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園長の日記

自己満足なおふざけは、共感されない笑い

2022/07/07

子どもたちが笑顔になるように・・・。いろんなことが、子どもの笑顔に結びつくと、私たちは幸せな気持ちになります。子どもの笑顔というのは、幸せや平和のシンボルです。この場合の笑顔は、喜びに直結しています。喜びとは、嬉しいこと、楽しいこと、美しいこと、良いことなどに接したこときに、私たちが覚える感情です。

心地よいという「快」感情は、動物も持っているわけですが、その時に笑顔と連想していることに、例外はないように思えます。ところが、その心地よい感情の中に、おかしみや面白みが混ざってくると、笑いが生じてきます。このラーフターの「笑い」は、スマイルの「笑み」とは、違います。日本語では、同じ漢字を当てるので、あまり区別がされないのですが、新生児の赤ちゃんでも「笑み」を示しますが、笑うのではありません。

「笑い」は、意味のある言葉を獲得してからの発達的な特徴のように思えます。私は認識的な喜びのくしゃみ、のように思えます。あはは、と声を出す時、「あ」や「は」は、母音の基底をなす音であり、太陽が地平線を登ってくるときに感じる、明るい開けゆく感情を伴います。

その破裂音が笑い声です。アッハハ、という音の並びが、幸せの感情の痙攣になっているのです。そうすると、子どもの笑い声は、最も素朴な幸せの自発的な発露ということにならないでしょうか? それは、きっと周りの大人からも共感される感情を伴っていて、子どもの笑顔や笑い声は、大人をほっとさせ、幸せにさせるのでしょう。

一方で、似て非なるものとしての「おふざけ」に見えてくる時、そこには認め難いものが見出されますから、決して誉められたものではなく、共感されません。自分だけが面白いと感じている自己満足な、面白さなので、その行動は「おふざけ」と呼ばれることになります。同じおかしみや面白みが笑いになっても、周囲から共感が得られないと、自己満足な喜びとして、受け入れられないものになってしまうのです。

子どものおふざけの意味

2022/07/06

人間について研究している分野はいろいろありますが、人の「お笑い」がどのように発達していくのかについて、研究したものは見たことがないので、私はいつか論文にしてみたいと考えています。

大人の世界を見渡すと、これだけ多くの「お笑い芸人」が切磋琢磨している時代は、日本の歴史には、過去ないはずです。お笑いを楽しむ人たちがたくさんいるから仕事としても成り立っているわけですが、人間が生み出す表象文化の中で、人を「笑わせること」が仕事になる社会というものも、面白いことです。不要不急の最たるもの、そう思えるようなものが、実は最も求められているものかもしれないと言うパラドックス。お笑い大盛況の社会が、子どもに影響ないはずがありません。

今日は子どもが「笑い出したら止まらない」という経験をしました。午後4時から5時までの1時間、年長のすいすい組の子どもたちと絵本を読んでいたら、いわゆる「おふざけ」が始まり、調子に乗ってしまった数人の子どもたちの歯止めが効かなくなりました。そうなったら何を言ってもダメ。こちらの制止が、あるでボケ役になっているみたいで、どんどん、突っ込まれてしまいます。なかなか絵本のお話に戻れません。

こんな時、大人はつい「いい加減、ふざけないで、ちゃんとお話を聞いて!」みたいな気持ちになりがちなのですが、これほど根強い、子どもの可笑しさへのハマり具合を目の当たりにされると、いろいろなことを考えてしまいました。

まず、この欲求は、子どもたちにとって精神衛生上、不可欠なものだろう、と思えます。これを抑え込むと、ろくなことはないだろう、ということがまずあります。私の保育経験上、子どもが繰り返しやりたがることには「必ず」発達に必要な意味があります。どうして、そんなことするの?(いうの?)という、大人には不可解な出来事があったら(「いやいや」もそう)、それには発達のために必要な何かがあるんだ、と思ってください。私たちが、それはこんな意味があるんだ、ということを理解できていないだけで、必ず意味があります。

おふざけの場合はこうなります。ここで文字にするのは、ちょっと憚れるのですが、ウン◯という言葉が大好きで、それが、ああなった、こうなったというだけで、ゲラゲラと笑いが止まりません。品のない言葉を繰り返すのは、やめてほしい、先生は嫌な気持ちになるよ、ということは伝えているのですが、そんなことでは収まりません。我慢できるか、できないかは、そこは子どもによって個人差もあるのですが、それでも、この「おかしみ」を楽しむ心理というものは、健康上、何か必要な体験のように見えて仕方がありません。

