MENU CLOSE
TEL

園長の日記

千代田区要保護児童対策地域協議会

2023/02/16

今日は午後から区役所で会議がありました。この会議は基本的にはどの自治体も開いているもので、「要保護児童対策地域協議会」といいます。ちょっと厳しいかもしれない、上から目線の名称ですが、要保護とは「保護が必要な」という意味で、家庭での養育だけでは子どもの人権が守られないという場合を想定しています。つまり虐待から子どもを守るための仕組みです。児童虐待は親権を制限してでも、社会的に防ぐ必要があるという考えです。

会議の主催は千代田区児童・家庭支援センター(児家セン)ですが、参加は東京都、警視庁、千代田区のほか、私たちのような保育施設、公立学校、子育てに関わる民生部門の各団体から、総勢90名近い実務者が集まります。区役所の保育園担当の部署ももちろんいます。都の児童相談所、千代田区の児家センから相談件数の推移などが報告されました。子どもの虐待相談件数は過去ずっと増え続けていて、令和3年度は全国でざっと21万件、人口1300万人の東京都が54,000件です。人口6万人の千代田区は900件弱。それでも過去数年間でも増えています。

約900件のうち虐待相談が300件ですから、約3割が虐待関連です。種類で見ると心理的虐待120件、ネグレクト100件、身体的虐待70件、性的虐待わずか、という割合になります。虐待は母親も父親もほぼ同じで、通報経路は児相、区、警察、学校、保健所の順に多く、意外と警察への通報が4分の1を占めることがわかります。都全体では45%が警察です。

被虐待児の年齢構成がわからないのですが、国の統計では45%が就学前の子どもたち(3歳未満が26%、3歳以上19%)で、小学生が35%となっており、その割合はあまり変わりません。要するに地域差よりも家族の形を含む構造的な問題と捉えた方がいいと、常々思ってきたのですが、対策はどうしても通報、発見、保護といった側面に傾いており、子育てのための家族や社会的親の構造への変容への手立てが、あまり具体的に議論されてない気がします。

それは要因が複数あって、一つだけが決め手にならないからでしょう。溢れ出る河口での洪水の原因を支流の山間部の保水力向上に求めなければならないような問題に似ているかもしれません。家庭の養育力の低下、みたいな議論だけが、いまだに中心になっていることが、どうなんだろうと思います。

保育園で地域の親子で過ごせるようにしたり、身近な広場を増やしたり、ファミサポの提供会員が子どもを保育園に連れてきたり、利用会員の負担を半分を援助したり、健診時に同年齢サークルの活動維持を支援する拠点を増やしたり、空きが出始めている保育園の乳児室に「0号認定」を創設して入園できたり、これから子育てを始める親向けの睡眠講座を保健所が開いたり、食事の影響も検討してみたり、ありそうでやっていない取り組みがいっぱいあるような気がするのですが。

4月の入園児の健康診断(1回目)

2023/02/15

4月に入園する子どもたちの健康診断をしました。昨日14日に第二次募集が締め切られ、いよいよ本日15日の選考会議で4月からの園児が確定します。その結果の通知はもう少し先です。最終的な人数が決まったらお知らせします。健康診断は入園する前に行う必要があり、これは全国的に同じルールのはずです。この2月と来月3月15日にも行います。

入園説明会は、やり方は園によって異なります。当園は18日(土)の午前中にリモートで行います。コロナ禍で始めた方法ですが、これからも続ける予定です。見学はほとんどの方が入園前に済み、別途、個人面談もあり、4月になってからは保護者会もあります。園に来てもらう必然性がないのでリモートのままにします。

園のしおりなど、各種書類は、入園された方には冊子や紙でお渡ししますが、すでに入園されている方はホームページからダウンロードできるようにします。児童表なども修正してもらうだけにします。できればクラウド上にアクセスしてもらい自分で書き換えられるようになるといいのですが。その方法も探っています。

マスクの着用のルールが変わる

2023/02/14

午後7時を過ぎてから、区役所からメールで国からの通知が届きました。行政からの一律のマスク着用をやめて、基本は個人の判断に委ねるという、10日にテレビ報道されていたものです。区からの文面は以下の通り。

「すでに報道等でも出ていますが、厚生労働省から東京都を通じて、マスク着用の考え方の見直し等の通知がありましたので、別添のとおり送付いたします。通知文内の内容のは、3月13日(月)より適用されることとなっております。
また学校における卒業式についても記載がありますので、参照してください。なお、保育所等におけるマスクの取扱いの詳細につきましては、追ってお示しすることとなっております。」

添付は4文書ありました。よく読みましたが、非常にわかりづらく、結局は個人の判断と園長の判断の折り合いはどう調整したらいいのか、話し合うことが大切であることが不可欠であり、その意思疎通の前提となる人と人の信頼関係が大事であることだけは、これまで同様、重要であることは確かです。

