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園長の日記

ビオトープとしてのみかんの木

2022/04/19

生き物がいる場所という意味のドイツ語「ビオトープ」は、日本では池を指すことが多いのですが、当園の場合は駐輪場となりの花壇がその役割を果たしています。開園した3年前の春に私がこっそり植えた「みかんの木」には、毎年、初夏になるとアゲハ蝶が卵を産みつけ、孵った幼虫がムシャムシャと葉っぱを食べて大きくなり、蛹になって蝶になります。そのプロセスを卵の頃からずっと観察してきたのが、当園の子どもたち。過去3回、そうした「蝶の一生」のドラマを見続けてきました。

そして今年もそのドラマが幕を開けたのが、ポカポカ陽気に恵まれた今日でした。どこからやってきた成虫(大人の)アゲハなのでしょう。これは謎なのですが、よくこんなところにみかんの木があることを察知するもんだと感心しますし、そして不思議なことでもあります。

 

旧今川中学校の校庭での他園との交流

2022/04/18

自分でやりたいことができると同時に、みんなでやりたいことも一緒にできるようになること。そんなことを話し合えるようになってきた「すいすい組(年長さん)」という話が、18日のブログで紹介されています。それと同じことを感じたのは、旧今川中学校の校庭で遊んでいる時でした。

今日はここでの遊びを選んだ13人の中に、すいすい組の子は4人いたのですが、年下の子の面倒をみることが当たり前のようにリードしています。移動の時の手つなぎ、コンビカーや三輪車の貸し借り、ボールの受け渡し、そういった、ちょっとした関わりの場面でも、自分のやりたいことをちょっと我慢したり、譲ってあげたり、待ってあげたりという姿が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ、自分でやりたいことの方が優先されて、取り合いになったり、先を争ったりすることも多いのですが、それでも期待されていることに気づき、また相手がどう思っているのかを察している姿を見ると、ちょっと褒めてあげるようにしてみます。するとやっぱり、そうなんです。意識して頑張ってやっていることを、認めてほしいようです。「えらいな、Aちゃん、代わってあげるだね」というと、「うん、だってもうすいすいさんだから」と言われたり、横断歩道を渡っていて、上手に手を挙げている姿が「わあ、さすが、かっこいいね」というと、らんらんのYちゃんも、自分だってやっているよと、「yちゃん(自分の名前)は?」と、みてほしいと促されます(微笑)。

 

 

旧今川中学校でできて、保育園ではできないもの。それは思っきり広いところを走り回ったり、思いっきりボールを蹴ったり、三輪車やコンビかーに乗ったりすることですが、今回は近隣の保育園との交流も行いました。3つの保育園が広い校庭の中で混ざり合い、少しずつですが子ども同士のつながりも生まれています。神田ベアーズの子どもたちが、赤白に分かれてリレーごっこをして遊んでいたのですが、年長のOさんは赤組のメンバーに加わって、輪のバトンを受け取って走り出し、次の子に渡していました。いつまにか、面白そうと思うことに参加して、すぐに友達になってしまう子どもたちです。

もう一つ、ここならではの遊びは、校庭の周りの空き地に草花が咲き、ダンゴムシやワラジムシがたくさんいて、木の実を拾ったり虫を集めたりして遊ぶこともできました。千代田の子以外の子どもたちとの散策や採集も、いつもとは違ったやりとりや関わり、会話が生まれていったことでしょう。

ヒューマン・コンタクト

2022/04/16

ねえ、一緒に帰ろう! ねえ、一緒にやろう! あれ、一緒にしたい! こんな言葉を子どもたちから毎日のように聞きます。この「一緒に〜したい」という心の動きが生まれる子どもたちは、心が健康な証拠です。なぜなら、お友達や親や先生に対して、ねえ、これ一緒に〜しよう、〜したいという気持ちになることは、誰かと共有したい世界があって、それを共有できそうな相手がいるということですから。この、供にいたい、共にありたいという心を持ったことで、人類は人間らしくなったのです。この元々持っている資質を、保育や教育で改めて意識して取り戻さなければならない時代になっているんだということを、今日の講演会を聴きながら、再認識したのでした。

