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園長の日記

ぼくの居場所、わたしの居場所

2022/04/14

保育園や新しい生活に「慣れていく時期」にあたる子どもたちは、遊びや友達や先生との関係の中に、新しい遊びや新しい人間関係をつくっています。それら空間や物や人という環境は、その子どもの内面から感じ取る世界そのものです。一人ひとりにとって、ふさわしい空間、やってみたい遊び、一緒にいたいお友達、そうした違いがそれぞれにあって、それぞれの居心地のいい場所やモノや相手を見つけていきます。

それはまるで、絵本「どろんここぶた」のこぶたが、大好きなどろんこの中に、ずぶずぶと沈んでいくのと同じです。昨日水曜日は、園長の私が絵本を読んであげる時間があったのですが、「何にしようかな?」と探していると、先週読んであげた「どろんここぶた、がいい」という声があがりました。へえ、そうなんだ、と思いながら、3冊読んであげた中に入れました。このお話は、お家の中を掃除機で綺麗に掃除して「ああ、気持ちがいい」と喜んでいる大人のおばさんにしてみると、庭の豚小屋が汚くて見てられず、どろんこもなくし、こぶたくんもお風呂にまで入れて、着飾ってあげてパーティーにまで連れていくのですが、途中から機嫌が悪くなったこぶたは、綺麗な衣装も破り捨てて、家を飛び出し、どろんこを探しに出かけてしまう、というものです。

このお話に、子どもたちが惹きつけられるというのは、とっても示唆的なのですが、自分の居場所を探しているこの時期の子どもたちにとっては、こぶたのとった行動は、自分の気持ちとどこかで通じるものがあるからでしょう。3階の運動ゾーンで読んであげていたら、4月に入園したばかりの子が、いつの間にかちゃっかり私の膝の上に座って、このお話に聞き入っていたので、ずっとそのままにしてあげました。私の膝のも、どろんこだったのですね。

1年間の見通しの中で始まるお祝い

2022/04/13

今年の入園・進級を祝う会は、子どもたちが大好きな栽培活動を盛り込みました。(わらすのブログをご覧ください)

1年間がどんなふうになっていくのか、それは学年やクラスによって変わってくるものですが、またそれを保護者会でお伝えしてきたわけですが、子どもたちにとっても「これからどうなるのかな?」という未来に向かう時間を意識できるようになってくる年齢になると、何かを「楽しみに待つ」ということが生活の励みになっていきます。園庭がない保育園であっても、工夫をすることで、園庭がもたらす機能や役割を見出し、子どもたちに「体験してほしいこと」を用意することはできます。この20年ぐらいの間に、園庭に花壇だけではなく畑のある園が増えてきたと実感します。食育の勧めなどの影響もあるのですが、子どもたちが野菜や花を育てて愛でるという活動は、子どもたちの心の育ちにもいいものをもたらすからでしょう。

どんないいことがあるのかというと、子どもが本来的に持っている「生き物への共感」を発揮する機会になります。私たち人間は、普段の生活の中では意識できないのですが、生きているもの(植物、動物、人間)と生命のないもの(鉱物などの)から受ける情報を区別できる潜在的な力を持っていました。その眠ってしまっている感覚は、小さい子どもの頃は活性化しやすいのです。今年の保育テーマは「風と光と水と・・・」というものですが、これは自然の中の「生命のないもの」の方ですが、不思議なことに、「生きているもの」は、これ無しには生きていくことができないのです。

この生命のないものが、生命のあるものに変化していく、変化させていく「生きる力」の不思議さを、子どもたちは栽培活動の中で感じていきます。きゅうりなどの野菜がが大きくなって、収穫の時期を迎える頃、それを「食べてみる」ことにつながる活動は、生命(いのち)の循環の中に自分達が生きているんだという、持続可能な社会が必要な意味を後で理解するときにも役立つ体験になっていくのです。

