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園長の日記

2歳の子がお友達に読み聞かせる紙芝居の姿から

2023/12/12

このエピソードは、2歳3か月の男の子が、紙芝居を見せてあげています。クラスブログから以下紹介します。

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ぐんぐん組のRくんが、お気に入りの紙芝居『まんまるまんま たんたかたん』を見つけてきて、先生気分(!?)で、読み聞かせを始めました。
先日のおたのしみ会では、Rくんのお父さんにも 絵本の読み聞かせで活躍していただきましたが(Rくんのお父さま、Yくんのお母さま、素敵な読み聞かせをありがとうございました!!)、こんどはRくんが、ちっちさんたちの前で読み聞かせです。

読み聞かせといっても、もちろん紙芝居の文章を読み上げるわけではありませんが、紙芝居をめくるたび、ちゃんとそのイラストに沿って、おなじみのセリフを言ったり、紙芝居をぐるぐる回してみたり…。子どもにとってはちょっと大きめの紙芝居をめくっていくのは、すこし難しそうに思えますが、Rくんはまるで大人のような手捌きで紙芝居をすすめていて、驚きました。
それに、主人公のちびっこ忍者「まんまる」が、ヘビのまわりをぐるぐる回るところでは、ちゃんと紙芝居をぐるぐる回して再現していました…!
M先生がよく読んでくれるので、真似っこしていたのかもしれません。このときばかりは、紙芝居のストーリー以上に、”紙芝居を読み聞かせる先生の姿”を再現して、楽しんでいるのかもしれません。

このお話は、「まんまるまんま、たんたかたん!」というセリフに合わせて手をパチパチたたくのですが、Rくんが、「まんまるまんま、たんたかたん!」と言うたび、ちっち組のRちゃんやSくんが、パチパチと手をたたきながら、Rくんの紙芝居に見入っていました。ちゃんと、リズムに合わせて手をたたいているのが、すごいです。
Rちゃんも、Y先生のひざの上でじぃっと眺めていました。

Rくんの紙芝居を楽しむちっちさんの姿もまた可愛くて、ほっこり。

かわいらしい光景に、大人も見入ってしまいました…!

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これを読んで、いろいろと考えます。

どうして人間はそもそも模倣をするのだろう?さらに、たくさん真似したいことがありそうなのに、どうしてそれなんだろう?なにかしらの選択がなされているように見えます。

「学びの事典」によると、模倣は対象を取り入れる形だけの模倣(エミュレーション)から、やっている人の意図も理解してやる模倣(イミテーション)へと発展していくと書かれています。もし行動なら模倣といい、何かの物への定着へ集約されるなら表現(描いたり作ったり)と言い換えていいのなら、いずれもその「世界への参入」とでもいっていい気がしましす。そして、そのガイド役が周りの人々なのでしょう。

模倣したり再現したりしている行為は、最初から世界の一部であり、生きている私たちの世界に新しいものを生み、世界を少しだけ変化させていることになります。子どもの姿というのは、このように世界とのかかわりの中で常に流動するなかに現象するものといえるのでしょう。

そこには人間ならではの、よりよいもの(楽しさや新奇性など)への志向が感じられ、人間独自の世界を創り出しているようにみえます。それを時間的な経過でたどっていくと、その子の軌跡としてのラインや歴史が世界に刻まれているともいえるでしょう。

そして、その姿の中に、資質・能力を認めるなら、知識や技能はRちゃんに部分的に蓄えられていくだけではなく、模倣という環境とかかわる行為(経験)を洗練させながら、つまりその過程に思考力や判断力や表現力の動向が垣間見られるわけで、それはまた同時に楽しみながらその世界の意味を意欲的に発見していっている(学びに向かう力)ということになりのでしょうか。

子どもの姿から感じる生きていることのエネルギー

2023/12/11

今日の日記はとても個人的な「感慨」になります。子どもたちと生活している、という言い方ですませてきたものに、ちょっと別の言い方をしたくなった瞬間があったからです。

お昼ご飯を食べている時でした。ある2歳児クラスの子どもがハンバーグのお代わりをしたくて、泣きながら訴えていたのです。でも食べ過ぎるとよくないので、これでおしまいにしようねと、先生が優しく説得していました。このようなことはよくあることで、それ自体が何か新しいことではないのですが、彼を突き動かしているエネルギーの率直なありように、私は感動を覚えたのです。これほどまでに何かを強く望むことが、ある意味で、私たちにできているだろうか?と。

