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園長の日記

子どもから学びたい「寄り添い方」

2023/02/06

0歳児クラスの担任のブログに、このような子どもの関わりの報告があると、どうしても紹介したくなります。このエピソードのタイトルは「寄り添う」です。子どもを子ども扱いしてはならないのです。本当に子どもから学ぶことが多いと思います。

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ふたりで仲良くおままごとをしていたかと思ったら、取り合いっこになり、ケンカしていた Mちゃん と Sちゃん(二人とも2歳2ヶ月)。
どうやら、最初はなんとなくふたりで一緒に使っていた食器を、途中からMちゃんが全部使いたくなってしまったみたいです。ぐんぐんさん(1歳児クラス)たちにはよくあることですね。

そんなことがあって、Sちゃんが、ソファの上で泣いていると…お手伝いに来てくれていたわいわい組(3歳児クラス)Rちゃんが Sちゃんのもとへやってきて、Sちゃんに「どうしたの?」と聞き取ります。そして、そのあと、Mちゃんの話も聞きとります。

ちゃんと、お互いの話を聞いてくれる姿もさすがですね。
「ふたりとも、全部(のお皿とコップが)欲しいんだって」と、ちょっと困りつつも、またSちゃんをうしろからキュッと抱きしめて、寄り添ってあげるRちゃんです。

Rちゃんがそばに来て話を聞いてくれて、いつのまにか涙もひっこんでいた Sちゃん。

そして、ときどきMちゃんのことも気にしつつ、「Mちゃん、Sちゃんが使ってるの、じゃまするの、だめだよ。」とやさしい口調で伝えてくれています。

でも、Mちゃんから取り上げようとしたり、無理に返させようとしたりはしません。ときどき声はかけつつも、Mちゃんの姿も大切にしてくれるRちゃんです。

(Mちゃんも、いろんなお皿を使って、大人にお料理をふるまってくれたかったようです。)

ケンカしていたぐんぐんさんをやさしく包み込んでくれる、Rちゃんのなんとも言えない距離感が、あたたかくて、感動したのでした。

取り合いっこになったとき、欲しい玩具を取り返して解決するのは簡単です。でも、それ以上に、自分の気持ちに寄り添ってくれるひとがいること、なんとか解決しようと間を取り持ってくれる人がいること・・・そして、そうした姿を近くで感じながら、ぶつかったときに どう折り合いをつけたら良いか学んでいくこと・・・子どもたちにとって、どちらが価値のある体験だろうと考えると、やっぱり後者なのではないかな〜と思います。

大人はつい、「誰が使ってたの?」とか「返してあげよう」などと、解決を急いでしまいたくなるところかもしれないですが、そんなことは、子ども自身がきっといちばんよく分かっているはずです。そんなときに、どんな関わりをしてあげるか・・・Rちゃんの姿から学ぶべきことがたくさんありそうだなぁ と感じたのでした。

さて、そんな Mちゃん と Sちゃん は、日中も、佐久間公園で ふたり仲良くお店屋さんごっこを繰り広げていました。

ベンチに、木の実や石、木片…いろんなアイテムが並んでいます。まるで宝もののようですが、これは「パン」だったそうです。
となりでは、AくんやSちゃんもお店を開いていました。

 

(↑このあと、どんどん種類が増えていました。)

 

ほかのお友だちも、追いかけっこに…

すべり台に…

お砂場遊びに…

 

ああブルジット・ジョブよ!

2023/02/04

2月1日(水)から今日4日(土)までの4日間は、考えることが多くて時間が足りない状態でした。その日のことを振り返る間も無く翌日がきてしまう。日記を書く時間もない。ちょっと昔のパソコンで、アプリをたり上げすぎるとすぐにフリーズしていましたが、例えるなら、あれです。私の頭の中の短期記憶を司るテーブルの上にいくつものファイルが並んでいるのですが、どれも一時保存しながら、次々と飛び込んでくる課題に立ち向かっている感じでした。テーブルの上の書類は大事かつ急ぐ、大事だが急がない、どうでもいいけど急ぐに分けます。急がないどうでもいいやつは即ゴミ箱へ。

