MENU CLOSE
TEL

園長の日記

言葉と見通す力

2022/05/16

子ども「僕ちゃんさ、今さ、ゾーン決めるために、上にいくんだよ」

私「そうか、何しようかね」

子ども「ねえ、今日、雨だよ。じゃあ、お部屋で遊ぶしかない。・・」

私「そうだね。雨だもんね」

子ども「バイクに空気入れないと、うまくいけないじゃん、転んじゃうじゃん、それでえ、バイク壊れちゃうから、空気入れないといけない。自転車空気入れてるから、うまくいくんだよ。」

今朝、にこにこ組(2歳児クラス)のSKくんが、こんな話を私に説明しながら、ファイルを抱えて階段を登っていきます。

にこにこ組で「ゾーン選択」が始まっています。ゾーンボードを見てやりたい遊びを自分で選んで、遊び始めるのですが、子どもって、どのくらい前から「こうしよう!」と思い巡らしているんだろう?と思います。朝、一階で遊び終えると8時半過ぎからは、それぞれのクラスに分かれるのですが、そこで「何して遊ぼう!」と思い浮かべるようになるのは、いつ頃からなのでしょう。私たち大人は、今日のスケジュールだけではなく、明日明後日、さらには来月、今年、来年、5年度、10年後と、かなり先までの「見通し」を持ちながら、何らかのビジョンを持ちながら生活しているわけですが、子どもは、どうなんでしょう。

赤ちゃんは記憶する力がまだ弱い時期、目の前に見えるものを思い浮かべて、それに反応しがら「今」を過ごしています。それが数ヶ月もすると、記憶力が向上し、じっと人の目をよくみる時期がきて心の交流が始まっていきます。そして8ヶ月から10ヶ月ごろには、話をする相手の口をよく見るようになります。(この時期はマスクで口を隠さないほうがいいのですが)。この時期のことを、よく「9ヶ月革命」の時期というのですが、人は意図を持っていることに気づき、自分の興味や関心のあるものを相手にも教えたい、伝えたい、共有したいという「共同性」の心が発達していき、象徴機能が発達して言葉を話すようになっていきます。

そしてあっという間に言葉の語彙が増え、1歳から2歳までに300語、そして3歳になるまでに1000語を獲得していきます。爆発的と言ってもいいほどの言葉の発達が見られます。そんな時期の「にこにこ組」の子どもたちは、知的精神的な力が、つまり認知能力が発達していくのですが、それを支えていく社会情動的な力、つまりで非認知的な力も育っていることがわかります。そのために必要はことは、伝えたいものがあること、伝えたい相手がそばにいるということです。そこには信頼関係ができており、自分の質問に答えてくれたり、話したいことを受け止めてくれる、安心できる他者がいるという人的環境が欠かせないことになります。

人間だけが言葉を獲得しながら、それを非常にうまく使いこなしていくように発達していくのですが、その中には、これからこうしたい、ああしたいという「今から」の意欲が、少し先、それが終わったらこうしよう、今日はこうしたい、明日もこうなるといいな・・と「見通す力」も育まれていくのでしょう。何かを楽しみ待つことができるようになってくる幼児期の前半ごろ、未来に向かう意欲が目に見えて姿や言葉の表現になっていきます。

10分後、午前中、午後の活動・・明日は浜町公園、今度の土曜日は屋形船。人があることを決めてやり始めるまで、その間の時間的な長さというのは、成長になるほど長くなっていきますね。

コロナ禍の後でやらないといけないこと

2022/05/15

 

コロナ禍で子どもたちがどんな影響を受けているのか、このテーマをめぐる研究と発表が多くなされたのが、今年の日本保育学会の特徴でした。私たちの研究グループも、このテーマで「自主シンポジウム」を開きました。仲間の保育園から話題を提供し、藤森平司統括園長が指定討論者として考えを報告しました。シンポジウムのタイトルは「コロナ禍の乳幼児期における認知・非認知能力への影響について〜コロナ前と現在を比べ、今後の保育について考える〜」というものです。

学会では研究調査の報告がいろいろなされたのですが、藤森先生の現状認識と問題提起は、他にはない視点が含まれていました。それは人類の特性から予見される懸念です。その骨子は以下のようなものでした。

(1)認知的能力の代表は、IQと学力です。これは測定できるものです。しかし非認知能力は測定できません。「認知ではないもの」という内容ですから、量的評価が難しいものだからです。そこで縦断研究がなされているのがそれを示しています。

