですが、これらをいろんな視点で時系列の図や一覧にしてみると、子どもの活動や経験の変化の意味が見えてきます。

今週の園外保育の公園に一覧にしてみました。当たり前ですが、子どもの発達や興味関心に応じて行先を変更していることの理由がよくわかります。また同じ公園でも、やりたい活動(の誘発され具合~環境からの呼びかけと応答~)が変わっていっている変遷に気づくことができ、面白いですね。

 

たとえば、今週5日火曜日に、こんな振り返りが見られます。

昨日同様、神田公園へお散歩に。すいすいさん(5歳)がお手伝い保育の事もあり、わいらん(34歳)でお散歩へ。わいわいさん(3歳)も保育者と安心した環境下の中で、遊びを楽しんだり、発達にあった遊具もあったこともあって、楽しく過ごす姿が見られた。N君が、以前できなかった雲梯二段飛ばしを保育者に見てみてーと誇らしげに伝えてきたの見た、R君が僕もやってみようと思い挑戦するも出来ず、「Nすげーなー!」と認めてあげ嬉しそうにする、N君の姿や、昨日からお人形さんに、ユナちゃんと名付けてお散歩に「一緒につれてきたんだー」と、ごっこ遊びをするRちゃんがリアルに遊びを展開しており、普段の生活の中の行動を模倣して取り入れてる姿も印象的だった。また、保育者とわらべ歌のかごめかごめや、追いかけっこをしているなかで客観的に外から見た際に共主体という概念を考えた時、保育者と子どもの主体のバランスがしっかりとれる事で、より子どもの遊びの質であったり、展開がよくみれた事でいい気づきになった。

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以下は今日の各クラスの振り返りです。

■ちっち組(0歳)の振り返り(和泉公園)

Lちゃん、Rちゃんは移動範囲も広がり様々な場所や物に興味を持ち自ら動いてみる姿がある為、淡路公園を予定していたが、つかまり立ちができる和泉公園へ行った。じゃぶじゃぶ池ではS、H、Rの3人で同じ場所で同じ遊びを繰り広げており、互いに顔を見ながら楽しむ姿があった。Rはハイハイの姿が少しずつ見られてきており、保育者がそばにいることで安心しながら過ごす姿があった。今後もそれぞれの発達や興味に合わせて過ごしていけるようにしたい。

 

■ぐんぐん組(1歳)の振り返り(佐久間公園)

 

今日は、佐久間公園へ行きました。公園までの道のりも気になるものがたくさんあって、なかなかたどり着けないのですが、朝少し早めに出発していく中で子ども達とゆっくりみちくさを楽しんでいます。出発前から「歩きたい!」と宣言するくらい歩くことが好きなようです。最近のお気に入りは、クリスマスが近い事もあってヤマザキパンのトナカイに会いに行ったり、街中のツリーを探しています♪

 

■にこにこ組(2歳)の振り返り(佐久間公園)

 

佐久間公園では、わらす組の遊びを思い出す姿もあり、鬼ごっこも楽しんでいた。 木の実や花を集めることや、砂場でのごっこ遊びも盛り上がり、一人一人が充実して遊んでいた。帰る時間を遅くしたことで、公園に誰もいなくなり、さいごまで遊べていた。また、バギーを押した後にできる跡を線路に見立て電車ごっこもしている様子もあった。

 

■わいわい組(3歳)の振り返り(芳林公園)

Lくんは久し振りの登園で興奮する様子もあったが、自然とクラスに打ち解けて楽しんで過ごせていた。 砂を土管に塗るという遊びの感覚の世界が実に興味深く面白い。子どもは夢中になって砂をぬったり、描けたり、こすりつけたり、と遊んでいた。 これをどう発展したリ探究したリ、活動の充実につなげられるかを深めていきたい。

■らんすい組(45歳)の振り返り(芳林公園)

本日もお天気に恵まれて、ほうりん公園へ!わいわいさん(3歳)は、気の合うお友達、安心する保育者の下、かくれんぼを楽しんでいました。らんすいさん(45歳)は鬼ごっこを楽しんだりする中で、運動量も豊富なこともあり「みんなでリレーしようー」と周りを誘いながら、二チームに分かれてよーいドン!なかなか、バトンの受けわたしが上手にできないので、負けて悔しい気持ちを表現したり、勝ったら喜びを爆発させたりと良き時間を過ごしました。

 

見てもらいたいという気持ちから始まる工夫

2023/12/06

子どもたちは自分で作ったものをよく「見て!」と言ってきます。その「見てほしい」という気持ちから、劇遊びの「発表」につながっていく筋道について、先ほど主任と話しました。