でも、今となって、今週を冷静に振り返ると、「大事だけど急ぐ」は案外できていません。そう簡単に解決できないものが、大事なことだから。職員のこと、労務管理のこと、収支バランスのこと。中長期の課題ばかり。それなのに、どうでもいいのに急ぐことが結構多い。特に国や自治体からの調査や、僅かばかりの補助金申請にかかる煩雑な手続きの数々。年度末に向かうこの時期、いわゆるブルジット・ジョブです。全くの偶然ですが、2020年2月1日に、こんなことを書いています。ちょうど2年前です。

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◆増え続ける煩雑な手続きが人間性を麻痺させる

保育の仕事をしていると、子どもの心の健康を考えることが多いのですが、この日記で以前、人類学者のデヴィッド・グレーバーの著書『官僚制のユートピア』を紹介したことがあります。この本のタイトルはもちろん皮肉です。官僚制賛美の本ではなく、現代社会の特徴として、ペーパーワーク的な仕事が増え、人間としてのシンプルな生活に専念できないというジレンマがなぜ生まれるのかを探求しているのです。人間の内面にまで官僚制が侵食してきていることに警鐘を鳴らしている本です。私はこの本を読んでいると、現代の社会がいかに心の健康に良くないかということに気づかされます。

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この日記で以前、というのは2019年6月19日でした。当時と今は、どちらの方が「ブルジット・ジョブ」が増えているか、それは明白です。その後もずっと、コロナが続いていますから、大事な仕事も増えているのです。急がないけど大事、というものがあって、実は私が本当にやりたいのは、ほとんどがこっちです。やっと今夜はそれができそう。(遡って、楽しかったいちご狩りのことは書くかもしれません)

 

川口の温室でいちご狩り

2023/02/03

年長組の子どもたちと一緒に、いちご狩りを楽しんできました。場所は川口市の郊外。高速道路のインターチェンジを降りて、ほど近い場所。クラスブログにも書いてあるように、ここで育てられている品種は5種類。

その味を食べ比べながら、お腹いっぱいになるまで食べていいというのだから贅沢な体験になった。

今日は寒かった。いちご農園は、大きなプレバブの温室で、中に入ると暖かい。

いちごの美味しい見分け方を教えてもらった。とにかく全体が赤くなっていること。葉っぱのついている根元あたりまで、しっかり赤くなっているものがいい。大小は関係ない。

いびつな形になっているものも甘いらしい。凹んで堆積が減っている分だけ糖分が密になるという理屈らしい。

形が歪になるのは蜂が花粉を集める時に、花を強く押してしまうから。形の悪いものは規格外あつかいで農協のルートに乗らなくなってしまうが、味はいいというから、もったいない話だ。

温室の中を数匹の蜂が飛んでいるが、この昆虫の協力がなければ、いちごの実がならないというのだから、やっぱり花と昆虫の共生進化は面白い。

「温度と湿度、そして二酸化酸素の濃度を測定しながら、一定のレベルを保っているんです」と、百葉箱のような機械ボックスを見せてくれた。「世の中の温暖化対策に逆行するようですが、この中では二酸化炭素が大事なんです」と。

市のホームページによると、人口58万人の川口市は「明治末期には鋳物工場が150 軒ほどになり、荒川や芝川の舟運を利用して原料や製品運搬が行われました。その後、川口町駅や新荒川大橋ができると鋳物産業を中心に飛躍的発展をとげ、「鋳物の街川口」の名は全国に知られるようになりました。」とある。かつての「キューポラのある町」は今、キューポラ(鋳物用溶解炉)の代わりに、高層ビル住宅がひしめく。

何かを選ぶという経験とその結果

2023/02/02

「段ボール、ください」。ーー最近、毎日のように事務室にやってきます。幼児たちが制作で使うのです。保育園は宅配で届くものが多くて、段ボールはたくさんあります。保育室から離れて他の場所へ移動するとき、子どもたちは、手作りの「スイカ」カードを持ってきます。それを持っていたら「クラスの先生の承諾済み」の証明になります。園の中を自由に移動できるフリーパスのような役割を果たしています。3階建ての保育園は、幼児はふだん3階が拠点になっており、2階にある2歳児室やダイニング、1階の乳児室で過ごすこともあります。あらかじめ決まっている毎日のデイリープログラムの一環なら何もいらないのですが、ちょっとした「やりたいこと」があると、そばにいる先生に伝えてカードをもらい、個別にやってくるのです。