今日の講演会とは、当法人(社会福祉法人省我会)の藤森平司理事長による保護者向け講演会のことです。毎年春に開いているものですが(昨年度は急遽、コロナで中止になりましたが)、今年は家庭からのズーム視聴の方も含めて約30家庭の保護者の方が参加され、過去最高の参加率となりました。今日の話のテーマは「これからの時代に必要な教育・保育とは?」という内容でした。今の時代がどんな時代か、その特徴を整理して、これからの時代に期待されている資質や能力とはどんなことかを復習しました。そして、その力を子どもたちが身につけるために必要な保育が、いま私たちが実践している保育であり、その特徴を改めて解説してもらったーという内容でした。

これからの時代の特徴は、次の3点です。

そして、このスキルを身につけるためには、次の5つがポイントになります。

この5つは、「園のしおり」に載せてありますが、これは、私が副園長時代に藤森先生と「せいがの森保育園」時代に実践の中から構築したものです。時代は移り変わっても、必要なコンセプトは変わっていないことになります。

ただ、時代は変わりました。以前にもまして、少子社会は進み、80年代から危惧されてきた「人間関係の希薄化」による利己的個人主義、引きこもり現象、人間関係力の低下は目に余るものがあります。さらにAIがそうした旧来の力はロボット(アンドロイドやAI)などとって代わられ、人間らしさを再発見しなければならない時代になりました。

そこで、毎日の生活の姿と、この話を結びつけると、「人と対話する能力」「他と協力する能力」「実行機能」は、いずれも子ども同士の関係の中で育つものなので、集団のある保育園生活の質が問われます。そして、このスキルを育てるためには、乳児の持って生まれた力、つまり「人間らしい触れ合い」(ヒューマン・コンタクト)を求める傾向、このことを赤ちゃん学では「ジョイントネス」というのですが、この資質の発露が、園生活では、いろんなところに見えるのです。

その姿の一つが、冒頭の「一緒に〜しよう!」という姿ですし、昨日の「歌のある生活」の話でもあるのです。歌のもつ力は、共鳴力ですから、いいものは通じ合い、感染していくのです。この歌の力が発揮されるのも、人間らしい触れ合いがあるからなのです。

生活の中の「うた」

2022/04/15

水曜日の入園進級を祝う会では、幼児では園歌「かぜとひかりと」を歌いました。園歌は、毎日は歌わず運動会や卒園式などの、節目節目の行事の時に歌います。みなさんは幼稚園や保育園で歌ったはずの「園歌」を覚えていますか? 小学校の校歌はどうですか?中学校や高校なら覚えているという方が多いのですが、幼稚園や保育園の園歌を覚えているという方はあまりいません。きっと毎日は歌わないからということと、幼児の記憶力ということも関係しているのでしょう。でも私も園歌は全く覚えていませんが、同じ歳だった頃の「オバケのQ太郎」や「鉄腕アトム」の主題歌は覚えているので、どうしてなんでしょう?それはともかく・・・

保育園の生活の中で「歌」は欠かせない大事なものです。どんな日も、歌を歌わない日はありません。乳児も幼児も保育園で生活していると、必ず歌に親しんでいくことになります。おうちでも園で歌っている歌を子どもが何か口ずさんでいるな、何を歌っているのかな、と思うことがおありでしょう。毎日お知らせいただいているご家庭の様子の中にも「・・・「先生とお友達」の歌が大変気に入ったようで、寝る時にベットで10回以上歌っていました」という子もいて、それは嬉しい話です。でも寝る前だったということは、ちょっと興奮して寝られなくなったんじゃないかと心配・・・そうじゃないといいんですけどね。

先生とお友達は、毎日、朝のお集まりの時に歌っているものです。それとは反対にお帰りの会の時にも、歌っているものがあります。それ以外に大切にしているのは、日本の四季折々の季節の歌です。この4月だと♪さいた さいた チューリップのはなが・・・の「チューリップ」や♪やねより高い こいのぼり〜の「こいのぼり」など。3月に歌っていた♪あかりをつけましょ ぼんぼりに・・の「おひなさま」を、絵本を見て思い出したのか、口ずさんでいる子もいました。

