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園長の日記

マスクの弊害から考える人権

2023/02/09

ある職員が診断書を持ってきました。ある症状があってその原因が長い間、マスクを着用していたことが疑われるという内容でした。症状名は控えますが、マスクがそんなことまで影響があるかと、私も驚きました。長期にわたるコロナ禍は、様々な弊害をもたらし続けています。いろいろな裁判も引き起こされています。因果関係を解明することは難しくても、相関関係があることを前提にしながら、公の意思決定の権限に関わる立場の人は、当事者しか分かり得ない事実は公表し、対応を改善していくことはできます。私たち一市民も「もしかしたらそうかも」ということはできるだけ避けたり、少しでもリスクの低い方を選択したりすることはできます。ただ、そのための正確な情報は欲しい。その情報を得ることが難しい時代になってしまいました。

そして、もう一つ。意外な結果や予想外の影響を被る人々が広く、身近に存在するかもしれないという想像力が、私たち一人ひとりに求めれている気がします。いわば、その人にとっての「痛み」への想像力です。エビデンスがないから、「ない」ことになってしまいがちなことへの危機感。でも本人とって、それは守られるべき人権でもあります。お互いにそれを想像しながら「ある」ことを認め、守り、発揮できるように工夫し合う。これが最も大切な時代に入っている気がします。経験から想像できる力です。未来への可能性。未来の歴史への眼差しです。

麩でできたラスク

2023/02/08

美味しい!これ、どうやって作ったんだろう?

保育園のメニューには、ときどき珍しいものが登場します。

今日のおやつの「ラスク」は、麩でできていました。

バターで炒めてオーブンで焼くのです。

カリッとした香ばしい味わいでした。

くつろいで絵本を楽しむ

2023/02/07

保育園の生活には「くつろぐ場所」があります。家庭の中のリビングにあるソファーを想像していただけば、わかりやすいでしょうか。畳の部屋でもいいのですが、ごろごろできるような所です。ワンルームならベッドや椅子でしょうか。リラックスできる場所や空間です。そばにはぬいぐるみやクッションなども置いておきます。

実際に視察したドイツでもオーストリアでも、シンガポールやマレーシアにも保育室には、そうした部屋や空間がありました。海外の有名な保育家具、例えばスウェーデンのHAGSのカタログなどにも、そうした空間を想定した家具が作られていることがわかります。ミュンヘン市の幼稚園を視察した時も、厚さ30センチぐらいあるクッション性の高い大きなマットが敷かれていました。

また、絵本の棚の隣は、机と椅子ではなく、カーペットが敷かれていることが多いのにも驚きました。ごろごろ寝転がってみるというスタイルもアリなのです。ごろごろするのは体幹のためにもいい、という考えをはっきりと持っていると、その幼稚園の園長は説明していました。

子どもから学びたい「寄り添い方」

2023/02/06

0歳児クラスの担任のブログに、このような子どもの関わりの報告があると、どうしても紹介したくなります。このエピソードのタイトルは「寄り添う」です。子どもを子ども扱いしてはならないのです。本当に子どもから学ぶことが多いと思います。

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ふたりで仲良くおままごとをしていたかと思ったら、取り合いっこになり、ケンカしていた Mちゃん と Sちゃん(二人とも2歳2ヶ月)。
どうやら、最初はなんとなくふたりで一緒に使っていた食器を、途中からMちゃんが全部使いたくなってしまったみたいです。ぐんぐんさん(1歳児クラス)たちにはよくあることですね。

そんなことがあって、Sちゃんが、ソファの上で泣いていると…お手伝いに来てくれていたわいわい組(3歳児クラス)Rちゃんが Sちゃんのもとへやってきて、Sちゃんに「どうしたの?」と聞き取ります。そして、そのあと、Mちゃんの話も聞きとります。

ちゃんと、お互いの話を聞いてくれる姿もさすがですね。
「ふたりとも、全部(のお皿とコップが)欲しいんだって」と、ちょっと困りつつも、またSちゃんをうしろからキュッと抱きしめて、寄り添ってあげるRちゃんです。

