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園長の日記

入園説明会をひらく

2025/02/15

4月に入園する方のための説明会をZOOMで開きました。

(2025年度版の「園のしおり」はホームページの「各種申請書類」の中にはいっています。新年度用が全部揃ったら改めてお知らせします。)

今回は一次選考で入園が決まった方々でしたが、今月末に二次選考の追加がある予定です。

軽井沢風越学園の本城さんの講演をきく

2025/02/14

軽井沢風越学園理事長の本城慎之介さんの講演を聞きました。この学校はコロナ禍が始まる2020年度にできたのですが、話題になり続けていて、入園・入学したい人が増え続けている状況です。コンセプトづくりに関わった苫野一徳さんがずっと唱えている3つのこと(2025年1月31日の「園長の日記」)が色濃く反映されています。講演は保育教材教具の企画販売大手のジャクエツが開いたもので、あそびのなかに「3つの移・異・違」を持ち込む方法を提案されていました。本城さんの話を聞いていると、昨年9月になくなった松岡正剛の編集工学の用語が使われており、きっとISIS編集学校にも関わりがあるのかもしれません。

ほうれんそうなど3種の葉菜類を食べてみたら・・・(東京すくわく)味の探究

2025/02/12

「ターサイがおいしかった人?」は〜い!

「ゆきなが美味しかった人?」は〜い!

「ほうれんそうがおいしかった人?」は〜い!

・・・2歳児クラスの子どもたちが、みんな「は〜い!」とどれかに手をあげていました。どれも青やさいなのですが、大抵は嫌いな子どもたちがいそうなものでしょう?それが好きになっていった活動が以下です。

2階に掲示してありますが、写真と説明書きをそのまま、写真も加工せずに、ホームページの「にこにこ組」のブログ(パスワードが必要)に載せましたので、そちらでもご覧いただだけます。

以下はその掲示内容、です。名前はイニシャルに変えました。

 

🔳【2月は緑のはっぱ「葉菜類」にチャレンジ!】

8月から始まった食育活動も今月で7回目となりました。

これまでは、なす、きのこ、れんこん、かぶなどを取り入れてきましたが、2月は、野菜の中でも子ども達の苦手意識が強い“葉菜類”をテーマとしました。

・中国の代表的な野菜「ターサイ」

・雪の中で育つ「雪菜」

・ほうれん草です。

この3つの葉菜類を食べ比べしました。

食育活動が大好きなSくん。活動が始まる15分前から手洗いを済ませてスタンバイ!

🔳【緑の野菜は苦手という先入観  面白そうな体験から苦手な野菜に親しむ】

「ほうれん草ってどれか知ってる?」

「これー!」とそれぞれ指をさして教えてくれました。

どれも緑色で、葉っぱの形も似ているので、たくさん並んでいると、区別をつけるのはなかなか難しい。

「ほうれん草はこれだよ」と見せててもらうと、子どもたちは触ってみたくて、すぐに手が伸びていました。

【緑の野菜は苦手という先入観 面白そうな体験から苦手な野菜に親しむ】

「葉物系は、扱うのが難しい」と江口さん。

子ども達は、緑・葉っぱが見えると、やっぱり(参加するのを)やめると言う子も多いようです。

“葉菜類=苦い、美味しくない”という先入観をどういう風に子ども達が「食べてみようかな」という気持ちに向かっていくか・・

そのきっかけの一つが、「洗う・ちぎる」といった調理のお手伝いのような活動でした。

洗う、ちぎるという身体的な動作の中で、子ども達が、野菜=苦手な物という意識を忘れて、ちぎるという動作に夢中になっていく。

そこから、面白そうだな。食べてみようかな。と、いつの間にか“食べたくない”という壁を越えて、

「あれ?食べてみたら、なんだか美味しいかも」と、子ども達が野菜に対する新たな感覚を重ねていく。

今回、にこにこ組でもそんな風に子ども達の姿が変わっていった場面がいくつもありました。

今までは、積極的に参加していたHちゃんも緑の野菜を見たら、なんだかそわそわ。苦手だなという気持ちがあったようす。だけど、保育者と一緒にちぎってみると、そこからちぎることに夢中になって、参加し始めていました。