今日は0歳から2歳までの3クラスはそれぞれ散歩や公園に出かけ、午前中は外出していました。その時間、久しぶりに3歳から5歳の幼児3クラスは2階と3階の室内で過ごしています。

その様子が写真と文章で記録され公表されていますが、そこからもある程度伝わってくると思うのですが、子どもたちは実に生き生きと遊んでいます。

ただ、こう「生き生きと遊んでいます」と書くだけでは、今日私に湧き起こった「感慨」を説明しきれないのです。これは例えていうしかないのですが、何かのエネルギーが子どもたちに押し寄せてきていて、そのうねりのような動きの中で子どもたちが、いろんな姿を見せてくれているように感じるのです。まるで大きな波が押し寄せてくる海岸で、その波に上手に乗っているサーファーだったり、その波に逆らって泳いで行こうとしている姿のようにも感じます。波と子供が一体になって生きているといった、ようにです。

いつもの表現をするなら、遊びの名前を羅列することができます。カードゲーム「レシピ」を楽しみ、お家ごっこでパパ役を面白がり、そのアイスクリーム屋さんは、お客さんもアイス作りができ、バトントワラーの発表会から新たなメンバーが加わってバトン作りが始まり、ピアノで弾けるようになった曲を聴いて持ったり、おおきな紙飛行機や大型の船が走っていたりします。

・・・これらの遊びは登園する前まで、誰もこうなると予想されたものではなく、保育園にある環境の中で子どもたちの思い(思いつき)が、ほとんどが偶然のように現れてきたものなのです。

このようなことはこれまでも毎日起きてきたことであって、同じような遊びではあるのですが、担任は今日の日誌に最後にこう書いています。「・・・それぞれの発達にあった環境で、やりたいことにのびのびと取り組んでいた良い時間でした。ごっこあそびは昼食後も遊びが継続されていて、一つのあそびから発展したり深まってきているように感じます。」

こういう遊びをしているのは、間違いなく子どもなのですが、その子どもに発展させ、深めさせているようにさせている大元のもの、その姿にさせているのは、彼らだけでなくその家族も私たちも全ての人間の営み全体のありようが、ここに一つの姿を表しているように思えるのです。

 

生きていることが、このような現象を生じさせているとでもいうのでしょうか、生活しているとか遊んでいるとか、食事をしているとか、ぐっすり寝ているとか、色々な言い方はできるのですが、それらを全部ひっくるめて、私たちはずっと生きていて、ここに生息しているから、このようにあるんだ、ということなのですが。・・このことは、また別の表現で繰り返しお伝えしたくなることになりそうです。

 

歌やお話を親子で楽しむ会になりました(ちぐに)

2023/12/09

今日の「お楽しみ会」、参加された方は、いかがでしたか? ちっち、ぐんぐんは親子で一緒に過ごしました。まるで「親子ひろば」での、歌とお話の会のようになりましたね。ふだん過ごしている1階のお部屋に集まっていただき、私の挨拶のあと9時15分過ぎから始めました。

まずは担任がペープサート(いろんな色や模様の風船の形をしたもの)を使いながら「ふうせんのうた」を歌い出します。これで会の雰囲気が出来上がり、子どもたちもその世界に入り込みましたね。歌の中で風船の絵をチラリと裏返して「あれ、なんだろう」と呼びかけると、子どもたちが「はっぱ!」とか「アメ!」とか当てながら、歌を一緒に楽しみました。

続いて子どもたちに歌いたいものを尋ねると「きらきらぼし」との声が。ウクレレの伴奏で合唱しました。その後はパネルシアターを使いながら「あわてんぼうのサンタクロース」を親子で一緒に歌いました。

