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園長の日記

社会情動的スキル17  心情・意欲・態度

2022/05/10

この「心情・意欲・態度」という言葉の3点セットは、私たち乳幼児教育に携わっているものは、みんな知っている言葉です。どのように使われているか、というと「教育のねらい」になっている言葉として使われています。つまり、私たちの保育が何を目指しているのかというと、この教育のねらいが実現されていくように、子どもたちを育てようとしていることになります。この三つの言葉を全部を丸めていうと「豊かな心情を育み、生きることに意欲的であり、よりよい生活を作り出す心の姿勢をもてるようにしていこう」という意味になります。

この時に大事なのは「この3つの順番です」ということを私はよく話します。心情というのは気持ちです。「嬉しい、楽しい、面白い、悲しい」など形容詞で表される感情を含め、人や自分を大切に感じたり、人への思いやりや親切な気持ちを抱いたり、人と一緒にいることの喜びや、「自分も!」という憧れや「すご〜い」という感心や尊敬、驚きや不思議だと思うような心の動き、好奇心や探究心など、実に多様なものがありますよね。ひとりぼっちで寂しいという孤独感なども、人との関係の中で初めて感じる心情です。

さて、この心情の中で、ちょっと特別なものがあります。他の気持ちとは違って、生きていく上で欠かせない、心の駆動エンジンのようなポジションを占めている心情です。それが「意欲」です。この心情は不思議な心の働き方をするものであり、未来に向かって動いている生命力のようなものを形容している言葉になります。これが働いて初めて私たちは、心理学でいう心の「実行機能」を働かせることができるのです。ですから、心が一歩踏み出すための原動力でもあり、これが繰り返し働くことで人の資質や能力を形作ることになります。

そうやって形作られた心の姿勢を、態度と日本語では訳しているものですが、英語では心の姿勢attitudeになります。行動のactionでも、振る舞いのbehaviorでもありません。心情emotionsから生み出され、習慣化されたり、その人らしい社会性を指し示したりするものです。

この心情から意欲、そして態度が形成されていくという過程、プロセスが極めて大事なのですが、そのつながり具合を理解してもらうために、「ごめんね」「ありがとう」の言葉を使い方を考えてみます。

子どもが何か謝らなければならないことをしてしまったとします。すると、相手に「謝ることができるようにすること」(行為・行動)が「しつけ」だと思われていますから、「ごめんねは? ちゃんと謝りなさい」と子どもに「ごめんなさい」と、人に謝れる子どもにしようとするでしょう。この働きかけは教育なのですが、保育では「ごめん」と口で言えるようになることを、「教育のねらい」にはしません。

それは態度を行為と間違えていることになるからです。保育で育てたいと考えていることは、まず心情を育むことからです。ですから「ああ、悪かったなあ」と思える子どもになってほしいと願うのです。そうした心持ちがあって初めて「ごめんね」に心がこもり、生きた言葉として相手に伝わるようになるでしょう。何か間違うと条件反射的に「ごめん」をいうようになると、それで謝ったことになると勘違いしてしまい、ごめんと謝れば、それで一件落着と学習してしまうことになります。ごめん、と言えさえすればいいという「魔法の言葉」にしてはいけないのです。

私たち保育は、心を育てたいのです。もし「悪かったなあ」と思えないなら謝る必要はないことを学ぶべきかもしれません。自分もよくなかった、と自覚し、自分を省みることができるようになっていたら、なんと素晴らしい育ちでしょう。仮にバツが悪くて「ごめんね」が言えなくても、心は育っていると言えるのです。その心情に共感してあげれば、子どもは「わかってくれている」と安心して、自分から相手に謝ろうという意欲が動き出すのです。

子どもの気持ち、心情を共感してあげることがケアであり養護の働きなのですが、そこから「意欲」が立ち上がってくるのが、不思議なことですが人間の持っている心理機構なのです。ですから保育とは教育と養護が常にセットになっており、保育を英語で表すと、Early childhood Education and Care(ECEC)というのでした。

社会情動的スキル16  「生きてるって、いいなあ」

2022/05/09

あっという間に成長してく子どもたちですが、このミニ連載「社会情動的スキル」では、育ちの側面を「特性」とか「能力」とか「資質」とか、何かと「身につけていく」「獲得していく」「学んでいく」という側面から切り取ってばかりいます。

