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園長の日記

私の心地よいエキサイティングな混乱

2023/10/20

勉強不足による分からなさを、肯定的に書くとこうなります。

・・・他人に「子どもの姿を多面的にみよう」なんて、仕事柄、よくいうわけですが、私自身が見方を変えるのに苦労しています。この認識の転換は、結構難しいものなんです。例えていうと、自分がそれまで当たり前と思っていた一連の概念のつながりが違っていた、そうじゃないものがあることに気づいたというような、どこかで配線ミスがあることに気づき、一旦分解してまた組み立て直そうとしている作業に近いかも。そんな修正をしながらなので、難しいんです。

また大体、見当はついているのですが、脇道にそれて面白がっているので、戻ってくるのに時間がかかるというのもあります。散歩の途中で子どもが道草しているのと同じです。

でも「そうか!」って気づいて一瞬で「全部がわかる」とかじゃなくて、「それがそうなら、こっちはどうなのよ?」が次々と出てきて、そっちを調べていたらまた別の世界に入ってしまって、また道に迷う。ちょっと大袈裟ですが、私にとっては科学史でいうパラダイム転換に近い。併せて試験勉強をしていて、やらないといけないことじゃない脇道にそれて、そっちの方が面白かったりするのにも近いかも。

最近の私のお気に入りは「適時に学び、早期に展望し、遅く理解する」という言葉。遅すぎでしょ!って突っ込まれるのは覚悟の上ですし、本当はもっと早く展望したかったんですけどね。

それなので時間がかかるんですよね。きっと頭の中で配線を組み直している感じで、そんなことをやっているので、今日はこんなことがありました、とか、こんなことをしましたなら、いいんですが、子どものこの姿にはこんな意味があると思った、的な記述をしようとすると、ちょっと待てよ、本当にそうか? それじゃつまんないだろう! と自分で疑念が湧いてくる感じです。

でも、そこを日記に書きたいものだから一苦労なんです。そこにこだわり出してしまったので時間がとてもかかる。そのことを書くのに「児童心理学・発達科学ハンドブック」を開いて調べたり、最近読んだ文章の、え〜っと、どこだったっけ?と検索したりして、もう一度考え直したりしているので、そのことを納得するのに時間がかかっているんです。

これはいわば、これまで、ほぼ自動的に言葉になっていた表現を、別のものに入れ替わっていくわけですから、ちょっと手間なんですよね。というわけで、この話は今日はもう書けそうもないから、もう少し時間をかけてからまたお伝えします。(これじゃ、いったい何を言っているのか、全く意味不明ですね。ともかく子どもの姿の意味についてです)。

保育園選びのための見学案内

2023/10/19

今月になって、保育園選びの見学が増えてきました。来園される方は、これから出産の方や既に2歳になっている子など、年齢はいろいろです。

見学は受け入れてもらえるのだろうかと、迷われている方がいらしたら、ぜひ遠慮なくお電話ください。次のような案内をしています。約1時間位です。詳しくご説明します。ご夫婦でぜひどうぞ。お子さんも連れてきていただいて構いません。バキー置き場もあります。

電話 03-6811-6686

まず園児数やクラス定員、開園時間や延長保育など保育園の概要をはじめ、保育の特徴や保育方針など、大事にしていることを説明した後、実際に部屋を案内して、子どもと保育者の様子を見てもらいます。

環境を通した保育の実際を見ていただいて、遊びで大切にしていることをお伝えします。園庭がないので、よく行く公園とその頻度、ベランダや屋上空間(菜園やプール)もご案内します。

また、併せて食事メニューの内容、喫食のときの姿勢保持の大切さ、安心安全な食材の質のレベル、食物アレルギーへの対応、午睡の意味やレンタルベッドの内容、排泄の自立にむけたポイント、紙おむつのサブスク、おすすめの衣服やその着脱の援助の方法、手洗いや歯磨きなど清潔の面、あいさつの意味など、基本的な生活の習慣がどのように身についていくのか、その自立の姿をその過程に沿って知ってもらいます。