Rちゃんがそばに来て話を聞いてくれて、いつのまにか涙もひっこんでいた Sちゃん。

そして、ときどきMちゃんのことも気にしつつ、「Mちゃん、Sちゃんが使ってるの、じゃまするの、だめだよ。」とやさしい口調で伝えてくれています。

でも、Mちゃんから取り上げようとしたり、無理に返させようとしたりはしません。ときどき声はかけつつも、Mちゃんの姿も大切にしてくれるRちゃんです。

(Mちゃんも、いろんなお皿を使って、大人にお料理をふるまってくれたかったようです。)

ケンカしていたぐんぐんさんをやさしく包み込んでくれる、Rちゃんのなんとも言えない距離感が、あたたかくて、感動したのでした。

取り合いっこになったとき、欲しい玩具を取り返して解決するのは簡単です。でも、それ以上に、自分の気持ちに寄り添ってくれるひとがいること、なんとか解決しようと間を取り持ってくれる人がいること・・・そして、そうした姿を近くで感じながら、ぶつかったときに どう折り合いをつけたら良いか学んでいくこと・・・子どもたちにとって、どちらが価値のある体験だろうと考えると、やっぱり後者なのではないかな〜と思います。

大人はつい、「誰が使ってたの?」とか「返してあげよう」などと、解決を急いでしまいたくなるところかもしれないですが、そんなことは、子ども自身がきっといちばんよく分かっているはずです。そんなときに、どんな関わりをしてあげるか・・・Rちゃんの姿から学ぶべきことがたくさんありそうだなぁ と感じたのでした。

さて、そんな Mちゃん と Sちゃん は、日中も、佐久間公園で ふたり仲良くお店屋さんごっこを繰り広げていました。

ベンチに、木の実や石、木片…いろんなアイテムが並んでいます。まるで宝もののようですが、これは「パン」だったそうです。
となりでは、AくんやSちゃんもお店を開いていました。

 

(↑このあと、どんどん種類が増えていました。)

 

ほかのお友だちも、追いかけっこに…

すべり台に…

お砂場遊びに…

 

ああブルジット・ジョブよ!

2023/02/04

2月1日(水)から今日4日(土)までの4日間は、考えることが多くて時間が足りない状態でした。その日のことを振り返る間も無く翌日がきてしまう。日記を書く時間もない。ちょっと昔のパソコンで、アプリをたり上げすぎるとすぐにフリーズしていましたが、例えるなら、あれです。私の頭の中の短期記憶を司るテーブルの上にいくつものファイルが並んでいるのですが、どれも一時保存しながら、次々と飛び込んでくる課題に立ち向かっている感じでした。テーブルの上の書類は大事かつ急ぐ、大事だが急がない、どうでもいいけど急ぐに分けます。急がないどうでもいいやつは即ゴミ箱へ。

でも、今となって、今週を冷静に振り返ると、「大事だけど急ぐ」は案外できていません。そう簡単に解決できないものが、大事なことだから。職員のこと、労務管理のこと、収支バランスのこと。中長期の課題ばかり。それなのに、どうでもいいのに急ぐことが結構多い。特に国や自治体からの調査や、僅かばかりの補助金申請にかかる煩雑な手続きの数々。年度末に向かうこの時期、いわゆるブルジット・ジョブです。全くの偶然ですが、2020年2月1日に、こんなことを書いています。ちょうど2年前です。

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◆増え続ける煩雑な手続きが人間性を麻痺させる

保育の仕事をしていると、子どもの心の健康を考えることが多いのですが、この日記で以前、人類学者のデヴィッド・グレーバーの著書『官僚制のユートピア』を紹介したことがあります。この本のタイトルはもちろん皮肉です。官僚制賛美の本ではなく、現代社会の特徴として、ペーパーワーク的な仕事が増え、人間としてのシンプルな生活に専念できないというジレンマがなぜ生まれるのかを探求しているのです。人間の内面にまで官僚制が侵食してきていることに警鐘を鳴らしている本です。私はこの本を読んでいると、現代の社会がいかに心の健康に良くないかということに気づかされます。