(2)人類の進化の歴史から言えることは、人類の脳が大きくなったことと集団の大きさが関係することがわかっています。集団の規模と脳の大きさが比例しています。集団の何が脳を大きくしたのかというと、人と人の関わりです。人と人の関係性によって進化してきたことになります。

(3)ここで注意してほしいのは、言語を使うようになったのはせいぜい20万年から10万年前ぐらいからで、もっと長い間に集団での関わりを営んできたのです。人類が誕生して以来、その多くの時間は言語がなかったのです。表情や身体表現や人との接触で関わりを持ってきたのです。

(4)今回のコロナでは、それを避けるようにと言われてしまいました。つまり人類の進化の大元を止められてしまっていることになるのです。子どもにこのように影響しているのです。

(5)マスクをしていても言語で伝わるけれども、表情や身体表現や身体接触で伝わっていたもの、経験していたものが奪われてしまってはいないか。そこが心配なのです。

さあ、どうでしょうか。このように考えてみると、子どもが非認知的な何かの経験が奪われているかもしれないと考えると、この連載で考えてきたものに、何かが抜けているかもしれないと思いました。

そして、なぜあんなに「園長ライオン」遊びが人気なのか、わかる気がするのです。じゃれあそびの身体接触があり、鬼ごっこの要素、つまりライオンから食べられないように逃げるごっこ遊びで、再現されている心情の中には、脳の原始的な感情を呼び起こしていることになります。また青木さんのダンスも、マネキンとデザイナーも、身体表現や感情の解放を促すもので、コロナ禍で避けられてきたような遊戯です。子どもたちは無意識にこれらを望むのは、当然の自発的な発達欲求だからでしょう。

社会情動的スキル(補足) アーリー・スタート

2022/05/14

今日14日(土)は明日15日まで開かれる第75回日本保育学会(聖徳大学)にリモートで参加しました。今年の大会テーマは「アーリー・スタート〜非認知能力研究の知見を保育に生かす〜」です。昨日までのミニ連載「社会情動的スキル」で見てきた非認知能力を、学会としても正面から取り上げています。

基調講演は、東大大学院教育学研究科の遠藤利彦教授で「アタッチメントが拓く子どもの未来:「非認知」なる心の発達と保育者の役割」でした。この基調講演で、とても参考になったのは、非認知的な能力やスキル、特性のまとめ方です。さまざまなものをどのように整理しておくとわかりやすいのか、苦労してきたのですが、遠藤先生は、連載19回目の「アタッチメント」で紹介したように、非認知の力をまず「自己」と「社会性」の二つの力に分けています。さらに三つ目に、この「自己」と「社会性」の両面に関わるものとして感情の統制を位置付けています。この整理の仕方は、確かにわかりやすいと感じます。

感情というのは、自分一人の中でも生じるのですが、特に他者との関係の中で感情をコントロールすることが多いからです。「自己」にも「社会性」にも関わる非認知なるもので、基調講演では、以下のように説明がなされました。

 

  • 自己にかかわる心の性質

これは「長期的目標の達成」に関わるもので、「自分を大切にし、適切にコントロールし、もっと高めようとする力」です。その中に含まれるものは、「自尊心・自己肯定感」「自己理解」「意欲・内発的動機付け」「自己効力感」「自制心・グリッド」「自立心・自律性」などです。この長期的目標に関わることと考えれば、OECDのモデルと同じです。

  • 社会性にかかわる心の性質

これは「他者との協働」に関わるもので、「集団の中に溶け込み、人との関係を維持していくための力」です。この中に含まれる非認知的なものは「心の理解能力」「コニュニケーション力」「共感性・思いやり」「協調性・協同性」「道徳性」「規範意識」などが含まれます。他者と協力することは、まさしく社会性に関わります。

 

  • 両側面にかかわる感情の管理(制御・調節)

非認知なるものは、感情に関するものが多いわけで、保育における「教育のねらい」そのものが「心情・意欲・態度」という社会情動的な内容ですから、この制御や調整は、個人と社会の両方にそもそも含まれているわけです。(私はその結節点となる心情を「意欲」だと考えています。)