そのほか、入園が決まったら用意してもらう持ち物や個人別ロッカー、家庭と園の連絡アプリや保育ドキュメンテーションの実際、発熱・消化器系・呼吸器系・発疹の4大症状など、どんな時にお迎えをお願いするかの具体例、年間を通じた主な行事の内容、保育参観や保育参加のこと、慣れ保育のこと、バギー置き場の使い方などなど。

そのほかよくある質問は入園が決まったら保育料以外にかかる費用は基本的に延長保育料しかないこと、入園までに作ってもらうものもないこと、保育園が決めたPTAのような保護者会はないこと、保育参観や懇談会のことなどでしょうか。

そして、入園するしないにかかわらず、お勧めしているのが無料の睡眠講座です。赤ちゃんが「夜ぐっすりねんねできるコツ」を睡眠衛生士がアドバイスします。これは地域向け子育て支援として実施しているものですが、大変好評です。

https://www.chiyodaseiga.ed.jp/mamssalon/

千代田区として親子教室の一環として妊娠したら受講できるように働きかけています。社会福祉協議会がとりあげるようになってきたので、保健所主催に広がってほしいと思っています。

ちなみに、建物は壁面(雨水を利用した壁面緑化のビオトープ、太陽光パネル)、室内ジム(運動ゾーン)、目の前に首都高速道路が走っているため騒音排気ガス防止のためのペアガラスとホテル仕様の24時間換気システム、吸音材を多用し、図書館と同じ静けさを確保した音環境にっています。

早寝早起きで免疫力もアップさせよう

2023/10/18

今日は千代田区社会福祉協議会アキバ分室で、永持伸子さんの睡眠講座「赤ちゃんねんね」を開きました。分室のひろばにいらしていた乳児の親子5〜6組の方と、ズームで参加されている方が受講されました。内容はいつもと同じです。

季節の変わり目は、体調不良になりがちですが、喉にくる感染症も流行っているみたいです。今日は子どもの健康診断があったのですが、保健からは以下のような注意を促しました。ここにも再掲します。

「気温が下がり、乾燥を好むウイルスも多くなりますので、沢山からだを動かし毎日を楽しく過ごす、早起き早寝・バランスの良い食事を食べる等、免疫力を高める生活を心掛けてください。また今年はインフルエンザの流行が早いようですので、予防接種を早めに受けられるようお勧めします」

来週は土曜日28日に「親子運動遊びの会」があります。元気に親子で参加して楽しめるように体調を良くしていきましょう。

「第3回 乳幼児STEM保育実践研究会」での私の気づき

2023/10/17

昨日16日(月)に東京理科大学で開かれた3回乳幼児STEM保育研修会(主催・乳幼児STEM保育研究会)がありました。この研修会は、今回で3回目だったのですが、STEMという切り口から入ったとしても、実際の保育は要領や領域環境などの中で言われてきたことと変わりはなく、他の分野と同じように日常の中にあるものから、どのようにそれを見つけるか、取り出すか、あるいは実際に環境を用意するかということだと思います。

この数年、幼児教育と科学の関係を考えることが増えました。そこで読み返しているものに『理科大好き!の子どもを育てる 心理学・脳科学者からの提言』(無藤隆編者・北大路書房 2008年)があります。幼児期から中高生までの理科の在り方についての本で、出版されて15年ほど経ちますが、内容の性格からしても、普遍的なこと、原則的なことので、今でもとても参考になります。特に第1章の12の原則は、ことあるごとに読み返しています。その中に乳幼児にも通じるものがあるのです。

その12を書き出すと、次のようになります。

・身体的動きの原型から発する・自然への気づきは恣意的なものではない・驚異の念を保持する・好きなことから注意を育てる・日常的世界の見方をかえる・ものを作り出し、組み立てる・抽象への移行を支える心的モデルを作る・科学的探索の技能を教える・知識を組み替えていく・熟達のモデルに出会う・学びを尊重する文化を育てる・適時に学び、早期に展望し、遅く理解する

