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見守る保育(保育アーカイブ)

見守ってもらえているからもっと良くなろうする

2024/11/19

神様からでも親からでも尊敬する先生からでも、自分のことをちゃんと思ってみてくれていることがわかると、人間は自分でもっと良くしようとし出します。自発性というものが、信じてもらえているというところから生み出されてくる感覚、わかりますよね。それが子どもにもあります。大人にもあります。その気持ちが伝わっていくように保育をすることの大切さを、いつも藤森先生から教わってきました。

 

そういうことがあるので、最も基本となる職員クレド「保育の三省」は、「子どもの存在を丸ごと信じただろうか?」から始まります。その次に「真心を持って接しただろうか?」となります。今日は保育環境セミナーの3回目が開かれて、全国各地からたくさんの方々が新宿・高田馬場に集まりました。今回のテーマの一つ「チーム保育」の根幹にある考え方は、この「相手を信じること〜信じてもらっていること」の関係を見守ると呼んでいることを再確認してもらいました。

藤森先生は決して誰も手放さない方です。最後の最後まで人が自分で立ち上がっていく潜在的可能性を信じてくださる方です。そのあり方は、子育てや保育や教育の文脈にだけではなく、人の生き方の根幹になる部分なので、多くの方々がそれを学びにこられます。教育関係者に限らず起業家やコンサルタントや行政担当者などの方々が、人が自立していく支え方を学ぼうとされて集まってこられます。

確かに方法や環境のあり方などの具体的なアイデアもあるので、それを学ぶことも多いのですが、最も大切なことは人間関係のあり方なのです。藤森先生のいう見守ることは、他者の潜在的可能性を信じて環境を整えるというあり方であって、ただの日本語としての見守るという意味に留まらないことを理解してもらいたいのです。

したがって、保育が生き方と関わる以上、保育学にとどまらず、保育道が必要になるという言い方が生まれる時もあります。

「気持ちが通い合う嬉しさ」ぐんぐん組の最近の様子をブログで紹介

2024/10/24

こんなに小さい子たちが、こんなに豊かに気持ちを通わせています。そして、こんなにも嬉しいことなんですよね。ぐんぐん組(1歳児クラス)のブログからご紹介します。ここでは、写真を加工しましたが、ブログではそのままですので、ぜひご覧ください。

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Nちゃんは最近、お友だちに水筒を配るお手伝いブームのようです。 今日の活動記録でも配信しましたが、プラザでRちゃんに水筒を差し出したり… 

(Rちゃん、気が付いて取りに来てくれました^^) 夕方も、Sくんの水筒を見つけて飲ませてあげようとしたり…。 でも、Sくんは、そのときあんまり飲みたくない気分だったみたいで、床にゴローンとしたままでした。 

フタまであけてくれて、何度かお茶をすすめるNちゃんでしたが、今はSくんは飲まなそう…と分かると、その水筒を大人のところに持ってきて、「せんせー!ごっごっごっ(ごくごく)」と言って、大人に飲ませる真似っこ遊びをして楽しんでいました^^

そんなやりとりをしたあと、もう一度Sくんのところへ行ってお茶をあげてみるNちゃん。 「Sちゃん、Nちゃんが、お茶もってきてくれたよ」と伝えると、Sくん、今度は飲もうかな?という気分になったみたい。 

「よかったねぇー!Nちゃん、ありがとう♪」とほほえましく見ていたら、Nちゃんも、とっても嬉しそうにニコッ! 

 

(嬉しくって、思わず、この笑顔…!) そんなNちゃんの表情を見て、そのかわいい姿に大人も思わず一緒に喜び合っていたら、Sくんも、思わずにっこり。 Sくんが飲んでくれて嬉しいNちゃんと、喜んでくれるNちゃんの姿が嬉しくてつられてニコニコするSくん。 

 

お互いなんだか嬉しくなって、そのあとも何度かお茶のやりとりを繰り返していました。 お友だちと気持ちが通い合う瞬間は、こんなに嬉しいものなのだなぁとそばで一緒に見ていた大人も、その喜びの輪に入れてもらった気分です♫

ぐんぐんさんたちは、誰かのお手伝いをすることへ意欲的な姿が増えています。こうして、自分がやったことを、誰かが受け入れてくれる・受け止めてくれる…そんなやりとりの中で、相手とのつながりを感じているのかな?と思います。

昨日は、お散歩中に、Hくんが、ちっち組のNちゃんに帽子を、かぶせてあげようとしていました。 

でも、Nちゃんはかぶるのがイヤだったみたいで、そのたびポイポイと脱いでしまいます。 すると、かわりに自分の頭へ。 

 