そこで今日、私が夕方に読んであげた絵本は、せっかく収穫された野菜たちが冷蔵庫に入れられたまま、腐ってしまいそうな野菜たちが、月夜の深夜、ゾロゾロと家を抜け出し、野菜の集会に集まるというお話「ぞろりぞろりとやさいがね」(偕成社 ひろかわさえこ)です。「ああ、野菜さんたち、こんなになったら、かわいそうだね」というお話です。野菜や花の種を蒔いたその日に読んであげたので、ちょうど、いいタイミングでした。絵本の中で「くさる」という言葉が出てきたのですが、年長の男の子から「くさるって、なに?」と聞かれたので、そうか、今時の生活には何かが「くさる」という体験がないのかもしれない、と気付かされたのでした。

親しい人との別れは寂しいもの

2022/04/12


私の姿が見えなくなるまで、親はずっと見ていました。私が振り返ると私の親は手を振っていました。空港での別れの情景です。それが正月だったのか、お盆休みだったのか、きっとどちらでもそうだったのでしょう、田舎と東京を往復するたびに、一時期のことではあるのに、親しい家族と別れることは寂しいものです。同じ寂しさであってもまた、子心と親心は違うのですが、親になってみて初めて気づく自分の親心というものもあります。ウクライナから日本にやってきた家族の離別を伝えるニュースは、別れなければならない理由と心情を思うと居た堪れません。理不尽な仕打ちへの憤りと人生の酷さ。これほどの惨いことがあっていいものか、と。しっかりと手を取り合ったり、抱きしめあったりしてからの「今生の別れ」さえ許されない、突然に襲ってきた離別です。

保育園では、4月に入園した子どもたちの、新しい生活が始まっています。でも朝、親と別れるのはやっぱりつらい。親しい家族と別れたくなくて、そばにいてほしくて、あ〜んと泣いてしまいますね。朝別れる時はちょっと辛くても、保育園の中には優しい先生、同じくらいの子供たち、面白い遊具や楽しい遊び、面白い出来事などがいっぱいあって、そちらに気持ちが移っていくと、楽しそうに過ごしています。親のことを忘れている、というと、なんだか親御さんにしてみると、それはそれで寂しいように聞こえるかもしれませんが、そうやって園生活に慣れていき、どの子にっても、保育園も家庭と同じように、その子の新しい居場所となり、アウェイからホームに変わっていきます。その移りゆきはまた個人差があるので、一様ではないのですが、それでも、だんだんとそうなっていくでしょう。それを信じて、いま、いっときのお互いの辛さをおおらかに受け止めあっていきましょう。

ちょっとちなみに、と言う話ですが、子どもの泣き声というのは、大人にとっては「何をさておき、泣き止ませたいと思う」ようにできているものです。赤ちゃんの泣き声は、お母さん、お父さん、祖父母、他人の大人、の順番にストレス度が高いことがわかっています。赤ちゃんの泣き声は大人とっては、なんとかしてあげないといけない、という大きなストレスになるようにできているのです。泣き声を聞くと大人は心拍数が上がり、アドレナリンも上昇します。

確かに、赤ちゃんの泣き声が、助けてあげなきゃ、という行動を大人が起こさないような声だったとしたら、大人から見過ごされてしまい、生命の保持に必要なケアを受けれないで放置されてしまうかもしれません。あの甲高い、遠くまで聞こえる赤ちゃんの泣き声は、小さい体の割には物凄い大きな音を発していることになるので、大人に比べたら、オペラ歌手3人分ぐらいに相当します。

そのあたりの生物としての生存のために、身につけてきた人間の進化の仕組みを理解していくと、子どもが離別を恐れるのはケアの放置を防ぐ高度な戦略でもあり、その目的を保育園が社会的な親として役割を果たしていくことは、村中の人たちが大家族を形成していた時のように思ってもらえたらいいでしょう。

ちょっと隣の家族に預かってもらっているだけだから、という近所付き合いの感覚でいましょう。そのうち、帰りたくないと言って泣き出すようになるかもしれませんから。まずは親御さんがあまり不安にならないようにして、また夕方ね、それまで楽しく過ごしてね、という気持ちで送り出してあげてください。

