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園長の日記

縁日大会のような納涼会

2022/09/10

子どもの頃の気持ちを思い出した瞬間が今日ありました。楽しいことが、もうすぐ終わってしまう時の「え〜、もう終わりなの、まだやりたいのに〜」という、あの感情です。

今日10日の「納涼会」で、最後のフロアにきて、残りの遊びが①「ピンボール」と②「ヨーヨー釣り」で最後だ、とわかった時の、Sさんの「もう、これでお終い?もっとやりたかったあ」。これを聞いて、「そうだ、この気持ち、あった、あった」とリアルに蘇ってきたのでした。

この気持ち、皆さんも子どもの頃の思い出として、ありますよね。友達と遊んでいて、あと少しで晩御飯に帰らないといけないとか、学校の遠足でどこかへ行って、もう少ししたら帰る時間になるとか、夏休みがあと数日で終わりになるとか、残された時間があと少しだとわかって、がっかりする感じ。楽しいからこそ、やめたくない、もっとしたいという気持ち。祭りの後の寂しさではなくて、もうおしまいになっていくことへの、先取りした残念感・・・。

待ち遠しかった上に、時間も短くせざるを得ず、本当に「申し訳ない、ごめんね」という気持ちも混ざって、複雑な心境ですが、ゲットしたヨーヨーや、お土産のキット③「シャボン玉遊び」や④「アイス作り」もお家でも楽しんでね、また保育園では風と光の遊びを用意しておくからね・・・と思うのでした。

今回の「納涼会」は、ご存知の通り、7月の終わりに実施予定だったものがコロナで1か月半延期になったので、「中秋の名月」の日という季節はずれの実施になりましたが、お天気は私たちに味方してくれて、曇りの天気予報だったのが晴天になり、屋上での⑤「水鉄砲の的当てゲーム」も気持ち良くできました。

3分間と言う時間制限の中で、いかにたくさんの的を倒せるか、遠くの的の方が点数が高いので、狙いを定めて力いっぱいシューッと、水を押し出します。子どもよりも大人の方が夢中になったりしてましたね。

納涼会というよりも、秋のお祭りの屋台という雰囲気、晴れ渡った空の下での、レクレーション大会でした。

保護者の方の「やっぱり、用意してくれたんですね」という声を聞いて「嬉しかった」というのが⑥「わたあめ」の店を出してくれた、小林綿菓子店の社長。保護者の皆さんと一緒に何をやるか考えながらのお店だったので、直接、綿菓子の上手な作り方の手ほどきにも、熱がこもっていましたね。

綿菓子の機械の熱さよりも小林綿菓子店のハートの方がアツアツでした。

⑦「ポップコーン」の香ばしい匂いもお祭り気分、浮かれた気分を十分に演出してくれました。

この二つのお祭りの店に欠かせない定番物は、きっと印象ぶかいものになったことでしょう。

今回の体験コーナーで目新しいのは⑧「STEMコーナー」です。風が下から噴き出る筒の上に、いろんなものを置くと風で浮くという遊び。

ゴム風船、紙風船、カップ麺の容器、布、ボール、紙コップなど、いろんなものが宙に舞いました。

訳もわからず面白い、から、あれ、なんで?という感じまで、発達で異なる反応、リアクションが見えて面白い遊びでした。

園内を1階から屋上まで、フルに使っての縁日大会でしたが、テーマは「風と光と・・」でした。

おうちの方に作ってもらった⑨「かざぐるま」も、扇風機で回して遊んでくれたかな?

何をして遊んだか、ブラックライトで⑩「光るインビテーション・カード」で思い出してね。

この行事の目的の一つは、家族のきずな、保育園を縁(えにし)にした大家族のような子育ての楽しさを共有し合うことです。なので、できるだけ、ご兄弟で参加できるようにしました。コロナだからと、家族の楽しい時間をなくしたくないですからね。

浴衣や甚平の方も多くいらっしゃいました。その姿も本当に可愛らしくて「こんな機会もないと、コロナで着るチャンスもなくなったよね」という、計画ミーティングの時の話を思い出します。

ちょっと季節はずれの、お祭り気分の納涼会。いかがでしたでしょうか。また来年も楽しみましょう。

教育改革の目指すものはどこへ?