この図は、平成30年3月に改訂された幼稚園教育要領や保育所保育指針、幼保連携型認定こども園で共通する「幼児教育で育みたい資質・能力の整理図」です。この赤いところが、非認知的な資質・能力のところになります。この詳しい説明は次回することにします。

 

私自身、調べたり、考えたり、書いたりしていて、ちょっと息苦しくて、また重苦しい感じがします。この側面は、子どもの世界のほんの一断面に過ぎないということも強調しておきたいと思います。なんでもかんでも、教育的な側面から人間を見ていくと、なんだか味気ない人生になってしまいそうだからです。私たちの存在は、その側面だけに光を当てるべきではないだろうと思えるからです。

こんなことを、前置きにしておきたくなったのは、ゴールデンウィーク明けの子どもたちとの再会、また皆さんからの「子どもの様子」を読ませてもらうと、親御さんからも我が子について「いつの間にこんなことが・・」という話がたくさん書いてあって、私たちも保育園で「いつの間に、あんなことを・・」の連続だからです。しかも、その姿はその子がその子らしくある素晴らしさであって、何か外から物差しを当ててみるようなことがそぐわない、とでもいうのでしょうか、そういうことでは切り取れない(まあ、当たり前ですが)かけがえのないものです。その「丸ごとその子!」という感覚で、微笑ましくて、愛おしい!! 生きてるって、いいなあ・・・という、この実感がお互いに共有できたら、それが一番いいじゃない!という感覚が迫ってきたのでした。皆さん、楽しいGWだったようで、何よりです。

というわけで、今日は、心情・意欲・態度について語ろうと思ったのですが、それは明日以降にしたいと思います。「生きてるって、素晴らしい!」という感慨を感じ合うということ。これも、非認知的能力であることには違いないでしょうけど。

社会情動的スキル15  心の知能指数(EQ)

2022/05/08

「あのね、ママの歯はね、いっこもないと思うよ」。先日、こんな冗談めいた話を私にしてくれたのは、今年4月に3歳クラスに進級した女の子N Mさんです。にこにこ笑いながら、上手にいろんな話をしてくれます。「ママに歯がないなんて、そんなことないよ。ママには歯があるでしょう」と答えると(エヘ、と首を傾げて)「そうだったあ」と、照れ笑いを見せてくれます。子どもには伝えてみたいことや話したい相手がいることが大事で、言っている内容が正しいかどうかなどは、二の次三の次の問題です。コニュニケーションにおけることばとは、そうやって、いろんなボールを投げ合ってみる、遊びのようなキャッチボールが大事なのです。そこには、イキイキとした心の躍動があり、感情の交流があります。

昨日までの「園長の日記」で人間の「感情の進化」を大急ぎで眺めてみましたが、古い感情と新しい感情があることがわかりました。そして人間らしい感情は、集団社会の中で身につけてきた感情であることがわかりました。私たち人間が有している認知や価値観や感情、やっている行動などは、爬虫類時代からのホモ・サピエンスに至る脳の進化と相関関係があって、赤ちゃんの脳は胎内にいるときから発達していくプロセスが、脳の進化とそっくりであることもわかっています。

快と不快の原始的な感情は周囲の人と関わりながら、どんどん分化して複雑な感情を発達させていきます。しかも、そのスピードのなんと早いことでしょう。千代田せいが保育園が開園して丸3年が経ちましたが、開園当初、ちっち組(0歳)の赤ちゃんだった子が、わいわい組(3歳)になり、私に冗談を言いながら、いろんな話をしてくれます。

心の知能指数という訳が良かったのか、日本でもE Q(Emotional Intelligence Quotient)つまり情動知能が大事であることが、ずいぶん前から話題になって、いろんな本や話題が出ています。とくに売れている本は情動知能と学業成績と関連することを述べているものです。学業成績にもっとも影響が大きいのはIQ(Intelligence Quotient知能指数)ですが、2番目はパーソナリティ特性の「誠実性」で、3番目がこの「情動知能」なのです。例えば、こんな解説が出ていました。「情動知能が高い人ほど、学業成績と関連するネガティブな情動(不安、退屈、落胆など)をうまく調整できることや、学習環境として重要な教師や他の生徒そして家族と良好な関係を築けるためであると考察されています」(『非認知能力』8章「情動知能」―情報を賢く活用する力)。