🔳【【ぼくのにがてなやさい】

そら先生が、布をめくって、緑のお野菜が見えると、 ササーとお部屋に戻って、電車で遊び始めるYくん。 始まる前までそら先生が、準備する様子を嬉しそうに覗きに行っていたけれど・・。 「どうしたの?」と聞いてみると、 「ぼくの苦手なお野菜だから、遊んでいるの」と話してくれました。

Yくんの中で苦手スイッチが入っていたようです。 「ちょっとだけみんなの様子を見てみるのはどう?」と聞くと、 「それならいいかな」と思ったようで、後ろの方から調理の様子を見ることに。ちょうど油がじゅわ~っと跳ねたり、香ばしい匂いがしたり・・お友達の楽しそうな雰囲気につられて、炒める様子を見入っていました。

写真(焼いているところを見ている)

食べる時にも、席から離れたところで、みんなの様子を見ていたのですが、自然とお皿の方に手が伸びていました。 ターサイの茎の方を少しだけ味見してみると、 「思っていたよりも美味しい」と感じて、よそってもらったものを次々と食べ始めていました。

Rくんも、一口目を食べるときには、なかなか手を付けられずにいました。周りのお友達が「おいしい。おいしい」と食べているのを見て、パクリ。 いつの間にかお皿の中が空っぽになっていて、驚きました!

炒める様子を見ていた時。「なんだかわくわくするね」「おいしそうだね~」とつぶやいていたRちゃん。Rちゃんのその一言は、これまで重ねてきた活動を通して、野菜を食べる楽しみ、美味しい感覚を身体が感さじているからこそ自然と溢れていた言葉だと嬉しく思いました。

【いただきま~す】

3種類の野菜を食べ終えても「まだ食べたい」とおかわりを リクエストするにこにこさん。

おかわりは、3種類から自分が好きな物を一つ選ぶことに。

「雪菜がいい~」「ぼくはターサイ!」と次々に野菜の名前が出てきて 驚くとともに、子ども達が3つとも食べた中で、自分が好きな野菜を選んで伝えていることにも感心しました。

野菜をよそってもらうと、ひときわ大きな声で「いただきま~す」の声。 さっきまで、苦手だと言っていた葉菜類を前に、自分から「いただきます」 をして、満面の笑みで食べ始める姿になんだかあったかい気持ちになりました。

周りの子達もその声につられて、「いただきます」のオンパレード

今日の「いただきます」は、心から野菜を食べたくて、やっと焼き上がった野菜が食べられることへの嬉しさが表れて自然と溢れ出てきたように感じます。

食育活動の振り返りでも この姿が、本来の「いただきます」の意味だよね。と大人の方が子ども達からたくさんのことを学んだ一日でした。 食べ終わると、「めっちゃおいしい」とお馴染の嬉しい一言も。

・・・・・・・・・・

【午後の振り返りから】

先生コメント

日々の昼食での緑の野菜への苦手意識を少しでも無くすことができればと思い、思い切って提案した素材でしたが、そら先生がお料理すること、そして今までの“食べてみたらおいしかった”という経験により苦手な子もパクパク食べるという感動的な瞬間もみられ、嬉しく思いました。塩で味付けし、炒めることにより素材の甘みが引き出され、「めっちゃうまい」「もういっかい(たべたい)」という声が出て、「おかわりしたい人?」との問いかけに、ほとんどの子が椅子に座り待っていたというのは驚きでした。野菜への見方が変わり、家庭や保育園での食事でも食べてみようかなとプラスに思える子が増えれば幸いです。