季節の伝統行事に合わせたこのような歌の他にも、昔と違って今の子ども文化の中には、NHKの「みんなのうた」やアニメやテレビで人気になったものも数多くあります。園ではマスコミではあまり登場しないけれども、乳幼児の保育関係者の中ではいいのものとして受け継がれてきたものも、積極的に取り上げていきます。その代表的なものは、なんと言っても「わらべうた」です。家でも寝る前にやってもらい、安心と満足の中で、気持ちよく眠りに誘ってもらおうと、ぐんぐん組の保護者会では担任が寝る前に毎日歌っている童歌「とうさん かあさん・・」(実は本当の名前がわかりません)を実演してもらいました。さっそく、やっていただいたご家庭もあったようです。初めはハッとした顔をして手を叩いて喜んでいたそうです。

歌を歌うのは、何もいっぱい覚えて欲しいとか、歌が上手になって欲しいだとか、ましてや将来どうなって欲しいとか、そんなつもりは全くなくて、あくまでも歌はメロディ、リズム、ハーモニーの中で生きているものがあって、それを言葉と体と手足を通して、お互いに分かち合いたい、共感し合うためにあります。心を通わせる相手がいて、それが親子だったりお友達だったり先生だったち、その関係の共感の中で感じ取るものを大切にしていきたいと思っています。

ぼくの居場所、わたしの居場所

2022/04/14

保育園や新しい生活に「慣れていく時期」にあたる子どもたちは、遊びや友達や先生との関係の中に、新しい遊びや新しい人間関係をつくっています。それら空間や物や人という環境は、その子どもの内面から感じ取る世界そのものです。一人ひとりにとって、ふさわしい空間、やってみたい遊び、一緒にいたいお友達、そうした違いがそれぞれにあって、それぞれの居心地のいい場所やモノや相手を見つけていきます。

それはまるで、絵本「どろんここぶた」のこぶたが、大好きなどろんこの中に、ずぶずぶと沈んでいくのと同じです。昨日水曜日は、園長の私が絵本を読んであげる時間があったのですが、「何にしようかな?」と探していると、先週読んであげた「どろんここぶた、がいい」という声があがりました。へえ、そうなんだ、と思いながら、3冊読んであげた中に入れました。このお話は、お家の中を掃除機で綺麗に掃除して「ああ、気持ちがいい」と喜んでいる大人のおばさんにしてみると、庭の豚小屋が汚くて見てられず、どろんこもなくし、こぶたくんもお風呂にまで入れて、着飾ってあげてパーティーにまで連れていくのですが、途中から機嫌が悪くなったこぶたは、綺麗な衣装も破り捨てて、家を飛び出し、どろんこを探しに出かけてしまう、というものです。

このお話に、子どもたちが惹きつけられるというのは、とっても示唆的なのですが、自分の居場所を探しているこの時期の子どもたちにとっては、こぶたのとった行動は、自分の気持ちとどこかで通じるものがあるからでしょう。3階の運動ゾーンで読んであげていたら、4月に入園したばかりの子が、いつの間にかちゃっかり私の膝の上に座って、このお話に聞き入っていたので、ずっとそのままにしてあげました。私の膝のも、どろんこだったのですね。

1年間の見通しの中で始まるお祝い

2022/04/13

今年の入園・進級を祝う会は、子どもたちが大好きな栽培活動を盛り込みました。(わらすのブログをご覧ください)

1年間がどんなふうになっていくのか、それは学年やクラスによって変わってくるものですが、またそれを保護者会でお伝えしてきたわけですが、子どもたちにとっても「これからどうなるのかな?」という未来に向かう時間を意識できるようになってくる年齢になると、何かを「楽しみに待つ」ということが生活の励みになっていきます。園庭がない保育園であっても、工夫をすることで、園庭がもたらす機能や役割を見出し、子どもたちに「体験してほしいこと」を用意することはできます。この20年ぐらいの間に、園庭に花壇だけではなく畑のある園が増えてきたと実感します。食育の勧めなどの影響もあるのですが、子どもたちが野菜や花を育てて愛でるという活動は、子どもたちの心の育ちにもいいものをもたらすからでしょう。

どんないいことがあるのかというと、子どもが本来的に持っている「生き物への共感」を発揮する機会になります。私たち人間は、普段の生活の中では意識できないのですが、生きているもの(植物、動物、人間)と生命のないもの(鉱物などの)から受ける情報を区別できる潜在的な力を持っていました。その眠ってしまっている感覚は、小さい子どもの頃は活性化しやすいのです。今年の保育テーマは「風と光と水と・・・」というものですが、これは自然の中の「生命のないもの」の方ですが、不思議なことに、「生きているもの」は、これ無しには生きていくことができないのです。