非認知能力は、人との関係の中で機能する力と、主に個人の中で機能する力がありますが、いずれも社会的であることに注意しておくといいでしょう。色々な能力を個人の中だけのもののように考えない方がいいからです。実際のところ子どもたちと生活していると、子どもや大人の関係の中で、知性や感性が育っていくからです。情動知能もまた、その相互作用の中で獲得されているものなのです。

社会情動的スキル14  社会的知性

2022/05/07

今の人間の脳を大まかに分けると爬虫類と同じ部分、古い哺乳類と同じ部分、そしてホモ・サピエンスらしい脳の部分に分かれます。これは脳の三位一体モデルです。それぞれに「原始情動」「基本情動」「社会的感情・知性感情」が相当するという仮説があります。

脳神経科学によると、情動(感情)というものは、体の外や内部からのいろいろな刺激(信号)が、脳の中枢を通って運動系につながっていく過程で生まれるそうです。その脳内で生まれるいろんな感情の種類を、動物の進化の過程でどう変わってきたのかを見てみようというわけです。

私たちが持っている脳の中で、最も古い部分、原始爬虫類と同じ部分は、脳幹と視床下部が含まれます。この頃の動物は、最適な環境を求めての移動、食料を求めての移動が主です。それに関連した感覚情報から、必要と判断される運動を引き起こす際に生まれる感情で、それは主に快と不快です。お腹が減ったから不快、食欲が満たされて満足で快。食欲、睡眠欲、暑い寒い、運動、性欲、そのほか生理的欲求が満たされないと不快、満たされたら快、です。心地よさの大半は、このような生命維持装置である身体の反応からくる感情です。こんなに古くからある感情なんですね。

それが「古い哺乳類」になってくると、大脳辺縁系が加わります。人間に近い感情が出てきます。それは「基本感情」と呼ばれるもので、喜び、嫌悪、恐怖、愛情、怒りの5つです。どうして進化の過程でこの感情が生まれたのでしょう。その最大のきっかけになったのは、捕食者〜被捕食者の関係が生まれたからだというのです。動物がエネルギー源として肉食を選択した時から、自分も食べられるかも、襲われるかも、という警戒する運動機能が求められるようになり、その時に生まれる情緒が恐れ、恐怖感情です。ビクビクして臆病なものが、ちょっとした刺激に対して逃避行動を選択でき、弱肉強食の生存競争を勝ち抜いてきたのかもしれません。恐竜の影に隠れてひっそりと暮らしてきた哺乳類が選んだ行動が持っている感情なのでしょうか。一方で、相手を襲って食べるということも行うために、攻撃性も必要でした。そして常にお腹を減らして、空腹状態が常だった生き物にとって、食べ物にありつけるというのは、最も大きな喜びだったのでしょう。原始感情の快から喜びが生まれ、不快から嫌悪と恐れが生まれたという仮説です。

この説では、5つの基本感情のうち、3つの喜び、恐怖、嫌悪が自分の生存のために常に動いている情動だったと想像されています。単体の生物が、捕食―被捕の関係から発達していった感情です。全ての生物に共有する感情だと言われています。(本当かなあ? 金魚に餌をあげていると、その動きからは確かにそう見えますが、どの程度の感情なのか、金魚に聞いてみないとわからないですね)

ところが後の2つは、ちょっと種類が違うというのです。残りの愛情と怒りは、ペアでないと生存できないような生き方をする生物にしか生まれない感情です。相手がいるときに生じる感情で、社会性な感情に近づくのです。確かに子育てを協力して行う哺乳類は、子どもへの愛情を持っているように見えますね。ネズミも溺れている仲間を助けたりするそうです。保育園で犬や猫を飼ってみたいのは、この5大感情を感じるからです。ただ、アニメや漫画で恐竜が豊かな感情を持っているかのように描くのは、ちょっとミスリードかもしれないですね。