2022/09/09

4歳児クラスの女の子が、絵本に載っていた美味しそうなケーキ?を調理の先生に「作って」と、頼んでいます。その絵本のページが閉じないように押さえながら。その様子がクラスブログで紹介されています。微笑ましい光景です。

私たちは、どうやって生活を創り出すのか、子どもの考えや意見や思いを大切にしていこうと思っています。いま流行りの言葉で言えば、子どもの参画、パーティシペーションです。

また幼児クラスでは、今日9日、秋のお月見(中秋の名月)にちなんで、子どもクッキングで、さつまいものお団子を、みんなで協力して作りました。きなこをまぶしたお団子は、甘くて好評でした(下の写真)

 

大人が何かしらの目的を達成しようとするとき、何かを成し遂げようとするとき、大抵のことは一人ではできません。そもそも、一人でできることなんて、この世にあるんでしょうか? 私はない、と思っています。そもそもヒトは一人では生まれてこないものですし、両親という協力しあった関係の中で誕生してきていることを考えても、人間はそもそも一人で完結するようには存在していません。

でも、知らず知らずのうちに、私たちは何か一人の力でできるようになることが自立だと、考えるようになってしまっていないでしょうか。あるいは、一人の資質や能力を伸ばそう、伸ばそうと、一人ずつの成績を測定したり、評価したりして、この子の力はこうです、とあたかも、それだけで定まった力かのように思わさせる仕組みがなんと多いことでしょう。

そうなった歴史的な仕組みを調べれば、雇用制度が発生した時代に遡ります。個性的な存在である人間を、社会が必要とする能力のでき不出来で仕分けする仕組み、共同体の中でしか人間らしく生きられない人間を、いったんバラバラにして生産能力に叶う力を持った「個人」を採用するために作られた評価基準、その時代の研究者に必要な高等教育から下へ下ろしてくる教科教育、そうした仕組みが高度化していったものが<近代の学校制度>でした。

近代に(日本なら明治時代に)生まれた学校制度の、その使命と役割は、大抵の先進諸国が1960年代から80年代に終わりました。日本では学園紛争以降、不登校と校内暴力、いじめの過酷化という現象として現れました。今の社会学は「近代はそのあたりで終わった」とみなしています。日本でも昭和の終わりあたりが「ポスト近代」の始まりになっています。ただ、教育制度の歪みを正そうとする動きは、その時期を待たなくても、常に生産者側からではなく、民衆の側から、教育を受ける側から発されてきました。もう一つの教育、オルタナティブな教育という形で世界に広がっています。

ところが、令和になって、流石にこのままの教育の2系統では、世界の経済の動きに取り残されてしまうと焦ってきたのか、きっかけはコロナ禍でデジタル化の大きな遅れに気づいたのがきっかけのようになっていますが、学校教育を学校の中だけに留めない動き、家庭や地域でも遅れを取らない教育の仕組みにしようと改革を始めました。さらに個人の学び方をそれぞれの最適なやり方でいい、ということを言い出し、さらに共同性、つまり学んだことを共有したり協力しあって成し遂げたりすることを、大事にしようと訴え始めました。

政府が大急ぎでポスト近代にふさわしい仕組みに変えようとしているように見えます。この時代や社会が求めてくる教育の内容や方法が、受ける側から求める教育の内容や方法と、ベクトルが微妙に似てきたものを感じます。個別最適な学びにどこまでシフトできるのか、既存の学校制度の枠内の話なのか、それまで学校と認めてこなかった施設や仕組みを学校として認める範囲をどこまで広げるのか? 家庭教育や塾はどうなるのか? その場合の学校の役割はどう変わるのか?