この本のことを思い出したのは、そこに書いてあることとで、研修会の実践を振り返ると理解がつながって、個人的にはとても有意義な気づきを得ることができました。

それは、誤解を恐れずに端的にいうと、次のような感じです。

・子どもの楽しい、面白いというところから始まって、既に持っている本人の既有知識が身体的働きを通じて新しい気づきを得ながら、それがセンスオブワンダーを保持していきながら、さらにもっとどうなっているんだろうという、世界への探究に向かっていく動きが生まれていくこと。

・そこには、わかった!やへえ、そうなんだ!などが起きていて、じゃあ、ちょっとこうしてみたらどうなるかな、という工夫や試行錯誤が、それは言い方を変えると環境との関わり方や意味を取り入れていくプロセスが生じていて、そのプロセスの中には、新たに関心から注意がそこに向かうので、つまり環境からの<呼びかけ>が新たに<聞こえてくる>ようなことなので、さらにそこへ入り込もうとする<思いつき>や<ひらめき>が生まれている。

・その思いつきやひらめきは、最初の楽しい、や面白いという感じがあればこそ、そこには遊び心が躍動している感じが大事。リラックスしていて、なんでもやっていいんだという開放された心理状態になっている方がいい。何か期待されていたり、正解が求められているという変なプレッシャーなない方がいい。自分と対象との関係の間に、面白さや楽しさがあるから、その営みの循環が起きていることで、さらに先に進んでいくことができる。

こんな感じです。ステムの実践は面白いですね。

チュンとの別れ

2023/10/16

こんなことが起きるなんて、思ってもみませんでした。突然の別れの知らせを聞いて、ショックでした。でも私なんかよりも、子どもたちの気持ちを思うと切なくなります。さらに最もショックだったのは主任でしょう。ああ、やるせない。こんなに愛情をかけて守り、育ててきた彼の気持ちを思うと察し余るものがあります。あらためて彼に感謝したい。そしてチュン、どうぞ天国で気持ちよく囀ってほしい。子どもたちも、それを一番望んでいるはずだから。

(以下の写真は先週13日、チュンが帰ってきた時のもの)

お帰りなさい、チュンちゃん

2023/10/13

セキセイインコのチュンちゃんが、保育園に戻ってきました。夏の間、涼しい避暑地にいました。主任の家です。日本がこんなに暑い夏になると避暑地に「避難」や「疎開」と言いたくなります。無事に戻ってきて子どもたちも嬉しそうでした。

今日もいい天気なので午前中は外へお出かけです。乳児は佐久間公園、幼児は和泉公園でした。以下はそれぞれのドキュメンテーションのまとめ、から。

<ちっち組>

遊具や砂場があったり、電車を近くで見れたり、ヒメリンゴが落ちていたり…。自然にたくさん触れながら身体を思う存分動かして楽しんできました。帰り道は「楽しかった」と話してくれたり、もっと遊びたかった!と気持ちを訴える姿が見られたりと、楽しく過ごせたようです♪ 今後も自然や地域と関わりを大切に持ちながら過ごしていけたらと思います!

<ぐんぐん組>

今週は、佐久間公園で遊ぶことが多かったので、子ども達も前回遊んだことを思い出して、ひめりんごを使ってケーキ作りを始めてみたり、神社の中を探索したりすることを楽しむ姿がありました。同じ公園で続けて遊ぶなかで、子ども達にとって印象的だったできごとやお友達との楽しい体験が次の日の遊びにも繋がってきているなぁと感じました。

<にこにこ組>

朝は2階へ上がらずそのまま早めにちぐに合同で散歩へ出かけた。いつもよりもスムーズに出発することができ、遊ぶ時間もいつもよりも多少長く取ることができた。 たくさん体を動かす時間が取れたことはとても良かったので今後もこの流れは取り入れていきたい。

<わいわい組>

今日は、選択で過ごす。久し振りに会うチュンとの再会を喜んで受け入れている。新しいおもちゃやチュンの変化で気づいたことを繰り返し話していた。

<らんすい組>

今日は、和泉公園にお部屋との選択で過ごしました。和泉公園にいく前には、らんすい組の男の子たちがとてもハマっている生き物への関心が散歩でも表れていました。先生「これー持っていっていい??」と生物図鑑をもってきて、なにか捕まったら見てみようねーと生き物採集に燃えていました。他園の子どもたちと公園で競うように、「俺ら捕まえようぜー」と負けん気が凄く、トンボを追いかけ走り回って、気の合うお友達と楽しく過ごしていました。