チュンちゃん、うるさいからだよね〜

2023/02/13

セキセイインコの「チュンちゃん」が、Hさん(5歳)の手からおやつを啄んでいます。私がしゃがんで一緒に見ていたら、バタバタと鳥籠の中を飛び回ります。どうしたのかな?と私が呟くと「うるさいからだよね」と、隣にいたお友だちのMさん(5歳9ヶ月)に語りかけます。二人は毎日のように、餌をあげたり、水をくみかえてあげたり、鳥の世話をよくしています。チュンちゃんは周りがうるさいのがイヤでバタバタと飛ぶのだと考えています。きっと、そうだよね〜と、お友だちとその考えを共有しているようです。

また年長のグループはお別れ遠足でどこにいくのか、話し合っています。今朝もかなり長い時間、目的地と移動手段を考えていました。候補は前日のいちご狩りの後に寄ったグリーンパーク、水族館、木場公園などの候補が挙がっていたそうで、そこへの移動手段もバスで行くか、電車で行くか、いろんな意見や考えが交わされていました。

ところで、「考える力」とは、どういうことを指すのだろうと、それこそ考えます。私は言葉を使った仕事をしてきたので、言葉は道具のようなものなのですが、もし言葉がなかったら考えること自体が無理だろうと考えていました。しかし、保育の仕事を始めるようになって、考えるということが、言葉もさることながら、領域「環境」の視点で捉えることが大切だったり、そのそも言葉の獲得には「人間関係」の中で伝えたり、わかりたいという「ことばの前のことば」の過程を抜きに考えられないことなどを知るようになって、ますます、考えるとは?ということを考えるようになっています。

さらに、赤ちゃんが好きな人がいることが、接触を求めることになり、意思疎通の感情と動機を産んでいるとも言えます。ヒューマンコンタクトが、考えることの駆動装置のようでさえあります。また、聞く力の土台となる聴覚機能や、話す力の土台となる構音機能を持っていなくても、手話のように映像的に考えることができる人も現にいます。その時の思考にはどんな差が生じるのだろうと想像してしまいます。語彙の差が生む思考の差はあるはずです。関わりが先にあって、色々なことがそこから始まっていく。領域というよりも関わりの視点から乳児が考えていることも捉えるようにすることも学びました。

二人の小鳥の観察とお世話から気づいたことが、「うるさいと飛び回る」という原因と結果で語らえていると見るなら「ほう、よく気づいたね=考えたね」と私は言いたくなります。子どもたちの思考力という言い方をするなら、そのようなものも深まってきています。ものの性質や特徴に気づき、というのは、考えることと同じく認知の一部であり「わかる」と言っていいのでしょう。不正確だったり未熟だったりしますから、芽生えとして、でしょうけれども。

そして「気づく」ということの大事さに「気づき」ます。私たちは何かに気づかないでも生きているし、考えることはできてしまうのですが、もしあることに気づいていたら、そうは考えていなかった、それは選択しなかったと考え直すことがあります。つまり知識の有無は明らかに、思考と行動に影響を与えます。それは小さい子どもでもあるでしょう。

ここからは、全く余談ですが、さらに「自由」との関係で考えると、私は自由に考えていたことにはならないと気づきます。どこまでが自分が自由にやっているといえるのか、わからないことに気づくのです。それぐらい、自由に生きるということは、簡単なことに思えなくなります。自由だと考えている、その背景の因果関係をとり出すことは不可能に近いほど、思考を生み出す背景にあるものは、まるで地下茎的に広がっている根のように、何がどう関わって「縁(えにし)」を作ってきたのかは、ほぼ不可能だからです。樹木の枝分かれのように追いかけることはできず、どのような線もひける複雑系の中に自由は放り出されているようなものだと思えてきます。

その過程に「考える」という現象が起きているようにも見えます。あたかも自分の意思で始めたかのように錯覚しているのかもしれません。例えば自分の思考の記憶を辿っていっても、2歳前後の記憶までしか再生できず、それ以前の記憶は忘却の彼方に見えなくなっていくのですから、思考の始まりも見つけることはできません。

かなり話が脱線しましたが、このように色々なこととの相互関係の変化そのものが、気づきや考えに影響を与えていることがあると気づくと、その差を突き止めたくなり、生態学的なものの考え方を学びながら、発達に引きつけていくための考え方を探るようになっていきます。そこに保育の認識学のようなものを引き寄せたくなるのですが、そこまで遡ってみると、大きな要因になっていそうなのは、身近なもの、そして人との出会い。人間関係の中での「自己」の引き受け方のスタイルや美学なのかもしれないと、また私の思考も拡散してしまいます。

