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園長の日記

雨のため都内の「周遊観光」に変更

2021/10/22

今日の「バス遠足」の様子は、わらす及びにこにこのクラスブログを見ていただくとして・・・

 

雨になって中止というものもったいないので、まるではとバスの東京「2時間周遊コース」のように、車窓からTOKYOを楽しみました。

都内に聳え立つ、これだけの壮大な建造物。

子どもたちにはどんな光景だったのでしょうか。

そばで、子どもたちの様子を見ていると、

自分の自宅の近くであるとか、行ったことがあるとか、聞いたことがあるとか

自分の身近な家族との経験の影響が大きいことを感じます。

今日は遠くから眺めるだけだったので、いずれ、実際に行ってみて、登ったり、歩いたりしてみたいと思います。

・・・・・

さて、明日は「親子運動遊びの会」です。

ご一緒に運動を楽しみましょう。

 

その子らしく過ごす時間

2021/10/21

10月生まれの誕生児をお祝いする誕生会がありました。今月は6人です。先生による、お祝いの出し物は、食欲の秋、味覚の秋にちなんでや「世界のフルーツ」紹介です。私たち大人も「こんなに、凄いのがあるとは知らなかった」というフルーツ。世界の食べ物を知ることは、多文化理解教育そのものです。子どもの目線から多文化に入っていく入り口として、食べ物は入りやすいかもしれません。

ちなみに、今日、世界中を旅してきた坪井先生が、紹介したフルーツはりんご、バナナ、ぶどう、柿、ポポー、ジャックフルーツ、ドリアン、マンゴスチン、ミラクルフルーツでした。このうち、どんな味か、どれだけ知ってますか? 私はドリアンが全くダメでしたが、とても美味しいという方もいるので、やっぱり味覚も「多様性」を実感しやすいテーマかもしれません。これだけ個人差があるということは、私たちが一般に美味しいはずと思っている味も、子どもにとっては、たまらまいほど美味しいと感じている場合と、ちょっとでも無理!という苦痛になっている場合もあるのかもしれません。

一人ひとりを大事にする保育というとき、登園では選択性を一つのキーワードにしているのですが、「ここまでは認める、認めない」というレンジ、幅は、人によって意外と狭いことがあります。私たちは「常識」と思うものを、疑い続けることが必要でしょう。特に、情報を処理する感覚機能は、とても個人差があります。人によって視覚が優位だったり、聴覚が有利だったりもします。文字は上から下に書く、という常識を子どもに教えるときも、それが苦手な場合だってあることを私たちは知る必要があったりします。私の場合は聴覚優位なので、目に見える文字は、一旦全て「音」に変えてから理解しています。文字を図形のように理解していくことが苦手です。逆に、本を高速で読める人がいますが、まるで写真で写しとるように理解できるようです。プロの将棋の棋士が頭の中で駒が自在に20手先まで読めるのも、高速に図形を盤上で追うことができるからで、そろばんが頭の中のイメージで動くのと似ているのでしょう。

夕方、幼児のお別れ会の進行を担当したのですが、子どもたちと相談しながら進めていくと、一生懸命助けてくれます。オレンジグループのお当番さんが前にでできて、今日の楽しかったことなどを発表します。「ゲームパズルが楽しかった」とか「レゴブロックで作ったのをまたやりたい」とか、いろんな発表がありました。ある子は小学校で学ぶ漢字を書くのが楽しいらしく、書き順表を見ながら、森とか骨とかの漢字を書くことがマイブームになっています。

 

GTサミット2日目

2021/10/20

今日は昨日に続き、昼までGTサミットがありました。今年の参加者は77人。昨日の話を受けて参加者からのリレー発表です。子どもは赤ちゃんの頃から、関わりの中で発達していきますが、0歳から6歳までの関わりの様子を順番に確認できる動画の発表がありました。成長していくプロセスを1年おきに見てみると、いかに「子ども同士」の関係が「対話する力」や「協力すること」、そして行動をコントロールする「実行機能」の育ちに不可欠かが、よくわかりました。私たちの研究グループでしか見られないような子どもたちの姿でした。