また、それとは別に、ちょっと留意していただきたいことがあります。それは保育園に慣れてきても、子どもによっては別れ際の抱っこや挨拶やタッチなど、とても大切なルーティーンになっている子どももいますので、そこは知らない間に園を出ていくということがないようにお願いします。ちょっとしたその数十秒ができずに、その後、しばらくぐずってしまうということもありますので、よろしくお願いします。

園内探検

2022/04/11

全部で29人のわいらんすい(3〜5歳児の幼児クラス)には、5つの色で別れたグループがあります。それぞれ6人が基本の、年少から年長までの子どもたちが混ざった異年齢のグループです。今日はこのグループごとに「園内体験」をしました。1階から屋上まで、そこにはどんな場所で、どんな先生がいるのかを案内して回りました。私と担任とで分担して回ったのですが、年長の子たちは、それぞれの場所の過ごし方をよく知っていました。では、年長さんとのやりとりから、その様子を以下にご紹介します。

事務室〜園長先生、事務長先生、保健の先生がいること。用事があるときは「失礼します」というと、「どうしたの」と対応してもらえること。黙って勝手に入ってはいけないよ、お熱の子がいたり、大事なものが置いてあったりするからね・・・「はい、わかりました!」

玄関〜先生「ここには金魚がいるね。餌をあげることができます」子ども「今やりたい!」先生「今はできません」子ども「帰るときにあげるよね」先生「そうだね。大人と一緒にあげようね」先生「これはなんだっけ」子ども「自動ドア。手を入れない。勝手に行かない」先生「ボタンは子どもは、触ってはいけま?・・・」子ども「せん!」

ちっち・ぐんぐん組 私「ここはどうするんだっけ?」子ども「ここはね、赤ちゃんが寝ているかもしれないから、大きな音を出したり、どんどんしたり、大声で走り回ったりしない」先生「そうだね。静かにしよう。話すときは小さき声だったよね」「声の大きさ、1かゼロ」・・年長さんはとってもよく知っているから、びっくりしました。

屋上〜先生「この黄色いのは?」子ども「プール!」先生「もうすぐ、組み立てて、夏になったら水遊びができるようにします」子ども「いつやる?明日?」先生「もうちょっと先かな」子ども「え〜、早くやろう」・・・先生「ここでは野菜を育てよう。きゅうりとかトマトとか、スイカも育てたいね」子ども「うん、やるやる!」(目がキラキラ)・・

わいわい組は移行保育でにこにこ組から、わいわい組に進級しましたが、保育園全体が生活エリアなので、それぞれの場所の過ごし方、居場所としての決まり、どうすると良くなるのかを知っておく音が大事。この子たちに、どんな理由の決まりがあるのか、それを守とどういういいことがあるのかを理解しておくことが、心地よい生活を作り出すベースになっていくでしょう。

決まりの理解の仕方は、次のような話が基本の型になります。

先生「大人になったらね、自動車に乗って自由にいろんなところにいくことができるんだよ。いいでしょ」子ども「うん、うん」先生「でもね、自由に走っていたら、ぶつかって交通事故になるでしょ。だから、決まりがあるんだよ。なんだと思う?」子ども「・・・・」先生「それはね。信号を守ること。信号が青なら走っていいよ、赤は走っちゃダメ、止まれ、だよね」

こんな理解の仕方を、いろんな決まりと理由をセットで「納得していくこと」が大事になります。そのほとんどは、相手がいること、他の人が同じようにしたいから、自分もそうするという関係の質を良くしていくことと関連づけてあげる必要があります。

♪ 屋根より高いこいのぼ〜り

2022/04/09

今週から子どもたちと「こいのぼり」を揚げています。

♪・・・大きい真鯉はお父さん、小さいい緋鯉は子どもたち、面白そうに泳いでいる・・・

この歌を歌ってから、何人かの子どもたちと、よいしょ、よいしょ、と揚げました。

綱を引っ張ると、鯉のぼりが揚がっていくのは、とても面白いのでしょう、とてもいい顔をしています。

こんな体験は、ありそうで案外なくなったもので、しかも子ども心にはたまらない楽しさがあります。

 

 

