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見守る保育(保育アーカイブ)

それぞれの「どろんこ」見つかったかな?

2021/04/12

1週間前の4月5日の月曜日と、今日12日の月曜日では、たった1週間の違いなのに、子どもたちの慣れ具合、落ち着き具合が全く違います。

1階の「ちっち」は牧野先生の膝の上でUKさんが美味しそうに朝のお煎餅を食べていましたし、「ぐんぐん」はエプロンをテーブルに並べたり、おしぼりタオルが誰のものかを早速覚えていたり、まだ朝9時台ですが泣く子がもういませんでした。

同じ頃、2階の「にこにこ」は、室内のままごと遊びやベランダでの運動歌遊びに夢中になっていました。

さらに3階の「わらす」は、将棋を指している年長すいすいさん、140ピースのパズルに挑戦中の年中らんらんさん、ぬりえに没頭中のわいわいさんと、びっくりするほど静かでした。

先週7日(水)に、子どもたちと先生とで「入園・進級を祝う会」を開いたのですが(その模様は「行事」にアップしました)、子どもたちそれぞれの「落ち着く居場所」を見つけて欲しいという願いを込めて絵本『どろんここぶた』を読んであげたのですが、子どもたちがそれぞれの「どろんこ」が見つかっているように見えました。安心して過ごせる場所があるからこそ、そこから、それぞれの冒険や探検や挑戦が始まっていることでしょう。

藤森平司の保護者講演会

2021/04/10

2年ぶりに開かれた藤森統括園長による保護者向け講演会。昨年は緊急事態宣言のために開催できませんでしたが、今年は感染対策をしながら、保育園の会場に4家庭、ZOOMで10家庭の皆さんに参加いただき、開催することができました。ありがとうございました。今日の藤森先生の話は「これからの時代に必要な子育て」に関するものでした。具体的には目指したい子ども像に始まり、これからの不確かな時代を生きていくために必要とされるスキル、良い学びが起きる条件とは何か、そして今後必要とされるであろう6つのキーワードについての詳しい解説でした。なかでも「実行能力」と言われる自分の感情と行動をコントロールする力がとても大切であるという話でした。この実行能力とは発達科学で言われる言葉ですが、これまで哲学や社会学では「自由意志」として語られてきた生きる力と同じです。

これらの力がどこで、どのように身につくのかというと、少子社会の中では家庭では難しく、子どもの集団のある保育園がその機会になります。これからの時代に必要な力が、家庭や地域では育ちにくいというのは皮肉なことですが、それには理由があります。それは人類は協力しあう能力があったから現在まで進化の過程で生き延びてきたと考えられているからです。その能力を整理すると、人と協力したり、コミュニケーションをとったり、物事をしっかり考えたり、関連する要素を組み合わせて創造したり、挫けずにやり通したりする力が含まれます。

これらの力は、持って生まれたもので決まるのではなく、スキルですから習得できるものです。従って学び続ける力が必要になるのですが、習得には「ラーニングピラミッド」という階層があり、学んだことをしっかり身につけるためには、グループ討議、自ら体験する、他人に教えるという「アクティブラーニング」が不可欠です。このような学びがすでに乳児の「模倣学習」の中に見られることを、エピソード動画で解説していただきました。

にこにこ組保護者会

2021/04/09

今日は2歳児クラス「にこにこ組」の保護者会でした。この年齢のポイントは「自立」です。生活と遊びのそれぞれに「自立の姿」があります。生活を分類すると、食事、睡眠、排泄、衣服の着脱、清潔、お支度などがあります。それぞれについて、自立のイメージを持ってもらうと、無理しないで一歩一歩前に進めることができます。たとえば、食事は「自分の好みと適量がわかり、だいたい食べこぼさずに、食具を使えるようになる」といった自立の姿です。

1年前の1歳代の育ちの姿、今の姿、そして一年後の姿へと、自立の姿がどのように変わっていくのか、それをイメージできればあわてることも少なくて済むかもかもしれません。ただ、その筋道は一人ひとり異なるので、平均的な姿と比べない方がいいでしょう。平均的な子どもなど、この世に1人もいないのですから。子ども自らの確かな歩みを支えていくために、焦らず、おおらかに待つうちに、いつのまにか自立しているでしょう。それを信じてあげてください。