この発達の過程で大事だなどと思うのは、やはり1歳から2歳、3歳のかけての自我の芽生えに伴う、マイナスの感情を自分で自制してコントロールしている場面です。動画の中にも、お友達に鈴を取られた子が取り返そうとしたり、それが無理だと分かったら気を取り直して、自分で絵本の方へ行って「これでも見るか」といった感じで絵本を手にします。自分で気を紛らわせているのです。

こういう場面は、現代の感覚では、もしかすると、子どもが可愛そうと思ってしまう大人が多いかもしれません。なんでもやってあげてしまうことは、子どもから発達を遂げるために必要な体験を奪うことになります。OECDの「教育2030」でも、「対立やジレンマを克服する力」が入っているのですが、乳幼児のこんな小さい時期にもそれに相当する経験が必要だろうというのが、最新の脳の敏感性発達の研究成果です。エモーショナル・コントロールの敏感期のピークは意外にも1歳から2歳にあるからです。

参加者からは、次のようなテーマが提案、報告されました。大人がやってあげる保育の限界、子どもの好奇心と大人の保育への探究心の関係、職員が思う「やりたい保育」と時代が期待する保育とのギャップ、保育者のやりがいやウェルビーングのあり方、中国など海外から注目される見守る保育、など。OECDが2004年に公表した5の保育モデルは、スウェーデン、アメリカ(のある一部)、ベルギー、イタリア(レッジョ・エミリア市)、ニュージーランドでしたが、これにはアジアが含まれていません。

今回のGTサミットは、子どもの主体性を大らかに見守る保育の現代性を確認しました。これが日本の伝統的な子育て観であったことを踏まえれば、近代になって欧米化されていく中で見失ったものを今一度、再生させる必要があります。昔と大きく異なるのは、少子社会、人工知能(AI)の進展、グローバル化、多様性、VUCAです。この変化に対応できる保育と生活を創り出さなければなりません。

 

 

GTサミット開催

2021/10/19

毎年8月に開いていたGTサミットは、コロナの影響で今日10月19日(火)に開かれました。今回のゲスト講演には、東京大学公共政策大学院と慶應義塾大学の教授で、四期にわたり文部科学省副大臣と、文部科学大臣補佐官も務めた鈴木寛さんにお越しいただき、「これからの教育と幼児教育」について2時間の講演をしていただきました。

鈴木さんはOECD教育スキル局アドバイザーで「教育2030プロジェクト」理事も務めています。私たちが今、注目している「ラーニングコンパス」を作った当事者でもあるので、その意味や背景を学ぶことができました。

OECD(経済協力開発機構)は加盟国の学習到達度調査(PISA)を実施していますが、鈴木さんによると「日本の15歳は2000年代低迷するも、2012年以降、世界トップクラス。この才能が開花すれば、日本はAI時代をリードできる」と言います。一般に思われているイメージよりも日本の学力は高く、特に「共同的問題解決能力」は世界トップだそうです。

この力は、友達同士で力を合わせて何かを成し遂げたり、仲良く生活できたりする力なのですが、これからの時代に重要になる力です。これが世界でダントツでいい結果になっているのは、乳幼児期の非認知的能力がうまくいっているだそうです。一方で、高校以上の教育は世界的に低迷しています。学習指導要領でも大きな改革が行われます。

小学校以降の学力で改善が必要なのは国語の書く力、英語、ITの3つです。先生がデジタルの分野を苦手としていることが原因なのですが、保育園ではアナログの世界で五感を使った体験をたくさんしておくことが極めて重要だということが強調されていました。

例えは小学校ではプログラミング教育が始まりましたが、保育園ではたとえば「積み木遊び」が、これに相当します。意図する形を実現するために、どのような積み木をどのように積み重ねるか、そこを考えることが設計の考え方、プログラミングと同じになります。

小学校以降では、その「働き」に対応した「記号」が入ってきて、その記号の組み合わせを考えることになります。そこで乳幼児の頃には、リアルな実体験が必要です。いろんなお魚があるなら、それを文字や記号で認識するだけではなく、できるだけ、触ったり、嗅いだりして「ぬるっとした感覚、重さ、力強さなど実際に感じること」が必要です。

