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園長の日記

出会いも別れも永遠の一部

2022/08/01

(園だより8月号 巻頭言より)

神話や昔話を読んでいると、こちら側と向こう側のちょうど境目がよく出てきます。私たちが見慣れている世界がこちら側で、まだいったことがない未知の世界が向こう側です。私たちは行ったことがないから、その世界を知らないわけですが、でも時々、向こう側へ行ったことがあるという人が書いた本を読んだり、そんな人の話を聞くことがあって、その人がいうには、私たちはみんな向こう側から来たんだという。

 

私たちは実は何度もそこに行ったことがあって、あるいはそこを通過してきていて、そこだけでは成就できないことのために、また必要だからここへ来て、そしてここでいろんな人々と分かち合った体験をまた向こうへ持ち帰り、生全体のために生かすのだと。そんな生と死のつながりの物語を、幾度となく私たちはすでに経験しているのだと。

 

私たちがどこからやってきて、どこへ向かうのか、という問いは「永遠の問い」と言われていて、私たちの通常の意識では答えに辿り着くことはできません。それでも人間は、ずっとこの謎と向き合って生きてきました。実にさまざまな答えや物語を生み出しながら。この永遠の問いからは、決して逃れられないのが、私たち人間です。

 

私の答えは、こうです。向こうのことはわかりようがない、という事実を前提に考えることです。どうも〜こうらしい、を信じるのではなく、まず、こちら側のことをちゃんとわかろうとすることです。こちら側でちゃんと生きることです。「向こう側のことがわからないと、こちら側をよく生きられない」という前提を止めることです。わからないもののせいにしないで、わかり得るものを、もっとよくわかろうとすること。それがわからないことがわかった時にも、きっと後悔しない生き方になるはずだからです。

 

わかろうとしさえすれば明らかになることが目の前にあるのに、なぜ、わかり得ないとわかっていることに、わかったようなふりができるのでしょう。目の前の子どものことも、もっとよくわかろうとすることでわかること、そして分かち合えることがいっぱいあります。そして目の前に子どもがいない時でも、なくなることはない精神の存在を信じることもまた、その子のあり方を認めてあげることになることでしょう。私たちは、私たちが思っている以上に奥深い存在です。出会いも別れも永遠の一部なのです。

藤森理事長が遠藤熊本市教育長と対談

2022/07/31

当園を運営しているの社会福祉法人省我会(藤森平司理事長)は、現職の保育士のキャリアアップ研修を主催しているのですが、この秋からは現職の園長やその候補も含めた養成研修も手掛けることになりました。そのスタートアップ・イベントが今日31日(日曜日)、東京・高田馬場の「日本児童教育専門学校」で遠藤洋路・熊本市教育長をお招きして開かれました。

遠藤氏は、文部科学省に勤めていたことから国が進めている教育改革の内容を熟知している方で、昨年中教審が答申した方針を熊本市で早速具体化しています。この日のイベントでは藤森理事長と遠藤教育長が、これからの教育や保育について対談しました。キーワードは個別最適な学びと協同的学び。このフレーズは、私たちの周囲に留まらず広がっていく言葉になっていくといいのですが。保育に置き換えると「自分らしく、思いやりをもって」ということと重なります。

遠藤氏はその紹介サイトなどによると、1997年文部省(現・文部科学省)入省し、2002年ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(公共政策学博士)。06年7月文化庁文化財部伝統文化課課長補佐。07年4月熊本県教育庁社会教育課課長。09年8月内閣官房知的財産戦略推進事務局総括補佐。10年10月同省退職、11月に青山社中株式会社を起業し、共同代表。14年法政大学キャリアデザイン学部兼任講師(現代教育思想)。17年より現職。著書に『みんなの「今」を幸せにする学校』(時事通信社)などがあります。

https://toyokeizai.net/articles/-/583968

 

 

納涼会はまた別の日に

2022/07/30

今日7月30日(土)は納涼会を行う予定でしたが、オミクロン株の流行で残念ながら延期することになりました。今年は保護者の皆さんと話し合いも行い、出していただいたアイデアも盛り込みながら計画してきましたが、運営するスタッフが足りなくなったこと、参加できる家庭がごく少数に限られてしまうことが予想されたので延期を決めました。みなさんと一緒に創り上げる行事を中止にしてしまうことはしたくないので、実施できそうな時期を見計らって、再度計画したいと思います。

(写真は和泉橋からみた保育園屋上のひまわり)

スズムシは夏のむし

2022/07/29

スズムシは「秋の虫」の代表ですが、実際は夏に鳴き始める「夏の虫」だってことを教わったのは、千代田せいがに自然を取り入れたいと、方々の「虫屋さん」を探し回った時のことです。一度、その話はこのコラムでご紹介した記憶があるのですが、それにしても卵から幼虫になり、数ミリの成虫になっていく過程を見てくると、そしてこの7月末には早くも鳴き始めるんだということを目の当たりにすると、スズムシの盛りが夏なんだ、ということを実感します。

