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園長の日記

好きな選択ではなく必要な選択へ

2022/05/20

選択場面が自立をどう育てているか、というテーマの話になってきました。その続きです。

私は子どもたちといると、よく感じるジレンマがあります。それは自分の「好きなこと」と「必要なこと」の間の選択です。保育園生活では、この二者間の選択を迫られていることが結構多いのです。この二つのジレンマとして表現することが、先生たちにはピッタリするようです。

わいらんすいの子どもたちと遊んでいると、いろんな場面でがまんをしながら、やりたいこととの折り合いをつけながら自分をコントロールしていることがわかります。朝3階へ登ると、多くの子たちから、例えば「園長ライオンやって!」と声をかけられます。それができる時とできない時があって、出来ないとわかると、子どもたちはきっと「今日はダメか、じゃあ、いつならできるんだよ!(プンプン)」と思いながらも、がまんする時もあるのでしょう。園長だから大目に見てくれているようです。

今日は、終わる時間になって「ぼくもやりたい。やっていい?」と始めようとする子に「今日はもうおしまいだから、またやろう」というと「じゃあ、お集まり終わったらやる」というので、「今日は晴れているから散歩に行こうよ」というと「じゃあ、帰ってきてから」・・こんな問答を繰り返しながら、結局、その子は「なし」を受け入れて、折れてくれました。やりたいことを我慢して、自分の気持ちに折り合いをつけることできました。今日はうまくいきましたが、子どもによっては、それがまだ出来なくて駄々をこねる場合もありますし、いつもは出来ても出来ない日もあったりする子もいます。

こんな葛藤は、子どもの生活の中にたくさんあります。遊びを終えるか続けるか、お集まりにすぐ行くか遊び続けるか、散歩にいくか行かないか、これを食べるか食べないか、お昼寝をするかしないか、いろんなことを自分で判断して決めて選ぶということの連続です。

5月18日の「わらすのブログ」には、先生がこう書いています。

<・・・保護者会でもお話ししたように、この一年間は【自分で選択をする】ということを大切にしていきたいと思っています。これは、自分が好きな選択ではなく、自分に必要な選択をしていくということです。・・・>

「必要なこと」は、一般的には習慣やきまりや規範です。この二つの間の選択の葛藤が、家庭でもしょっちゅう味わっているでしょう。「しつけ」で起きていることです。いわゆる「社会性」です。確かに他者との関係から生じるものなので、社会性なのですが、一見自分のことのように思えながら、極めて社会的な選択になっているエピソードを紹介します。

それはドイツのインクルージョンの話です。日本では他の人と同じだと安心し、異なると不安になるという「安心社会」(山岸俊男)だという見立てがあります。それが例えば小学校入学の時に保護者の考え方にみられます。日本では小学校への就学に必要な力が不十分であっても、なんとか追い付かせて入学させようとしますが、ドイツ・バイエルン州のミュンヘン市では、「うちの子はまだ学校は早い」と言って、就学を待って(ステイして)、キンダーガルテン(幼稚園)でもう一年過ごしたりします。

学校へ行っても、必ず毎年進級するのではなく、この年が大事だからともう一年ステイしたりするのです。日本だと留年と同じようなイメージなってしまいますが、この認識の差を考えた時、どっちが本当に子どもの人権を尊重しているんだろうと思います。日本では同じでないと「かわいそう」になってしまうのですが、ミュンヘンでは、本人の発達や個性に合っていないと「かわいそう」なのです。

この話は、個人の選択であるように見えますが、極めて社会的な選択でもあります。どんな意味でそれを価値あるもの、よきもの、善さとみなすかという問題が、選択の基準になるとき、その基準が社会的な通念や常識を反映しているからです。非常識と思えるものを選択するときは、強烈な決意が必要なのが、日本なのです。それだけ価値観は平板で多様でもなんでもないのです。それを数年目に亡くなった山岸俊男さんは「安心社会」と呼び、これからの時代は自己の価値判断を尊重し合い、他者を信頼することができる「信頼社会」へ移行しなければ、日本型システムは世界の中で行き詰まるのではないかと心配していました。