いろんなはてな?がありますが、でも改革のベクトルは、これまでとは違うように感じます。

最も強い内発的動機は理想的な理念から生じる

2022/09/08

私は他人にギターを教わったことがないのですが、中学校の時に覚えたスキルは60歳を超えても指が覚えています。その間、事あるごとに弾いてきた、ということはあっても、学校や塾のように系統立てて教わった事はないので、体験学習で身につけているスキルの一つと言えるかもしれません。でも、自己流というものには限界があって、さらに習熟していくためには、それなりの訓練が必要になります。

それと同じで、もっとこうしたい、こうなりたいという強い動機を持つことが、何事にも大事なのですが、それは昔から内発的動機と、呼ばれてきました。自己研鑽のために意欲的になれるのは、こうなりたい、こうでありたい、という願いや目的が生じたときです。人生において、これが最も大切なものといっていいような気がします。

それが見つかると、強いです。綺麗な言葉で言えば、それは「夢」なのですが、それを叶えるために必要は事は見つけやすいのですが、夢を持つことの方が、かえって難しいのです。動機の強さは、大人の場合、愛や承認や名声や富や名誉を得ることにつながっていることもあるでしょうが、最も強い動機は理想的なるものへの飽くなき追求力かもしれません。

より良いことを実現させたいという欲求は、社会的欲求の中でも、かなり強いもののような気がします。実現させたい理想的なるものをイデアというのがギリシャ時代からの哲学史ですが、現代ではこれを「理念」と言う言葉で表します。大事なのは、個人も法人も社会も国家も、目指すべき理念を語り合うべきなのです。

理念とは実現されるべき目標概念であり、ひたらくいうと「夢」です。個人の夢が理想的であればあるほど、それは普遍的な理念として、多くの人々がそれを実現したいと思うものです。いかに理念を実現させるか、その方法をみんなで探し合いたいものです。

年中さんぐらいから、小学生頃には、そうした「何になりたい!」が、朧げながらもイメージするようになってきますが、その一方で、乳児にはまだそうした夢や希望はありません。面白い、楽しいとういう、五感をいっぱい使った体験をさせてあげたいと思います。

遅ればせながら「すいか割り」

2022/09/07

7月に実施予定だった納涼会は、コロナ禍で延期になって今週末の10日に実施しますが、その中で行う予定だった「スイカ割り」は、行事の人数制限と時間短縮のために、保育の中で行うことにしました。そこで今日7日(水)の午前中にやりました。その様子は、クラスグログ(パスワード必要)の方でご覧ください。

すいか割りは、暑い夏の浜辺や河原などでやると楽しそうですが、保育園では開園一年目の夏から、何らかの形で毎年実施してきました。一年目は夏の納涼会で、屋形船に乗ったとき。保育園で待機している時間にやりました。2年目はコロナになって、お泊まり会や屋上でやっています。そして昨年も、納涼会で行いましたね。ただ、コロナ禍での行事なので密を避けて、家族単位で離れて行ったので、他のお友達のすいか割りの様子は、見たり応援したりする関わりを持てませんでした。

そこで、保護者を交えた打ち合わせでは「今年こそは、ワイワイと見合いながらやりたいね」という声が出ていました。今回は、先のような経緯から、子ども同士で楽しく、ということはできましたが、家族揃って、というのは、また来年以降の目標ということにしておきましょう。

先進的な事例から保育を学ぶ

2022/09/06

昨日から始まって、今日6日(火)で二日目となる研修会「保育環境セミナー」で、藤森平司代表の基調講演と二園の実践発表を聞くことができました。研修会は保育環境研究所(藤森代表)が主催しているもので、今回で56回目。新宿・高田馬場のセミナー会場に約100名、オンラインでの参加者が約300名に上りました。保育について自主的に学び合う研修会に、全国各地から、これだけの参加があるのは珍しく、保育団体や自治体が主催する数ある研修会よりも活気があり、実践のレベルも高いものです。