この屈託のないゲラゲラ笑いは、子どもにとっては「あり」だと思います。というのも、同じことを大人もやっているのです。落語、漫画、アニメ、バラエティ、漫才、コント、ボケ、トークショー、お笑い番組・・・番組の司会やMCはお笑い出身者ばかりです。SNSやマスコミでたくさんのエンタメを消費しているのは、私たち大人の方であって、このエンタメ性へのニーズは、子どもの時から持っているのでしょう。ただ、子どもは、お笑いのバリエーションを持っていないので「おふざけ」一辺倒になるのかもしれません。

そう考えると、1日の中に、お笑いにハマる時間があることは、精神衛生上も好ましいのではないでしょうか。ただ、それが昂じて、危険な遊びや行動に脱線しないようにしないといけません。人にパンチを繰り出したり、机の上に乗ってみたり、不適応行動につながる場合は、即刻、制止します。超えてはならない一線があることも、学んでもらう必要性があるからです。

プールの歴史

2022/07/05

「日本では夏になるとプールに入るのが当たり前のようになっているけど、どうしてなんだろうね。海外の教育施設を見ても、日本のように夏はプールというのはあまりない。これも見直した方がいいかもね」。

私は、毎年のように海外の保育視察を重ねてきていた藤森先生からこんな話を聞きならが、毎年、プール開きをしてきました。

今日は園長になって初めて、プール開きに参加できず、ギビングツリーという藤森統括園長が代表を務めている保育環境研究所主催の研修会に参加していました。

今日の研修会では夏の過ごし方などについての話題は出なかったのですが、私たちが「当たり前」と思っていることが、これからの時代には、そぐわないものになっていることが多いことに気付かされました。その内容は、また書きたいと思います。

プールについては、担任が今日のクラス日誌にその歴史について触れていますね。藤森統括園長が毎日書いている日誌「我竜塾」ブログから、夏のプールの歴史について書いているものを検索してみると、2012年7月31日の日誌に次のような記述が出てきました。

「・・・このようなプールは、昔はありませんでした。多くの子どもたちは、水遊びとして泳ぐのは近くの川や池、または海でした。学校のような、訓練の一環として泳ぎを教えるためのプールは、以前ブログでも書いた、会津藩校の日新館が日本の最古のプールで、水練場あるいは水練水馬池として残っています。池の周囲は153mもありかなりの大きさで、この藩校以外で水練場があったのは、長州藩の藩校・明倫館だけと言われています。この水練場を、日本ではプールと言いますが、このpoolは単に「水溜り」を指しています。関西では、駐車場のことをパーキングと言わずに、モータープールということが多いようですが、水泳用のプールのことはswimming poolと呼ぶのが正式だそうです。・・・」

日新館は私も訪ねたことがあります。幕末ものの大河ドラマでもよく登場します。ここの「プール」が明治になって、欧米列強に負けないようにと進める富国強兵時代の学校に普及していくことになります。

【 白虎隊も訓練した!】日本最古のプールがある會津藩校 日新館

それが今では、スポーツとしての水泳競技や、水中での運動のメリットなどから社会全体に浸透して、幼稚園や乳幼児施設にも「プール」という形で広がっているということになります。乳幼児にとって「水」とどのように出会い、楽しむことが相応しいのか、川や海に恵まれている日本で、そして都心のこのまちで、いろんな水との触れ合いを探求してみたいもののですね。

 

再会を楽しんだ卒園児家庭

2022/07/02

卒園した、元すいすい組の親子の皆さんが今日2日(土曜日)午後、2時間ほど保育園で過ごされました。卒園すると、いくつかの小学校へ別れるので、久しぶりの再会が楽しかったようです。

午後3半。子どもたちは到着すると、一目散にめざしていったのは運動ゾーンのネット遊び。普段見慣れている子どもたちに比べて、小学生になると、やっぱり体がこんなに大きいんだなあ、と実感しました。

ネット遊びは一度に5人までに制限させてもらったり、保育園時代と同じ体の動かし方をすると、周囲にぶつかるから注意して!などという説明が必要だったことが、この子たちの成長の証でした。