先生コメント

野菜といえば!と言われても、たくさんの野菜がでてきますよね♬にこにこさんは、これまでの食育活動を通して、たくさんのお野菜さんと出会い、触れ合い、そして、味わってきました♬今回は、葉菜類。そら先生が出してくれたのはー?! ターサイ、ゆきな、ほうせんそう!この3つの野菜に共通して言えるのは。。。なんでしょうか? 大人の私たちも、知ってるのは、ほうれんそう!という人も多いのではないでしょうか(笑)そして、野菜のイメージの色は?と問われると。第一感で、緑という言葉を連想してしまう人も多いのではないでしょうか?日々の昼食でも、苦手に思っている子どもたちは、たくさんいます。。その中、子どもたちは、今回の食育活動も意欲的に取り組んでいきます。野菜の概念が子どもたちにとっても、やだー苦手ー!という思いから、あ、美味しそうかも、食べてみようーという、変化が伝わってきました!!♪♪

先生コメント

今回の「葉菜類」は、クラスでも苦手な子が多く、担任から江口さんに提案した内容でした。今までとは違った姿があるのではないか。食べてくれるのだろうかと思っていたのですが、子ども達は、いつものように前のめりに参加している様子がありました。その中でも苦手意識を持っている子はいたのですが、「きっと今日も美味しく食べられるのだろう」という野菜に対して良いイメージがこれまでの体験からしっかりと積み重なっていました。それくらい、子ども達の感覚は繊細で、子ども達の「わくわくするね」「もっとたべたい」という言葉からも感じます。今まで食べてきた野菜の「美味しい」という味の感覚を覚えていて、炒める匂いや油が跳ねる音などからも思い起こされていたのではないかと思いました。それが、苦手な物でもプラスのイメージへと変化されて、「食べてみようかな」という気持ちに繋がっていったのかなと感じました。

コーヒータイムで話題になった「和泉小・いずみ公園の整備計画」

2025/02/12

コーヒータイムでは、その時々の話題が違います。今日は・・・

「いずみこどもプラザが建て替えるらしい」。「和泉公園はどうなるんだろう?」・・・など。

千代田区のホームページにもでていました。

https://www.city.chiyoda.lg.jp/documents/32470/r701gaiyo_1.pdf

和泉小学校・いずみこども園等の施設整備について

・・・・・・

そのほか、今回話題になったのが、次のようなこと。

・住むところが高いよね。子どもが増えるとスペースがたりなくなる。したの子どもが生まれたり、入園のタイミングで引っ越すことを考えてしまう。でも、保育園が好きだし離れたくないから、どうしよう・・・

・千代田区の小学校のことを知りたい。私立を選んでいる方はいるの?

私からは近々「ちよだフードコート」をはじめます、という計画について、話しました。

小学校の生活にそのリズム、あってますか?

2025/02/11

夜の睡眠時間が8時間で昼寝が1時間半だから足して9時間半。足して10時間近く寝ているから大丈夫だろう? そういうふうに考えていたらちょっと危険です。大切なのはあくまでも夜の睡眠です。子どもの夜の睡眠時間は11時間ほしい。子どもの脳は夜作られるのですが、昼寝は夜の睡眠までの補助機能、サポートです。

足して「足りている」というのでありません。でも個人差があるので、次のような様子が「ない」なら、足りているのでしょう。

すっきり自分で朝起きてきているか?午前中に自分から活発に体を動かそうとしているか?保育園に行きたくないなど理由のない登園しぶりがないか?イライラしたりすぐ癇癪を起こすようなことがないか?週末に朝寝坊していないか? もし、夜の睡眠時間が11時間前後よりも1時間以上短くて、このようなことに心当たりがあるなら、夜の睡眠を見直したいところです。

夜の睡眠時間がしっかりとれて、朝から自分でサッと目が覚めて起きてきて、朝ごはんも食べて(朝から食欲があって)、朝に排便もできて、生き生きとしているという状態。これが元気な子です。この状態を作ってあげられるかどうかは、大人が用意する環境、生活リズムに左右されます。