またしても、そこにも形と方法が先にあって、そこに自分の居心地を探していく。そこで感情も合わさって溢れ出てくるものの一つが思考なのかもしれません。自由の概念もそうした動向とは切り離せない気がします。

ですから私にとって自分に静かに向かい合う時間をもつことは、とても大事なもののように感じてきました。でも子育て中は、忙しくて、それができにくいものでした。今でも忙しすぎるのですが。これは勝手な思いつきでしかありませんが、自分のことを振り返ると、せめて親になる前に、物事を考えるという営みが自分作りに欠かせず、それに気づいた子どもたちがじっくりとそれを考える時間を持てるようにしてあげたい。その子どもにとって必要な関係、発達のシステムを整えてあげるという意味で。さらに子育て中の大人にも、たっぷりとそうした時間は必要です。

 

桜島にも渡る

2023/02/12

往還型の学びが必要となるのは、どうしてなのでしょうか? なぜ往ったり還ってたりすることが学びになるのでしょうか。それは、行き先に行くだけの意味があるからでしょう。どこにでも行けばいいということではなく、なぜ「そこ」なのかというと、その人にとっての学びに値する「知」があるからなのでしょう。同じように、子どもが保育園や学校に行くのは、そこに必要な「知」があるからです。

職員にとって、わざわざ出かけるのは、そこにしかないものがあるからで、私が実際に鹿児島へ出かけてみて、確かにそこにしかなかったものは、まさしくそこの人々であり、実践であり、風土であり、自然でした。そこでしか出会えないもの、食べられないもの、味わえないものがあって、それを訪ねては体験してきました。

私はタクシーに乗ったら、必ず運転手さんに、その土地で人気の食べ物や場所を聞きます。観光ガイドとは違った、通のもの、地元の目線でのものを教えてもらえます。そこにこれまで息づいてきただけの価値、大切にされてきただけの価値を発見したいからです。

記念講演で肥後さんは「鹿児島には、Kで始まるものがたくさんあります。黒豚、かるかん、黒糖酒、きびなご、かつお、鰹節、カレー・・Sで始まるものも多いのです。さつまあげ、焼酎、水産加工品、桜島、せこどん・・」と。確かにそうでした。

私たちには珍しいものでも、地元の人にとっては日常品であり、当たり前のようにそこにあるものでしょう。そう考えると逆に、東京のこの地元にも、価値あるものがあって、全国あるいは世界中からそれを発見しに来ているのだと思うと、その価値をしっかりと見極めておきたいという気持ちになります。

桜島にも渡ってみました。日本神話に登場する女神木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)から、その名前になったと言われる桜島ですが、15分おきに行き来するフェリーはたったの大人200円。日常的な交通手段でした。船内のかけうどんは500円です。お土産に「肉味噌」と「かるかん」「西郷せんべい」を買いました。

ギビングツリー 第1回全国実践研究大会in鹿児島(2日目)胸を打つ熱心な取り組み 第1回全国実践研究大会in鹿児島(2日目)

2023/02/11

鹿児島での往還型教育の二日目は、保育実践に学ぶこと。「藤森メソッド」と呼ばれるようになってきた子ども主体の保育、環境を通した保育、子どもの大人も共に学ぶ保育の実践が、西日本各地から7つ紹介されました。どれも参考にしたいものばかりでした。何よりも、何かがすぐにうまくいった、というものではなく、紆余曲折があり、困難な課題にぶつかりながらも粘り強く成し遂げていった実践、またその途中であるというものばかりで、それが返って胸を打つのです。藤森代表も、一つひとつの報告に「いい実践ばかりで、ほんと、感動するね」と話されていました。

タイトルだけ紹介します。

(1)「幼稚園だって見守る保育!」にのみや認定こども園(栃木県)

(2)「めざせ!オープン保育〜過疎地の保育園の取り組み〜」生見保育園(鹿児島県)

(3)「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」認定こども園ひばり保育園(宮崎県)

(4)「成長展に取り組む中で見えてきたもの」観音寺中部こども園(香川県)

(5)「対話」すずらん保育園(長野県)

(6)「日常の保育の中で育つ非認知的能力」昭徳こども園(長崎県)

(7)「STEMってなんだろう〜夏の水_冬の氷プロジェクト〜」もりやまこども園(長崎県)

ギビングツリー 第1回全国実践研究大会in鹿児島(初日)郷中教育に学ぶ 

2023/02/10

最近、往還型の研修という言葉をよく聞くようになりました。出かけた先で学び、それを現場の実践に活かす。その結果を踏まえて考え直し、新たに学び直しに出かける。行ったり来たり。往還です。出かける先が研修会だったり、学校であったりとさまざま。