この話と、好きなものを選ぶのか、必要なものを選ぶのか、ということが通じ合うはずなのです。

そして、その必要なものを選ぶために前提となってくるであろう、育ちの長い過程を、担任は2枚の写真を並べることで、示唆しています。見事な説明だと思います。

乳児の頃に他者への信頼感や基本的信頼感はアタッチメントを通じて得ました。そして自発的に「必要なものを選んでいく力」の育ちのプロセスが大事だとしています。本当にその通りですね。お友達との関係には「同じだね」という共感があり、仲良しの親密感や安心感、好きなお友達との心の交流や支え合い、つまり協調性の根っこになるものが育まれていることを、小さい時からの2枚の写真を並べてみせたのです。

このように書いています。

<・・・「寝ることが必要」と思いながらも、遊びたい気持ちと葛藤していたUちゃん。すると、Rくんが「一緒に寝る?」と誘い、しばらくお布団でゴロゴロしながら体を休めていました。Uちゃんも日々、自分の気持ちと葛藤しながらも時間をかけて自分に必要な選択に向かって進歩中です・・・!できた・できないの結果ではなく、そのプロセスが大切なので、その過程を大切にしていきたいです。>

本当に、その通りですね!

 

自分は自分、という選択

2022/05/19

Nくんのお昼寝の選択場面の見通し力について、遠藤利彦先生の非認知能力の分類法を下敷きにしながら「今を優先するか未来を優先するか」という「異なる時点の間の選択」として考えました。これは「自己にかかわる心の性質」の方です。それだけだと、OECDがいう社会情動的スキル(つまり「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」)の半分の要素が育まれていると考えられます。では、もう半分は、育っていないのかというと、そんなこともなさそうです。

Nくんのお昼寝の選択場面の葛藤は、自分だけのことのように見えますが実は「他者とかかわる心の性質」でもあります。どうしてかというと、「他のお友達はこうしているけど、自分はこうする」という判断がみられるからです。Nくんは自分は「寝る」を選択し、他の子たちにも「どれにする?」と聞き回ってくれていたのです。

よく、このことを先生たちは「お友達に引きずられない」「良くないことの影響を受けない」という見方をします。自分は自分だという考えをしっかり持てるかどうか。そうみれば、「他者とかかわる心の性質」も育つ機会になっていることがわかります。

この力は、ダイバーシティー(多様性)を認めて、他者と共生していくための力として、とても重要なものに思えます。異なる考えや価値観、判断結果がなされる人々が身近にいても、それが自然と感じる自己の在り方です。遠藤先生の分類説明は、そのニュアンスが表されていない気がします。もう一度、引用します。

「他者とかかわる心の性質」とは、「集団の中に溶け込み、人との関係を維持していくための力」であり、この中に含まれる非認知的なものは「心の理解能力」「コニュニケーション力」「共感性・思いやり」「協調性・協同性」「道徳性」「規範意識」などである、と。こう説明されています。私が引っかかるのは「集団生活の中に溶け込み」という表現です。異なる他者の、それぞれの「自分らしさ」を受け入れながら、共生していくことは、インクルージョンの概念であって、溶け込むことではありません。「きみは寝ないんだね、でも僕は寝るよ」ということが望ましいインクルージョンのような気がします。ここの違いを、藤森先生は2000年ごろに、すでに「共同体」ではなく「共異体」の創造が必要なのだとして、そのタイトルと本を出版しています。

つまり、OECDの「他者と協力して効果的に働き」のところは、集団の中に溶け込むことではなく、それぞれの生き方が他者を否定しないで認め合えるような尊重の仕方を含む必要があるのでしょう。

ちっちとわいわいの姿に共通する非認知的能力

2022/05/18

自分で何かを決めて行動に移すことができる姿が、ちっち組(0歳クラス)のHちゃん、わいわい組(3歳児クラス)のSくんの姿として報告されています。やっていることは自分の袋にステイとタオルをしまうこと、お昼寝の寝るか寝ないかを決めること。全く異なるように見える「行動」ですが、そこで使われている非認知的能力が何だろうと考えてみると、共通の特徴を取り出すことができます。

いずれも「自分から」という主体性が育っているのですが、それがみんなに素敵なこととして肯定され、誉められるのは、社会的に望ましいと思える行動だからです。望ましいというのは、言い換えると「よい」ことをやっているということです。どんな「よい」ことでしょう。