その後、ブロックやパズル、塗り絵、絵本など思い思いの場所で好きな遊びを親子で楽しんだようです。

その後、2階で2年前のお泊まり会の動画を上映すると「◯◯ちゃん、◯◯ちゃん」と、名前を言い合っていました。小学生になった今、当時の姿を思い出して、どんなふうに思うものなんでしょうね。

私たちの幼少時の記憶というのは、ことあるごとに繰り返し思い出したものが思い出になっていく、と言われます。たいていのことは忘れてしまうのですが「あたなは小さいとき、〜だったのよ」と、話を聞かされたり、写真やビデオを見たりしたものが、記憶に残りやすく、それが思い出になっていくらしいのです。

今日の同窓会は、初めての試みですが、親子で過ごした時間は、思い出作りの時間になったのかもしれません。この催しは、保育園が主催したものではなく、あくまでも卒園された保護者の方が開いたもので、保育園はただ場所をご提供しただけですが、こんなことでよければ、いつでもどうぞ使ってください。

「一日保育士デー」(9月10日)について

2022/07/01

園だより7月号 巻頭言より

いま行われている保育参観ですが、どんな感じで生活しているか、大まかな様子や雰囲気 をご覧いただけたでしょうか? これからという方もいらっしゃると思いますが、ベランダ からの窓越しでは見えにくかったかもしれません。突然の梅雨明け、しかも連日 35 度を超 える酷暑となり、戶外での⻑時間の参観もままならない状況となり、見学のタイミングを選 んでいただくために、その日の活動予定をより詳しく連絡アプリでお知らせさせてもらって います。

保育参観では、遠目からの観察になるので、見えてくるものは落ち着いて楽しく過ごせて いるか、お友達との関わりはどうか、食事は摂れているかなど、「だいたい〜な感じだなあ」 という程度かもしれません。そこで、より詳しく知りたいという場合は、保育参加という方 法があります。これはお子さんのそばで「ママ先生」「パパ先生」として一緒にすごすとい う方法です。入園初日の慣れ保育を覚えていらっしゃいますか?1時間ほど親子で過ごして いただいたと思いますが、それを午前中いっぱい、一緒に過ごすと思っていただくと良いと 思います。

乳児だと「今日はママが先生だよ」の意味がまだわからないかもしれませんが、満2歳ぐ らいになってくると、子どもの方も、ごっこ遊び感覚の延⻑で、ママやパパじゃなく「先生」 扱いしてくれて、少し距離をとってくれたりします。親御さんはお子さんの遊びや生活をそ ばで確認できるので、より詳しく様子を確認できます。保育士の援助の方法や関わり方もき っと参考になると思います。そして私たちが大切にしている集団の中の、<子ども同士の関 係がもたらす力>というものを実感していただけかもしれません。

ただ、一緒に過ごしてしまうので、小さいうちは大抵、お別れが難しくなります。食事が 済んでお昼寝の時間以降は、一緒に帰っていただくことになります。そんな日程を立ててい ただき、ぜひ体験なさってみてください。ただし、これができるのはコロナが落ちついてか らの話ではあります。早く、そんな状況に好転しないかと、願うばかりです。

さらに、その先には保護者の皆さんで保育をやっていただく「1 日保育士デー」という行 事も計画しています。9 月 10 日(土)です。今年はできても半日になるでしょう。これは 保護者の皆さんが担任になって保育内容を計画して、保育体験をしていただくものです。園 ⻑代理、主任代理も選んでいただき、担任同士が話し合って当日のプランを準備していただ きます。その第1回の説明会を 7 月 21 日(木)午後 5 時30分から開くことにしました。 当法人の園はどこでもやっている行事です。どんなものだろう?と興味がある方は、ぜひご 参加ください。

プールの設営と目隠し、ご協力ありがとうございます

2022/06/30

 

屋上に分解されて積み上げられていたプールが、保護者の方にお手伝いいただき、きれいに洗浄されました。また2階のベランダも水遊びをするので目隠し用の覆いをつけていただきました。ご協力ありがとうございました。明日もその続きの組み立てがありますが、よろしくお願いします。(写真は各クラスブログより)