この生命のないものが、生命のあるものに変化していく、変化させていく「生きる力」の不思議さを、子どもたちは栽培活動の中で感じていきます。きゅうりなどの野菜がが大きくなって、収穫の時期を迎える頃、それを「食べてみる」ことにつながる活動は、生命(いのち)の循環の中に自分達が生きているんだという、持続可能な社会が必要な意味を後で理解するときにも役立つ体験になっていくのです。

そこで今日、私が夕方に読んであげた絵本は、せっかく収穫された野菜たちが冷蔵庫に入れられたまま、腐ってしまいそうな野菜たちが、月夜の深夜、ゾロゾロと家を抜け出し、野菜の集会に集まるというお話「ぞろりぞろりとやさいがね」(偕成社 ひろかわさえこ)です。「ああ、野菜さんたち、こんなになったら、かわいそうだね」というお話です。野菜や花の種を蒔いたその日に読んであげたので、ちょうど、いいタイミングでした。絵本の中で「くさる」という言葉が出てきたのですが、年長の男の子から「くさるって、なに?」と聞かれたので、そうか、今時の生活には何かが「くさる」という体験がないのかもしれない、と気付かされたのでした。

親しい人との別れは寂しいもの

2022/04/12


私の姿が見えなくなるまで、親はずっと見ていました。私が振り返ると私の親は手を振っていました。空港での別れの情景です。それが正月だったのか、お盆休みだったのか、きっとどちらでもそうだったのでしょう、田舎と東京を往復するたびに、一時期のことではあるのに、親しい家族と別れることは寂しいものです。同じ寂しさであってもまた、子心と親心は違うのですが、親になってみて初めて気づく自分の親心というものもあります。ウクライナから日本にやってきた家族の離別を伝えるニュースは、別れなければならない理由と心情を思うと居た堪れません。理不尽な仕打ちへの憤りと人生の酷さ。これほどの惨いことがあっていいものか、と。しっかりと手を取り合ったり、抱きしめあったりしてからの「今生の別れ」さえ許されない、突然に襲ってきた離別です。

保育園では、4月に入園した子どもたちの、新しい生活が始まっています。でも朝、親と別れるのはやっぱりつらい。親しい家族と別れたくなくて、そばにいてほしくて、あ〜んと泣いてしまいますね。朝別れる時はちょっと辛くても、保育園の中には優しい先生、同じくらいの子供たち、面白い遊具や楽しい遊び、面白い出来事などがいっぱいあって、そちらに気持ちが移っていくと、楽しそうに過ごしています。親のことを忘れている、というと、なんだか親御さんにしてみると、それはそれで寂しいように聞こえるかもしれませんが、そうやって園生活に慣れていき、どの子にっても、保育園も家庭と同じように、その子の新しい居場所となり、アウェイからホームに変わっていきます。その移りゆきはまた個人差があるので、一様ではないのですが、それでも、だんだんとそうなっていくでしょう。それを信じて、いま、いっときのお互いの辛さをおおらかに受け止めあっていきましょう。

ちょっとちなみに、と言う話ですが、子どもの泣き声というのは、大人にとっては「何をさておき、泣き止ませたいと思う」ようにできているものです。赤ちゃんの泣き声は、お母さん、お父さん、祖父母、他人の大人、の順番にストレス度が高いことがわかっています。赤ちゃんの泣き声は大人とっては、なんとかしてあげないといけない、という大きなストレスになるようにできているのです。泣き声を聞くと大人は心拍数が上がり、アドレナリンも上昇します。

確かに、赤ちゃんの泣き声が、助けてあげなきゃ、という行動を大人が起こさないような声だったとしたら、大人から見過ごされてしまい、生命の保持に必要なケアを受けれないで放置されてしまうかもしれません。あの甲高い、遠くまで聞こえる赤ちゃんの泣き声は、小さい体の割には物凄い大きな音を発していることになるので、大人に比べたら、オペラ歌手3人分ぐらいに相当します。

そのあたりの生物としての生存のために、身につけてきた人間の進化の仕組みを理解していくと、子どもが離別を恐れるのはケアの放置を防ぐ高度な戦略でもあり、その目的を保育園が社会的な親として役割を果たしていくことは、村中の人たちが大家族を形成していた時のように思ってもらえたらいいでしょう。