Hちゃんは、先生が「ここだよ」と袋を開けて待っていると、そこに向けて歩き出し、出したり入れたり、ちょっと遊びながらでも、自分でしまう、という自律性が確認できます。やってもらうのではなく、自分でする、ということです。Sくんの場合は、今寝ることが後で良いことが起きるという「見通し」に基づく、「異時点間選択」(遠藤利彦)ができています。眠いから寝ることを選ぶのですが、今寝ておかないと後で困るという「見通し」(どこまで本当に認識できているかはともかく)から、そうしているらしいのです。

いずれも「自己」に関わる心の性質です。いずれの場合も「自分を大切にし、適切にコントロールし、もっと高めようとする力」と言えるでしょう。(詳しくは5月14日「園長の日記」をご参照ください)。

ここで考えてみたいのは、望ましいとされる自立の姿になっていく過程(プロセス)に、自分から「そうしたい」という目的意識を持って行うようになっているかどうかです。そしてポイントになるのは、その目的が、今なのか、ちょっと先なのか、長期的目標なのか。その「見通し」をだんだん長くしていくことが、「基本的信頼感」「自尊心・自己肯定感」「自己効力感」「意欲・内発的動機付け」「自己理解」「自制心・グリッド」「自立心・自律性」と関係しているように見えてくるのです。「目的に向かって我慢して自分を制御する力」と言っていい「実行機能」は、このような「選択」できる体験を積み上げることで、育っていくように思えるのですが、どうでしょうか?

子どもの成長には、遠くまで見通す力があるほど、将来の目標を目指す力につながり、その過程で非認知的能力は、育つのかもしれません。OECDがいう社会情動的スキルは「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」ですから、これの半分の要素が育まれていると言っていいでしょう。

 

伝えたい、話したいという意欲が豊かな生活を作り出す

2022/05/17

今日は久しぶりにバスで浜町公園へ出かけました。わいわい(3歳)らんらん(4歳)すいすい(5歳)の子どもたち14人です。第二グループは19日(木)にも交代して出かけます。楽しかった様子は「わらす」のブログをご覧いただくとして、帰りのバスの中で、何が楽しかったか、を報告しあったのですが、「いろんなことが楽しかったんだなあ、よかったね」という、その内容もさることながら、それを「伝えたい、話したい」という欲求の強いこと、強いこと。バスの前の方に座っていたお友達の何人かに代表して話してもらうとしたら、次から次に、「やりたい1」という声が上がり、話したい子みんなにマイクなしでも話してもらったのです。「鉄棒と、滑り台と、ブランコ」「園長ライオンとダンゴムシ、落とし穴」など、とにかく話したい、という気持ちに溢れていたのでした。

普段から子どもたちは、自分の気持ちをわかってほしい、聞いてほしい、自分を見てほしい、こんなことがあったんだよということ話したい、そんな意欲に溢れています。

それが今日の活動の後でも、バスの中で溢れ出たのですが、昨日の「言葉と見通し」ということから考えてみると、公園での活動が、その後の一人ひとりの子どもの生活にどのように引き継がれていくのか、という「見通し」を形にしていくために、本人の「見通し」を支えていくために、やりたいことを実現させていくために、私たちの「見通し」と一致させていくことが大事になります。

保育では、ここに環境の再構成、というキーワードが出てくるのですが、例えばダンゴムシの生態に惹きつけられている子どもたちにとって、それを身近なそばに置いておきたい、よく見てみたい、餌をあげたい、こうしたらどうなるのか試したい・・・そんな気持ちが溢れている子どもたちがいます。

そこで早速、連絡アプリで、このようなお知らせをしまた。

「ダンゴムシのエサについてのお知らせです。生き物への興味が深まってきて、特にすいすい組では、生物ゾーンへの関心が高まってきています。ダンゴムシの食べるものを本で調べ、それを忘れないようにメモに書いて、エサを家から持ってくる子も出てきました。今子どもたちが興味関心があることを深めていきたいと思っていますので、基本的にはエサの持ち込みをありにしようと思います。・・・」