では具体的にどうするか?朝の起床時間を目安として6時50分にカーテンを開けて、遅くともその時間までにはおきましょう。小学校は8時10分ぐらいに学校に着いていないといけないのです。15分前に家をでるとすると7時45分〜50分ごろ。7時起床で間に合いますか?ということです。

ここからはとくに、年長さんに向けての話です。ですか、いずれすべての子どものたちに待っている生活リズムです。

保育園時代は9時半までの登園でよかったかもしれませんが、もし8時ごろに起きて9時に登園していたら、小学校生活のリズムに全くあいません。それを8時に小学校(しかも自分で歩いていく)につくように、かりに1時間ずらすのだとしたら、それは並大抵なことではありません。覚悟を決めて、朝7時前には起きていくように、1週間で10分ずつぐらいずらしてあげましょう。一度にやっても反動が大きくて、うまくいきません。6週間で1時間ずらす。これくらいでどうでしょうか。いまは2月中旬ですから、4月の入学に向けて、あと6週間。最低このタイミングから考えてあげましょう。これだけで、小学校での生活の大切な下準備になっていきます。

仮に4月から親が早く起こしてなんとか学校に到着できても、午前中の授業に気持ちが乗らない、人ととの関係がうまくとれない、前向きな気持ちになれないなどの「小さなこと」がつもり、うまくいかないことが起きやすくなってしまいます。午前中に体を活性化させるのはホルモンのセレトニンです、これがよく出るようにするには朝日をちゃんと浴びて、顔に光をあてること(だから朝やはくのラジオ体操なんて最高!)、必須アミノ酸の入った朝ごはんもちゃんと食べること。それが後で眠りを誘うメラトニンをつくることにつながっていく。

朝7時までに起きて、朝日を浴びて、午前中10時〜12時が1日のゴールテンタイムですから、ここで外遊びをいっぱいやって、昼食後にいったん休憩ないしお昼寝を個人差に合わせてとって(また夕方4時以降の午睡はしない)、おやつをたべて、また遊びに熱中する。

夜8時〜朝7時の11時間。これを難しくしているのは夕方の過ごし方。夕方は夕食以降はテレビを消す。タブレットは覚醒と依存の効果が高いので遠ざける。ブルーライトが子どもの睡眠を妨げるからです。

夕食は満腹を目指して簡素に。大事なのは子どもの話をじっくり聞いてあげる時間をつくること。睡眠先進国の北欧はこれをとくに大事にしているそうです。触れ合いの時間。ここにオキシトシンも役立ってくる。親が忙しいと子どもは落ち着かない。ダウンライトにしてテレビもタブレットもしまって、のんびりとダラダラ10分ぐらい過ごす時間をとる。最初ははしゃぐでしょうが、リズムができるようになると、自ずとあくびが出て眠くなっていくものです。親子で「あ〜幸せ〜」という感じになっていくように。ゴリラの親子がやっているような。私たちの身体は霊長類でできているから。

保育園での様子は保育ドキュメンテーションでお伝えしていますが、そのときのことを「〜したみたいだね」と子どもが思い出すような話題をすると、その話をしだすかもしれません。また保護者の方でも、こんなことがあったのよ、と失敗談とか、おかしかったエピソードとか子どもには受ける、心がほころぶでしょう。

この睡眠講座は毎月開いています。

次回は3月8日(土)にzoomで開催します。

お申し込みは以下からどうぞ。

https://docs.google.com/forms/d/1pCFRbxlgZRvs4wUvuMKpr4WotF-V5otQUwM3ptf4_tc/edit

 

ちゃんと学ぶこと

2025/02/10

すべての保育者に向けて。

大人でも自分の可能性が開かれたと感じる時、大きな喜びを感じます。それは、何事にも代えがたい気づきであり、学びです。そうだったのか!とわかったり納得できたりする事は、自分が生きていく方向性を見出した喜びです。同じような感慨を人類の先達たちは、何度も繰り返し、述べています。