段ボールは大小さまざまなものがあるので、大きさがわかるように、広げてあげます。「大きいの、小さいの、中くらいの、どれがいい?」と聞きます。すると、自分が必要とする大きさのものを選び、満足そうにして持っていきます。なぜ、その大きさのものを選んだのか、よくわかりませんが、とにかく選択肢を用意してあげることを大切にしています。自分で何かを決めて、行動すること。その結果と自分の選択は、つながった経験として体験されるだろうからです。体験がつながって、一連の経験になっていく。どっちの言い回しがいいのかわかりませんが、そういうことです。

ゆうゆうサポートの講習会

2023/02/01

私が関わっているNPOは2つあります。いずれも八王子市時代に作った子育て支援の団体です。その一つは「ゆうゆうサポート」と言って、子どもをちょっと預かってもらいたいときに、助けてくれるサポーターを紹介します。ファミリーサポートセンターと同じ仕組みで作りました。ちょっと美容院へ行くので、学校の授業参観があるので、PTAがあるから・・・一時保育を頼むほどのこともないけど、でも小さい子どもがいると、ちょっと・・・子育てをしていると、しょっちゅう、そんなことがあります。そこで地域の子育てを助け合う互助組織が欲しかったのです。

八王子市は広くて、私がいた保育園は南大沢という駅が最寄駅だったのですが、あの辺りは、北はすぐに日野市で東は多摩市、南は町田市に隣接しています。ファミサポは八王子市民だけが対象だったので、近所なのに市民でないと使えないのです。年齢制限もあったり、食事作りはやれない、自動車での送迎も禁止でした。そこで自分達でファミサポと同じ組織を立ち上げたのです。

女性労働協会へ相談に行ったら、組織の立ち上げを手伝ってくれました。協会が発行するテキストを使って講習会を開き、それを受講したら「提供会員」になれるのです。すぐに小児科医や市の保健婦、知り合いの学校心理士などに講師を依頼して講習会を開き、子どものを預かることができるサポーターを育て、依頼があったらマッチングしてあげて、援助活動を始めたのです。かれこれ15年以上経つでしょう。今日はその講習会の講師をしてきたのです。8人ほどの受講生がいて、心の発達について説明してきました。久しぶりにエリクソンやワロンの発達論です。

赤ちゃんにどんな声をかけようか?

2023/01/31

(園だより2月号 巻頭言より)

昨日30日の0歳児のクラス日誌にこんな記述がありました。

「お友達のものが気になって咄嗟に取ってしまったRくん(1歳6ヶ月)、Sくん(1歳8ヶ月)が悲しくなってみるみる泣き顔になってしまうと、そのお顔にびっくりしたのか”どーぞ”とお返ししていました。Sくんがおもちゃを受け取ると2人してぺこり。どーぞ、ありがとう、どういたしまして、のやりとりが何度も、何度も行われていて、何とも微笑ましい場面でした」・・なんとも微笑ましい、赤ちゃんの育ちですね。

この様子から、何に配慮したらいいのでしょう? 先生はこう書いています。

「お友達の表情に気がつくようになったちっちさん達(0歳児クラス)なので、相手の気持ちに気がつけるようなやりとりを意識しながら関わりをしていきたい。また、言葉を真似しようとしたり、自分なりに気づいて欲しいことをアピールしたりする姿がたくさん見られているので、子どもの日々の気持ちの変化や気づきを拾って、たくさん共感や代弁をしていきたい。」

この日誌に対して私は以下のようなコメントを書きました。

「気持ちや感情の交流が先にあって初めて、それが表象であることばに一部が置き換わっていくと考えられます。すると、その言葉で「言えるようになる」以前に子どもが相手の様子に「感じる」「気づく」にあたる過程があるはず。だから確かに「(子どもの)日々の気持ちの変化や気づきを拾って、共感や代弁して」いく事が大事になりますね。(園長より)