お集まりの導入は毎日こんな感じですが、毎朝の習慣になっている「朝のうた」を歌ってから、お名前を1人ずつ呼んで「は〜い」とお返事しながら、サンタクロースとタッチ。そのあとは絵本の読み聞かせ。絵本は、子どものリクエストで「あっぷっぷ」に決まり。打ち合わせもなしでしたが、その時の雰囲気で、担任があるお母さんにお願いしたら、とてもお上手に、感情たっぷりに楽しく読んでくださいました。

もう一冊の絵本は「あーそーぼ」に。今度は別のお父さんにやっていただきました。こちらも、いきなりでしたがやっぱりお上手です。親御さんに絵本を読んでもらうと、子どもたちも新鮮なようで、真剣に見入っていましたね。お二方ともぶっつけ本番のサプライズでしたが、ありがとうごさいました。

ふだんはこの後、お支度をして散歩に出かけます。そこで今日はちっちは屋上へ、ぐんぐんは「お母さんといっしょ」の運動遊びをしてから、泉公園へ親子で出かけて解散しました。

引き続き、10時30分からは2歳児クラス「にこにこ組」。会場は2階のダイニングスペース。1階に集まっていただいた親子さんに私から挨拶して、その後2階でスタンバイしている子どもたちのいる会場へ移動。にこにこ組のお楽しみ会の始まりです。最初に担任のギターにあわせて「たらくくるま」を元気よく歌いました。歌の中に出てくる、いろんな車の名前を元気よく教えてくれます。そして「先生とおともだち」の朝の歌を歌って、出席をとります。今日はお家の人も出席をとって元気に「は〜い」と返事をしてもらいました。今日は二人お休みでした。

その後は紙芝居や絵本を読むのですが、今日は二人のお母さんに紙芝居「3匹のこぶた」と絵本「よるくま」を、それぞれ読んでもらいました。誰に読んでもらうか、何を読んでもらうかも子どもたちのリクエストで決まりました。急なお願いでしたが、楽しいひとときになりました。ありがとうございました。

その後担任が絵本「おおきなかぶ」を読み、子どもたちが「おおきなかぶ」を劇遊びにして遊びました。おおきなかぶの役は、あるお父さんにやっていただきました。うんとこしょ、どっこいしょ。なかなかぬけません!を何度も繰り返し、引っ張る人がだんだん増えて、最後に株が抜けて大円団です。その後お支度をして泉公園まで親子で散歩に行って解散でした。

子供のそばに親御さんがいると言うスタイルは、子供の情緒も安定していて、無用な緊張感もなく、普段と同じように楽しいと言う気持ちに溢れていました。子どもから「もう一回!」という声があがっていました。ご参加ありがとうございました。

キャンディーの包み紙の工学

2023/12/08

こっちのキャンディーと、こっちのキャンディー、引っ張ると開くのは、どっちだと思う?

口で説明するだけでは難しいので、子どもたちにやってみせました。

制作ゾーンにおままごと用の、食べ物がたくさん作ってあって、その中に大量のキャンデイがあったからです。

ひねってある包み紙を引っ張ると、クルリと回って開来ます。

でも、もう一方の方はいくら引っ張っても開きません。

さあ、どうしてでしょう? というわけです。

これはエンジニアリングですよね。工学の話。

子どもたちはキャンディの包み紙を、大抵は右手で右回りに捻り、もう片方も同様にしてしまうので、開きません。開くようにするにはキャンディーの捻り方を反対にしないといけません。正確にはキャンディーを横向きに置いたとすると、輪切りにする面を基準に「面対象」(鏡に映ったよう)にすると開くのです。

あれ?と気づいた年長の女の子は、それを手にして何度も引っ張ってみましたが、何が違うのかわからず、捻り方の向きの違いには気づくことができませんでした。

ブンブン独楽も同じことなんですがね。

スローモーションで、何度も見れば気づくかもしれません。これもまた別の機会にやってみます。でも子どもの関心がそこに向かないときは自分から「どうなっているのか」その仕組みをよく見ようと思わないのです。無理もありません、どっちも中身が「取れたよ」という感じですから。笑

お楽しみ会(12月9日土曜日)について

2023/12/08

今週末の12月9日はおたのしみ会(乳児)です。ちっち、ぐんぐん、にこにこが行います。その内容や考え方について、クラスブログに詳しい説明があるので、ぜひご覧ください。