新年度最初の春の保護者会は今日で終わりましたが、それぞれの保護者会で共有したことを、毎日の生活に生かしていきましょう。保護者会で使った資料は、ホームページのパスワードが必要な「行事結果」に入れておきますので、ご覧ください。

ぐんぐん組保護者会

2021/04/07

1歳児のぐんぐん組の保護者会。この1年間で大切にしたいことは、人との心の交流と自発性ですが、それがどのようなことなのかを、具体的にイメージしてもらえたら嬉しいな、という会になりました。今日は美倉橋の公園で遊んできたのですが、その写真もみていただきました。

年間目標は次の2つです。

●「保育者や友だちとの関わりの中で、自分の気持ちを表現したり、相手の気持ちに目を向けたりしながら、関わりを深めていく。」

●「「自分で」「やってみたい」気持ちを大切にしてもらいながら、身のまわりの様々なことに意欲的に挑戦していく。」

人と関わる中で育つ相互の安心感と信頼感に支えられながら、自分でやってみたいという意欲が十分に満たされていくような生活。その世界に大人があまり介入せずに、温かく見守っていくこと。その中で育ちゆくものを、一緒に確認してゆけたら嬉しいですね。

2歳になるのが4月から9月までの半年間に集中しているクラスです。それだけに乳児から幼児への過渡期のテーマが早く現れてくるクラスになります。そこでちょっと早めに「イヤイヤ期の傾向と対策」をお伝えしました。イヤイヤは内面から突き動かされる衝動にも似て、子ども本人にしても、そのエネルギーの使い方、湧き出る気持ちに戸惑っているはず。どうしてそんな現象が、この時期に起きるのか、故岡本夏木先生の「しつけ論」をたよりに、考えてみました。

しつけは、子どもの生の欲求と社会的規範が葛藤をうんでいる場面です。また、それはシーソーのように揺れ動く中で、社会規範を身に付くための、長い練習の時期でもあります。その荒波の社会の中へ、果敢にも漕ぎ出していく赤ちゃんたちを、心から応援してあげましょう。それいけ、ベイビー。自分の力で感じ、気づき、わかり、できることを繰り返しながら、豊かな心情が育ちます。そこから心の姿勢が形成されていくでしょう。まっすぐな心が社会と出会い、そのぶつかっている心の音が「イヤイヤ」なのかもしれません。イヤイヤ期は「自分づくり第一期」でもあります。

 

 

すいすい組保護者会

2021/04/06

年長組すいすい組の保護者会。この1年間の子どもが見せてくれる特徴や、すいすいならではの活動を少し紹介しました。今は多少「ロストすいすい」感情が残っている子もいますが、だんだんと「新しいわらす」の集団の中で、新しいわくわく感を感じるようになってきています。年齢や発達に差がある大きな兄弟関係のような「わらす組」の中で、年長としての張り切り感が伝わってきます。この前ですが、ちょっと褒めたら「だって、もうすいすいなんだから」と言われ、(お、そうきたか!)「あ、そうだよね、さすがだね」とちょっとタジタジでした。うちに秘めた進級の嬉しさや誇らしさが、そんな時、顔を出してます。

年長さんになると、お手伝い保育とか、お泊まり会とかお芋掘りなどがあって、きっとあっという間に過ぎていきそう。そうこうしているうちに、もうすぐ小学生だね、という時期がくるでしょうから、あまり先取りしないで今の時期にしかできないことに熱中したり楽しんだりしていきたいものです。この1年は、本当にびっくりするくらい「しっかり者」になっていきます。おう、そうきたか!!が当たり前の一年になっていくことでしょう。

3歳ぐらいから、自分がやってみたいことの中に、お手伝いや役立つことをとてもやりたがるようになっていきます。この進級の時期は、それまで「見ていた立場」から「やっていい立場」に変わるので、それが一気に現れているように感じます。園児たちはこの2年間の生活を、他人から言われるでもなく、自分たちからやり始めているようです。明日の「入園進級を祝う会」で、「それが先生は嬉しいよ」と伝えるつもりです。今日の保護者会では、すいすいさんのそんな姿の写真をスライドショーで見てもらいました。これも頼もしくなってきたすいすいの年度始めの姿です。

最後の20分程度、7名のご家庭と一緒に懇談会の時間を持ちました。出てきたテーマはタブレット端末やゲームなどのやり過ぎの問題。どの程度がいいのかという線引きや、何がどう子どもに影響するのか、はっきりしていないテーマなので結論は出ませんでしたが、ちょっと気になるテーマとして「継続審議」にしていこうと思いました。情報があったらその都度、お知らせします。