今日から明日までの二日間。私は鹿児島市に出かけて、保育環境研究所ギビングツリー(藤森平司代表)の地域団体「鹿児島GT」が主催した第1回全国実践研究大会に参加しています。全国各地から約190名が集まり、初日の今日は午前中に鹿児島市内のこども園を見学し、午後は藤森代表の基調講演と記念講演がありました。いろんなことを学びましたが、活かしたいと思ったのは、当園の保育の表現の工夫です。それを「郷中(ごじゅう)教育」から学びました。

記念講演は、維新ふるさと館の特別顧問で歴史解説員の肥後秀昭さん。薩摩藩で生まれた青少年教育として有名な「郷中教育」について、詳しく解説していただいたのです。この青少年教育は主に武士の子どもが対象ですが、学問、武術や心の鍛錬がなされています。郷中の「郷」とは、薩摩藩の地域を小単位に分けたいわば町内会のようなもの。

郷中教育で、面白いのは先生という立場の人はいなくて、先輩後輩のように上のものが下を教えます。当時、元服は15歳ですから、6歳からそれまでを稚児(ちご)、元服後から24歳までを二才(にせ)、それ以上の若者は長老(おせ)と呼んでいました。長老でも卒業というものがありません。その理念や方法のエッセンスを、1545年(天文14年)に島津日新斎忠良の記したと言われる「薩摩(日新公)いろは歌」から知ることができます。その「いろは」の「い」つまり第一首はこうです。

第1首:い「いにしえの 道を聞きても 唱えてもわが行ひにせずば甲斐なし」
(訳1)昔の賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけで、実行しなければ役に立たない。実践実行がもっとも大事である。

(訳2)古来から言われてきたどんな素晴らしい教えも、自分で実践しなければ何もならない。

これは往還型の研修そのものですね。あるいは薩摩藩流のデューイです。

郷中教育は薩摩藩が定めたものではなく、郷ごとに独自に展開されました。個人も集団もその自主性が重んじられたのです。今の学校教育や社員育成に通じる重要なエッセンスが詰まった「いろは歌」になっています。

マスクの弊害から考える人権

2023/02/09

ある職員が診断書を持ってきました。ある症状があってその原因が長い間、マスクを着用していたことが疑われるという内容でした。症状名は控えますが、マスクがそんなことまで影響があるかと、私も驚きました。長期にわたるコロナ禍は、様々な弊害をもたらし続けています。いろいろな裁判も引き起こされています。因果関係を解明することは難しくても、相関関係があることを前提にしながら、公の意思決定の権限に関わる立場の人は、当事者しか分かり得ない事実は公表し、対応を改善していくことはできます。私たち一市民も「もしかしたらそうかも」ということはできるだけ避けたり、少しでもリスクの低い方を選択したりすることはできます。ただ、そのための正確な情報は欲しい。その情報を得ることが難しい時代になってしまいました。

そして、もう一つ。意外な結果や予想外の影響を被る人々が広く、身近に存在するかもしれないという想像力が、私たち一人ひとりに求めれている気がします。いわば、その人にとっての「痛み」への想像力です。エビデンスがないから、「ない」ことになってしまいがちなことへの危機感。でも本人とって、それは守られるべき人権でもあります。お互いにそれを想像しながら「ある」ことを認め、守り、発揮できるように工夫し合う。これが最も大切な時代に入っている気がします。経験から想像できる力です。未来への可能性。未来の歴史への眼差しです。

麩でできたラスク

2023/02/08

美味しい!これ、どうやって作ったんだろう?

保育園のメニューには、ときどき珍しいものが登場します。

今日のおやつの「ラスク」は、麩でできていました。

バターで炒めてオーブンで焼くのです。

カリッとした香ばしい味わいでした。

くつろいで絵本を楽しむ

2023/02/07

保育園の生活には「くつろぐ場所」があります。家庭の中のリビングにあるソファーを想像していただけば、わかりやすいでしょうか。畳の部屋でもいいのですが、ごろごろできるような所です。ワンルームならベッドや椅子でしょうか。リラックスできる場所や空間です。そばにはぬいぐるみやクッションなども置いておきます。

実際に視察したドイツでもオーストリアでも、シンガポールやマレーシアにも保育室には、そうした部屋や空間がありました。海外の有名な保育家具、例えばスウェーデンのHAGSのカタログなどにも、そうした空間を想定した家具が作られていることがわかります。ミュンヘン市の幼稚園を視察した時も、厚さ30センチぐらいあるクッション性の高い大きなマットが敷かれていました。

また、絵本の棚の隣は、机と椅子ではなく、カーペットが敷かれていることが多いのにも驚きました。ごろごろ寝転がってみるというスタイルもアリなのです。ごろごろするのは体幹のためにもいい、という考えをはっきりと持っていると、その幼稚園の園長は説明していました。

top