 

環境との関わり方や意味に気づく

2023/10/12

先週から毎日のように午前中は外へ出かけています。乳児は佐久間公園、34歳は電車で十思公園、年長は科学技術館と北の丸公園です。園庭がない当園のような保育園は、地域を園庭代わりに使いこなすために、それぞれの場所の特徴を保育に取り込んでいきます。それぞれの活動の様子は各クラスのドキュメンテーション(スマホで見ることができます)でご覧ください。

私は今日は年長と一緒に過ごしたのですが、科学技術館はお泊まり会いらい2回目です。1回目よりも今回の方がそれぞれの場所や装置に馴染みがあるので、少し体験が深まったようです。鍵盤が描かれた床を足で踏むとその音が鳴るのですが、当てずっぽうで歩いたり走ったりすると、それで音がすること自体が面白いようで、何度も繰り返しています。

NHKのピタゴラスイッチで球が転がっていくと物が動いたり倒れたりしながら、ゴールまで辿り着くのがありますが、あれと同じようなことを、ボーリングの球ぐらい大きな金属球で、フロア全体をぐるりと一周させるようなゾーンがあります。

機械を操作して押したり、転がしたり、クレーンで持ち上げたりしながら、その都度、止まってしまう球をなんとか次の場所へ動かすような仕掛けになっています。かなり力がいるのですが、球を動かすことで、仕掛けの意味(物体に働く力のパターン)に気づくことができます。

このようなことが面白いのは、自分の身体、感覚を使って働きかけながら、物が動いたり変わったり音がしたりするからでしょう。具体的に触ったり、握ったり、押したり弾いたり、引っ張って弾いたり、自分で働きかけたことで物が変化していく。そこには物理法則があるのですが、体験することで何か気づき、じゃあこうしたら?と考えたり工夫したりすることが起きていました。どうしたらいいのかわからなくなるときは、その仕組みを理解することが難しい場合です。それでも遊び方を教えるだけで、やり方がわかれば楽しめるので、大事なことはやることで気づけるようになっていました。

同じようなことが、お弁当のあと、北の丸公園の雑木林で遊んだ時にもありました。木登りです。

どの木なら登ることができるか?木の枝と自分の手足、バランスの関係を探りながら、あれこれ考えながら登ることができる手順を発見していきます。

枝の隙間に靴がや膝が挟まって動かなくなったり、斜めの木にお尻と足を押しつけてバランスをとっている状態から、次の上の枝に手が届かない時は諦めるしかない、ということに気づいたり。身体と木との会話のようなことが繰り広げられていました。環境との関わり方と意味に気づくことが、こんな形でも起きているんですね。

代弁とは「気持ちを言葉でなぞる」こと

2023/10/11

「先生、うまいこと言うなあ」と1歳児クラスのブログを読んで感心しました。以下に紹介します。最後に「こっそり共有するのが嬉しい」と書いてあったのですが、保護者の皆さん全員と共有したいので、ここに紹介させてもらいます。やっぱり、うちの先生たちは、子ども同士の関わりの育ちに関心が強く向くようです。

・・・・・いつものように、子どもの名前はイニシャルに変更します・・・・・・

昼食前、Sくんが水道で手を洗っていると、その隣の蛇口に、Yくんもやってきました。


Yくんが来ると、Sくんはさらりと隣の蛇口に手を伸ばし、ひねって水を出してあげていました。


Yくんも、そこで手を洗いはじめます。

言葉を交わすこともなく、ほんの数秒のことでしたが、なんだか、その言葉のいらない自然な関係や関わりが素敵だな〜と感じました。

さらにその後も水道の手洗いのようすを見ていると、Cちゃんが後ろで順番を待っていたRくんに「Rくんどうぞ〜」と、”自分の使っていた場所が空くよ”と伝えてあげたり、となりのお友だちに石けんを渡してあげたり…。