さて、いよいよ人間の感情です。5つの基本感情に加えて何が増えていったのでしょうか。その知見は、霊長類の行動研究からもたらされました。猿から進化したホモ・サピエンスが、高度な社会生活を営むに至るまでの段階で「社会的知性」という能力を身につけていったことが明らかになってきました。群れを作る集団生活は、複雑な問題を解決していくために、いろいろな人間関係のスキルが必要でした。それが社会的知性です。

感情心理学の研究者である福田正治さんによると、社会的知性には「欺き、裏切り、注意の操作、協同、同盟、連合、援助、支持、好ましさ、模倣、遊びにおけるふり、共感などが報告されている」と言います。「これらを実行するためには言葉はいりません。推論、予想、問題解決、関係性の認知、長期間の記憶保持、読心などの機能が脳の中にあればよい」のです。そして、このような集団生活の中で、愛情、嫉妬、罪、恥といった「社会的感情」が生まれていったと想像されています。集団や群れを維持するために、ボスを支持したり、仲間を共感したり、反目を宥めたり、共通の敵のために協力したり、分け前を配分したりする「社会的知性」が必要とされました。

どうでしょうか? このように感情の進化を辿ってくると、社会的な感情がいかに私たちの基本行動と分けられないかがわかります。さらに、私たちの感情は進化しています。神を想像し、歴史を綴り、文学とアートと科学技術をうみ、地球規模の連帯が必要な時代を迎えました。勇気、献身、思いやり、寛容、慎み、自己犠牲・・・どんな情動が必要なのでしょうか。

そこを考えて出されてきた提案の一つが、社会情動的スキル、IQ(知能指数)に代わる「心の知能指数」と日本語で訳されて広まったE Q(Emotional Intelligence Quotient)だったり、してきたのでした。何年も前から、藤森先生が取り上げてきたテーマになります。

社会情動的スキル13  感情の進化

2022/05/06

(福田正治 富山大学医学部行動科学 「感情心理学研究」感情の階層性と脳の進化 より)

ここで何回か紹介してきた経済協力開発機構(OECD)の2015年の報告書は、子どもたちが「望ましい結果」(心身の健康や学業の成績など)をもたらすために「社会情動的スキル」を身につけることが必要だと主張しています。また、日本の国立教育政策研究所も「非認知的(社会情緒的)能力の発達」について大規模な研究を続けています。幼少期の経験が大きくなってからの「望ましい結果」に影響するというわけですから、私たちの子育てや保育も無関心ではいられません。実際のところ、縦断研究などによるエビデンス(根拠や証拠)に基づいて、保育所保育指針は改定され、乳幼児保育の充実や「非認知的側面」が強調されるようになってきたのでした。

そこで、私は「そもそも」のところから話を整理しながら先に進めますが、何度か話してきたように、社会情動的なものは、人と人の関係の中で発生する情動(感情や心情、感性、フィーリングなども含まれます)ですから、それはとてもたくさんあるわけで、赤ちゃんや乳幼児と一緒に生活していればわかりますが、大人のように繊細な感情はまだ発達していません。そもそも、感情はどのように進化発達してきたのでしょうか。動物も持っている感情と私たち人間だけが持っている感情とは、何がどのように違うのでしょうか。その上で、これからの未来社会に向かう時に、社会性を伴う情動について、どんなことが大事だというのでしょうか。

私たちの持っている感情には進化の歴史があります。それをざっと簡単に振り返っておきましょう。宇宙は137億年の歴史がありますが、太陽系が45億年まえにできて地球も生まれました。シアノバクテリアのような原始生命が発生したのは35億年まえ、その頃、植物も誕生し、アメーバやゾウリムシのような原生動物は7億年前に登場します。4億年前には魚類が、3億年前には蛇やトカゲやワニなどの爬虫類が出てきます。子どもたちが大好きな恐竜もその頃です。その後にネズミのような哺乳類が2億年前ごろから細々と今に至るまで続くのです。その哺乳類のうち700万年前にチンパンジーから類人猿が枝分かれして私たち人間と進化してきたことになるわけですが、さて、私たちが感じている、この「感情」は、いつ頃生まれて進化してきたのでしょうか。