納涼会の第2回保護者ミーティング

2022/06/29

今日は午前9時と11時に入園前の保育園見学を案内し、ちょうどその合間の誕生会で、3人の6月生まれのお友達をお祝いしました。年長さんはお泊まり会の夕食を何にするかを話し合い、明日と明後日に延期になったプール設営の準備も確認しました。この土曜日には、全職員が集まる研修会があるのですが、その日の午後は、元すいすい組の家族が集まるプチ同窓会も開かれますので、その実施方針も軽く打ち合わせました。

今年度も既に3ヶ月が経とうとしており、この時期から年度後半を見通していく時期になります。例えば年度途中の園児の受け入れができるかどうか。秋の運動会のテーマを何にするか。芋掘りの実施場所や、成長展の特別展示の内容などです。また8月になると、高校生ボランティアの職場体験もありますし、保育者養成校からの実習受け入れも始まります。その方々とオリエンテーションの日程を決めたり、養成校の先生と連絡を取り合ったりもしました。

夕方には納涼会の保護者ミーティングの2回目が開かれ、その内容がだんたん固まってきました。前回同様にたくさんの方にお集まりいただき、有意義な時間を過ごすことができました。この2年間、コロナ禍でできなかったこと、本来はこんなことがやれたらいいという提案や実施イメージを話し合っていただきました。特に感染対策の中で、人とどれくらい離れていると安全なのか、濃厚接触にならない「ふれあい」の形をいうものについて、意見を出していただきました。

このような語り合いや懇談が、やっとできるようになったなあ、という感慨もちょっと感じて、楽しい時間を過ごすことができました。リモートの方もご参加、ありがとうございました。

「自由と勝手は違うよね」

2022/06/28

幼児の夕方のお集まりで、大切な話し合いが開かれました。テーマは「どうやったら決まりを守れるか」です。やっていいことと悪いことがわかり、望ましいことができるようになることは、まさに教育の柱の一つです。自分がやりたいことであっても、それが認められない場合、「やりたくてもやらない」という態度を身につける必要があります。

遊んだおもちゃは元にしまう、お友達のものを取らない、ものを独り占めしない、並んだ順番は守る、室内では走らない、お昼寝の時間は静かに過ごす・・どれもこれも「自分だけ良ければいいや」では済まない事ばかりです。「自分勝手にやってしまうと、どうなるかな?」「勝手にやっていいのかな?」こんな問いかけに、子どもたちは「ダメ〜」とわかってはいるのです。先生も「そうだよね。ダメだよね。じゃあ、どうしたらいいのかな?どうやったら気持ち良く楽しく遊べるかな?」と聞くと、「ハイハイ」と手が挙がります。そして、たくさんの「こうしたら、いいんじゃない」が提案されました。

そんな話し合いの様子をみていると、子どもも「わかっていることと、やることは別なんだなあ」と思います。こうしちゃダメということは知っているのです。でも、なかなかできない。「ただ、したいからしているだけ」で、別に悪いことをしているとは思いもしない、という心理状態です。やっていることは、物の取り合い、自分が決めたことが優先されて相手の提案は受け入れない、衝動性もあって「今じゃなくて、後で」はできない。この子たちにとって、そう簡単には決まりを守ったり、他者に「ゆずる」といったことは難しいようです。これを幼児の「自己中心性」と呼んだのが、ピアジェです。まだ、発達段階として「できない」段階なのです。

それを、理屈で諭してできるようになることはありません。発達には順序性があって、然るべき体験の積み重ねの中で徐々に獲得されていくのです。ここは根気よく、子どもたちからの芽生えを待つしかないのです。この発達を長い目で見据えながら、子どもの育ちをとらえることが、私たちの専門性になります。

梅雨が明けて「危険な暑さ」続く模様

2022/06/27

(NHKのニュースより)

梅雨前線が一気に北上して、あっけなく梅雨が明けました。亜熱帯ジェット気流の蛇行のズレによるものだそうですが、併せて、太平洋高気圧の勢力が強いのだとしたら、次は台風が怖い、という話になるのかもしれません。

地球の温暖化による海水温の上昇は、局所的にとても大きなエネルギーの渦を作り出して、ここ数年の台風は、勢力が強く巨大化しています。こんなに早くから「危険な暑さ」の日が続き、さらに山の貯水が足りないことからくる水不足や、暑さが拍車をかけて電力が逼迫して停電になるようなことも、想定しておく必要が出てきました。こうなってくるととても厄介です。