ひっそりとした保育園の玄関で鳴き始めた保育園育ちのスズムシたちは、お互いに程よい距離をとって、求愛の合唱を奏でています。羽を震わせている音なので鳴き声、という言い方は正確ではないのでしょうが、数秒のインターバルを置いて、リズムカルに染み入ってくるような声は、確かに優しく涼しげです。

 

こころは一つ、皆さんに感謝

2022/07/28

こういう時に、いくら空間や物が豊かにあったとしても、人がいなければ保育はできないんだということを思い知らされます。子どもが環境に自ら関わって経験することが、発達を促すプロセスそのものなのですが、それでも、その環境の要は保育者であり、子どもたちであるということが、このような時にはっきりとわかるものです。保育は先生や子どもがいないと始まらない。そして登園を控えてもらうお願いをしなければならなくなってしまったことに、子どもたちと保護者の皆さんに、本当に申し訳なく思います。

今日、東京都はコロナ禍で初めて1日4万人を超える感染者の発表がありましたが、もうあまり驚かないようです。当園は12人の登園、39人が家庭保育をしていただきました。家庭保育にご協力いただき、お礼申し上げます。また、このような感染爆発の中でも、私たち保育者もそうですが仕事を継続しなければならない方々にも、感謝しています。温かい言葉をかけてくださると、本当に心に沁みます。保育園に預ける、預けないに差はありません。心は一つ、皆さんと一緒に力を合わせて乗り切っていきたいと思います。

自主休園へのお礼と今後の見通し

2022/07/27

連絡アプリでも申し上げましたが、本日26日(水)は、急なお願いにもかかわず、登園を控えてくださったり、登園時間を調整してくださり、ありがとうございます。今週になって職員がオミクロン株に感染してしまうケースが増えて、保育体制を維持することが非常に困難な状況になってきました。51人の定員に対して、国が定めた最低基準では、7人いればいいのですが、それでは元々保育はできません。当園は11人の常勤保育士を配置しています。そのうち今日までに5人がコロナに感染して陽性になり、今日は6人で保育をしました。今日子どもは19人(ちっち1名、ぐんぐん5名、にこにこ3名、わいわい5名、らんらん3名、すいすい2名)でしたので、なんとか保育はできました。

しかし明日、明後日と、保育はどうなるか、詳細はまだわかりません。コロナ陽性になると10日間お休みなるので、少なくとも来週も職員の復帰は見込めません。今日よりも園児数が増えると、さらに保育が厳しくなります。そこで昨日、少なくとも8月3日(水)までは、保育利用時間の短縮をお願いさせてもらいました。今日は千代田区と保健所と相談し、さらに登園自粛要請に踏み込むかどうかを話し合いましたが、当面「ご家庭において保育が可能な方は、できるだけご家庭での保育のご協力をお願いする」というレベルに留めることになりました。

このような状況を招いてしまい、本当に申し訳ありません。できる限りの方策を講じますが、今後、さらに多くの方に登園を控えていただくことを、さらに強くお願いすることになるかもしれません。明日のお昼頃の連絡で、登園数などを確認しながら、その見通しもお伝えします。この状況をどうぞご理解くださいますよう、お願いします。

 

納涼会は延期へ / 開園時間の短縮のお願い

2022/07/26

今日は皆さんに、残念なお知らせを2つさせてもらいました。

一つは30日(土)の納涼会は延期させてもらいます。今週になって、職員も子どもも感染が増えてきて、保育体制に支障が出てきました。このままでは、実質上の休園に追い込まれてしまうかもしれません。それを避けるために、平日の保育を優先することにします。

もう一つは、開園時間の短縮です。少ない人数で保育をするには、多くの子どもたちがいる時間帯にきちんと先生たちがいる必要があります。そこで窮余の策として、11時間開所の短縮化をさせていただき、保育の継続を図ることにしました。朝夕の早い時間と遅い時間が必要なご家庭には大変申し訳ないのですが、お勤め先に相談していただき、何卒、ご協力のほどお願いします。

なお、姉妹園とも相談したのですが、同じような状況でいずれも余裕がありませんでした。また千代田区は今、区内各園の逼迫状況を調査しています。その結果がもうすぐ届きます。保健所とも感染対策を考えたいと思います。

オミクロンBA.5の感染力を医師に聞きました

2022/07/25

「BA.5は、とにかく移りやすいよ」と千代田区内の医院の内科医は言います。「マスクをしていても呼気は漏れているので、多くの人が話をしているような場所はいかないように」と。例えば、多くの人が語り合っている喫茶店、会話が多い百貨店、外だから大丈夫だろうと思ってマスクをしない大声で喋っている飲食店の前など、そういうところは近づかないように、と話します。政府は「行動制限をしない、でも万全な感染対策を」という、その感染対策が「マスクさえしていれば、大丈夫」になっていないか? それなのか、全国的に均一に増えている。