遠藤先生のまとめで興味深かったのは、この感情の管理の中に、「異時点間選択のジレンマ」と「自他間選択のジレンマ」があるという整理の仕方です。初めて聞いた言葉だったのですが、最初の異時点間選択のジレンマというのは、今を優先するか、それとも未来を優先するか、今の利益よりももう少し先の、もっと大きな利益のために、今を我慢するようなことです。「マシュマロ・テスト」を思い起こすといいのでしょう。このジレンマを解決するための感情の制御は自制心などと密接な関係がありそうです。つまり、自己に関わる心の中にこの感情の制御はあることになります。

もう一つの「自他間選択のジレンマ」は、自分の利益を優先するか、あるいは他者の利益を優先するか、人に迷惑をかけないことを優先するか、そうしたことの解決のために感情を制御することになります。ここには共感や思いやり、協調性などが働くことになります。

とてもわかりやすい整理だったので、ご紹介しておきます。

社会情動的スキル20(最終回) 実行機能

2022/05/13

この連載も最終回を迎えました。これまで見てきた非認知的なものが子どもたちに芽生え働いていく機会として、どんなものがあるのか確認して、まとめていきましょう。今日は夜の園内研修会を開きました。藤森統括園長を招いた4月16日の講演会で学んだことを、この1ヶ月の間にどう実践に移したかをクラス別に報告し合い、大事な実践のポイントを出し合いました。

講演会での学びの骨子は、その日の「園長の日記」に「ヒューマン・コンタクト」と題して、以下のように触れています。「AI時代の子どもたちにとって必要なスキル」は、次の3つでした。

(1)「対話する能力」コミュニケーション能力

(2)「他と協力する能力」コラボレーション力・集団的思考

(3)「実行機能」自己調節能力

今日の園内研修会では、主にこのスキルの習得が垣間見られた場面や保育上、工夫したことなど具体的な実践報告がなされたのですが、どの報告にも共通したのは、子どもの姿から環境を再構成していったら、こんな姿になっていったという「保育のプロセス」が語られたことです。この保育の語り(ナラティブ)は、子どもの姿の変容が縦糸になっていくのですが、その背景には子ども観や保育観としての見方・考え方が共有されていました。また理念や方針を理解し、それを具体的に実践してみて、その結果を報告し合う。園内研修の進め方としては最もよい形になりました。

上記の(1)〜(3)をみていただくと分かるように、非認知的な力のベースになっているのは、実行機能なのですが、これは「ある目的に向かって自分の気持ちや考えや行動を調整する力」なので、15の非認知能力の多くがここに関係します。誠実性、グリッド、自己制御・自己コントロール、時間的展望・・・ほとんどのものが関連することがわかります。

具体的な保育場面も非常にたくさんあり、「新しい時代に対応するための保育保育方法5ポイント」の具体例が報告されました。乳児も幼児も、いろいろな環境の再構成が意図的に保育実践に移されていました。幼児では集中して遊び込めるようにテーブルの配置を変えて、やりたがっている遊びのための素材を増やしたり、お片付けのタイミングを気づくような音環境(楽器や歌声)に変えたり、砂時計で交代の見通しを持てるようにしたり・・・。職員が声かけで気づかせるよりも、楽しい雰囲気を作ったり、楽しそうなことが始まりそうだと子どもが気付いたりできるような工夫の試行錯誤が続いています。乳児も運動をしたがっていそうだと感じたら室内遊びに運動をすぐ取り入れたり、お友達の気持ちに気づくための促しや仲立ちや仲介もいろいろです。

当園の保育目標は「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」ですが、ダイバーシティとしての「自分らしさ」をお互いに認め合いながら「共生と貢献」(保育理念)を実現していくためには、相手やお友達の立場も感じたり考えたりできる「向社会性」を育てていく必要があります。そのジレンマをどう考えていくといいのか、という課題もあります。「向社会性」のことを私はわかりやすく「思いやり」と表現したのですが、いわば社会性のことです。自由と自分勝手、自己主張とわがままの違いを子どもが認識できるためは、どうしたらいいのか? 今夜の研修会では、この問いも投げかけられました。まさしくこれが「実行機能」が育つことに他ならないのですが、そこに至るための土台はアタッチメントでしたし、10の姿で言われる道徳性や規範意識と呼ばれるものでした。この話は4月11日の「園内探検」報告でも触れているのですが、社会的なルールを身につけていくときに大事なのは、子どもなりに納得できる理由を理解できるようにしてあげることです。「決まりは守ると、いいことがある」という体験ができるかどうか。ここにポイントがあるのでした。