子どもの興味や関心のある内容を伝え合い、共有し合い、それを実現させていくために、家庭生活と園生活をつないでいきたいと思います。

そこには親子の、子どもたち同士の、子どもと先生との心の通いあいが生まれ、子どもたちが自分の世界を広げ、獲得していくものが豊かになっていくといいなあ、と思います。

公園から帰る時、空を見上げると、飛行船が飛んでいました。

言葉と見通す力

2022/05/16

子ども「僕ちゃんさ、今さ、ゾーン決めるために、上にいくんだよ」

私「そうか、何しようかね」

子ども「ねえ、今日、雨だよ。じゃあ、お部屋で遊ぶしかない。・・」

私「そうだね。雨だもんね」

子ども「バイクに空気入れないと、うまくいけないじゃん、転んじゃうじゃん、それでえ、バイク壊れちゃうから、空気入れないといけない。自転車空気入れてるから、うまくいくんだよ。」

今朝、にこにこ組(2歳児クラス)のSKくんが、こんな話を私に説明しながら、ファイルを抱えて階段を登っていきます。

にこにこ組で「ゾーン選択」が始まっています。ゾーンボードを見てやりたい遊びを自分で選んで、遊び始めるのですが、子どもって、どのくらい前から「こうしよう!」と思い巡らしているんだろう?と思います。朝、一階で遊び終えると8時半過ぎからは、それぞれのクラスに分かれるのですが、そこで「何して遊ぼう!」と思い浮かべるようになるのは、いつ頃からなのでしょう。私たち大人は、今日のスケジュールだけではなく、明日明後日、さらには来月、今年、来年、5年度、10年後と、かなり先までの「見通し」を持ちながら、何らかのビジョンを持ちながら生活しているわけですが、子どもは、どうなんでしょう。

赤ちゃんは記憶する力がまだ弱い時期、目の前に見えるものを思い浮かべて、それに反応しがら「今」を過ごしています。それが数ヶ月もすると、記憶力が向上し、じっと人の目をよくみる時期がきて心の交流が始まっていきます。そして8ヶ月から10ヶ月ごろには、話をする相手の口をよく見るようになります。(この時期はマスクで口を隠さないほうがいいのですが)。この時期のことを、よく「9ヶ月革命」の時期というのですが、人は意図を持っていることに気づき、自分の興味や関心のあるものを相手にも教えたい、伝えたい、共有したいという「共同性」の心が発達していき、象徴機能が発達して言葉を話すようになっていきます。

そしてあっという間に言葉の語彙が増え、1歳から2歳までに300語、そして3歳になるまでに1000語を獲得していきます。爆発的と言ってもいいほどの言葉の発達が見られます。そんな時期の「にこにこ組」の子どもたちは、知的精神的な力が、つまり認知能力が発達していくのですが、それを支えていく社会情動的な力、つまりで非認知的な力も育っていることがわかります。そのために必要はことは、伝えたいものがあること、伝えたい相手がそばにいるということです。そこには信頼関係ができており、自分の質問に答えてくれたり、話したいことを受け止めてくれる、安心できる他者がいるという人的環境が欠かせないことになります。

人間だけが言葉を獲得しながら、それを非常にうまく使いこなしていくように発達していくのですが、その中には、これからこうしたい、ああしたいという「今から」の意欲が、少し先、それが終わったらこうしよう、今日はこうしたい、明日もこうなるといいな・・と「見通す力」も育まれていくのでしょう。何かを楽しみ待つことができるようになってくる幼児期の前半ごろ、未来に向かう意欲が目に見えて姿や言葉の表現になっていきます。

10分後、午前中、午後の活動・・明日は浜町公園、今度の土曜日は屋形船。人があることを決めてやり始めるまで、その間の時間的な長さというのは、成長になるほど長くなっていきますね。

コロナ禍の後でやらないといけないこと

2022/05/15

 

コロナ禍で子どもたちがどんな影響を受けているのか、このテーマをめぐる研究と発表が多くなされたのが、今年の日本保育学会の特徴でした。私たちの研究グループも、このテーマで「自主シンポジウム」を開きました。仲間の保育園から話題を提供し、藤森平司統括園長が指定討論者として考えを報告しました。シンポジウムのタイトルは「コロナ禍の乳幼児期における認知・非認知能力への影響について〜コロナ前と現在を比べ、今後の保育について考える〜」というものです。