今日の基調講演のポイントは「子ども同士」「子どもの共同性」をいかに育くむか。<見守る>ことの意味を解説した保育雑誌の特集号の説明(イラストと解説文)を題材にしながら、私たちが追究すべき保育との違いが明瞭になるものでした。雑誌で説明されている保育者の働きかけは、相手が「複数の子どもたち」に変わっただけで、一人の子どもに直接保育者が働きかけるものと、何ら変わらないものです。しかし、私たちの<藤森メソッド>は、その働きかけそのものを、子どもたちの中から生み出すものなのです。

その事例に近いものが、今日のわらすのブログで「お片付け」のシーンとして報告されているものに近いと言っていいでしょう。セミナーで報告された事例は、遊びの停滞を克服していく動きが、子ども同士の関わりの中から生まれていく様子を、年度末に開く「成長展」で展示したものでした。乳児の遊びのつながり、2歳児クラスでの積み木遊びの展開、幼児での協働的な製作活動など、どれも子ども集団そのものが、知恵を出し合ったり、助け合ったり、協力しあったりしながら、生活と遊びを豊かにしていく関係性の育ちを確認できるものでした。

そのためのポイントをまとめたものも、提示され、既存の保育団体や学会からは出てこない保育事例と分析になっていました。OECDが世界の代表的な保育として紹介している5つの保育カリキュラムがあるのですが、それにもまだない、共同性を育む見守るアプローチの提案になっています。

 

実践報告は、熊本から「ステム保育」の充実した環境と実践の事例が、また長野からは「絵本をめぐる多様な活動」が報告され、いずれも海外で提案しても絶賛されそうな内容です。私たちは、このような保育事例を参考にしながら、保育を高めていける仲間を持っていることに感謝です。保育を学び合うことの楽しさを実感できる研究会です。

「こどもかいぎ」という名前の学校ができたらいいな

2022/09/05

このような光景はとても久しぶりです。楽しい。嬉しい。子どもたちもきっとそう思っているはず。こんな時間が子ども目線から見たら、キラキラした夏の思い出になるだろうな・・そうに違いありません。

そう思ったのは、映画「こどもかいぎ」で、お休みの間に出かけて楽しかった場所は? と聞かれて、その子は滔々と長い話を語るのですが、お友だちに「そこ、どこ?」と聞かれて「スーパーマーケット」と答えるシーンがあるのですが、それを思い出したからです。同じシーンのことを、姉妹園の園長も9月の園だよりに書いていました。大人にとっては、もはやなんでもない場所や遊びが、子どもにとっては宝箱のようになっているということが、よくあることだからです。子どもの「思い出あるある」です。

というようなことを思いながら、屋上の水遊びの様子を写真に撮りながら、暑すぎる夏もコロナの第七波も、大人目線だけで、あれはいい、これはダメと決めつけるのも良くないんだろうな、ちゃんと子どもに「聞かなくては」と思うのでした。

 

保育の探求は、子どもと一緒にやろう、子どもと一緒に「どうやっていったらいいんだろうね」と考えながら生きていこう。そこに大人が忘れたり気づかない宝物が見るかるんだろう。そう思います。そして、さらに、そういう保育園や学校の名前を「こどもかいぎ」という名称にしたらいい。そんな学校ができたらいいのにな、とさえ思うのでした。

 

「こどもかいぎ」を子どもサロンに

2022/09/04

今日は夜8時から1時間、映画「こどもかいぎ」の監督、豪田トモさん、そして映画の中でファシリテーターの役で登場した保育士のカッキー先生と3人で、映画にまつわる話をオンラインでしました。シネスイッチ銀座での上映は終わりましたが、全国での上映も8月でほぼ終わり、これからは「自主上映会」へと移っていきます。今日の3人での懇親会的な雰囲気での話し合いで、私は「こどもかいぎ」の魅力といろいろな可能性について、「こどもかいぎは、子どものサロンである」ということを述べました。