感情をもっていそうな動物に対して、子どもたちは優しくなります。そもそも生き物への関心や共感は子どもはもともと持っているように感じます。自分の感情を対象に投影しているように見えます。最近のブログでよく見かけるアゲハの卵やダンゴムシ、スズムシの赤ちゃんの話です。これらの昆虫も動物ですが、金魚になると、わざわざ浅草の金魚屋さんに「金魚が病気になった、大変だ」と相談したくらいですから、どこかにカブトムシやスズムシとは異なる生き物の次元があるらしいのです。そんなことを思い浮かべながら、感情の進化の話を考えてみましょう。

 

社会情動的スキル12 教育基本法とエージェンシー

2022/05/05

「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」。

(内閣府のホームページより)

内閣府のホームページによると「国民の祝日に関する法律」には、今日5月5日の「こどもの日」に、その趣旨がこう書かれています。「国民の祝日」が制定されたのは昭和23年で、「母に感謝する」だけでいいのかな?と思ったりしますが、この部分の法律の趣旨は改正されたことはなく令和4年の今も、この趣旨はそのままです。それはともかく、こどもの日には「こどもの幸福をはかる」だけではなく「こどもの人格を重んじ」ることが明記されていたことを、ご存じでしょうか?

 

私たち省我会がもっている「見守る保育の三省」(職員の心得・クレド)ににも、子どもは「立派な人格をもった存在」とされています。

1 子どもの存在を丸ごと信じただろうか。

子どもは自ら育とうとする力をもっています。その力を信じ、子どもといえども立派な人格をもった存在として受けいれることによって、見守ることができるのです。

2 子どもに真心をもって接しただろうか。

子どもと接するときは、保育者の人格が子どもたちに伝わっていきます。偽りのない心で、子どもを主体として接することが見守るということです。

3 子どもを見守ることができただろうか。

子どもを信じ、真心をもつことで、はじめて子どもを見守ることができるのです。

 

さて、普段はあまり意識しないかもしれませんが、私たちは子育てをしながら、こどもの人格、パーソナリティを視野に入れています。日本政府も子どもの人格を尊び、教育でその完成をめざすのだ、と宣言しているのでした。そして世界は、OECDの考えではあるにしても、望ましい未来からの代理人として主体性をもった子どもの育成に英知を集めよう、と呼びかけているのでした。

そう考えると、人格を大切にしたり、人格の育成をめざしたり、国によっては人格の陶冶を図ったりするために、その方法として社会情動的な側面に光が当たり始めていることになります。たとえば、一昨日紹介した日本の教育基本法の第二条には、昨日紹介したエージェンシーを読み取ることができます。

第2条 三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んじるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

 

昨日に引き続き、白井俊さんの解説です。

「ここで注目したいのが、特に後段の表現である。公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、と書かれているが、これはエージェンシーの理念に重なるものである。すなわち、エージェンシーは、主体的に社会の形成に参画していくことを意味するが、それは単に自分が希望するから、ということではなく、それぞれが属する社会における自らの役割や責任を意識したうえで、一人ひとりが主体的に行動していくことが含意されているからである」(『OECDEducation2030 プロジェクトが描く教育の未来』〜白井俊著・ミネルヴァ書房〜)

 

子どもが参画することを当園の保育の中に探すなら、「お手伝い保育」がわかりやすいでしょう。子どもの社会は家庭であり、保育園であり、それぞれが属するクラスです。子どもたちなりに、その小さな社会の中で役割を果たし、貢献しています。他にもグループ単位での活動も色々ありますが、そのグループという小さな社会の中で自分が何を期待され、自分の行動をどのように制御し、どうしたらいいのかを考えたり工夫したりしています。そして「お手伝い保育」の自己評価の項目には「小さな子どもの気持ちや考えに気づいたか」というものもあり、社会情動的スキルの育成メソッドが生かされているのです。そしてお集まりなどで振り返ってみて「楽しかった」などの感想が出ることがあるのですが、それが「楽しかった」「面白かった」という個人の希望が達成された感想にとどまらず、「よかった」という言葉が出てくるようになるとしめたものです。「よい」という気づきの中には、自分のことを客観視できるメタ認知が育ち、内容によっては自分のことだけを超えた、社会的な何かが含まれているからです。

社会情動的スキル11 エージェンシー

2022/05/04

エージェンシーとは「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」のことです。2015年にOECD(経済協力開発機構)が発足させた「エデュケーション2030」(正式には、「OECD教育とスキルの未来2030」といいます)は、「ラーニング・コンパス」の中の中核的な概念になっています。