子ども同士のかかわりを大切にしながら、子ども集団の中で子どもが楽しい、面白い、ワクワクドキドキするような体験ができるように用意します。そして、その体験を作り出すプランニングにも子どもが参画し、いくつかの活動や見通しの中で子どもが選択できることで、非認知的能力のど真ん中にあると私が考えている「意欲」が沸き起こるようにします。それまでの経験が個々の子どもの中でつながり、創造性が躍動します。デイリーや週案、今後の遊びの見通しなど、プランニングの過程で話し合いやコミュニケーションを大切にしていくと、集団的思考も働き出し、相手の気持ちや考えを尊重する姿勢(本来の平等であり多様性の尊重)が育っていくのです。トラブルや葛藤場面は子どもたちにとって、非認知的なスキルが育つ機会でもあります。長い目で育ちをとらえる視点を忘れずに、子どもの多面的な理解と保育プランを深めあうチーム保育を作り上げていこうと思います。

社会情動的スキル19 アタッチメント

2022/05/12

ここに「非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書」 があります。ちょっと古いのですが国立教育政策研究所が平成26年度にまとめた研究報告書で、代表は発達保育実践政策学センター(Cedep)センター長の遠藤利彦さんです。この研究が目指したことの一つは、さまざまな「非認知的な力」を整理して、子どもが「誕生からの発達過程において備えるようになる一連の内容を示すこと」です。その結果が「社会情緒的発達の概要」として一覧表にまとまっています(以下の表)。

このミニ連載では、さまざまな「非認知」的な心の力を拾ってきましたが、どんな力であっても、この一覧表が示すように、それらの関係を整理してまとめて考えるための基本的な枠組みは「自己と社会性」になりそうです。

この表では「自分」「他者」「自他関係」の3つで整理されています。乳児期(012歳)、幼児期(234歳)、児童期(6〜12歳)および青年期(13〜18歳+)まで、それぞれに異なる「社会的情緒」があることがわかります。

私たちの保育に関係のある乳児期の「自分」のところには、「自己に関する感覚」「情動の発現」「原初的な情動調整」「気質」の4つで整理されています。

この連載で取り上げてきた、いろいろな「非認知」な力は、この「自分づくり・自己の発達」と「他者との関わり・社会性の発達」にうまく働きかけるようにするとよい、という捉え方がもっとも合理的でわかりやすいかもしれません。

いま参照している図書「非認知能力」(小塩真司編者・北大路書房)には以下のように15の「非認知能力」が紹介されています。

この中で、例えば、「自分づくり・自己の発達」に直接、関係するものは、自尊感情、自己制御、情動知性、グリッドなどになるでしょう。また「他者」や「自他関係」には、共感性などが鍵になるでしょう。このようにみていくと、これら15だけでは足りず、他の非認知的な内容とつながって働くようにならないといけないことがわかります。特に、青年期のところに改めて記述されているように、乳幼児期に大切にしなければならないことが、テーマになっています。これまで私たち保育士が慣れ親しんできた発達課題に立ち返っていくことになります。

その「自己と社会性」の枠組みとして、乳幼児の時期に最も大切にしなければならないものはなんだったのかというと、それは「アタッチメント」でした。自分づくりと他者との関わりの土台となるものが「アタッチメント」を通じて獲得されていくからです。この非認知的な力とアタッチメントの関係について、近年、最も精力的に情報発信されている遠藤利彦さんの説明を聞いてみましょう。

「子どもはまだ歩くのもしゃべるのもたどたどしい頃から、例えばつまずいてころんだり、母親が視界から消えるなどして、日々、おそれや不安の感情を経験します。こうした小さな危機の只中にあるときに生じたネガティブな感情を、信頼する大人への“くっつき”を通して受け止めてもらい、その感情の意味を教わり調節されること(アタッチメント)で、子どもは自分の感情との向き合い方や他者とのかかわり方を学びます。アタッチメントに裏付けられた日々のささやかで温かな人とのかかわりが、自分と社会性の両面から「非認知」的な心の発達をしっかりと支えてくれるのです」

(小椋たみ子・遠藤利彦・乙部貴幸著『赤ちゃん学で理解する乳児の発達と保育 第3巻 言葉・非認知的な心・学ぶ力』中央法規 2019)