公園が選ばれて活動が変化していくことがわかる記録

2023/12/07

毎日、次のような振り返りが各クラス記録されています。職員は写真と文章の保育記録と併せて、これらの記録を読み合って、それぞれのクラスの動向を共有しながら次の日の保育につないでいるのですが、これらをいろんな視点で時系列の図や一覧にしてみると、子どもの活動や経験の変化の意味が見えてきます。

今週の園外保育の公園に一覧にしてみました。当たり前ですが、子どもの発達や興味関心に応じて行先を変更していることの理由がよくわかります。また同じ公園でも、やりたい活動(の誘発され具合~環境からの呼びかけと応答~)が変わっていっている変遷に気づくことができ、面白いですね。

 

たとえば、今週5日火曜日に、こんな振り返りが見られます。

昨日同様、神田公園へお散歩に。すいすいさん(5歳)がお手伝い保育の事もあり、わいらん(34歳)でお散歩へ。わいわいさん(3歳)も保育者と安心した環境下の中で、遊びを楽しんだり、発達にあった遊具もあったこともあって、楽しく過ごす姿が見られた。N君が、以前できなかった雲梯二段飛ばしを保育者に見てみてーと誇らしげに伝えてきたの見た、R君が僕もやってみようと思い挑戦するも出来ず、「Nすげーなー!」と認めてあげ嬉しそうにする、N君の姿や、昨日からお人形さんに、ユナちゃんと名付けてお散歩に「一緒につれてきたんだー」と、ごっこ遊びをするRちゃんがリアルに遊びを展開しており、普段の生活の中の行動を模倣して取り入れてる姿も印象的だった。また、保育者とわらべ歌のかごめかごめや、追いかけっこをしているなかで客観的に外から見た際に共主体という概念を考えた時、保育者と子どもの主体のバランスがしっかりとれる事で、より子どもの遊びの質であったり、展開がよくみれた事でいい気づきになった。

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以下は今日の各クラスの振り返りです。

■ちっち組(0歳)の振り返り(和泉公園)

Lちゃん、Rちゃんは移動範囲も広がり様々な場所や物に興味を持ち自ら動いてみる姿がある為、淡路公園を予定していたが、つかまり立ちができる和泉公園へ行った。じゃぶじゃぶ池ではS、H、Rの3人で同じ場所で同じ遊びを繰り広げており、互いに顔を見ながら楽しむ姿があった。Rはハイハイの姿が少しずつ見られてきており、保育者がそばにいることで安心しながら過ごす姿があった。今後もそれぞれの発達や興味に合わせて過ごしていけるようにしたい。

 

■ぐんぐん組(1歳)の振り返り(佐久間公園)

 

今日は、佐久間公園へ行きました。公園までの道のりも気になるものがたくさんあって、なかなかたどり着けないのですが、朝少し早めに出発していく中で子ども達とゆっくりみちくさを楽しんでいます。出発前から「歩きたい!」と宣言するくらい歩くことが好きなようです。最近のお気に入りは、クリスマスが近い事もあってヤマザキパンのトナカイに会いに行ったり、街中のツリーを探しています♪

 

■にこにこ組(2歳)の振り返り(佐久間公園)

 

佐久間公園では、わらす組の遊びを思い出す姿もあり、鬼ごっこも楽しんでいた。 木の実や花を集めることや、砂場でのごっこ遊びも盛り上がり、一人一人が充実して遊んでいた。帰る時間を遅くしたことで、公園に誰もいなくなり、さいごまで遊べていた。また、バギーを押した後にできる跡を線路に見立て電車ごっこもしている様子もあった。

 

■わいわい組(3歳)の振り返り(芳林公園)

Lくんは久し振りの登園で興奮する様子もあったが、自然とクラスに打ち解けて楽しんで過ごせていた。 砂を土管に塗るという遊びの感覚の世界が実に興味深く面白い。子どもは夢中になって砂をぬったり、描けたり、こすりつけたり、と遊んでいた。 これをどう発展したリ探究したリ、活動の充実につなげられるかを深めていきたい。

■らんすい組(45歳)の振り返り(芳林公園)