ちょうど3歳児クラスの4日(月)の保育記録に、鬼ごっこを親御さんと「一緒にやりたい」と「見てほしい」が混在している様子が描かれていましたね。ちょっとその様子を再現してみましょう。

いきなり大人のゴールイメージを子供たちに提案しても、嫌だと言う反応になりがちです。すでに子供たちなりにイメージを持っていて、肯定的あるいは否定的な判断ができていることがわかります。

楽しい、面白いを大好きな「お家の人」と分かち合いたいと思うのは自然な気持ちのはず。

その間に入り込んでしまう「大人の都合」を極力取り払いたい。

その時、どんなお楽しみ会になっていくのか、まさにみんなが楽しみにする会になるといいよね、と話し合ったのです。

 

金魚の水替えの隠れた理科実験

2023/12/05

大人が普段やっていることを子どもはやりがたります。子供だけではできないので、その「お手伝い」という形でその一部を担ってもらうのです。今日は事務所にやってきた年長3人と一緒に、金魚の水替えと玄関に飾るリースづくりを手伝ってもらいました。子どもたちは、このような活動がとても好きです。どのような仕組みで成り立っているのかがわかり、自分で部分的にできるようになっていくことが嬉しいようです。

金魚の水を換えるとき、ホースを使って高い位置にある水槽の水を一旦、バケツに移します。棚の上にある水槽と床に置いてあるバケツは落差があるので、ホースで繋ぐと下に流れます。しかし子どもたちも「水が高いところから低いところへ流れる」ことは知っていても、あることが起きると、水が流れなくなります。「あれ、出なくなった」というので、どうしてかな?と考える時間をとります。

水槽とバケツを繋ぐホースは「逆U字の、山形」にどうしてもなります。ホースの中を流れる水は、高いところから低いところへ一直線に流れるのではなく、途中で一度、上り坂を越えなければならないのです。しかし、水槽の水面からホースの口が離れ、空気がホースに入り込むと、水の流れが途切れて、バケツへ水が出なくなるのです。その理屈が子どもにはわかりません。その現象をクリアするために、それ専用のホースには途中にポンプがついていて、バグバグすると一方へ空気を押し出す仕掛けになっています。灯油を石油ストーブへ注ぐための給油ホースと同じです。そこを子どもが「どうしてだろう?」と考えてみたくなるようにするには、透明なホースを使って、水の動きが見えるようにしたらいいのですが、今日はそこまでできませんでした。こんなことの中に小さな理科実験が隠れているのですが。

水槽のガラス表面が暗くなるのは、内側に「藻」が発生しているからです。その「藻」は別に悪いことはしないのですが、金魚が見えなくなってしまうので、定期的に洗っています。タニシを入れて食べさせるという方法もあるのですが、小さいタニシだと金魚が食べてしまうので、大きなタニシを手に入れるといいのですが。知り合いの田んぼには、オオタニシがたくさんいるのですが、その卵はピンクと紫が混じった毒々しい蛍光色をしていて、天敵に対して、いかにも「食べてもまずいぞ、毒があるぞ」と言うふうな意味を発信しています。

そんなことを思い浮かべながら水槽の水替えを手伝ってもらうのですが、水道の水にはカルキ(塩素)が入っていることを説明して、きれいな水槽に入った水道の水にカルキ抜きの液体を注ぎ、子どもにかき回してもらいます。そして最初に水槽からバケツに移していた元の水を戻します。水替えは3分の1ぐらいずつ取り替えます。一度に全部変えることはしません。透明な綺麗な水槽に戻りました。

この3匹の金魚たちは、子どもたちが朝夕、餌をあげていて、すでに4年ぐらい生きています。絵本「きんぎょがにげた」に出てくるパーツのモビールを吊るしています。

他園のお友達と仲よくなりたい気持ちが膨らんで

2023/12/04

今日のクラスブログと重複しますが、以下に紹介します。

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そんな今日は、神田公園に行くと、神田ベアーズ保育園 さんが..!この園も合同子ども会のバスが一緒だったのですが、子どもたちに「バス一緒だった園のお友だちだね〜!」と伝えてみると、「せんせい、しゃべってみて〜」とMちゃん😂 (お友だちになりたいけど、少し恥ずかしい.. とのこと )で、私が神田ベアーズのお友だちに話しかけてみると、来年から千代田小に行くということ!「一緒だ〜!」と少し照れながらも名前を伝え合っていました😂そこからもお互いに気にしながら近くに行ってみたり、少し話したり、、先生たちともお話して、「また公園で会ったら遊ぼうね〜!」とバイバイしました!いい出会いでした〜!