にこにこ保護者会

2022/04/08

どの子も満3歳になっていく1年間。それがにこにこ組(2歳児クラス)です。それにしても、今年のこのクラス、只者ではないぞ、とワクワク感に溢れています。今日の保護者会でみていただいた最近の動画で、トランポリンの遊び方のルールを子どもたちで決めているではないですか?これはすごい。このようなことができるのは、発達心理学の教科書では、3歳児クラスで紹介されていることが多からです。

これはきっと、ぐんぐん組の時の過ごし方がよかったからでしょう。どのようによかったのかというと、子どもとの関わりの中で生まれる内的体験から、いろいろな思考(考える力)が育まれていることが大きいです。それまでの体験から、新しい場面へ応用しています。自分で考えて行動するプロセスがはっきりと育っています。しかも、相手がいて、自分との考えも調整しないといけないのです。自分は「こうしたい」という自己認識と、お友達は「きっと、こうんなだろうな」という想像的認識とをすり合わせて考える、ということがちゃんとできている。これって、そう簡単なことではないのです。

社会性の育ちと一言で言っても、ちっちの頃、ぐんぐんの頃と、内的体験の積み重ねがあって初めて育ってきている力なので、ただ「仲良くしよう」と言ってもできるものでありません。しっかりと根がはり、幹が育ち、まだ小さいながらも葉っぱを広げ始めてきた子どもたちです。これからが楽しみなクラスになりました。

保護者会では、ぐんぐんからの持ち上がりの先生と、にこにこ組の経験があるベテラン先生の二人から、この1年間がどんな生活になるのかを詳しく説明してもらいました。ぐんぐんの頃から身につき始めている「基本的な生活習慣の自立」も満3歳を目安にしながら、確立していきます。わいわい組(3歳児クラス)では、保育士配置も20対1になるほど、自分でできることも増えます。それだけ、この1年の成長は大きいものになるでしょう。

心の発達の特徴として、満3歳を過ぎて顕著になってくるのは、やりたいことが不適応行動にならないように、「こっちならやっていいよ」という適応行動が選択できるように、環境を構成することです。例えば、机の上に登って飛び降りるということをやる子がいたら、机には乗らないで、トランポリンでやろうね、というようなことです。ところが、やってはいけないけどやりたい、でもやっていいものが見つからない、という状況も起こり得ます。これは今食べちゃダメだから後でね、ということがあったとして、我慢できずに食べてしまったとします。

すると、にこにこぐらいまでは「食べちゃった、えへへ」で許されるのですが、同じようにそれ食べたいけどルールを守っているお友達に見つかったら詰られる、とか先生に見つかったら怒られる、という関係の中に置かれると、「隠れてやる」「食べてないよと嘘をつく」ということが起きてしまうかもしれません。ここで関わり方のポイントがあるのですが、本人が見つかたらやばい、と認識しているということは、ルールはわかっていて守れない自分への罪悪感も育っているということです。

「ああ、悪かったな」と素直に謝れることができる子どもに育てたいのなら、「そんなにやりたかったの」と、一旦、そのどうしても我慢できなかった気持ちを共感してあげてください。すると大抵は、素直に「うん」と認め、そこから「じゃあ。今度は◯◯してみる」という「自分から」という心の動きが生じるはずなのです。それが本来の「自発性」です。行動ではなく心の動きとしての、内面での、目には見えない心の動き、自分から一歩踏み出す心の動きです。これが態度=心の姿勢を形成していくのです。本当の意味で心のこもった「ごめんね」ができるような子どもに育つためのスタート地点です。

まだ友達との関わりの中で、手や口が出てしまうこともありますが、それは自制心と実行機能が育つことで解消されていくので、もうしばらく注意して見守っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。また身体的な活動の幅も広がります。室内だけではなく、戸外遊びも増えていきます。立ち乗りバギーも使って、いろんなところへ遊びへ行けることでしょう。たまにはバスに乗って木場公園などにも散策に行きましょう。自然との触れ合いも増やしたいですね。

 