本日もお天気に恵まれて、ほうりん公園へ!わいわいさん(3歳)は、気の合うお友達、安心する保育者の下、かくれんぼを楽しんでいました。らんすいさん(45歳)は鬼ごっこを楽しんだりする中で、運動量も豊富なこともあり「みんなでリレーしようー」と周りを誘いながら、二チームに分かれてよーいドン!なかなか、バトンの受けわたしが上手にできないので、負けて悔しい気持ちを表現したり、勝ったら喜びを爆発させたりと良き時間を過ごしました。

 

見てもらいたいという気持ちから始まる工夫

2023/12/06

子どもたちは自分で作ったものをよく「見て!」と言ってきます。その「見てほしい」という気持ちから、劇遊びの「発表」につながっていく筋道について、先ほど主任と話しました。

ちょうど3歳児クラスの4日(月)の保育記録に、鬼ごっこを親御さんと「一緒にやりたい」と「見てほしい」が混在している様子が描かれていましたね。ちょっとその様子を再現してみましょう。

いきなり大人のゴールイメージを子供たちに提案しても、嫌だと言う反応になりがちです。すでに子供たちなりにイメージを持っていて、肯定的あるいは否定的な判断ができていることがわかります。

楽しい、面白いを大好きな「お家の人」と分かち合いたいと思うのは自然な気持ちのはず。

その間に入り込んでしまう「大人の都合」を極力取り払いたい。

その時、どんなお楽しみ会になっていくのか、まさにみんなが楽しみにする会になるといいよね、と話し合ったのです。

 

金魚の水替えの隠れた理科実験

2023/12/05

大人が普段やっていることを子どもはやりがたります。子供だけではできないので、その「お手伝い」という形でその一部を担ってもらうのです。今日は事務所にやってきた年長3人と一緒に、金魚の水替えと玄関に飾るリースづくりを手伝ってもらいました。子どもたちは、このような活動がとても好きです。どのような仕組みで成り立っているのかがわかり、自分で部分的にできるようになっていくことが嬉しいようです。

金魚の水を換えるとき、ホースを使って高い位置にある水槽の水を一旦、バケツに移します。棚の上にある水槽と床に置いてあるバケツは落差があるので、ホースで繋ぐと下に流れます。しかし子どもたちも「水が高いところから低いところへ流れる」ことは知っていても、あることが起きると、水が流れなくなります。「あれ、出なくなった」というので、どうしてかな?と考える時間をとります。

水槽とバケツを繋ぐホースは「逆U字の、山形」にどうしてもなります。ホースの中を流れる水は、高いところから低いところへ一直線に流れるのではなく、途中で一度、上り坂を越えなければならないのです。しかし、水槽の水面からホースの口が離れ、空気がホースに入り込むと、水の流れが途切れて、バケツへ水が出なくなるのです。その理屈が子どもにはわかりません。その現象をクリアするために、それ専用のホースには途中にポンプがついていて、バグバグすると一方へ空気を押し出す仕掛けになっています。灯油を石油ストーブへ注ぐための給油ホースと同じです。そこを子どもが「どうしてだろう?」と考えてみたくなるようにするには、透明なホースを使って、水の動きが見えるようにしたらいいのですが、今日はそこまでできませんでした。こんなことの中に小さな理科実験が隠れているのですが。

水槽のガラス表面が暗くなるのは、内側に「藻」が発生しているからです。その「藻」は別に悪いことはしないのですが、金魚が見えなくなってしまうので、定期的に洗っています。タニシを入れて食べさせるという方法もあるのですが、小さいタニシだと金魚が食べてしまうので、大きなタニシを手に入れるといいのですが。知り合いの田んぼには、オオタニシがたくさんいるのですが、その卵はピンクと紫が混じった毒々しい蛍光色をしていて、天敵に対して、いかにも「食べてもまずいぞ、毒があるぞ」と言うふうな意味を発信しています。

そんなことを思い浮かべながら水槽の水替えを手伝ってもらうのですが、水道の水にはカルキ(塩素)が入っていることを説明して、きれいな水槽に入った水道の水にカルキ抜きの液体を注ぎ、子どもにかき回してもらいます。そして最初に水槽からバケツに移していた元の水を戻します。水替えは3分の1ぐらいずつ取り替えます。一度に全部変えることはしません。透明な綺麗な水槽に戻りました。