保育園で今やっているような、土や水に十分に触れたり、草花の色水遊びや栽培、生き物の観察や飼育を楽しんだり、食育で野菜や果物の料理をしたり、リアル体験を深めておくことが重要であることを再確認できました。

これに先立つ藤森先生の講演では、こうした遊びに加えて、STEM保育を意識しようという話になりました。例えば、砂場遊びで山や川やトンネルとつくることがよくありますが、その時「川に水を流すにはどうしたらいいか」とか「山の土を崩れないように硬くするにはどうしたらいいか」などを考える要素を意識することです。

昨日私が行った蝶々のにじみ絵では、アートの要素が全面に目につくのですが、絵の具が紙の上でにじむ様子をよく観察したり、どの色とどの色が混ざるとどうなるだろうと考えることも、プログラミング的な思考やSTEMの要素が入っています。これからの時代に必要なスキルをどのように育てるか。そんなことを考えながら、遊びを工夫していきたいと思います。

 

子どもは「すごいねえ!」と「きれいだね!」が好き

2021/10/18

佐久間公園に行く途中の柳原通りで、岩本町三丁目町会長の栗下さんが、手を振って会社から出てきてくださいました。久しぶりにお会いしたのですがお元気そうでした。「今週末、運動会なんですけど、ご招待してくても感染対策でそれができなくて残念です」と伝えました。「ああ、いいよ、わかってるよ」と笑顔で理解してもらえました。会長は保育園を同じ町会の仲間として、いつも応援してくださっています。

佐久間公園へは2歳児クラスのにこにこ組と、3歳以上のクラスのわいらんすいとが、出かけました。滑り台や砂場、虫さがし、かけっこ・鬼ごっこなどを楽しみました。みてみて、と言われるたびに、その子なりの見せ場があるらしく、なるほど!と感心します。そして「すごいね!」と声をかけてあげます。本当にそう思ったら、躊躇わずに使いたい言葉「すごね」。これはやる気倍増の魔法の言葉です。

夕方、保育園の隣の駐輪場の花壇に「何か虫がいるんじゃい?」という子と一緒に、探してみましたがいませんでした。「寒くなったから、もういないね」などと話しながら。

すると「ちょうちょ」の話になって、ちょうちょを作りたいというので、コーヒータイムで使っていたフィルターがあったので、それを使って絵の具で滲ませ絵にして、ちょうちょにしたら、思いがけず大好評でした。

ぼくもやる!、わたしもやる! という盛り上がりでした。これも偶然に出来上がるので、どれも想像以上にきれいな絵柄になります。「きれいだね」と一緒に楽しみました。

 

 

イモムシくん脱走事件

2021/10/17

今朝17日(日)のことです。

2階から1階へ向かう黄色い階段の端に、棒切れが落ちているから拾おうとしたら・・・

KMさんのお家の図鑑で出自がわかった、あの大きなイモムシくんが(わらすのブログをお読みください)・・

ひとり旅に出ていました。

「あなた、こんなところまで、はるばると、どうやってやってやってきたの?」

「きみは海老柄スズメくんというんだよね。

玄関のアサガオの葉っぱを丸裸にしちゃったんだよね。

そうか。あの葉っぱが、もっとほしくなって、探していたのかい?」

水槽の壁は高くて、滑るから登れないはずだし・・・と不思議に思って「家」を見てみたら、謎が溶けました。

ここから出てください、とばかりに、棒が立てかけてありました。

その棒に登らせて、もとの「家」に戻してあげたので、迷子にならずにすみました。

今日は日曜日ですが、エアコンの分解清掃に立ち合っているのです。

今3階が済んだところですが、今年の行事パネル(春の親子ふれあいイベントと夏の納涼会)を作って階段に飾りました。

今朝はぐ〜ンと冷え込んで、二つの季節が終わったんだな、と実感です。

園庭ってなんだろう?