ちょっと隣の家族に預かってもらっているだけだから、という近所付き合いの感覚でいましょう。そのうち、帰りたくないと言って泣き出すようになるかもしれませんから。まずは親御さんがあまり不安にならないようにして、また夕方ね、それまで楽しく過ごしてね、という気持ちで送り出してあげてください。

また、それとは別に、ちょっと留意していただきたいことがあります。それは保育園に慣れてきても、子どもによっては別れ際の抱っこや挨拶やタッチなど、とても大切なルーティーンになっている子どももいますので、そこは知らない間に園を出ていくということがないようにお願いします。ちょっとしたその数十秒ができずに、その後、しばらくぐずってしまうということもありますので、よろしくお願いします。

園内探検

2022/04/11

全部で29人のわいらんすい(3〜5歳児の幼児クラス)には、5つの色で別れたグループがあります。それぞれ6人が基本の、年少から年長までの子どもたちが混ざった異年齢のグループです。今日はこのグループごとに「園内体験」をしました。1階から屋上まで、そこにはどんな場所で、どんな先生がいるのかを案内して回りました。私と担任とで分担して回ったのですが、年長の子たちは、それぞれの場所の過ごし方をよく知っていました。では、年長さんとのやりとりから、その様子を以下にご紹介します。

事務室〜園長先生、事務長先生、保健の先生がいること。用事があるときは「失礼します」というと、「どうしたの」と対応してもらえること。黙って勝手に入ってはいけないよ、お熱の子がいたり、大事なものが置いてあったりするからね・・・「はい、わかりました!」

玄関〜先生「ここには金魚がいるね。餌をあげることができます」子ども「今やりたい!」先生「今はできません」子ども「帰るときにあげるよね」先生「そうだね。大人と一緒にあげようね」先生「これはなんだっけ」子ども「自動ドア。手を入れない。勝手に行かない」先生「ボタンは子どもは、触ってはいけま?・・・」子ども「せん!」

ちっち・ぐんぐん組 私「ここはどうするんだっけ?」子ども「ここはね、赤ちゃんが寝ているかもしれないから、大きな音を出したり、どんどんしたり、大声で走り回ったりしない」先生「そうだね。静かにしよう。話すときは小さき声だったよね」「声の大きさ、1かゼロ」・・年長さんはとってもよく知っているから、びっくりしました。

屋上〜先生「この黄色いのは?」子ども「プール!」先生「もうすぐ、組み立てて、夏になったら水遊びができるようにします」子ども「いつやる?明日?」先生「もうちょっと先かな」子ども「え〜、早くやろう」・・・先生「ここでは野菜を育てよう。きゅうりとかトマトとか、スイカも育てたいね」子ども「うん、やるやる!」(目がキラキラ)・・

わいわい組は移行保育でにこにこ組から、わいわい組に進級しましたが、保育園全体が生活エリアなので、それぞれの場所の過ごし方、居場所としての決まり、どうすると良くなるのかを知っておく音が大事。この子たちに、どんな理由の決まりがあるのか、それを守とどういういいことがあるのかを理解しておくことが、心地よい生活を作り出すベースになっていくでしょう。

決まりの理解の仕方は、次のような話が基本の型になります。

先生「大人になったらね、自動車に乗って自由にいろんなところにいくことができるんだよ。いいでしょ」子ども「うん、うん」先生「でもね、自由に走っていたら、ぶつかって交通事故になるでしょ。だから、決まりがあるんだよ。なんだと思う?」子ども「・・・・」先生「それはね。信号を守ること。信号が青なら走っていいよ、赤は走っちゃダメ、止まれ、だよね」

こんな理解の仕方を、いろんな決まりと理由をセットで「納得していくこと」が大事になります。そのほとんどは、相手がいること、他の人が同じようにしたいから、自分もそうするという関係の質を良くしていくことと関連づけてあげる必要があります。

♪ 屋根より高いこいのぼ〜り

2022/04/09

今週から子どもたちと「こいのぼり」を揚げています。

♪・・・大きい真鯉はお父さん、小さいい緋鯉は子どもたち、面白そうに泳いでいる・・・

この歌を歌ってから、何人かの子どもたちと、よいしょ、よいしょ、と揚げました。

綱を引っ張ると、鯉のぼりが揚がっていくのは、とても面白いのでしょう、とてもいい顔をしています。

こんな体験は、ありそうで案外なくなったもので、しかも子ども心にはたまらない楽しさがあります。

 