さびしさと安堵と楽しさと

2021/04/05

◆ 淋しくなって、またホッとして・・

今日は月曜日。土日を親子で過ごした後の月曜日は、入園したばかりのちっち組の赤ちゃんにとっては、ちょっと淋しい気持ちになって、泣いてしまうこともあります。それはそうです。そんなに簡単にお母さんやお父さんに代わりにはなりませんよね。きっと日本全国の3万近い保育園で、今日は赤ちゃんにとって、ちょっとした試練の1日だったことでしょう。約90万人いる日本の0歳児のうち、約16%の15万人が保育園に入園したんですから。

でも、お迎えにきたお母さんやお父さん、おばあちゃんの顔を見て、ホッとして笑って、気を取り直してくれて、先生に「ばいばい」してくれました。私たちは「また明日ね」の気持ちなんですが、果たして本人は?どうかしらん?

「先週はママ(パパ)と一緒だったじゃん。なんで、いなくなっちゃうの。金曜日もそうだったよね。あんまり気づかなかったけどさ。保育園って、せっかく楽しそうなところだなあ、って気に入っていたのに。嫌だよ、置いていかないでよ。・・でもまあ、気になっている子もいるから、明日また連れてきてね。いや、別に嫌じゃないのよ、保育園は。でもね、ママがいなくなるのは、やだ! それは別の話だからさ・・ね、お願い」

こんな感じかな? ま、明日また元気にいっぱい遊びましょう。あんまり泣くと、ママも困るから、楽しく遊んでお迎え待とうね。

ぐんぐん組やにこにこ組の様子はどうだったでしょうか。ブログでは、遊んでいる様子や優しく慰めてもらっているやり取りが報告されています。子どもが持っている優しさが、思いやりのある行動となっていくために、こんなにも「心が動かされていく経験」というプロセスが積み重なって、育んでいくんだなあと、感じさせられます。ちっち、ぐんぐん、そしてにこにこへと成長してきた子どもたち。これからが楽しみです。

らんらん組保護者会

2021/04/05

◆らんらん組の保護者会を終えて

らんらん組の正式名称をご存知ですか?と言う質問には、予想通り(!)、ほとんどの保護者の方が「ぽかん?」とされていました。正解は「みんな なかよく らんらん組」です。お友達との仲の良さが、いろんなところで見られるのが年中さんの特徴なんです。そんな話から、子ども同士の関わりが、どのように心を育んでいくのか、という話をさせてもらいました。植物の生長が土壌の栄養と日光と水によって変わるように、人も持って生まれたものが、環境によって大きく変わります。心の発達の過程を踏まえると、満4歳になった子どもたちが、満5歳になっていく1年間は「社会的な心」の成長が著しい時期なのです。

今日お伝えしたことは、人の心の育ちの筋道です。0歳児の基本的信頼感の獲得から始まって、1〜2歳児から始まっている他律ではない自律を経て(基本的生活習慣を身につけていくプロセス)、それと伴奏するように自我の芽生えに伴うイヤイヤ期に見られるような自発性を発揮しながら、お手伝いなどの利他的行動を好む「自立心と協同性」の時代を経て、さらにしっかりとした道徳性や社会性を身につけてくまでの流れを、ごくごく簡単にスケッチしました。この話は、詳しくお伝えしたい子育ての秘訣が含まれる「発達の原理」なので、講演会を開いた方がいいかな、と今日話しながら感じました。詳しく聞きたいという方がいらしたら、いつでもやりますので、担任までお声かけください。

と言うわけで、幼児期の真ん中にある「らんらん」は、まさしく「自立心と協同性」の時代にいます。やってあげることが、楽しい時期に入っていきます。集団のある保育園生活の中で、案外、最ものんびりとできる1年かもしれませんよ。それだけに、何があったんだっけ?と終わってしまいがちな年中さんかもしれないので、見逃さないように、よーく、観察してみましょう。とても面白い成長を見せてくれる一年ですから。

こうした心を耕す体験は、保育園ならではのものです。全ての子どもにこの時代を過ごさせてあげたい。学年別のクラスや学校的空間では、自由遊びの中での子ども同士が織りなす体験は生まれにくいのです。ああ、もったいない。子どもたちもまた自然の一部であり、そこには、その奥深い「子ども社会」が生まれています。もし、そこに大人の指図が過剰に割り込んでしまうと、微妙なバランスで成り立っている自然の生態系が乱されてしまいます。それだけは避けてあげたい。本当にこの時代に必要な体験を保障してあげたい。それは不思議なことに、子ども同士の社会が、自分たちで作り上げていくものなのです。

