MENU CLOSE
TEL

園長の日記

納涼会の第2回保護者ミーティング

2022/06/29

今日は午前9時と11時に入園前の保育園見学を案内し、ちょうどその合間の誕生会で、3人の6月生まれのお友達をお祝いしました。年長さんはお泊まり会の夕食を何にするかを話し合い、明日と明後日に延期になったプール設営の準備も確認しました。この土曜日には、全職員が集まる研修会があるのですが、その日の午後は、元すいすい組の家族が集まるプチ同窓会も開かれますので、その実施方針も軽く打ち合わせました。

今年度も既に3ヶ月が経とうとしており、この時期から年度後半を見通していく時期になります。例えば年度途中の園児の受け入れができるかどうか。秋の運動会のテーマを何にするか。芋掘りの実施場所や、成長展の特別展示の内容などです。また8月になると、高校生ボランティアの職場体験もありますし、保育者養成校からの実習受け入れも始まります。その方々とオリエンテーションの日程を決めたり、養成校の先生と連絡を取り合ったりもしました。

夕方には納涼会の保護者ミーティングの2回目が開かれ、その内容がだんたん固まってきました。前回同様にたくさんの方にお集まりいただき、有意義な時間を過ごすことができました。この2年間、コロナ禍でできなかったこと、本来はこんなことがやれたらいいという提案や実施イメージを話し合っていただきました。特に感染対策の中で、人とどれくらい離れていると安全なのか、濃厚接触にならない「ふれあい」の形をいうものについて、意見を出していただきました。

このような語り合いや懇談が、やっとできるようになったなあ、という感慨もちょっと感じて、楽しい時間を過ごすことができました。リモートの方もご参加、ありがとうございました。

「自由と勝手は違うよね」

2022/06/28

幼児の夕方のお集まりで、大切な話し合いが開かれました。テーマは「どうやったら決まりを守れるか」です。やっていいことと悪いことがわかり、望ましいことができるようになることは、まさに教育の柱の一つです。自分がやりたいことであっても、それが認められない場合、「やりたくてもやらない」という態度を身につける必要があります。

遊んだおもちゃは元にしまう、お友達のものを取らない、ものを独り占めしない、並んだ順番は守る、室内では走らない、お昼寝の時間は静かに過ごす・・どれもこれも「自分だけ良ければいいや」では済まない事ばかりです。「自分勝手にやってしまうと、どうなるかな?」「勝手にやっていいのかな?」こんな問いかけに、子どもたちは「ダメ〜」とわかってはいるのです。先生も「そうだよね。ダメだよね。じゃあ、どうしたらいいのかな?どうやったら気持ち良く楽しく遊べるかな?」と聞くと、「ハイハイ」と手が挙がります。そして、たくさんの「こうしたら、いいんじゃない」が提案されました。

そんな話し合いの様子をみていると、子どもも「わかっていることと、やることは別なんだなあ」と思います。こうしちゃダメということは知っているのです。でも、なかなかできない。「ただ、したいからしているだけ」で、別に悪いことをしているとは思いもしない、という心理状態です。やっていることは、物の取り合い、自分が決めたことが優先されて相手の提案は受け入れない、衝動性もあって「今じゃなくて、後で」はできない。この子たちにとって、そう簡単には決まりを守ったり、他者に「ゆずる」といったことは難しいようです。これを幼児の「自己中心性」と呼んだのが、ピアジェです。まだ、発達段階として「できない」段階なのです。

それを、理屈で諭してできるようになることはありません。発達には順序性があって、然るべき体験の積み重ねの中で徐々に獲得されていくのです。ここは根気よく、子どもたちからの芽生えを待つしかないのです。この発達を長い目で見据えながら、子どもの育ちをとらえることが、私たちの専門性になります。

梅雨が明けて「危険な暑さ」続く模様

2022/06/27

(NHKのニュースより)

梅雨前線が一気に北上して、あっけなく梅雨が明けました。亜熱帯ジェット気流の蛇行のズレによるものだそうですが、併せて、太平洋高気圧の勢力が強いのだとしたら、次は台風が怖い、という話になるのかもしれません。

地球の温暖化による海水温の上昇は、局所的にとても大きなエネルギーの渦を作り出して、ここ数年の台風は、勢力が強く巨大化しています。こんなに早くから「危険な暑さ」の日が続き、さらに山の貯水が足りないことからくる水不足や、暑さが拍車をかけて電力が逼迫して停電になるようなことも、想定しておく必要が出てきました。こうなってくるととても厄介です。