端的にいうと、子どもたちが大きくなった頃、自分や社会に変化を起こし、責任を持って社会に参画する力がどうしても必要になる。もう、これまでのように「お膳立てしてあげるから待ってなさい」では到底、間に合わない。世界の大きな変化に対応できる力(コンピテンス)を身につけてもらうしかない。・・・

確かに日本に住んでいると、こんな切迫感はあまり感じないで済んでいるかもしれません。OECDの議論を読むと、世界(地球)を襲っている変化は、並大抵のものではないことがわかってきます。これを「メガトレンド」と呼び、子どもたち(生徒たち)が立ち向かわざるを得ない問題が、すぐ目の前にあることに警鐘を鳴らしているのです。

例えば、AI(人工知能)など科学技術の発展、テロや戦争の増加、(ウクライナ戦争でもはっきりした)民主主義の後退、加速されていく移民や難民の増加、地球温暖化の最終局面、止まらない経済格差、雇用のオートメーション化と失業、肥満や自殺の増加・・・このような大きな問題が世界を覆っています。

そして日本はそれらのデータの中では、どれも危機が小さいので、呑気なままでいられるのかもしれません。ただメガトレンドの中で、日本がOECD加盟国の中でよくないのは、少子高齢化と自殺率の高さです。15歳の精神的幸福度も38カ国中37位です。

このようは背景があって、世界はこれまでの学校教育では、このメガトレンドに対応できない、どういう力を備える必要があるのか、という、その議論の中から出てきたものが、この耳慣れない「エージェンシー」という言葉です。OECDの報告書は「スチューデント・エージェンシーStudent agency」という言葉で使われています。生徒エイジェンシー、です。2015年のエデュケーション2030第4回会議(北京開催)で、イギリスの教育実践家として知られるチャールズ・リードビーターが提案したといいます。彼はTEDでも世界の教育の現状や未来の教育について説明していて面白いです。

チャールズ・リードビーター(TEDより)

日本語で、和製英語になっているエージェントというと、代理人という意味ですし、本人から委託された人が、代わりに契約をしたり交渉窓口になったりする人や組織を指します。旅行代理店は旅行エージェントですし、大リーグ移籍の交渉人も野球エージェントです。私はエージェントと聞くと、映画「マトリックス」で、キアヌ・リーブスを追いかける何人もの黒スーツのヒューゴ・ウィーヴィングを思い出してしまいます。

語源はラテン語の「行う」という意味の「agere」です。エージェンシーは、ウィキペキアによると「何かの外にありながら他の何かに影響を与える力」という意味がある、と出ています。OECDは現実のメガトレンドの濁流に押し流されないように、「私たちが実現したい未来」(The Future We Want )を作るために、生徒エージェンシーというキーワードを打ち出してきたのです。

私の手元にある書籍『OECDEducation2030 プロジェクトが描く教育の未来』(白井俊著・ミネルヴァ書房)は、その副タイトルが「エージェンシー、資質・能力とカリキュラム」となっています。エージェンシーとは・・・白井さんの解説を引用します。

「誰かの行動の結果を受け止めることよりも、自分で行動することである。形作られるのを待つよりも、自分で形作ることである。誰かが決めたり選んだことを受け入れることよりも、自分で決定したり、選択することである」(OECD  コンセプト・ノートより)。

私たちがよく使う主体性、という概念によく似ていますが、決定的に異なるのは、「私たちが実現したい未来」からのエージェント(代理人)というニュアンスがあるのではないかと、思います。白井さんが著しているこの本の中には、そうはっきりと書いていないのですが、これからの時代のことを考えるとそうなるのだろうと、想像しています。

社会情動的スキル⑩ 教育基本法との関係

2022/05/03

社会情動的スキルを育てようというとき、「能力」や「スキル」に比べて、あまり変化が望めない(と比較的おもわれがちな)「人格特性」「その人らしさ」の中で、どんなところに焦点を当てるべきなのでしょうか? まず教育基本法を確認してみましょう。その第1条(教育の目的)には、こう書かれています。

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

 