ぼくがかぶっちゃおう!と、そんなユーモアで、Nちゃんの思いを受け止めてくれたのかな? 大人が思わず、Hちゃんかわいい〜!とみんなで言い合っていたら、照れ笑いのHくんでした。笑 

Sくんにお茶を勧めるNちゃんもですが、こうして、お友だちの様子を見ながら、相手はどうかな?いまはイヤなのかな?などと、子どもたちなりに距離感を確かめながら関わっているような姿が見られます。   

(水筒どうぞ) 

(ありがとう〜・・・こんな光景が、日常にたくさんあります。)   ぐんぐんの今年の年間目標には、「自分の気持ちをたっぷり受け止めてもらう」ということと、「少しずつ相手の気持ちにも目を向けていく」という内容が含まれています。 最近の子どもたちの姿を見ていると、それぞれに、お互いの気持ちを主張したり、察して受け止めたり…そんな心の交流がそっと行われているように感じます。(もちろん、真っ向勝負の気持ちのぶつかり合いもたくさんしていますが笑)。

 

それでも、子ども同士で、こうして自分の思いと相手の思いの距離感をはかりながら、そのやりとりの中で気持ちが通じ合っていく体験を喜んでいる姿。そして、やってあげる体験・やってもらう体験、その両方を、その時々に応じて子ども同士で体験し合っているのも、素敵なことですね。 そうした姿を感じるたびに、その成長を嬉しく思っています。

民生児童委員の方々が園児と交流

2024/09/19

今日は千代田区の民生児童委員の3名の方々がいらして園児との交流しました。6月、7月に続き今回で3回目です。来園していただくのは、保育園が託児施設ではなく幼児の教育施設でもあることを実感してもらうことです。3歳児以上は幼稚園と同じ教育施設であるということを知ってもらいたいということがあります。そのために、文部科学省が作ったYouTobe動画「遊びは学び 学びは遊び “やってみたいが学びの芽” 」という動画を見ていただきました。

サブタイトルは、「やってみたい」から始まる学びの芽(知識・技能や思考力等の基礎、学びに向かう力)の育成」です。みなさんもぜひ一度ごらんください。当園と似た環境の保育室が出てきて、子どもたちがいろんな探究をして遊んでいる様子を見ることができます。

長野市の保育園から12人が見学に

2024/09/14

八王子時代から交流の続く長野市のS保育園から12人の先生たちが見学にいらっしゃいました。保育の考え方の基本は同じ保育園なのですが、具体的な物や人の環境は異なるので、その違いから生まれてくる保育について語りあいました。

赤ちゃんの探索活動の意味について〜とうきょうすくわく〜

2024/09/09

乳児の遊びの姿について、少し説明しておきたいと思います。ちっち組(0歳児)の赤ちゃんたちは、畳のところからとなりの部屋へ移動するだけでも、新しい空間をみつけて探索活動が楽しそうです。9月9日(月)のドキュメンテーションに、そんな様子が描かれています。

「隙間をみつけて・・・」「Kちゃん、探索が止まりません」

はいはいができるようになってきて、いろんな場所をみつけては、そこに行ったり、その空間に入り込んでみたりすることは、どんな経験になっているのでしょう。いくつかの観点から、次のようなことが言えそうです。

まずは好奇心が現れていますよね。あそこはどうなっているんだろう、ちょっと行ってみたい。環境からの呼びかけに応じているということでありながら、そうやって始まる姿には、そういう強い動機が感じられます。自分の体を自由に動かせることに喜びを感じ、探索活動が活発に行われています。この写真のように、柱と壁の隙という未知の空間に入り込むことは、新しい感覚を体験していることになり、新鮮で楽しいのでしょう。

Kちゃんの発達にとっては、認知的な発達を促します。この場所はどうなっているのかな?自分は入れるかな?ここを通るのに、どのように体を動かすといいんだろう? このように思っているかどうかはわかりませんが、空間と自分とのかかわ方の試行錯誤を通して、因果関係の理解や自己調整力と呼んでいいものが培われいくことになるでしょう。

広い場所から隙間やトンネル、カーテンの陰など狭い空間に身を置くことで、壁やトンネルや布がすぐ目の前にある感覚を感じたり、たとえば、それは圧迫感とか、こちらとあちら、明暗のあるその先に開けている空間とか、自分が動くことで変化する視野の面白さとか、形や色彩が次々と変化するものの世界の刺激を感じているはずです。その変化の中に身を置くことで、自分から動くことで違って見えてくる景色が面白いのでしょう。それは大人が散歩して景色を楽しんだり、車でドライブを楽しむ感覚に近いかもしれません。