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先月の合同子ども会をきっかけに、年長児は他の園の子どもたちとの触れ合いをもとめるようになってきたようです。今日は午後、ある保育園と交流する予定だったのですが、先方がインフルエンザが流行しているという理由で見合わせることになりました。でも、午前中に出かけた別の公園で、他の保育園の子どもたちとの交流が生まれました。

<・・新たな公園にとても新鮮さを感じながら、探索したり、遊具で遊んだりと伸び伸び健やかに過ごす中で、他園のお友達と仲よくなりたい気持ちのMちゃんの姿がありました。なかなか羞恥心からか、踏み込むことができず、保育者の手をかりながら関わっていく姿がとても印象的だった。小学校就学にあたり、自園の子と離れ離れになってしまう子もいる中で、戸外活動を通して、他園児と触れ合う機会にとても意義を感じる場面を垣間見ることができた。・・・>

 

お友達と仲良くなりたいという気持ちが膨らんでいるのですね。年長児は小学校が複数に分かれますが、それぞれの近くに公園もあるので、そこでの戸外活動から自然と交流が生まれています。新しい友達ができていく体験も就学にむけた連続性になっていくことでしょう。

「日曜開放」が教えてくれること

2023/12/03

日曜開放をやってみて気づく大切なことがあります。親同士が必要なことをして対話を楽しんでいる、そのそばで子ども同士が遊び込んでいる。大切なことというのは、このような空間こそが、人類の子育ての本来に近いんじゃないかということです。平日に子どもだけがたくさんいるというのは、不自然な仕組みじゃないんだろうか。

私には頭に焼き付いている一枚の写真があります。それはこれなのですが、ジャレド・ダイアモンドが撮影した伝統的社会(ニューギニアのダニ族)での食事の様子(宴会)を撮ったものです。人類はこのような環境のなかで食べ物を分け合い、食事をしていただろう、と思います。子どもたちはそこで群れて遊んでいます。

(写真 ジャレド・ダイアモンド「昨日までの世界」より)

それと同じような空間を日曜開放やコーヒータイムのときに感じます。「このような機会を用意してもらえてうれしい」と保護者の方にお礼をいわれたのですが、その方は、こうもおっしゃいました。「ここでは他の子どもたちとも遊べるので(家とはちがう)」と。平日の保育園はそれが当たり前なのですが、そのときは親御さんはそばにいません。でも今日のように、親も交えての、子どもの同士の遊びを中心とした過ごし方は、家でも保育園でもない、また別の新しい空間なのですが、その安定具合がなんとも自然なのです。過不足感がない、誰も無理していない、子育てや教育の変な背伸びやストレスがない。それぞれがやりたいことをやって過ごしているのです。

もし、この状態の延長線に、職住接近の就労が成立するなら、また子どもの幼児教育も成立するなら、新しい教育・子育て空間として真面目に創造してみたいテーマだと思うのです。

小春日の屋上で言葉の戯れとともに昼食を楽しむ

2023/12/02

今週を振り返って印象的だったことが2つあります。一つは屋上でたべたお昼ごはん。小春日和だった30日(木)。

数日前から屋上で食べたら気持ちいいだろうという子どもたちの発案からきまったもので、椅子やテーブルを子どもも一緒に屋上へ運び、丸く囲んで食べたのです。雲一つない晴れ上がった澄み切った青空のもと、開放的な空間が気持ちよく、闊達なおしゃべりでにぎやかな昼食になりました。

子どもはお笑い芸人のように、おかしなことを言って人を楽しませようとするときがあります。私がその気持ちがわかって楽しくなり、子どもなりの冗談にウケて大笑いしていると、それがまた拍車をかけたのか、お笑いネタの連発に調子があがっていきました。

ちょっと首を縦に振りながら、「ねえねえ、園長先生、耳の中覗いて、脳みそ食べた?」だとか「園長先生、さっきさあ、鼻からオ〇ラした?」とか、ナンセンスギャグのオンパレードでした。

あまり上品とはいえないのですが、思い付きで言葉を組み合わせてみることで周りが反応してくれる表現の楽しさを知り、いろんなバリエーションをひねり出す達成感がありそうです。

私が座るテーブルと椅子がないからと、子どもが運んでくれたりと、嬉しいことをしてくれる年長さんたちでした。

思いつきの楽しさから生まれる目標志向の遊び

2023/12/01

(園便り12月号「巻頭言」より)

みなさんは何か面白かったことや楽しかったこと、成功してうまくいったことがあったりしたら、どうなりますか?(あるいは何をしますか?) まずは、またそれをやりたい、また経験したいと思うでしょう。家族や友人と話したり、日記やブログを書いたりSNSに発信したり、LINEで共有したりするかもしれません。仕事だったら振り返ってミーティングでしょうか。保育もそうします。あるいは詩や和歌にしたり、小説にしたり、絵画や作曲のアイデアになったりしている方もいることでしょう。このように私たちは自分の経験を、ある面では言葉や記号や記録に残したり、詩歌や絵や音楽や映画やダンスなどの広い意味での「表象」にして共有していると言えます。もちろん、そんなことをしなくても身体的な生命活動として「生きる」ことは基底的なことして、歴然とあって、それと一体的な形で表象文化も形作られているように思えます。