 

にこにこ保護者会

2022/04/08

どの子も満3歳になっていく1年間。それがにこにこ組(2歳児クラス)です。それにしても、今年のこのクラス、只者ではないぞ、とワクワク感に溢れています。今日の保護者会でみていただいた最近の動画で、トランポリンの遊び方のルールを子どもたちで決めているではないですか?これはすごい。このようなことができるのは、発達心理学の教科書では、3歳児クラスで紹介されていることが多からです。

これはきっと、ぐんぐん組の時の過ごし方がよかったからでしょう。どのようによかったのかというと、子どもとの関わりの中で生まれる内的体験から、いろいろな思考(考える力)が育まれていることが大きいです。それまでの体験から、新しい場面へ応用しています。自分で考えて行動するプロセスがはっきりと育っています。しかも、相手がいて、自分との考えも調整しないといけないのです。自分は「こうしたい」という自己認識と、お友達は「きっと、こうんなだろうな」という想像的認識とをすり合わせて考える、ということがちゃんとできている。これって、そう簡単なことではないのです。

社会性の育ちと一言で言っても、ちっちの頃、ぐんぐんの頃と、内的体験の積み重ねがあって初めて育ってきている力なので、ただ「仲良くしよう」と言ってもできるものでありません。しっかりと根がはり、幹が育ち、まだ小さいながらも葉っぱを広げ始めてきた子どもたちです。これからが楽しみなクラスになりました。

保護者会では、ぐんぐんからの持ち上がりの先生と、にこにこ組の経験があるベテラン先生の二人から、この1年間がどんな生活になるのかを詳しく説明してもらいました。ぐんぐんの頃から身につき始めている「基本的な生活習慣の自立」も満3歳を目安にしながら、確立していきます。わいわい組(3歳児クラス)では、保育士配置も20対1になるほど、自分でできることも増えます。それだけ、この1年の成長は大きいものになるでしょう。

心の発達の特徴として、満3歳を過ぎて顕著になってくるのは、やりたいことが不適応行動にならないように、「こっちならやっていいよ」という適応行動が選択できるように、環境を構成することです。例えば、机の上に登って飛び降りるということをやる子がいたら、机には乗らないで、トランポリンでやろうね、というようなことです。ところが、やってはいけないけどやりたい、でもやっていいものが見つからない、という状況も起こり得ます。これは今食べちゃダメだから後でね、ということがあったとして、我慢できずに食べてしまったとします。

すると、にこにこぐらいまでは「食べちゃった、えへへ」で許されるのですが、同じようにそれ食べたいけどルールを守っているお友達に見つかったら詰られる、とか先生に見つかったら怒られる、という関係の中に置かれると、「隠れてやる」「食べてないよと嘘をつく」ということが起きてしまうかもしれません。ここで関わり方のポイントがあるのですが、本人が見つかたらやばい、と認識しているということは、ルールはわかっていて守れない自分への罪悪感も育っているということです。

「ああ、悪かったな」と素直に謝れることができる子どもに育てたいのなら、「そんなにやりたかったの」と、一旦、そのどうしても我慢できなかった気持ちを共感してあげてください。すると大抵は、素直に「うん」と認め、そこから「じゃあ。今度は◯◯してみる」という「自分から」という心の動きが生じるはずなのです。それが本来の「自発性」です。行動ではなく心の動きとしての、内面での、目には見えない心の動き、自分から一歩踏み出す心の動きです。これが態度=心の姿勢を形成していくのです。本当の意味で心のこもった「ごめんね」ができるような子どもに育つためのスタート地点です。

まだ友達との関わりの中で、手や口が出てしまうこともありますが、それは自制心と実行機能が育つことで解消されていくので、もうしばらく注意して見守っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。また身体的な活動の幅も広がります。室内だけではなく、戸外遊びも増えていきます。立ち乗りバギーも使って、いろんなところへ遊びへ行けることでしょう。たまにはバスに乗って木場公園などにも散策に行きましょう。自然との触れ合いも増やしたいですね。

 

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