お友だちのものが欲しかったり、お友だちのことをやってあげたかったり、まわりの友だちに興味を持って関わりたい!という気持ちも強くなっているぐんぐんさんたち。
その分、時には相手との気持ちのズレやすれ違いで ぶつかって、ケンカになることも多いけれど、じっくりとよーく見ていると、こんな風に、相手への気遣いや “やってあげる・やってもらう(さらには、相手にやらせてあげる)” の関わりも、たくさん隠れています。しかも、そんな姿に限って、とってもさりげなく、自然に見せてくれるので、パッと見た姿だけでは、なかなか気が付きにくかったりもしますね。

お散歩前には、Rちゃんが、Sくんの帽子を持ってきて、渡してあげようとしていました。
みんな、自分のものだけでなく、それぞれのお友だちの持ち物をよく覚えています。

Rちゃんが、帽子を差し出しながらSくんを追いますが、Sくん、まだ帽子をかぶりたいタイミングでなかったのか、違うところに気が向いていたのか、Rちゃんが帽子を差し出していることになかなか意識が向いていないようすです。
Rちゃん、その姿を感じ取ったのか、”まぁいっか”と一旦帽子を渡しに行くのをやめようとしていました。それもまた、相手を思いやる姿かもしれません。渡してあげたい自分の思いもあったけれど、いまは受け取らないみたいだな…と相手の姿に目を向けて切り替えています。
・・・なのですが、この場面では、Sくんは帽子を嫌がっていた訳でもなく、そこに気が向いていないだけのように見えたので、大人が「Rちゃんが、しおんくんの帽子持ってきてくれたよ〜」と言葉にのせて伝えると、ふとその姿に気がついて、帽子のやりとりをしていました。


そうして、大人が言葉に乗せながら、子ども同士の関係を繋いでいく瞬間もあります。

子ども同士の関係を繋いでいくときに大切にしたいと思うのは、そこに大人の気持ち(主張)を入れ込まず、『それぞれの子どもの気持ちを言葉でなぞる』ということです。
例えばこのシーンで考えると、Sくんに対して「帽子受け取ってあげて」と言うのでなく、”Rちゃんが渡してあげたいと思っている”ということを、伝えていきたいな、と思います。受け取るか受け取らないか、そのときかぶるかかぶらないか は、Sくんが決めることだからです。
もしも、渡してあげようとしたけれど、Sくんが嫌がったとしたら、そのときは、「いまはかぶりたくなかったみたいだね。渡してくれてありがとう」ということをRちゃんに伝えたかもしれないな、と思います。
「子ども同士の関係をつなぐ」というのは、関わり合った結果がいつも『うまくいく』ということではありません。自分には自分の思いがあって、相手には相手の思いがある。そのお互いの気持ちに寄り添い、言葉でなぞりながら、「じゃあ、どうしようか」と一緒に考えていく・・・それを根気強く、繰り返していく中で、子どもたちも少しずつ、自分たちでその対話を試みるようになっていきます。
自分の「こうしたい!」の思いが強く表現できるようになって、ケンカも激しくなってくる時期でもありますが、その中で感じる悔しさや葛藤、気持ちを通わせていく過程も、まぁいっか、と思える気持ちも、すべてが大切な経験だと考えています。その体験を何度も繰り返して、対話やコミュニケーションを経験していく中で、子ども同士での関係性が育まれていきます。
わたしたちは、「こうしたら良いんじゃない?」「これは、嫌だな、悲しいな」などと大人の思いも伝えつつ(もちろん「うれしいね!」「ありがとう!」などのポジティブな思いも含めて)、あくまで子ども同士の関係の中にそっと寄り添うことを、大事にしたいなと思います。子ども同士の関係に関わりすぎず、でも引きすぎず…の距離感が、難しいけれど面白いところです。
だからこそ、最初の手洗いのシーンでも、大人は何も言葉をかけず、子どもたちのやりとりをそーっと眺めて、静かに感動していたのでした。そんな、静かな感動をひとりで噛み締めるのはもったいないので、こうして、お家の方やまわりの先生たちと こっそり共有するのが、嬉しい瞬間でもあります。