このアタッチメントが育む、最も大切な非認知的なものは「基本的信頼感」です。もう少し、遠藤先生の解説を続けます。

「基本的信頼感は、将来の良好な人間関係、困難や試練に立ち向かう強い心、社会生活において前向きに活動しようとする意欲といった、健全な自己をつくり維持していくうえでの支えや希望となります。“自分は他者から愛され、大切にされる存在である” “他者は信じられる”という、自分や他者に対する基本的信頼感が十分に形成できないと、自分自身を愛することができず、他者に対する不信感が残ります。そのため過度に失敗をおそれたり、不安や不信感を抱えやすくなったりするといわれています。保育においてもっとも大切なことの一つは、乳児期の心の一番の土台部分に、自己の中核となる自他への基本的信頼感をたっぷりとつくってあげることです」(同上)

社会情動的スキル18  学びに向かう力、人間性等

2022/05/11

さて、ここまでやっと辿り着きました。このミニ連載もゴールが見えてきたからです。どこにゴールがあるのでしょうか? 思い出していただきたい大事なことが2つあります。「今どうして非認知能力だったのか」ということと「よりよい生活とは何か」ということです。その二つの交差点がとりあえずのゴールなりそうです。

まず一つ目は、さまざまな「資質・能力」の中で非認知能力がクローズアップされるようになったきっかけは経済ノーベル賞を受賞したヘックマンの研究に遡ります。20年以上前の話です。それは置いておくとして、世界がここに注目し続けているのはそれが「よい結果」に結びつくことがわかってきたからです。教育界はこれから先の世界を想像しながら、どんな資質や能力(人格特性や能力やスキル)を育むべきなのかを探していたら、これまで中心にやってきた認知的なものもさることながら、非認知的なものがより重要じゃないか、ということになってきたのでした。ポイントは「どっちも必要」ということです。

二つ目は、その「よい結果」ということは「何か」を考えざるを得ず、その時、私が教育哲学を教わった村井実さんの「善さ」の4つの要素を思い出さざるを得ないのです。名著『善さの構造』には、ギリシャ時代の哲学者プラトンやアリストテレスが考えた「よさ」から説き起こしてくるのですが、村井さんと話していた時、何もわかっていない私に「人間はね、どうしてだか何かよいことに向かって生きているよね」という話をしてくださいました。その時は「学力ってなあに」という新聞連載を書いていたので、学力との関係を自宅へお尋ねしに行ったのでした。村井さんの「善」についての教育哲学がなかったら、日本の学校で「子どものよさ」に目を向ける教育は生まれなかったでしょう。

このことが平成29年度に出された「資質・能力」の3本柱では「学びに向かう力、人間性等」の中に位置づきました。どこに「善さ」の話があるかというと、そのかっこ書き(  )です。そこにはこう書かれています。

(心情・意欲・態度が育つ中で、いかによりよい生活を営むか。)

 

これが乳幼児教育から高校まで、ずっと使われます。「よりよい生活」とは何かに立ちかえる必要があるのです。また自分らしい「心情」と、さまざまな人たちと共に生きる「態度」を、しなやかに実現していくために「意欲」が橋渡しのような役目になっているのです。

この「学びに向かう力、人間性等」という不思議なフレーズは、上の方に描かれている二つの認知的な力を支えることになります。

社会情動的スキル17  心情・意欲・態度

2022/05/10

この「心情・意欲・態度」という言葉の3点セットは、私たち乳幼児教育に携わっているものは、みんな知っている言葉です。どのように使われているか、というと「教育のねらい」になっている言葉として使われています。つまり、私たちの保育が何を目指しているのかというと、この教育のねらいが実現されていくように、子どもたちを育てようとしていることになります。この三つの言葉を全部を丸めていうと「豊かな心情を育み、生きることに意欲的であり、よりよい生活を作り出す心の姿勢をもてるようにしていこう」という意味になります。

この時に大事なのは「この3つの順番です」ということを私はよく話します。心情というのは気持ちです。「嬉しい、楽しい、面白い、悲しい」など形容詞で表される感情を含め、人や自分を大切に感じたり、人への思いやりや親切な気持ちを抱いたり、人と一緒にいることの喜びや、「自分も!」という憧れや「すご〜い」という感心や尊敬、驚きや不思議だと思うような心の動き、好奇心や探究心など、実に多様なものがありますよね。ひとりぼっちで寂しいという孤独感なども、人との関係の中で初めて感じる心情です。