北大路書房から刊行され始めた「主体としての子どもが育つ」シリーズの『保育内容「人間関係」』の終章に無藤隆先生の解説が出ています。子どもの主体的活動ということの本質的な意味がよくわかります。多くの人に、ぜひ皆さんに読んでほしいと思いました。特に見守る保育を大切にしている人たちに、ここに書いてあることを改めてスタート地点として、これまでのパースペクティブを整理し直すと、保育や教育がどの方向に進むべきかが見えてくるような気がします。

「教えること」の再発見と言う視点をもう一度じっくりと考え直す必要があると思いました。

無藤先生ありがとうございます。

保護者と一緒に「子どもの権利条約」の理解を深める

2025/02/09

新宿・高田馬場にある当園の姉妹園「新宿せいが子ども園」は2007年の開園当初、学童が併設されていたのですが、その卒園児保護者らで作られたコミュニティ「落四小学区域の学童クラブと地域の子どもたちを考える会」(代表・渡辺仁子)が9日(日)午前、同園で「子どもの権利条約って何だろう?」と題するイベントを開きました。会場には20人ほど、オンラインでの参加者が高校生や学校の先生方も含めて100人ほどになりました。

この「考える会」は同園が待機児童解消のために定員を1・5倍に増やした際に、学童が地域に移管され、その後この会が発足して、地域を巻き込んだ活動をしてきました。今回のイベントは7回目になります。

参加申し込み時にとったアンケートによると「子どもの権利」に関するは「優しい教育を受けられる権利」「子どもが子どもとして生きるうえで尊重されるべき必要な権利」「子どもがもつ当たり前の権利」「家庭での子どもの権利のあり方は、とても深刻な課題であると感じる」・・など。最初に司会から紹介されました。

最初に、同こども園の園長で、社会福祉法人省我会の理事長でもある藤森平司園長が、40分ほど話しました。内容はOECDなどの調査結果を紹介しながら、日本の若者の「生きる力」が本当に育っているのか? 主体的に学ぶ力、学ぶことが楽しいから学んでいるという姿になっているのか?といった話でした。

この話を聞きながら、その頃のことを思い出しました。1989年(平成元年)に国連が採択し、その後日本が1994年(平成6年)に批准するのですが、これをうけて平成11年改定の保育所保育指針の第1章総則に「乳幼児の最善の利益」(the best interests of the child)という言葉が冒頭に登場します。日本の批准から昨年は30周年でした。

この間、その理解は<深化>し続けているように感じます。現在は子ども主体の保育といえば、GTでは<子どもの発達にあった選択や参画、自己決定>などがキーワードの一つです。自分に関係することに自分らしくコミットメントできる環境を、子どもにとってどう可視化するか、また同時に、そこで生じる遊びや学び、探究など、ものや他者との間との相互作用や創発する子どもの姿をどう深めていくか、ということと関係していきます。

私たちは慣れ親しんでいる「子どもの最善の利益」。子どもの意向や考え(view)を尊重するということは、実際の保育の姿として深め続けられていると言っていいでしょう。たとえば象徴的な姿をあげるなら、赤ちゃんの鼻水を拭いてあげる時も、今はちゃんと声をかけて同意をえてから拭いてあげるように変わっています。虐待や不適切保育などは論外ですが、いまだに続いていることから目を背けることもできません。

続いて中山利彦副園長は、子どもの権利条約が成立してきた歴史的過程を簡単に振り返りつつ、条約の特徴を説明しました。また4コマ漫画でわかりやすい本『保育に活かす子ども権利条約』も紹介されました。この本は日本保育学会でも推薦されました。続いて元ソニー開発マネージャーで富士大学教授の鬼木一直教授が、主体的な子どもを育てる育児のポイントを解説しました。