ぐんぐん保護者会

2022/04/07

今日は、8人でスタートするぐんぐん組(1歳児クラス)の保護者会でした。写真を使って最近の姿からどのように発達していくのか、担任から詳しい話がありました。また配布したプリントに年間の目標が書いてありますが、それをより具体化しながら、毎日の生活を楽しんでいきましょう。

この時期の子どもたちの発達のテーマは、一言でいうと「自分で」と言う自我の育ちです。その中でも、毎日の子育てで、まず直面するのは、いろんな基本的生活習慣の自立です。これは食事や睡眠、排泄、衣服の着脱、清潔など、まさに生きていく上で不可欠な生理的欲求の満たし方に関する生活習慣の獲得になります。このポイントは3月初旬にこの蘭のブログで詳しく述べたので、私からはそのアウトラインだけを簡単に述べました。

食事は自分の適量が大体わかり、食べこぼさずに食べることができる。まずはこの楽しく意欲的に食べられること。睡眠は眠くなったら「安心と満足」の中で「自分から」布団(なりベットなり)に寝に行くことと、起こしてもらったり目覚まし時計などに頼らずに「自分から」心地よく目覚める、という姿になります。排泄は尿意や便意を感じるサインに合わせて随意筋でちょっと我慢できる身体の育ちが必要で、その時期には個人差があること、衣服の着脱は、上着やズボンやスタイを着たり脱いだり、たたんだり、仕舞ったり・・そして清潔は「やると気持ちがいい」という快感を感じることからやりたい気持ちを引き出すことへ。・・そんなポイントをちょっとだけ触れました。

睡眠への習慣では、保育園ではお昼寝に入る前に、「とうさんねんね」という短い歌を歌うのが、お昼寝になるサインになっているのですが、お家でも子どもがそれを歌っているらしく、どんな歌なのか知りたいということがあったので、担任が実演しました。みなさん動画で撮って下さっていたので、お家でもぜひやってあげてください。夜の睡眠への誘いへの気持ちの切り替えに使っていただけると嬉しいです。

睡眠は、お猿さんが子どもに毛繕いするような、あの皮膚の接触(スキンシップ)を伴う、だらだらした時間が大事です。その時に幸せ、と感じるホルモンや眠気を誘うホルモンが分泌されるので、その楽しみへの誘いサインとしての「とうさんねんね」の歌は、心地よい習慣作りになるかもしれません。

さて、こうした基本的な生活習慣を身につけることは、実は心の発達にとっても大きな効果をもたらしており、それはなんといっても自律(オートノミー)を通した自信と意志の獲得です。自分で排泄ができたり、心地よく朝目覚めたりできる力は、それらの力を育みます。習慣を作っていくことで、とっても大事な発達課題を楽しくクリアしていきましょう。

保護者会でもう一つ私が話題にさせてもらったのは、いわゆる「イヤイヤ期」です。これも「自分で」という自我の発達からくる現象ですが、なんでもまずは「自分で」が先走るので、周りからの提案を全部まずは「いや」と言い出すのです。じゃあ、どうしたいの?といっても、その具体的なことはわからないので、自分でも困って「泣いてしまう」ということもあります。自我のからまわり、といった感じです。

駄々こねの場合は、こうしたい、が明確にあっての拒否だったりしますが、その二つが明確に分かれているわけでもなく現れてくるので、親御さんが「困ったあ」となってしまうこともあります。そんなことがこれからあるかもしれません、と言う話をさせてもらいました。こちらは昨年1月中旬のブログに何回か解説しています。

保護者会最後の自己紹介の時間は私が参加できず、残念でしたが、ぜひお互いに交流を深めて親しくなってください。よろしくお願いします。

 

 

すいすい保護者会

2022/04/06

(保護者会の写真を撮り忘れました! この写真は先日花見に出かけた散歩の時)

2歳児クラスから始まった園生活も今年度で最後の1年になりました。これからの1年間を含めて保育園で4年間、保育を受けたことになるはずの、新すいすい組(年長さん 5歳児クラス)。その4年間のうちすでに3年間を保育園で過ごしてきたわけですが、その4分の3の中で、最も大切な時期はすでに終わっていて、〈10人のすいすいさんはみんな素晴らしい「生きる力」を持っていますからご安心ください、どの子もこれから先の人生をきっと力強く歩んでいくことでしょう〉・・今日のすいすいの保護者会では、そんな話をさせてもらいました。