これらに加えて、線状降水帯の形成などによる神田川や荒川の河川の氾濫を想定した避難行動計画づくりが千代田区も義務化されました。これに基づき、タイムライン(時間の経過)による事前避難のお願いをすることもあるでしょう。

さて、先日の土曜日に屋上のプールを組み立てる予定でしたが、あまりに暑いことから、急遽、延期させてもらいました。暑さ対策をするために協力をお願いしていながら、熱中症にでもなったら本末転倒、別の方法を考えます。また直前に職員の新型コロナウイルス陽性者が出たこともあり、健康観察と感染防止の強化に取り組まなければならないので、千代田区が主催している保育園の体験見学も延期になりました。

気象もウイルスも私たちの叡智を超えた自然の話です。まだまだ分からないこと、予測できないことが起きます。こんな時は、私たち人間も自然の一部であることも思い起こし、身体が出してくるサインを敏感に読み取るようにしましょう。

子どもたちをみていると、いつも汗をかいて運動してきたからでしょうか、食欲もあって元気です。体調を崩しやすいのは大人の方かもしれません。暑すぎる気温にまだ慣れていないと、汗をかいて体温を下げる仕組みがまだ本格的に働かず、自律神経もおかしくなりがちなので、しっかり睡眠と休養を十分にとるようにしましょう。

「危険な暑さ」の日が続きます。寝ている間にかなりの水分が体からなくなっていきます。寝ている間にも熱中症になることがあります。寝る前にコップ一杯、朝起きても一杯。とにかく水分補給をこまめに行い、食欲が落ちることのないような生活を続けましょう。

0歳からのデモクラシー

2022/06/24

私が霊長類研究者の話を聞くのが好きなのは、ヒトを親類の霊長類と比較することによって、人間の特徴がよくわかってくるからです。例えばゴリラと40年以上一緒に暮らした山極寿一さんの話は、どうして人間がウクライナ戦争のような愚かなことをしでかすのか、参考になります。あるいはチンパンジーと心を通わせてきた正高信男さんの言語学は、当たり前のように思っている赤ちゃんの言語獲得の不思議さといったことを思い知らされます。

今朝朝早く、東の空に惑星が直列したのですが、人間はそんな天体予測ができるような科学技術を発明する一方で、毎日100人から200人以上の戦士の戦死者を出している戦争を4ヶ月以上も続けてしまうことも、霊長類の中では人間だけです。偉大なのか愚かなのか、こんなに極端なことをしでかす人間と言う不可解で不条理な生き物は、これからどんな世界を作り上げていくのでしょうか。それがどんな世界であろうと、子どもたちはその世界の中へ、足を踏み入れて行くことになります。

山極さんは、フィールドワークをしているときにゴリラの群れにしつこく迫りすぎて、2頭のメスゴリラに後頭部と足を噛み付かれ、死にそうになったことがあります。その時とどめを刺されずに済んだのは、オスゴリラが、その瞬間に止めに入ったからだそうです。ゴリラは人間を恐れており、ヒトを殺してしまうと厄介なことになることを知っているからだといいます。ゴリラ同士の戦いでも、胸を叩いてドラミングをして威嚇はするが、致命傷を負わせるような殺し合いは決してしないそうです。本気で戦ってしまったら失うものが大きすぎるからです。

人間が行う戦争は、国と言う単位の主体同士が領土、エネルギー、食糧をめぐって所有権を奪い合うパワーゲームなので、国民はその手段を担わされます。国が個人の尊厳と生命を犠牲にさせるのです。国が国民を守るために戦争をするのではなく、国家という共同幻想体を維持、拡張するために、国民が犠牲になるのです。その事は、日本が中国や米国と戦争をした経験からも明らかです。暴走してしまう国民国家をどのように国民がコントロールしていくか、そのために作られたものが戦後の憲法でした。

7月10日の選挙に向けて、民主主義とはどういう姿でなければならないのか、人間だけが獲得した言語を使って、個人の尊厳を守ることができる政治の形を成熟させていくことが大人の責任なのでしょう。

「泣いているだけではわからないから、言葉で言おうね」。「どうして欲しいの、手伝ってあげるよ」。「お互いに言いたいことがあるから、ピーステーブルに行って話し合おう」・・・

保育園の子どもたちがやっていることと、G7や国連でやろうとすることは、その本質は同じだと思います。選挙権は18歳からでも、デモクラシーは0歳から始まっているのです。

 