その後、グループに分かれて10分ほど意見交換。「学校の決まりやルールが受け身になってしまい、保育園のときのように、自分のこととして、親子で話し合ったり、考えてかかわる感じになれないのはどうしてだろう?そういうことを話し合う機会もなくなってしまったように感じる」(卒園児の母親)など、いろいろな話題がでて、話し合ったことを共有しました。最後に質疑応答のあと地域からの報告がありました。地域からの事例としては「子どもが笑顔になるサポート」がいくつか紹介されました。2時間のなかにギュッと内容の詰まった学びの時間でした。

「一緒に食べたかった」という気持ちに気づく保育者の「集団的敏感性」

2025/02/06

6日の午後のこと。おやつはレーズン入りスコーンでした。私も入れてもらって、子どもと食べようと席に着くと、ちょっと遅れて私の前に座った4歳児クラスの子が「一緒に食べたかったあ」と怒って涙をこぼしています。そうか、ごめんね「いただきます」がちょっと早かったんだね、もうちょっとで席に着くところだったのに。

この子の気持ち、大切にしたいです。なぜ、みんながちゃんと席に着いてから「いただきます」をした方がいいのかということを、この子が教えてくれました。行儀の話でもマナーの話でもなく、まさに「みんなと一緒に食べたかった」のです。私の園では、一人で食べる個食や孤食ではなくて「一緒に食べたら美味しい」という体験を大切にしているつもりです。よくそういう説明をしてきました。でもそれが叶わなかったから、この子は泣いて抗議しているのです。

急いで席に着こうとしている子どもの気持ちに添わない「いただきます」のタイミング。「みんな揃ったかな?」という配慮をしあうのは、このように、子どもの中には「いま行くから、みんな待ってて」の気持ちの子どももいるかもしれないと想像すること。そういう気持ちに応えるようにすること。

もし、そういうモヤモヤした気持ちが残ってしまっていることに、誰も目を向けてあげないとしたら、そこに集って共食する目的は、なんだったんだろうと反省してしまいます。

涙を流して嫌だった、と訴えている子どもの気持ちが事実としてそこにあって、それに誰も応答してあげないのは、見守っているとはいえなくなります。子どもの気持ちがスルーされないように、ちゃんと心の動きをとらえて保育をしていきたい。そういうことは多くはないのですが、もし多かったら、子どもたちの意見(View)を尊重しているとはいえないことになってしまいます。

こういうことは、ざわついた空気感に起きやすい事象だろうと考えます。大人の注意力も散漫になって、あるいは注意の向く方向があらこちらに分散してしまい、大事なことが見過ごされてしまうような時間帯。活動と活動の境目などにおきやすい。

先生が「いただきます」は始めようとする当番さんに「ちょっと待って、何々ちゃんが今、〜しようとしてるから」と注目を促すことも必要なのです。でも一方では、そんなときに、子どもが自身が「ちょっと待って、もうすぐ席に着くから」と伝えることができる子どもに育ってほしいと願ってもいるのですが。またこのような目の行き届かせ方を、保育士の「集団的敏感性」といいます。

I小学校で図工の魅力にハマる

2025/02/06

1回目の小学校訪問で「小学校行きたい!」の気持ちにギアが入っている年長すいすいさん7名。今日はもう一つのI小学校に出かけました。8時45分登園もばっちりで、これからだんだん登園時間を早くして小学校時間に合わせていきます。近隣の3つの保育園と合同で授業を参加させてもらいました。

まずは2年生の教室。ぴょんぴょんガエルを作っていました。教えてもらってすぐにマスター、やりたい!、つくりたい!という眼差して食い入ってみてました。そして帰ってきてから食後にすぐに完コピして作ってました。担任曰く「普段からいろいろ自由に作って遊んでいる経験から、あっという間に完コピして仕上げていました!」だそうです。