学会では研究調査の報告がいろいろなされたのですが、藤森先生の現状認識と問題提起は、他にはない視点が含まれていました。それは人類の特性から予見される懸念です。その骨子は以下のようなものでした。

(1)認知的能力の代表は、IQと学力です。これは測定できるものです。しかし非認知能力は測定できません。「認知ではないもの」という内容ですから、量的評価が難しいものだからです。そこで縦断研究がなされているのがそれを示しています。

(2)人類の進化の歴史から言えることは、人類の脳が大きくなったことと集団の大きさが関係することがわかっています。集団の規模と脳の大きさが比例しています。集団の何が脳を大きくしたのかというと、人と人の関わりです。人と人の関係性によって進化してきたことになります。

(3)ここで注意してほしいのは、言語を使うようになったのはせいぜい20万年から10万年前ぐらいからで、もっと長い間に集団での関わりを営んできたのです。人類が誕生して以来、その多くの時間は言語がなかったのです。表情や身体表現や人との接触で関わりを持ってきたのです。

(4)今回のコロナでは、それを避けるようにと言われてしまいました。つまり人類の進化の大元を止められてしまっていることになるのです。子どもにこのように影響しているのです。

(5)マスクをしていても言語で伝わるけれども、表情や身体表現や身体接触で伝わっていたもの、経験していたものが奪われてしまってはいないか。そこが心配なのです。

さあ、どうでしょうか。このように考えてみると、子どもが非認知的な何かの経験が奪われているかもしれないと考えると、この連載で考えてきたものに、何かが抜けているかもしれないと思いました。

そして、なぜあんなに「園長ライオン」遊びが人気なのか、わかる気がするのです。じゃれあそびの身体接触があり、鬼ごっこの要素、つまりライオンから食べられないように逃げるごっこ遊びで、再現されている心情の中には、脳の原始的な感情を呼び起こしていることになります。また青木さんのダンスも、マネキンとデザイナーも、身体表現や感情の解放を促すもので、コロナ禍で避けられてきたような遊戯です。子どもたちは無意識にこれらを望むのは、当然の自発的な発達欲求だからでしょう。

社会情動的スキル(補足) アーリー・スタート

2022/05/14

今日14日(土)は明日15日まで開かれる第75回日本保育学会(聖徳大学)にリモートで参加しました。今年の大会テーマは「アーリー・スタート〜非認知能力研究の知見を保育に生かす〜」です。昨日までのミニ連載「社会情動的スキル」で見てきた非認知能力を、学会としても正面から取り上げています。

基調講演は、東大大学院教育学研究科の遠藤利彦教授で「アタッチメントが拓く子どもの未来:「非認知」なる心の発達と保育者の役割」でした。この基調講演で、とても参考になったのは、非認知的な能力やスキル、特性のまとめ方です。さまざまなものをどのように整理しておくとわかりやすいのか、苦労してきたのですが、遠藤先生は、連載19回目の「アタッチメント」で紹介したように、非認知の力をまず「自己」と「社会性」の二つの力に分けています。さらに三つ目に、この「自己」と「社会性」の両面に関わるものとして感情の統制を位置付けています。この整理の仕方は、確かにわかりやすいと感じます。

感情というのは、自分一人の中でも生じるのですが、特に他者との関係の中で感情をコントロールすることが多いからです。「自己」にも「社会性」にも関わる非認知なるもので、基調講演では、以下のように説明がなされました。

 

  • 自己にかかわる心の性質

これは「長期的目標の達成」に関わるもので、「自分を大切にし、適切にコントロールし、もっと高めようとする力」です。その中に含まれるものは、「自尊心・自己肯定感」「自己理解」「意欲・内発的動機付け」「自己効力感」「自制心・グリッド」「自立心・自律性」などです。この長期的目標に関わることと考えれば、OECDのモデルと同じです。

  • 社会性にかかわる心の性質

これは「他者との協働」に関わるもので、「集団の中に溶け込み、人との関係を維持していくための力」です。この中に含まれる非認知的なものは「心の理解能力」「コニュニケーション力」「共感性・思いやり」「協調性・協同性」「道徳性」「規範意識」などが含まれます。他者と協力することは、まさしく社会性に関わります。