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この日記で以前、というのは2019年6月19日でした。当時と今は、どちらの方が「ブルジット・ジョブ」が増えているか、それは明白です。その後もずっと、コロナが続いていますから、大事な仕事も増えているのです。急がないけど大事、というものがあって、実は私が本当にやりたいのは、ほとんどがこっちです。やっと今夜はそれができそう。(遡って、楽しかったいちご狩りのことは書くかもしれません)

 

川口の温室でいちご狩り

2023/02/03

年長組の子どもたちと一緒に、いちご狩りを楽しんできました。場所は川口市の郊外。高速道路のインターチェンジを降りて、ほど近い場所。クラスブログにも書いてあるように、ここで育てられている品種は5種類。

その味を食べ比べながら、お腹いっぱいになるまで食べていいというのだから贅沢な体験になった。

今日は寒かった。いちご農園は、大きなプレバブの温室で、中に入ると暖かい。

いちごの美味しい見分け方を教えてもらった。とにかく全体が赤くなっていること。葉っぱのついている根元あたりまで、しっかり赤くなっているものがいい。大小は関係ない。

いびつな形になっているものも甘いらしい。凹んで堆積が減っている分だけ糖分が密になるという理屈らしい。

形が歪になるのは蜂が花粉を集める時に、花を強く押してしまうから。形の悪いものは規格外あつかいで農協のルートに乗らなくなってしまうが、味はいいというから、もったいない話だ。

温室の中を数匹の蜂が飛んでいるが、この昆虫の協力がなければ、いちごの実がならないというのだから、やっぱり花と昆虫の共生進化は面白い。

「温度と湿度、そして二酸化酸素の濃度を測定しながら、一定のレベルを保っているんです」と、百葉箱のような機械ボックスを見せてくれた。「世の中の温暖化対策に逆行するようですが、この中では二酸化炭素が大事なんです」と。

市のホームページによると、人口58万人の川口市は「明治末期には鋳物工場が150 軒ほどになり、荒川や芝川の舟運を利用して原料や製品運搬が行われました。その後、川口町駅や新荒川大橋ができると鋳物産業を中心に飛躍的発展をとげ、「鋳物の街川口」の名は全国に知られるようになりました。」とある。かつての「キューポラのある町」は今、キューポラ(鋳物用溶解炉)の代わりに、高層ビル住宅がひしめく。

何かを選ぶという経験とその結果

2023/02/02

「段ボール、ください」。ーー最近、毎日のように事務室にやってきます。幼児たちが制作で使うのです。保育園は宅配で届くものが多くて、段ボールはたくさんあります。保育室から離れて他の場所へ移動するとき、子どもたちは、手作りの「スイカ」カードを持ってきます。それを持っていたら「クラスの先生の承諾済み」の証明になります。園の中を自由に移動できるフリーパスのような役割を果たしています。3階建ての保育園は、幼児はふだん3階が拠点になっており、2階にある2歳児室やダイニング、1階の乳児室で過ごすこともあります。あらかじめ決まっている毎日のデイリープログラムの一環なら何もいらないのですが、ちょっとした「やりたいこと」があると、そばにいる先生に伝えてカードをもらい、個別にやってくるのです。

段ボールは大小さまざまなものがあるので、大きさがわかるように、広げてあげます。「大きいの、小さいの、中くらいの、どれがいい?」と聞きます。すると、自分が必要とする大きさのものを選び、満足そうにして持っていきます。なぜ、その大きさのものを選んだのか、よくわかりませんが、とにかく選択肢を用意してあげることを大切にしています。自分で何かを決めて、行動すること。その結果と自分の選択は、つながった経験として体験されるだろうからです。体験がつながって、一連の経験になっていく。どっちの言い回しがいいのかわかりませんが、そういうことです。