・・どーぞ、ありがとうの心の交流は、気持ちの調整がついた後です。私たちが期待する育ちとは、咄嗟に手が出てしまう時に「かして」と言えるようになってほしい、と思うわけです。よく私たち保育者は、そういうことを言います。手が出る前に言葉が出てほしい、といったことです。それなら、声かけとしてやるべきことは、共同注意中の言葉かけが大事なわけですから、Rちゃんが「あ、それ、やってみたい」と思った瞬間に、保育者が「Rちゃん、それ欲しいんだね」「Rちゃん、それやってみたいんだね」の声かけがあるといいのかもしれないと、思った次第です。

それを聞くことで、Rちゃんは(あれ)「ほしい」「やりたい」のことばを獲得しやすくなるかもしれません。「貸して」と言える前に「ほしい」「あれ、やる」が言えるといいのかもしれません。その上で、次に「かして」が来るはずだからです。貸して、の言葉が言えるようになることと、自己抑制の働きは相関するでしょうから、その発達が必要なわけでしょうけれど、少しでも「ことば」が役立つのなら。

ただ、そういう瞬間に保育者が気づけるのか、という問題はあるでしょう。しかし「自分なりに気づいてほしいことをアピールする姿」があるらしいので、「それほしい」を表している時間が少しあるのでしょう。そんな様子を見せているときに「あれやりたいね」「貸してもらえるかな」といった代弁や話しかけが大事なのでしょう。この先生は今年勤め始めたばかりに一年目の保育士です。よくみて、よく分析していると思います。

板橋や川越、平戸の保育園とリモートで交流

2023/01/30

園長同士がつながっていると、子どもの世界もつながりやすい。子どもたちの交流は、水平方向にも広げてあげたい。今日はWHOがコロナで緊急事態の宣言を出してちょうど丸3年だそうですが、東京・板橋区、埼玉・川越市、長崎・平戸市の3都県を跨いで4つの園の年長さんがZOOMで交流しました。

大人はリモートやSNSで、つまり電子化された「もの」を介してコミュニケーションの大半をやり取りできますが、子どもはそうはいきません。目に見えるものは、実際に手にして触っていじって操作して・・がないと、なんだか体験が実質化してこない感じがします。やったという感じが、心もとない。そこで、やっぱり、実際に歩いて、あるいはバスや電車で出かけて会いにいくのですが、それだとあまり遠くには行けないというということになります。

このコロナ禍の3年の間に、大きく変わったのはリモートでのやり取りが気軽にできるようになったことです。パソコン越しですが、遠くのお友達との対話ができるようになりました。今日やったのは、それぞれの園についてクイズで紹介したり、子どもがマイクを持って外面越しに自己紹介(名前と年齢や誕生日など)したり、何をして遊んでいるかを質問しあったり、最後はみんなが踊れるだろう曲(パプリカ)でダンスを楽しみました。

テレビやスマホ、パソコンが身近にある環境で育っているこの子たちは、スクリーンやプロジェクターにも慣れているので、そこに注意を取られることはあまりなく、スクリーンに映っている相手の子どもたちとのやり取りに集中していました。声が聞こえない時に、頭上に腕でバツを作って「聞こえない!」のジェスチャーを送ったり、「きこえますか?」と聞かれて、聞こえるときは「マル」とやっています。ギャラリーに設定しておけば、参加しているメンバーの園の様子や子どもや先生の顔が写り、自分達もそのコマの一つに並んでいます。

年長さんたちは、そこにそうやって映し出されている映像について、手を振れば手を振っている自分達の姿がそのまま写っているということを受け入れてみています。あまり驚きもしないのは、普段から園内での会議がリモートになり、先生のパソコンにフロアの異なる先生たちの会議のやり取りをそばで見ているという経験なども影響しているのかもしれません。画面越しに映像も声も映しあってやり取りしていることが、日常的になっているからです。