この3匹の金魚たちは、子どもたちが朝夕、餌をあげていて、すでに4年ぐらい生きています。絵本「きんぎょがにげた」に出てくるパーツのモビールを吊るしています。

他園のお友達と仲よくなりたい気持ちが膨らんで

2023/12/04

今日のクラスブログと重複しますが、以下に紹介します。

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そんな今日は、神田公園に行くと、神田ベアーズ保育園 さんが..!この園も合同子ども会のバスが一緒だったのですが、子どもたちに「バス一緒だった園のお友だちだね〜!」と伝えてみると、「せんせい、しゃべってみて〜」とMちゃん😂 (お友だちになりたいけど、少し恥ずかしい.. とのこと )で、私が神田ベアーズのお友だちに話しかけてみると、来年から千代田小に行くということ!「一緒だ〜!」と少し照れながらも名前を伝え合っていました😂そこからもお互いに気にしながら近くに行ってみたり、少し話したり、、先生たちともお話して、「また公園で会ったら遊ぼうね〜!」とバイバイしました!いい出会いでした〜!

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先月の合同子ども会をきっかけに、年長児は他の園の子どもたちとの触れ合いをもとめるようになってきたようです。今日は午後、ある保育園と交流する予定だったのですが、先方がインフルエンザが流行しているという理由で見合わせることになりました。でも、午前中に出かけた別の公園で、他の保育園の子どもたちとの交流が生まれました。

<・・新たな公園にとても新鮮さを感じながら、探索したり、遊具で遊んだりと伸び伸び健やかに過ごす中で、他園のお友達と仲よくなりたい気持ちのMちゃんの姿がありました。なかなか羞恥心からか、踏み込むことができず、保育者の手をかりながら関わっていく姿がとても印象的だった。小学校就学にあたり、自園の子と離れ離れになってしまう子もいる中で、戸外活動を通して、他園児と触れ合う機会にとても意義を感じる場面を垣間見ることができた。・・・>

 

お友達と仲良くなりたいという気持ちが膨らんでいるのですね。年長児は小学校が複数に分かれますが、それぞれの近くに公園もあるので、そこでの戸外活動から自然と交流が生まれています。新しい友達ができていく体験も就学にむけた連続性になっていくことでしょう。

「日曜開放」が教えてくれること

2023/12/03

日曜開放をやってみて気づく大切なことがあります。親同士が必要なことをして対話を楽しんでいる、そのそばで子ども同士が遊び込んでいる。大切なことというのは、このような空間こそが、人類の子育ての本来に近いんじゃないかということです。平日に子どもだけがたくさんいるというのは、不自然な仕組みじゃないんだろうか。

私には頭に焼き付いている一枚の写真があります。それはこれなのですが、ジャレド・ダイアモンドが撮影した伝統的社会(ニューギニアのダニ族)での食事の様子(宴会)を撮ったものです。人類はこのような環境のなかで食べ物を分け合い、食事をしていただろう、と思います。子どもたちはそこで群れて遊んでいます。

(写真 ジャレド・ダイアモンド「昨日までの世界」より)

それと同じような空間を日曜開放やコーヒータイムのときに感じます。「このような機会を用意してもらえてうれしい」と保護者の方にお礼をいわれたのですが、その方は、こうもおっしゃいました。「ここでは他の子どもたちとも遊べるので(家とはちがう)」と。平日の保育園はそれが当たり前なのですが、そのときは親御さんはそばにいません。でも今日のように、親も交えての、子どもの同士の遊びを中心とした過ごし方は、家でも保育園でもない、また別の新しい空間なのですが、その安定具合がなんとも自然なのです。過不足感がない、誰も無理していない、子育てや教育の変な背伸びやストレスがない。それぞれがやりたいことをやって過ごしているのです。

もし、この状態の延長線に、職住接近の就労が成立するなら、また子どもの幼児教育も成立するなら、新しい教育・子育て空間として真面目に創造してみたいテーマだと思うのです。

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