ゆうゆうサポートの講習会

2023/02/01

私が関わっているNPOは2つあります。いずれも八王子市時代に作った子育て支援の団体です。その一つは「ゆうゆうサポート」と言って、子どもをちょっと預かってもらいたいときに、助けてくれるサポーターを紹介します。ファミリーサポートセンターと同じ仕組みで作りました。ちょっと美容院へ行くので、学校の授業参観があるので、PTAがあるから・・・一時保育を頼むほどのこともないけど、でも小さい子どもがいると、ちょっと・・・子育てをしていると、しょっちゅう、そんなことがあります。そこで地域の子育てを助け合う互助組織が欲しかったのです。

八王子市は広くて、私がいた保育園は南大沢という駅が最寄駅だったのですが、あの辺りは、北はすぐに日野市で東は多摩市、南は町田市に隣接しています。ファミサポは八王子市民だけが対象だったので、近所なのに市民でないと使えないのです。年齢制限もあったり、食事作りはやれない、自動車での送迎も禁止でした。そこで自分達でファミサポと同じ組織を立ち上げたのです。

女性労働協会へ相談に行ったら、組織の立ち上げを手伝ってくれました。協会が発行するテキストを使って講習会を開き、それを受講したら「提供会員」になれるのです。すぐに小児科医や市の保健婦、知り合いの学校心理士などに講師を依頼して講習会を開き、子どものを預かることができるサポーターを育て、依頼があったらマッチングしてあげて、援助活動を始めたのです。かれこれ15年以上経つでしょう。今日はその講習会の講師をしてきたのです。8人ほどの受講生がいて、心の発達について説明してきました。久しぶりにエリクソンやワロンの発達論です。

赤ちゃんにどんな声をかけようか?

2023/01/31

(園だより2月号 巻頭言より)

昨日30日の0歳児のクラス日誌にこんな記述がありました。

「お友達のものが気になって咄嗟に取ってしまったRくん(1歳6ヶ月)、Sくん(1歳8ヶ月)が悲しくなってみるみる泣き顔になってしまうと、そのお顔にびっくりしたのか”どーぞ”とお返ししていました。Sくんがおもちゃを受け取ると2人してぺこり。どーぞ、ありがとう、どういたしまして、のやりとりが何度も、何度も行われていて、何とも微笑ましい場面でした」・・なんとも微笑ましい、赤ちゃんの育ちですね。

この様子から、何に配慮したらいいのでしょう? 先生はこう書いています。

「お友達の表情に気がつくようになったちっちさん達(0歳児クラス)なので、相手の気持ちに気がつけるようなやりとりを意識しながら関わりをしていきたい。また、言葉を真似しようとしたり、自分なりに気づいて欲しいことをアピールしたりする姿がたくさん見られているので、子どもの日々の気持ちの変化や気づきを拾って、たくさん共感や代弁をしていきたい。」

この日誌に対して私は以下のようなコメントを書きました。

「気持ちや感情の交流が先にあって初めて、それが表象であることばに一部が置き換わっていくと考えられます。すると、その言葉で「言えるようになる」以前に子どもが相手の様子に「感じる」「気づく」にあたる過程があるはず。だから確かに「(子どもの)日々の気持ちの変化や気づきを拾って、共感や代弁して」いく事が大事になりますね。(園長より)

・・どーぞ、ありがとうの心の交流は、気持ちの調整がついた後です。私たちが期待する育ちとは、咄嗟に手が出てしまう時に「かして」と言えるようになってほしい、と思うわけです。よく私たち保育者は、そういうことを言います。手が出る前に言葉が出てほしい、といったことです。それなら、声かけとしてやるべきことは、共同注意中の言葉かけが大事なわけですから、Rちゃんが「あ、それ、やってみたい」と思った瞬間に、保育者が「Rちゃん、それ欲しいんだね」「Rちゃん、それやってみたいんだね」の声かけがあるといいのかもしれないと、思った次第です。

それを聞くことで、Rちゃんは(あれ)「ほしい」「やりたい」のことばを獲得しやすくなるかもしれません。「貸して」と言える前に「ほしい」「あれ、やる」が言えるといいのかもしれません。その上で、次に「かして」が来るはずだからです。貸して、の言葉が言えるようになることと、自己抑制の働きは相関するでしょうから、その発達が必要なわけでしょうけれど、少しでも「ことば」が役立つのなら。