自分を取り戻すために

2022/06/23

先日NHKのドキュメンタリー番組で、写経に通う人たちの72時間を描いていました。般若心経を1文字1文字写すことで、どこかに忘れてきた自分を取り戻して、また日常に戻っていく。どこから来てどこに戻っていくのか、精神的コンディションを整えるためだったり、あるべき自分を思い出すためだったり、そこに通ってくる人たちは、それを行うことでまた、自分の「本来」に立ち返って行くように見えました。

写経は1人で行うものですが、仕事から離れて、あるいは家族から離れて、自分の中にある「厳かなものに向かう自分」と対面しています。1人でやっているように見えながら、無言の対話のようなことを、意識しているにしろ、しないにしろ、やっているのかもしれません。日々の生活の中で溜まっていく心理的な澱(おり)のような、あれこれを、浄化していきたいと願う欲求を私たちは持っています。

頭の中をスッキリさせたい、心を整理したい、すり減った感覚を蘇らせたい、そんな復元力を得たいと人は感じています。それはきっと子ども同じなんでしょう。モヤモヤした気持ちが渦巻いていたり、わけもわからずイライラしたり、自分だけでは収まらずに、人に八つ当たりしたり、泣き叫びたくなったり、思うようにいかない自分の気持ちに手を焼いてしまうこともあるでしょう。

もしかしたら、そんな時に、人に役立つことをすることで自分の気持ちを立て直していくことがあるような気がします。人間には生まれながらにして、人に役立つ存在でいたいと思う傾向を持つと言われています。利己的という言葉の反対は利他的という言葉になります。たとえば進化生物学者のドーキンスは、人間の遺伝子は利己的であると説明しますが、進化人類学者は、人間の本性は利他的であるといいます。どちらの側面も持っているのでしょうが、類としての人間が利己的であったとしても、個人としての人間は利他的であろうとしているように思えます。

わいわい組のお友達2人が、ぐんぐんさんのお手伝いをしている報告を読むと、利己的に振る舞って喧嘩になってしまったバツの悪さを、年下の子たちへの利他的な行動によって補っているようにも見えます。人は心のバランスを取るために、他者にまさる優越感を覚えたりする一方で、自分よりも他者を優先する行動によって満たされる心を持っているのかもしれません。子どもたちが、小さな社会の中で見せてくれる姿の意味を考えると、はっとすることがあります。

「冷やしたぬきうどん」で育つ非認知的スキル

2022/06/22

湿度が90%を超える梅雨の夏日。こまめな水分補給が欠かせない日が続きます。そんな暑さの反映なのか、冷やしたぬきうどんが人気でした。6月の献立は、この4月から新しいメンバーに加わった栄養士のS先生が作ったメニューです。用意したうどんが全部なくなって、旺盛な食欲にS先生も喜んでいます。「いただきます」をして食べ始めてから15分でおかわりができるのですが、待ち遠しくて、その時刻がくるまで、まだかまだかと「がまん」する姿が目立ちました。その様子を見ながら暑いから「さっぱりしたものを体が欲しているんですね」とS先生と話し合いました。

ところで、こんな場面でもAI時代に必要な非認知能力を育む機会になっていました。ちょっと復習すると、こんな話でしたね。何かやりたいことがあって、そのために待つことは、その目的達成のために自分の行動を律する実行機能を育む機会になります。ただし、ここでのポイントはその目的を自分たちで納得して決める、という意思決定のプロセスです。生活の中の目的やゴールを決める過程に子どもも参画すること、自分たちの意見や考えを反映させていくことが大切なのでした。

自分で決めた目的でなければ、その行動制御は、人から強制的にやらされていることになります。その場合は自分で自分の行動を制御する力は育ちにくいのです。そこで今日は私が「おかわりの時刻決め」をするとき、あえて子どもたちに聞いて決めさせました。「ここはなに?」と。ダイニングの時計の下にはホワイトボードがあります。

そこには「おかわり」の「はじまり」と「おしまい」、そして「ごちそうさま」の時刻を記入するところがあり、アナログの時計を見せて「ほら、いま、長い針が2のところだよね、そしたら、おかわりのはじまりは?」と聞くと、年長のTくんが「5だよ」と教えてくれるので、彼の話にみんなを注目させます。まだ時計が読めない子どもたちがほとんどなので、長い針、短い針が指し示す「数字」を使ってのSTEM保育です。「そしたら、おかわりのおしまいは?」と聞くと、何人かの子どもが「はち〜(8)」と、教えてくれます。みんなが食べ終わる「ごちそうさま」も「じゅういち(11)」と決まりました。