空気感染であるオミクロンBA5は、換気、通気が大事。この医師は、それでもこう言います。受診にくる患者さんは「どこで移されたのかわからない、という感じですね。そりゃあ、これだけ増えたら、それはもうしょうがないね」。この話を聞いて、そうだろうなあ、と思います。とにかく街中の人混みがすごい。これで感染力が最強のウイルスが跋扈しているわけだから、自然にピークが来るのを待つしかないのでしょうか。しかも、これは私の感触ですが、今回は子どもの陽性が目立ちます。大人から子どもへ、子どもから大人へ、その両方がありそう。

当園も感染対策を続けてきましたが、とうとう先生たちにも感染者が増えてきました。もともと私たち保育者は、普段から、そういった場所へ行ったりしないように行動制限をかけてきましたが、データに出ない感染者を考えれば、毎日の報道されている数の何倍もいるので、どこかで吸ってしまうのでしょうか。微熱や喉の違和感から始まって、熱が上がり咳や鼻水を伴うようになったりします。

あの子たちがいま・・・

2022/07/24

映画公開3日目の24日、午後1時過ぎからの上映は満席でした。映画に登場する子どもたちや親御さんとの「再会」を通して、お互いに「ああだったよね、こうだったんだよね・・・」を確認できる特別な時間を過ごすことができました。映画のラスト近くなると涙腺が緩んで困ったのですが、いろんな思いが浮かんできて、複雑な心境になってしまいました。

映画が終わってから、いま4年生になった元すいすいさんたちが、一人ずつ感想などを話してくれたのですが、こうやって振り返ることがとても大事で、このこと自体もまた、今を生きている時間になっていきます。子どもたちの言葉にしてくれた声を聞くことができ、また言葉にならなかった声も感じることができて、私にとってもいい時間でした。時間がなくなって、私が伝えたかったことは話す時間がなくなったので、お礼を申し上げました。

豪田監督には「これからがスタートですね」とお伝えしました。これで全てが通じ合っているのですが、何がこれからか?というと、保育園での試みで終わらせないということです。この映画がきっかけになって、いろんなことを考えて語りだす大人がもっともっと増えてほしい。多様な意見があるのが当たり前で、その考えが色々あることが不一致で困るや、違う意見を責めたり否定するのではなくて、いろいろあることが当たり前だという感覚を持つことが、市民社会の起点なんだと考えたい。

そして、その異なることが人間であり人権であり、そもそも豊かさの定義だったことを思い返し、そのことを本当に突き詰めていくと、私たちが地球にやってきた理由の根源なんだということに結びついていくだろうから、です。この三日間、千代田せいが保育園の保護者の方も、たくさん親子で見にきていただき、ありがとうございました。コドモンでもいいので、ぜひ、感想をお寄せくださると嬉しいです。よろしくお願いします。

映画「こどもかいぎ」で観てほしいこと

2022/07/23

「保育の意味が、一般の人にも伝わる素敵な映画だなぁと思いました!とってもよかった!」という感想をもらいました。昨日7月22日から始まった映画「こどもかいぎ」を観た方の感想です。この感想はとっても嬉しいものです。「保育の意味」が保育に関係していない方にもよく伝わるなら、これはありがたいことです。

ここに描かれている保育のエピソードの数々には、その「主人公」であるはずの、一人ひとりの子どもにとっての「意味」があります。保育の意味が伝わるというのは、どう言うことなのか、ちょっと考えてみました。この話を明日24日の舞台挨拶の中で語るつもりです。

映画は1年を通じて、普段の毎日の保育風景も描かれています。それはそれで、藤森平司先生が創り上げた普遍的な保育哲学である「MIMAMORU HOIKU」が伝わるようになっているのですが、この映画では、タイトルにもなっているように、子どもたちが輪になって対話を重ねる様子が楽しく描かれています。その「場」で語られる「ことば」は、確かにその子のことばなのですが、私にはそこで発せされていることばの意味(「貸してくれた」)だけの意味ではなく、そのことばが生まれてきた人間関係や過程をセットで捉えることで見えてくる保育の意味の方に、人間の営みやことばの本質を感じるのです。それが、この映画で伝わったらいいな、と私が思う目線です。これを私はあえて「関係の発達」なんだと訴えてきました。

ネタバレになってしまうので、映画の事例を使ってその意味を詳しく書けないのですが、「こどもかいぎ」の言葉は、本来は自分だけでいても決して発されることなかった言葉なはず、であり、本来、ことばがそういうものであることも改めて確認したいいことでもあるのですが、それを含めたその子の全体も「自分」だけでは完結しようのない、「他者」との関係で浮かび上がってくる姿であること、その中のことばであることに、大事なものを確認したいと思うからです。

このような「場」(状況という環境)を想定するデザインが保育なのですが、このことは、やってみて初めて気付かされた環境構成の力でした。そしてこのような場を、もっと社会の中に生み出したい、学校の中にも創っていきたいというムーブメントが、豪田監督を中心に動き始めています。内閣府も厚労省も応援してくれているので、この流れを日本の中で大きくしたいと切に願っています。

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