ただ、そういう瞬間に保育者が気づけるのか、という問題はあるでしょう。しかし「自分なりに気づいてほしいことをアピールする姿」があるらしいので、「それほしい」を表している時間が少しあるのでしょう。そんな様子を見せているときに「あれやりたいね」「貸してもらえるかな」といった代弁や話しかけが大事なのでしょう。この先生は今年勤め始めたばかりに一年目の保育士です。よくみて、よく分析していると思います。

板橋や川越、平戸の保育園とリモートで交流

2023/01/30

園長同士がつながっていると、子どもの世界もつながりやすい。子どもたちの交流は、水平方向にも広げてあげたい。今日はWHOがコロナで緊急事態の宣言を出してちょうど丸3年だそうですが、東京・板橋区、埼玉・川越市、長崎・平戸市の3都県を跨いで4つの園の年長さんがZOOMで交流しました。

大人はリモートやSNSで、つまり電子化された「もの」を介してコミュニケーションの大半をやり取りできますが、子どもはそうはいきません。目に見えるものは、実際に手にして触っていじって操作して・・がないと、なんだか体験が実質化してこない感じがします。やったという感じが、心もとない。そこで、やっぱり、実際に歩いて、あるいはバスや電車で出かけて会いにいくのですが、それだとあまり遠くには行けないというということになります。

このコロナ禍の3年の間に、大きく変わったのはリモートでのやり取りが気軽にできるようになったことです。パソコン越しですが、遠くのお友達との対話ができるようになりました。今日やったのは、それぞれの園についてクイズで紹介したり、子どもがマイクを持って外面越しに自己紹介(名前と年齢や誕生日など)したり、何をして遊んでいるかを質問しあったり、最後はみんなが踊れるだろう曲(パプリカ)でダンスを楽しみました。

テレビやスマホ、パソコンが身近にある環境で育っているこの子たちは、スクリーンやプロジェクターにも慣れているので、そこに注意を取られることはあまりなく、スクリーンに映っている相手の子どもたちとのやり取りに集中していました。声が聞こえない時に、頭上に腕でバツを作って「聞こえない!」のジェスチャーを送ったり、「きこえますか?」と聞かれて、聞こえるときは「マル」とやっています。ギャラリーに設定しておけば、参加しているメンバーの園の様子や子どもや先生の顔が写り、自分達もそのコマの一つに並んでいます。

年長さんたちは、そこにそうやって映し出されている映像について、手を振れば手を振っている自分達の姿がそのまま写っているということを受け入れてみています。あまり驚きもしないのは、普段から園内での会議がリモートになり、先生のパソコンにフロアの異なる先生たちの会議のやり取りをそばで見ているという経験なども影響しているのかもしれません。画面越しに映像も声も映しあってやり取りしていることが、日常的になっているからです。

だとしたら、画面に今日写っている長崎県平戸市も、埼玉県川越市も、板橋区もここからの距離感というものは全くイメージできていないでしょう。私たち大人も毎日テレビ中継でウクライナのキーウからの映像もソウルのマスクを外した街角の映像も、行ったことがあるところとそうでないところとは、身近さが違います。さて、この続きはどう考えていくといいのでしょう。

子どもたちも、行ったことがある場所やあった事があるお友達、知っている場所とそうでない場所、共感を持てる間柄になっている対象とそうでない対象、あるいは自分の中に入ってくる世界になる場合とそうでない場合、・・・いったい何がその違いになっていくのだろう、どんな体験の積み重ねを計画していけばいいのだろう。外国の子どもたちと、通訳を介してでもやり取りをしてみたい。日本語ではない言葉との出会い方。それでも通じるという体験。

2年前の秋、私が田んぼに出かけて稲刈りをしている様子を実況中継したことがありました。子どもがよく知っている私を通じて、私がいわば子どもの擬似アバターのような役になるのではないかとそのときは期待してやってみたのですが、どんなだったのかはよくわかりませんでした。子どもたちの中に、どんなことが起きているのか、あるいはどんなことを起こすといいのか、考えてみたいリモートの体験です。

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