 

  • 両側面にかかわる感情の管理(制御・調節)

非認知なるものは、感情に関するものが多いわけで、保育における「教育のねらい」そのものが「心情・意欲・態度」という社会情動的な内容ですから、この制御や調整は、個人と社会の両方にそもそも含まれているわけです。(私はその結節点となる心情を「意欲」だと考えています。)

遠藤先生のまとめで興味深かったのは、この感情の管理の中に、「異時点間選択のジレンマ」と「自他間選択のジレンマ」があるという整理の仕方です。初めて聞いた言葉だったのですが、最初の異時点間選択のジレンマというのは、今を優先するか、それとも未来を優先するか、今の利益よりももう少し先の、もっと大きな利益のために、今を我慢するようなことです。「マシュマロ・テスト」を思い起こすといいのでしょう。このジレンマを解決するための感情の制御は自制心などと密接な関係がありそうです。つまり、自己に関わる心の中にこの感情の制御はあることになります。

もう一つの「自他間選択のジレンマ」は、自分の利益を優先するか、あるいは他者の利益を優先するか、人に迷惑をかけないことを優先するか、そうしたことの解決のために感情を制御することになります。ここには共感や思いやり、協調性などが働くことになります。

とてもわかりやすい整理だったので、ご紹介しておきます。

社会情動的スキル20(最終回) 実行機能

2022/05/13

この連載も最終回を迎えました。これまで見てきた非認知的なものが子どもたちに芽生え働いていく機会として、どんなものがあるのか確認して、まとめていきましょう。今日は夜の園内研修会を開きました。藤森統括園長を招いた4月16日の講演会で学んだことを、この1ヶ月の間にどう実践に移したかをクラス別に報告し合い、大事な実践のポイントを出し合いました。

講演会での学びの骨子は、その日の「園長の日記」に「ヒューマン・コンタクト」と題して、以下のように触れています。「AI時代の子どもたちにとって必要なスキル」は、次の3つでした。

(1)「対話する能力」コミュニケーション能力

(2)「他と協力する能力」コラボレーション力・集団的思考

(3)「実行機能」自己調節能力

今日の園内研修会では、主にこのスキルの習得が垣間見られた場面や保育上、工夫したことなど具体的な実践報告がなされたのですが、どの報告にも共通したのは、子どもの姿から環境を再構成していったら、こんな姿になっていったという「保育のプロセス」が語られたことです。この保育の語り(ナラティブ)は、子どもの姿の変容が縦糸になっていくのですが、その背景には子ども観や保育観としての見方・考え方が共有されていました。また理念や方針を理解し、それを具体的に実践してみて、その結果を報告し合う。園内研修の進め方としては最もよい形になりました。

上記の(1)〜(3)をみていただくと分かるように、非認知的な力のベースになっているのは、実行機能なのですが、これは「ある目的に向かって自分の気持ちや考えや行動を調整する力」なので、15の非認知能力の多くがここに関係します。誠実性、グリッド、自己制御・自己コントロール、時間的展望・・・ほとんどのものが関連することがわかります。

具体的な保育場面も非常にたくさんあり、「新しい時代に対応するための保育保育方法5ポイント」の具体例が報告されました。乳児も幼児も、いろいろな環境の再構成が意図的に保育実践に移されていました。幼児では集中して遊び込めるようにテーブルの配置を変えて、やりたがっている遊びのための素材を増やしたり、お片付けのタイミングを気づくような音環境(楽器や歌声)に変えたり、砂時計で交代の見通しを持てるようにしたり・・・。職員が声かけで気づかせるよりも、楽しい雰囲気を作ったり、楽しそうなことが始まりそうだと子どもが気付いたりできるような工夫の試行錯誤が続いています。乳児も運動をしたがっていそうだと感じたら室内遊びに運動をすぐ取り入れたり、お友達の気持ちに気づくための促しや仲立ちや仲介もいろいろです。