・・・・・いかがですか?先生たちの考えていること。大事にしたいと思っていること。気づかれていない言葉にならない思いが見えるようにする「言葉でなぞる」という表現に私は感心したのですが、昨日の「環境からの呼びかけに対する子どもの呼応」という話を思い出すと、これも子どもにとっては、お友達の気持ちを、先生が押し付けがましくなく、環境からの「呼びかけ」に変えてあげているように見えなくもありませんね。人的環境は、空間や物の環境とはまた異質ではあるのでしょうけれど。

環境の「呼びかけ」があって子どもが「呼応する」

2023/10/10

話題になってすぐに手に入れ、人に勧めている本があります。『子どもが中心の「共主体」の保育へ』(小学館)。保育園用にも置いておきますので、保護者の皆さんも手にとってご覧ください。私たちが目指したい保育がここにあります。この本の中で、すでに聞いていた(読んでいた)話だったのですが、活字になって世の中に公になると、以下のことが個人的に大きなインパクトがありました。それは環境からの呼びかけに子どもが呼応する、という捉え方です。

子どもが思わず遊び始めるのは、その周りにある環境の方から「呼びかけ」(無藤隆先生)てくるものがあるからだという表現に接し、個人的にはとても腑に落ちるのです。これまで、身近な環境に子どもが自発的にかかわるという言い方がされても、またそれでいいのですが、私はずっとそれでは矢印が一方通行のような気がしていました。とくに環境との「相互作用」と言いながら、環境の方からくるものをどう考えたらいいんだろう?とか、アフォーダンスの概念で理解していればいいのだろうか? などと勝手に想像していました。

しかし、これで私の理解が一つ、つながりました。ミッシンクリンクがつながったというとかっこいいですが、つながってないことの方が多いんですけど、でも理解できたというのは嬉しい。子どもと環境の関係について、特に遊びの説明について、はっきりと環境からの「呼びかけ」に子どもが「呼応する」というように考えればいいとなると、子どもの選択の意味もクリアですし、個々の子どもが、そことの関わり方や意味に気づき、ということにもつながっていく。子どもの活動や遊び、あるいは主体的活動としての遊びの理解がわかりやすくなったのです。

 

自分で決めることを支えること

2023/10/07

頭で分かってはいるけど、行動に移すことができないこと。私にはしょっちゅうあります。できない理由はいろいろですが、案外自分でも「手強い」のは、納得できないで、もうもやしているのに、やらないといけない時です。頭でもよく納得できないでいるのでしょうね。でも立場上とか、言った手前とか、まあ、いろいろありますよね。

それは子どもだってあるでしょう。決めた時間に起きることや寝ること、好物の甘いものや炭水化物を食べすぎないこと、ケンカになって自分が悪いとわかているけど素直になれないこと。大人でも似たようなことありますよね。子どもの場合で、先週見かけたことは、どうしてもママに会いたいと朝から「お家に帰る」「ママに会いたい」と言って聞かないこと、それとは反対に好きな遊びを終わることがなかなかできず、お迎えの時間だけど「帰りたくない」と言ってお家の人を困らせること。また昼間でもありますが、遊びや遊具の交代は「わかっちゃいるけど、やめられない」の一つかもしれません。

今日は実習生の日誌を読み返して、総評をまとめていました。保育の理解の仕方の中には、そうはっきりと断言できるようなものは、意外と少なくて、例えば子どもが「自分でそうしよう」と決めているように見えていることも、いろんな要素や力が働いて、複雑な無意識の働きの結果、そうなっているのだろうということが多いと思います。その要素や働きの中に、保育者が支えるというによる影響も当然含まれます。それは、どういうことなのかを実習生にも理解してもらいたいと思うことがあるのです。