この冒頭に出てくる「人格の完成をめざし」とある、この人格がパーソナリティのことです。戦後すぐの昭和22年に、この教育基本法を定めたとき、制定の趣旨には「個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめること」(文部省訓令)とされています。

また、その解説には「真、善、美の価値に関する科学的能力道徳的能力芸術的能力などの発展完成。人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な規準によって、そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない」とあります。

 

「ただ自然のままに伸ばすのではく、普遍的な規準によって、そのあるべき姿にまでもちきたらすこと」。この表現の中に、教育の意図性がよく表れています。教育では、よく「ただ〜するに任せるのではなく、教育的な意図やねらい、育てる目標や子ども像をもつ必要がある」というのですが、ここにもその「意図性」の強調が見られます。

 

実際のところ、教育基本法は、その「その人らしさ」であるはずの人格について、4つの普遍的な規準によるとされた項目を持ち込んでいるのです。それが次の文章です。

「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

 

①平和で民主的な国家の形成者

②平和で民主的な社会の形成者

③その形成者として必要な資質を備えること

④心身ともに健康であること

 

私は、この「民主的な社会の形成者」を育てることに大賛成ですが、この「形成者」になるために必要な資質とはどんなものなのでしょう。従来のままでいいはずはありません。

なぜなら、教育は「その人らしさ」を個人の尊厳として大事に守りながら、一方で望ましい社会、未来の社会を想定しなればなりません。教育には、この二つの視点が常に両輪として回っていく必要があります。ルソーが「エミール」と「社会契約論」の両方を書いたように、です。またルドルフ・シュタイナーが「自由の哲学」と「社会有機体三層構造」を著したように、そして千代田せいが保育園の保育目標が「自分らしく」と「思いやり」の両方を「意欲」でつないでいるように、です。個人と社会は切り離せないものです。

そうだからこそ、これからの社会を考えたときに、何が「普遍的で望しい規準」になるのでしょうか。私はこの規準を作り上げていくプロセスに子ども自身の参画、よりよいものを創造していくプロセスへのコミットメントが求められる時代になっている、と認識しています。それがどうあるべきか、と議論してきた検討した結果、 OECDは2030年までに達成してほしい教育プログラムの中に、子どもの主体性、正確には「エイジェンシー」という概念を打ち出してきたのです。エイジェンシーとは「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」のことです。

社会情動的スキル⑨ 誠実性(勤勉性)

2022/05/02

いつの時代にも、子どもの中にも人気者がいます。卒園していった子どもの中にも、みんなから慕われた人気者がいました。その子は、どの子にも分け隔てなく接し「優しくて誠実な子」でした。

教育はいつも、どこでも個人に色々な心理的な特性がある中で、それが個人の特性として、その人らしさである限り、その人としての「尊厳」は守らなければなりません。その一方で、教育は社会との関係の中で生きる人間存在の本質を考えたときに、その人の自由意志のもとで、よりよい結果に結びつく可能性の高い資質や能力は伸ばしていくことが求められます。

そこで、現在のところ、色々な「社会情動的スキル」の中で、何がよき結果に結びつきやすいのかというと、 OECDの研究報告では「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」だとされています。これが「子どもたちが人生において成果を収めることに役立つ」といいます。さらに「忍耐力、社交性、自尊感情なども重要な役割を果たす」とされています。社交性や協調性、情緒安定性を重要な要素に挙げています。

もう少し、研究成果を見てみましょう。よりよい結果につながりやすいとして、具体的に選び出された「非認知的能力」の中から15種類を紹介しているのが、小塩真司教授が編者の「非認知能力」という本です。

無藤隆さんが「心理学で実証された15種類の心理特性の研究から、①非認知能力は教育可能である②その教育は望ましい結果(学力や健康・幸福・社会的活動)につながる。本書から多くを学ぶことができた。広く教育・保育の関係者に勧めたい」と、その本の帯で推薦しています。