もちろん、これからの1年間に意味がないわけでは決してありません。とても大切な1年です。花に例えるなら、綺麗な花が咲くために必要な根っこや幹や葉っぱはすでに育ち、確かな資質や能力がすでに芽生えていますから、あとはどんな花が咲くのか楽しみですね、という意味です。あるいは昨日のブログで書いた電車の例えのように、すいすいが、わいらんすい3クラスの先頭車両だとしたら、運転席からは小学校の門が見えており、そこに向かってわくわくドキドキの1年間になるでしょう。そんな話をさせてもらいました。

では、すでに獲得している「生きる力」とは、なんでしょう。それは3つあるとお伝えしました。一つは基本的信頼感です。これは入園前までに獲得していたものです。世界は呼べば答えてくれるというトラスト、信頼です。人間は自分から世界に働きかける力を持って生まれてくるのですが(例えば、教えなくても泣くことができる)、その世界への呼びかけ、問いかけに対して親などの他者がちゃんと応えてくれることによって、赤ちゃんは「ああ、今ボクがいるこの世界は呼べば応えてくれる世界なんだ」と信頼することを手に入れます。

反対に、もし誰も応えてくれず、応答がなければ、世界は沈黙の世界であり、自分の欲求は満たされず、放って置かれた孤独の中で生きることを学びます。信頼する力を獲得できず、何を得るかというと絶望や無気力を身につけてしまうのです。

ですから最初のテーマは「希望」です。「みんな希望を持てる子どもに育っていますよ」とお話ししました。このテーマはちっち組(0歳)の年間テーマになっています。この根っこが育たないと思春期ごろに、引きこもって、もう一度自分づくりを始めざるを得なくなります。

二つ目の生きる力のエンジンは、というと、意志です。当園が願う子どもの姿は「自分らしく(多様性)意欲的に(自発性)、思いやりのある(社会性)子ども」というものですが、いろんな多様な個性をもった子どもたちが、共生と貢献の社会の形成に向けて(当園の保育理念)、その実現のために協働できる力に育ってほしいという願いが込められています。

「一人ひとり違うよね」ということから「でも私たちの世界をよくしたいよね」に向けて歩んでいこうとする力、つまり意志です。この力もしっかりみんな持っています。この力も0歳の頃から、自分でなんでもやりたい!という自分を出せること、自分というものを偽りのない自分として主張できること。イヤなものはイヤと自己主張できる力です。

すいすいは、これができる子たちばかりでした。親御さんにしてみれば、困ったなあ、が多かったかもしれませんが、大事なことだったのです。仮面をつけて他者の期待に合わせ、自己を抑圧した偽りのいい子にならずに済みました。きっとそうやって生きてしまうと、青年期のアイデンティティの形成に大きな危機がやってくるかもしれません。

そして三つ目が、だんだん認識しやすい力になってくるのですが、自発的に自分のやりたい目的を持てる力、自分がやりたい目的に向かって自分を律してコントロールできる力です。ちょうど保護者会の最中に親御さんの姿を見てそばによってきた子がいたのですが、担任が「おうちの人でお集まりをしているから上で待ってててね」とお願いすると「あといくつ?」と聞くので担任が、「あと28分」と答えると、分かった、と言って自分で目当てを持って戻っていくことができました。

これがまさしく自分で選択した、意思決定した力によって、時間的に先の行動への指針を自分で打ち立てる力に他なりません。この目的思考(目的志向)で行動できるようになっていくと強いです。保護者会では、担任が最近の子どもたちの姿を写真で紹介してくれましたが、公園から帰る時に自分たちで並び始める姿などにも、この3つ目の目的志向の行動選択の力が見られます。