さて、この心情の中で、ちょっと特別なものがあります。他の気持ちとは違って、生きていく上で欠かせない、心の駆動エンジンのようなポジションを占めている心情です。それが「意欲」です。この心情は不思議な心の働き方をするものであり、未来に向かって動いている生命力のようなものを形容している言葉になります。これが働いて初めて私たちは、心理学でいう心の「実行機能」を働かせることができるのです。ですから、心が一歩踏み出すための原動力でもあり、これが繰り返し働くことで人の資質や能力を形作ることになります。

そうやって形作られた心の姿勢を、態度と日本語では訳しているものですが、英語では心の姿勢attitudeになります。行動のactionでも、振る舞いのbehaviorでもありません。心情emotionsから生み出され、習慣化されたり、その人らしい社会性を指し示したりするものです。

この心情から意欲、そして態度が形成されていくという過程、プロセスが極めて大事なのですが、そのつながり具合を理解してもらうために、「ごめんね」「ありがとう」の言葉を使い方を考えてみます。

子どもが何か謝らなければならないことをしてしまったとします。すると、相手に「謝ることができるようにすること」(行為・行動)が「しつけ」だと思われていますから、「ごめんねは? ちゃんと謝りなさい」と子どもに「ごめんなさい」と、人に謝れる子どもにしようとするでしょう。この働きかけは教育なのですが、保育では「ごめん」と口で言えるようになることを、「教育のねらい」にはしません。

それは態度を行為と間違えていることになるからです。保育で育てたいと考えていることは、まず心情を育むことからです。ですから「ああ、悪かったなあ」と思える子どもになってほしいと願うのです。そうした心持ちがあって初めて「ごめんね」に心がこもり、生きた言葉として相手に伝わるようになるでしょう。何か間違うと条件反射的に「ごめん」をいうようになると、それで謝ったことになると勘違いしてしまい、ごめんと謝れば、それで一件落着と学習してしまうことになります。ごめん、と言えさえすればいいという「魔法の言葉」にしてはいけないのです。

私たち保育は、心を育てたいのです。もし「悪かったなあ」と思えないなら謝る必要はないことを学ぶべきかもしれません。自分もよくなかった、と自覚し、自分を省みることができるようになっていたら、なんと素晴らしい育ちでしょう。仮にバツが悪くて「ごめんね」が言えなくても、心は育っていると言えるのです。その心情に共感してあげれば、子どもは「わかってくれている」と安心して、自分から相手に謝ろうという意欲が動き出すのです。

子どもの気持ち、心情を共感してあげることがケアであり養護の働きなのですが、そこから「意欲」が立ち上がってくるのが、不思議なことですが人間の持っている心理機構なのです。ですから保育とは教育と養護が常にセットになっており、保育を英語で表すと、Early childhood Education and Care(ECEC)というのでした。

社会情動的スキル16  「生きてるって、いいなあ」

2022/05/09

あっという間に成長してく子どもたちですが、このミニ連載「社会情動的スキル」では、育ちの側面を「特性」とか「能力」とか「資質」とか、何かと「身につけていく」「獲得していく」「学んでいく」という側面から切り取ってばかりいます。

この図は、平成30年3月に改訂された幼稚園教育要領や保育所保育指針、幼保連携型認定こども園で共通する「幼児教育で育みたい資質・能力の整理図」です。この赤いところが、非認知的な資質・能力のところになります。この詳しい説明は次回することにします。

 

私自身、調べたり、考えたり、書いたりしていて、ちょっと息苦しくて、また重苦しい感じがします。この側面は、子どもの世界のほんの一断面に過ぎないということも強調しておきたいと思います。なんでもかんでも、教育的な側面から人間を見ていくと、なんだか味気ない人生になってしまいそうだからです。私たちの存在は、その側面だけに光を当てるべきではないだろうと思えるからです。

こんなことを、前置きにしておきたくなったのは、ゴールデンウィーク明けの子どもたちとの再会、また皆さんからの「子どもの様子」を読ませてもらうと、親御さんからも我が子について「いつの間にこんなことが・・」という話がたくさん書いてあって、私たちも保育園で「いつの間に、あんなことを・・」の連続だからです。しかも、その姿はその子がその子らしくある素晴らしさであって、何か外から物差しを当ててみるようなことがそぐわない、とでもいうのでしょうか、そういうことでは切り取れない(まあ、当たり前ですが)かけがえのないものです。その「丸ごとその子!」という感覚で、微笑ましくて、愛おしい!! 生きてるって、いいなあ・・・という、この実感がお互いに共有できたら、それが一番いいじゃない!という感覚が迫ってきたのでした。皆さん、楽しいGWだったようで、何よりです。