そして実は、その15の冒頭の最初の心理特性が、「誠実性」(勤勉性)であり、ズバリ人格特性そのものが取り上げられているのです。このパーソナリティ特性としての「誠実性」というのは、私たちが普段使っている言葉ですが、この人格特性は、「目標を達成し、他者と協力して効果的に働き、自分の感情をコントロールする能力」と強い相関があるというのです。誠実であるというのは、自分の気持ちに正直というだけではなく、「自分の衝動を社会の規範に沿って適切にコントロールし、課題指向的かつ目的指向的な行動をとる傾向」をさすそうです。具体的には「規律正しさや勤勉さ、慎重さ、責任感の強さ、計画性などをカバーする概念」だというのですから、そんな傾向を持っているなら、それは誰でも「いい結果につながるだろう」と思うはずですね。勤勉性という言葉を当てている場合もあり、人格特性の内容としては、同じになっています。

社会情動的スキル⑧ 人格との関係

2022/05/01

近年「ビッグファイブ・パーソナリティ」という言葉をよく聞くようになりました。このミニ連載のために読んでいるOECDの本「社会情動的スキル」や、参照している図書「非認知能力」(小塩真司編者・北大路書房)にも、登場します。先に、この言葉の意味を押さえておきましょう。

解説は早稲田大学教授の小塩先生です。心理学では人格のことを人格特性と言います。英語ではパーソナリティ・トゥレイツ(パーソナリティ特性)です。比較的、長期にわたって変わらない安定した特徴を示す言葉です。

「自分の性格は明るくて楽観的で、頼まれたら断れないたちです、よく『お人好しなんだから』って友達にからかわれます」なんていう話のときの特性です。

能力とかスキルではなく、その人らしさ、性格や気質と思ってもらえばいいのでしょう。

5つというのは、外向性、情緒安定性(神経症傾向)、開放性、協調性、勤勉性(誠実性)です。人の人格を考えるとき、色々な要素が複雑に入り混じっていて、いろんな見方や整理がされてきましたが、最近の心理学では、この5つが人格特性の傾向を考えるときに、主要な分析の視点になっているというのです。

小塩先生によると、「外向性は、活発で刺激を求め、他の人と一緒にいることを心地よく感じる傾向、神経症傾向は抑うつや不安や怒りなど否定的な感情の抱きやすさ、開放性は伝統やしきたりにこだわらず、新しい考えを求める傾向、協調性は他の人を優先して円滑な人間関係を営む傾向、勤勉性(誠実性)は真面目で目標思考的で規律に従おうとする傾向」(『非認知能力』(小塩真司編者・北大路書房)5ページ)だそうです。

この5つを育てればいい、という話ではありません。この5つの側面はその人の個性を捉えるときの特徴ですから、いいとかわるいではなく、その人らしさ、というものです。ただ、その特徴が今テーマにしている非認知的なもの、社会情動的スキルを考えるときに参考になります、という話です。

ちなみに小塩先生によると「能力」という言葉は、「何かを成し遂げることができる力や、その背後にある可能性」という意味があります。

また「スキル」という言葉には、「訓練などによって身につけた力というニュアンスを含む言葉」です。

そして「特性」は、「パーソナリティ特性のように個人に備わった心理的な性質であり、何らかの機能を持ちながらも時間的に安定した特徴」(前同)だと説明されていて、なるほど、と思います。

スキルも能力も特性も、なんとなく使い分けてきましたが、このような意味の違いが、確かにあるな、と思います。この本には、この能力、スキル、特性という言葉が持っているニュアンスの違いを表にしてあるので、紹介しておきます。

 

心理学的な個人差特性     能力◯ スキル◯ 特性◯

将来よい結果につながる可能性 能力◯ スキル◯ 特性△

生まれながらの要因(遺伝など)能力◯ スキル△ 特性◯

教育による変化の可能性    能力△ スキル◯ 特性△

 

スキルや能力は教育によって身につけることができて、それによって、将来よいことに結びつくというニュアンスを感じます。なので、社会情動的特性ではなく、社会情動的能力とかスキル、という言葉になっていることがわかります。

また話は戻って、人格特性の方は、持って生まれたもの、生まれながらにして持っていて、教育や経験ではあまり変わらないものを色濃く持っています。なので「社会情動的」なものを考えるときも、特性の方ではなくて、教育の対象となる能力やスキルの側面を考えましょう、ということなのでしょう。

ただ、特性は全く変わらない、というものではもちろんありません。変わらないなら、人格の涵養や陶冶を教育ではできないことになってしまいます。教育基本法はその目標が「人格の完成」を目指していることを思い出しておきましょう。

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