2021/10/16

園庭のない保育園をやることに決まった時、改めて「園庭ってなんだろう」と考えました。私がその時いた園の、当たり前のようにあった広い園庭には、走り回れる広い楕円形のフィールド(内側が芝生で、その外は土)があり、園庭の周囲には人工的に作ったビオトープが小川のように流れ、アスレティック型の大型遊具(吊り橋、トンネル、一つは筒型の2種類の滑り台が一体となったもの)、ブランコ、砂場、登り降りのできるネット遊具などが並んでいました。

子どもが体験できることを分類すると3つのことがありました。一つ目は体を色々と動かすことができること。二つ目は生き物と触れ合うことができる自然があること。そして三つ目が、室内では味わえない開放感。大きく分けると、この3つじゃないかと思えました。そこで、園庭のない千代田せいが保育園では、いろんな運動ができる室内ジムを用意して、屋上でも遊べるようにしよう。各フロアには生き物を見たり栽培したり、飼育できるような場所を用意しよう。そして屋外は、ぜんぶ園庭だと思って、いろんな場所で、いろんなことができるようにしよう。そうだ、園庭がないとマイナスに考えないで、中途半端な園庭で満足せずに、かえって面白い体験がいっぱいできるように、「地域が園庭だ」と考えればいいじゃないか!となっていったのです。

なぜ、こんなことを振り返っているのかというと、馬の水広場(と子どもたちが呼んでいるそうな)に引き寄せられている姿から、子どもにとっても魅力的な園庭とは、やっぱり開放感や自然が渾然一体になっている場所なんじゃないか、と気付かされるからです。

その気づきは、幼児クラスの先生に教えてもらったのですが、先週の10月5日(火)に草ボウボウの放置された「岩本町馬の水飲み場広場」に立ち寄って遊んだ体験が、とても印象的だったようです。翌日6日にもう一度行きたいという声があがり、子どもたちが話し合ったという姿を、7日のブログで報告しようとしていたそうです。私はその下書きを読んで「そんなに魅力を感じたんだ」と知りました。

その文章をなぜホームページに載せなかったのかというと、その「ファンタジーのような夢のような空間」だった自然空間が、6日には、綺麗さっぱりと刈られてしまったからです。私たちが5日に遊んでいる様子を見て、「草ぼうぼう状態で子どもが遊んでいては、気の毒」と思ってくださった方が、千代田区に連絡してくださったのか、あるいは、ただの偶然だったのか? それはまだわかりません。(真相が判明したら、またご報告します)

いずれにしても、大人にとっては雑草が繁茂した荒地に見えても、子どもたちにとっては「夢のような体験ができた場所」だったに違いありません。

子どもと木登り

2021/10/15

日本教育新聞で記者をしていたとき、園庭で木登りをさせている幼稚園を紹介したことがあります。昭和時代の話なのですが、幼児が木登りをするというのは、その頃でもすでに珍しいことになっていました。私が平成9年から22年いた八王子市の「せいがの森こども園」には、広い園庭に藤森先生が植えた「こぶし」の木があって、それは木登り専用でした。園庭のない千代田せいが保育園では、木登りができるなどと思ってもいなかったのですが、今日15日、偶然にも年長のすいすいさんが木登りを始めると、僕も私もと列ができて、木登りに子どもたちの熱い視線が注がれました。

「馬の水飲み広場」でのこと。ここは、5日に遊んだ時は、草ぼうぼうだったのですが、翌日6日にはすっかり雑草が刈り取られた原っぱになっています。草ぼうぼう状態は、それはそれで虫がいたりして面白かったのですが、草が刈られて平になると、走り回ったり、別の虫を探したり、アゲハを追いかけたり、長縄跳びをしたり、だるまさんがころんだをしたり、氷鬼をしたり、楽しい遊びを見つけ出していました。

そして、その一つに「木登り」が急浮上しました。KSくんが自分の力だけで登り始めて登れたので、安全な降り方も教えてあげると、何度も繰り返し始めました。それをみていた他の子たちも刺激を受けて、群れができるほどでした。

安全に木登りができるようになるには、大切な決まりがあります。それは「全部自分一人でやる」というルールです。手が届かないからと、持ち上げてあげたり、手伝ってあげたりしてはいけません。自分一人で登ることが鉄則です。下手に手伝うと、手順を飛ばしてしまうので危ないのです。手順とは「まず右足をここにかけて、左手でこっちの枝をこう握り、次に左足をここに持っていって、体をこう起こして、次に右足をここに移動させて・・・」という手順のことです。このルーティンを覚えていくことが、安全な木登りのこつなのです。