自己紹介も楽しいものでした。ありがとうございました。お子さんの「よさ」をいっぱい見つけてあげてください。その数だけ、子どもは幸せになるでしょう。親御さんがいいなあ、と思っていることがきっと伸びていくんじゃないでしょうか。まるで新緑の芽が太陽を向くように。いいね、と認めてもらえることが最高の栄養になりながら。一緒にその一つ一つを愛しんでいきしょう。

 

 

わいわい組保護者会

2021/04/02

◆わいわい組の保護者会

3歳児クラスの「いつも元気なわいわい組」。夕方から保護者会がありました。新わいわいは定員10人に対して8人でのスタートとなりましたが、保護者会には6家庭の参加がありました。最初に私が昨日と今日の食事の様子の写真を見てもらいながら、すっかりと「わいらんすい」の仲間に溶け込んでいることをお伝えしました。また遊びへの集中度の高まりの例として、ごっこ遊びで服のボタンをつけるのに夢中のKKくんの動画を見てもらいました。3歳児クラスは、乳幼児期の前半と後半の境目です。その差をさほど感じさせないほど、スムーズな3歳児クラスのスタートになっています。

保育園では「一人ひとり」を大事にしているので、色々な「個人差」に対応できるようにしているのですが、2歳児クラスまでのそれと、3歳児クラスからのそれとでは、個人差の意味が変わってくることをお伝えしました。2歳児クラスまでの個人差は、どの子も通ってくる発達の差が個人差になるのですが(いつ、おむつが取れるか、いつ心地よく眠ることができるようになるか、など)、3歳児以降の個人差は、物事への興味や関心の差となって現れることが多くなります。

もう一つの特徴は、人間関係の広がりの中で、その体験の幅が広がることです。本格的な異年齢児保育の環境での生活が始まります。このことは、担任が「配膳でお茶をこぼした子へのお手伝い」動画で、関わり方の違いを説明しました。年長になるとこうなる、年中ぐらいだとこうなる、というわかりやすい場面でした。

自己紹介をしていただき、子どもの命名の由来をお聞きできたので、子どもの名前を呼ぶたびに、親御さんのお子さんへの「想い」を思い起こすことができます。心配した「見えない不安」は、3歳児クラスではあまりないようでした。

 

「励まし」より「共感」を、「教育」より「養護」を

2021/03/30

(本日30日に配布した園だより4月号 巻頭言より)

入園、進級おめでとうございます。

最近、スポーツ選手など「自分が頑張っている姿を見てもらうことで、勇気を与えることになれば嬉しいです」という趣旨のコメントをすることが増えました。コロナ禍で「前向きな気持ち」を出してほしいという励ましの気持ちです。ただ併せて、私たちが想像力を持ちたいのは、それを見て「ああ(自分は)ダメだ」と気落ちしてしまう方もいる、という事実です。人はそんなに頑張れないし、うまくやれないし、人が成功する姿が辛いものになる人もいます。がんばっている姿は人ぞれぞれです。「できないし、困っている、失敗した」という話に「自分も同じだ」と救われ、励まされることも多いのです。私も昔、先輩の「私もそうだったんだよ」と、上手くいかなかった話に救われた体験があります。

目的に向かって「晴天を衝く」(NHK大河ドラマ)ような輝かしい姿に接すると、清々しい気持ちになり憧れることもあるでしょう。ところが、誰もが「自分も」と心が動き出すようなものではありません。遠すぎるもの、高すぎるものは「我が事」になりにくい人もいます。何に共感するか、誰からエンパワーされるか、感化されやすい相手も違います。何が違うのでしょうか。何が大事なのでしょうか。

子どもはどうでしょう? 実は子どもはいつも、親の本当の「地の心」に触れたいと思っています。励ましたり、諭したり、指示したりする姿だけを子どもに見せていませんか。それだけだと、子どもの「まっすぐな心」はげんなりしているかもしれません。子どもは励まされたいと思って生きていません。励ましは「(自分は)いつも励まされないといけない自分なんだ」と無意識が学んでしまいます。ちょっとやらせて、できたら褒める。一見正しいように見える子育てですが、努力しないと認められない自分でしかないと感じているかもしれません。それでは本当の自信は育ちません。条件付きの承認は無条件の承認よりも、心に届きません。