これらに加えて、線状降水帯の形成などによる神田川や荒川の河川の氾濫を想定した避難行動計画づくりが千代田区も義務化されました。これに基づき、タイムライン(時間の経過)による事前避難のお願いをすることもあるでしょう。

さて、先日の土曜日に屋上のプールを組み立てる予定でしたが、あまりに暑いことから、急遽、延期させてもらいました。暑さ対策をするために協力をお願いしていながら、熱中症にでもなったら本末転倒、別の方法を考えます。また直前に職員の新型コロナウイルス陽性者が出たこともあり、健康観察と感染防止の強化に取り組まなければならないので、千代田区が主催している保育園の体験見学も延期になりました。

気象もウイルスも私たちの叡智を超えた自然の話です。まだまだ分からないこと、予測できないことが起きます。こんな時は、私たち人間も自然の一部であることも思い起こし、身体が出してくるサインを敏感に読み取るようにしましょう。

子どもたちをみていると、いつも汗をかいて運動してきたからでしょうか、食欲もあって元気です。体調を崩しやすいのは大人の方かもしれません。暑すぎる気温にまだ慣れていないと、汗をかいて体温を下げる仕組みがまだ本格的に働かず、自律神経もおかしくなりがちなので、しっかり睡眠と休養を十分にとるようにしましょう。

「危険な暑さ」の日が続きます。寝ている間にかなりの水分が体からなくなっていきます。寝ている間にも熱中症になることがあります。寝る前にコップ一杯、朝起きても一杯。とにかく水分補給をこまめに行い、食欲が落ちることのないような生活を続けましょう。

0歳からのデモクラシー

2022/06/24

私が霊長類研究者の話を聞くのが好きなのは、ヒトを親類の霊長類と比較することによって、人間の特徴がよくわかってくるからです。例えばゴリラと40年以上一緒に暮らした山極寿一さんの話は、どうして人間がウクライナ戦争のような愚かなことをしでかすのか、参考になります。あるいはチンパンジーと心を通わせてきた正高信男さんの言語学は、当たり前のように思っている赤ちゃんの言語獲得の不思議さといったことを思い知らされます。

今朝朝早く、東の空に惑星が直列したのですが、人間はそんな天体予測ができるような科学技術を発明する一方で、毎日100人から200人以上の戦士の戦死者を出している戦争を4ヶ月以上も続けてしまうことも、霊長類の中では人間だけです。偉大なのか愚かなのか、こんなに極端なことをしでかす人間と言う不可解で不条理な生き物は、これからどんな世界を作り上げていくのでしょうか。それがどんな世界であろうと、子どもたちはその世界の中へ、足を踏み入れて行くことになります。

山極さんは、フィールドワークをしているときにゴリラの群れにしつこく迫りすぎて、2頭のメスゴリラに後頭部と足を噛み付かれ、死にそうになったことがあります。その時とどめを刺されずに済んだのは、オスゴリラが、その瞬間に止めに入ったからだそうです。ゴリラは人間を恐れており、ヒトを殺してしまうと厄介なことになることを知っているからだといいます。ゴリラ同士の戦いでも、胸を叩いてドラミングをして威嚇はするが、致命傷を負わせるような殺し合いは決してしないそうです。本気で戦ってしまったら失うものが大きすぎるからです。

人間が行う戦争は、国と言う単位の主体同士が領土、エネルギー、食糧をめぐって所有権を奪い合うパワーゲームなので、国民はその手段を担わされます。国が個人の尊厳と生命を犠牲にさせるのです。国が国民を守るために戦争をするのではなく、国家という共同幻想体を維持、拡張するために、国民が犠牲になるのです。その事は、日本が中国や米国と戦争をした経験からも明らかです。暴走してしまう国民国家をどのように国民がコントロールしていくか、そのために作られたものが戦後の憲法でした。

7月10日の選挙に向けて、民主主義とはどういう姿でなければならないのか、人間だけが獲得した言語を使って、個人の尊厳を守ることができる政治の形を成熟させていくことが大人の責任なのでしょう。

「泣いているだけではわからないから、言葉で言おうね」。「どうして欲しいの、手伝ってあげるよ」。「お互いに言いたいことがあるから、ピーステーブルに行って話し合おう」・・・

保育園の子どもたちがやっていることと、G7や国連でやろうとすることは、その本質は同じだと思います。選挙権は18歳からでも、デモクラシーは0歳から始まっているのです。

 

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