当園の保育目標は「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」ですが、ダイバーシティとしての「自分らしさ」をお互いに認め合いながら「共生と貢献」(保育理念)を実現していくためには、相手やお友達の立場も感じたり考えたりできる「向社会性」を育てていく必要があります。そのジレンマをどう考えていくといいのか、という課題もあります。「向社会性」のことを私はわかりやすく「思いやり」と表現したのですが、いわば社会性のことです。自由と自分勝手、自己主張とわがままの違いを子どもが認識できるためは、どうしたらいいのか? 今夜の研修会では、この問いも投げかけられました。まさしくこれが「実行機能」が育つことに他ならないのですが、そこに至るための土台はアタッチメントでしたし、10の姿で言われる道徳性や規範意識と呼ばれるものでした。この話は4月11日の「園内探検」報告でも触れているのですが、社会的なルールを身につけていくときに大事なのは、子どもなりに納得できる理由を理解できるようにしてあげることです。「決まりは守ると、いいことがある」という体験ができるかどうか。ここにポイントがあるのでした。

子ども同士のかかわりを大切にしながら、子ども集団の中で子どもが楽しい、面白い、ワクワクドキドキするような体験ができるように用意します。そして、その体験を作り出すプランニングにも子どもが参画し、いくつかの活動や見通しの中で子どもが選択できることで、非認知的能力のど真ん中にあると私が考えている「意欲」が沸き起こるようにします。それまでの経験が個々の子どもの中でつながり、創造性が躍動します。デイリーや週案、今後の遊びの見通しなど、プランニングの過程で話し合いやコミュニケーションを大切にしていくと、集団的思考も働き出し、相手の気持ちや考えを尊重する姿勢(本来の平等であり多様性の尊重)が育っていくのです。トラブルや葛藤場面は子どもたちにとって、非認知的なスキルが育つ機会でもあります。長い目で育ちをとらえる視点を忘れずに、子どもの多面的な理解と保育プランを深めあうチーム保育を作り上げていこうと思います。

社会情動的スキル19 アタッチメント

2022/05/12

ここに「非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書」 があります。ちょっと古いのですが国立教育政策研究所が平成26年度にまとめた研究報告書で、代表は発達保育実践政策学センター(Cedep)センター長の遠藤利彦さんです。この研究が目指したことの一つは、さまざまな「非認知的な力」を整理して、子どもが「誕生からの発達過程において備えるようになる一連の内容を示すこと」です。その結果が「社会情緒的発達の概要」として一覧表にまとまっています(以下の表)。

このミニ連載では、さまざまな「非認知」的な心の力を拾ってきましたが、どんな力であっても、この一覧表が示すように、それらの関係を整理してまとめて考えるための基本的な枠組みは「自己と社会性」になりそうです。

この表では「自分」「他者」「自他関係」の3つで整理されています。乳児期(012歳)、幼児期(234歳)、児童期(6〜12歳)および青年期(13〜18歳+)まで、それぞれに異なる「社会的情緒」があることがわかります。

私たちの保育に関係のある乳児期の「自分」のところには、「自己に関する感覚」「情動の発現」「原初的な情動調整」「気質」の4つで整理されています。

この連載で取り上げてきた、いろいろな「非認知」な力は、この「自分づくり・自己の発達」と「他者との関わり・社会性の発達」にうまく働きかけるようにするとよい、という捉え方がもっとも合理的でわかりやすいかもしれません。

いま参照している図書「非認知能力」(小塩真司編者・北大路書房)には以下のように15の「非認知能力」が紹介されています。

この中で、例えば、「自分づくり・自己の発達」に直接、関係するものは、自尊感情、自己制御、情動知性、グリッドなどになるでしょう。また「他者」や「自他関係」には、共感性などが鍵になるでしょう。このようにみていくと、これら15だけでは足りず、他の非認知的な内容とつながって働くようにならないといけないことがわかります。特に、青年期のところに改めて記述されているように、乳幼児期に大切にしなければならないことが、テーマになっています。これまで私たち保育士が慣れ親しんできた発達課題に立ち返っていくことになります。

その「自己と社会性」の枠組みとして、乳幼児の時期に最も大切にしなければならないものはなんだったのかというと、それは「アタッチメント」でした。自分づくりと他者との関わりの土台となるものが「アタッチメント」を通じて獲得されていくからです。この非認知的な力とアタッチメントの関係について、近年、最も精力的に情報発信されている遠藤利彦さんの説明を聞いてみましょう。