その「5」つまり12時25分になるのが待ち遠しくて、座って待っていられずに、配膳カウンターにやってきて「おかわり、まあ〜だあ?」という子どもが目立ったわけです。そんな時、子どもたちが同じテーブルを囲み、同じものを一緒に食べる「共食」は、黙って一人で我慢するのとは違い、みんなもやっている決まり、ルールだからこそ、守りやすいのかもしれません。それが自己制御の力にどう影響するのか、研究してみる価値のあるテーマだろうと思えます。

やることいっぱいで大忙しなんだよ〜

2022/06/21

保護者の方から、こんな報告をいただきました。

・・・昨日のすいすいミーティングの様子を話してくれて「みんなには聞こえない◯◯ちゃんだけの声でどーしよー、何を言ったらいいかな、考え浮かんでこない、やばーいって言ってて頭真っ白だった」と言ってました。自分のことをそれだけ説明できるならそれはそれでいいかと思ったり、・・(省略)・・みんながあげてくれた計画は本当に楽しみなようで「やることいっぱいで大忙しなんだよー」とスケジュールを話してくれました。・・・

こんなにみんなの話を聞いて考えているんだなあ、と感心します。自分の考えを他の人に伝えるということを、子どもの頃から経験していく上で、言わないとやばい!というプレッシャーを感じさせるのも良くないので、ちょっとその辺りは工夫して、思いつくこと、伝わることが楽しいという体験になるようにしたいものです。それでも、やることいっぱいで大忙しなんだよ〜、はちょっと楽しそうです。「子どもは未来を楽しみ、大人は歴史を味わう」という言葉がありますが(いや、勝手に今作ったのですが)、楽しく忙しがる気持ちをユーモラスに表現できるなんて、素敵です。

 

にこにこ組の初めての木場公園、芝生広場が初めてだったわいわいの子どもたち。それらの様子はクラスブログの写真をみていただくとして、毎日の戸外遊びに見通しを持って明日を迎える、昨日の続きを今日も膨らませる、そんな毎日のつながりを大事にしていきましょう。ただ、あまりに蒸し暑さがひどい時は、戸外遊びも中止になるかもしれませんので、気持ちのフォローの方も、よろしくお願いします。

すいすいの「こどもかいぎ」

2022/06/20

すいすい組がミーティングを続けています。年長による「こどもかいぎ」です。何かのテーマについて自分の考えや思いを口にしてみる、伝えてみる、受け止めてもらう、そして場合によってはみんなの考えになっていく・・・そんなプロセスを経て、ある物事が決まっていく。年長組という小さな社会での意思決定プロセスにも立派な民主的手続きが芽生えています。

最近、目に見える形で「すいすい殿の10人」が決めたものは、今週の散歩でどこにいくか、何をするか、でした。その結果、すいすい組の今日の戸外活動先は「秋葉原練塀公園」に、先週のうちから決まっていたのです。

週案をこどもたちが決めていく。生活や学びをプランニングしていく試みが、年長さんたちから始まっています。

3〜5歳の部屋は3階ですが、朝のお集まりは2階のダイニングで開かれます。すいすい組の部分的週案をもとに、らんらん(4歳児クラス)、わいわい(3歳児クラス)のこどもたちも、外に行くか室内で過ごすか、考えながら選んでいました。

選ぶときに「行ったことがないから、どんなところか行ってみようかな」とか「あそこに行って、こんなことしてみたい」とか「お部屋で園長ライオンしたい」とか、いろんなプランを思い浮かべていることがわかります。この見通しをもつ、計画を思い描くことが大事です。この「思考」のところが、まさしく非認知的スキルの育成の瞬間なのですが、ポイントは見通しや思い描くための「材料」を、一人ひとりの子どもが持っているか、です。

一度行ったことがあれば、その体験に基づいて「また行ってみたい」「もっとやってみたい」ということになるのですが、やったことのない場所や活動については、選択対象に入ってこないので、自分でこれまでやってきた体験から選ぶことになってしまいます。

そこで新しい体験をこども自身が選ぶことは難しい、という前提に立って、誘う、導く、試すといったことが必要になります。これが教育界でよく使われる言葉「動機づけ」です。私たち保育の中では、子どもに見えるようにすることで、子どもたちが最初から持って生まれてくる好奇心や利他性などに働きかけます。

子どもは本来「新しいもの好き」なので、その新規性の刺激を与えて、触ってみたい!やってみたい!に点火します。手にとってやってみる、行ってみる、試してみる・・その世界を広げていくことが環境を通した保育の動機づけの部分になります。晴れた日に出かける公園をどこにするか。それも子どものが生活を作り上げていく参画になっていくのです。