自分から何かを期待してやってみて、新しい世界に出会うことは、自主性の発揮を繰り返すことであり、それで自分が体験することは、自分で引き起こしたことから来ることに着目するなら自己効力感といっていいものを養っているといいかえることができるのでしょう。さらに、何かの期待からやってみて、やった!という印象や喜びを感じたり、達成感を感じるのかもしれません。それは成功体験にも似た自信を得ることにつながるでしょう。

また、その様子を近くにいる親が先生が笑顔で待っていてくれたりすると、一緒に楽しみを分かち合っている感じ、通じ合っている感じがしてきて、それを伝えたい、また見ていてほしい、見守っていて欲しいという関係が生まれていくように思えます。

赤ちゃんにとって、部屋や廊下や別の階など、いってみたいな、と思ってやり始める探索行動には、本人にとっては自分の世界が広がって、そこでさまざまなものや人との関わりと発見が生まれる面白い出来事になっているのでしょうね。

 

祈り

2024/07/10

保育は祈り。

そんなふうに思える時があります。

七夕と、選挙の喧騒が過ぎて、少し寂しくなった、玄関。

願い事が書かれた短冊を整理しました。そこに書かれている願いの数々。今ではなく未来に託している言葉。ここにはまだない、こうであって欲しいという希望。子どもの、親の祈り。

先生の祈り。

「こんげつの おすすめの絵本」5月から始まって、今回で3回目。

カメ、カブトムシ、スズムシ、メダカ、トカゲなどの生き物の世話をしている主任の汗に光る尊い祈り。

子どもに呼ばれて手入れをしていた先生が離れたすきの、机の上にある鉢替え中のポトス。

キッチンの片隅に座り込み、声を出して、ゆっくりと『よるくま』を読んでいる女の子。お昼ご飯が終わった後のお皿を洗っている音が調理室から聞こえてきます。わたしの、祈り。

 

かるたづくりで、ことば遊び 【10の姿 8数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚】

2024/07/09

幼児クラスでなぜか先週から始まったカルタ作り。まず絵が完成。

そして、今週は読み札を作りはじめ、月曜と火曜で完成したようです。

「とけいはいろんなすうじがあるよ」「わたあめはくちのなかでふわふわする」「すいかわり じょうとそうまがわったよ」「たこはにんげんをまきつけちゃう」「そうめんはおとまりかいにたべるよ」・・

この活動を紹介している担任のコメント。

「Fちゃんが読み札作りをしているのを見て、Yくんもやりたいとやってきました。初めは、文字を書くことが難しく、大人が書いていたのですが、しばらくすると。

・・ひらがな表を見ながら挑戦。読み札は、その子らしさが出ている表現が多く、とてもほっこりしました。」

あの赤ちゃんだったこの子たちが、いつの間にか話せるようになり、絵本や紙芝居を読むようになり、そして今はひらがなを書き始めています。聞いて話して読んで書く。聞いたり話したりは、現在に現れて、すぐにに消えていきますが、読み札を読んでいると、文字は時空を超えた世界の出入り口になっているように思えますね。

⑧数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚

 

 

ごっこ遊びは「探究」のかたまりでは?〜とうきょうすくわく〜

2024/07/06

以下の写真は、先日7月2日に動画でお知らせした「お寿司屋さんのごっこ遊び」です。

・・・今日の2時頃から始まった、寿司屋さんの様子です♪

昨日今日で作ったお寿司を使って、お寿司屋さんを開店していました。

この様に、みんなで製作で盛り上がったものがごっこ遊びに広がっていくのはほんとに面白いですよね☺️

・・・

先生たちと保育中に語り合って気づいたのは、子どもの遊びの中で頻繁に見られる「ごっこ遊び」と探究の関係です。

「東京すくわく」の事例紹介では「もの」との関わりがほとんどだったのですが、子ども同士の関係があっても良いはず。

そこで展開されている姿を定点観測的に取り出して比較すると、そこには成長や発達と押さえていい変化が見られます。その中に「気づきと試行錯誤体験」の繰り返しと変化が、確認できるのです。それを成長展で1年間をまとめて可視化したいと思いました。