この3つの宝物をすでに持っている新すいすい組の課題は、これに磨きをかけることです。実践を積み重ねることです、主任の担任はこれを「トライアンドエラー」ではなく「トライアンドメリット」だと言い換えています。3つのエンジンを携えた子どもたちが、どんな体験をこれから積み重ねていくか、本当に楽しみです。保育園時代の「遊びを通した学び」が、小学校以降になると「自覚的な学び」になります。これからお勉強の時間ですよ、今は遊んでいい時間ですよ、みたいに区切られます。自覚的に学び始めることができる力は、3つ目の目的を持って行動できる力があれば、苦もなく移行できますからご安心を。

さあ、これからの1年を思う存分、楽しみましょう。無自覚な遊びに没頭できる時間は、あまり多くはないかもしれません。有意義で思い出に残る活動を、いっぱい作り出したいですね。みなさんと一緒にそれを楽しみたいと思います。

らんらんの保護者会

2022/04/05

らんらん組(4歳児)は今年度、定員10人に対して9人の仲間でスタートしました。そのうち2人が新入園児で、これまで2人しかいなかった男の子が3人に増えました。幼児の担任構成は、メンバーバランスによって2年続けて、らんらん組を担当してもらうこともあるのですが、それは年中組の特徴をよく知っている先生の方が好ましいからです。年中の1年間というのは、目立たないようでいて、大きな変化のある一年になります。

このクラスの子どもたちは、他の学年にはない特徴を持っています。それは上と下に一つ違いの年子の兄弟姉妹がいる学年である、ということです。当園の場合、0〜1歳児、3〜5歳児は異年齢児保育ですが、2歳児クラスだけが単独で学年別クラスになっており、4歳児クラスは3歳と5歳に挟まれた学年になっているのです。前と後ろに、ちょっとだけ発達の違う子どもたちがいるのは、年中さんだけです。

このことを、3両の電車に例えると最前列の先頭車両が年長さんで、後部車両が年長さんだとすると、真ん中が年中さん。先頭車両と後ろの車両は前と後の景色がどんどん変わっていくのが見えて、電車の変化というものがわかりやすいのですが、真ん中にいると同じ変化の中にいるのに、意外とそれに気づかない。

その変化は、縦にも横にも広がる1年なのです。下の子に教えたり、助けたり、分け与えたり、何かを手伝ったり、お世話をしたりと、お兄さん、お姉さんらしい「年上の子」の役割を果たそうとします。人間関係上の位置からくる役割のようなモデルを果たそうとするのです。

一方で、上には年長のすいすい組がいます。らんらんとすいすいの差は、一年という差で同じはずなのに、その発達の差は実は年度の初めよりも年度の終わりの方が大きくなっていくのです。年長の成長は1年の半ばから加速されていきます。右肩上がりの直線ではなく曲線なのです。そのお兄さんらしさ、お姉さんらしら、というものへの憧れやあるいは羨望は子どもによってはこの1年で強くなるかもしれません。

そこで、昨日のわいわいの保護者会でも見て頂いた保育動画で「らんらんの子の活躍ぶり」を少しご覧いただき、年中さんらしさというものをお伝えしました。年中さんらしさと言っても、そこに個性の差があって、このトラブルの仲裁の場面でも、自分が経験してきた決まりやルールの受け入れ方の違いによって、教え方や内容も異なることがわかります。先に取ったのは誰か、という「先取優先の決まり」で解決を促すMさんに対して、双方の意見をまず出し合わせようとするNさんの違いも垣間見えました。

保護者会では、毎回、主任から「生活リズムの大切さ」の話もしてもらっています。夜の睡眠は心身のメンテナンス、という話です。自然の営みに従うという、この内容は、ぜひ全ての親御さんによく理解していただきたいものなので、機会あるごとにお伝えしていきたいと思います。

最後に保護者の皆さんから、自己紹介を兼ねてお子さんの「いいところ」を話していただきました。「えっ、いいところ? なんだろう、困った(笑)」なんていう、声もあったりして楽しい時間になりました。お子さんのいいとろ、これが増えるほど、親子関係は幸せになり、子育てが楽しくなります。保育園で見つけた、いいところ、いっぱいお伝えしていきますね。

 

 