最初の枝に登れないうちは、その木に登る資格はないのです。自分なりに登れる木を見つけるしかありません。それを飛び越えて高い枝に乗せてあげると、自分で降りることができず「助けて〜」「抱っこお〜」となります。これをやってあげると、自分で登れなくなり、試行錯誤しながら手順を覚えないので、危ないのです。試行錯誤するときに、こっちの向きになると怖いとか、そっちに足を持っていくとバランスが悪いとか、自分の体や重心を感じながら、最もいい手順を見つけることができるのです。

これはボルダリングの競技に似ています。手足をどんな風に動かしていくか。みていると上手でした。運動ゾーンでクライミングやネット遊びをしてきたので、木登りにも応用できたようです。あまり怖がる感じもありませんでした。

実は、運動ゾーンに「目の荒いネットの方がいい」と判断したのは、前の園での木登り遊びの経験があったからです。自分の手足をバランスをとりながら、意識しながら動かしていくという動作が、必ず集中力と体幹を育てると確信していたからです。この広場へ行くと、一旦は木登りをする、というパターンが定着するかもしれません。そういう意味では、後で今日は木登り遊びの記念日になるかもしれません。

不審者訓練を実施

2021/10/14

今日は万世橋警察署の指示を仰ぎながら「不審者訓練」を実施しました。刃物を持った男が自動ドアの外から「開けろ」と騒いでいる間に110番通報し、警察署員がパトカーで駆けつけるという練習です。

当園への侵入を防ぐことを最優先させる態勢を組んで対応しました。対策はあえて詳しくは説明できませんが、各種の防犯措置が最も効果的になるように、職員の動きを確認しました。

子ども像の原点となる絵本

2021/10/13

今日は青木さんのダンス、すいすいのお手伝い保育がありました。ぞれぞれに色々な発見や楽しいことがいっぱいあったのですが、今日のトピックスとして取り上げるのは絵本です。

知りたがり屋のじょうーじ。これが原題の古典的名作絵本といえば「おさるのジョージ」ですね。英語で「キュリアス・ジョージ」が元ものの絵本の題名ですから、好奇心旺盛なジョージ、つまりなんでも知りたがり、やりたがるジョージという意味が元々の絵本のタイトルです。その第一作を今日は夕方、園長の絵本タイムで取り上げました。子どもって、こんな感じだよね、という特徴を最もよく表していると思える人気のシリーズですが、その特徴とは、まさしく「好奇心」です。好奇心は幼稚園でも保育園でも、その要領や指針で大切にされているキーワードです。

幼児教育の内容の一つ「環境」には、こう書かれています。

「周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う」

また10ある「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の7つ目「自然との関わり・生命尊重」にも、こうあります。

「自然に触れて感動する体験を通して、自然の変化などを感じ取り、好奇心や探究心をもって考え言葉などで表現しながら、身近な事象への関心が高まるとともに、自然への愛情や畏敬の念をもつようになる」

先日9日の勉強会で、藤森先生は「この絵本の登場人物たちが、好奇心旺盛なジョージが色々なことをしでかすことを、おおらかに受け止めている、周りの大人の姿に注目してほしい」という話をされました。確かに登場人物たちはジョージのイタズラに「やれやれ」という感じになるのでうが、決してそれにめくじらを立てて罰したりしません。ジョージが持っている好奇心を肯定し、なんとか、それが叶えられるように、応援してあげているのです。

さらに、藤森先生によると「この知る、ということがサイエンスのことです。STEM保育につながります。こんな好奇心を持って、やってみたい、どうしてだろう、不思議だなあ、というような気持ちを膨らませてあげてください。乳幼児期のSTEM保育とは、心情、意欲、態度を大切にしている保育そのものなんです」となります。

こんなふうに見守ってもらえたら、子どもたちは幸せなのに、と思ってしまいます。私たち大人は、この物語に出てくる大人のようでなければならないのです。好奇心いっぱいの子どもたちが、やりがたることを基本的には肯定してあげましょう。そして、その叶え方を「こうしたらいいよ」「こっちならやっていいよ」というように、認められない方法から認められる方法へ転換してあげながら、望ましい生活を作り上げる力を育ててあげたいと思います。

 

 

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