幼児の担任の一人は「たとえば春先のラーメン屋さんと最近のお寿司屋さんでも、変化がある。あの時は見ているだけたった年少の子どもも、今回は参加したり、顔ぶれも変わってきた。道具の使い方も慣れて、作るものが上手になったり、家族ごっこも発展している」そうです。おそらく、その活動の中に見られる知識・技能とそれを活用した思考力や判断力の変化が、ごっこ遊びの中のいろいろな表現の中に見られるからです。

でも、すぐに分かるのは、ごっこ遊びはいろんな要素がたくさん入り込んでいます。役割を分担して交代したり、言葉を交わしたり、使うものを制作したり、見ててるものを工夫したりと、多くのことが複雑に入り込んでいます。

先生曰く「このように振り返ると、ブログなどで記録をとっていることで、振り返るとその深まりや広がりに気づき、わかりやすくなるかも」という話になってきました。

遊び・学び・探究の関係は?〜とうきょうすくわく〜

2024/06/26

前までは頭の中に円(サークル)が3つありました。大きな円は遊び性が充満した生活です。その中に学びという円があります。そして、3番目の、この円はどこに位置づくのだろう?と思っていた言葉があります。探究です。保育所保育指針には満1歳以上の5領域「環境」に探究心という言葉が出てきます。赤ちゃんの頃から探究はしているということなのでしょう。(ちなみに探究なのか探求なのか、あたりも昔、散々調べたことがあって、指針や要領は探究心が使われているので、迷った時は「探究」にしていますが、当然、少し意味が違うので使い分けています)

話を戻すと、東京都が今年度から「東京すくわくプログラム」というプロジェクトを立ち上げて、乳幼児の成長発達に資する活動に補助することになったのです。その条件というのが色々あって、私なりに突き詰めると「子どもが探究しているか」ということになりそうです。

遊びでもあり、学びでもありさらに「探究」ということに絞ってきた経緯は想像がつきます。

学びには広さや深さの違いあるという前提にたてば「主体的で対話的で深い学び」を目指そうということになります。学びには主体的であるか、協力したり対話したりしているか、そうやって深い学びである探究になっているか、ということでしょう。

そこで冒頭のベン図で考えると、遊びという大きな円の内側に探究という学びが含まれているということになるのでしょうか。でも私はそういう静的な単純なものではなくて、もっと入り組んだ関係、本人からすると生成変化のプロセス過程で生じる、とりあえずそう見えてくる一区切りの位置付け直し、のように思えます。ここからここまでの活動が探究で、それ以外の時間や活動はそうではない、みたいなものではないでしょうから。

バットの音の違いを面白がる子どもたち

2024/06/17

今日もいろんな遊びの姿が報告されています。写真付きの説明でだいたいのことは想像がつきます。乳児から幼児までそれをみていると、子どもの躍動的な姿を生み出している仕組みのようなものを、どう汲み取って表現したらいいんだろうと考えます。とくに活動のうねりのような中で見せてくれる、ちょっとした道草のような遊びの楽しみ方、遊びの中に垣間見えるひねりのような面白さを、ちょっと拾ってみましょう。

 

きっかけは「探究」という言葉で指し示すことができることを探しています。すると遊びそのもののなかに、あの課題解決プロセスに似たところは探究と呼んでもよさそうだと思えてきます。たとえば幼児クラスの日誌には「運動ゾーンではらんすいを中心に「音」に注目が集まり、バットを色々な物で試してみる姿がありました。」と、次のように写真とコメントが書かれています。

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いつもはサランラップの芯をバットにしているのですが、ボールが真ん中にあたると、「いい音がする!」とRくん。

色々な物をバットに見立て、どんな音がするのかの探求が始まりました..!お部屋の中を探し回り、バットになりそうなものを見つけ始めました。

「ペットボトルは音が当たると大きい音がする!」

「カーンって音がする!」

「あれ?音がならない?!」

「これはどうかな?」

「みんな静かに~耳を澄ませて~」とLちゃん。色々な音の違いを楽しんでいました。“音“との出会いですね。

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野球ごっこは、このところ、かなり長く期間続いている遊びなのですが、日によって変化してきています。面白いことが、変わっていくのです。それはきっと好奇心というものの、特性でしょうか。それまでとは違うもの、新しいものを面白いと思い、それを取り込んで変化していくのでしょうが、今日はバットに玉が当たるときの「音」の違いを面白いと感じて、それを何人もが共有しているというのですから、ここには同じものを共にして楽しんでいるという、仲間意識も感じます。また同じ面白さを共有しているという暗黙の静かな探究心の交流のような空気も感じます。野球の遊びで、そんなところに興味が向かうものなんだ、面白いもんだなあと思います。

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