わいわいの保護者会

2022/04/04

1日から始まった保護者会は、今日4日(月)から、夕方4時半からになります。すでにちっち組(0歳)は1日午前中に慣れ保育を兼ねて行いましたが、今日はわいわい組(3歳児)でした。わいわい組は9名が進級して1名の新入園児を迎え、10人の仲間たちです。にこにこ組(2歳児)から持ち上がった担任から、会の最初に1年間の保育のねらいや見通しをお伝えさせてもらいました。そのご最近の保育エピソードを動画で紹介して、私が少し補足説明し、さらに新しい主任から「生活リズムの大切さ」などについてお伝えしました。最後に保護者同士のお子さん紹介をしていただきました。

3月までのにこにこ組は、どちらかというと「縦の発達」で、どの子も通る発達の道筋に個人差があります。月齢の差は個人差として大きく影響します。このブログでも3月1日からミニ連載で解説したように、生活の自立はこの頃までに大きく成し遂げられていきます。ところが、わいわい組以降の成長は、いわば「横の発達」です。どういうことかというと、やりたいことが興味関心の違いがはっきりしてきて、さらにそれが拡大していくようになります。にこにこ組にあった静と動のゾーンの各バリエーションが、3階フロアになると、それぞれグーンと拡張します。親御さんからのお子さん紹介の中でも、シンカリオンに夢中、乗り物大好き、外遊びが好きで走り回っている、うちはどちらかというとインドア派・・・そんな楽しい紹介をたくさんしていただきました。自分の好きなことが分岐して深化していく、探求していく、そんな世界がそれぞれに広がり、深まっていくことでしょう。

一方で、人間関係も縦も横も広がります。にこにこ組では主に同学年での生活でしたが、当園の幼児クラスになると、それが「上にお兄さん、お姉さんがたくさんいる」関係になります。お世話付きな子が「こうするんだよ」「こうしたら」と教えてくれます。保護者会でご紹介した動画での保育エピソードも、そんなお姉さんぶりが発揮されたものでした。

わいわいさん(3歳児)男女二人が、ピーステーブルに新しく登場した輪の形をした柔らかい「リラックス遊具」を取り合う場面。そこで、らんらんさん(4歳児)の女子Nさんが仲裁に入理、使い方の説明によって気持ちを落ち着かせようとします。「これさ、泣いたり、怒ったりしたときに、こうやるんだよ」と。でも、その話はスルーされて「引っ張り合い」は強まります。すると「これ、いい匂いするんだよ」と、匂いを嗅いで見せます。気を紛らわせる「作戦」です。片方のRさんはそれ応えて「チョコの匂いするんだよ」と笑みがこぼれます。それでも二人は輪を離しません。

そこにもう一人のらんらんMさんがきて、次のように提案します。けっこう強引な手法なのですが、「一回、手を離して」と、一旦遊具から手を離させて、「これは、どっちが最初にとった?」と聞きます。Rさんがはい!と手を上げてアピール。それに対してRくんが「(自分は)ぜんぜん、触ってないだけ」と触る権利があると主張します。すると、仲裁者のMさんがRくんに「触らせて、って言えばいいんじゃない」と提案します。そして最初にとったRさんに輪を渡します。Rさんは匂いを嗅いでいます。(写真)もう一度、MさんがRくんにいいます。

「ちょっと、触らせて、って言えばいいんじゃない。そうしたらRっち、触らせてくれるよ(きっと)」

このやりとり、物の貸し借りの場面で身につけてほしい、「交渉術」のようなものですが、このケースでは、Rさんはすぐに貸してくれました。でも、仲介者が二人の「代弁」をしただけで、本人たちは言葉を発していない状態です。代わりに仲介者がモデルを示して集結しました。このように大人が仲裁に入るのではなくて、子どもたちが自分達でなんとか生活を気落ちよく進めていく知恵を発揮し合うのが、わいらんすいの生活になっていくと言っていいでしょう。その成り行きを見守り、必要な時、つまり子どもたちたち自身が、自分達だけではうまくいかない、できないいと判断した時に、先生に頼みに来るようになります。そのような姿が今後増えていくことでしょう。楽しみに待ちたいと思います。

 

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