「子どもはまだ歩くのもしゃべるのもたどたどしい頃から、例えばつまずいてころんだり、母親が視界から消えるなどして、日々、おそれや不安の感情を経験します。こうした小さな危機の只中にあるときに生じたネガティブな感情を、信頼する大人への“くっつき”を通して受け止めてもらい、その感情の意味を教わり調節されること(アタッチメント)で、子どもは自分の感情との向き合い方や他者とのかかわり方を学びます。アタッチメントに裏付けられた日々のささやかで温かな人とのかかわりが、自分と社会性の両面から「非認知」的な心の発達をしっかりと支えてくれるのです」

(小椋たみ子・遠藤利彦・乙部貴幸著『赤ちゃん学で理解する乳児の発達と保育 第3巻 言葉・非認知的な心・学ぶ力』中央法規 2019)

このアタッチメントが育む、最も大切な非認知的なものは「基本的信頼感」です。もう少し、遠藤先生の解説を続けます。

「基本的信頼感は、将来の良好な人間関係、困難や試練に立ち向かう強い心、社会生活において前向きに活動しようとする意欲といった、健全な自己をつくり維持していくうえでの支えや希望となります。“自分は他者から愛され、大切にされる存在である” “他者は信じられる”という、自分や他者に対する基本的信頼感が十分に形成できないと、自分自身を愛することができず、他者に対する不信感が残ります。そのため過度に失敗をおそれたり、不安や不信感を抱えやすくなったりするといわれています。保育においてもっとも大切なことの一つは、乳児期の心の一番の土台部分に、自己の中核となる自他への基本的信頼感をたっぷりとつくってあげることです」(同上)

社会情動的スキル18  学びに向かう力、人間性等

2022/05/11

さて、ここまでやっと辿り着きました。このミニ連載もゴールが見えてきたからです。どこにゴールがあるのでしょうか? 思い出していただきたい大事なことが2つあります。「今どうして非認知能力だったのか」ということと「よりよい生活とは何か」ということです。その二つの交差点がとりあえずのゴールなりそうです。

まず一つ目は、さまざまな「資質・能力」の中で非認知能力がクローズアップされるようになったきっかけは経済ノーベル賞を受賞したヘックマンの研究に遡ります。20年以上前の話です。それは置いておくとして、世界がここに注目し続けているのはそれが「よい結果」に結びつくことがわかってきたからです。教育界はこれから先の世界を想像しながら、どんな資質や能力(人格特性や能力やスキル)を育むべきなのかを探していたら、これまで中心にやってきた認知的なものもさることながら、非認知的なものがより重要じゃないか、ということになってきたのでした。ポイントは「どっちも必要」ということです。

二つ目は、その「よい結果」ということは「何か」を考えざるを得ず、その時、私が教育哲学を教わった村井実さんの「善さ」の4つの要素を思い出さざるを得ないのです。名著『善さの構造』には、ギリシャ時代の哲学者プラトンやアリストテレスが考えた「よさ」から説き起こしてくるのですが、村井さんと話していた時、何もわかっていない私に「人間はね、どうしてだか何かよいことに向かって生きているよね」という話をしてくださいました。その時は「学力ってなあに」という新聞連載を書いていたので、学力との関係を自宅へお尋ねしに行ったのでした。村井さんの「善」についての教育哲学がなかったら、日本の学校で「子どものよさ」に目を向ける教育は生まれなかったでしょう。

このことが平成29年度に出された「資質・能力」の3本柱では「学びに向かう力、人間性等」の中に位置づきました。どこに「善さ」の話があるかというと、そのかっこ書き(  )です。そこにはこう書かれています。

(心情・意欲・態度が育つ中で、いかによりよい生活を営むか。)

 

これが乳幼児教育から高校まで、ずっと使われます。「よりよい生活」とは何かに立ちかえる必要があるのです。また自分らしい「心情」と、さまざまな人たちと共に生きる「態度」を、しなやかに実現していくために「意欲」が橋渡しのような役目になっているのです。

この「学びに向かう力、人間性等」という不思議なフレーズは、上の方に描かれている二つの認知的な力を支えることになります。

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