だとしたら、画面に今日写っている長崎県平戸市も、埼玉県川越市も、板橋区もここからの距離感というものは全くイメージできていないでしょう。私たち大人も毎日テレビ中継でウクライナのキーウからの映像もソウルのマスクを外した街角の映像も、行ったことがあるところとそうでないところとは、身近さが違います。さて、この続きはどう考えていくといいのでしょう。

子どもたちも、行ったことがある場所やあった事があるお友達、知っている場所とそうでない場所、共感を持てる間柄になっている対象とそうでない対象、あるいは自分の中に入ってくる世界になる場合とそうでない場合、・・・いったい何がその違いになっていくのだろう、どんな体験の積み重ねを計画していけばいいのだろう。外国の子どもたちと、通訳を介してでもやり取りをしてみたい。日本語ではない言葉との出会い方。それでも通じるという体験。

2年前の秋、私が田んぼに出かけて稲刈りをしている様子を実況中継したことがありました。子どもがよく知っている私を通じて、私がいわば子どもの擬似アバターのような役になるのではないかとそのときは期待してやってみたのですが、どんなだったのかはよくわかりませんでした。子どもたちの中に、どんなことが起きているのか、あるいはどんなことを起こすといいのか、考えてみたいリモートの体験です。

実験的な「お楽しみ会」に

2023/01/28

今年は実験的というかチャレンジングな「お楽しみ会」を試みてみました。3歳児以上の幼児はふだん一緒に生活しているので、そのままの生活の中から、お楽しみ会を作ってみよう。そんな発想から子どもたちが作った目標が「お父さんやお母さん、お家の人に何をしたら喜んでもらえるか、何を一緒にしたら楽しいか、考えてやってみよう」というものでした。そこでやりたいことを話し合っていくうちに、3つの活動ができ、その中でさらにやりたいことが分かれて分岐していきました。

3つの活動とは「好きな遊びを見てもらう」(3階)、「お店屋さんを開く」(1階)、「ごはんを作る」(2階)です。好きは遊びは、積み木、ままごと、制作、運動。お店屋さんは、キャンデーやたこ焼きなどの食べ物屋さんでした。

ごはんは、本物のホットケーキ、ラーメン、アイスを作りました。いずれも、それぞれの小グループが話し合いながら、役割分担して、協力して考えて創りあげてきたオリジナルなものになりました。

コロナ対策もあって、この2年間はライブ参加がなくなりました。令和2年は劇や合唱・合奏の録画上映(映画館方式)、令和3年は動画配信でしたが、今年は本来のライブ参加に戻しました。

ただ依然としてコロナ禍の感染対策規制は外れないので、2回の実施に分け、乳児は12月にそして幼児は今日、1月28日(土)に実施できました。いつ延期になってもおかしくない、綱渡りのような判断の中での、ヒヤヒヤな中でのライブ実施でした。来賓や姉妹園の交流見学も控えたままです。

くどいようですが、ノロウイルスやインフルエンザの時期でもあり、そうした感染対策も講じなければならないこともあって、3つの活動を3フロアに分散させ、さらに開始時間も少しずらして午前中に実施しました。

こんなに多くの親御さんに来てもらい、子どもたちと一緒に遊んだり、子どもが作った料理を食べてもらったりしたのは、3年ぶりというか、活動内容としては初めてになります。

しかし、中止や延期になっても平気です。そんな本音もあるのです。どういうことかというと、参加してくださった後なので正直に申し上げますが、行事は「おまけ」みたいなものなのです。今回の「お楽しみ会」の最大の苦心と、チャレンジングなことは、すでに終わっていたからです。

本当は今日の姿に至るまでの「過程」の方に、ほとんどのお伝えしたいこと、大事なことが起きていた、ということです。それはフルコースの料理に例えるなら、今日のお楽しみ会は最後のデザートでした。前菜やメインディッシュはこの1ヶ月の日々の中にありました。その様子はドキュメンテーションとして掲示してきたものになります。

そこで何が起きていたのか、何を体験してきたのか。それは、これまでの遊びや活動の中にありました。今日もその一端を色々と見せてくれたのですが、今朝は私の挨拶の中で、全米教育協会が提唱している「4つのC」の枠組みを使って説明しました。