例えば10月2日(月)のことです。私はブランコに乗ってい3歳のIちゃんを後ろから押してあげていました。それが楽しいらしく何度も「もっと早く」とせがむので、押して大きく揺らしてあげていたのです。しばらく経ったとき、年長のHちゃんが「やりたい。代わって」と走ってきました。Iちゃんは黙っています。もうずいぶん乗っているので、代わってあげようという気になるのかな? どうするかなあ? と見ていたのですが、黙っているので「変わってほしいと言われていることはわかるけど、もっと乗っていたい」と思っていることがすぐわかりました。年長のHちゃんは、交代して遊ぶということを相手にも期待して「もう、代わって」と、強くもう一度言うのですが、だめだと諦めて別のところへ行きました。

そのいきさつを、ボランティアにきていた小学6年生のAさんもみていて「こういうとき(Iちゃんに)代わってあげるように言うの?」と私に聞くので「そうだね、Iちゃんはわかっているんだけど、そうしたくないんだよね。どうやったら自分で、いいよ、って気持ちになるのかな。大人が『代わってあげなさい』と、そうさせてしまうのではなくて、自分でそういう気持ちになるといいんだけどね」というと、小学生のAさんは「ブランコ、もっといっぱいやるといい」と言います。満足するまでブランコすれば、代わってあげようという気持ちになるだろう、と考えたようです。

年長のHちゃんは、乗るのを諦めましたが、乗りたい子が多いときは、また別の結果や違った行動になる場合もあります。ブランコに列ができるときもあります。そいうときは自分から交代することや、順番で遊ぶことなどを受け入れやすい状況だったりします。また相手によって自分のやりたいことを押し通せたり、自分が我慢しないといけなかったり、します。特に相手が知っているお友達だったり、その友達関係のあり方によっても、違ってきます。また援助している先生によっても変わるときもあります。また家でも、お父さんかお母さんかでも、子どもは自分の思いや気持ちの押し出し具体を変えることがあることに思い当たることでしょう。

このように自分から何かをしたり決めたりするのも、ある程度発達してきたからといって、いつも安定的に同じようにできるというものではなく、その資質や能力が発現しやすい環境や状況というものがあって、それと切り離せないようなかたちであらわれるということがあります。その繰り返しの中で、長い目で見た時に、成長を感じる時がきます。

また私が「Hちゃん、ブランコ、代わってくれないかな、だって」とHちゃんの気持ちをただ代弁したつもりで言ったとしても、Iちゃんにとっては、一緒に遊んでいた私がそれを口にすること自体が、別の意味を影響を生むことになります。自分でそうか!と気づいて行う、ちょっとした後押しになることもあれば、かえってIちゃんの気持ちを頑なにすることだってあるでしょう。

このように、どんな援助や声かけのようなものがいいのか、などをその状況判断を抜きに一般化することはできません。やはり個別具体的な判断とその振り返りの繰り返しの中で、その子どもにとっての、ある確からしいことが見えてくるのだろうと思います。その子どもが「代わって」と言われたことがわかり、どうしようかなと考えたり、どう言ったらいいのか工夫したり、表現することは、それぞれです。その過程で、内面で動いている心情は前向きな肯定的な気持ちや不快な否定的なものの間で揺らぎながら、自分なりに出口や光と思えるところを見つけていくでしょう。

思いつきで思わず手が出て、体が動いてやっている遊びが面白くなって没頭し、さらにこうしたいという目標が見えてきてそれをやろうと工夫します。自分だけではなくてお友達とのやりとりを通して、やりたいことや思いつくことも変わっていきます。その都度の積み重ねから、なぜかより善いことにつながっていくのでしょう。どうやってそこに至るのか、大人も子どもも、自分の中で無意識の仕組みの中で起きていることは見えようがありません。ただ、個別多様であっても、その2〜3年という長いスパンの中で成長していく筋道があります。その道筋はよりよい生活のありように向かって参加していくものになるといいのですが。

それだけに、わたしたち保育者は、いろいろ望ましい結果を生むように環境を考えますが、年中、年長ぐらいになる子どもにとっては「自分でやった」「自分で決めた」「それがよかった」という実感を生むようなプロセスを大事にしながら、他者のことも考えながら自分で決めたと思える行動に結びつくように思えるのが「幼児期にふさわしい生活」の一要素のように思えます。

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