映画「こどもかいぎ」7月22日公開

2022/06/19

子どもたちはいろんな思いや考えをもって生活しているのですが、目の前のことに限らず、ふだんあまり気にしていないようなことも、子どもたちは色々なことを感じ、考えているものです。友達って何? どうして生まれてきたんだろう?、死んだらどうなるんだろう?・・・話し合ってみたら、出てくる出てくる「そんなこと考えてたの!」って、びっくりするような言葉が出てきました。保育園の1年間を丹念に描いた「こどもかいぎ」という映画がシネスイッチ銀座で来月7月22日から公開されます。保育園名は伏せてあります。ただ私も推薦しています、ぜひご覧いただければと思います。公開期間が短いので、お早めにどうぞ。

こどもかいぎ

すいすい組が初めて「しながわ水族館」へ

2022/06/17

本物に触れるというのは、やっぱりいいものです。そばでよく見る、しかも普段はまず見ることができないものの姿をよく見ることができるだけで、いい体験になることを実感しました。

今日17日は、年長組(すいすい組)と一緒に、しながわ水族館へ行ってきました。今の年長さんはここへ行くのは初めてなので、どれもこれも新鮮で楽しかったようです。川や海に棲んでいる、いろいろな生き物を見ることができました。

実際のところ、地上で暮らす私たちは川の中、海の中にそう簡単に生き物を見に行くことはできません。その点、博物館の一つである「水族館」は海と森林に囲まれて暮らす私たち日本人がもっと力を入れていい文化教育施設でしょう。

年長さんは今回が「水族館デビュー」なので、オーソドックスな巡回ルートを回ってきました。この水族館は地上1階、地下2階だて。

1階が「海面フロア」で、玄関から入るとすぐ左手の観覧通路中央にミズナラの巨木が配され「木は森をつくり、森は川をつくり、川は豊かな海をつくる」という本来の自然が再現されています。

東京湾に注ぐ川に住むイワナなどの川魚やカニなどが気持ちよく泳いでいます。3月にきたときはいなかったカルガモも2羽仲良く「水掻き」を見せてくれます。けがをしていた自然のカルガモが保護されたそうです。

海辺や磯にすむ生き物がいかに多様なのか、大人も楽しめる展示になっています。イソギンチャクやクラゲなども展示されています。

奥の方へ移動すると、そこは大人気のイルカとペンギンがいます。3年前に生まれたイルカの「バニラちゃん」は、もうすっかり大人になっているはず。今日は2頭がステージに飛び乗ったり水中に潜ったりを繰り返していました。演技の練習だったのでしょうか? それがバニラだったかどうか分かりませんでしたが、二頭はとても元気そうでした。アクリリボード越しに目の前を通り過ぎるイルカは大迫力です。

イルカショーは時間が変わっていたので、見ることができませんでしたが、この水族館は老朽化で2027年度に建て替えが決まっていて、それを機にイルカはいなくなりますから、それまでにできるだけ見ておきたいと思います。

その隣のエリアには南アフリカに住むマゼランペンギンが群れをなしています。子どもたちが近寄ると、ペンギンたちも餌でももらえると思うからなのか、どっと群がってきます。いつもダラリとしていた(失礼)、ペンギンたちが興奮しているので「どうしてだろう」と思っていたら、すぐにわかりました。ちょうど給餌の時間だったのです。

「丸呑みしているね」「歯がないの?」「もぐもぐしないんだね」「魚の頭から食べているよ」「海の中を飛んでいるみたい」などと会話を楽しみながら、そこでしばらくペンギンたちをみたあとルートを戻り、大海原を上から見下ろすことができる場所へ移動。いろんな種類のタイの仲間やウミガメなどにしばらく目を奪われます。

そして、いよいよ海の中へ、エレベーターで降りて行きます。深海200メートルということになっているのですが、実際は地下1〜2階が「深海フロア」になっています。

30年前にできたとき、海の中に入って魚やウミガメを見ることができる「トンネル水槽」が大きな話題になったそうです。

その後、似たような作りの水族館が増えて珍しくなくなりました。そして、子どもたちは、魚やカメの腹側(はらがわ)や海の底で寝そべっているカメに、窓越しにトントンしたりして、釘付けになっていました。

このような体験をするときに、私たちが忘れてはならないのは、AI時代だからこそ心得ておきたい「五感を通した実体験」、それが「確かな認識」に至るという子育ての鉄則です。疑似体験、追体験でしかないテレビや図鑑で済ませずに、ホンモノを実際に体験することです。きっと子どもたちの体全体に染み込んでいくことでしょう。

【ウミガメ】

【タイ】

【熱帯魚】

【くらげ】

【タコ】

【カワウソ】

top