本当は気落ちしたり、困ったり、不安だったりする気持ちを「わかってほしい」と共感してもらいたいことが多いものです。もちろん嬉しい気持ちも。「ボクのこと、わかってもらえている」「わたしのこと、知ってくれている」という実感から、子どもは一歩を自ら踏み出すエネルギーが自然と沸き起こるのです。それが心の仕組みです。そこで私は「がんばって」とあまりいいません。言うときは「がんばってるね」です。子どもはいつだって、大人が思う以上に、いつだって、がんばって生きているからです。教育よりも養護が先なのです。

何をもって、その人が自ら一歩踏み出せるようになるか。それは人によって大きく違います。保育の要諦はここにあります。年度の初めは、こんな「初心」を思い起こすことから始まります。

気持ちを言葉でなぞってあげられるように・・・

2021/03/13

◆気持ちを言葉でなぞってあげられるように

最近の子どもたちの成長ぶりが、いろいろな場面で感じられて、また子どもに教えてもらうことも多くて、「頼もしいなあ」とか「すごいなあ」とか「こんなことまで!」とか、いろいろです。そんな成長に気づいている先生たちは、子どものちょっとした姿から見えてくる育ちや心の動きをいつも語り合っています。その一部がブログで紹介されているわけですが、それを読んでいると、子ども同士の関わりの中で育ちあう瞬間を目撃できる仕事が保育士なのかもしれないと思えてきます。型入れ遊びで「もういっかい」という言葉で感じ合っている、相手の気持ちへの想像力とか、身体測定を再現して、ペンギンの身長を図っているレゴについて「ペンギンさんが“おおきくなったかな”してるとこ」と表現できてしまう力とか、ほんとに面白いし愉快です。そして私たちは、子どもの姿から、その心の動きを「言葉でなぞってあげられるように」と思えるような子どもへの迫りかた(よく見守ること)への必要感を覚えるのでしょう。この感覚が大人に増えるなら、子どもたちはもっと幸せになることでしょう。

◆緊急事態宣言の解除の日が卒園式

姉妹園で卒園式がありました。明日もあります。来週21日はいよいよ千代田の番になります。昨日12日にすいすい組の保護者の方へ「卒園式のお知らせ」を配りました。今年は何かと節目の日に行事が重なります。21日は再延長されている緊急事態宣言の最終日にあたります。政府首脳は「よっぽどのことがない限り解除」の方針だそうですが、やはりリバウンドと変異種の広がりが気になります。「なぞりたい気持ちの相手」は、コロナで毎日なくなっていく方とその家族の方々です。もちろん震災や原発事故もそうです。そのためには、事実をよく知る必要があるのですが、遠いです。

◆俯仰天地に愧じず

(以下は妄想)それにしても毎日、これだけの死者の数が報道されているのに、もし700円ぐらいのイベルメクチンを飲んでいたら、この数がもっと減っていたのだろうか。海外の実態をルポするジャーナリストもいないのだろうか。そのためにクラウドファンディングでもなんでも、皆保険制度の外側に「薬の自主ルートをつくる会」でも立ち上げて、早く治療薬を届けるルートを作るような出光佐三は現れないのだろうか。北里大学の研究グループが厚労省の認可を得るために必要な費用が4億とかで足りないのなら、300億とか使ってでも第三層の治験データを集められないのかしらん。変異株蔓延の前に承認できないのでしょうか。

◆「薬の神じゃない」のチョン・ヨン(程勇)はいないだろうか

(これは願望)昨年の中国映画に「薬の神じゃない」という、格安のジェネリック医薬品をインドから輸入する話を思い出しました。密輸なので違法になるけれども白血病の患者を救う話だった。似たような英雄談を日本人は好むはずなのに。そもそも儲からないから、どの製薬会社も治験をやろうとしないのなら、ここでこそ「医療原則」に立ち返って、市場価値原理から使用価値原理への転換を「福祉」の観点から乗り越えてもらいたい。有事ではなく、福祉の観点から市場原理に任せないでほしい。死んでいく国民を前にして、効く薬があるかもしれないのに、使えないという仕組みは「どうにかしているとしか思えない」という感覚を、学校の道徳ではぜひ教えてもらいたいものです。

 

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