では子どもたちはどうしているのでしょうか? 子どもの場合は、そうした手段が限られているので、再現遊び、何かのごっこやつもり、見立てになることが多い気がします。赤ちゃんが救急車の音が聞こえてくるだけで、あ!と指差して「ピーポー」と教えてくれたり(言葉になるもの)、積み木を動かしながら「ブッブー」と見立て遊びになる子もいれば、幼児になるとアゲハを絵に描いたり、絵本や図鑑を作る子もいます。最近の保育日誌にも、そんな様子がたくさん書かれています。1歳児クラスの子たちが、目の前に何も物がないのに思い付きでケーキやニンジンなどを「ハイ」と手渡して遊んでいる様子に想像力を感じたと書いてありましたよね。

そうすると、子どもは心動かされたことをもう一度味わいたくて、目の前に「現前化」させたいのかもしれません。それがリプレゼンテーションだとするなら、それは日本語では表象と訳されてきたので、まるで頭の中というか、心のことのように思ってしまいます。でも語源に遡って、再現という意味にとどめるなら、これらの活動を見ていると、好きなことを見つけて繰り返しうまくやっていくための技能を学んでいるようにも見えてきます。

そんな時、無藤隆先生から次のような見方を教わりました。遊びは「思いつきをする楽しさと,そこから少し先の目標を立てて実現しようとする課題解決の充実感からなる。それは物事の可能性を知ること。私の言い方では環境からの呼びかけに応えて、世界性へと開かれること。そして、そこでの目標を立てての課題解決の練習となる」という考えです。

とても新鮮で、遊びと生活を一体として捉えることができ、大人も含めて子どももやっている再現させている活動が、実は世界に深く入り込んでいくための生きる姿そのものと思えてきます。私たちは表象に慣れていますが、知覚から表象を経由して行為しているのではなくて、知覚したことと行為することを一体的につなぐ生態学的な捉え方があり、その考え方から遊びを豊かにすることが発想できるかもしれません。

同じものでも「配列」を変えてみる

2023/11/29

昼間の公園で、子どもたちがきれいな葉っぱを並べたり、日光にすかして葉脈を見たりしています。

同じ「もの」でもたくさん集めたり、光にかざしたり、空間の中での「配列」を変えてみると、違った姿が姿を表ます。ここでいう「配列」というのは、その物の置かれている物的世界のレイアウトのことなのですが、見えるためには光が必要なので、それは必須の条件です。真っ暗な空間では何があっても「見えない」からです(もちろん輻射熱のようなものを感知できれば、それは「見える」よういにすることも可能ですが)。

ここに虫眼鏡を持ち込んで、光の解像度を上げたり、さらに顕微鏡を持ち込んでもっと大きくして物の配列を観察すると、物はまるで別物のよういになるでしょう。それが「葉っぱ」であることもわからなくなるかもしれません。さらに繊維質や細胞まで小さくなったら、それはもはや「葉っぱ」ではなく、植物全般に共通した何か、になってしまいます。さらに分子や原子にまで小さくなってしまったら、他のものと変わりない物質でしかありません。

わたしたちの視力、視線から見える「もの」の姿は、煎じつめると、そういう意味での「配列」です。物は私たち人間の裸眼で見えている世界と、電子顕微鏡や天体望遠鏡を駆使して「見える世界」は、物の大小、上下、奥行きが変わり、つまり物の「肌理」(きめ)が変わります。そこに環境の持っている情報が異なってくることになります。さらに記号や数学を用いて「見えてくる世界」は、目に見える肌理の世界を超えて、世界を成り立たせている構造や力学さえも推論できるようになっていきます(人工衛星によるGPSやビッグデータなど)。

このように考えると、人間が進化の中で身につけてきた自然な身体的な知覚の世界と、人間が人工的に作り上げてきた科学的な力が合わさって、複合的に世界を捉えるようになってきていることに気づきます。幼児教育として何が望ましい子どもの経験になるのか、そこを整理してみる必要性を感じます。

きれいな落ち葉ならべ遊び

2023/11/28

思いつきで楽しいことが始まるのが「遊び」ですが、その「面白さ」は子どもにとってと、大人にとってもがシンクロする時があります。

ぐんぐん組(1歳児クラス)の子どもたちが、公園できれいな落ち葉を拾って並べて遊んでいます。

その例としてわかりやすいし、面白いですね。

 

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