5年生の図工もみせてもらいました。こちらも中に入らせてもらい、板と釘と輪ゴムを使ってピンボールのような製作をお兄さん達がしていました。

「おぉ、、、これも作ってみたい。。。」いろいろな道具や素材が並んでいて、あれはなんだろう、どうやって使うんだろう?と興味津々。優しいお兄さんが使い方を教えてくれました。

以下は今日のドキュメンテーションから。

<廊下には先輩たちの焼き物の作品。 Yちゃん、お姉ちゃんの作品を見つけ嬉しそうでした♪>

<図書コーナーも案内してもらいました。 魅力的な本がいっぱいで、しばらく座り込んで読んでいました。図書の先生曰く、せいがの子達はみんな本が好きだっておっしゃっていました^^>

ちょうどその時、卒園児の5年生NUくんが友達に「保育園の時に園長ライオンにもエルマーとかいろんな本も読んでもらっていた」と説明。彼も熱心に聞き入っていたことを思い出しました。

<見学の後は、アイグラン、ほっぺるランドのお友達たちと一緒に和泉公園で遊びました。 まずは3園のみんなで何をするかのプチ会議。 最初は鬼ごっこ!少しずつ打ち解けていきます。>

<「お友達出来たよ♪」嬉しい言葉を子ども達から聞きながら、ご飯を食べに保育園に帰りました^^>

小学校で一緒になる年長さん同士、名前も覚えあって、いい交流になりました。

 

 

社会の変化を見通した成長のあり方とは?

2025/02/05

園だより2月号「巻頭言」より

 毎年この時期になると「子どもの育ちと自らの保育」を振り返るのですが、そのための数ヶ月ごとの記録がある種の「物語」が浮き出てくるのが面白いのです。その集大成となるのが当園の場合は「成長展」と呼んでいる行事になるのですが、数ヶ月ごとに定点観測のように録ってきたエピソードや子どもの作品を追っていくと、一人一人の変化を発見できます。この行事はその変化のプロセス(成長)を家族と先生と一緒に喜び合いたいという趣旨になります。

 この成長の物語が、彼らが大人になった時の時代に花咲く物語であるのかどうか? それに相応しい経験の物語になっているのかどうか? すでに、彼ら彼女らをその待ち受けている社会の(一部?あるいは、大部分?)変化は加速度的に速くなっており、どうなるのか不確かで、複雑で、しかも物事の意味や帰結があいまいになり、明確な意思決定を行うのが難しいと感じる時代です。昨今の話題はそれを物語っているようにみえてきます。

 OECDの「教育とスキルの未来2030年」まであと5年です。大学共通テストをChatGPTが91%(昨年は66%)正解する時代です。遠藤熊本市教育長の「AIを使えば簡単に解ける問題を自力で解けるようになるために小中高12年間を勉強する必要があるのか?」という問いは、冗談ではなく、真剣に考え抜く必要があるでしょう。

きっと社会の変化の流れを感じ取り「学習者が継続的に思考を改善したり、意図的かつ責任のある形で行動できるような反復的な学習プロセス(AAR)」が、どうしても不可欠になってきように見えます。これは大人も同じでしょう。世間の騒動をみてもそう思います。それをやっていないと、こうなると言うような。あと5年。その頃から始まる学習指導要領を今から決めなければならないのですが、たしかに「10年サイクルでは遅すぎる」という話が出てもおかしくないだろうなあ、と思います。

それでも、いまの要領や指針が大事にしていることが、将来も通用することが多くあるはずであって、それがまだまだ実現されていない、という側面を忘れてはならないでしょう。要領や指針は深い理解(あるいは深読みも?)がきっと大事なのでしょう。

社会の中で育つ人間は、その経験を社会でします。それはAIでは経験できません。保育園はAIができることを包摂する身体的で社会的な空間である、といえるのではないでしょうか。ちょっと、おこがましいかもしれませんが、その空間創造の延長線上に学校のあり方も変わっていく必要がある気がします。

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