というわけで、今日は、心情・意欲・態度について語ろうと思ったのですが、それは明日以降にしたいと思います。「生きてるって、素晴らしい!」という感慨を感じ合うということ。これも、非認知的能力であることには違いないでしょうけど。

社会情動的スキル15  心の知能指数(EQ)

2022/05/08

「あのね、ママの歯はね、いっこもないと思うよ」。先日、こんな冗談めいた話を私にしてくれたのは、今年4月に3歳クラスに進級した女の子N Mさんです。にこにこ笑いながら、上手にいろんな話をしてくれます。「ママに歯がないなんて、そんなことないよ。ママには歯があるでしょう」と答えると(エヘ、と首を傾げて)「そうだったあ」と、照れ笑いを見せてくれます。子どもには伝えてみたいことや話したい相手がいることが大事で、言っている内容が正しいかどうかなどは、二の次三の次の問題です。コニュニケーションにおけることばとは、そうやって、いろんなボールを投げ合ってみる、遊びのようなキャッチボールが大事なのです。そこには、イキイキとした心の躍動があり、感情の交流があります。

昨日までの「園長の日記」で人間の「感情の進化」を大急ぎで眺めてみましたが、古い感情と新しい感情があることがわかりました。そして人間らしい感情は、集団社会の中で身につけてきた感情であることがわかりました。私たち人間が有している認知や価値観や感情、やっている行動などは、爬虫類時代からのホモ・サピエンスに至る脳の進化と相関関係があって、赤ちゃんの脳は胎内にいるときから発達していくプロセスが、脳の進化とそっくりであることもわかっています。

快と不快の原始的な感情は周囲の人と関わりながら、どんどん分化して複雑な感情を発達させていきます。しかも、そのスピードのなんと早いことでしょう。千代田せいが保育園が開園して丸3年が経ちましたが、開園当初、ちっち組(0歳)の赤ちゃんだった子が、わいわい組(3歳)になり、私に冗談を言いながら、いろんな話をしてくれます。

心の知能指数という訳が良かったのか、日本でもE Q(Emotional Intelligence Quotient)つまり情動知能が大事であることが、ずいぶん前から話題になって、いろんな本や話題が出ています。とくに売れている本は情動知能と学業成績と関連することを述べているものです。学業成績にもっとも影響が大きいのはIQ(Intelligence Quotient知能指数)ですが、2番目はパーソナリティ特性の「誠実性」で、3番目がこの「情動知能」なのです。例えば、こんな解説が出ていました。「情動知能が高い人ほど、学業成績と関連するネガティブな情動(不安、退屈、落胆など)をうまく調整できることや、学習環境として重要な教師や他の生徒そして家族と良好な関係を築けるためであると考察されています」(『非認知能力』8章「情動知能」―情報を賢く活用する力)。

非認知能力は、人との関係の中で機能する力と、主に個人の中で機能する力がありますが、いずれも社会的であることに注意しておくといいでしょう。色々な能力を個人の中だけのもののように考えない方がいいからです。実際のところ子どもたちと生活していると、子どもや大人の関係の中で、知性や感性が育っていくからです。情動知能もまた、その相互作用の中で獲得されているものなのです。

社会情動的スキル14  社会的知性

2022/05/07

今の人間の脳を大まかに分けると爬虫類と同じ部分、古い哺乳類と同じ部分、そしてホモ・サピエンスらしい脳の部分に分かれます。これは脳の三位一体モデルです。それぞれに「原始情動」「基本情動」「社会的感情・知性感情」が相当するという仮説があります。

脳神経科学によると、情動(感情)というものは、体の外や内部からのいろいろな刺激(信号)が、脳の中枢を通って運動系につながっていく過程で生まれるそうです。その脳内で生まれるいろんな感情の種類を、動物の進化の過程でどう変わってきたのかを見てみようというわけです。