私たち大人は家庭でも仕事場でもなく、自分の思いを伝えたり、他人の考えを聞いたりする「場」を、意図的に作り出すことをしています。その「場」は、あるときは懇親会だったり、お茶会だったり、女子会だったり、同窓会だったり、哲学サロンだったり、研究会だったり、結社だったり、集会だったり、居酒屋だったり、・・・と、集まるメンバーや目的に応じて、様々です。しかし共通するのは、日常の生活の中では見出せない<語りのコンテキスト(文脈)>が創成する場である、ということです。

この人間の欲求は、相当に根強いものではないでしょうか。なぜ、こんなにも多くの種類の語り場があるのでしょうか。それを想像するだけでも、人間にはそういう語り場がなくては人間になれないほどの、何か本質的なものを示唆しているとしか思えません。その欲求を「こどもかいぎ」の中に見出した、という話をしました。それは大人にとっての語り場サロンのような場所、昔のカフェがそういう語り場だったような、そういう「サロンの空間が、子どもにも必要な環境なんだろう」ということに気づいたからです。

そして、このサロンでの自由な語り場が、小学校でも中学校でも高校でも、大学でも職場でも必要なのです。その子ども同士のつながりを、幼小連携の柱の一つにしたらどうだろう、と考えています。このアイデアを千代田区に提案して、子どもの意見を聞きながら、架け橋プランの中に位置づけられないか、実践してみたいものです。今日は懐かしくも楽しい夕べの時間を過ごすことができました。

 

コンテンポラリーダンス「ZER○」の青木尚哉さん

2022/09/03

10月22日(土)の「親子運動遊びの会」(運動会)は、昨年、一昨年と同じように、コンテンポラリーダンサー青木尚哉さんとのコラボレーションで実施します。青木さんは「ZER〇」(ゼロ)という名前のダンスグループを創って活躍されている方です。身体と表現の関係から運動を捉え直していことで、子どもの発達にとって本当に必要な運動や環境とはどういうことかを探究していく活動になっています。今年は7月下旬から月2回ほどのペースで園に来てくださり、子どもとダンスを通じた体験を積み重ねています。運動会では、親子でその醍醐味を味わえたらと思っています。「ZER〇」のダンサーで、青木さんと一緒に園に来てくださっている芝田いづみさんも、丸3年のお付き合いです。子どもたちはお二人が大好きです。「大きくなったらダンサーになりたいです」という子どもたちが、出てこないかなあ、と思ったり。連絡アプリでお伝えした、お二人の自己紹介の動画、ぜひご覧ください。

 

 

これからの教育に必要な3つの特徴

2022/09/02

私たち保育者が日頃考えていることは、子どものことご家族のこともそうですが、私たちを取り巻く人間関係、規制やルール、自然や教育のことなど社会全体のシステムも同時に考えながら仕事をしています。目に映るものや見えている景色にとどまらず、そのような「目に見えない社会の仕組み」から、私たちは精神的にも身体的にも大きな影響を受けているからです。その目に見えない仕組みの中で、私たちに大きな影響を与え続けているものが「教育制度」です。

今日2日(金)は、その社会システム「教育制度」の中でも、これから必要になる教育について考える機会がありました。まだできていないけれども、これから必要になる教育とは、どんなものなのでしょうか? それは保育者がこれまで受けてきた教育、あるいは、いま受けている教育(ちょうど大学から保育実習生が今、園に来ていますが)と、何が異なるのしょうか?

それにはいくつかの特徴がある気がするのですが、一つは、教育や学習で身につける<中身の変化>です。時代の変化が早いとき、個人が身につけて活用できる知識や技術(技能)=いわゆるスキルは、常に新しいものに置き換えていくことが必要になります。スキルのアップデートは社会人ほど不可欠な時代になりました。たとえば私はネット社会に必要なIT技術を学び直しています。しかも、そのスキルは、他者との協働の中で使う比重が増えました。一人でできることなんて、たかが知れいているからです。ほとんどの仕事がチームです。