さて、どうだったでしょうか。このような試みが来年も同じ形になるとは思っていません。子どもの言葉や表現の領域には、今回なかった物語や音楽の世界も大事なので、そうした活動の様子もお伝えしていく機会は継続していくつもりです。

 

30分の交流の大きな成果

2023/01/27

今年3月に卒園する予定の園児9名が、最も多く就学する小学校へ訪問してきました。10時からお昼休みが終わるまでの約30分。それでも「楽しかった」「面白かった」と、小学校の印象がずいぶんと明るいものに変わりました。

こういう地道な交流は基本的に積み重ねるべきなのです。先生との連携やカリキュラムの接続までの道のりは遠いのですが、それでもできるところからやれば、それだけの結果は返ってきます。

1年2組と3組の2クラスが迎えてくださいました。9人の年長児が2グループ(年長担任と私)に分かれ、2組は音楽、3組はこくごの時間(2時間目の後半15分)にお邪魔したのです。よく寝られた準備をしてくださったおかげて、園児の緊張感は解きほぐされ、小学校は思っていたのと違って楽しいところだと感じたようです。


私のグループが入った3組では、私が担任とアドリブで「保育園からきた園長先生と子どもたちです」「4月から1年生になります。よろしくお願いします」とあいさつしてスタート。3つのグループに分かれて①なまえをきく②あいさつリレー③かたつむりのゆめ・はちみつのゆめ④セブンイレブンじゃんけんーを用意してくださっていました。

あいさつリレーは輪になって、「◯◯くん、こんにちは」というと、言われた方が反対側の子に、また「◯◯さん、こんにちは」と順送りに「あいさつ」をリレーするというもの。遊び活動の中で、なまえを覚えやすくしたものです。お話はすでに覚えてしまっていて、空で読むように話してくれました。そして、「セブンイレブンじゃんけん」とはグーがZEROで、1〜5までの、好きなものを出して合計が7や11だったら「できた」というもの。

最後は席に座らせてもらって、1年生になった気分にさせてもらうと、ちょうど中休み。そのままのグループで何して青部?と話し合いが始まって、校庭へ出て鬼ごっこなどをして遊びました。一緒に生活したことのある卒園児との交流もできました。

誕生会に質問タイムがある意味

2023/01/26

これもよくある光景なのです。「はいはい」と元気よく手が挙がるのですが、実際に「◯ちゃん」と当てられると、「・・・・(沈黙)」というパターン。26日(木)に開かれた誕生会の時もありました。

毎月1回、その月の誕生児を祝うのですが、集まった園児たちが、誕生席にいる園児に質問をするのです。大抵は「どんな遊びが好きですか?」とか「好きな食べ物はなんですか?」と言った質問が出ます。質問したいと、たくさんのハイハイ!の手が挙がるのですが、本当に聞きたいことがあるからではなさそうです。とにかく、手を挙げたいのです。当てられてから質問は考えればいいとでも思っているかのように、当ててもらうために手を上げている感じです。それって、どういうことなんでしょう?みていると、はいはい、とたくさん手があっているのに、誰に当てるかを決定できる誕生児は、なかなか当てません。誰にしようかな〜と、もったいつけると言っていいくらいに、時間をかける子もいます。

「あの、質問タイムって、どう思う? パターン化してない? 毎回やる必要があるのかな?」

そう、私が主任に尋ねると、意外な答えが返ってきました。

「あれは、結構子どもに人気でやりたがるんですよ。自分で誰に当てるかを選べるので、自分の思い通りにできる感があるんです」

多くの視線が自分に集まり、注目され、最終的な決断が任されている感覚。まさしく「お姫様席」にいる実感があるんじゃないか、というのです。聴衆を取り仕切っている感覚が、自分の特別感を盛り立てているのでしょう。そういうオーラの中で、主人公であることを確かめるものとして、あの質問タイムはあるのでしょう。そういえば、なぜか、誕生児は冠を被っているのでした。王子様なのです。えっへん、我に質問があるものは、申し述べよ。今日は特別じゃ、何なりと菊が良い、というわけですか。なるほどね。

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