私たちが持っている脳の中で、最も古い部分、原始爬虫類と同じ部分は、脳幹と視床下部が含まれます。この頃の動物は、最適な環境を求めての移動、食料を求めての移動が主です。それに関連した感覚情報から、必要と判断される運動を引き起こす際に生まれる感情で、それは主に快と不快です。お腹が減ったから不快、食欲が満たされて満足で快。食欲、睡眠欲、暑い寒い、運動、性欲、そのほか生理的欲求が満たされないと不快、満たされたら快、です。心地よさの大半は、このような生命維持装置である身体の反応からくる感情です。こんなに古くからある感情なんですね。

それが「古い哺乳類」になってくると、大脳辺縁系が加わります。人間に近い感情が出てきます。それは「基本感情」と呼ばれるもので、喜び、嫌悪、恐怖、愛情、怒りの5つです。どうして進化の過程でこの感情が生まれたのでしょう。その最大のきっかけになったのは、捕食者〜被捕食者の関係が生まれたからだというのです。動物がエネルギー源として肉食を選択した時から、自分も食べられるかも、襲われるかも、という警戒する運動機能が求められるようになり、その時に生まれる情緒が恐れ、恐怖感情です。ビクビクして臆病なものが、ちょっとした刺激に対して逃避行動を選択でき、弱肉強食の生存競争を勝ち抜いてきたのかもしれません。恐竜の影に隠れてひっそりと暮らしてきた哺乳類が選んだ行動が持っている感情なのでしょうか。一方で、相手を襲って食べるということも行うために、攻撃性も必要でした。そして常にお腹を減らして、空腹状態が常だった生き物にとって、食べ物にありつけるというのは、最も大きな喜びだったのでしょう。原始感情の快から喜びが生まれ、不快から嫌悪と恐れが生まれたという仮説です。

この説では、5つの基本感情のうち、3つの喜び、恐怖、嫌悪が自分の生存のために常に動いている情動だったと想像されています。単体の生物が、捕食―被捕の関係から発達していった感情です。全ての生物に共有する感情だと言われています。(本当かなあ? 金魚に餌をあげていると、その動きからは確かにそう見えますが、どの程度の感情なのか、金魚に聞いてみないとわからないですね)

ところが後の2つは、ちょっと種類が違うというのです。残りの愛情と怒りは、ペアでないと生存できないような生き方をする生物にしか生まれない感情です。相手がいるときに生じる感情で、社会性な感情に近づくのです。確かに子育てを協力して行う哺乳類は、子どもへの愛情を持っているように見えますね。ネズミも溺れている仲間を助けたりするそうです。保育園で犬や猫を飼ってみたいのは、この5大感情を感じるからです。ただ、アニメや漫画で恐竜が豊かな感情を持っているかのように描くのは、ちょっとミスリードかもしれないですね。

さて、いよいよ人間の感情です。5つの基本感情に加えて何が増えていったのでしょうか。その知見は、霊長類の行動研究からもたらされました。猿から進化したホモ・サピエンスが、高度な社会生活を営むに至るまでの段階で「社会的知性」という能力を身につけていったことが明らかになってきました。群れを作る集団生活は、複雑な問題を解決していくために、いろいろな人間関係のスキルが必要でした。それが社会的知性です。

感情心理学の研究者である福田正治さんによると、社会的知性には「欺き、裏切り、注意の操作、協同、同盟、連合、援助、支持、好ましさ、模倣、遊びにおけるふり、共感などが報告されている」と言います。「これらを実行するためには言葉はいりません。推論、予想、問題解決、関係性の認知、長期間の記憶保持、読心などの機能が脳の中にあればよい」のです。そして、このような集団生活の中で、愛情、嫉妬、罪、恥といった「社会的感情」が生まれていったと想像されています。集団や群れを維持するために、ボスを支持したり、仲間を共感したり、反目を宥めたり、共通の敵のために協力したり、分け前を配分したりする「社会的知性」が必要とされました。

どうでしょうか? このように感情の進化を辿ってくると、社会的な感情がいかに私たちの基本行動と分けられないかがわかります。さらに、私たちの感情は進化しています。神を想像し、歴史を綴り、文学とアートと科学技術をうみ、地球規模の連帯が必要な時代を迎えました。勇気、献身、思いやり、寛容、慎み、自己犠牲・・・どんな情動が必要なのでしょうか。

そこを考えて出されてきた提案の一つが、社会情動的スキル、IQ(知能指数)に代わる「心の知能指数」と日本語で訳されて広まったE Q(Emotional Intelligence Quotient)だったり、してきたのでした。何年も前から、藤森先生が取り上げてきたテーマになります。

top