専門性にコミュニケーション力、発信力、共感力、ファシリテート力などが不可欠になってきたのです。教師も知識や技術(技能)を教えるティーチングよりも、学習者が意欲的に学べるように導くコーチングのほうが重要になります。またコンテンツを直接教えるよりも、どうしたらそのコンテンツにたどり着けて自分で自分のものにしていくか、その学び方を教えることの方が大切になります。これが変化していく<中身>の話です。

もう一つの特徴は、必要とされる知識や学び方それ自体を支える価値判断のスキルです。何が本当に必要なスキルなのか、なぜそのスキルが大事なのか、その理念や目的、個人の考えや思想、生き方、幸福感などは、今後ますます多様で複雑になっていくでしょう。<中身>の方で共同性が重視されるとき、協働する相手の価値を認め、大切にし合いながら、しかも、共通の価値=コモンを創造していく活動を創り出していくことになります。

すると、理念や目的、個人の考え方や生き方、幸福感などが個人や地域や国などによって異なってくることを前提にしながら、地球環境という限られた資源を持続可能に保っていくためのコモンのあり方を見つけ出しながら、目の前の経済社会の動的平衡の中でバランスをとりながら現状も維持して、ソフトランディング(あるいはソフトランチャー)していくことの両立を図らなければなりません。「この農薬散布は良くないけど、すぐにやめるわけにはいかない」といったジレンマの中での、よりよいものへの粘り強いシフトが必要なのです。

その時、たぶんこれまで以上に重視されるようになるのは「対話力」です。こどもかいぎ、のようなことがとても大切なことになっていくのです。しかも、その中で自分づくりが営まれるのです。自己と他者という永遠の哲学的テーマも、新しい時代にふさわしい形で、再認識されることになるでしょう。すでに、その兆候が見えていますけれども・・。

新しい時代に必要な教育のあり方とは、このような中身、方法、より良い価値へのビジョンの3つの側面を具体化するものでなければなりません。保育者にとってもそれが必要で、それはこんなものだということを、今日は確認したのでした。

 

押麦の入った食事

2022/09/01

「園長先生、今日の鯖の味噌煮、どうしても食べて欲しかったんですけど、見事、完食でしたよ」。

にこにこと笑顔の調理の先生。作っている方は、残食がないと、ほんとに嬉しいものです。ご家庭でもそうでしょうね。愛情込めて作ったごはんが「おいしい」と言って食べてくれたら、嬉しくて疲れも吹っ飛びますよね。調理さんもそうなんだよなあ、って改めて思いました。今日のような鯖の味噌煮とか、おうちではどれくらい食べたりしているのでしょうか。子どもたちは、お代わりを競うように欲しがっていたので、私も嬉しくなったのでした。

今日から9月。献立も新しい月に変わりました。「給食」は制度用語なので、普段は「食事の時間だよ」とか「ご飯美味しいね」などと、給食という言葉を生活の中ではあまり使いません。ですから、献立表も午前のおやつ、昼食、午後のおやつ、といった表現にしています。給食というものが表していた内容は、それが始まった時代には、食を給うという意味が自然だったのでしょうが、現代はそのような時代ではありません。私が関わった厚生労働省の審議会の報告も「食事の提供ガイドライン」であり、「給食」ではありませんでした。

さて、その食事ですが今日の主食のご飯には、押麦が入っています。押麦は大麦を少し潰して水を吸いやすくしたものです。お米と同じように、炊いて食べるとこができます。食物繊維や鉄分の補給にもなるので時々ご飯に入れます。

最近では同じように麦の仲間である燕麦(オートミール)の方が、身近かもしれませんね。薄いパフ状になっているシリアル食品なので、牛乳をかけるなど加熱しなくても柔らかくなるから調理しやすいからでしょう。

ご飯に五穀などの雑穀を混ぜると、ミネラルや食物繊維が摂取できるので、腸内細菌の改善にも役立つのですが、子どもたちの食べ具合を見ながら、保育園の食事の中にも取り入れていくかもしれません。

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